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Ain Soph Aur− アルタシャストラ
『・・・・・・退屈ですね』
レイノルド少年の脳に、そんな思念が送られた。
ジャンクケーブの片隅にある“移動屋 Merkabah ”を、簡単な拭き掃除をしていた最中だったのにもかかわらず、レイノルドはあまり驚いた風でもなかったが、思念の送り主であるシュリーカー大佐を振り返る。
「そうだね、最近あんまり大佐に予知して欲しいっていうお客さん来ないもんね」
Merkabah では、レイノルドのESP能力を使った移動屋だけでなく、98%以上の的中率を誇る大佐に予知依頼が来る事がある。余談だが、それとは別にマルクトの放送局の一つと天気予報の契約を結んでいる。しかしそれは1週間周期なので、暇な時間は多分にある。
『・・・・・・暇ですね』
恐らく一般的な人間であればため息を付いている所であろう。が、大佐は最旧型のサイバーであるから顔の表面が金属マスクで覆われているため表情は勿論、呼吸も通常とは違う為に推測するにとどまっている。
レイノルドは、しかし大佐の言葉を無視して、ウェットシートの付いたモップでの掃除を続けている。あたかも、“自分は暇ではない”、と言っているかのごとく。
大佐は型があまりにも古く、メンテナンスもろくろく出来ないので、まともに動けない。余計に暇なのだ。
『なにかこう、イベント的なものは起きていないんですか、イベント的なものは』
「ないよ。マルクとでのサンバの時期も終わっちゃったし、セフィロトじゃイベントなんてやらないしさ」
大佐がしつこく尋ねるので、レイノルドは一応ネットワークを通して何事か無いかを調べてみたが、特になし。
『なら私が企画を立ち上げましょう!』
「えぇ!?」
『予てよりの企画を実行してもらうのですよ。ビジター諸君にね』
「・・・・・・計画って言うほどの事?大佐の欲しいものを持ってきてもらうだけじゃない」
『計画と言った方が格好が付くでしょう。ほらレイ、早く参加者募集のチラシを作りなさい』
「はぁーいはいはい」
モップを片付けたレイノルドは、露骨に面倒くさそうにパソコンを立ち上げた。しかし背後からの大佐の視線が背中を突き抜けそうな程痛かったのでそそくさと作業に入る。
チラシを作り、ネットワーク上に上げて尚且つラジオで放送する。
それが大佐の要望する宣伝である。チラシはヘブンズドアなどに持って行かなければならない。
張ってくれるかなぁ、等と思いながら、大佐には逆らえないので、レイノルドは大人しくチラシ作りをはじめた。
急募!
セフィロトに隠された、”あるもの”を探し出してきて下さい。
報酬は500レアルより。もしくはその金額に相応するアイテムを進呈させて頂きます。
ヒントは、
◇征服できない
◇永遠の絆
◇商人
◇王の横顔
以上です。
一つ一つの単語に繋がりはありませんが、みんな“あるもの”を示していたり、関係する単語です。
セフィロト内部の何処かにあります。皆さん是非ご協力お願いします。
詳しいことは、ジャンクケーブ内の Merkabah までお願いします(誰かいます)。
しばしば勇気の試練とは死ぬ事ではなく、生きる事だ。
ヘブンズドアに、見慣れない少年がいた。肩までのサラサラした赤毛に小柄で繊細そうな体つき。加えて端正な顔立ちなので一見美少女と間違えられる時もあるが、そこは海千山千の酒場のマダムにして、ビジターズギルドの上役の一人である、マリアだ。彼の性別は間違えない。
その彼―ビオラ・エニグマという―は、先ほどバリバリと張られたチラシをじぃ、と見つめている。
「気になるの、それ」
マリアの問いかけに、ビオラが振り向いた。その拍子に髪がサラリと流れた。
「うん」
不思議な声だった。高くはないのに澄んでいて、幼さを感じるのに落ち着いた印象すらある。
