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<アナザーレポート・PCゲームノベル>


Let's Fishing



 【Opening】
 セフィロトの塔、第一階層にあるショッピングセンター。
 そこには、かつて審判の日以前に、研究員の家族のために用意された娯楽施設、マルクト水族館があった。
 大半の水槽は大破しているが、巨大プールだけは残っていて、審判の日以降まったく手入れされていないにも関わらず、『ぬし』と呼ばれる巨大魚と共に魚たちは今も元気に泳ぎ続けている――と、そこへ訪れ生き延びたビジターたちは口々に語った。
 それが普通の魚であるのか、モンスターであるのかは今もって判然としない。
 ただ、そこで見事釣り上げた魚を、とある場所に持って行けば高値で買ってもらえるという噂がある。
 また、『ぬし』は、超レアアイテムのお宝を守っているという噂もあった。
 そんな噂には尾鰭も付いて、時折ビジターたちは自身の好奇心を糧に、或いは暇つぶしに、或いは趣味の一環として、その水族館へ釣りに訪れるのであった。





【1】
 セフィロトの塔の入口に作られた、ビジター達が住まう町――都市マルクトには、まだタクトニムとの戦いの傷跡が多く残っている。けれど人々はそんな時の事を忘れたように街並みは活気に溢れ、通りは賑わっていた。
 自家製ケーキが美味しいと評判の喫茶店の片隅で、レオン・ユーリーは飲みかけのコーヒーをソーサーに戻して、イスの背に体重を預けた。一つ編みに纏められた銀色の髪が彼の背で小さく揺れる。空色の瞳を、向かいの席に座る、この喫茶店には微妙にそぐわない親友に向けて、レオンは思い出したように言った。
「朱鷺乃嬢が魚釣りに行きたいってさ」
 赤いメッシュの入った前髪を煩わしげに掻きあげたその向こうで、親友――倉梯葵が気のない風を装って相槌をうつ。
「ふーん」
 それから、わざとらしい溜息を一つ吐き出して、付け加えた。
「仕方がない。行ってやるか」
 黒髪黒瞳。同い年なのに東洋系の顔立ちのせいか自分より若く見える親友の珍しい物言いにレオンは興味が沸く。
「仕方がない、のか?」
 揶揄するような顔つきで、わずかに身を乗り出すと、葵は肩をすくめて言い訳のような言葉を吐いた。
「だって、あいつハーフサイバーだぞ。やっぱ水に落ちたらやばいだろ」
「あぁ、ちゃんと専用のライフジャケットは装備していくって言ってたぜ」
 どうなんだ、という風に葵の顔を覗き込んでやると、彼は嫌そうに視線をそらせ、無言でコーヒーカップの中身を喉の奥に流し込んだ。
 普段はクールな毒舌家の葵が、珍しく言葉に詰まっている風なのを楽しげに見やって、レオンはガラス張りの店の外へと視線を馳せた。通りの向こうから駆けて来る人影が目に入る。腰まである艶やかな黒髪を一つ束ねた色白の女性の、意思の強さを感じさせる赤い眼差しを見間違えたりはしない。
「噂をすれば何とやらだ」
 そう呟いて視線を店内に戻す。
 その店のドアが勢いよく開くのに、レオンは片手をあげて立ち上がった。
 飛び込んできたのは、真砂。或いは朱鷺乃。そのどちらがファーストネームで、どちらがファミリーネームなのかは彼女自身知らなかった。どちらもファーストネームなのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。けれどわからない事を別段気にした風もなく、明るい笑顔で笑えるのは、きっと何かを乗り越えてきた証拠なのだろう。
「ごめん、遅くなった。待った?」
 そう言って、レオンたちのテーブルに近づいてきた彼女に席を譲ってレオンは葵の隣に座りなおす。
 譲られたイスに座る真砂に葵が尋ねた。
「いや、待ってないよ。釣りだって?」
 からっぽのコーヒーカップに待ってないと言われてもそりゃ説得力がないだろう、とは敢えて突っ込まずレオンは店員を呼び止めると真砂のために予約しておいた1日30個限定のケーキと紅茶を頼んだ。
「うん。ちょっと噂を聞いて面白そうかな、って。どうかな?」
 真砂がテーブルに両肘をついて身を乗り出す。
 場所は都市区画【マルクト】のショッピングセンター。つまりヘルズゲートの中だ。危険が伴うかもしれない。
 だけど、と真砂は続ける。
「水族館だから確実に魚はいるし、海や川よりは釣れる確率も高いと思うんだ。私、魚拓とってみたい」
「あぁ、いいんじゃない」
 葵が答える。素っ気無い相槌にレオンは意味ありげに葵を見やった。
「ふーん」
「何だよ」
 葵が横目で睨む。
「いやいやいや」
 レオンは笑って、自分のコーヒーに手を伸ばした。
 運ばれてきたレモンケーキを頬張りながら真砂が2人のやりとりに怪訝に首を傾げる。喧嘩でもしているのだろうか。
「別に一人で行っても良かったんだけど……ほら、多い方が楽しいと思って。嫌だったかな?」
「そんな事ないよ。それにヘルズゲートの中なんかに女の子一人で行かせらんないだろ」
 葵が言う。
「いちいち理由が必要なんだな」
 レオンが頭の後ろで両手を組んで、しみじみと大仰に言ってみせる。葵はムッとしたようにそっぽを向いた。
「…………」
「?」
 真砂がさっぱりわけがわからずきょとんとしていると、レオンは笑顔でテーブルに身を乗り出して言った。
「俺は単純に面白そうだから、ついて行くよ」
 おまえらが、な。とは内心で付け加えて。
「うん。きっと楽しいよ。葵も行こう」
 ふてくされたように窓の外の通りを眺めている葵に、真砂が声をかける。
「ああ……うん。そうだな。行こうか」
「うん!」
 嬉しそうに笑う真砂に、無意識か葵の目尻がわずかに下がる。それを目ざとく見つけてレオンは葵にだけ聞こえるように耳打ちした。
「おやおや、優しい顔しちゃって」
「何だよ」
「べーつに」
 睨み付けてくる葵に内心で舌をだし、レオンは視線を店内に彷徨わせた。いつもは他人に殆ど関心を示さない葵が、表向きは気の無い風を装いながら、気にしているのがおかしくて、ついからかいたい気分になってしまうのだ。
「なんかね、そこには『ぬし』って呼ばれる巨大魚がいるんだって。『ぬし』ってどんなだろうね?」
 真砂が最後の一口を喉の奥に飲み込んで言った。
 『ぬし』といえば、なまずなんてのを連想していると、隣の葵が先に口を開いた。
「『ぬし』? そうだなぁ……鯨、とか?」
「鯨?」
 おうむ返した真砂に、思わずレオンも葵を振り返ってしまう。
「見た事ないし、見てみたいかな、なんて」
 本気とも冗談ともつかない顔で答える葵に、レオンはじゃぁ、と続いてみる。
「葵が鯨って言うんなら俺は巨大亀」
「亀ぇ?」
 真砂が目を丸くする。
「うん。そ。どう?」
 亀じゃなかったら鮫ってのもありだが。やはりここは亀を推しておきたい。
「亀かぁ……うーん……じゃぁ、私は古代魚かな。シーラカンスとか!」





