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<アナザーレポート・PCゲームノベル>


【Emergency call 5】BURN〈後編〉



 【Opening】

「あの子はあなたの子よ。あの子をキルのようにはしないで」
 彼女は病室のベッドの上で、上体も起こせぬか細い体で、なのに、凛と響く声で言った。どこにそんな力が秘められているのか。
「あの子を覚醒させないで。お願いよ。――――エドワート」


 懐かしくも胸を締め付ける夢から目覚めたエドワートは、愕然と目を見開くと、剥き出しになったコンクリートの天井を暫く見つめていた。
 昔の事だった。まだ世界は審判の日なるものを迎える前の。とうの昔に忘れてしまっていた、と思っていた記憶。だが、過去はいくら時を重ねたところで白紙に戻せるわけではなかったという事か。
 エドワートはぶよぶよの体を起こして寝台から立ち上がると、嫌なものでも見たという風にかぶりを振った。

 嫌な夢は何かの予兆であったのか。その日、愛娘のリマが失踪した。


 リマを探しに出た怜仁らが持ち帰ったのはマイクロチップ。そして『ルアト研究所』。
 その名前を聞いた時、エドワートは漠然と思った。

 ――ああ、リマはキルが連れていったのか。

 兄が妹を連れて行ったのだ。
 覚醒の日は近づいているというのか。
「To burn one's boat behind.」
 エドワートは呟いていた。――――逃げ道を自らの手で断て、と。






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 高層立体都市『イエツィラー』の第一階層、都市区画『マルクト』の中心にある中央警察署。ビジターキラーが徘徊し、タクトニムの活動拠点でもあるその場所は、恐らく今知られているエリアの中では五本の指に入る危険地帯だ。そのマルクトの中で最も堅牢とうたわれる建物の地下一階フロア奥にあるダストシュートの前に六人のビジターが立っていた。
 ダストシュートの蓋を開けたのは黒のレザーのロングコートを着た男だった。腰まである長い黒髪を後ろで無造作に束ねた髭面のおやじは、腰に高周波ブレードを佩き、肩にはガトリングガンを担いでいた。
「私が最初に行きます」
 そう言って、シオン・レ・ハイが五人を振り返ると、黒づくめの男が不満げに言った。
「貴方がですか?」
 黒く長い髪は毛先が白い。褐色の肌に赤い眼差しをシオンに剣呑と送り付けていた。何がそんなに気に入らないのか、はっきり言えばシオンが同行している事が気に入らないらしいトキノ・アイビスは、今にも腰に佩いた二本の刀を今にも抜きそうな顔付きで言った。
「私が先に行きます」
「この先何があるかわかりません。一番先頭は危険なんですよ」
「だからこそ、貴方には任せられないと言っているのです」
 言葉は落ち着いていて丁寧だが、言っている内容は辛辣だ。
「何ですって!?」
 シオンがムッとしたように声をあらげた。刹那、その場にいた他の五人が慌てて口に人差し指を立てる。
「しーーーーーっ」
 ここはタクトニムの巣窟なのだ。その上、無用な戦闘は出来るだけ避けなければならない立場の彼らなのである。
「まぁまぁ……」
 二人を宥めるように一人の男が割って入った。銀色の伸びた前髪から覗く白皙の美貌をわずかに曇らせ、クレイン・ガーランドが言った。
「先頭も危険ですが、しんがりも危険ですよ。お二人で分担されてはどうですか」
「…………」
 今度は二人が最後尾をどちらが担当するかで睨みあった。
「あー、もう面倒くさい」
 黒い垂れうさ耳を付けた帽子を被った少年――姫抗が、やれやれといった口調で2人の間に進み出た。右手には三日月状のブレードを2枚合わせた形状をした暗器――子母鴛鴦鉞。左手には青い髪の男――セフィロト髄一の貧弱男を抱えている。
 セフィロト髄一の貧弱男、ゼクス・エーレンベルクはどうやら自分で歩く事も出来ないらしい。体力の滅法少ない彼は、後々のためにそれを温存しておく必要があるのだ。
「先、行くぜ」
 抗はそう言ってダストシュートの中にゼクスを放り込み自分も飛び込んだ。
「本当よ、全く。リマがあたしが迎えに来るのを待ってるのに」
 抗の後に銀髪の女――白神空が続く。
「まぁ、確かにここで、無駄な時間を過ごしてタクトニムに見つかっても厄介ですからね」
 そう言ってクレインも空の後に続いた。
「…………」
 ダストシュートの前にシオンとトキノの二人が残る。
 二人は互いに顔を見合わせ、ほぼ同時にダストシュートの中に足を突っ込んだ。
「何をしてるんです。入れないじゃないですか」
「今すぐその足を引っ込めてください。私が先に行きます」
「いえ、私が先に行きますので、あなたがしんがりを」
「皆さんの背中は私が守ります」
「…………」
 睨み合う二人。しかしふと、トキノが視線をはずした。
「あ」
 と、シオンの後方を指差しながら声をあげる。シオンはそれにつられてトキノの指差す方を振り返った。
「え」
 刹那、トキノがダストシュートに飛び込む。
「何もないじゃないですか」
 と、首を戻したシオンの前には既にトキノの姿はなかった。
「うぅぅ……やられました」
 まんまとトキノの罠にはまった事に気付いて、シオンもダストシュートの中に飛び込む。
 滑り台のようにダストシュートの中を右へ左へ滑りおりた。
 そしてシオンはぼんやり、ここまでの事を思い出していた。



 シオンがたまたまルアト研究所に立ち寄ると、中は重苦しい空気に包まれていた。
 こんにちは、なんて笑顔で言えるような雰囲気でもなくて、引き攣った笑顔と挙げた手の持って行き場に困っていたら、ロビーのソファーに腰掛けていたトキノに冷たい視線を浴びせられてしまった。
 どうして彼がいるんだ、と踵を返しかけて動きが止まる。
 それに気付いてトキノは咄嗟に左手で右肩をおさえた。隠しようがない。たぶん目が「どうしたんですか!?」と聞いていたのだろう、トキノは不快そうな顔で言った。
「少し油断しただけだ」
 トキノには右腕が肩からなくなっていた。
 誰に、と問いかけてシオンは言葉を飲み込んだ。
 トキノの隣では空がソファーの上で寝息をたてていた。体に傷は見当たらなかったが、着ている服はボロボロだった。疲れているのだろう、それはまるで激戦の後のようでもあった。その隣に、この研究所の所員であり、所長のボディーガードを勤める怜仁が、肩を落とし、暗い顔を床に向けていた。
 やがて奥のドアが開いて、やはり泥だらけのクレインと、それからこの研究所の所長エドワートが現れた。二人とも一様に疲れた顔をしている。
 クレインは「こんにちは」とだけ言ってロビーのソファーの開いている場所にぐったり腰を下ろした。
 エドワートがシオンを見ているのに気付いて、初めてシオンは粘つく口を開いた。
「何が……あったんですか?」


