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<アナザーレポート・PCゲームノベル>


――Bloody Rose(前編)――



◆† An Encounter †◆

 セフィロト第一階層に存在する無天都市マルクト。
 タクトニムの排除により居住可能区域となった地を人はそう呼ぶが、塔全体の面積と比較すると、マルクトは巨大都市とは言い難い。
 国家的な法が失われている所為だろうか、かつて人間の意識下に存在していた正義や罪悪などというものの価値は希薄化し、窃盗や殺人、マフィア間の抗争が常時繰り返されている。それでも、ヘルズゲートの先に広がる無法地帯と比べれば、「生きている人間」が存在しているだけマシなのかもしれない。
「廃墟同然とは言っても生活している人がちゃんと居るんだから、人間の生命力って凄いよね」
 そんな言葉を呟きながら、スピラエ・シャノンは一人、マルクトの中枢にある繁華街を歩いていた。
 娯楽の殿堂と呼ばれるだけあり、繁華街はいつ来ても多くの人々で賑わいでいる。その人込みを縫うようにして歩くスピラエの表情は、いつにも増して明るかった。それもそのはず。つい先程、スピラエは目ぼしいネタを情報屋へ売りつけて金を手に入れたばかりなのだ。
 片手に持った袋を軽く遊ばせると、中からは金の擦れ合う音が聞こえてくる。これだけあれば当分食うものに困る生活を送らずに済みそうだ。
「久々に金が入ったし、どっかで美味い酒でも飲もうかなー」
 久しく口にしていない上等な酒を思い浮かべ、さてどこの店に入ろうかとスピラエが顔を上げた時。メインストリートから逸れた裏路地に、一際目立つ金髪の男が居ることに気づいて、スピラエは足を止めた。
 身なりからして恐らくは軍人だろう。セフィロト内部ではあまり見かけない形の軍服を着た金髪の男が、胡散臭そうな店の前で、これまた胡散臭そうな店主と会話をしている。
 怪訝な表情で受け答えをしている店主に対して、金髪の男は酷く真剣に何かを尋ねている。どう考えても、食い物に困って食料を分けてくれなどと物乞いしているようには見えない。
「……なんか探してるっぽい? マジメに情報求めてる相手ってのはわかるんだよね」
 しかもあのお兄さん情報仕入れる相手を間違ってるよ。と思いながら、スピラエは手にしていた袋をジャンパーのポケットにねじ込んで、二人の様子を窺った。
 スピラエの予想通り、店主はなおも食い下がろうとしている金髪の男を押しのけると、有無を言わさず店の扉を閉めた。一人残された金髪の男は、閉ざされた扉の前で深い溜息を零している。
「俺より年下か、同じくらいかなぁ」
 身長や醸し出す雰囲気だけを取れば二十代半ば程に見えるが、顔立ちはそれよりもやや幼い。
 やがて金髪の男が戸口から離れてこちらへ向かって歩き出したのを見ると、スピラエは意識的に男の傍へと近づき、軽い口調で声をかけた。
「お兄さん、迷子?」
 金髪の男は立ち止まると、スピラエへ鋭い視線を向けて来る。
「俺が迷子に見えるか?」
 愛想の欠片もない相手の物言いに臆する事もなく、スピラエは金髪の男を見上げる。
「何か困っているように見えたからさ。迷子か、もしかしたら何かを捜してるのかと思ってね」
 これでも情報屋を相手に仕事をしているのだ。懇意にしている情報屋から横流しされたネタも多いから、売れる情報なら売って損はない。ましてや相手が軍人ともなれば、それこそ法外な対価をもらえるかもしれない。そんな打算をオブラードに包んで、スピラエは人好きのする笑顔を相手に向けた。
「色々人に聞いて回ってるっぽいけど、ああいう店の人間に聞いたって良い情報なんか手に入らないよ。ことさら軍人相手だと警戒されるし」
「……見てたのか」
「『視界に入った』って言った方が正しいかな。ここじゃそんな長い軍服目立つから」
 スピラエは言いながら、金髪の男が身に纏っている衣服を指差す。
「俺の知り合いに情報屋が結構居るから、人探しとかなら何か教えられるかもしれないよ?」
「……情報屋? お前が?」
「そ、だから……」
 話すだけ話してみなよと、そう言おうとした時だった。突如として路地裏に一発の銃声が響き渡り、スピラエの言葉は遮られた。
 銃声など常日頃聞き慣れているが、繁華街の狭い裏路地で銃をぶっ放す馬鹿も珍しい。
 何事だとスピラエが訝しみながら周囲を見渡していると、不意に上方からポタリと赤い液体が落ちて地面を染めた。見上げると、金髪の男の頬に一筋の傷が出来ている。
「…………っ!?」
 スピラエは驚いて瞳を見開く。だが金髪の男は事も無げにそれを片手で拭いながら、前方――スピラエにとっては後方だが――へ鋭い視線を投げつけている。
 金髪の男の視線を追ってスピラエが後方を振り返ると、そこには品位の欠片も無い男達が、金髪の男に対して敵意もあらわに佇んでいた。数にして十二、三人、いやもう少し多いか。それぞれが手に物騒なものを持っており、その内の一人が握っている拳銃の銃口から、白い硝煙が立ち昇っていた。
 スピラエは男達に視線を向けたまま金髪の男に質問を投げかける。
「……お兄さん何かした?」
「お前に兄呼ばわりされる筋合いはないな。ヨシュアだ」
「こういう状況で名乗れる度胸は大したものだけど、答えになってないよ」
「何時間か前に、正面に居る輩にモノを尋ねて絡まれた。で、ぶちのめした」
「…………はぃ?」
「どうやら俺は逆恨みされたようだな。この手の輩は根に持つから性質が悪い」
 たかだか一発や二発殴ったくらいで大人数引き連れて復讐なんぞ考えつくか? とヨシュアは独り言を言いながら面倒くさそうに溜息を零す。それを聞いたスピラエは半ば呆れたような表情で振り返った。
「……それってヨシュアくんが話しかける相手を選ばないのが悪いんだと思うけど」
 一体この世のどこに盗賊まがいな連中にモノを聞いてまわる奴がいるだろう。人を探すにせよ何にせよ、仕入れたいネタによって話しかける相手も変わってくる。そういった手段を、ヨシュアと名乗ったこの男は持ち合わせていないのだろうか。
 だが呆れているスピラエをよそに、ヨシュアから返ってきた言葉は単純明快な一言。
「話しかけただけで身ぐるみ剥がされる必要は全く無いだろ」
「いや、そうなんだけどね」
「……どうでもいいが、お前、俺に話しかけるタイミングを間違ったな」
 ヨシュアがニッと笑いながら胸元のボタンを外す。売られた喧嘩は買う主義なのだろうか、既にこちらも戦闘態勢というわけだ。
 確かにタイミングが悪かったかなとスピラエは思う。周囲に視線を走らせると、これから行われるであろう喧嘩の気配を感じ取ったのか、いつの間にか裏路地にはスピラエとヨシュア、そして自分たちを取り囲む下衆連中しか居なくなっている。
「お前だけでも逃げろ……と言いたいところだが、無理そうだ」
 巻き込んですまないと謝罪するヨシュアの言葉を聞きながら、スピラエは軽く頭をかいた。
「近接戦闘にはそれなりに自信があるから別に良いけどね。ただ、ちょっと人数が多いかなぁ」
 スピラエはちらりと自分の右腕を眺めた。両利きだから普段の生活にさほど支障は無いが、右腕のパーツには欠陥がある。これだけの人数を相手に、タイミング悪く右腕が機能しなくなると少々分が悪い。
 金儲けしようとするとこれだもんなぁ、と溜息を零しながら、スピラエは常時携帯しているナイフへと手を伸ばした。



