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〜母と子〜
メビオス零
☆1☆
「ふぅ。これで全部かな?」
公園のベンチに腰掛け、両手に抱えていた紙袋を降ろしながらマリオ・フリアスは息をついた。
第一階層居住区、都市マルクト。
繁華街の喧噪から抜け出したマリオは、買い逃した物がないかどうかをチェックするため、店から貰った領収書と買い出しメモを見比べる。
「ハズレは三つか‥‥ちょっと痛いなぁ」
マリオは領収書に書かれている品物の金額を見て、溜息をついた。
このマルクトでは、買い物をするにも注意する必要がある。
物の値段は、あくまで店が決めている。もちろん買う方も自分の納得した値段で買うために文句は言えないのだが、別の店を回ったとき、さらに数割も安く売っていたりなんかすると、正直へこむ。
ましてや、この街にはマフィアだの闇業者などがあちこちに散っているのだ。下手な場所で買い物をするだけで、それこそ身に危険が及ぶ場合すらある。
もっとも、幼少の頃よりこの街で育っているマリオにとって、危険かどうかはすぐに判別出来る。問題なのは、物の値段ぐらいな物だ。
(ジャンク品に掛けすぎたかな‥‥)
マリオは、紙袋の中に詰まっている機械を眺めて頬を掻いた。
整備士として修行中のマリオは、頻繁にジャンク屋に足を運ぶ。ジャンクに相場はないため、店主との交渉で安くし、そうして得た部品を使って母、パトリシア・フリアスの乗るMSを修復し、整備するのがマリオの仕事である。
午前中にMSの点検を済ませて必要な部品をリストに出したマリオは、ジャンク屋に出かけて部品を調達していたのだ。そのついでに日用品と食料まで買っていたら、いつの間にか既に夕刻。マルクトには空がないために判別しづらいが、公園にはポールに付けられた時計が、よく見えるように備えてあった。
「資金も底をついてきたし、時間も掛かりすぎ‥‥怒られちゃうかな。これは」
再び荷物を両腕で抱えたマリオは、自宅で待っているであろうパトリシアを思い、腰を上げた。
今日は、パトリシアの休日であった。普段は忙しい自警団活動に追われているパトリシアにとっては、まさに待ちわびていた日である。今頃は、家でゆっくりとしているだろう。
お腹を空かせて。
「‥‥早く帰ろう」
このままでは自分の身すらも危険かもしれないと判断したマリオは、繁華街とは反対方向へと歩き出した。
廃墟に隠しておいた車(まっとうな駐車場は割高だった)に乗り込み、帰路についたマリオを迎えたのは、明かりの一つもない自宅だった。
この既に夜と呼べる時間帯、この付近は薄暗くなる。もし誰かがいれば、必ず家に明かりが灯るだろう。明かりが灯っていないのならば、中に誰もいない証拠である。
マリオは、そんな家に強い違和感を覚えた。
パトリシアは子供ではない。当然外出もするだろう。ならば家が空いていたとしても、決しておかしいことではないはずだった。
‥‥だが、出来れば外出しているだけでいて欲しいという願いも、ガレージに到着した瞬間に打ち砕かれた。
「‥‥ッ!」
マリオは、荷物を手にすることもなく車から飛び出した。トラックのタイヤ跡を踏みつけてガレージに駆け込み、中の明かりを付ける。
「───」
ガレージの中には、誰もいなかった。
あるのは、ガレージにストックしていた部品の数々に整備道具に部品を抜き取られて脱力しているMS‥‥‥‥どれもこれもが散乱し、とてもマリオとパトリシアが整えた整備場には見えなかった。
「母さん!!」
マリオは叫ぶが、当然返事などあるはずもない。地面にあるのはマリオやパトリシアよりも一回りも二回りも大きなサイバーの足跡まで残っていた。
明らかに、これは誰か、部外者が踏み込んだ証拠である。
(手に負えない‥‥!)
自分の手には余ると、マリオは即断した。パトリシアは捕まり、誰か‥‥そう、敵に連れ去られている。そしてその中には戦闘に特化した者もいるのだろう。でなければ、自警団員を誘拐するなどと言うことをするはずもない。
マリオはガレージを飛び出し、再び車に乗り込んだ。エンジンを掛け、アクセルを踏み込んで急発進する。
(まだ、無事でいて下さいよ!!)
