PSYCOMASTERS TOP
新しいページを見るクリエーター別で見る商品一覧を見る前のページへ


<東京怪談ノベル(シングル)>


夏の去り際‐ライク・ア・サマーイリュージョン‐


 北海道の夏は短い。
 あるかなしかの雨季が過ぎると、夏の気配を察して地底から這い出してきた蝉達が力の限りに鳴き始める。やかましい蝉の声と蒸し風呂のような暑さがあってこその、日本の夏だ。
 命を燃やして夏を満喫しようとしているのは、何も蝉ばかりではない。一夏にかける情熱は勝らずとも劣らない、それはすなわち俺達乙女。
 俺達? 違う、俺は関係ない。
 つまり、あれだ、夏の恋や何かに情熱をかける乙女――俺の同級生達のことだ。
 夏のイベントは一通りこなさないと気が済まないのか、海水浴やらプールやら、昔の俺だったら縁もゆかりもなかったであろう遊びに引き回された挙句、とどめとばかりに今度は夏祭り、である。
 なんだかんだと引き回されちまう俺も俺だよな。心のどこかじゃ、こんなのが楽しいって思ってるんだ。悪くないな、って。こんな世界が存在していたことすら、久しく忘れていた。
 ――こんな世界。夏祭りの幻惑的な世界。
 俺は緩やかな坂道の下から、通りのずっと上までつづく露店の行列を仰ぎ見た。
 いつもならこの時間帯には寝静まっているはずの通りを彩る露店の灯りに誘われて、実に多くの人々が集っている。人ごみに埋もれてしまいそうな小さな子供から、のんびりとした歩調で昔を懐かしむ老人まで。軒先に露店を出す人家の二階には、住人と思しき人の顔がちらほらと浮かぶ。じきここを通るはずの神輿を待ち受けているのだろう。遠くで、日本の祭り独特の掛け声が響いていた。
「凄い人……」
 少なからず圧倒されて、溜息混じりにつぶやく俺。
 誰に言ったわけでもないが、クラスメートの一人がそれに応じた。
「本当にねー。勇ちゃん、はぐれないように気ィつけてね?」
「はぐれないよ」
 なんだそりゃ。子供扱いか。むっとして言い返すと、
「だって勇は小っちゃいじゃない」
「油断したら見えなくなっちゃうよねー」
 セットに時間のかかった頭をぐしゃぐしゃ撫で回し、クラスメート達は好き勝手に言った。
 失敬な、言うほど小さくはない――いや、小さいか。
 級友が小学生のときに着ていたという浴衣がぴったり合ってしまう華奢な身体を見下ろし、なんとなく、脱力してしまう俺。オールサイバーなのだから、十四歳から一向に成長しない身体について文句を言っても仕方がない。だいたいこの場合の成長とは、皮下脂肪が増え、身体が丸みを帯び、女性性が強調されていくということを意味している。それもなんとなく複雑だ。
 しかしなぁ。停滞、というのも、それはそれで空しいのだ。ううむ、複雑な乙女心……じゃなくて。
「なーに膨れっ面してるのよ、勇。折角の可愛い顔が台無しー」と勇の頬っぺたを突付くクラスメート。
「別に、何でもないよ」
「ね、でもほんとに可愛いよね、勇ちゃん」とこれは別のクラスメート。「浴衣ぴったりじゃん」
「でしょでしょ、あたしの小学生の頃の浴衣引っ張り出してきてさー。あたし着つけたの、いいでしょ? 赤も似合うよねー」
「お人形さんみたい! いいなぁ勇は、いつまでも可愛くてっ!」
 可愛くてっ、とクラスメートに抱き着かれ、俺はすんでのところで息が止まりそうになった。
「ちょっと、勇ちゃん窒息しそうになってるよ」
「あ、やだ、ごめん。大丈夫―?」
「な、なんとか……」
 俺は内心でこっそり溜息。
 冷静に考えてみれば彼女らは本来の俺よりはずっと年下なわけだけれど、現実はといえば、幼い外見のせいで妹分のように猫可愛がりされる毎日(そして、時にはいじられる)。最初は戸惑うばかりだったこの関係にもいい加減慣れてきたというか、ま、これは一種の成長なのかもしれない。人間って恐ろしいほど順応力が高い動物だ。