 後から聞いた話だが、その日、エドワートの娘マリアート・サカは「壊シテ!」という謎のメッセージと不思議な映像を残してその消息を断ったのだという。手がかりは彼女がダークゾーンを探索中だった事、そして彼女が送ってきた強烈なイメージ。
 それを受け取ったトキノ、クレイン、空、そしてゼクスと怜仁の五人は、彼女を救出しにダークゾーンに向かったのだそうだ。
 その結果がこの状態である。今ここに、リマはいない。そういう事だ。
「朝がきたらリベンジです」
 そう言ってクレインは目を閉じた。ここで仮眠を取るつもりらしい。トキノが入れ替わりに「すみません」と言って立ち上がった。
「いや、謝らなきゃならんのはわしの方じゃ。腕は簡易的に接続しておくが、後で専属医にきちっと診て貰え」
 そんな事を言いながら、二人は奥の部屋へ消えた。
 リマは連れ帰る事が出来なかった。どころか、彼らはリマに攻撃され反撃も出来ないまま防戦一方で一旦退いてきたのだという。何故彼女が攻撃をしかけてきたのか。何者かに操られていたのか。全ての鍵を握る存在――キル。
 クレインは先ほどまで、そこで入手したマイクロチップの解読をエドワートと共に行っていたのだと、怜仁が教えてくれた。
 腕の調整を終えて出てきたトキノとエドワートに、シオンは申し出た。
「私も行きます」

 シオンは話しの途中で疲れて寝てしまったという空をリマのベッドに移して、ルアト研究所の外へ出た。
 眠れないのか、ふと気付くと傍らにエドワートが立っている。
 このセフィロトの塔は屋内である。見上げた先には星も月もない。薄暗い照明が灯っているだけだ。

「親の気持ちはわかるつもりです」
 天井を見上げたまま、シオンはポツリと言った。まるで独り言のように。
 それから傍らのエドワートを振り返る。そこにあるエドワートの顔には、いつものようなふてぶてしさはない。
「エドワートさんはここで待っていてください」
「しかし……」
「必ず、リマさんは連れて帰ってきますから」
 シオンはエドワートを安心させるように微笑んだ。
「もし万一、貴方に何かあったら、リマさんは一人ぼっちになってしまうんですよ」
「…………」
「無茶だけはしないで下さい」
「…………」

 明け方、研究所の隣のほったて小屋に住んでいるゼクスが、同居人の抗を連れてやって来た。空はシャワーを浴びて服を着替えたのだろうさっぱりした顔で、そのロビーに現れた。クレインも同様だった。
「怜仁さん。エドワートさんが無茶をしないように見ていてあげてください」
 シオンはそう言って、無理矢理怜仁をエドワートの護衛に残し、六人は研究所を出た。
 キルは人を憎む存在であるタクトニムを利用している。
 ならば彼のいる場所はマルクトの中心にある都市中央警察署の地下だと予想された。
「何であなたが……」
 ぶつぶつとトキノは最後まで不満そうだったが、シオンとリマに面識がある事や、エドワートとも知り合いである事で、結局折れたらしい。



「遅い」
 その声に、シオンは我に返った。
 どうやら滑り台は終わったらしい。
 暗闇は第一階層地下に広がるダークゾーンと変わりなかった。サイバーアイでかろうじて辺りを見渡せる。かすかに鼻をつくような汚臭は、かつてがここもダークゾーンの一部だったという事であり、今はそれらとは繋がっていないということだろう。
「リマがいる」
 空が言った。
 刹那、闇を割くような光と轟音が奔った。






 <--0375-->

 先制を取ったのはビジターキラーの7.62mmバルカン砲。それが辺りを蜂の巣にせん勢いで火を噴いた。この立体都市を支えるために補強に使われているのは、セスナが激突しても傷一つ付かない、原子力発電所の核融合炉にも使用されている超強化壁だ。普通の壁だったなら、本当に蜂の巣が出来ていたところだろう。
 6本の銃身から発射される秒間100発もの弾は全弾を撃ちつくすのに多くの時間を要さない。8000発のマガジンベルトも数分足らずで弾切れになった。
「ひゅー」
 と、抗が口笛を吹いた。
 彼が咄嗟にESPバリアを張っていなければ隠れる場所のないこの空間で、全員が蜂の巣にされていたかもしれない。
 バルカンを撃ち切ったのだろうビジターキラーが一体、その姿を現した。紫色皮膚に覆われた筋肉質の肉体と、表情のない白い頭部を持つ異形のモンスター。
「六体いる。それに……ケイプマンも」
 見た目は変わらなかったが、ずっとリマの足取りを追いかけていたのだろう、空の人型変異体【妲妃】が、その存在を捕らえていた。
 抗が後ろを振り返る。
 ゼクスが作り出す薄明かりの中、トキノがマシンガンを構えた。
 シオンも方に担いでいた5.56mmミニガンを構える。
 抗がゼクスを担いで飛んだ刹那、それらが火を噴いた。
 マシンガンのマガジンを取り替えながらトキノは狭い通路の分岐点に身を隠す。
 一呼吸置いて走り出た。
 ビジターキラーの攻撃をシオンのバルカンが相殺する。その火線の合間を縫うようにしてトキノは目の前のビジターキラーのとの間合いを詰めに出た。
『背中の爪に気を付けてください!!』
 軍事用オールサイバーに搭載された体内暗号無線機が嫌な声を届けた。
「背中の爪……」
 トキノはマシンガンを投げ捨て刀を抜いた。その刃は高周波振動し、鋼鉄をもバナナを切るように切り裂く事が出来る。
 しかしそれはビジターキラーを両断することはおろか掠めることさえ出来なかった。ビジターキラーの背中に生えた三本目の腕はMSを切り裂きオールサイバーを握りつぶすほどの威力と大きさを持つのだ。
 背中の爪という言葉から予想していたよりも大きな爪にトキノは目算を誤った。
 けれどその爪はトキノの体を捕らえる事は出来なかった。咄嗟に投げたシオンのパイナップルがビジターキラーの中で炸裂する。手榴弾にはビジターキラーをどうにか出来るほどの威力はなかったが、トキノが間合いを取るくらいの時間稼ぎにはなった。
 だが――。
 ビジターキラーの三本目の爪が不可解に動いた。
『あれはじゃんけんじゃありませんからね』
 トキノは忌々しげに舌打ちしてもう一本の刀を抜いた。
 後方に殺気。
「大丈夫です!!」
 咄嗟にトキノは声をあげていた。気配の片隅で、抗たちが動くのを感じたからだ。
 まだ、この先どれだけの戦闘が残っているのかわからない。リマの事もある。今は彼らの戦力を温存すべきだ。
 トキノが飛んだ。
 それを追うようにビジターキラーの左腕に取り付けられた12.7mmオートライフルが火を吹く。シオンの援護を感じないのは、奴も別のビジターキラーと対峙しているからだろう。