そう願いながら、マリオはハンドルを握りしめていた‥‥
☆2☆
右に左にと、トラックは頻繁に方向を変えていた。
手足を縛られたパトリシア・フリアスは、そのたびに体をトラックの壁や荷物にぶつけ、ゴロゴロと転がった。何か荷物にでも体を固定してくれていればこうはならなかったのだが、生憎、誘拐した荒くれ達には、そこまで気を回す余裕はなかったらしい。
現在、パトリシアの体は、囚人用の拘束具で体をがっちりと固められた上に縄でグルグル巻きにされていた。戦闘用のサイバーに対してはいささか心許ない拘束であったが、医療用のパトリシアには十分過ぎる拘束である。
それを調べ上げているからこそ、誘拐犯達は標的をパトリシアにしたのだろう。エスパーだのサイバーだのが珍しくもないこの町で、狙うとすれば、直接的な戦闘力で劣っている人間だ。パトリシアなら、人間と大差ない能力なのである。
(参ったわね。これじゃあ、どうにも出来ないわ)
ゴロゴロと転がりながら、パトリシアは冷静に思考を巡らしていた。
手足の自由が全然利かないため、いちいち悲鳴を上げるような事はしない。とにかくこの事態を打破するための策を立てようと、パトリシアは周囲の様子を窺った。
(‥‥だめね。外のことで分かるのは、精々どっちの方向に曲がっているのか‥‥ぐらいか)
パトリシアは拘束具を着せられているだけではない。用心深く目隠し、猿ぐつわに耳栓までされていた。分かるのは体が転がるとき、どっちの方向にトラックが曲がっているのかと言うことだけ。
しかし既にトラックに揺られること夕十分‥‥もはやこのトラックが、どの辺りを走っているのかも分からない。だが、恐らく“塔”からは出ていない。パトリシアが誘拐されていることがバレている場合、自警団員達が網を張っている可能性が高いからだ。
だからといって安心は出来ない。確かに“塔”の外に出られてしまえば自警団員は手が出せないが、このマルクトでは廃墟の類が珍しくない。
隠れるのは、そんなに難しいことはなかった。
(せめて、あなたは無事でいてね。マリオ‥‥!)
パトリシアは、せめて買い出しに出て行ったマリオまでもが攫われていないことを願い、壁に体を打ち付ける痛みに耐えていた‥‥
☆3☆
車を自警団詰め所の駐車場に突っ込ませたマリオは、あちこちから響いてくる罵声を無視し、車の中に置いていた通信機を持って詰め所の中に飛び込んだ。自警団の詰め所は、お世辞にも広くはない。建物はあちこちが銃弾やら何やらでボロボロで、表だろうが裏だろうが、入り口の扉を開ければ、そこがすぐに待機オフィスになっている。
オフィスで待機していた自警団員は、扉を開けて飛び込んできたマリオに目を向けるが、特に話しかけようとする者もいない。ならず者が多い自警団にとって、事件が起こったからと言ってまともに取り合って貰えないこともままあることだった。
「すいません! リベルタさんは居ますか!?」
しかし、マリオの呼んだ名前が出ると、その場が一変する。
マリオが呼んだリベルタという名前は、自警団創設の提唱者であり、元は凄腕のビジターである。ヒラの自警団員が、その名を聞いて驚くのは当然であった。
「誰だ? 騒がしいぞ。って、なんだマリオか。どうしたんだ? 血相変えて」
「すいません、急いでるんで。とにかく、話を聞いて下さい!」
マリオは手早く、家に帰ったら居るはずの母がおらず、ガレージが荒らされていたことを伝えた。まだ誘拐と決まったわけではないが、リベルタの表情が引き締まり、顔色が変わる。
自警団員としての付き合いで、マリオよりもよくパトリシアを知っているリベルタにとっては、どういった理由でパトリシアが攫われるかも予想が付いた。
「パトリシアの家に一チーム送れ! 自警団の奴らに情報を流して誘拐犯達の足取りを掴むんだ!」
リベルタの指示が飛んだ途端、気怠そうな空気が流れていた自警団オフィスが一変する。何しろ、自分達の最高幹部からのお達しである。聞かないわけにはいかないし、何よりパトリシアは彼らの同僚でもある。その同僚が襲われたのだから、気合いの入り方も尋常ではなかった。
「マリオ。一応言っておくけど、万が一の事もある。覚悟はしておいてくれよ」
「‥‥はい。ですけど、今のところは大丈夫みたいです。急いだ方が良さそうなのは変わりませんけど」
マリオはそう言うと、手にしていた通信機をリベルタに差し出した。
☆4☆
トラックが急停車した反動で、パトリシアの体は一際強く叩き付けられた。幸いトラックの荷台にはパトリシア以外には何もないらしく、荷物の類で押し潰されるようなことはなかった。
(‥‥ようやく到着ね)
長く荷台で揺さぶられ、転がり続けていたパトリシアの体は節々が痛んでいた。多少の衝撃で壊れるほどの柔な体ではないが、それでも長く体を拘束されて長く叩き付けられていれば堪えてくる。
バタン!
