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死人の夢
男は笑った。薄っぺらい笑いだ。中身はなんにもない。操り人形の様だと伊達・剣人 (だて・けんと)は思った。或いは‥‥永遠の眠りを妨げられた死人の様だ。男がいかにも不健康そうな、血の気のない真っ白な顔色をしているからそんな風に思うのだろうか。
「先日も上物を納品していただき、ありがとうございました。上からも礼を言うように言われております」
「‥‥そうか。珍しいな」
剣人は素っ気なく言った。ここは何でも買い取る『店』の窓口だが、特に『きれいな女の生身の死体』を探している。これは簡単な様で難しい注文だった。ごく一部でもサイバー化していたら買い取っては貰えない。けれど、前回の『仕事』は評判がよかったらしい。わざわざ窓口の男が剣人を呼び止めることも珍しいし、礼を言うことは‥‥今までにない。
「こちらでは引き続き入荷をお待ちしています。是非、よろしくお願いします」
無表情なのに感情のこもった口調で男は言った。腹話術の人形の様に不気味だったが、剣人はおくびにもださず、無言でニヤリと笑って見せた。
夜の風が街を渡る。熱帯の甘い花の香りと香料のキツイ煙草の匂いがした。憶えがある。剣人が視線を彷徨わせる。こんな真夜中に出歩く奴に『真っ当』なのはいない。剣人が視線を止めた先にいた人物も‥‥これはまたいかにもまともそうではなかった。いかがわしいサービスを提供する店から飛び出してきたかの様な、目のやり場に困る格好をした女が立っていた。そう若くはない。けれど、透ける素材の薄い服をざっくりと羽織っただけの女の身体は充分に魅力的な曲線を描いている。ごつい革のブーツのつま先が剣人の方を向く。
「また会ったわね」
肉感的な厚い真っ赤な唇が開いた。ブルネットの巻き毛をうるさげに掻き上げる。名も知らない‥‥けれど、忘れられない女が立っていた。右手の指の間にはさんだままの煙草の先がボゥっと赤く光っている。あんまり気になるんで、片恋なのかといぶかしんだ程だ。女の守備範囲は広い方だと思っていたが、実はマニアックな好みだったのかもしれない。認めたくはないもの‥‥だが。そして、女の方も剣人を忘れてはいなかったようだ。
「そうじゃないだろう? あんた、俺を捜していたのか?」
「相変わらず元気そうで安心したわ」
「‥‥大胆だな」
あの『窓口』が近い場所で偶然会うなんてあり得ない。女は意味深な笑みを浮かべたまま答えない。多分剣人の思った通りなのだろう。さすがに『窓口』近くは警戒が厳しくて待ち伏せには適さなかったのだろう。だがそれで正解だ。取引のある剣人には『窓口』の理不尽な不気味さが良くわかっている。不審に思われれば、気軽に容赦なく排除されてしまうだろう。剣人はぶしつけな視線を女に投げた。真っ裸よりも申し訳程度に布をまとっているほうがエロい気がする。透けて見える褐色の肌が仄暗い街路灯の光を弾く。
「きれいでしょ?」
臆面もなく女は言い、誇示するように胸をそらす。質感のあるバストが揺れた。そのあっけらかんとした様子には『色香』などない。剣人の胸を官能の炎が焼く事もない。
「そう言うことは道ばたじゃなく、人目のない二人っきりの場所でしてくれないか?」
「あら‥‥古風な男ね」
「さかりのついた雄犬じゃねぇ。俺は意外と奥ゆかしい生き物なんだぜ」
女の至近距離でニヤリと笑った。この街には剣呑な女も多いから、剣人がここまで接近する事は‥‥余程気を許した相手でもない限り、ない。危険は同じ筈なのに女も緩やかに笑みを浮かべた。緊張感は伝わっては来ない。本気で信頼しているのだろうか。2度目に会っただけの剣人を?