「お姉はん、この・・・・・・ジャンクケーブって何処にあるのん?ボクまだここ着たばっかりで、よう判らへんねや」
ついでに喋り方も独特だった。こんな喋り方をするビジターはあまり居ない。というかマリアですら殆ど見かけた事がない。
「ジャンクケーブならここから近いけど、このチラシの主達が何処にいるかまでは書いてないわよ。あそこは広いというよりも、入り組んでいるから。探していたら随分な手間になるわね」
「そうなんや。じゃあどないしょう・・・・・・」
黒い皮手袋をつけたままで、頬をかく。しかしすぐに何かを思いついたようで、表情が明るくなる。
「な、今何時なん?」
「時計ならそこにあるわよ。時報に合わせてある、正確なのがね。貴方のその時計は壊れてるの?」
ビオラのベルトから下がっている、年代物の懐中時計を目ざとく見つけたマリアが問いかける。ビオラは大切そうに、繊細な手つきで時計に触れながら、少し笑った。
「そうなんや。壊れとるんよ。でも綺麗な細工しとるやろ」
本当は、時計について何も覚えていない。
何処で手に入れたのか。
誰かから貰ったのか。
それとも本当は奪った代物なのか。
ただ拾っただけの物なのか。
何にも覚えは無いのに、とても大切な物だという感覚だけは残っている。
だから今までの長い時間の流れの中で、生きていくのに金銭面でどれほど困ってもこれだけは手放さなかった。
ビオラはチラリと時刻を確認して、黒のネクタイを締めなおした。
「ありがとさん!ほならちょう行ってくるわ。お姉はん、またな!」
身体が一瞬白く光輝くと共に瞬時に消え去った。
ESPの一つ、テレポートであろう。マリアも何度か見た事がある。性急な行動に苦笑しつつ、どことなく愛嬌のあるあの少年の様な青年と、また会いたいとも思った。
パァ、と光が溢れ、ビオラが現れる。
革靴と鉱物の合わさる音も同時に辺りに響く。それ以外の音は無く、ともすればビオラの息遣いすら階層中に聞えそうな程、辺りは静寂に包まれている。
あのチラシの内容からビオラが導き出した答えは、“ダイヤモンド”である。
「征服できないものー、これは昔のギリシャ語でadamas。語源になったっちゅー話しやし。永遠の絆って宝石言葉ちゅーやつやん。スートでダイヤは商人を示しとる。最後は・・・・・・」
スートとは、トランプに書かれているマークの事だ。遠い記憶の中で、誰かから習った様な覚えがある。そしてニヤリと笑う。
「王の横顔・・・・・・第一のセフィラ、ケテルはそれで表される事がある。象徴しているものこそ、ダイヤモンドや。なんや、ここにピッタリのシロモノやん」
セフィロト、つまり生命の樹は、旧約聖書の創世記(2章9節以降)にエデンの園の中央に植えられた木の事で、古代神秘思想では様々な解釈が成されており、10個のセフィラと22個の小径を体系化した図も同じく「生命の樹」と呼ばれる。そしてその第一のセフィラが、ビオラの言う通りに表されているのだ。
そしてここは、それと同じ名を冠する“セフィロト”である。この“生命の樹”から取られたのか、本当のところはもう誰も与り知らない所だが、多くの共通点から鑑みて、ピッタリのシロモノ、と評するのはあながち間違ってはいないだろう。
「さてさて・・・・・・確かショッピングセンターっちゅうのがあったや。そこにあるとええんねやけど」
しかしビオラにとっての一番の問題はそこではない。
勢いで出て来たはいいものの、実の所、ビオラには買って帰る現金を持っていない。正直貧乏なのだ。勿論ショッピングセンターには店員も警備員もいないだろう。
だからって黙って失敬するのは、人の道に外れる。
黒のスマートな膝丈のスラックスのポケットに手を突っ込み、小銭を探す。紙幣を探す、と言えない所がなんとも哀しい。
掌を広げて、小銭の金額を数えてみた。
「ちうちうたこかいな・・・・・・ちうちうたこ・・・・・・」
数え方が微妙に年寄りくさい。ビオラの年齢が外見以上に重なっている所為かもしれない。