「ね、ね、はぐれそうだから手繋ごうよ」
 隣りを歩いていたクラスメートにちょいと手を握られ、俺は、ははは、と曖昧な笑顔を浮かべた。女同士で手を繋ぐのか? ……傍目には微笑ましい光景かもしれない。
 わいのわいの言いながらあっちこっちの露店を覗いて回るクラスメートに引き回されて、俺もリンゴ飴だの、綿飴だのを食べる。安っぽくて単純な味なのに、浴衣を着て食べるリンゴ飴はなんだかとても美味に感じられる。
 今の『外見上の』年齢と同い年だった頃、俺も遠くから聴こえてくる祭囃子に心が逸るのを抑えることができず、両親の腕を引いて会場へと急いだものだった。そして片っ端から露店を制覇した。リンゴ飴の味は、不思議とン十年昔から変わらないようである。
 何気なく人ごみを見回せば、生身だった頃の知り合いの顔もちらほら見受けられ、しみじみ昔の記憶を思い起こしてみたり。自分の生活圏が学校という狭い空間に限定されていることを、今更ながら実感する。
「勇ちゃん、金魚すくいやらない?」
 横から声をかけられてはっとした。束の間感傷に浸ってしまったらしい。
「あ、ううん。私はいいや」
「そう? じゃ、ちょっと待ってて! 金魚と格闘してくるから!」
「うん、頑張ってー……」
 ふ、と繋いでいた手が離れる。彼女の手はほんの少し汗ばんでいたようだ。
 クラスメートは赤や黒の金魚が浮かんだ大きなタライの前にしゃがみ込み、右手に網を握り締め、あれこれと議論していた。網の入射角がどうのだとか、金魚の反射神経がどうのだとか。金魚すくいの妙技とかあるんだろうか。金魚も気の毒に、あんな芋を洗うような人口(金魚口、か?)密度では酸欠状態になりそうだ。
 いや、どっちかっていうと俺が酸欠状態みたいだな。俺はふーっと長く息を吐き、何度か深呼吸をした。
 慣れない浴衣と下駄も手伝って、三十分ほど歩いただけなのに、少し気疲れしている。もちろん身体疲労は感じないわけだけれども。
 俺は手頃な段差を見つけて、道端に座り込んだ。
 祭りの熱気に当てられてしまった。
 俺はしばらく、行き交う人々の足を眺めていた。スニーカー、からころと鳴る下駄、ぺたぺた鳴るサンダル。人の数だけ二本の足があって、その歩き方一つ取っても千差万別だ。どこからこれだけの人が沸いて出てきたんだろう。これらの雑多な人々の共通項は、皆、祭りを楽しんでいるということだ。俺は歩くのも大変な人ごみを歩く度に舌打ちをしたい気分になるが、祭りは人がいなければ始まらない。金魚だってこれらの人々にすくわれるためにやって来たのだ。
 金魚すくい攻防戦もそろそろケリがついたかと思い、俺は顔を上げてクラスメートの姿を探した。
「……あ、れ?」
 屋台の前にも、その付近にも彼女達の浴衣姿は見当たらなかった。
「もしかしなくても、はぐれちゃった、かな」
 ぼんやりつぶやく俺。
 参ったな、ただでさえ小柄だってことを念頭に入れておかなければならなかった。道端にしゃがんだら完璧に人ごみに埋もれてしまうじゃないか。
「ま、はぐれちゃったもんは仕方ない」
 半ば自分を慰めるように独り言を言いながら、えいっと立ち上がる俺。
 道は一本なのだから、ふらふら歩いていればそのうち合流できるかもしれない。万一合流できなかったら、帰宅してから連絡を入れれば良いだけの話だ。今頃必死で俺を探している彼女らにはちょっと悪いかもしれないけど。
 なるようになるさ、の気持ちで俺はぶらぶら歩き出した。願わくばナンパとかされなけりゃ良いのだが。さて。
「……俺の他にも、迷子かな?」
 どこからか子供の泣き声が聞こえて、俺は肩を竦めた。
 見ると小さな男の子が、母親の姿を探し求めて泣いていた。大泣きするでもなく、両目を覆ってしくしくと泣いている姿がいじらしい。まだ小学校へ上がる前に見えた。
