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Today's Menu -緑川シェフのオススメ-
羊ヶ丘学園の昼休みは至って平穏だ。
北海道の広大な大地を利用した校内は広々としており、ひつじがおか、だなんて可愛らしい響きに相応しく、羊でも寝そべっていそうなのどかな雰囲気だ。
校庭ではパワーを持て余した男子生徒達がサッカーの試合に興じており、どちらかのチームに点が入る度に歓声が沸き、野次が飛ぶ。昼休み中に決着をつけるべく、クラスメートの一人なぞは四時限目に早弁をしていた(もちろんもろにバレていた)。高校生のやることなんて、今も昔も変わらない。
体育館側に面した一角には、グラウンドの外周を囲むようにぽつんぽつんと木が植わっており、木々が形作る小さな木陰は、昼休みには絶好のお弁当スポットとなる。日当たりも風通しも良く、健康そうな芝生が茂っており、春先と束の間の秋は、いつも女子生徒で賑わう。
俺、こと緑川勇も、そんなお弁当組の一人だった。といっても誘われたのが今回がはじめてで、クラスの女子達がこんなところで食事をとっていたことすら知らなかった。
「たまには外でお弁当広げるのも良いでしょ?」
自分の弁当箱に加え、ランチボックスを抱えたクラスメートが、スカートの裾を押さえながら木陰に座り込む。芝生にはご丁寧に持参のビニールシートを敷いて、ちょっとしたピクニック気分だ。いつもは事務的に食事を終えて、余った時間を図書館で本を読んで過ごしたり、教室で友達と駄弁ったりして過ごしていたのだが、たまには食事のためだけに食事をするのも悪くないと思う。
「ピクニック日和だね。良い天気」
俺も彼女に習って、ちょこんとシートの隅に座った。
俺の他には全部で五人のクラスメートがいて、ちょうどぐるっと輪を作るような感じになる。こんな年になって、ピクニック気分で弁当を食べることになるとは思わなかったな。物心ついたときにゃ、既に色気のない食事をしていた。
「ところで、それ一人で全部食べるの?」
俺は隣りのクラスメートの、弁当箱プラス、ランチボックスに目をやる。
「まさかぁ。さすがに一人でこんなには食べられないよ。昨日作ったのが余ったから、持ってきたの。良かったら皆で食べてー」
彼女がランチボックスの蓋をぱかっと開けると、いかにも美味そうな色とりどりのサンドイッチが、きちんと整列したみたいに収まっていた。パンの間から覗いたレタスや卵はどれも新鮮そうな色をしていて、とても昨日作ったとは思えない。パンの切り口といい、並び方といい、『今日のお手軽レシピ』なんていう雑誌にカラー写真で載っていそうな具合だ。
「わっ、美味しそー! これ何?」
「それはツナ」
「これはぁー?」
「それはねぇ、ポテトサラダ」
「ほんとピクニックみたいだねぇ。ご飯が特別美味しく感じるわー」
皆がめいめい礼を言いながらサンドイッチを頬張るのを横目に、俺は膝の上に小さな弁当箱を広げた。普通の弁当箱だと少なすぎる中身が寄ってしまうので、苦労して子供用の手頃のサイズのものを見つけてきたのだ。
「勇ちゃんは? サンドイッチ食べない?」
「じゃあ、卵の貰うね」
本当は必要以上に食べたくないのだが、折角なので少しだけいただくことにした。
「ってか、勇ちゃんのお弁当それだけ? ちっちゃーい」
「勇のサイズに合わせてちっちゃい! しかも可愛い!」中を覗き込み、クラスメート。「わぁ、ミニチュアみたいだよぉ。ダイエットしてたってそれよりは多いよ」
ミニチュア。なるほど、それはいい表現だ。
あんまり寂しいのも何だと思って、幼稚園生の弁当みたいにウィンナーをタコにしてみたり、仕切りにバランを入れてみたりと、我ながら結構な懲り様だ。もちろん栄養バランスを考えて作っている。健康な食事という点においては、学校給食にそう引けを取らないんじゃないだろうか。
「それしか食べないで、お腹空かないの?」
「それはね」俺は苦笑を浮かべた。「サイバーって、一週間に一食分で足りるんだ」
「へぇ、そうなの?」
「サイバーになってから、お腹が空いたっていう感覚がないの」
俺は膝のミニチュア弁当箱に目を落とし、ぽつりとつぶやくように言う。
食欲は、人間のもっともベーシックな要求の一つだ。それを失ってしまったということは、少なからず人間らしさから遠ざかるということを意味していた。
「……もしかして、味わかんないの? 無神経な質問だったらごめんね」
「そんなことないよ」友達の質問に、俺は笑いながら答えた。「味はわかるんだ。ただ、お腹いっぱいのときに無理して食べてるみたいで、好きなものもあまり食べたくならないの」
「えっ、それはキツいなー」とサンドイッチのクラスメート。「あたしなんか花より団子だから、好きなものが食べられなくなかったら人生の楽しみ減っちゃうよぉ」
「お腹が空かないから、あれ食べたいとかこれ食べたいっていう風にも、思わないんだけどね」
それが良いことなのか悪いことなのかはわからない。
空腹感から解放されれば、およそ怖いものなんてないように思える。少なくとも荒野で遭難して餓え死にすることはない。サイバーの場合、エネルギー不足ということになるのかな。