◆† Getaway †◆

 所用があって繁華街まで赴いた帰り道だった。真砂・朱鷺乃は突然鳴り響いた一発の銃声に思わず足を止めた。
 タクトニムやモンスターに遭遇するよりは幾分マシだが、白昼堂々銃声を聞いたのは久しぶりな気がする。
「……どこからだろう。かなり近かったような気がするけど」
 呟いて、真砂は微かに眉間に皺を寄せた。メインストリートへ視線を向けると、行きかう人々は皆、知らぬ素振りで各々の享楽に耽っている。マフィア間の抗争が絶えない繁華街では、銃声が聞こえたところで誰も驚きもしないようだった。
 自分に被害が及ばなければ、誰がどこでどうなろうと構わない――。
 そういった感情を、真砂はあまり好まなかった。自分の生い立ちから来るものかもしれないが、困っている人間が居れば助力したくなるし、悲しんでいる人間が居れば励ましてあげたくなる。知人から言わせれば「自ら面倒ごとに足を突っ込んでいるだけ」らしいが、それでも自分の行動に対して相手が肯定の反応を示してくれるは嬉しいものだ。
 今この瞬間、誰かが撃たれて苦しんでいるかもしれないと思うと、このまま何食わぬ顔をして家に帰るのはやはり躊躇われる。
「メインストリートじゃないって事は路地裏か。この辺りで人目につかず喧嘩出来そうなところ……」
 葵に叱られるかなと思いながらも、とりあえず行くだけ行ってみようと決心すると、真砂は艶やかな長髪を揺らして歩き出した。


 大人数の怒声と金属音が真砂の耳に入ったのは、それから直ぐの事だった。
 あらかたの目星をつけて一本の裏路地を曲がった途端、真砂はそれらしき現場に遭遇した。
 マフィアではない。恐らくはこの辺りを縄張りにしている盗賊か何かだろう。仲間割れか、集団で誰かを襲っているのか、真砂にはすぐに判断がつかなかった。だが、争いの輪の中にいる一人の人物が視界に入ると、真砂は思わず驚きの色を瞳に宿した。
「……あの人、朝会った人だ」
 早朝に真砂が繁華街を歩いていた時、メインストリートのど真ん中で何の臆面もなくマシンテレパスを行使していた金髪の青年が居た。
 青年が何のために路上でそんなことをしていたのかはわからない。だが、その姿があまりに真剣だったものだから、真砂は一瞬声をかけようか迷ったのだ。
 結局その時は声をかけずに青年の傍らを通り過ぎただけだったが、もし自分が用事を済ませた後でもう一度会えた時は、青年に話しかけてみようと決意していた。
 だが。
「よりにもよって『次に会えた時』が喧嘩の現場って、タイミング良いんだか悪いんだか」
 真砂はその場に立ったまま喧嘩の情勢を窺った。
 どうやら金髪の青年一人だけで盗賊連中を相手にしているわけではないようだ。傍らに茶髪の青年がおり、金髪の青年に助勢している。
 今は金髪の青年達の方がやや優勢のように見えるが、この大人数を相手に長期戦になれば、二人の方が不利になるのは目に見えていた。かといって自分が喧嘩に加わったら争いを助長してしまいそうで、真砂は判断に迷う。
 と、その時。金髪の青年の背後にまわった男が、金属製の棒を振り降ろそうとしているのを見ると、真砂は頭で考えるよりも早く金髪の青年に向かって叫んだ。
「危ない後ろ!!」
 真砂の声に気づいたのか、金髪の青年が瞬時に振り返り、ぎりぎりのところで攻撃を避ける。
 真砂が安堵の溜息を零した時、一瞬金髪の青年と視線が合った気がした。それと同時に、何人かの男が真砂の存在に気づき、血走った目で睨み付けてくる。真砂はそれに臆する事無く、むしろ金髪の青年と茶髪の青年を取り囲んでいた連中に隙が出来たのを見留め、二人向かってに合図を出した。
「こっち! 走って!」
 金髪の青年と茶髪の青年が、僅かな隙を突いて真砂の方へ向かって走る。真砂はそれを目の端に捉えると、自らも向きを変えて走り出した。
 今の自分に出来る事は、喧嘩に加わって一緒に争う事ではない。
「確かこの近くに、葵の行きつけの店があったはず」
 そう呟くと、真砂は二人を誘導するように全力疾走で店へ向かった。