「もし万一、貴方に何かあったら、リマさんは一人ぼっちになってしまうんですよ」
 たった一人の肉親。
 シオンはそう言ってエドワートの同行を止めた。確かに彼は研究者としては一流かもしれないが、戦闘面では足手まといにしかならないだろう。傷の手当が出来る事と、瞬時に治すことが出来るのとではわけが違う。その点でゼクスは戦力たりえるのだ。しかし。
 それでもトキノはエドワートが呟いた一言が気にかかった。
「To burn one's boat behind.」
 彼がそれだけの覚悟をしているのなら、連れて行ってやるべきだったのかもしれない、と思わずにはいられなかった。


 10年にも及ぶ第三次世界大戦。そして2043年に突如起こった大破壊。通称――審判の日。それに続く大暗黒期。
 それ以前から、非人道的非道徳的研究は各地で行われていた。エスパー研究が盛んになり、サイバネティックスの進化によるサイボーグ技術の躍進は、あちこちで論争の種を撒いたのだ。ヒートアップし続けるデモや暴動。
 2034年には機械化兵士部隊(通称サイバー部隊が投入された。
 2030年に超能力者の存在が公式に確認されてから、アメリカ、ロシア共同によるESP部隊が実験配備されるまでたった7年。この短さから考えても、非公式には既にいくつものESPに於ける人体を使った遺伝子実験が行われていたであろう事は容易に想像ができた。
 それらも、戦場ではない場所では論争の種でしかなかったのだろう。
 恐らくは、ルアト研究所も、その一つであったのだ。
 しかしルアト研究所が他の研究所と違っていたのは、それが、一部に密集してしまった人口高密度解消プロジェクトに特化していた事だろう。
 サイバーは何も軍事用にのみ特化していたわけではない。死なないオールサイバーが子を産む。子は更に孫を作る。けれど祖父母達は曽祖父母になっても高祖父母なっても若いままだ。或いは加齢停止したエスパー……。人は減るよりも増える方が多く、しかし人が住める大地は次第にその面積を狭めていた。大戦による自然破壊はあらゆる面で深刻化していたのである。
 そこに立ち上がったのが、物量戦とテロ戦術がぶつかりあうだけの泥沼の戦いに終止符を打つ、人口調整プロジェクト――コードネーム:ノアの箱舟。名前を付けたルアト研究所の最高責任者は、なんともノスタルジックな人物であったらしい。
 人を減らすために作られた人。人を殺すために作られたキル。安易に戦争などを起こして地球を破壊するのではなく、ただ、人の生を止めるだけに用意されたのだ。
 だが、それは発動する前に、世界は審判の日を迎え、天の裁きを受けることになった。



 キルを作ったのがエドワート自身なら彼は自分の手でそれを終わらせたいのではないか。
 トキノは刀を一閃して着地した。
 口の中で数を数える。
 一回、二回、三回――。
 ビジターキラーの背中の爪が何かの形を作るように動く。刹那、トキノは動いていた。彼らのハンドシグナルを覚えてしまえばかえって動きやすい。次の相手の動きが読めるからだ。
 一体、二体、三体――だが。
『高周波ブレードの発動回数は?』
 SHB1本で高周波振動は約五回使用できる。それとほぼ同時に使っていたオールサイバーのみが使える高機動運動は、1日に6回が限度。
『後、一回くらいです』
 シオンの返事にトキノは苦笑を滲ませた。自分も同じだったからだ。
 2本あった刀の内、1本は遠くの床の上に転がっている。
 ここまでシオンも弾薬を惜しんで敵の武器を回収しながら戦ってきたが、それも底をついているはずだ。
 残るビジターキラーは2体。右腕のバルカン砲は全弾撃ち切っている筈だから注意すべきは左腕と背中の腕。
 ビジターキラーに挟まれる。
 トキノはシオンと背中をぶつけた。よもや彼に背中を預ける事になろうとは。
 自分でもわかった。互いに余力がもうない事は。
 一か八かの賭けに出るか。
 右腕はよく動いた。専門でもないくせに、腕がいい。
 あの時、正直迷った。
 戻って、かかりつけのサイバー医にメンテナンスを頼むかを。
 だが、結局そうしなかったのは、彼と話をしたかったからだ。
 もし、リマではなく、それが『彼』だったら?
「親心……」
 自分はどうするのだろう。何故だか、前回の戦闘の事を思い出した。自分は『彼』と戦った。勿論、幻だったが。



「真人とキルは別人じゃない。真人がキルなんじゃ。真人は自分がキルになっていく事を、ずっと感じてたんじゃろうな」
 エドワートが言った。
 クレインの言葉を思い出す。
「彼は見つけて欲しいのではないですか?」
 真人がキルに変わっていく。だけど真人はキルの中にいる自分を見つけて欲しい――?



「あれは私たちを試していたのか?」

『トキノさん?』
 ぼんやり呟いていたトキノにシオンが怪訝そうな声を返してきた。
 トキノはハッとしたように我に返ると、声をはりあげた。
「行って下さい! 先に!! 彼を見つけてあげてください!!」
 抗が一瞬、逡巡の色を返す。
「え?」
「ここを終わらせたら、すぐに追いかけますから」
 トキノは笑顔で言ってのけた。
「わかったわ」
 空があっさり答えて走りだす。その後にクレインが続いた。こちらをしきりに気にしながら、抗がゼクスを抱えてその後を追いかける。
 その背を見送って。
『……トキノさん?』
 シオンが怪訝そうに声をかけてきた。
 互いに背中を合わせ、互いに得物を手に、それぞれの敵と対峙しながら。
 トキノは3つあるウェストポーチの1つからそれを取り出すと視線を動かさないままで、シオンに差し出した。
『プラスチック爆弾……まさか……』
『終わりにしましょう』


 プラスチック爆弾。粘土状の本体と信管、30mのコードに起動用バッテリーを持つそれは、主に建物や橋などの建造物を壊すのに使用される。それだけでも、その威力はわかるだろう。
 それをビジターキラーの体内に埋め込んで、2人はそれぞれに高速移動でその場を離れた。
 巨大な爆発音と大きなクレーター。下手をすれば天井が崩れ生き埋めになりかねないほどの爆発だ。だがイエツィラーほどの巨大な建造物を支えるだけの地盤を備えているそれらは、大きなクレーターを作った以外はびくともしなかった。
 そのクレーターの端にシオンとトキノが倒れていた。
 無傷では勿論ない。
 特にトキノの損傷は著しかった。
 スピード重視の装甲は薄い。それが、その主な要因だろう。
「トキノさん……」
 シオンが声をかける。
「バッテリーパックです」
 トキノは仰向けに転がったままそれをシオンの方へ差し出した。
 うつ伏せに倒れたシオンが首だけそちらに向けて眉を顰める。
「それならトキノさんが……」
「この右腕では足手まといにしかなりません」
 それが本気で言っているのか、そう言って誤魔化しているだけなのか、シオンは計りかねたように口を噤んだ。
「帰る時にでも拾ってください」
 トキノの言葉にシオンはゆっくり息を吐き出すと両手で上体を支えるようにして起き上がった。
 6回フルで使った高機動運動。残り1日分の電力も、既にこの戦闘で大半を使ってしまっただろう。
 手の平を握って開いて、腕を回して。
 まだ動ける。
 それからトキノを見下ろした。
 この後の戦闘を考えると、彼より自分の方が戦力になると、彼は判断したのだろうか。だから自分にバッテリーパックを託すというのなら、シオンは御免だった。何となく、そういう大人な考え方が気に入らなくて。
「お断りです」
 シオンはペロリと舌を出して増加バッテリーをトキノの方へ押し戻した。
「…………」
 元々、気の合わない者同士なのだ。
 トキノが視線をシオンに向ける。
「私にはこれがありますから」
 そんな風に笑ってシオンはそこにポツンと落ちていた抗の武器を取り上げた。
「それは……?」
「リマさんの特別製です。ここにHBが入ってるんですよ。たぶん、彼が見越しておいてってくれたんでしょう」
 という事にしておく。でなければ、トキノを説得できそうにないからだ。子母鴛鴦鉞の持ち手に入っているのは実際にはSHBだった。HB1本で1週間。ならば、SHBなら後1日くらいは充分動けるだろう。
「…………」
「追いかけるって約束したのはトキノさんですよ」