「なんちゅうこっちゃ・・・・・・これじゃ肉まんしか買えへんやん!」
バックに雷鳴が轟くそうな程である。その位ビオラはショックを受けてのである。
「もそっとある思うとったのに・・・・・・!こないな額じゃ今日の晩飯にあり付けるかも判らんやん!」
どないしょー、と頭を抱えて座り込む。
セフィロトの床はコンクリートではなく、大理石に似た何かで出来ているようで、ひんやりとした冷気が足元から流れてくる。
流れで、俗に言うヤンキー座りでまだビオラは考え続けている。
「ヤバ!めっちゃいい事二つも浮かんでもうた!ボク天才と違うか!?」
急に妙案が浮かんだようで、辺りを見回す。現在地はどこか確認するためである。
幸い近くに案内板があった。二十一世紀のはじめに少し出回った、目的地ボタンを押せばそこが光り、道のりをプリントアウトが出来るタイプのものである。
現在地は、都市中央警察署。
なるほどなるほど、せやからこんな親切というか警察の職務の一部を放棄したものがあるんやね。
などと勝手に納得し、いそいそと地図をプリントアウトする。
先ほどビオラが自分で言っていた様に、彼はまだセフィロトに着たばかりだったから、殆ど知識が無かった。
セフィロトの塔とは、宇宙と地上とを結ぶ軌道エレベーターだとか。高さ1000m、直径500mの円筒状の超巨大建築物だとか、まぁその程度である。
だから勿論知らなかった。
都市中央警察が、現在はタクトニムの活動拠点となっている事など。
「ぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁ!!!!」
ビオラの絶叫が警察署周辺に響き渡る。
その後ろ、10メートルも離れていない距離でビジターキラーが右腕の7.62mmバルカンを容赦なく打ち込んで来る。奴らは的確な射撃能力を持っている。何発も打ち込まれたが、そのことごとくがビオラを掠めて行く。
当たらないのはビオラの敏捷性の高さと長い間に培われた逃げ足の速さの賜物である。
「なんやの、なんなのん、あいつらっ!」
正直な所、タクトニムの存在すらあまり知らなかったのだから、驚くのも無理は無い。
ましてビジターキラーである。ビジター抹殺用のタクトニムと言われており、目撃例が極端に少ない奴らだ。遭遇したビジターの末路を暗示している、と称されている。初めて出会ったタクトニムがビジターキラーだというのが幸運なのかどうかは謎である。
逃げても逃げても追ってくる。
地面の削られる音が何度もする。ハーフサイバーと同等の高機動運動が出来るから、生身であるビオラが追い詰められるのは時間の問題だ。
本人だって勿論判っている。
「しゃあない・・・・・・アイツしばきまわさんと」
一つ唸ってうまい具合に路地に誘い込む。
直角の、見通しの悪い場所なので、門から少し距離を取り壁に張り付けばすぐには気付かれない。いくらなんでも生態感知能力まで持っているとは思えない。
音も無くーという程ではないが、静かにビジターキラーが迫ってくる。影が徐々に大きくなっていく。
ビオラが舌なめずりをして、親指と中指を密着させて力を込める。所謂指パッチンポーズである。
しかしだからといって、これから指パッチンしてこの場を盛り上げようというわけではない。
ビジターキラーの姿が垣間見えた瞬間、ビオラの指から光の弾が放たれる。PKフォースの光だ。
威力の強さはこの際然程問題ではない。とにかく傷を付ける事が第一だ。
プシュプシュ、といささか頼りない音だが、生身に覆われた部分が確実に裂ける。
少ないダメージだったが、ビジターキラーの目くらましには十分だった。
「いてこましたるわ、覚悟しぃや!」
どこか浮世離れした美少年であった先ほどまで雰囲気がガラリと変わる。
ビオラの体が光に包まれ、消える。ビジターキラーが辺りを見回す。当然姿を見失ったのだ。
「どこ見とんねん。ここや、こ・こ!」
