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<東京怪談ノベル(シングル)>


夏と共に去りぬ -Melancholic Days-


「夏は終わったんだよ、って教えてあげたくなる」
 晩夏の教室。
 めいめい昼食をとり終えた生徒達が、一方では昨日見た番組の話題、一方では最近彼氏が冷たいだのといった恋愛話に花を咲かせている昼休み。
 その横顔に幼さを残す可憐な少女、緑川勇――こと俺は、窓枠に頬杖をついて、憧れの人を想い煩う少女のようなつぶやきを漏らした。もちろん、そんな甘ったるい少女漫画みたいなシチュエーションを意識したわけではない。意識したわけではない、が、可憐と呼ぶに相応しい外観に、鈴を転がしたような声では、そうなるのも致し方がない。
 誰に向けて言った台詞でもなかったが、横に並んで一緒に窓の外の風景に目をやっていたクラスメートが、「え?」とこちらに顔を向けた。
「ううん……」と俺。可愛らしく首を振る仕種は、やはり恋煩いの少女そのものだ。意識してないのに。「まだ鳴いてる蝉がいるから」
「蝉?」と級友は耳を傾けた。
 秋の虫が鳴き始めて間もないのに、戸外では、自分の季節が過ぎ去ったことを知らぬ油蝉が、余命を振り絞って鳴いていた。
「不毛っていうのかな……」
「なぁに、感傷的になっちゃってぇ」
 クラスメートはくすくす笑いながら俺の小脇を突付いた。
「でも、夏の終わりって、なんか寂しくない?」
「まあねー。今年も彼氏の一人も作らずにあたしの夏休みは終わってしまった、って思うと確かに寂しいし切ないんだけどさ」
 そういう問題ではないのだ。別に彼氏はどうでもいい。
 蝉は、俺の漠然とした不安――根拠のない不安――を煽り立てるように騒々しく鳴く。
 どうしてそんな気分になるのか良くわからなかった。彼女の言う通り、感傷的になっているんだろうか?
 夏が過ぎ去って、また新しい季節が巡ってくる。夏の終わりは、時の流れをこの目で見るにはうってつけの季節に思える。
 昼休み終了を告げる予鈴が鳴って、俺は物思いからはっと醒める。
「勇ちゃん、次、体育だよ。着替えにいこ」
 夏服の袖口を引っ張って促され、俺は頷いて立ち上がった。