荷台の扉が開かれた。間髪入れずに入り込んできた男が、倒れているパトリシアに声を荒げる。
「おい! まだ参った訳じゃないだろ? 出ろ!」
出ろと言われても、パトリシアに行動の自由などない。精々が転がるぐらいである。
男は転がっているパトリシアの頭を掴むと、乱暴にトラックの荷台から引きずり降ろし、猿ぐつわをむしり取る。
「声を上げるんじゃねぇぞ。下手なことしたら、それこそ声音装置をぶっ壊すからな」
ついでとばかりに、パトリシアは耳栓と目隠しまでも取り払われた。そこで、ようやく周りの状況と自分を捕らえた者達を確認する。
パトリシアが連れて来られたのは、何棟ものビルが乱立する廃墟だった。
見覚えのある場所である。自警団の活動で、マルクト周辺の地理は頭に叩き込んでいたからだ。それ故に、この場所での戦いがどれだけ困難なのかがよく分かった。
ここはマルクトから数キロしか離れていない場所だったが、まだ復興が進んでおらず、めぼしい物を最初の数年で取り尽くしてしまったために踏み込んでくる者もいない。たまに犯罪者の類が隠れ住むぐらいであり、この辺りに巣くっていたタクトニムは、既に掃討済みであった。
‥‥自分を捕らえた者達は、十数人の男達だった。
体格は様々だが、全体的に見て大柄。半数はビジターか盗賊だろう。揃って日焼けし、顔に大きな傷を持っている物も少なくない。サイバー科している者達も多く、そうでない者達は銃器を手にし、遠巻きにパトリシアを睨んでいる。
他の共通点は‥‥パトリシアは一人残らず見覚えがある、と言うことだった。
「‥‥街で見た顔ね。私のお説教から、何も学んでいなかったの?」
「身に染みて教えて貰ったよ。そのお礼に、あんたにも教育してやりたくなってね!」
バキャッ!
頬が殴られる。相変わらず拘束されている体では受け身を取ることも出来ず、パトリシアは地面に叩き付けられた。
だがそれでも男にとっては腹の虫が収まらないらしい。続いてパトリシアの腹部に蹴りを入れ、首を掴んで持ち上げた。
パトリシアは持ち上げている男に負けじと、鋭く睨み返す。
「私を解放するなら、今のうちよ。この第七区は自警団の巡回ルートに入ってるんだから、そのうち嗅ぎ付けられるわ」
「減らず口を‥‥だが、安心しろ。ここに団員の奴らが来るのは週に一回、あと二〜三日は来ねぇだろ。本音を言うとこのままへし折ってやりたい所なんだが、あんたには街での借りがある。返して貰ってからじゃねぇと、わざわざ拉致った意味がねぇ」
持ち上げている男が、笑みを浮かべてパトリシアに顔を近づける。周りにいた者達は今か今かと自分達の出番を心待ちにするようにパトリシアを睨め付け、これからの儀式を思って下卑た笑い声を上げていた。
「ガミガミガミガミと、まるでガキに言い聞かせるみてぇに説教たれやがって。御陰でこっちの面子は丸潰れじゃねぇか!」
「だから、どうしたって言うのよ。避け飲んで街中で暴れて駄々こねて。子供よりもタチが悪いじゃない」
「なっ」
「せめて聞き分けは良くなりなさい。ついでに状況判断も出来るようになったら、大人として認めてあげても良いわよ」
ダァン!