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 16歳――。
 それは今の自分と一つしか違わなかったけれど。

 抗はゼクスを片手に空とクレインの後ろを走っていた。



 出先からいつものはほったて小屋に戻ってきたら同居人のゼクスはいなくて、夜遅く帰ってきたと思ったら、彼はボロボロだった。
 今にも眠りそうなゼクスを無理矢理叩き起こして白状させた。
 リマがいなくなったと聞いて自分も行くと決めた。
 ノアの箱舟計画で作られたキル。それは一つの人格だったようだ。
 母親は彼を真人と名付けたのだという。真人は、あらゆる事態に対応できる自己判断能力を身につけるため、16歳まで普通の子供たちと一緒に育てられたらしい。
 そして16歳の誕生日。父がキルと呼ぶことで、真人の世界は一転した。恐らくはそれがキル覚醒のためのキーワードだったのだろう。
 真人の中にキルの人格が目覚めた。父は真人をキルとして研究所に招き入れ、キルはプロジェクトの頂点に立つはずだったが、真人がそれを拒んだ。
 真人の友人たちが彼を研究所から連れ出した。友のために。
 研究所の最重要機密であったキルは、真人の自我によって持ちだされたのである。友の手を借りて。
 友は命がけで真人を救い出し、また真人は命がけで研究所を出たのだった。

 友―――。



 抗は無意識に武器を握る手に力をこめていた。

「リマ……」
 前を走っていた空の足が止まる。
 リマが立っていた。
 抗はゼクスを置いて空の前に進み出た。
「あの二人は、俺が貰っていい?」
 空は何も言わずに後ろへ下がった。リマの傍らに二体のビジターキラーが立っている。
 地面を蹴った抗の顔が笑っているのに、ゼクスはクレインを振り返った。
「行くぞ」
 リマの後ろに大きな扉がある。
 その先にキルがいるのだろう。
 この場は空と抗に任せればいい。

 ビジターキラーのバルカン砲が抗を襲う。ESPバリアでそれを防ぎきって彼は一気に間合いを詰めた。彼の右手には白い光のエネルギーが凝縮されている。PKフォースによる光の球を投げつけて抗は右足を蹴った。左手の子母鴛鴦鉞が弧を描く。それはビジターキラーをそれて飛んだ。代わりに現れた光のランスがビジターキラーの影を貫く。速い。かわされたのだ。
 しかしそれも計算の内だったのか、単に野生の勘だったのか。その背へ子母鴛鴦鉞がブーメランの如く戻ってくる。もう一体のビジターキラーがオートライフルの引鉄を引いた。咄嗟に物質操作で子母鴛鴦鉞の軌道をずらしたら、薄くなったのか抗を守るバリアがビジターキラーの腕になぎ払われた。
 だが、転んでもただでは起きない。その風圧を利用して後方へ退き息を吐く。大事な一張羅の腹の部分が裂けているのに舌打ちした。血が滲み出すよりはやく床を蹴って、間髪入れぬビジターキラーの攻撃をかわしながら武器を回収し抗はバリアを強化する。
「ふぅ〜」
 さすがに、一度にいくつものESPを使うのは負担が大きい。
 それでも、そんな事は片隅にも顔に出さないで、相変わらずふてぶてしい表情をはりつけながら、彼はビジターキラーたちを見下ろしていた。



 真人の中でキルが大きな割合を占めて行く中、友人達はキルの人を人と思わないやり方についていけず、真人のもとを一人二人と去っていった。
 逃亡の果てに真人のもとに最後に残ったのはたった一人の親友だけだったのだ。
 研究所の追っ手が迫る。
 真人は、そのたった一人の親友の為に、親友を守りたい一心で、逃げる事をやめ、自分が戻ることを条件に親友には手を出さない事を約束させた。
 けれど、それを、親友が許さなかった。
「お前がお前でなくなったとしても必ず……俺がお前を見つけてやる」

 親友―――。



「抗!!」
 空の声に我に返った時には、ビジターキラーの3本目の腕が、彼の脇腹を抉っていたところだった。
 飛び散る血肉と大量の血に、飛び出そうとした空の足を手で制して抗が嗤う。

 ――これは贖罪なのだ。

「俺の獲物だ」
「…………」
 抉られた脇腹を押さえた手が赤く染まっていた。
 昔、親友を殺した事がある。その時も、この手はこんな風に真っ赤に染まっていた。小さな誤解がいくつも重なった結果だったとしても、自分があの時、親友の心臓を抉り出した事にかわりはない。
 何故だろう、自分が一瞬真人と重なったような気がして、抗は小さく息を吐いた。
 ひゅーひゅーと抜けたような呼吸は、傷のせいだろうか。後でゼクスに何とかしてもらえばいい。左の脇腹で良かった。レバーをもっていかれていたら、即死していたかもしれない。どんなに瀕死でも、生きていればあいつが何とかしてくれるだろう。
 イグニションで傷口を焼き切って強引に止血する。

 見つけて欲しいのだ、と漠然と思う。
 自分も親友に――。

 抗は一気に地を駆けると跳躍し、バリアもはらずに全部の意識を自分のPKフォースに集中した。ビジターキラーの高機動運動よりも速く。その意識が彼の中に眠る力に作用したのか、まるでそれはテレポートのように。

 あれだけの事をしても今も許しを請うている。
 自分はまだ生きていてもいいのかと問うている。

 彼は次の瞬間ビジターキラーの傍らに立っていた。その無表情の頭部に光のランスを打ち込む。
 傾ぐビジターキラーの体を蹴飛ばして、もう一体のビジターキラーの死角から最後の力で子母鴛鴦鉞を投げ付けた。刃は高周波振動するだけじゃなかった。エレクトリックによる帯電。
 それはビジターキラーの体を両断して向こうの壁に突き刺さった。