「マスター悪いけどかくまって!」
 店へ入るなり、真砂はカウンターの内側でグラスの手入れをしていたマスターに向かってそう叫んだ。
 扉が壊れんばかりの勢いで入ってきた三人に、その場に居合わせた客の何人かが怪訝そうな顔をして振り返る。だがマスターは無言で頷くと、カウンターの入り口を開いて真砂達を招き寄せた。
「安全になったら扉を二回叩くから、それまで食料庫に入っていなさい」
「ありがと、マスター!」
 真砂は礼を述べると、金髪の青年と茶髪の青年を先に食料庫へ通し、続いて自らも中へ入り込んだ。食料庫の扉が閉められ、外側から鍵の掛けられる音が響いてくる。それと同時に、店の扉を開ける荒々しい音と声とが聞こえてきた。
「……なんとか間に合ったみたい」
 真砂は扉越しに佇んだまま大きく溜息をつくと、やがて食料庫の電気をつけた。

 半地下の造りになっている食料庫は、入り口こそ小さいものの三人が入り込んでもまだ十分なスペースがあった。保冷の役割を果たしているのだろう。中はひんやりとした冷気が漂っており、走ってきたばかりの三人にとって汗を冷ますには丁度良い温度だった。密閉空間に近い造りの為か、外の声が時折聞こえはするものの何を話しているのかまでは聞き取る事が出来ない。隠れるにはまさにうってつけの場所だった。
 真砂は改めて金髪の青年と茶髪の青年の方へと向き直る。
「私は真砂朱鷺乃……って、いきなり名乗るのも変だけど、とりあえず二人とも大丈夫そうね」
 金髪の青年の頬にある傷が気になったが、既に血は止まっているようだ。大した怪我を負う前に二人を助けて出せてよかったと、真砂は二人の顔を交互に見ながら笑顔を浮かべた。
「助かったよ。ヨシュアくんに話しかけたらいきなり連中に絡まれちゃってさ。あ、俺はスピラエ・シャノン。宜しく真砂ちゃん」
 スピラエと名乗った茶髪の青年がへらっと笑いながら真砂へ挨拶を返す。だがヨシュアと呼ばれた金髪の青年は、真砂に挨拶もせず無表情のままじっと扉の向こうを窺っていた。そんなヨシュアの様子に気づいて、スピラエが声をかける。
「……ヨシュアくん? もしかして疲れてる?」
 スピラエの言葉にヨシュアは「いや」と一言だけ返すと、真砂へと問いかけた。
「大丈夫なのか? あのマスター」
 どうやらマスターの事を心配していたらしい。真砂はヨシュアの言葉に頷く。
「大丈夫。繁華街に店を出す人間は、あの程度の事では動じないから」
「……そうか」
 真砂の言葉で漸く安堵したのか、ヨシュアが初めて笑顔を浮かべた。


*


「ところで、どうかしたのか?」
 束の間の沈黙の後、最初に切り出したのは真砂だった。
 その質問に、ヨシュアが端的かつ真顔で返す。
「何が?」
「『何が?』じゃない。あんな大人数に囲まれて何やらかしたの。それに……」
 そこまで言って、真砂は言いよどんだ。
 何故あんな連中に絡まれていたのかも疑問だったが、それ以上に、今朝見たヨシュアの様子が真砂には気になって仕方がなかったのだ。それを口に出して良いものか少しだけ躊躇ったが、聞かずに後悔するよりはマシだと、真砂は言葉を続けた。
「今朝、メインストリートでヨシュアを見かけた。凄く真剣にテレパスをしていたから、少し気になってた」
 真砂の真っ直ぐな瞳を見て、ヨシュアは微かな困惑の色を見せる。
「……俺の行動はそんなに目立つのか?」
 それに対して、傍らに居たスピラエが笑いながらヨシュアに言う。
「うん、目立つと思うよ。いかがわしい店の店主に平然と話しかけたり、盗賊まがいの連中に話しかけた挙句喧嘩売ったり、あからさまに挙動不審……っていうか、マルクト初心者って感じかな」
「俺はマルクトには住んでいないから、地理が掴めないのは確かだが……」
 そうか、目立つか……とこれまでの自分の行動を省みているのか、ヨシュアは真顔で考え込んでいる。
 真砂はスピラエの言葉から、ヨシュアがテレパスをしていただけではなく、何かを聞いてまわっていたと知ると、窺うようにしてヨシュアへ問いかけた。
「ねえ、もしかして何か探してる?」
 真砂に同意するように、スピラエも頷いてヨシュアを見上げる。
「俺もさっきそう思ってヨシュアくんに声かけたんだよね」
 食料庫を照らしている電球が切れかかっているのか、ちらちらと小刻みに点滅を繰り返している。その明かりの中、二人の物言いたげな視線を感じ取ったヨシュアは、束の間の沈黙の後、何かを思い出したかのようにスピラエの方を見遣った。
「そういえばお前、情報屋と懇意にしていると言ってたな」
「え? ああ、うん」
「……マードゥという情報屋を知らないか?」
 ヨシュアの言葉に、スピラエはふと真顔になる。
「マードゥね……」
 なんか聞いた事があるな、とスピラエは両腕を組みながら思案する。情報屋と一口に言っても、このマルクトの中には数え切れないほどの店が存在する。自分が情報を売りつけた事のある店ならばすぐに思い出せるのだが、そうでないとなると噂で聞いた程度なのだろう。
 スピラエが考えている横で、真砂がヨシュアへ疑問を投げかける。
「何で情報屋を探してるの? 人探しか何か?」
「いや、人探しというよりは……」
 ヨシュアはそこで一旦口篭った。
 その沈黙が、自分達を相手に詳細を話していいものかどうか迷っているように感じられて、真砂は俄かに聞いてしまった事を後悔した。
「言えない事なら別に言わなくてもいい」
 だが、ヨシュアは真砂の言葉に静かに首を横に振った。
「言えないわけじゃないんだ。ただ、俺自身が何を探しているのか良く解らないだけで……」
「良く解らないものを探しているの?」
「俺の上官から、マードゥの店主に『Lillia』と言えば、それがどんなものか詳細を教えてくれると言われた。だから店を探している」
 それを聞いたスピラエが、確認するようにヨシュアへ告げる。
「ヨシュアくんはその『Lillia』ってモノの情報を手に入れたいんだ?」
「正確に言うと、俺が探しているのはセフィロトのどこかにある旧時代に作られた電子チップだ。ここに来る前に少し調べてみたんだが、どうやらそのチップの呼称が『Lillia』らしい」
「それってどんな働きをするチップなのかな……って、解るわけないよね」
「ああ。解っていればさっさと出向いて回収している」
 三人の間に、再び沈黙が訪れた。
『Lillia』と呼ばれる電子チップがどんなものなのか。一体どこにあるのか。それが解らない以上、やはり情報屋を探すのが一番の近道のように思えて、三人は無意識に食料庫の扉の向こうへと意識を向けた。
 収集が付き始めているのか、食料庫の外からは既に声が聞こえなくなっていた。もう少しすればマスターが扉を叩くはずだ。
「とりあえず裏情報っぽいよね……」
 解らない事をいつまでも考え続けたところで埒が明かない。真砂は思い至ると、ヨシュアに力強い笑顔を見せた。
「友達に傭兵と言うか、そういうのに詳しい人居るから……その道の方たちに聞いてみる、とか」
「俺も他の情報屋の連中に聞いてみるよ。俺自身、マードゥってどっかで聞いた事あるし、ちょっとした手がかりがあれば思い出せるかもしれない」
 真砂に続いてスピラエがヨシュアの背中をぽんぽんと叩きながら告げる。「とりあえず肩の力を少し抜きなよ」と暗に言われているようで、ヨシュアは微かに苦笑を零した。
 とその時、食料庫の扉が二度叩かれ、外側から掛けられていた施錠が外された。扉が開かれ、その先でマスターが穏やかな笑顔を浮かべながら、もう外へ出ても大丈夫だと手招きをする。どうやらマスターが上手い事連中を追い払ってくれたらしかった。