【2】
 直径500mしかないセフィロトの塔内に作られているのだから、そのプールは少なくともその8分の1もないはずだったが、見た目の感覚では随分大きく見えた。
 元はイルカショーか何かを行うためのものだったらしく、奥にステージのようなものがあり、プールを囲むようにベンチが並んでいる。小型化したスタジアムのようだ。
 今はかの審判の日の打撃を受け、他の巨大水槽などと中が繋がってしまったのか、或いは誰かが故意に――たとえば暇を持て余したタクトニムなどが――繋げたのだろう多種の魚たちが泳いでいるようだった。
「よっこらしょっと。結構、広いね」
 釣り道具を手近のベンチに下ろして、真砂はプールを見渡した。
「ああ……しかしこんなとこに本当に魚なんているのか?」
 葵が不振そうにプールの中を覗く。どんよりと汚れたプールの中の底が見えないのは、その深さゆえ、ばかりではあるまい。水面には自分の顔すら映らないほどの、どんよりした水に葵は無意識に一歩後退っていた。
「うーん。いるって噂だけど……自信なくなってきた」
 真砂が不安げに俯くのに、レオンが釣竿を準備する。
「まぁ、釣ってみればわかるだろ」
 そうだね、と顔をあげた真砂は、すぐ傍のプールサイドに人影を見つけて指差した。
「あ、ほら。あそこでも釣りしてるみたい。やっぱり釣れるんだよ」
「そうだ……なっ……て、あれ……は?」
 真砂の指す方を見ていた葵の動きが固まってしまう。
「何が?」
 振り返ったレオンも『が』の口のまま、止まった。
「え? ……!?」
 そこにいたのは、ピンクのうさぎの耳を付け、我が目を疑いたくなるような鮮やかなピンクに染めあげられた髪を黒いリボンで愛らしく飾って、分厚い胸板にはピンクのふわふわのレースをあしらい、可愛らしいメイド服からは逞しい上腕二等筋と、フリルのスカートからは筋肉質の足を生やした、人ならざるもの。
「何、あれ……」
 真砂が尋ねた。
「タ…タクトニムじゃないか?」
 葵が頬を引き攣らせる。
「タクトニムにもあんなのがいたとは、世も末だぜ」
 レオンは視線をそらせた。
「俺は同じ人間だと思いたくない」
 葵はそう言って自分の意識からそれを排除した。
「ま、どっちにしても、あんまりかかわりあいにはならないようにしようか」
 レオンが肩を竦めると、真砂は頷いた。
「そうだね」
 そして、少しアレから遠ざかるようにして、3人は魚釣りの準備を始めたのだった。
 3人とも、一般的なルアーフィッシングである。
「『ぬし』はいるのかねぇ」
 などと、釣竿で肩を叩きながら、流れを見るように手を翳すレオンに葵が並ぶ。
「あんまりでかいの釣っても……」
 な、と言いかけて真砂と目が合った。
「ま、頑張りますか」
 腕まくりをする葵に真砂は笑みを返す。
「魚拓、魚拓」
 かくして数十分。
 このプールには余程餌がないのだろうか。入れ食い状態というほどでもなかったが、初心者でも簡単に釣る事が出来た。まるで釣堀のようだ。
「へぇー。結構釣れるもんじゃん」
 レオンがバケツの中を覗きこむ。
「可愛らしいのばっかりだがな」
 横目でチラリと見やって、葵はどどめ色の先にある浮きに視線を戻した。
「これじゃぁ魚拓も寂しいね。食べるにしても小さすぎない?」
 墨の付いた刷毛を握り締めて真砂がバケツの脇にしゃがみこむ。10cmあるかないかほどの小アジっぽい――しかし真っ青なので熱帯魚っぽい――魚がバケツの中を泳いでいた。
「キャッチ&リリースは釣りのマナーだぞ」
 レオンが言う。
「そうだね」
 あまり考えずに針抜きをしていたが、元気そうにバケツの中を泳いでいるところを見ると大丈夫だろう。
 真砂は少し残念そうな顔をしながらバケツを抱えあげると、プールサイドにそれを運んだ。
「もっと大きくなってから掴まるんだよ」
 そう言って、バケツを倒す。
「…………」
 小さな魚達は汚れた水面を跳ねて、水底へと消えていった。
 そんな真砂に葵が小さく呟いた。
「今度は絶対大物釣ってやるよ」
「うん。頑張れ、葵!」
 と、突然、横から悲鳴にも似た大声が届いた。
「だーーーーーーーーーーーーっ!!」
「ん?」
 3人が振り返ると、青い髪に青い目をした男が目尻を釣り上げて怒鳴りこんできた。ゼクス・エーレンベルクである。傍らには銀色の髪を一つにまとめた女性――シヴ・アストールが立っていた。
「貴様らなんて勿体無い事をしてるんだ!!」
 どうやら、魚を逃がした事を怒っているらしい。
「へ? だって、キャッチ&リリースは釣りのマナーだし」
 答えた真砂に、レオンも加勢した。
「こんな小さいのばっかじゃさ……料理するのも大変じゃん」
「何を言うか! 魚は大きさじゃない! 俺は食う」
 ゼクスはきっぱり言い切った。
「私も頑張って料理しますわ!」
 シヴも続いた。
「魚は生でよし、焼いてよし、煮てよし、揚げてよし、きっと炒めても旨いんだ」
「はあ……」
 まくしたてるゼクスに、真砂は呆気にとられたように応えた。
「それを、なんてもったい事するんだ!」
「…………」
 二の句も出ない。
「いいか、今度釣り上げたら、大きくても小さくても逃がさず俺に渡すんだぞ」
「何言ってんだ、こいつ」
 葵が呆れたように割って入る。
「いい加減にしろよ」
 真砂を背中に庇うように立ってゼクスをにらみ付けた。
「なんでお前にやらにゃぁならんわけよ」
 レオンも腕を組む。
「このプールの魚は全部俺のものだ」
 ゼクスは何の衒いもなく言ってのけた。
「……んなわけないだろ」
 葵が溜息を吐く。
「なんだと!?」
 ゼクスが身を乗りだした時だった。
「!?」
 葵たちの視線が一斉にゼクスから別の方へ向かった。
「アレがきた……」
 呟く真砂にゼクスが振り返る。
「アレ?」
 シヴもそちらを振り返った。
 ピンク色のうさ耳を付けた巨体が駆けて来る。
「待って、あなたたたち。喧嘩はよくないわ」
 そう言って近づいてくるそれに、レオンが言った。
「おい、アレ……喋ってるぞ」
「まさか本当に人なのか?」
 葵は眉根を寄せつつ、リボルバー拳銃を構えている。安全装置は既にはずれていた。
「タクトニムの中にゃ、知能の高いやつもいるって言うからなぁ」
 レオンはポケットから手榴弾を取り出した。機械整備が半ば趣味の葵が作った特製――ちょっと怪しげな――手榴弾である。
「人がベースなら喋るかもな」
 そして、人を安心させるような言葉を吐いて近づいてくるのかもしれない。
「なるほど、タクトニムなら容赦しない」
 レオンはにやりと笑って、持っていた手榴弾をうさ耳に向かって投げつけた。距離にして10mもない。
「わ、バカッ!」
 葵が怒鳴りながら真砂をベンチの影に押し倒して、その上から自分も覆いかぶさる。レオンも同じくベンチの影の床に伏せた。
 シヴもしっかり床に伏せていたが、ゼクスは「危ない」と言っただけで伏せたりはしなかった。彼の類稀なる運動神経では、どうやら素早く伏せるという事は出来なかったようである。さすがはセフィロト髄一の貧弱男。運動神経は全くといっていいほど繋がっていないらしい。
 わずかなタイムラグの後、大きな爆発音と共に手榴弾は爆発した。
 一般的に対人型の手榴弾は爆発すると火を吹くのではなく爆風をもたらす。それにより外側のケースが壊れ金属片が高速で四散するのだ。要するにマシンガンを放射状に撃ち放つようなものなのだが、この手榴弾はちょっと違っていたらしい。
「おい、葵……。ちょっとこれ、火薬多すぎね?」
 ベンチの影から恐る恐る顔をだしてレオンが言った。爆煙が辺りにたちこめ、かろうじて爆発した場所が黒く焦げているの見える。
「…………」
 だから試作品だって言っといたのに、というコメントを控えるように葵は視線を明後日の方に彷徨わせた。
「あ……」
 爆煙に薄っすらとうさ耳の影が見える。ピンク色だったメイド服も今はとこどころ焦げ、灰色に煤けていた。
 あの爆発で無傷なのか、侮れない。実はうさ耳おやじは手榴弾が投げられた瞬間、後ろに退いていたわけだが。
「酷いわ、みんな。ゼクスちゃんまで」
 そいつは両手を握って口元にあてながら、全身血まみれになって倒れているゼクスに言った。
 血まみれになってはいるが、傷は一つもない。既にESP治癒で治してしまっているからだ。
「俺は何もしてないぞ」
 ゼクスは上半身を起こして腕を組むと憤然として言った。
「……2人で喋ってる……」
 真砂が半ば呆然と呟いた。
「こいつの連れか?」
 葵が誰にともなく聞く。
「お互い、非常識な感じがそうかもな」
 レオンは頭を掻いたが、タクトニムと間違えて手榴弾を投げつけるというのもどうなのだろう。
「らびーさんは、ルアト研究所のメイドさんですよ」
 シヴがにこやかに言った。
「うふふ。仲良くしましょうね」
 うさ耳おやじこと、らびーはそう言って握手を求めるようにレオンたちに近づいた。
「…………」
 その足下に、どこから飛んできたのか、すべーるバナナくんの皮が落ちていた。どうやら、ゼクスが食べてその辺に捨てていたのが、先ほどの爆風で飛んできたらしい。
 それは、よく滑るように改良を重ねられたバナナの皮だった。よく滑るバナナ、その名も“スベールバナナくん”を開発したザンゲスト青果によれば、当社比20倍と公式発表されている。
「あ、危ない」
 気付いたシヴが小声で呟いた。敢えて小声なところが彼女の彼女たる所以である。
 らびーはそれを踏んづけた。鉄板に油を流した以上によく滑ると評判の皮である。
「おい、らびー!!」
 咄嗟にゼクスが手を伸ばしたが、間に合わなかった。間に合ったところで非力な彼に何が出来るわけもない。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 という野太い悲鳴と共に、らびーは後ろへ滑ると、プールの水面に尻餅をついて、そのままぶくぶくと沈んでいった。
「まぁ、オールサイバーですのに、大丈夫かしら」
 シヴが、さほど心配した風もなく、何でもない事のように言った。
「今まで幾度もの死地をくぐってきたからな」
 ゼクスも大して気にした風はない。
「オールサイバーって……彼……でいいんだよね? ライフジャケット付けてるようには見えなかったけど?」
 真砂が言った。
 オールサイバーは専用のライフジャケットを付けていなければ水に浮く事は出来ないのだ。
「…………」
 ゼクスはプールに向かって手を合わせて言った。
「成仏してくれ」
「えぇ!?」