PKフォースで傷を付けたオートライフルの仕込まれた左腕を、ビオラがしっかりと掴んでいる。そしてビジターキラーが反応するよりも先に、ビオラのESPが発動された。
左腕が淡い赤い光に包まれる。治療ESPと同じ反応。
しかしそれは通常使われるものとはあまりにも速さが違う。異常とも思えるほどのスピードで輝きを増していく。
左腕から少しずつ、しかし確実に紫に色が変わっていく。
治療ESPは、代謝速度を活性化させ、傷を回復させる能力だが、それを必要以上に行えば進行し過ぎて肉体破壊へと繋がる。
身体への接触が絶対条件だが、生身の部分がある敵に対して極めて有効な手段である。
機械兵器であるシンクタンクには効果は無いだろうが、見るからに生身の部分のあるビジターキラーだったからこそ使えた手段であろう。
僅か数秒の間にビジターキラーの両腕と上半身の一部を破壊し、テレポート能力で今度は距離を取る。ビジターキラーは絶叫とも思える大きな軋んだ音を立てて呻いている。
下半身がまだ動けるようで、全く感情の無い瞳でビオラを睨みつけている(様に見えた)。
無様にのた打ち回るその様子を見て、ビオラが歪んだ笑みを浮かべた。
「ほな、さいなら」
右手全体が青白く発光する。バチバチと電気がショートしたような音を立てて、素早くビジターキラーの頭に手の平を叩きつけた。
瞬間。
大きくビジターキラーが反れた。PKエレクトリックが身体に流れた反動だろう。バチン、とセフィロト中に、いやヘルズゲートを過ぎてマルクトにまで聞こえるかの様な一際大きな音を立て、そしてすぐに動かなくなった。
生身の部分は肉体破壊され、機械の部分はショートして、活動維持ができなくなったビジターキラーを、ビオラは誰かが見たら背筋が冷える様な、そんな笑い方をして見つめていた。
「あ。別にテレポで逃げたらよかったんちゃう?」
ビジターキラーを完全破壊し、警察署の前まで戻り、地図を手に入れた時、ビオラが呟いた。
テレポとはテレポートを示しているらしい。
確実にその場所へと転移するには、明確なイメージが大切なのできちんと地図の中身を頭に入れる。セフィロトの内部に来た時はヘブンズドアに貼ってあった古い写真を目当てにきた。
「あの写真がショッピングセンターちゅう所やったら、簡単やったのになぁ」
はぁぁぁ、と長いため息をつき、肩をガックリと落としたが、すぐに頭を振って前を向く。
「ボクにも生態感知能力とかあれば楽なんやけどね」
それがあれば、タクトニムの少ない―もしくは居ない場所通って行けるからだろう。戦うのは別段問題ではないが、血液を流しすぎて失神したとする。目の前のタクトニムは倒しているだろうが、別の奴らに襲われたら目も当てられない。
地図に再び目を戻す。
テレポートで移動しようと決めたので、目標となるべく地図を沢山プリントアウトした。まず第一は都市中央病院を目標に定める。
本日三度目、ビオラの体が淡い光りに包まれ、消える。
次に現れた場所は地図に掲載されている写真よりもずっと朽ち果てているが、間違いなくその場所である。
ボロいなぁ、とビオラが評する通りだった。ただの廃病院というよりも自動ドアは開け放たれたままガラス部分が破れ、壁には銃弾の痕が余す所なく付けられている。
それを一瞥した後、ビオラはすぐに次の地点へと移動した。
病院の中からは異様な物音が微かに外に漏れていたが、それがビオラの耳に入る事はなかった。
ショッピングセンターは、同じ様に廃墟だった。
どの店もウィンドウガラスが一様に割れており、オープンカフェであったであろう店は、辛うじてテーブルが原形を留めているばかりだ。
「っかぁ〜!どんだけゴーストタウンやっちゅうねん」
丁度通りの真ん中に転移したビオラは、街並みを見るなり自分の頭に手をやって、ボリボリと掻いた。
「こないな状態で“アレ”なんて残ってるんかいな・・・・・・」
ボヤきつつも、探索を開始する。
実はここは大概タクトニムが多く生息しているのだが、ビオラは当然知らない。必要最小限の警戒だけでさっさと道を歩いていく。