 食料庫から出ると、何人かの客がチラリと三人の方を見たが、すぐに我関せずという風に各々の会話へ戻っていく。
 そんな中、真砂はスピラエとヨシュアの二人へと向き直った。
「取り合えずさっき言った知り合いに連絡取るからここで待ってて! 私はあんまり役に立たないけど、疲れたらおぶることくらいは出来るから遠慮なく言ってね!」
 それだけ言うと真砂は二人の返事を待たずに外へと飛び出して行く。それはまるで、大好きなものに目掛けて突進して行く子犬のようで。後に残されたスピラエとヨシュアは、真砂に言われた言葉を反芻しながら、互いに顔を見合わせた。
「俺は女におぶられるような軟弱男に見えるか? スピラエ」
「あはは。まぁ真砂ちゃん体力はありそうだよね。もしかしたらサイバーか、ハーフサイバーかもしれない」
「……ああ、なるほどな」
「それにしても、マードゥか……」
 考えながら「とりあえず座って待ってようよ」というスピラエの言葉にヨシュアが頷き、二人は空いている席へと腰を降ろした。



◆† Drop In †◆

 真砂に呼び出されて店へ向かう途中、倉梯・葵は一度ビジターズギルドへ立ち寄った。
 真砂の話によると「今日知り合った人が、『マードゥ』っていう情報屋と『Lillia』っていう電子チップを探しているらしいから手伝って!」という事らしい。通りすがりの人間にものを尋ねられても、自分が知らない事なら首を横に振れば済む話だろうに、それを「手伝って!」とは、何とも真砂らしいと葵は思う。
 だが、『マードゥ』も『Lillia』も、葵にとっては聞きなれない言葉だった。だからこそ、目ぼしい情報を入手出来るかもしれないとギルドへ立ち寄ったのだが。
「……『Lillia』だって?」
 居合わせた傭兵時代の仲間に何気なく話題を振ると、そのうちの一人が葵の言葉に難色を示した。
「知ってるのか?」
「『マードゥ』に関しちゃ俺の範疇外だから解らねぇが、『Lillia』と言やぁお前……」
 そこまで言うと、相手は言葉を濁した。葵よりも倍近く歳の離れたビジターだった。多くの戦歴を持ち、死線を乗り越えて来た相手が『Lillia』という単語一つで顔色を変えたことに、葵は嫌な予感を覚える。
「何だよ」
 葵が促すと、男は一度間を置いた後で、渋い顔をしたまま話し始めた。
「過去に二度、俺の知り合いが何人か軍に雇われて第一階層へ向かったんだが、一人も戻って来なかった」
「……軍の人間もか?」
 葵の言葉に、男が真顔で頷く。
「傭兵の中でも戦力は上位レベルの連中だった。ヘマやらかしたとしても簡単に死ぬような奴等じゃねぇ。軍に義理なんぞ持ちあわせちゃいねぇから、いざとなりゃ逃げる事だって出来る。だが……」
 そこまで聞いて、葵はゆっくりと腕を組んだ。確かに、戦況が不利になれば撤退する事もあるし、逃走する奴の一人や二人居てもおかしくはない。それが誰一人としてマルクトまで戻って来れなかったとなると、導き出せる答えは一つしかない。
「逃げる間もなく殺されたって事か」
「恐らくはな」
「だが、それと『Lillia』とどういう関係があるんだ?」
 葵は疑問をそのまま男に投げつける。男は無精髭を片手で触りながら一度考え込むと、葵へ視線を向けて話を続ける。
「ヘルズゲートを越える前に知り合いが言っていたんだがな。軍は旧時代の特級品を探していたらしい。その特級品の名称が『Lillia』だ」
「…………」
「二度だ。二度『Lillia』探索に関する話を聞いたが、出かけた奴等は誰一人として帰って来やしねぇ。俺にしてみりゃ『Lillia』ってのは殺人兵器に近いぜ」
「殺人兵器……」
 始めに『Lillia』と聞いたとき、葵は一瞬人の名前かと思った。だが真砂はそれを電子チップだと言い、目の前に居る仲間は特級品の殺人兵器と称した。二人の言う『Lillia』が同等のものを指しているのかは解らない。だが……
 だがもし真砂が知り合ったという相手が軍人だとしたら?
 葵の脳裏に、ふと真砂の顔が過ぎっていった。知らず知らず、真砂はとんでもない事に片足を突っ込んでいるのではないか。
「葵、悪い事は言わねぇ。『Lillia』の探索に出るなら止めておいた方が身のためだぜ」
 葵は心配そうに告げる仲間に礼を述べると、すぐに踵を返して真砂の待つ店へと急いだ。