 不慮の事故と人為的な事故(後者はおそらく確信犯)が重なって、敢え無く十四歳の少女のサイバーボディに入ることになってしまった緑川勇の、素晴らしき順応力が遺憾なく発揮された場所といえば、なんて言ったってここだ。
 女子更衣室。
 喩えるならば、透明人間がまんまと更衣室に侵入し得たときの背徳感、か。女子トイレでも同様の気後れを感じたものだが、更衣室はその困惑度が一ランク上だ。もはや別世界である。はじめなぞ、いっそ男子更衣室に逃げ込もうかと思ったくらいだが、それはそれで犯罪かもしれない。青少年の健全な(そしてややもすれば暴走がちな)欲望を刺激してしまうという点において。
 とにかく、最初は後ろめたいどころではなかった更衣室も、慣れればどうってことなくなってしまう。人間の順応力ってつくづく恐ろしい。もちろん今だって落ち着かない気分にはなるけれども、周りを見ないようにしてさっさと着替えを済ませてしまえば良いだけの話だ。
 秋口の更衣室は過ごしやすい。無用心にも薄いカーテンを引いたきりで開け放してある窓から、秋口の冷たい風が吹き込む。今日はバレーボールだっけ、などと考えながらブラウスのボタンを外していると、クラスメートの一人がぽんと俺の肩を叩いた。
「ねぇ、勇ちゃんー」
 ……見ないように気をつけようが気をつけまいが、クラスメート達が放っておいてくれない。
「な、なに?」
「ヘアゴム持ってなーい? 余ってたら貸してー」
「あ、うん……どうかな」
 制服のスカートを探ると、ポケットに余分のヘアゴムが入っていた。こんなまめまめしいことでどうするのだ、俺。
「はい」俺はヘアゴムをクラスメートに手渡した。
「ありがとー」
 で、見るつもりはないのに、つい見てしまうクラスメートの小麦色に焼けた素肌。どちらかというと白いほうだったのに、一夏で随分焼けたものだ。肌がこんがり焼けているおかげで、白い下着がやけに目についた。
「……焼けたね」
「そうでしょ? 本当はあんまり焼きたくなかったんだけどさー、そんなこと言ってたら外出できないし。思い切って焼いちゃった。勇は白くていいなー」
 そりゃサイバーだからね、と内心溜息をつく俺。俺は人工とは思えないすべすべの白い肌を撫で、複雑な気分で溜息をつく。
 どうも年頃の彼女らにとって、更衣室というのは一種の戦場であるらしく、さり気なくライバル達の成長ぶりをチェックするのに余念がない。この場合のライバルというのは、恋のライバルであったり、女らしさのライバルであったりと色々なのだが、本音を明かせば、やっぱり意中の相手を振り向かせたいということなのだろう。
「ちょっと、あんた胸大きくなったんじゃない?」だなんて会話が聞こえてくる。
「へへ、あたり」
「どれどれー」
「……触るなこら!」
 ちらりと目をやると、一年の頃は俺とたいして変わらない身体つきだった幼い感じの子が、いつの間にか立派に成長していたりして。出るところは出て締まるべきところは締まった身体に、瑞々しい肌。何とも羨ましい――違った、ええと、輝かしい成長だ(我ながら白々しい形容詞だ)。
 胸、胸か。やっぱり女の成長のバロメーターといったら胸なのか……。胸、ないなぁ、俺。
 自分の寂しい胸の谷間を見下ろし、俺は微かな敗北感を覚える。そりゃ十四歳の時点からまったく成長していないのだから、谷間が寂しいのは当たり前だ。男女の分け隔てない小学生から、徐々に脱却していく過程のほっそりした身体つきは、まぁそれはそれで良いものかもしれない。が、この年になってこの寸胴はちょっと……いや、待て。俺は軽く頭を振る。そもそも俺の本来の身体じゃないんだぞ、これは。
 反対側に首を巡らせば、そちらでも似たような会話が展開されている。
「なんか大人っぽくなったよね」
「そう?」
「もしかして彼氏でもできた?」
「まあね」
「え! 先越されたぁ! やっぱり彼氏ができると綺麗になるもんなの!?」
「悔しかったらあんたも恋してみー」
「恋しなくてもあたしのほうが胸はでかい!」
「そう? たいして変わんないよ」
 また胸の話か! こちとらちょっと切ない気分になってきたぞ。
 が、確かに、恋をすれば何とやら、一年の頃は俺よりも背が低く子供っぽかったクラスメートが、今ではすらりと背も伸び、随分と大人っぽい顔立ちになっていた。メイクでもすれば二、三歳年齢を誤魔化せそうだ。あの子、あんなに大人っぽかったっけ? と俺は首を捻る。