 その時だった。
 底も見えないほど汚れていた水の中に底が見えたのは。いや、底ではない。
「!?」
「何、あの影!?」
「大きい……」
「まさか、あれがこのプールの『ぬし』!?」





【3】
「あれなら2日くらいもつかもしれん大きさだ」
 ゼクスは腕組みなんぞし、目尻をコンマ1ミリほど下げて、見る者が見たらめちゃくちゃ喜んでるとわかる、しかし一般的には無表情で、水面に浮かぶ影を見ながら言った。
 2m級のマグロでも頭一つで10人前、一本で100皿分を超えるのに、それを2日で平らげられると本気で思っているのだろうか。いや、セフィロトの塔髄一の大食漢、ゼクスならやりかねない。
「2日しかもたないことの方が脅威だな」
 葵が溜息を吐いた。いつの間にか、この失礼な男のペースに乗せられているような気がしなくもなかったが、腹をたてるだけ疲れるという事を勉強したらしい。
「何としても釣り上げるぞ」
 意気込みだけは100人力でゼクスが言った。
「はい、頑張りますわ!」
 シヴも気合を入れている。
「しかし、あの大きさだからな、1人で釣り上げられるサイズじゃないだろう」
 レオンが目の上に手を翳して、濃くなっては消える影を見やった。
「葵」
 不安そうに真砂が葵の顔を見上げる。
 葵は真砂のさらさらの黒髪をふわりと撫でた。大丈夫だよ、とでもいう風に。
「やりますか」
「あれ、模造紙何枚くらいいるかな?」
 真砂が言った。
 一瞬、言葉を失った葵にレオンは噴出すのを堪えようと口元を手で押さえる。小刻みに震えるレオンの肩を葵が嫌そうに睨みつけた。
「墨も大量にいりそうだよね。絶対、魚拓とらなきゃ」
「……だってさ。もう、あれはお前が釣り上げる事前提だぞ」
 レオンは葵の脇腹を突っついた。
「…………」
「魚拓をとったら、俺が食ってやろう」
 ゼクスが言った。
「料理ならわたくしにお任せ下さい!」
 シヴが手を挙げる。
 それにゼクスが「うむ」と頷いて葵を振り返った。
「貴様、釣れよ」
 偉そうである。
「なんか、お前に言われると気が失せるな」
「何!? それはいかん。くっ……だが、ここは俺の為に頑張ってくれ」
 ゼクスは慌てて葵のご機嫌とりにかかった。とても成功するとは思えないようないいぷりだが。
 勿論、成功していないので葵はきっぱり言い切った。
「絶対嫌だ」
「ぐはっ」
 こんな時の為にらびーを伴ってきた筈なのに、どうしてこの非常事態にプールの底で成仏などしているのだろう。ゼクスはしばらくベンチにのの字を書いていたが、10秒とかからず浮上した。
「葵?」
 真砂が葵の顔を覗き込む。その視線は、釣らないの? と問いかけているようである。
「うん。魚拓のために釣るよ」
 葵が答えた。
「朱鷺乃嬢のために、だろ?」
 レオンがこそっと耳打ちする。
「…………」
 睨み付ける葵に、レオンはすっとぼけたように明後日の方向へ口笛を吹いた。先ほど、どさくさに紛れて真砂を押し倒していた葵を思い出して、しばらくはからかうネタに困らないな、などと考えながら。
 レオンを睨みついている葵に真砂が握り拳を作る。
「頑張って、葵」
「…………」
「おぉおぉ、頑張るのだ」
 ゼクスも応援した。
「…………」
 何やら腑に落ちないものを感じながら、そうして葵は釣竿を構えたのだった。