「空! ……使うぞ」
「死ぬわよ」
「死なねーよ」






 <--0474-->

 その頃、クレインとゼクスは象が通れそうなくらい大きな扉の前にいた。ずっしりと重く分厚いに違いない扉を開くには電子キーが一つ。これを開錠すれば、自動的に開くはずだった。
 クレインがその電子キーと格闘している。ゼクスにはその状況はさっぱりわからなかったが、それはかなり厳しいもののようだった。
 クレインの額に汗粒が浮かんでいる。
 彼のマシンテレパスによる開錠を阻むように、プログラムが猛スピードで書き換えられていくのは、恐らく相手もマシンテレパスを使っているからだろう。
 それはプログラムの書き換え合戦であったが、言葉で簡単に言い表せるほど容易なものではなかった。解読−分析−構築−書き換え。それを一瞬でも相手より上回らなければならない。
 ゼクスが隣でイライラし始めたのをクレインは感じた。つまりは集中力が少し落ちたのだろう。
「静かに」
 それだけ呟いてクレインは一つ深呼吸すると再び目を閉じた。
 意識を電子キーに集中する。無数のシーケンス。その一つ一つを解読し、分析し、トラップを回避しながら、新たなプログラムを構築し書き換えていく。
 いつ終わるとも知れない追いかけっこのようで、後もう少し、手が届きそうで届かない。
 クレインは無意識にウェストポーチを握っていた。その中にはエドワートから預かったものが入っている。

 ――後、もう少し……。

 ピーーーーーーッ。
 電子音が鳴って、LEDランプが赤から緑に変わったところで、クレインは思わずがっくりと膝を付いてしまった。
「よし、開いたぞ」
 ゼクスが喜びの声をあげたが、クレインは暫く立ち上がる事も出来ずにいた。ウェストポーチに入っている高カロリータブレットを一つ口の中へ放り込む。
 中央から左右に開かれたドアを、光偏向を使っているのだろう体を視覚的に消して、中へ入っていくゼクスをクレインは静かに見送った。
 特に物音も、ゼクスの声も聞こえてこない。
 敵の気配も感じられなくて、クレインはのろのろと立ち上がると中を覗いた。
 一瞬、呼吸する事を忘れてしまう。
 それをマジマジと見上げて、無意識に息を呑んだ。
 それは培養液に浸かった脳だった。



 真人は親友を助けるために自分が掴まった。だが、掴まってすぐ、彼は自爆したのだという。研究所へ戻るヘリの中で。
 しかし、研究所にとって必要だったのは彼の脳だけだったのだ。勝手に動き回る足も手も、その体さえも必要ないとされた。
 研究が行われていたのは審判の日以前。少なく見積もっても40年以上を遡る。それからこの年月、彼はどうやって生きていたのだろうと思われた。
 いうなれば彼はエスパー能力を持つハーフサイバーのようなものだったのだろう。ただ、普通のサイバーと違って、彼に与えられたボディーは人の形をしていなかったというだけだ。
 動く為の足もなく、手もなく、生命維持のためにその体には自家発電用の装置が内蔵され、目の前のオペコンとテレパスが彼の入出力の全てを司る。
「これは……酷い……」
 クレインは呆然と呟いていた。
 これが、父親のする事なのか。
 こうして彼はずっと生かされ続けてきたのか。

『キルの意志によって――』

 ふと、エドワートの声が蘇って、クレインは後ろを振り返った。そこに彼の姿は勿論ない。彼は研究所に残してきたのだから。
 エドワートから何となく話しは聞いていたが、目の当たりにしてクレインはただただ息を呑む。



 真人の親友は約束どおり彼を見つけた。
 あのヘリの爆発を見ても尚、彼の親友は真人を信じていたのだろう。キルの中の真人を見つけて、この脳を『真人』と呼んだ。
 その直後、真人は再び研究所ごと自爆した。
 エドワートはそれで、全てが終わったのだと思っていたらしい。
 研究所は確かに跡形もなく吹っ飛んだ。逃げ遅れた者達を全員巻き込んで。ただ、脳の……真人の傍にいた親友だけは奇跡的に助かったのだという。たぶん、彼が助けたのだ。
 だが、どうだ。
 キルはまだ生きて、再び、自分の中にインプリンティングされたプログラムを実行しようと動き出しているではないか。



「プログラムは間にあったのか?」
 ゼクスが聞いた。その声にクレインは我に返る。
 リマが最後に送ってきたメッセージ。
『壊シテ!!』
 あれは、自分では自分を壊す事の出来ない真人の叫びだったのだろう。彼は彼自身を壊して欲しかったのだ。
 友の手で。―――本当はそう望んでいるに違いない。
「大丈夫です」
 クレインは一枚のマイクロチップを取り出した。
 二度の自爆。
 にもかかわらず彼は死んでいない。恐らく、物理的に彼を破壊する事は不可能なのだろう。
 だから――。
 昨夜、半徹でエドワートと二人で作った自滅促進プログラム――ナノウィルス。

「終わりにしましょう……これは、あなたのお父様からあなたへの最後のプレゼントです」



「真人は確かに、わしの息子じゃよ。遺伝子操作の末じゃが、そのベースに使われた精子はわしのものじゃからな」
 エドワートはそう言って、暫く無言だった。
 クレインが持ち帰ったマイクロチップの解析中。CRTオペレーションに点滅する『Please Wait』の文字をぼんやり見つめながら。
 その背には、いつもの傲慢さも不遜さもない。過去を悔いるような父親の背中があっただけだ。
 やがて、『Complete』の文字が出力される。
「わしが、始末をつけねばなるまい」
 チップに入っていたのは、キルに関するデータだった。キルのインプリンティングプログラムから、ESP能力の詳細まで克明に記されていた。
「壊すぞ」
 そう言ったエドワートに、咄嗟にクレインは手を伸ばしていた。
「手伝います」
 彼を壊すには内側から破壊するしかない。
 彼のマシンテレパスを利用してウィルスを送り込む。勿論、気付かれないように何重ものプロテクトをかけて。彼の解析速度はマイクロチップがもたらしたデータでわかっているのだ。ダミーウィルスをいくつも用意して。
「真人を生んだのが、マリアという女性じゃった」
 その作業中、エドワートがふと口を開いた。
「マリア?」
「リマの母親じゃ」
「…………」
 だから真人はリマにとっての兄であるのか。
 いや――。
「マリアさんは?」
「真人が2度目の自爆をする少し前に死んだ。病気でな」
「え? ちょっと待ってください。では、リマさんは……?」
 リマはまだ18歳である。これではリマが生まれる前に彼女が死んだことになるのだ。
「冷凍保存されていた受精卵を、わしが18年前にな。審判の日を迎えてこれだけ経った、全てが終わったと思ったんじゃ。マリアはずっと、まだ生まれぬリマの事を憂えておった。だから覚醒せんように……と」
「……リマさんを止める方法はないんですか?」
「…………」
 エドワートはただ俯いただけだった。そして黙々と作業を続けただけだった。
 もしリマが、キルのように覚醒したら『壊す』以外に手がないというのだろうか。それ以外に何か方法はないのか。