「“アレ”あるのはどこかいな・・・・・・やっぱりスーパーやろか」
キョロキョロと辺りを見回して、そして百メートルほど先に目当ての店を発見した。
自動ドア様式になっていたが、電力がストップしているので勿論動く事はないが、ひと一人が通れる程の隙間は開いていた。まして他者よりも随分と華奢に出来ているビオラだから入り込むのは容易だった。
汚れのない、白いアンティークブラウスの装飾部分が破れないように精一杯気をつけて、電気のついていない店内へと入る。
「真っ暗やねぇ」
文字通り暗いという程ではなかったが、採光が難しい状態であるのは確かだった。暫くして暗闇に目が慣れる頃には、ビオラ自身はどこのコーナーに居るのかがよく判った。
棚を見ると、古びたレトロな懐中電灯が一つ二つパッケージに入ったまま放って置かれていた。それらの内手近に取れる方の物を取り、パリパリと人によっては心地良さを感じる音を立てて破き、中身を取り出す。
明かりを点ける為にスイッチを上下にカチカチと動かすも、予想通り反応はない。
古すぎて電池が使えなくなっているのだ。
ビオラは中から電池を取り出して、電池の規格を調べる。
二十世紀の終わりに、乾電池などよりもはるかに長持ちする燃料電池が開発されたが、やはりこういう小さな物には乾電池の方が収まりがいいらしい。
電池のプラス極に親指を当て、すぐに電池がほのかに白く発光していき、一分もしないうちにその光は収まる。そしてそれを乾電池の入っていた場所に収め、スイッチを入れる。
するとー
懐中電灯は頼りない明かりを点し、ビオラの周辺を明るくした。
「さて、行こかい」
上にあるコーナーを示すプレートに光りを当てると、ここは“大工・園芸用品”という所のようだ。
ビオラの目的地は“家庭用品”コーナーである。
勿論ビオラだってスーパーには行った事があるから、店舗は違っても、そう遠くない所にコーナーがあるだろうという事は想像が付いた。
上の方を照らしていると、二つ先のブロックに“家庭用品”コーナーがあった。
にやりと笑って駆け足にコーナーへと向かう。
左右の棚をチェックして何歩か進む。
「おおっ!これやこれや!ぎょーさんあるやん!」
ぱぁっ、という表現がよく似合う笑顔だった。バックに花まで背負えそうだ。
光りを天井に向かう様にして懐中電灯を床に置き、ビオラは棚の中身を選りすぐった。
何を探していたのかと言えば、シリコン製のフタや敷物である。
シリコンはダイヤモンドと特性がよく似ている。
それを生かし、ビオラの持つPKの一つである“組織変異”を使い、ダイヤに変化させようとしている訳なのである。電池への充電も組織変異で行ったものだ。
どうせなら色は同じほうがいい。なんちゅうか、イメージ的に。
そう考えたビオラは、全部が同じ色で構成されているフタを選んだ。値札もちゃんと見て、計算してみると所持金を使ってもちゃんと払えるのを確認した。
数枚のフタをパッケージから取り出し、重ねて、両手の間に挟む。
大きく深呼吸をした後、深刻な顔付きでちからを込める。
フタは電池同様に淡い白光に包まれて、ほんの少しずつ、目に見えないほどのスピードだったが確実に形が変化していく。
時間的には五分と経っていないかも知れないが、感覚的にはまるで数時間の様に感じられた。
「ぶっはぁぁぁぁ〜!ごっつい疲れた〜・・・・・・」
座り込んだまま、両手を後ろに付き天井を仰ぐ。一点だけが懐中電灯の明かりを浴びていた。
「でも結構いい感じやん?」
胡坐を掻いた足の間には、手の平に乗る大きさの、ちゃんと五十八面のブリリアントカットに加工されている紛う事ないダイヤモンドが完成していた。
「んも〜、なにもしたないわ・・・・・・でもなぁ、帰らんとあかんし・・・・・・」
ダイヤを皮手袋越しにちゃんと掴みながら、埃だらけの床に寝転がる。
あー、とか、うぅー、とか。色んな呻き声をあげていた時、奥の方から何かが落とされる音が聞こえた。ビオラは慌てて身を起こし、耳を澄ます。