 ▼▼▼


 一方、その頃、プールの底である。
 プールの底には都合、らびーのほかに2人のオールサイバーが沈んでいた。プールのこちら側にいた葵たちは気付かなかったが、対岸で1度プールサイドに引き上げられたらびーは、宿敵たちとの乱闘を経て、再び、今度はその宿敵たちと共に、沈んだのだった。
 宿敵1。赤い髪に毛先の白い褐色の肌の男――トキノ・アイビス。
 宿敵2。黒いレザーコートに黒髪の男――シオン・レ・ハイ。
 ところでこれは余談だが、宿敵というのは至って一方的なもので、らびーからすれば、2人とも大親友であった。閑話休題。
 一般に、トキノのようなオールサイバーは水中の中では、専用のライフジャケットを着用しない限り浮く事はない。その為、脳に酸素を供給するための酸素タンクが標準装備されており、3時間を無呼吸状態で活動することが出来るようになっている。そして3時間を超えると、即座に維持モードに移行し、意識がない状態で救難信号を出す事になるのだ。
 だが、世の中には、えてして例外というものが付きまとう。
 例えばらびーのように、標準の酸素タンクとは別にもう一つ酸素タンクを内蔵している者。そしてシオンのように、貧乏故に酸素タンクを標準装備する金をケチってしまった者。更にシオンの場合、同様の理由で専用のライフジャケットも持っていなかったわけだが。
 大きく息を吸い込んでいたとして、普通の人間並み。
 凄く頑張っても息を止めての活動は5分が彼の限界である。
「げぼがぼがぼごぼ……」
『まぁ、大丈夫、シオンちゃん!?』
 らびーが水中で空気を吐きながら喋った。死にもの狂いのシオンは思わず、らびーが吐き出す空気の泡に手を伸ばしたい衝動にかられる。きっと、相手がらびーじゃなかったら、そうしていたに違いない。
 シオンは口元を両手で押さえながららびーに背を向けた。
 急いでこのプールから脱出しなければ自分に明るい未来はないのだ。らびーに助けられるのはプライドが許さない。
 万一にでも、人工呼吸などという悪夢に襲われたらどうするのだ。想像しただけで気分が悪くなった。
 トキノも一時休戦と思っているのか、濁った水中を掻き分けるようにして辺りを見回している。
 前も後ろも見通しはあまりよくない。
 とりあえず、シオンはプールの壁を探すことにした。壁を辿るように一周すれば、どこかにはしごか何かが見つかるに違いないと思ったのだ。
 通常、大人の足で歩くと分速80m。セフィロトの塔の直径が500mであるから、円周はおよそ1570m。すなわちセフィロトの塔を一周するには約20分かかる計算だ。このプールはその4分の1もないだろう。水の抵抗を考慮して、何とか3分で1周し、高機動運動を使って10秒くらいではしごをのぼればギリギリセーフか。
 シオンはプールの壁を探すように手を伸ばした。
 壁に手をつくと、シオンより格段に余裕のあるトキノも同じ考えなのか、壁伝いにプールの底を歩き出していた。
 プールの壁は分厚い透明なアクリルガラスで出来ているらしく、ほの暗く向こうが透けて見える。
「…………」
 それが、中の魚たちを360度あらゆる角度から観察できるように作られた巨大水槽であると気付くのには2分とかからなかった。
 全面アクリルガラス。
 故に、はしごのようなものは付いていない。上から下ろすしかないのだ。
 そろそろシオンの限界は近かった。
 ――もう、終わりのようです。
 脳裏に、キウィの姿が浮かんだ。傍らにトキノが立っている。
 キウィが言った。
『うさぎさん!』
 ――とか、考えてる場合ではありません!
 この分厚いアクリルガラスの壁をサイバーの力で叩き割れるだろうか。
 アクリルガラスのその強度はガラスの10倍。水槽内の水1万tをも支えるほどの強度を誇る。何より、あの審判の日をも掻い潜って今尚現存するのだ。
 それでも、やるしかない。
 その時だった。


 ▼▼▼


「かかったみたいだが……」
 それまで出たり入ったりを繰り返していた浮きが、勢いよく沈むのに反射的に葵は踏ん張ったが、ぐんっと強い力で引っ張るそれは予想を遥かに超えたものだった。
 2、3歩足を踏み出した葵に気付いて真砂が心配そうに声をかける。
「大丈夫、葵?」
「くっ……」
 何とか踏みとどまったが。
「誰か、手を貸してくれ。引きずり込まれる!」
 それにレオンが素早く葵の釣竿を握る。しかし引っ張る力は更に強くなったのか、2人はプールへと引き摺られた。
「おい!」
 ぎりぎりで、何とか体勢を立て直してレオンが声をかける。ゼクスは「うむ」と頷いた。
 だが勿論、彼が手を貸すわけではない。彼が手を貸したところで、赤ん坊が手を貸す以上に役に立たない事は明白だったからだ。彼の非力さは並ではない。
「わかった、待っていろ」
 言うが早いかゼクスは対岸の一群に向かって走りだした。勿論、歩いているように見えても彼的には全速力で。
 そこには、膝まである長い銀髪を綺麗に編み、うさ耳バンド・改で誰かと連絡を取っているユーリ・ヴェルトライゼンと、その傍らで何でつけないのよ、と頬を膨らませている銀髪の女性――白神空、それからテーブル席で優雅にティータイムを楽しむ同じく銀髪の男性――クレイン・ガーランドと、赤い髪に首にバンダナを巻いた女性――シャロン・マリアーノ、白い髪に褐色の肌をして、お弁当を美味しそうに頬張る青年――キウィ・シラトの姿があった。
 ゼクスが声をかける。
「『ぬし』がかかった。引き上げるのを手伝ってくれ!」
 その言葉に、ユーリはまだ繋がったままのうさ耳バンドを放り出す。「どこだ!?」
「あっちだ」
 ゼクスの指差す方向にユーリは走りだした。
「加勢します」
 そう言ってユーリは落ちていた銛を拾うと、釣竿に手を伸ばした。銛を打ち込むタイミングをはかるように身構えながら、じっと、糸の先を見つめている。
「どうやら、長い格闘になりそうだな」
 レオンが呟いた。
「頑張って」
 真砂は祈るように両手を握り合わせる。
「くっそぉ……なんだよ、これ……」
 強い引きに腕は引きちぎられそうになる。足が滑ったら、一瞬でアウトかもしれない。
 そこへシャロンがやってきて、先ほどのように3人のベルトに縄を括りつけ、後ろの柱に結んでやった。
 ユーリが銛を投げる。
 痛みに暴れるかと思ったが、意外に動きは少なくすんだ。
「ゆっくり時間をかけて相手が疲れるのを待つしかありません」
 そう言ってユーリも葵の釣竿を握る。
 魚釣りを見学にきたらしいキウィが言った。
「頑張ってください、ユーリさん!」
「うん! 頑張れ、葵! レオン!」
 真砂も頑張る彼らにエールを送った。


