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<東京怪談ノベル(シングル)>


転機

 空はどんよりと暗い。重そうな灰色の雲がたれ込めている。もしかしたら雨が降るのかもしれない。今朝は天気予報を見てこなかったから傘を持ってこなかった。濡れて帰るか、それとも誰かに送って貰うか、傘を買うか。そもそも今日はまっすぐ家に帰ろうか。長い髪の先をもてあそびながら、フロントグラス越しにぼんやりと空を眺め‥‥私は溜め息をついた。

 私の名前は本上由美子。北海道警の警察官だ。こぢんまりした所轄で『ミニパト婦警さん』をしている。相棒と2人、毎日ミニパトで警邏しつつ駐車違反や道交法違反者を摘発するのが仕事だ。配属された当初は使命感と憧れとで心の中は一杯だったが、今はなんとなく盛り上がるものがなくなっている。やる気と意欲が変わり映えのない日常に埋もれてしまっているのかもしれない。
 私がまだ高校生の頃、この辺りはもっと治安が悪かった。その頃は北海道全土がそうだった。秩序も規律もなく、人は生きるためや殺伐とした心のままに弱者を虐げていた。毎日、傷つけられたり殺されたする事件が起きていた。そんな現実を少しでも変えたくて、弱い人を守る人になりたくて‥‥私は警察官になった。若かったのかもしれない。配属されたのは交通課で、凶悪犯人を捕まえたり遭難した人を救助したりすることはなかったけれど、先輩警官にびしびししごかれて私も一人前の警察官になった‥‥と、思う。
 けれど、同時に‥‥なんとなくたそがれてしまう。何か理由があるわけじゃない。世の中は前よりもちょっとだけ良くなったけれど、まだまだ犯罪はある。暴走行為や違法行為だって無くならない。仕事に不満なわけじゃないけど、なんとなくシャキッとしない。これが私の天職とは‥‥思えない。

 相棒はまだ戻ってこない。
「あ、降ってきちゃったかな?」
 フロントグラスに水滴が落ちる。すると、すぐにポツリポツリと沢山の水滴がガラスに当たって円形に雫を飛ばした。車の中から右を見ても左を見ても、相棒の姿はない。ちょっとトイレに行くと言って、一体どこへ行ったのだろう。整備途中の公園は人もいない。時折重機の稼働する音と作業員らしい人達の声が遠くから聞こえてくるだけだ。てっきり近くのコンビニにでも向かったのだろうと思っていたのだが、それにしては遅すぎる。
「もー」
 これだから後輩と組むのは面倒だと思う。特に今日一緒に組んでいる子は今年入った新人の中でも『超問題児』扱いされている子なのだ。化粧は濃いしやる気はなさそうだし、挨拶も返事も出来ないし、しかも男の前でだけ豹変して甘え上手。とてもではないが、私の手には負えないと思う。けれど‥‥上司に命令されれば組むしかない。
「‥‥っとにぃ」
 制服のポケットから携帯電話を取り出した。登録してある番号を選択すると小さな電子音が聞こえ始めた。だが、すぐに繋がらないというアナウンスが流れ始める。電源が入ってないらしい。あの子がミニパトを離れてからもう30分は過ぎている。そろそろ出発しないと署に戻る時間に遅れてしまう。定時に帰る事が出来なくなる。
「どうしよう」
 雨はまだ小降りのままだ。私はちいさくうなずくと決断した。ミニパトのドアをあけ外に出る。辺りをぐるりと見回した。やはり車の中よりも外に出た方が視界が拓ける。けれど、相棒の姿はない。これは本格的に探すしかないかもしれない。まったく警察官が迷子などあり得ない。あの子が姿を消した方角へと走ってみる。仕事中はローヒールなのでそこそこ早く走る事が出来る。でも、人の気配はない。
「まさか、どっかでサボってるわけじゃないわよね。って、何かの事件?」
 少々ムカついた気持ちでいたのだけれど、一瞬で心配になる。治安が良くなったとは言え、この辺りだってまったく危険がなくなったわけではない。警察官を良く思わない者だっているかもしれない。しょうがない。大きな声で名を呼ぼうとして息を吸い込む。

 その時だった。大きな音がした。何か大きな物が押しつぶされひしゃげる時の様な破壊の音。それは先ほどまで私がいた方角からだった。もしかして、あの子が戻ってきて、予期せぬ何かが起こっているのかもしれない。
「ホントに人騒がせな子なんだから!」
 更に急いで走り出す。角を曲がればミニパトが見えてくる筈だ。やや身体を斜めに傾けながら速度を落とさずに走る。
 目の前にある光景。見えていながら数秒私はちゃんと見えていなかった。あまりにも想像つかない出来事に遭遇すると、人は無反応になってしまうのかもしれない。その時の私は‥‥立ち尽くしていた。先ほどまで乗っていた私のミニパト3号は‥‥もう原型を留めていなかった。無惨にヘコっと形がいびつになっている。元凶はその隣に止まっているMS2機。公園を整備していたMSなのだろう。双方の乗り手達はMSを降り、盛大にとっくみあいをしている。つ〜んと馴染みのある臭いが感じられた。真っ白だった脳裏に『酒気帯び』の文字がでかでかと浮かび上がる。炎が身体中に沸き起こった様な気がした。
「こらーーーーー!!」
 人生で一番大きな声が出たかもしれない。理性が吹っ飛んでいた。キレてしまったのだろうと思う。怒りの真っ赤な炎が体中を駆けめぐってもうわけが‥‥わからない。


 水滴が顔にかかる。雨足が強くなっていた。そこでフッと私は我に返った。両手の自由が効かない。いなくなっていた筈の相棒に後ろから羽交い締めにされていた。耳元で怒鳴っているらしいがあまりよく聞こえない。目の前の酒気帯び達は別々にされ、いかつい男達に尋問されている。酒が抜けたのMSの乗り手達はどちらもシュンと小さくなっている。MSは2機とも手際よくも遠ざけられミニパト3号は無惨な姿をさらしていた。雨に濡れているのがなんとも哀れだ。けれど、私の目はもうミニパト3号を見てはいなかった。あれは‥‥あの男達の制服には見覚えがある。あれは‥‥たしか、PMS隊?
「‥‥決めた。決めたわ」
 天啓が訪れたかと思った。決意が胸に湧いていた。もう怒りの炎はない。

 翌日、私は上司を無理矢理説得し転属願いを出すことに成功した。希望先は勿論、PMS隊。そしてそれはごくあっさりと受理された。暴走MSは‥‥もう許さないんだからね!