足音が重い。人間の立てる足音ではない。サイバーよりもずっと重い音だった。
「・・・・・・ま、さかっ」
ぞくっとした。足音の正体が容易に想像できた。
間違いなく、タクトニム、だ。
「勘弁してぇな・・・・・・今日は店仕舞いやで!?」
PKは突き詰めれば精神の力なので、集中しすぎて精神力を消耗している今のビオラには正面から戦う気力が残っていない。
「もうちょい休んでたかったんやけど、そうも言ってられへんね」
身体を起こして瞳を閉じ、網膜に場所をイメージする。
ヘブンズドア。
閑散としているようで、時々信じられないくらい盛況になる、ビジター達の憩いの場所であったり帰る場所でもあるあの場所。
数回目のテレポートをビオラは発動させた。
マリアはまだ飾られているチラシに目をやった。
あの可愛らしい顔立ちの少年は今どうしているだろう。タクトニムに殺されていなければ良いが。
そう考えていた時。
がしゃぁぁん!
店中に聞える大きな音が響き渡る。
常に冷静沈着なマリアですら、流石に少し驚いた程だ。
音の方向へ向かうと、そこにはテーブルとその上に載っていた食べ物やビールをひっくり返して、誤魔化し笑いを浮かべている、ビオラ・エニグマがいた。
マリアは殊更驚いたが―
「お帰りなさい、坊や」
「いややわぁ、ボクにはちゃあんと、ビオラ・エニグマちゅう立派な名前があるんやで?」
実は偽名である事は、敢えて言う必要もないだろうけれど。
「なぁ、見てぇな、お姉はん。ボク、ダイヤ見っけて来たんよ。この移動屋さんってぇとこ、何処にあるか判る?」
「細かい道は判らないけど、本人たちがそのうち来るわよ。チラシを剥がしにね。その時に伝えておいてあげるわ。だからビオラ坊やもまたいらっしゃいな」
「まだ坊やかいな。かなんなぁ、お姉はんには」
苦笑しながらビオラは立ち上がり、マリアに礼を言って立ち去ろうとしたが、マリアに首根っこを掴まれ、ぐいんと体がしなる。
「な、なんやのん?」
「片付けていきなさい、坊や」
マリアの親指が示した方向には、つきさっきビオラが破壊したテーブルが散乱したまま残されていた。
翌日。
移動屋Merkabahがさっさくチラシを剥がしにやってきた。朝からヘブンズドアに入り浸っていたおかげか、彼が帰る前にちゃんと捕まえて道案内をさせる事がで来た。
「ボク、ビオラちゅうねん。あんたはんは?」
「レイノルドだよ」
ビオラ同様小柄な少年は、ダイヤモンドを捜し当てたのが自分と同世代(に見える)のにたいそう驚いていた。途中、ちょっと飲食店に立ち寄って、レイノルドのESPですぐに移動屋に着いた。
中は随分と古ぼけていたが、アンティーク調と言える程度の古さだ。掃除はされているらしく、汚らしくはない。
『ようこそ、エニグマ君』
ビオラの頭に言葉が過ぎる。テレパス能力だ。
目線の先には車椅子に腰掛けて、ひざ掛けをしているサイバーが一体居た。思念の方向性からこのサイバーが発したものであろうから、オールサイバーではなく元はエスパーだったハーフサイバーであることは容易に想像が付いた。
『私の能力の一つにプレコグがありましてね。卿が見つけ出して、届けてくれる事は判っていましたよ。今回は本当にありがとう』
「いややわぁ、そんなに丁寧に言われると、照れてしまうやん〜」
どこか不気味な音を立てて、ハーフサイバーがビオラに近付き、ギシギシと音を立てて右腕をビオラに差し出す。
『では早速・・・・・・』
「ほい」
にこにこの笑顔でビオラがハーフサイバー・・・・・・大佐に差し出したものは、先ほど購入した、ホカホカの肉まんだった。
『・・・・・・』
「これね、ダイヤなんです。パッと見、肉まんに見えるやろけど、この秋の新作デザインなんですわ。肉まんに見えはるのは目ぇが腐っとるからや。悟りを開いた心の眼で見ればむっちゃダイヤ!」
昨日思いついた“めっちゃいい事”のうちの一つはシリコンをダイヤとへ変質させる事。もう一つは、今のボケらしい。