 ▼▼▼


 その頃、加勢を呼びにいったゼクスは、対岸に戻らずそれに気付いて歓声をあげていた。
「むっ。これは高タンパク質ではないか」
 それはこのセフィロトの塔第一階層の地下を駆け巡る下水道、通称ダークゾーンに生息するワームと呼ばれるタクトニム、巨大ミミズであった。
「あぁ、それはシオンさんが『ぬし』を釣る為にと用意したらしいですよ」
 クレインが言う。
「何!? ではもう、必要ないな。よし、ハンバーグにしよう」
「…………」
 クレインは一瞬絶句した。自分の耳を疑ってみた。しかしどうやら錯覚でも幻聴でもなかったらしい。
「おまかせください! 私、美味しいデミグラハンバーグを作ってみせますわ」
 それとも、もしかしたら、このシヴの言葉も幻聴だったのだろうか。
 話の都合と、当人たちの面白そう、という好奇心とがうまく噛み合って、クレインと空も対岸へ移動した。シヴは調理の道具が対岸にあるため、戻ってきている。ゼクスも何としても『ぬし』を自分のものにすべく身構えていた。
「どうでもいいけど、あの3人は忘れてていいの?」
 シャロンがテーブルに腰掛けながらふと思い出したように言った。
「いいんじゃない?」
 テーブルに頬杖をついて空が気のない顔で紅茶を啜る。シャロンはわずかに肩を竦めて口を噤んだ。
「しかし、さっきからチラチラ見えてる足のようなものが気になりますね」
 ティーポットの中の茶葉をゴミ袋にあけながらクレインが言った。
「む……『ぬし』には足があるのか?」
 ちゃっかりゼクスも加わってお茶を啜っている。もちろん目当てはお茶菓子の方だ。
「どっちでもいいわよ」
 空が言った。
「そうですね。どちらにしても食べられそうもありませんし」
 クレインも頷く。
「なに!?」
「見てください。さっきの魚、ちょっと焼いてみたんですけど。シンクタンクのようですよ」
 そう言ってクレインが広げてみせたのは、あちこち基板の焦げた魚型の『何か』であった。
「ガーン」
 あまりのショックにゼクスがうな垂れる。
「まぁ、モンスターも混じってるようですし、食べられる魚もいるみたいですが」
 循環してない水槽の魚は、ちょっと生臭そうなので、自分にはとても食べられそうにない気もしたが、彼なら食べるかもしれない。
 案の定、ゼクスは気を取り直して言った。
「うむ。それは食おう」
「やっぱり食べるんですね」
「私は魚拓がとれればいいな」
 そう言って真砂は床に模造紙を広げてみせた。
「魚拓ってなんですか?」
 キウィが尋ねる。
「魚の拓本の事だよ。魚の表面を墨で写し取るの」
「それは面白そうですね」
「うん。でも、この紙だと張り合わせないとだめかなぁ」
 真砂はプールの方を見やった。大きさはまだわからないが、きっと巨大魚というくらいには大きいに違いない。
「それなら私も何枚か持ってきています」
 そう言ってクレインは自分の荷物から模造紙を取り出した。
「他にもないか探してみましょうか」
 シャロンも立ち上がる。先ほど覗いた売店になら、包装紙なんかがあるかもしれない。
「釣りは彼らに任せてね」
「はい」
 ぺたぺたと、キウィと真砂がのりで紙を貼り合わせていく。
 空は相変わらずのんびりお茶を飲んでいた。
 それからどれくらい経っただろう、やがて、こんがり美味しそうな芳香が辺りに漂い始めた。
「む、この匂い……」
「ハンバーグが焼けましたわ」
 シヴが笑顔で運んできた。いつの間に用意したのか、飯盒でしっかりご飯も炊いていたらしく、炊きたてごはんも盛られていた。
「……私は遠慮します」
 原材料を思い出してクレインは口元をハンカチで押さえた。
「私もちょっと……」
 シャロンも視線を彷徨わせる。
「ゼクスさん、どうぞ」
 押しやられるように、ゼクスの前に皿が並んだ。
「そうか?! お前らいいやつだな。うむ。俺がお前らの分も食べてやろう」
「私も作ってみました」
 うさぎ型のねんど細工のようなものを取り出してキウィが言った。いつの間に作ったのか、彼は紙を張り合わせるのを暫く手伝っていたが、途中でシヴのハンバーグ作りに参加したらしい。ミンチで小判ではなく雪うさぎを作ったのだった。白くなるようにと砂糖をたっぷりまぶしてみたが、焼き上がったら不思議なことに真っ黒になってしまった。勿論、中は生である。それ以外の味付けは謎。
「うっ……」
 異臭を放つそれにクレインは仰け反った。
「これは……」
「どうぞ、召し上がってください」
 キウィがにこやかに奨める。
「うむ。独創的な味がするな」
 ゼクスはばくばくと食べ始めた。
「気分が……」
「しばらく胃は何も受け付けなくなりそうです」
 そんな面々にシャロンが気分転換をはかるように言った。
「あ、そうだ。おにぎりを作って頑張ってる彼らに振舞ったらどうかしら」
 長い格闘になりそうなのだ。体力勝負だろう。
「あ、賛成!!」
 真砂も手をあげた。
「おにぎりさんも、頑張ります」
 キウィも笑顔を向ける。それに、一瞬皆の頬が引き攣った。
「キウィさん、お茶いかがですか?」
 クレインがティーポットを手に声をかける。
「あ、はい。いただきます」
 キウィにお茶を淹れてやりながら、クレインはシャロンたちに耳打ちした。
「さ、今の内に」
 シヴと真砂とシャロンで、てきぱきと一口サイズのおにぎりを握っていく。
 真砂はそれを手に立ち上がると3人に近づいた。
「はい、葵、おにぎり。アーン」
「へ?」
「体力つけないとね」
 一瞬きょとんと真砂を見返した葵は、照れているのか困惑したように視線をプールに戻してしまった。
「…………」
 ムッとしつつ真砂はレオンを振り返る。
「はい、レオン、アーン」
 言った真砂にレオンは素直に口を開けた。
「アーン」
 そこへおにぎりを放り込む。
「うん。旨いぞ、葵」
「…………」
「葵はいらないんだって。レオン、もっと食べる?」
「じゃぁ、貰おうかな」
「…………」
「ユーリさんもどうぞ」
 シャロンがユーリにおにぎりを差し出した。
「ありがとうございます」