「おーい。どうしたの、迷子かな?」
 俺は少年の前にしゃがみ込んだ。男の子は一瞬びくりと肩を強張らせたが、勇の姿を認めて幾分ほっとしたようだった。生身の俺じゃこうはいかないだろうな、ちらりと俺は思った。
「ね、お母さんとはぐれちゃった?」
 男の子はウンウンと頷いた。
「よしよし、大丈夫だから。お姉ちゃんが一緒に探してあげる」
 男の子はそっと俺の顔を伺い見た。俺はこの身体になってから培った『必殺勇スマイル』を浮かべた。効果はまずまずだったようで、男の子は涙を流しながらも、ちょっとつられて微笑んだ。おし。
「男の子は泣いちゃ駄目」気合いを入れてやるように、俺は右手で小さな握り拳を作る。「強くなって女の子を守ってあげなくちゃ」
 男の子は再び頷くと、手でごしごしと目を拭った。よしよし、偉いぞ少年。
 俺は立ち上がると、男の子のほうに手を差し出した。男の子はその小さい手で俺のそれをしっかりと握った。決して俺から離れまいとしているようでもあったし、不意に男としての自覚を持ったようでもあった。
「ね、君はなんて名前? お姉ちゃんは勇っていうの」
「ゆう?」それがはじめて聴く少年の声だった。
「そう。君の名前は?」
 少年は、相変わらず小さいがしっかりした声で名を名乗った。カッコイイ名前だね、と誉めてやると、少年は照れくさそうに、だが誇らしげに微笑んだ。
「ゆうお姉ちゃんも、迷子?」と男の子。
「あっはっは、バレちゃったか」周りに級友がいないせいで、なんだか微妙に、演技の女言葉が崩れつつある俺である。「そうなんだ、この人ごみではぐれちゃってね」
「それじゃ、ぼくがお姉ちゃんのお母さんを探してあげるね」
「ん、お母さんじゃなくて友達なんだけどね。あのね、浴衣を着た三人組のお姉さんでね……って言っても、浴衣を着たお姉さんなんてそこら中にいるか……」
「きっとわかるよ、ぼく」
「そりゃ頼もしい。君のお母さんはどんな人?」
「んーとねぇ、背はこのくらいでねぇ」と少年は精一杯背伸びして腕を広げた。少年の尺度の『これくらい』ではちょっとどうしようもなかったが、俺は一生懸命聞くふりをした。「綺麗な紺色の浴衣を着ているの」
「お、君とお揃いじゃない」
「そうなの」
 男の子は紺色の浴衣の袖口を手でつかんで、広げてみせた。
 ちょうど神輿がやって来たので、俺は男の子の手を引いて道路脇に移動した。男の子はぽかんと口を開けて、壮麗な神輿が通りすぎるのを見つめていた。神輿を担ぐ男達の剥き出しの腕には汗が光り、枯れそうな大声で掛け声を叫んでいる。神輿の上では、面をつけた男女が太鼓を叩いたり笛を吹いたり、ひょうきんな踊りを披露していた。
「すっごいねぇ」
 神輿を道の向こうへ見送りながら、男の子は感心したように言った。
「凄いね。あのお神輿、とっても重いんだよ」
「力持ちじゃなきゃ、持てないねぇ」
「ほんとだね」
「ぼくにも持てるかなぁ?」
「んー、今はちょっと無理かな。でも大きくなったら、君にもできるよ」
「ほんと?」
「ほんとほんと。男の子は強いんだもんね」
 強いんだもんね、と握り拳を作ってみせると、少年もにっこり笑顔でそれに答えた。これは、俺的には男同士の会話なのだ。
 その後も他愛ない話をしながら歩き回ったが、三十分歩いても、俺の友達も少年の母親も見つからなかった。少年は足が痛むのを我慢して一生懸命歩いている様子だったが、はっきり言って俺のほうが疲れていた。もちろん疲れているのは頭のほうだけど。
 それで、目についた屋台でカキ氷を買って、神社の階段に座って食べることにした。等間隔で提灯がぶら下がっていたが、神社はひっそりしていた。再び神輿が戻ってくるまではしばらくこの状態だろう。