『私に目はありません』
しかし大佐は冷たかった。その代わりと言ってはなんだが、レイノルドは本気にしたようで、肉まんに近寄ってまじまじと見つめている。何度か眼を閉じたりしているから、彼なりに瞑想だのなんだのして心の眼を開こうとしているのかもしれない。
「もー、かいらしいボケやないの、そないに怒らんといてっ!ほんまもんはこっちやて」
ポケットに入れるにはあまりに大きくスラックスの形が崩れるので、小さなポシェットを今日は身につけていた。その中から、物心変化させたダイヤを取り出す。
黙っていると嘘をついているようで心苦しいので、ちゃんと先に言っておいた。もしかしたら受け付けてもらえないかも、とは思っていたが、大佐の反応は良好だった。
『ああ、結構ですよ。透視してみましたが、純度は天然ダイヤと変わりありません。貴方は実に優秀なエスパーのようですね・・・・・・いや、これは失言』
ビオラが一瞬嫌悪感を示したのを見抜いたのか、それとも自分が謝罪する未来を予知したのかは判らないが、大佐は素直に謝罪した。だからと言って誠意を感じられるかという訳ではなかったが。
『それで、謝礼の件ですが』
「あー、それなんやけどな。ボク別に礼金とかアイテムとか特にいらんのよ。欲しい物も差し当たってはないし」
『なるほど』
「代わりにな、“腹減った時に何か食わしてくれたり構ってくれる”権利欲しいねん」
大佐とレイノルドは一瞬呆気に取られたようで、顔を見合わせて大佐が再びビオラに話しかける。
『良いのですか、その程度で』
「うん。ぶっちゃけ、ここに着たばっかりで友達もおらんし。そうしてくれはったら嬉しいんやけど。あかんかな」
『いえ、そんな事はありませんよ。こちらとしてもうちのレイに同世代の友人が出来る事は望ましいですからね。是非お願いしますよ』
“同世代の友人”という箇所に、特に力を込めているようにビオラには感じられた。思念なのだからそんな事はないのだが、やはり気分の問題である。
ーこのオッサン・・・・・・いやオバハンかも知れへんけど、なかなかどーして喰えへんわ。
しかし言葉の後者には特に嘘は感じられなかったから、全く信用できないわけでもない様だ。レイノルドの方など決して嘘がつけないタイプに見える。
「じゃあ早速何か食べに行こうよ、ボクもお腹空いてきたからさっ」
人懐こい笑みで、レイノルドがビオラの腕を引いて外に連れ出そうとする。
「せやね。あ、でもボク持ち合わせないから。あんたはんのオゴリね」
ええっ!? というレイノルドの声がしていたが、渋々納得した様だ。ビオラは後頭部の所で手を組み、なかなかに御機嫌に店から二人で出て行った。
ビオラの新しい生活が、始まろうとしている。
友達候補も出来、それなりにいい感じの出だしの様だ。
二人が出て行った後、大佐がぎこちない動きでダイヤモンドを炉の様な物に放り込んだ。カツーン、と乾いた硬質の音がした。
表情を作る技術がなかった時代に作られた筈の大佐の仮面が、笑った様に歪んだ。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【0756 / ビオラ・エニグマ / 男性 / 15歳 / エスパー】
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■ ライター通信 ■
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はじめまして、この度はご参加頂き誠にありがとうございました。
サイコマスターズでは初めてですので、色々と至らない所も多いかと存じます。
不都合な事がありましたらリテイクをお申し付け下さいませ。
またのご縁がある事を心よりお祈り申し上げます。
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