 ウィルスチップにクレインは手をかざす。マシンテレパスよってデータを彼の中へダイレクトに送り込んだ。
 先ほどのキー解除同様、互いによるプログラムの書き換えが始まる。
 真人の脳の周囲をいくつもの電子が行き交うのが見えるような気がした。
 彼の制御盤のELDが緑から赤に変わり、やがて順に消えていくのをぼんやり見ながらクレインは呟いていた。

「リマさんはまだ覚醒していないのでしょうか。それとも、覚醒してしまったのでしょうか」






 <--0641-->

「ふん、あのバカ娘は、ただ兄貴を守ろうとしているだけだろ」

 ゼクスはイライラと吐き捨てた。
 リマが攻撃をしかけてくる。それに歯噛みせずにはいられないのは、キルとリマが兄妹であると知ってしまったからだろう。自分にも妹がいるのだ。
 兄なら妹を守らなくてどうする、と、自分の事は遥か彼方の棚に投げ上げて思うと、胃の辺りにムカムカとしたものがわだかまった。
 守るどころか、兄は妹に武器を取らせたのだ。妹に他人を傷つけさせているのだ。そんな者が、兄を名乗る資格なんてあるだろうか。そう思うとはらわたが煮えくり返った。


 2度の自爆と審判の日。これにより完全に消滅したと思われたプロジェクトは、まだ生きていた。
 それが何故今だったのかといえば、恐らくリマが、彼に出会ってしまったからなのだろう。
 同じ遺伝子を持つ者同士が互いに反応しあったのだ。
 ノアの箱舟は二本立てのプロジェクトだったという。
 破壊と再生。
 キルが人を減らすプログラムであるなら、もう一つは、人を増やす為のプログラムであったともいえる。それ故に再生プログラムには女性が用意された。それがリマだったのだ。
 そのリマが、今はまるでキルの手先のようにその前に立ちはだかる。
 それがDNAにインプリンティングされたアルゴリズムに則っているだけだとしても。


「…………」
 無言のまま振り返ったクレインに、ゼクスは更に吐き捨てた。
「目覚めたんじゃない。夢を見ているだけだ。胸くそ悪い夢だがな」
「そうですね」
 クレインが曖昧に頷いた。

「To burn one's boat behind.」

 ゼクスはぼんやりその言葉を呟いた。背後のボートを燃やして退路を断って、背水の陣を布いて。
 真人の親友は、この脳だけになってしまった、変わり果てた友の姿を見て、それでも彼を『真人』と呼び、真人はそれに応えた。
 何度も何度もキルを殺そうともがきながら真人は。
 真人は自我を保ち続けた。
 続ける事が出来た。
 友が彼を見つけてくれるから。友が彼を『真人』と呼ぶから。
 友が真人と呼べば、彼はそれに応えるのだ。
 自分が彼女をリマと呼べば、リマはそれに応えてくれるだろうか。
 真人はリマの兄なのだ。兄が妹を傷つけるような真似はきっとしない。
 しない、と信じていいだろうか。

 信じて―――そうか。

 だから―――。

 ゼクスはハッとしたように顔をあげた。
「どうしました?」
 クレインが怪訝にゼクスを振り返る。
「俺たちも見くびられたものだな」
 ゼクスは笑ってそう言った。



 真人は変わっていく自分に何度も去って行く友の背を見てきたのだ。きっと去っていった友には、キルの中の真人を見つける事は出来なかったのだろう。
 最初にキルが自分たちに、近しい人間を模したタクトニムに攻撃を仕掛けさせてきたのは、恐らく自分たちを試すためだったのだ。
 変わっていくだろうリマに、自分たちが耐えられるか。
 変わっていくだろうリマを、自分たちがちゃんと見極められるのか。
 兄は妹を思って一つのシミュレーションを行ったのだ。
 変わっていくだろうリマを、自分たちに止められるか。
 キルに侵食されながら、それでも真人が消滅しなかったのは、親友の存在があったからだ。きっとその力と絆が強ければ、リマの中に眠る別の人格は、リマによって消し去る事が出来るのだろう。真人には足りなかったけれど、今のリマには自分たちがいて、父親もいる。仲間がいる。
 それを確認するために真人は――。



 ゼクスは機能停止を始めたキルのブレーンを見上げた。
 消えていった制御盤のLEDランプが突然灯る。
「システム・オールグリーン……まさか!?」
 クレインが目を剥いた。ウィルスのプロテクトが全て解除されたのか。
 慌てて手を翳しマシンテレパスによる手動でナノウィルスの侵攻をサポートしようとしたクレインをゼクスが止めた。
「信じていいんだよな、真人」
 ゼクスが声をかける。
 LEDランプが点滅した。
 まるでゼクスの呼びかけに答えるように。
 緑から赤へ。
 それは一斉に消えた。
 全てのシステムが完全に止まる。
 真人がウィルスを受け入れたのだろう。
 完全な脳死を確認してクレインは遠隔操作出来る時限爆弾を設置した。
「呆気ないものだな……」
 ゼクスはぼんやり呟いた。
「ゼクスさん」
 クレインがその肩を叩く。
「仲間に向ける武器はない。それでいい」
「行きましょう」
 そうして二人はそこを出た。
 外では空とリマが拳を交えていた。
 片隅に倒れている抗の脇腹の怪我に気付いてゼクスが駆け寄る。
「おい!?」
 ゼクスは抗の怪我に手の平を掲げた。ESP治療。だが、その手の平に、いつものような赤く淡い光は発せられなかった。
 手の平が温まるあの感覚がない。
「なっ…おい、どういう事だ!?」
 ゼクスは顔を蒼褪めさせた。まだオーバーワークするほどESPは使っていない。これくらいの怪我、一瞬で治す事が出来るはずだった。
「ダメです。あれを」
 クレインがそちらを指差した。
 そこに小さな黒い球体が浮かんでいた。
 ESP吸収ボール。マイナスエネルギーの塊は、一定範囲内で、レーザー攻撃や超能力を吸収し、レーザー兵器、超能力、乗り物などを一切使えなくする。
 だから空は今、リマと互いに拳だけを交えていたのだ。
「何を、バカな……」
「どいてください。手当てします」
 クレインは応急手当用の道具を開いて、抗の傍らに膝をついた。
「そっちは終わったの?」
 抗が薄く目を開けた。
「当たり前だ」
 ゼクスは無意識に怒鳴り付けていた。
 クレインが傷口を消毒して手際よくガーゼをあてる。
「俺は……生きていてもいいのかな?」
「当たり前だ!!」
「うん……」
 淡く微笑んで、力尽きたように抗の目が閉じられる。
「!? お…おい、抗!?」
「大丈夫です。まだ、吸収ボールは活きています」
 抗の体をゆすろうとするゼクスの手を掴んでクレインが言った。
 吸収ボールを放ったのは抗自身だ。ならば、彼はただ、そちらに意識を集中させただけなのだろう。
「…………」
 クレインがその体に包帯をまいていく。
「見つけてくれるかな」
 誰にともなく向けられた抗の問いかけに、ゼクスは立ち上がるとそちらを振り返ってきっぱりと言い切った。
「絶対、見つけてやる」
 これだけの背水の陣を布いたのだから――。


「リマ!!」


 ――――帰って来い!