銃声が轟いた。
遠巻きに見ていた者の一人が、パトリシアの挑発に当てられて発砲したのだ。もっとも、仲間(恐らく、パトリシアを持ち上げているのはリーダー格だったのだろう)に当たらないよう、パトリシアの足下に着弾し、固い地面に弾痕を作った。
見渡すと、周りの者達は一人残らず殺気立っている。それこそ、この場にいるのが自分だけだったのなら即座に殺し尽くしていそうな勢いだ。
パトリシアを持ち上げている男は、あまり引き留めておけば自分も巻き添えを食いそうだと直感し、パトリシアにニヤリと笑いかけた。
「自分で寿命を縮めやがって。楽には死ねねぇから、覚悟決めろよ?」
「ご忠告ありがとう。でも、あなたも、結局子供だったみたいね」
「あ?」
「言ったでしょ? “ついでに状況判断も出来るようになったら”って。あの時点で逃げてれば、まだ助かったのにね」
パトリシアが、心の底から同情するような声で言う。周りの者達には聞こえないほどの小ささで、もはやお前達には助かる道がないのだと、そう言った。
ドドドタタタタタタタァァァン!!!!!!!!!
ついで、鼓膜を吹き飛ばす勢いで凄まじい銃声が響き渡った。
銃弾は壁越しに、あるいは窓から、あるいは頭上から降り注ぎ、徹底的に標的に向かって飛翔する。パトリシアを持ち上げている男を除いて、一人残らず手足を撃ち抜かれ、中には強すぎる衝撃で吹き飛んでいる者もいる。
情けも容赦もない。この場にいる者達が一人残らず前科者であったからか、銃弾の雨は明らかに殺意を持っていた。
「なぁぁああああ!!!」
パトリシアを掴み上げていた男が、悲鳴を上げて仰け反った。見れば、その足には大きな穴が空いている。男はパトリシアを放して床に倒れ込むと、痛みにのたうち回りながら、銃撃を止めて建物のあらゆる場所から現れる自警団員達を睨み付けた。
「てめぇら、いつから‥‥」
「結構前からね。あんた達も、誘拐するなら、せめて生身の人間にしておきな。機械の体に通信機だの発信器だの仕込むの、簡単なんだから」
ましてや自警団員なら当然でしょ? と、男に歩み寄って来たリベルタは、怪しい笑みを浮かべながら、男の腕に頑丈そうな手枷を填める。
「あんた達、全員誘拐の現行犯で逮捕するわよ。これで二回目の逮捕だし、もう、説教だけで済むとは思わない事ね」
リベルタの言葉で、男はガックリと脱力した。銃弾で倒れ、吹き飛んだ仲間達も次々に拘束され、もはや抵抗する気力も沸かなかったのだろう。
そんな、まるで戦場跡のように荒れ果てた廃墟ビルの中に、遅れて飛び込んでくる者が居る。
「母さん!」
「あらマリオ。元気そうで良かったわ」
リベルタに拘束を解いて貰いながら、パトリシアは何事もなかったかのようにそう言った。まるで自分の心配は全くしていなかったとでも言うような言い方に、マリオはパトリシアに詰め寄ってしまう。
「“元気そうで良かった”じゃないでしょ! 殺される寸前だったって分かってるの! だいたい、何でわざわざ挑発するようなこと言うのさ!?」
「だって、大まかな位置までしか分かってなかったんでしょ? 銃声が聞こえればイヤでも分かるだろうし」
「だとしても! もう少しやりようがあったでしょ!」
「私は大丈夫よ。あなた達なら、絶対に助けてくれるって信じてたし」
ニッコリと、マリオとリベルタに笑いかけてくるパトリシア。
リベルタは呆れて肩を竦め、マリオは何も言えず、溜息を吐いてから一言だけ言い返した。
「あまり、心配掛けないでよ」
「あら、良かったじゃない? 捕まるのが逆じゃなくって」
今度は、マリオは何も言い返せなかった。
マリオは通信機を隠し持ってもいなければ、人並みの戦闘力も怪しい。銃器は扱える程度で知ろうと同然だし、格闘戦など只の喧嘩だ。誘拐を目論むような犯罪者に、太刀打ち出来るはずもない。
今回、マリオが街に出ていて誘拐の現場にいなかったことは、運が良かったと言えるだろう。
悔しさに歯噛みしているマリオに、パトリシアは静かに囁いた。
「でも、来てくれてありがとう、マリオ。あなたがいてくれて良かった」
耳元で囁き、マリオの頬にキスをするパトリシア。
取り乱して顔を赤くするマリオを見て、リベルタは「やれやれ」と、静かに呆れていた‥‥
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