 ▼▼▼


 腹ごしらえも終えて、葵とレオンとユーリは引き続き魚と格闘。
 真砂とキウィとゼクスとシヴは3人の周りで応援。
 そして空とクレインとシャロンがテーブルを囲んで食後のお茶をまったりと楽しんでいた。
「あら? 今、足が見えませんでした?」
 ハンバーグを作っていて、そんな話が出ていた事を知らなかったシヴが目を細めて言った。
「え、もしかして『ぬし』って亀か?」
 同じく、魚釣りに夢中で話を聞いていなかったレオンがそちらを見やる。確かに遠目だが、水上に足のようなものが突き出しているように見えた。
「俺の予想、当たったとか?」
 レオンが言うのに、葵とユーリが眉を顰めた。
「…………」
「でも、亀の足には見えません」
 どこから取り出したのかシヴが、双眼鏡を覗いている。
「すっぽんの方がいい!!」
 ゼクスが握り拳を握った。
「すっぽんって淡水だろ……」
 葵が冷静に指摘する。
「でも、あの足……」
 シヴは遠慮がちに言った。
「すね毛が……」
「というか、『ぬし』はこっちですよ……ね」
 ユーリが竿を引きながら誰にともなく同意を求める。
「じゃぁ、あれは一体……?」
 真砂は足を見やる。
 水面から飛び出した足は、折れたり伸びたり回ったりしていた。
「あれ……シンクロナイズドスイミング?」
「えぇ。シンクロを踊ってます」
 シヴが頷いた。
「しかも、私の目にはすねげの生えた一般男性の足を巨大化したものに見えます」
「じゃぁ、さっき落ちたうさ耳じゃないの?」
 葵が言った。
「にしては、でかいと思うのですが……」
 ユーリが言葉を濁す。
「あれだ。ふやけて巨大化したとか」
 レオンが言った。
 それがあたらずとも遠からずであると気付くのは、これまたもう少し後の事になる。
「うむ。『ぬし』は2匹もいたのか。さっそく釣り上げるぞ」
 ゼクスはそう言って、さっそく足の傍へ歩き出した。
「ちょ…ちょっとためらいますけど、私、すっぽん料理も頑張ります。ゼクスさんのために」
 シヴは双眼鏡を下ろすと、おたまを握り締めて彼の後を追った。
「だから、すっぽんは淡水だって……」
 葵の言葉は結局2人には届かなかったようである。
 そんなやりとりを見ていた空が、テーブルに頬杖をつきながら言った。
「でも、あたし、大体この手のオチは読めるのよね」
「まぁ、逆にそうでなかったら、それはそれで拍子抜けしてしまいますから」
 クレインはイスの背に体重を預ける。
「オチって、あなたたち……」
 シャロンは2人を交互に見やったが、それ以上の言葉は出てこなかった。
「賭けてみる?」
 空が愉しそうにどこか含みのある笑みでクレインを見た。
「では、私はあれがらびーさんに100レアル」
 クレインが答える。
 空はそれに人差し指を一本たてて横に振ってみせた。
「ちっちっちっ。そう思わせといて実はシオンに100レアル」
「ほぉ。その心は?」
 クレインが面白そうな顔で身を乗り出す。
「らびーは『ぬし』を手なづけて、『ぬし』の背中に乗って登場、なんてのはどう?」
「なるほど……では、私はそれを追ってシオンさんが尾ひれにしがみついているとみますが」
「ずるいなぁ」
 空は口をとがらせた。
「トキノさんは?」
 シャロンが口を挟む。
「何事もなかったように出てくるか……」
 空は考えるように言った。
「或いは2人を抹殺すべく飛び掛るんじゃないですか?」
 クレインも答える。
「お約束ね」
 空は小さく肩を竦めてみせた。
「ま、どっちにしても『ぬし』は釣れないんじゃない?」
「それは賭けになりませんよ」
 と、話す2人に、結局シャロンはそれ以上二の句が告げなかったのだった。
「…………」
 果たして彼らの予想は当たっているのだろうか。





【4】
 足場がないと判明したトキノは仕方なさそうに内心で小さく溜息を吐き出した。
 どうやら、あの垂れ下がっている糸に掴まるしかないらしい。先ほど、ユーリがらびーを釣り上げたように、引っ張りあげて貰うほか道はなさそうだ。
 そこから先はプライドとの戦いとなった。
 このまま維持モードに突入するよりはマシなはずである。それに、彼にはまだ、ここからヘルズゲートの外までのキウィの安全を確保するという役目が残っているのだ。
 トキノは意を決したようにそれに飛びついた。
 それは、体長2mはあろうかという、葵たちが今正に釣り上げんとしているメバチマグロのような魚だった。
 裏にはらびーが銛で縫い付けられている。
「…………」