*


 葵が店の扉を開けると、まず前方に居たマスターと目が合った。マスターは葵を見留めると無言で左方へ視線を遣る。そこには真砂と茶髪の男、そして軍服を着た金髪の男がテーブルを囲んで座っていた。葵は軽く手を上げてマスターへ挨拶をすると、すぐにはテーブルへ向わず、入り口で静かに三人の様子を眺めた。
「……軍人、か」
 呟いて、葵は溜息を零す。どうやら嫌な予感が的中したようだ。
 命がけで軍が手に入れようとしているものが何なのか。興味が全く無いと言えば嘘になるが、傭兵仲間から聞いた事が真実であるならば、迂闊に協力するのは得策ではない。
 傭兵であった頃、何人もの知り合いが死んでいく様を見続けてきた。争いに身を投じるものであれば当然の事だが、それでも大切なものの死を見届けるのは辛い。
 今は亡きサイバーの少女の事を思い出し、葵が微かに表情を曇らせた時だった。
「葵!」
 大きな声で呼びかけられて、葵は顔を上げた。
 葵の姿に気づいた真砂が、がたんと音を立てて椅子から立ち上がる。葵の気分とは裏腹に満面の笑みを浮かべて走り寄ってくる真砂に、葵は微かに苦笑を零した。
「また面倒なことに足突っ込んで……」
「面倒とか言わないでよ。こういう時一番頼れるのって葵なんだから」
 ね? と自分を覗き込んでくる真砂の頭を、葵はくしゃりと軽く撫でる。
「まぁいいか、暇だし」
 そう。『Lillia』に関する事に口を挟むか否かは別として、『マードゥ』という情報屋を探すのはいい暇つぶしになる。
 真砂に腕を引っ張られてテーブルに近づくと、葵は改めてそこに座っている二人を眺めた。
「さっき言った倉梯葵。電子系にも詳しいし、頼りになるから。で、こっちの茶髪の人がスピラエさんで、金髪の人がヨシュアさん」
 葵が口を開くまでもなく、真砂が笑顔で自己紹介を始めている。
 葵は真砂の言葉を聞きながら、意識的に軍人であるヨシュアへ視線を向けた。無表情と言う訳ではないが、横に座っているスピラエに比べると愛想の欠片も無い相手だった。葵の視線に気づいたのだろう。一瞬、葵とヨシュアの視線が交錯する。畑が近い所為か、何処か波長が近い相手のようにも感じたが、それも束の間の事。
「よろしくね、お兄さん」
 スピラエが笑みを浮かべながら、挨拶代わりに葵へと手を上げて来た。葵は視線をヨシュアからスピラエへ移すと「ああ」と挨拶を返し、空いている席へ腰を降ろした。
「ここへ来る前に傭兵時代の仲間に声をかけてみたが、『マードゥ』に関してそれらしい情報を持ってる奴は居なかった」
 葵はあえて『Lillia』に関する言動を避け、三人へ告げる。それを聞いたスピラエが感心したように瞳を大きく見開いた。
「お兄さん行動早いね」
「……葵でいい」
 葵はスピラエの言葉へ端的に返し、椅子へと背中を預ける。
「あとは仕事柄親しくしてる連中・奴等と懇意にしてる娼妓辺りかな、あたれるのは。流石に最後は1人で行くか……」
「うーん。やっぱり地道に探すしかないか。葵だったら何か知ってそうだと思ったんだけど」
 長い黒髪を無造作にかき上げながら告げた真砂に、葵は呆れたような表情を見せる。
「無茶言うな。俺だってマルクトの全域を把握してるわけじゃねぇよ」
「確かにマードゥって名前だけじゃ情報が少な過ぎるよね」
「歩くにしても、多少なりとも目星をつけてからの方がいいだろ。無駄足を踏むほど馬鹿はねぇからな。ところで……」
 葵は真砂との会話を一旦置くと、それまで無言を通していたヨシュアへと視線を向けた。
「俺らはどこまでヨシュアの任務の内容を教えて貰えるんだろうな。苦労する分それなりの事は教えて貰えると思ってはいるけど?」
 言って、葵はヨシュアの様子を窺う。すると、スピラエが葵に同意するように頷いた。
「確かにね。ヨシュアくんが結構必死そうなんで協力するのはいいんだけどさ、探してるものについて俺たちも関わっちゃって大丈夫なのかなーと思ったのは事実なんだよね。軍絡みって厄介だもんねぇ?」
 二人の視線が自分に注がれた事に気づいて、ヨシュアは無表情のまま口を開く。
「俺の任務は『Lillia』と呼ばれる電子チップを入手する事だ。それ以外の事は知らされていない」
「何も知らされずに、ただ電子チップを入手して来いと言われて引き受けたのか? 無茶だな」
「無茶を承知の上で受けた」
「疑問に思わないのか? 自分が何のために動かされているのか。何故軍に居る必要があるのか。関わっている仕事の詳細すら教えて貰えねぇなら、蹴る事だって出来たはずだろ」
 葵の言葉に、ヨシュアが思わず沈黙する。気まずい沈黙だった。だが葵はそれを気にも留めず、じっとヨシュアを見つめながら返事を待った。
 蹴る事が出来ないほどヨシュアが優柔不断なのか、それとも――……
 その場に居た全員が、ヨシュアへ視線を向ける。ヨシュアは沈黙の末に軽く溜息を吐くと、葵の問いに淡々と返した。
「下っ端が上の思惑を教えてもらえると思うか?」
 当たり障りの無い言葉。だが、ヨシュアがあえて明確な返答を避けたのだと言う事を、その口調から葵は感じ取っていた。
「……まぁな」
 何か、蹴ることが出来ない事情があるのだろう。だが、いまそれを無理やり聞き出す必要はない。葵は話題を逸らすべく、自ら先陣を切って話し始めた。
「で? 『マードゥ』と『Lillia』以外に何も情報を持たずにマルクトへ来たわけじゃないんだろう?」
「ああ。ここへ来る前にデータバンクをハッキングしてみた。途中妨害にあってろくな情報を入手出来なかったが、『マードゥ』の店主の事は少しわかった」
 言いながら、ヨシュアは内ポケットにしまっていた小さな片眼鏡を取り出した。眼鏡の左側についた小さなスイッチを押すと、眼鏡が微かに緑光を帯び始める。それを見た真砂が、興味深そうに眼鏡を覗き込んだ。
「それは何?」
「コンピュータだ。以前、旧時代に作られたものを見つけてリバースした」
「リバース?」
 意味が解らずに、真砂が首を傾げる。すると、葵がヨシュアの言葉を補うように真砂へ簡単な解説をした。
「ジャンクから新たに再構築したって事だろ?」
「なんだ、葵と一緒!」
 真砂がそう言った時だった。コンピュータが映写機のような役割を果たし、テーブルの中央へ向けて一枚の画像と文字を映し出した。
「マードゥの店主の顔だ。本名は不明。周囲からはマオ老師と呼ばれていて、背後にマフィアの存在がある。情報屋だと表立って看板を出していないらしいが、それはいざという時、すぐに場所を移せるようにしているからかもしれない」
 テーブルには、皺の寄った老人の顔が投影されている。髪も顎鬚も白く、一見しただけでは穏やかで人の良さそうな人間に見えた。
 その老人の顔を見たスピラエが何かを思い出したのか、唐突に片手を打ちながら話を切り出した。
「あー! 思い出した。何かひっかかってたんだけど、フェイランちゃんだ!」
「……フェイラン?」
 聞きなれない名に、ヨシュアが俄かに眉間に皺を寄せる。
「そう。思い出した。フェイランちゃんが居る店だ。マードゥって結構裏では名の知れた情報屋だよ。この店主、一癖あるしね」
 スピラエはテーブルに映っている画像を片手でコンコンと軽く叩きながら、笑みを浮かべた。どうして忘れてたのかなと呟くスピラエに、葵がテーブルへ視線を向けたまま問いかける。
「店主の性格は?」
「うーん。話していても何を考えているのか全く読めないらしいんだよね。ちょっとやそっとじゃ情報くれないっていうし。何のための情報屋だよって思った事があった」
 スピラエの言葉に、それまで雲を掴むようだった『マードゥ』の存在が、俄かに現実味を帯び始める。
「そのフェイランって子は?」
 真砂が興味を示してスピラエへ問いかける。スピラエはそれに対して嬉々としながら返した。
「店主がセフィロト内で拾ったらしいよ、兄貴がルーファンで妹がフェイラン。マードゥに関して探る気はないけどちょっと興味はある。以前偵察に行った時にチラッと見たんだけど、フェイランちゃん可愛いし」
 最後の一言に、全員が思わず非難の視線をスピラエへ向けた。それに気づいたスピラエは慌てて頭を振る。
「あ、いや、そういう興味じゃなくて……と、とりあえず! 俺マードゥの場所知ってるから、案内するよ!」
 そう言ってスピラエが全員を促すように立ち上がった。その時。