 こうして辺りを見回してみれば(見回す気はないのだが。断じて)、この年頃の少女のなんと成長の早いことか。高校入学当時から卒業まで、たかだか三年で別人のように美しくなってしまう。男だってこの時期になれば声も低くなり骨格も発達してくるが、精神的に大人な彼女らとは比較にもならない。ぽんと実が弾けるように、まったく唐突に、サナギから蝶になってしまうのだ。
 自分が現役の高校生だった頃は、これほど同年代の女子の成長に注意を払っていなかったと思う。もちろんそれなりに関心はあったのだろうが、どちらかというと自分の身体を鍛えることにエネルギーを注いでいたような気がしないでもない。いやはや何とも健全な男子高校生だな、昔の俺。
 彼女らの成長が気になって仕方ないのは、『同じ』女としてのことではないんだろうか――ふと思う。彼女達の身体には、これまでの歳月がしっかりと刻まれていくのに対して、サイバーの俺はいつまで経っても十四歳の少女のまま。
 昔は年老いていくことにこそ恐怖心を抱いていた、はずだった。二十歳をピークに肉体も頭脳も衰えていく。あるいは俺の頭脳はずっと昔に衰えが始まっているのかもしれないけれども、少なくとも肉体は、メンテナンスを怠らない限りは半永久的に……。
 成長しない、どころか、元の俺の年齢から言えば退行していることになる。考え方だって、こんな風にどんどん『女らしく』なっていって、元の俺なんか、そのうち女生徒としての『緑川勇』に押されて、消えて無くなってしまうんじゃないか……。
 って! 何を考えているか、俺は!
 これじゃまるで、女性化を歓迎しているようじゃないか!?
 そうだ、これは仮の肉体なのだ。いつか絶対、元の身体に戻ってやるんだ。女性という名の鋳型に流し込まれ、精神まで女性化していったらたまったものではない。心を強く持たねば、周囲に流されてはいけない、胸の大きさなんて知ったことではないのだ。
「あららー、勇。どしたの?」と髪を結い上げてつるりとしたうなじを出したクラスメートが、俺の頬をつんと突付いた。「固まっちゃってるよ?」
 なぬ。
 俺はびっくりして顔を上げる。
「あ、もしかしてェ」クラスメートは邪悪な(?)笑みを浮かべた。「気にしてるの?」
「な……何を?」
 訊くまでもなく。
「何をって」
 彼女は無言で俺の胸の辺りを見た。
「……え? なっ!」
 俺は慌てて持っていた体操服で胸の前を隠した。
「気にすることないわよォ、いつまでもつるぺたーな可愛らしい身体つきでも」
 語尾にハートマークをくっつけて、彼女はにやにやと嫌な微笑を浮かべた。そんな、エロ親父じゃないんだから。
「べ、別に気にしてなんか」
 俺はしどろもどろになって言い返した。
「大丈夫大丈夫、それはそれで別の需要があるから」
「需要って何!?」
「うん、可愛い可愛い」
「ど、どこ触って……ちょっと!」
 女子更衣室の一角でそんなベタなやり取りをしていると、わらわらクラスメート達が寄ってきた。
「なにィ? 勇、胸がないの気にしてんの?」
「気にしてること露骨に言っちゃ駄目でしょうが」
「あ、ごめん。勇、気に障った?」
「勇ちゃんは勇ちゃんのままが一番可愛いんだから!」
 寄ってたかって頭を撫でるわ肩を突付くわするクラスメート達。
 俺は一人がちがちに固まって、彼女達にいじられているのであった。


「勇ちゃーん、行ったよー!」
 叫び声。
「オッケー!」
 俺は声に応じてやや右に体重を移動し、軽い跳躍でボールにアタックをかけた。俺は衝撃を上手く吸収して着地する。ボールは綺麗に敵の陣地に決まった。
「やるじゃん、勇!」
 笑顔で走り寄ってきたクラスメートの手を打ち合わせ、俺はにっこりと笑ってみせた。その笑顔が、本来の緑川勇から出た感情によるものなのか、少女としての緑川勇から出た感情によるものなのか、俺にはわからなかった。
 彼女らの歓声に混じって、油蝉の暑苦しい鳴き声が響いている。
 体育館のすぐ脇に生えた巨木に張り付いた蝉は、相変わらず余命を振り絞ってやかましく鳴いていた。
 一年で一番暑い季節が幻のように過ぎ去り、その残滓だけが大気のそこかしこで震えている、晩夏。哀れな蝉は、まるで十四歳という年齢に停滞している俺のように、いつまでも鳴きつづけていた。



Fin.