 ▼▼▼


 突然、ずしりと急に重さを増して、葵は危うくプールの中に引き摺られそうになった。それをユーリとレオンが必死に食い止める。
 気付けば真砂も参戦していた。
 ゼクスとシヴは亀の方に夢中だ。
 空とクレインは傍観者を決め込んでいるのか。
 シャロンは脳裏に彼らが予想するところのシオンとらびー、サイバー2体分の重さを計算しながら加わった。
 重さは増したが、今までのように右へ左へ動く気配のなくなった魚を訝しみつつ、葵はゆっくりリールを巻いていく。
 チタン糸を束ねて葵が自ら作った特製釣り糸が、これ以上なくプールの奥へと引っ張り、セラミック製の竿は今にもぽっきり折れそうなほどしなっていた。
「も…もう少しです!」
 キウィがすくいあげようとでもいうのか虫取り網をプールの中へ伸ばしている。勿論、そんなものですくいあげられるようなサイズではなかったが、誰もそれを指摘する者はなかった。
 やがて、糸の先にメバチマグロのような魚が顔を出した。それがモンスターであるのかシンクタンクであるのか、普通の魚であるのかは現時点では判然としなかったが。
「やっ……」
 たぁ、という言葉が微妙に飲み込まれ、両手をあげたまま真砂が固まった。
 一瞬誰もが動きを止めて息を呑む。
 マグロに2体のオールサイバーがぶら下がっていた。しかもその一体、あのうさ耳おやじのらびーは背中に銛を受けて、マグロに縫いとめられていたのである。
「お、意外な結末」
 沈黙を空が破った。
「らびーなら、絶対、イルカに乗ったうさぎかうらしま太郎だと思ったんだけどなぁ」
「なんですか、それ」
 クレインが尋ねる。
「大昔のジャパニーズアニメらしいわ。あたしもよく知らないんだけど」
「ほほぉ」
 トキノは水上に達するやいなや、プールサイドに這いあがると、そこに落ちていた自分の刀を拾い上げた。
 らびーはマグロと一緒に陸あげされると、自身の馬鹿力で魚から離れ、酷いわみんな、とかなんとか言いながら目を潤ませていた。
 魚はぐったりしている。回遊魚であるマグロは泳ぐ事をやめると死以外にない。さすがに、自分と変わらない重さの2体のオールサイバーをぶら下げては、泳ぎ回るにも限度があったようだ。
 傍観者であった空とクレイン、それにこの場にいないゼクスとシヴとシオンを覗いた全員が、暫し疲れも忘れて呆気に取られたようにそれらを見守っていた。
 トキノが刀を振り上げて飛ぶ。
「タクトニム。成敗!!」
 勿論、彼言うところのタクトニムとはマグロの方ではなくらびーの方である。
「あ、うさぎさんだ!!」
 キウィが、らびーに気付いて駆け寄った。
「!?」
 3枚におろされたのはマグロだった。
 飛び出してきたキウィに咄嗟に刀をひいた結果である。
 力尽きたように座り込む隣で、同じように座り込んでいたレオンがおろされたマグロを覗き込んだ。
「これ、本当にタクトニムか?」
 疲労感を漂わせながらしゃがみこんだユーリが、透き通るような赤身に手を伸ばしす。
「食べられそうな赤身ですね」
 それは見事な切り口であった。
「魚拓……」
 真砂ががっくりと肩を落とした。手に持っていた刷毛が今にも滑り落ちそうなほどの意気消沈振りである。
「えぇっと、この半身でも魚拓は取れるんじゃないですか?」
 なぐさめるようにユーリが言った。
「うん……」
「頭の部分は胴体の後に合わせれば……」
「そうだね」
 真砂は気を取り直す。
 考えてみればこの大きさなのだから、こうやって自分で簡単に持ち上げられる重さに切り分けてもらったのは、むしろラッキーなことなのかもしれない。そんな風に前向きに考え直して真砂は刷毛を握りなおした。
「じゃぁ、さっそく取ろうか」
「そうしましょう」
 キウィも賛同して、2人は早速、鱗の上から墨をぺたぺたと塗り始めた。
「でも、これ、美味しいのかしら?」
 シャロンが首を傾げる。
「そもそも、食えるのか?」
 レオンが誰にともなく聞いた。このプールの魚には、シンクタンクにモンスターといろんなものが混ざっていたのだ。
「さぁ……?」
 葵は気のない風に応えて疲れたように仰向けに転がった。
「後で毒見でもしてもらったらどうだ?」
「あいつに味がわかるとも思えんが……」
 葵とレオンは揃って対岸を見やる。そして小さく溜息を吐いた。
 とはいえ、食べられなくとも、真砂が楽しそうであれば、2人としてはそれはそれでよしというところであるのだが。
「『ぬし』釣れちゃったみたいね」
 空が立ち上がった。
「『ぬし』って呼ぶにはちょっと小ぶりだと思うんですが」
 クレインが呟く。
「どんな巨大魚を想像してたのよ」
「魚は水槽の大きさに合わせて大きくなると聞いた事があるので」
「…………」
 空はプールを見た。
 クレインの言う事が正しければ、まだ大きな魚がいるという事なのだろうか。
「ま、いいんじゃない。で、あっちはどうなのかしらね?」


 ▼▼▼


 一方、あっち。
 すっぽん――だと信じて疑わず――を釣り上げるべく奮闘中のシヴとゼクスである。
「むむむ。なかなかかからんな」
 釣り糸を垂れながら、ゼクスはイライラと貧乏ゆすりをした。しかし、足は目の前に見えているのに、全くかかる気配はない。
「あれじゃないかしら? 足が出てるって事は仰向けになってるのだから、死にかけているのかも」
「何!? それでは鮮度が悪くなってしまうではないか」
 ゼクスはすっくと立ち上がった。
「この網でとってはどうかしら」
 シヴがどこからともなく投網を引き摺ってきた。実はシオンが『ぬし』を釣ろうと用意していたものである。
「よし、さっそく投げ込むぞ」
 とはいえ、ゼクスの非力では網が足まで届かない。
「くそっ。どうせ引き上げてもらう手も必要だし誰か手を借りよう」
 そう言って、ゼクスは対岸へ歩き出した。すると人だかりの中に、ピンクのうさ耳が遠くからでもはっきり見えた。
「む、らびー、成仏してなかったのか。おい、らびー!」
 ゼクスがらびーを大声で呼ぶ。
「なに、ゼクスちゃん?」
 らびーが振り返った。
「あれを引きあげてくれ!」
「わかったわ!」
 らびーが駆けて来る。
 しかしゼクスの視線は既にらびーにはなかった。ふらふらと対岸へ歩き出している。
 らびーがきょとんとしていると、シヴが説明した。
「この投網であのすっぽんを引きあげて欲しいのよ」
「わかったわ。らびーちゃん、頑張るわね。――ふんっ!!」
 らびーは投網を足に向かって投げつけた。
 一方ゼクスは、まるですっぽんの事は忘れたように、それに釘付けになっていた。
「なんと!? いつの間に、これはマグロではないか!?」
「はい。先ほど釣り上げたんです」
 ユーリが言った。
「の…残っているのか!?」
「とりあえず、これ、あんたの分」
 レオンが皿の上の刺身をゼクスに突き出した。
「こっ……これだけか?」
「とりあえずって言っただろ」
 とりあえずの毒見なんだから、とは飲み込んで。
「う……うむ」
 ゼクスは服の内ポケットからマイお箸――先ほどハンバーグを食べるのに使った割り箸だが――を取り出すと、醤油をつけてそれを口の中へ放り込んだ。
「旨い!!」
「よし、食えるらしいぞ」
 レオンが皆を振り返る。それから。
「本当に美味しいんだろうな」
 ゼクスの皿の一切れをつまんで口に放り込んだ。
「貴様!?」
 ゼクスは立ち上がったが、彼の反射神経ではレオンのそれには追いつかなかったらしい。食べ物が絡んでも追いつけないのは彼にしては珍しい事だ。
「ん。イケる」
 咀嚼しながらレオンが言った。そして別の皿の刺身を二切れゼクスに返してやる。とりあえず倍になって返ってきた刺身に、仕方ないなとゼクスは引き下がった。
「では、今日の夕食に」
 ユーリはさっそく切り分けられたマグロのブロックをクーラーボックスに入れた。
「最後に釣れたのが普通の魚でよかったですね」
 満足そうに笑む。
「朱鷺乃、意外にこれ、旨いぞ」
 レオンが真砂を手招きした。
「へぇー。どれどれ?」
 魚拓を取った紙を乾かす手を休めて、真砂はゼクスのとは別の皿の上に盛られた刺身を一つつまんだ。
「ん、美味しい」
「あんなに汚れた水なのに、意外と生臭くないわね」
 シャロンも肩を竦めながら舌鼓を打つ。
「よっぽど、エラが進化したのではないですか」
 クレインが胡散臭そうに刺身を見ながら言った。
「エラ……ねぇ……。まぁ進化の勝利ってやつなのかしら」
 ゼクスは、今度こそ取られまいと皿の上の刺身を頬張って、箸を握り締めながら呟いた。
「うむむ……。すっぽんにうつつを抜かしている間に」