 <--rima-->

 誰かが呼んでいる声がした。

 それとは別の声が、眠りなさい、と呼びかけていた。
 柔らかくて暖かくて、それは眠たくなるような声だった。自分には母親の記憶はないけれど、もし母がいたら、自分をこんな風に呼ぶのかもしれない。
 ゆらゆらと揺れるゆりかごの中にいるみたいに眠気に誘われる。
 眠りなさい、と繰り返される声。
 あなたの脆弱な精神では耐えられない、と誰かが囁く。
 でも、大丈夫。代わりの精神を用意してあるわ。と誰かが……。
 リマは少しだけムッとして、そちらの方を振り返った。“自分の代わり”の背中がその部屋の扉の前に見えた。
 “彼女”が出ていく。
 指一本動かすのも億劫になるほど体が重くて、リマはその背を見送ることしか出来なかった。
 ふと気付くと、自分はベッドの上に寝かされていた。
 それはふわふわのベッドの上で、眠りを誘う子守唄がずっと耳元で響いている穏やかな空間だった。
 何かがおかしい、と違和感を感じながらも、それを考える気力が萎えていく。
 考えようとしては、けだるい倦怠感に考える事をやめてしまう。

 ―――リマ!

 誰かが呼んでいる声がした。
 知らない声は聞いた事もない筈なのに、どこか懐かしいようにも感じられて目を開ける。
 体を起こそうとするのに何故かそれは自分のものではないみたいで、自分の意志では動かない。
 それでもリマは自分を縛るものを引きちぎるようにして、起き上がった。

 目の前に、黒衣の男が立っていた。
 黒く長い髪の毛先が白い。
 それが、左手に何かを握って荒い呼吸を吐きながら、自分を睨み据えていた。その右腕がない。肩から人工体液があふれ出している。彼が左手に握っているのは彼の右腕だ。
 空の手刀が自分の頚動脈を捕らえていた。
 リマは愕然と空を見返した。どうして彼女が自分に攻撃をしかてくるのかわからなくて、半ばパニックに陥りかける。だが、実際には自分の意識とは無関係に自分の体は動いて、PKフォースを彼女に向かって発動していた。
 空が壁に背をぶつけ咳き込む。
 それにエマージェンシーコールが重なった。
 仁とゼクスと、それから、クレインがそこにあった扉から駆け出してくる。

 ―――何をやってるの?

 自問した。
 けれどその答えは自分にはわからなかった。
 どうして自分が彼らに、高周波ブレードの切っ先を向けているのかもわからなかった。
 気付いたら、この状況だったのだ。

 ―――あなたの脆弱な精神では耐えられない。

 あの眠気を誘う柔らかい声がした。どうして自分が彼らと戦わなければいけないのか、わからない。けれど戦わなければならないのか。
 自分では、彼らと戦えないという事か。
 それは、そうなのだろう。
 自分には、彼らに敵意を向けることなんて出来ない。
 彼らに敵意を向けられたって出来ない。
 今、彼らに高周波ブレードを向けているのは、自分とは違う自分。
 気が付くと“あの背中”が、自分の前に立っていた。
 リマは見ていられなくなって目を閉じた。逃げるようにあのベッドの中へ沈み込んだ。

 疲れたように眠って、このまま目覚めなければいい。
 脆弱な自分の精神では、きっと耐えられない。

 だけど、別の誰かが自分を呼ぶ。
 知らないはずなのに、懐かしいと感じる声が。
 このままではいけない、と叫んでいる。

 そうしたら、あの眠気を誘う柔らかな声が囁いた。

 ―――To burn one's boat behind. 自らの手で、過去を断ち切っておいで。

 自分に剣を握らせて。

 ―――TO BURN!!


 自分は、どっちを選べばいいのだろう。
 自問するまでもなく、答えは自分の中にある筈だった。






 <--0233-->

 吸収ボール。
 それは全てのESPの発動を使用不可にする。それを使う事を最初に持ちかけたのは抗だった。
 リマの攻撃を全て無効化するために。
 リマがライフルを全弾使い切るのを待って発動させた。発動させればESP治療も使えなくなる。深手を負って、それでも迷わず、何のためらいもなく。
 そうして空はリマと対峙した。
 ESPが使えないという事は【玉藻姫】も【妲妃】も、それ以外も使えない。だが、条件はリマも同じ筈だ。互いに肉弾戦しかない。
 ナイフは、リマのそれを弾き飛ばした時に、空も投げ捨てていた。残ったのは互いに身一つ。
 リマの蹴りをクロスブロックで受けて、回し蹴りを放つ。リマは蹴りあげた足をそのまま跳ね上げてバック転でそれを逃れた。
 着地点に正拳を叩き込む。それを手の平で受け止めリマは更に後方に飛んだ。
 間髪入れず蹴りを繰り出す。
 それが彼女の頬をかすめた。
 血が滲む。
 一瞬の空白。
 ここまできたら互いの体力勝負だった。



 16歳にキルは目覚めた。
 リマが18歳でありながら外見年齢がずっと若く見えるのは―――。
「まさか、リマを15歳で加齢停止させたの? 16歳になったら目覚めてしまうから」
 そう尋ねた空に、エドワートは答えなかった。恐らくはそれが無言の肯定だったのだ。
 遺伝子にキルの人格を植えつける技術があったのだ。彼女のESP発動を定義づけるくらい簡単だっただろう。
 そしてリマは16歳にならない事で、彼女の中に眠るもう一人のリマ――或いはキルなのか――をずっと封じてきたのだ。
 しかしリマは偶然、ダークゾーンの探索中にそれを見つけてしまった。
 ルアト研究所が、このアマゾンの密林の中に存在したのと、イエツィラーの建造計画がスタートしたのとは、どちらが先だったのか。いや、研究所自体は、イエツィラーを隠れ蓑に、独自にその地下に最新の研究施設を作っていたのだろう。
 但し、リマがセフィロトにいたのも、エドワートがジャンクケーブにルアト研究所を立ち上げたのも、偶然ではない。エドワートの意志。
 キルはここで自爆した。
 リマの母親はこの地で――。
 全ては贖罪のつもりだったのか。

 最初、人類の間引きにキル一人では少ないと空は思っていた。だから、それは複数いるのだと。リマがテレパスである事を考えれば、キルは多人数の意識と同時に存在するテレパスネットワークによる人格か何かなのだと思った。それだけの敵を相手にする事になる。その覚悟もしていた。
 だが、実際にはキルは一人しかいなかった。理由は簡単だ。そのクローン体を作る前に、キルは逃亡し、自爆し、プロジェクト自体が頓挫してしまっていたからである。
 何故彼は自爆したのだろう。
 たぶん、それはきっと耐えられなかったのだ。キルである事に。
 或いはただ、キルを消したかっただけなのかもしれない。

 だったら、リマは―――?