「お待ちよ」
 スピラエの背後から、唐突に四人へ向けて声を掛けてきた者がいた。
 何事かと全員が声のした方を見遣ると、隣のテーブルに座っていた一人の女が、手にしていたグラスを揺らしながら四人を眺めていた。ワンカールウェーブの茶色い髪。ややたれ目ではあるがアイスブルーの瞳が印象的な女だ。女は全員の視線を受け止めると、興味津々とばかりにテーブルへ頬づえをつき、瞳を細めながらこう言った。
「あんた達、マードゥに何の用だい?」



◆† MADU †◆

 ヴェルディナ・アーゼンが四人に声をかけたのは、単なる気まぐれだった。
 仕事で長期休暇を貰い、ぽっかり空いた時間で何をしようか考えた時、ふとマードゥに居るフェイランを思い出した。随分前にマルクトへ訪れた際、フェイランが落とした荷物をヴェルディナが拾った事がきっかけで、マードゥの存在を知った。
 別段何か探しているけでもないヴェルディナにとって、情報屋云々はどうでもよく、フェイランがマードゥに住んでいるという事の方が重要だった。そこに居るいけ好かないじじぃと兄貴は嫌いだが、この荒みきった地で、天然記念物級の癒し系笑顔を見せるフェイランが大好きだった。だからこそ、バーで一杯ひっかけてから久々にフェイランに逢いに行こうと浮かれていたのだが……
 思いながら、ヴェルディナは自分の後ろをぞろぞろとついて来る四人組を振り返った。
「ついてくるのは構わないんだけどさぁ。なんでそう辛気臭い顔してるんだい。特にそこの金髪!」
 ヴェルディナは不機嫌さを隠そうともせず、煩わしげにヨシュアを指差す。槍玉にあげられたヨシュアは一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐにまたいつもの無表情に戻った。
「別に好き好んで辛気臭そうにしているわけじゃない。元からこういう顔なんだから仕方が無いだろう。文句があるなら俺の親に言ってくれ」
「ったく、ガキはもっと愛想良く笑ってた方が可愛げがあるってもんだよ」
 私にまで辛気臭いのが移っちまうよと、ヴェルディナはひらひらと片手を振って再び前方へ視線を戻した。そんなヴェルディナを見て、斜め後ろを歩いていたスピラエが、あははと楽しそうに笑う。
「元気だねー、ヴェルディナさんは」
「そりゃそうさ。マードゥに行くのは久しぶりだからね。けど驚いたよ。私が呑んでるまん前で、クソ真面目にじじぃの話なんかしてるからさ」
「……じじぃというのは店主の事か?」
 ヨシュアの問いに、ヴェルディナが肯定する。
「じじいと言ったらマオ老師のことに決まってるだろ。他に誰が居るんだい」
「会った事が無いんだから俺に解るわけがないだろう」
「……ほんっとに頭の固いガキだねえ。全く面倒くさいったらありゃしないよ」
 ヴェルディナは心底呆れ果てたように溜息を零すと、己の髪をかき上げた。
 この四人がどんな情報を入手したくてマードゥを探していたのかは解らない。深刻な事情があったとしても自分には関係の無い事だ。
「とりあえず、じじぃにモノを聞くときは気をつけな。嘘や誤魔化しが通用する相手じゃないからね」
 ヴェルディナは背後を歩く四人に向って、気まぐれからそんな言葉を紡いだ。それを聞いた真砂が首を傾げながらヴェルディナにたずねる。
「さっきスピラエさんも一癖あるって言っていた。そんなに難しい相手なの?」
「一癖なんてもんじゃないよ! 一見優しそうに見えるから皆じじぃに頼ろうとするけど、一瞬でも隙を見せたら針のむしろに放り込まれるよ」
「針の……むしろ?」
 真砂は無意識に、隣を歩いていた葵を見上げた。その視線に気づいた葵が、真砂へ問いかける。
「どうした?」
「正攻法で聞いてダメだったら、葵そういうの得意でしょ? 任せるよ」
 笑顔で言って、真砂はポンと軽く葵を叩く。
「……お前なぁ」
「ん?」
 真砂に子犬のような笑顔を向けられて、葵は軽く息を吐いた。
「まぁいいや」
 葵にとって、交渉や駆け引きといった類は得意とするところだ。チップの背後事情を聞くだけ聞いてみたいが、ヴェルディナの言葉から判断して、店主がそう簡単に情報を提供してくれるとは思えない。一体どんな人物なのかと葵が思考を巡らした時。ふと先を歩いていたヴェルディナが口を開いた。
「ほら見えてきたよ。あそこがマードゥさ」
 バーを出てからどれくらい歩いただろう。入り組んだ路地を幾重にも折れ、繁華街の中心部からはやや離れたその場所に、マードゥは在った。