 その頃の、すっぽんである。
「どうだ、すっぽんのひきあげは成功したか!?」
 マグロを半分ゲットしそこねて不機嫌に輪をかけたゼクスが、対岸に戻ってきた。
 だが、投網にかかっていたのは、すっぽんでも、勿論亀でもなかった。
「シオンちゃん!?」
「なにぃ!?」
 そこには超巨大化した足をもつシオンが網に引っかかっていた。
 巨大化した足はバルーンのようである。
 内蔵タンクをもたず、その上専用のライフジャケットも買えないシオンの為に、かのマッドサイエンティストが、試作も兼ねて改造していたようである、と知るのは、彼の足が元に戻って、ルアト研究所に帰ってきてからの事であった。
 水中に入って一定時間が経つと、電気分解セルが水を酸素と水素に分解し、特殊ゴムで作られた足のコーティング用人工皮膚を膨らませ、浮き輪の如く人の4倍近くもあるサイバーの体を浮かせてしまうのだった。
 しかもフルオートで――勝手に――シンクロナイズドスイミングまで踊れてしまうという優れものである。
 ただし、火気厳禁。
 ついでに言えば、そんな装置を付けられるのなら、分解された酸素の方を酸素タンク代わりに使えばいい、という意見もあったりするのだが、そこがマッドサイエンティストのマッドサイエンティストたる所以であろう。
「……食ってもいいかな?」
 ゼクスが聞いた。
「オールサイバーのどこを食べるのよ?」
 空が尋ねる。
「猿の脳みそは美味だと聞いたことがある」
 ゼクスが言った。
「冗談に聞こえませんよ」
 口元をハンカチでおさえながらクレインが言う。
「この足どうする?」
「とりあえず針で刺してみたら?」
「…………」


 ▼▼▼


 皆でマグロパーティーをして、その場はお開きになった。
 帰り支度を終えて、荷物を肩に担ぐと葵が言った。
「じゃぁ帰るか?」
「うん! こんな大きな魚拓も取れたし」
 真砂が丸められた模造紙を掲げて嬉しそうに笑った。
「しかし、鯨でも亀でもなかったな」
 レオンがちょっぴり残念そうに言う。
「古代魚でもなかった」
 真砂も少し不満そうだった。
「でも、楽しかったね」
「じゃぁ、また」
 そう言って、3人は一足先に水族館を出て行った。狭いセフィロトの塔だ。また、いつかどこかで出会う事があるかもしれない。
「夕食の材料も確保できましたし、私も帰るとしましょう」
 ユーリがクーラーボックスを抱えて立ち上がる。
「我々も帰りますよ」
 トキノがキウィを促した。
「うん。うさぎさんバイバイ」
 キウィがらびーに向かって手を振る。
「またね、キウィちゃん、アイちゃん」
「うん!」
 元気よくキウィは答えたが、トキノは耳の調子が悪いのか、聞こえなかったように踵を返していった。
「今日の夕食はまぐろ尽くしね」
 らびーがまぐろの切り身をリュックサックに入れて背負うと、未だに維持モード状態のシオンの体を小脇に抱える。
「うむ。海老は取れなかったが……」
「私、研究所に戻ったら、頑張って料理させていただきます」
 シヴが大きなバスケットを握り締めて言った。
「何を言ってるの。研究所のメイドはらびーちゃんなのよ。絶対台所は誰にも譲らないわ」
 2人が睨み合う。その間には火花が飛び散っていた。間に立っていたゼクスが「あちっ」とか言いながら走り出す。
「で、あたしの勝ち?」
 空がクレインを振り返った。
「まさか、本当にシオンさんの足だったとは……」
 クレインが財布から100レアルを取り出す。
「……なんだかね」
 シャロンはなんとも複雑な顔で、巨大プールを振り返った。


 その時、彼らが釣ったマグロよりもっと巨大な魚がプールを跳ねた。





 ■大団円■





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┃登┃場┃人┃物┃紹┃介┃
┗━┻━┻━┻━┻━┻━□

【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / クラス】
【0233/白神・空/女性/24歳/エスパー】
【0641/ゼクス・エーレンベルク/男性/22歳/エスパー】
【0652/倉梯・葵/男性/21歳/エキスパート】
【0776/真砂・朱鷺乃/女性/18歳/エスパーハーフサイバー】
【0653/レオン・ユーリー/男性/21歳/エキスパート】
【0347/キウィ・シラト/男性/24歳/エキスパート】
【0289/トキノ・アイビス/男性/99歳/オールサイバー】
【0375/シオン・レ・ハイ/男性/46歳/オールサイバー】
【0645/シャロン・マリアーノ/女性/27歳/エキスパート】
【0295/らびー・スケール/男性/47歳/オールサイバー】
【0474/クレイン・ガーランド/男性/36歳/エスパーハーフサイバー】
【0648/シヴ・アストール/女性/19歳/一般人】
【0204/ユーリ・ヴェルトライゼン/男性/19歳/エスパー】


禁区−NPC >>名前のみの参加ですが。
【NPC0103/エドワート・サカ/男性/98歳/エキスパート】
【NPC0104/怜・仁/男性/28歳/ハーフサイバー】
【NPC0124/マリアート・サカ/女性/18歳/エスパー】
【NPC0200/ばってん羊/男性/???歳/タクトニム】

■━┳━┳━┳━┳━┳━┓
┃ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 大変遅くなりました、斎藤晃です。
 楽しんでいただければ幸いです。

 人数・文字数などの都合上、全文を載せていません。
 機会がありましたら、他の皆さんの行動を追いかけてみるのもいいかもしれません。

 たくさんのご参加、本当にありがとうございました。
 またお会い出来る事を楽しみにしております。

 ご意見、ご感想などあればお聞かせ下さい。