 リマの掌底を鳩尾にもろにくらって、空はごほごほと咳き込みながら数歩よろめいた。
 それでも膝を付く事なく意地で踏みとどまって、空は右足を蹴りだした。
 パンチと回し蹴りのコンビネーションで畳み掛けるように攻撃を繰り出す。
 その一発がリマを捉えた。
 リマは脇腹を押さえつつ間合いを取るように後方に退いた。
 互いに隙をうかがうように睨み合う。
 息が荒くなっているのはどちらも同じだった。いや、体力なら空の方が上だ。
 再び二人の影が交錯した。


 ―――偶然なんかじゃない。


 リマの膝が鳩尾に入るのをわずかに後方に退く事で衝撃を最小限に抑えながら、空はリマの腕を掴んだ。
 いつもはESPによる強化で格闘センスをアップさせているだけに、体術はあまりマジメにやってきたわけではなかったが、ここに来る前に抗に教えてもらった関節技を使う。
 付け焼刃でも、今なら出来るはずだ。
 肘の関節をとって揺さぶりをかける。前後に動く時は左右に、上下なら前後に、相手が動く力のベクトルとは別の方向へ。
 右足から左足へ体重を移動させる瞬間を狙って足払いをきめる。
 彼女の体が傾いだ。
 背中を地面に叩きつけないように軽く引いてやる。
 そして地面に倒れこんだ彼女の体に覆いかぶさった。
「リマ!」
 関節を取ったまま、彼女の耳元に呼びかけた。
「リマ!!」
 ゼクスも声をかけた。
 リマの中にいるリマを呼ぶ。
「リマさん!」
 クレインも。
「リマさん……」
 そして、何とか追いついてきたシオンとトキノも。
「リマ……」
 空は関節をとっていた手をゆっくり離した。
「大丈夫よね、リマ。信じてる」
 その体を抱きしめる。
 どんなに変わったってリマはリマだ。
 そこにいる。
 リマはここにいる。
「ここにいろ、リマ」
 ゼクスが言った。

 ここにいていいんだ。

 ―――きっと、真人はずっと『ここ』にいたかったんだ。

 大丈夫。リマは止まる。自分たちと一緒に行くんだ。

 ―――リマ!

「…………」
 空はその耳元に口寄せた。

「To burn one's boat behind.」

 リマはその声にゆっくりと空を振り返った。
 大きな目をこれ以上ないくらい見開いて。
「空……」
「おかえり、リマ」


 ―――偶然なんかじゃない。


 エドワートは最初から予想していたのではないか。或いは薄々感づいていたのだ。リマとキルが出会う可能性を。
 リマの覚醒を遅らせながら、それでもエドワートは二人が出会う事を焦っていたはずだ。もし二人が出会うなら、キルが生きているなら、自分が生きている間に決着をつけなければならない。でなければ、リマの中に眠るもう一つの人格も、そしてキルも、止められなくなってしまうからだ。
 真人の人格を繋ぎとめていた親友。恐らくその代わりにリマの為に用意されたのは怜仁だったのだろう。だから彼は、リマに対してあんなにも無抵抗だったのだ。
 そしてエドワートは自分の命に代えてもリマを――いや、マリアとの約束を果たすつもりだったのだ。
 一つのキーワードと共に。

 ―――To burn one's boat behind.

 背水の陣を布いて、逃げ道を自らの手で断って。そうしたら自分は前しか向けなくなる。前に進む事しか出来なくなる。
 それは自分自身を戒める言葉であり、自分自身を信じる言葉でもあった。
 自分自身を信じる力は一つの奇跡を生む。

 ―――過去を断ち切り前に進め。

 そう信じて用意された言葉だったのだ。


「私は……」
 言いかけるリマの言葉を遮るようにして、空が声をかけた。
「心配したよ」
「ごめんなさい」
 肩に顔を埋めて、リマが小さく呟いた。
「謝らないで、笑ってよ」
「……うん。ありがと」
 少しだけ顔をあげて淡く笑むリマの頭を空が優しく撫でてやる。
「お兄ちゃんが、ずっと呼んでいたような気がする」
「お兄ちゃん?」
「変よね。私、お兄ちゃんなんていないのに……あれは空の声だったのかな」
「やっぱり、あたしの愛の力の勝利よ!!」
 空が笑ってきっぱりと言った。
 それにかリマは気が抜けたのだろう意識を手放した。

「終わったぞ、抗」
 ゼクスが声をかける。
「うん……」
 吸収ボールが消えた。
 刹那、ゼクスはESP治療を発動した。
 傷が見る見るうちに塞がっていく。
 だが―――。
「おい、抗!」
 ゼクスは抗の体を揺すった。しかし反応がない。
「大丈夫です。きっと疲れて寝ているだけですよ」
 クレインがゼクスの肩を叩いて宥めるように言った。だが、それを聞いたゼクスは抗の頬をバシバシと叩き始めた。
「何!? 寝ている場合じゃないだろ! おい、起きろ!! 誰が俺とお前を運ぶんだ!?」
「……俺……」
 クレインが半ば呆気にとられる。
「彼は私が運びましょう」
 トキノがそう言って抗の体を担ぎあげた。
「ゼクスさんは歩いてくださいよ。五体満足なんですから」
 シオンが言う。
「何っ?! ダストシュートをどうやって昇るんだ!?」
「わかりました。50レアルでどうですか?」
 シオンの言葉にゼクスは本気で考え始めた。そもそも50レアルなんて大金も持っていないのに。
「むむむむむ……」
「リマはあたしが抱いていくわよ」


 それから暫くして、誰もいなくなったその空間に爆発音が連なった。






 【Ending】

「マリア……わしを迎えに着たのか?」
 エドワートは、ロビーのソファーの上でぼんやり虚空を見やりながら呟いた。
 そこには誰もいなかったが、彼にははっきりと彼女の姿が見えているようだった。
 彼にだけ見える彼女は、笑って、ゆっくりとドアの方を指差した。唇が動く。
「……リマを?」
 エドワートは彼女の指差す方を振り返りながら尋ねた。
 彼女が頷く。
「そうか。わしはまだ、お前のところへは逝けないんだな……」
 ドアが開いて、リマが、みんなに連れられて帰ってきた。






 ■End■


■━┳━┳━┳━┳━┳━┓
┃登┃場┃人┃物┃紹┃介┃
┗━┻━┻━┻━┻━┻━□

【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / クラス】
【0233/白神・空/女性/24歳/エスパー】
【0641/ゼクス・エーレンベルク/男性/22歳/エスパー】
【0289/トキノ・アイビス/男性/99歳/オールサイバー】
【0375/シオン・レ・ハイ/男性/46歳/オールサイバー】
【0644/姫・抗/男性/17歳/エスパー】
【0474/クレイン・ガーランド/男性/36歳/エスパーハーフサイバー】


【NPC0103/エドワート・サカ/男性/98歳/エキスパート】
【NPC0104/怜・仁/男性/28歳/ハーフサイバー】
【NPC0124/マリアート・サカ/女性/18歳/エスパー】

■━┳━┳━┳━┳━┳━┓
┃ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
┗━┻━┻━┻━┻━┻━□

 ありがとうございました、斎藤晃です。
 楽しんでいただけていれば幸いです。
 ご意見、ご感想などあればお聞かせ下さい。