 頭上に黒々と木が生い茂り、やんわりと影を落としていた。祭りの熱気もここまでは届かず、体感温度がいくらか下がったようにも思える。
「疲れた?」
「少し。でも大丈夫」と男の子は言った。
 カキ氷を食べた。俺はイチゴ、少年はブルーハワイ。カキ氷の器は男の子の小さい手にいささか余るようで、はらはらしながら見ていたら、案の定氷が半分に減ったあたりで器ごと落としてしまった。あちゃぁ、泣くかなこれは、と思ったが、少年は泣き出しそうなのをぐっと堪えた。
「ありゃりゃ、もう一個買ってきてあげようか?」
「ううん。いい」男の子はぶんぶんと首を横に振った。
「泣かないで偉いね。お姉ちゃんのを一緒に食べよ。イチゴも美味しいよ」
「いいよ、ゆうお姉ちゃんが食べて」
「んー、でもちょっとお腹いっぱいなんだ。手伝ってよ」
 俺達は二人でもそもそとイチゴ味のカキ氷を食べた。男の子は変な色に染まった舌をべろりと出して、俺を目一杯笑わせた。本当は母親とはぐれて不安で仕方がないだろうに、気丈に笑ってみせて、俺まで笑わせようとする。この短時間で成長してるんだ。子供の成長には目を見張るものがあるよな。
「さぁて、そんじゃつづきの探索といきますか!」
 すっかりカキ氷を平らげてしまうと、俺達は、おー! と腕を天に伸ばした。生い茂った木立の間から、星を見ることができた。
 さらにその後十五分ほど歩き回って、俺達はようやくそれらしき人を発見することができた。
 綺麗な紺色の洒落た浴衣を着、不安そうな顔で数人の少女達にはぐれた子供の行方を訊ねている……。
「あ」その訊ねられているほうの三人組は、俺のクラスメートだった。
「お母さーん!」
 男の子は俺と繋いでいないほうの手をぶんぶんと振り、母親を呼んだ。母親はこちらに気づくと、心底ほっとした様子で胸を撫で下ろし、こちらに駆け寄ってきた。どうやら心配で心配で胃を痛めていたのは、少年ではなく母親のほうみたいだった。
「あ、勇!」
「勇ちゃん! 探したんだよー!」
「大丈夫だったー!?」
 俺の級友達も駆け寄ってきた。
 母親は俺に向かって何度も何度も頭を下げた。少年は俺の手を離れて母親の元へ行ったが、母親の影から俺を見上げ、誇らしげな笑顔を浮かべた。
「迷子同士、探し歩いてたのねー」と俺のクラスメート。「良かった、一人でいるより二人のほうがいいもんね」
「あはは、俺も――」勇はぐっと口を噤んだ。「私も、随分助けられちゃった」
 寂しくて不安だったのは何も少年ばかりじゃなくて……。
 俺は男の子のほうを見た。目が合った。
「ゆうお姉ちゃん!」と、男の子が叫んだ。
「なぁに?」俺は少し腰をかがめて、男の子に顔を近づけた。
「ぼくね、大きくなったら、お姉ちゃんをお嫁さんにする!」
「え……」
 俺は面食らって、一瞬固まってしまった。
 母親は恥ずかしそうに俺に向かって頭を下げ、級友達は、やるじゃなーい、ひゅーひゅー! だのと俺の背中をばしばし叩いた。
 後から聞いた話によると、そのときの俺は赤面していたんだとかなんだとか……そんな馬鹿な。
 柄にもなく寂しい気持ちで、俺は人ごみの向こうに消えていく二人の姿を見送った。なんだかそれは、一夏の楽しい記憶を引き連れて、夏が過ぎ去っていくような侘しさを俺の胸の中に残した。
「勇ー、どうしたのっ。惚れた? 少年に惚れたかっ?」
「なっ、違う! んなわけあるかっ――」思わず男言葉で返してしまった俺の顔を、三人のクラスメートはびっくりした顔で見やった。「……な、なーんちゃって。そんなわけないじゃない、あは……」
 大分苦しい笑いを浮かべて級友達を誤魔化しつつ、俺達も祭りの中心部から遠ざかっていく。
 夏の去り際、俺は、それが幻ではないことを確かめるように、何度か後ろを振り返った。もちろん、少年の姿はもはやそこにはなかった。




Fin.