「‥‥言うわね。でも、先ずはビジネスの話をしない?」
ゆっくりと近づいてきた半裸の女は手を伸ばし、細い指先で剣人の胸に触れる。今度は何処かがゾクリとした。
「死体、まだ必要なんでしょう?」
「ヤバい話はもうご免だ」
剣人は女の手を掴む。火がついたままの煙草が地面に落ちた。けれど、女は薄笑いを浮かべる。
「執念深い男ね。あのね、この街でヤバくない話はないのよ。だから、これからあたしが話すのもヤバい話。でも旨味はあるでしょう?」
「なんでお前が自分で持ち込まない?」
「あたしじゃ無理。死体を持ち出すことも、死体をあそこに持ち込むことも出来ないわ。だからアンタが欲しいのよ」
女は剣人の胸の身を投げた。甘い花の香りがした。
「ったく、悪魔に魅入られちまったみたいだぜ」
ぐいっと女の身体を抱き寄せ、まんざらでもなさそうに剣人は言った。抵抗しない女の身体は柔らかく剣人にしなだれかかる。そっと唇を重ねた。吐息が甘い。そして、更に深く激しく口づけを交わした。
水に揺れる長い銀髪。抜けるように白い血の気のない肌。一糸まとわぬ裸体が水に漂っていた。時折気泡が円筒形の容器を縦断してゆく。目線よりも高い位置に透明な水槽があった。細いコードが幾つも身体と容器の底とを繋げている。
「きれいでしょ?」
女が言った。淡いライティングのせいか余計に容器の中の身体は美しく見える。
「聞いても良いか? これは何だ?」
「死体よ。若い女の完璧な死体。条件通りでしょう?」
「そうじゃない。ここはどういう施設なんだって意味だ」
「‥‥捨てられた研究所よ。命を弄ぼうとして神様に潰されてしまったの」
女は無邪気そうに言った。確かに施設の外観はボロボロで廃工場にしか見えなかった。内部に生きた部分があるとは想像できないだろう。事実、その大部分は動力も止まっていて、わずかに剣人達がいるブロックだけが以前と変わらない稼働を続けている様だ。
「この子はね。まるで古代エジプト人の様に死後の復活安寧を信じていたの。だから、組織のために死ぬことを厭わなかった」
「知っているのか?」
「えぇ。仲良しだったわ」
容器を見上げる女の顔は複雑な感情を押し殺している様だ。
「それなのに、俺にここを教えてよかったのか?」
無言で女はうなずいた。
「ここもいずれ見つかってしまうわ。そうなったらこの子の身体は廃棄されてしまう。だから、アンタにあげる。それが‥‥この子の為に一番良いことだと思うの」
女が赤くて丸いボタンを押した。空気の抜ける様な音がして容器が静かに下がってきた。
「持ち運ぶキャリングケースもあるのよ」
「‥‥用意周到だな」
「そりゃあ秘密組織だったんだもの。急ぎましょう、また誰かと追いかけっこはしたくないでしょ?」
女は笑った。多分、この女は組織の1員だったのだろう。どのようないきさつがあって、組織がここを引き払ったのかはわからない。けれど現代の眠り姫は死の眠りを妨げられず、今までここに安置されていたのだ。
「俺じゃ王子は役者不足だが、まぁ我慢してくれ、お姫様」
揺れる水に漂う娘は静かな表情のまま、剣人と女の手で施設から運び出された。
その女の身体の値段はやはり破格だった。『窓口』の男は上っ面だけの笑顔を満面に浮かべ、またよろしくと言ってきた。一体何体の死体を手に入れたいと思っているのだろうか。まだ口を割るほどこちらを信頼してはいないだろう。素直に代金を貰うと剣人は外に出た。女はまだその場にいた。金の何割かを渡そうとしたが、女は断ってきた。
「分け前が欲しくてアンタを誘った訳じゃない」
「だが、独り占めするには寝覚めの悪い額だぜ」
剣人は大げさに肩をすくめて見せる。
「じゃあさ‥‥今夜アンタのヤサに泊めてよ。で、身体で払って頂戴」
「かしこまりました、お嬢様」
剣人は女の身体を抱きかかえる。オールサイバーにしてはやけに軽いボディだった。
「や、止めてよ。お嬢様なんて年じゃないんだよ」
「‥‥年の話は野暮だぜ」
「もう!」
軽い口づけが女の抗議を塞ぐ。少し古い型の愛車に乗り込むと2人は離ればなれだった恋人通しの様に強く抱き合った。
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