*


 一見何の変哲もないバラック小屋のように思えた。
 鉄製の壁は所々赤茶色にさび付いており、戸口は薄暗く重々しい印象を受ける。だが、古びた木造の扉を開いて店の中へ入った途端、スピラエは思わず瞳を輝かせた。
「すげー! 樹が植えてある」
 さほど広くはないが、入り口の正面に客を出迎える為のホールがあり、その中央には天井まで届きそうな高さの観葉植物が置かれていた。マードゥの中は緑で溢れかえり、お茶を楽しむ為のテーブルまで設けられている。
「情報屋っていうからもっと雑然としたイメージを持っていたけれど、何だか意外」
「確かに、セフィロトの中にしちゃ異色だな」
 真砂と葵が周囲を見渡しながら感心したように言う。その横で、ヴェルディナが思い切り浮かれた声を上げた。
「フェーイ♪ 居るか〜い? 遊びに来たよ〜♪」
 先程まで、やれ面倒くさい辛気臭いと言っていた人間が、まるで別人のような声を出した事に、その場に居た四人はぎょっとしてヴェルディナを凝視する。だが、当のヴェルディナはそんな事などお構いなしに、満面の笑顔を浮かべていた。

 束の間の後、小走りに奥からこちらへと向ってくる足音が聞こえ、木々の合間から一人の少女が姿を現した。
 淡い薄紫色の中国服を身に纏い、長い黒髪をみつ編みにして結い上げている。恐らくこれがフェイランと呼ばれた少女なのだろう。両耳に付けた赤いピアスを揺らしながらホールへ遣ってきた少女は、ヴェルディナを視界に留めると、ふわりと柔らかく微笑んだ。
「あ、ヴェルディナさんお久しぶりね」
「久しぶりだねフェイ。元気だったかい? じじいと兄貴に苛められてないかい?」
 言うや否や、ヴェルディナは傍らに走りよると、力いっぱいフェイランを抱きしめた。ヴェルディナの体中からハートマークが飛び散っているように見えるのは気のせいだろうか。突然抱きしめられたフェイランは、一瞬驚いたような表情を浮かべたが、それを払いのける事はせず、穏やかにヴェルディナへ返した。
「おじい様もお兄様も元気よ。ヴェルディナさんは相変わらずね」
「は〜相変わらず良い触り心地だねー。もうほんっっとにお持ち帰りしちゃおうかな♪」
「あの……ヴェ……えと…………」
 冗談とも本気とも取れるヴェルディナの言葉に、流石のフェイランもやや困惑気味に言葉を詰まらせる。
 そんなヴェルディナとフェイランの様子を遠巻きに眺めていたスピラエは、両手を頭の上で組みながらへらっとした笑顔を見せた。
「やっぱり草食動物系だよねーフェイランちゃん。人畜無害っていうの?」
 だが、傍らに居たヨシュアはそれを冷静に聞きながら、ぼそりと一言呟いた。
「それ以前に、あれは助けた方が良いんじゃないのか? 俺には明らかに助けを求めているように見えるんだが」
 どうやらヨシュアには、フェイランが巨大な蛇に巻きつかれた小動物のように見えるらしい。
 よくよく見ると、ヴェルディナに抱きしめられて動けないでいるフェイランが、こちらへ視線を投げかけていた。なるほど確かに助けた方が良さそうだ。だが、誰がなんと言って静止に入ればよいものかと、全員が顔を見合わせた時。
「……騒がしいと思ったらお前さんか、ヴェルディナ」
 穏やかな声と共に、のんびりとした歩調で奥から一人の老人が姿を現した。
 白い髭を蓄え、フェイラン同様、中国服を身に纏っている。マードゥへ向う前、ヨシュアが全員に見せた写真と同じ顔の老人――
「……マオ、老師」
 四人が瞬時に思った事を代弁するかのように、ヨシュアがその名を口にする。
 声をかけられた老人は、ゆっくりと視線をヴェルディナから入り口へ向けると、そこに佇んでいた全員を見渡しながら瞳を細めた。
「ほほう。これはまた……血なまぐさい連中がおるの」
 マオから穏やかな気配が消え、一転して威圧的な空気が取り巻き始める。表情は穏やかなままだが、四人に向けられた瞳は決して笑ってはいなかった。
 まるで自分達を値踏みしているようなマオの視線に、葵は微かな嫌悪感を覚えた。葵がちらとヨシュアの方を見遣ると、ヨシュアも葵と同じ事を考えているのか、半ばマオをにらみつけるようにして眉間に皺をよせていた。
「……久々に面白い連中を連れてきたな、ヴェルディナ」
 葵とヨシュアの心中を知ってか知らずか、マオは皺の奥に隠れた瞳を光らせながら、含みのある笑みを零した。