空腹感を覚えないのは楽と言えば楽だが、キツいトレーニングを終えた後に飲むたった一杯の水の美味しさ、食事の美味さ……。思い起こすも懐かしいそれらのものとは、半永久的におさらばだ。サイバーである以上、空腹を満たすことによって得られる幸福はないわけだ。それも少し寂しい。
人間の生理的感覚は、不快なものが圧倒的に多い。痛みの種類は百科事典一冊分くらいあるし、空腹は激しい欠乏感をもたらす。睡眠不足など不快の最たるものだ。けれど、精神と肉体の関係が切り離せないものだとしたら(つまり肉体あってこその精神だとしたら)、それらの不快な感覚すら人間を人間たらしめるのに必要なものだと言える。もちろんそれらの生理的感覚は、肉体の機能を維持するためには欠かせないものだけれども。精神の形成にも痛みやなんかが影響するんじゃないか、ということだ。
肉体のディスアドバンテージを失うということは、人間らしさが減っていく、ということなのだ。俺が危惧しているのは多分それなんだろう。痛みを感じない人間は、他者を思いやれない。悲しいときに涙を流すのは、人間らしさの象徴。そういうものを一つずつ失っていくのは、自分が自分でなくなっていくようで、怖い。
「サイズ自体をちっちゃくしてるんだね。可愛い」
俺の複雑な心境を知ってか知らずか、純粋な好奇心で彼女は俺の小さな弁当を誉める。
「色んなものをちょっとずつ作ってるだけだよ。工夫してお弁当を作るのも楽しいし」
それに、少量であれ毎日きちんと食べたほうが人間らしい。一週間に一度のエネルギー補給なんて、それこそ機械への第一歩だ。
「偉いなー、勇ちゃんは」
「お弁当って、凝ってみると結構楽しいよ?」
「そう? あたしなんか面倒くさくて、つい冷凍食品で済ませちゃったりとか」
「冷凍食品もねぇ、上手く使うと良いんだよ」
「あたし勇ちゃんに料理教わりたいなぁ」
思えば、生身の頃は、身体を動かした後に腹を空かせて、安い焼肉を大量にかき込んでいたものだ。ぺろっと何人前。腹は膨れるが、特別に美味かったという記憶もない。まったく、人生短いんだから、食事くらいは楽しんでおかないと損ってものだ。
「毎日自分で作ってるんでしょ?」
「まあね」身寄りもいないので仕方がない。だいたい生身の俺は存在しないことになっているわけだし。「すっかり趣味みたいになっちゃった」
「はーい、あたし、今度勇のうちにご飯食べにいきたいーです」
一人が挙手しつつそう言うと、あたしもあたしも! とクラスメート達が便乗した。
「それなら、皆の分を作ってくるよ」
「やったー、超楽しみにしてるー!」
あの男所帯に年若い彼女らを招くのもなんだ。
男所帯といっても、部屋中、女子学生・緑川勇の持ち物だらけだ。喩えるならば和洋折衷というか、とにかく妙な様相を呈している。トレーニングマシーンの横に、華奢で小さな制服のブラウスが下がっているというような状態。折角今まで、女子学生として上手くやってきたんだから、変なところで妙な憶測をされたくはない(はて、妙なってどんなだろう? 中身は男とかそういうことよりは、あの純情な緑川勇が男と同棲、もとい同居している、という憶測のほうがまだあり得るかもしれない)。
「勇ちゃんは料理が上手だから、お嫁に貰う人は幸せだねぇ」
思わぬところで誉められて、俺ははからずも赤面してしまった、らしい。
「あ、赤くなっちゃってー。相変わらずねぇ、勇は」
「べ、別に赤くなってなんか……」
「赤い赤い。なんだ、もしかして気になる男でもいるのかぁ!?」
「え!?」
あまりにもあり得ない発想だから驚いたのだが、彼女は図星をついてやったと思ったらしい。そんな相手がいるはずもないのに、どんな奴だのどこのクラスだのと聞かれて、ほとほと困り果ててしまった俺であった。
和気藹々とした昼食が一段落する頃になって、ようやく男子生徒達のサッカーにもケリがついたと見え、負けたチームが菓子パンを奢るだの何だのという話をしていた。
昔はあっちにいたんだっけな、と懐かしい気持ちで俺は思う。楽しそうな女子の食事風景を横目に、校庭で野球やサッカーなんかをやっていた。別に女子の輪に混じりたいと思ったわけではないが――むしろ当時の俺にとって、女子の群れに囲まれるのは恐怖も同然だった、かもしれない――、あんな風に食べる昼飯はさぞかし美味いものなんだろうな、なんて思っていた。
食事はコミュニケーションの場でもあるわけだ。
なるほど、単なる栄養補給に留まらない。食べるという行為には、何か人類にとって非常に文化的な意義が含まれている。
「次はピクニックに行きたいね」
俺はふと思いついたことを口に出した。
「ナイスアイディア!」
「なんせ北海道なんて土地は有り余ってるもんね。クラス全員でピクニック行ったって余裕でしょ」
「いいねいいねー」
「勇ちゃんがそんな風に、自分から溶け込んでくれるのって、凄く嬉しいなー」
俺はちょっと気恥ずかしくなって、はにかんだ。
元の身体に戻る望みを捨てたわけではない。が、これは俺の二度目の人生。
二度目の人生で、一度目には体験できなかったことに挑戦してみても罰は当たるまい?
運命ってものが存在するのならば、俺がこの身体に入ることになったのも何かしら意味があるのだろう。
ふむ。難しいことはさておき、さて、明日の献立は何にしようか。
Fin.
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