◆† Lillia †◆

 静かだった。
 ホールに置かれたテーブルへ座るようマオに促され、全員が席についてから随分と長い沈黙が続いている。ヴェルディナから聞かされたマオの性質を考えると、どう話を切り出したらよいのか誰しもが判断つきかねているようだった。
 マードゥを探していたのはヨシュアなのだから、始めに口を開くのはヨシュアであるべきなのだが、とうのヨシュアでさえ依然話を切り出さない。
 そんな静寂の中、フェイランがお茶を入れた蓋碗を人数分、奥から運んで来た。それに気づいたマオがフェイランに告げる。
「フェイ。仕事の話をするからお茶を置いたら下がっていなさい」
 フェイランを邪魔だと言っているように受け取れて、ヴェルディナがすかさずマオに対して不満を零した。
「なんだい。フェイが居たっていいじゃないか」
 けれどフェイランは、マオとヴェルディナの二人を交互に見遣った後で、困ったように微笑んだだけだった。全員の前に蓋碗を並べ終えると、フェイランはマオの言うとおり奥へ下がって行く。その後ろ姿を眺めながら、ヴェルディナが心配そうに呟いた。
「……あんな事言って、フェイが傷ついたらどうすんのさ」
「フェイはあれくらいの事では落ち込まんよ……それに、あの子の前で血なまぐさい話はせん方がいい」
「血なまぐさいって、そういう話かどうかもわからないじゃないか」
「わかるさね。軍人とビジターがおるからの」
 言いながらマオは顔を上げると、スピラエ、葵、ヨシュアの三人を見つめた。
「お前さん方、この老いぼれに何の用かな?」
 自らを老いぼれと称してはいるが、既にマオは四人を単なる茶飲みの客ではなく、仕事相手として捉えているようだった。
 やがて、マオが切り出すのを待っていたかのようにヨシュアが話を始める。
「『Lillia』という電子チップを探している。上官からマオ老師に聞けば詳細を教えてくれるといわれてここへ来た」
「……ほう?」
 『Lillia』と聞いた瞬間、マオの顔つきが変わった。瞳を細め、口元を微かに歪ませながら意味ありげな笑みを浮かべる。それを見た葵は、傭兵仲間から聞いた『Lillia』に関する噂を思い出した。やはり『Lillia』というモノには何か裏がありそうだ。
 と、スピラエがお茶を一口飲んだ後でマオへと話しかけた。
「俺、カネないし。持ってる情報優先的にまわすとか仕事請け負うとかくらいしか出来ないけど、ヨシュアくん結構必死だから、教えてあげてくれないかな」
 これ以上街中で喧嘩が増えるのは嫌だからねーと、ここへ来るまでの経緯をスピラエは思い出しながら呟く。傍らにいた真砂もそれに頷き、マオへと視線を向けた。
「私も出来る事なら協力したい。その電子チップを何故軍が必要としているのかは知らないけど、どのようなものか興味がある」
 意志の強そうな口調で告げた真砂へ、マオは笑顔を向ける。だが、束の間の沈黙の後で、マオはゆっくりと椅子から立ち上がった。
「真っ直ぐな心根は若いからこそ持てる代物さね……が、それが命取りになる事もある」
「……命取り?」
「帰りなされ。死にたくなければ深入りせん方がいい」
 情報を与えるに相応しい相手ではないと判断したのか、マオはその場に居る全員へ背を向ると、奥へ戻ろうとした。そんなマオに、ヴェルディナが思わず食って掛かる。
「知りたいっていうんだから、教えてやりゃぁいいじゃないかじじぃ! それで誰が死のうが死ぬまいが、じじぃにとっちゃ関係ない話だろ?」
「そう。関係ない話さね。だが、わしがこの四人に情報を与えるか否かも、お前さんには関係のない話じゃろうて」
 ヴェルディナが思わず言葉を詰まらせる。睨みをきかせたところで通用する相手では無いと百も承知だったが、あまりなマオの物言いにヴェルディナは怒りをあらわにした。
「確かに! 私は『Lillia』ってモノの情報を死ぬほど知りたいって訳じゃないから、どうでもいいっちゃいいけどさ。けど折角ここまで辿り着けた奴等なんだ。少しくらい手がかりになるような事を教えてやっても良いじゃないか!」
 ヴェルディナの怒声が店内に響き渡り、やがて沈黙が訪れる。
 その険悪な空気を崩すように、酷く陰鬱とした面持ちで、ヨシュアがマオへ懇願するように言葉を紡いだ。
「……妹の命がかかっているんだ。頼む、チップのある場所だけでも教えてはもらえないか」
 その言葉に、真砂とスピラエが思わずヨシュアを眺めた。ヨシュアは手をきつく握り締めたまま、視線を下へ落としていた。前髪に隠れてその表情は見えなかったが、唇をかみ締めているのがわかる。
「死なせたくないんだ。生きていて欲しい。頼む……」
「……肉親の命の為に自分の命を捨てるとでも?」
 マオの表情から笑顔が消える。ヨシュアはマオの問に首を横に振った。
「俺が死ねば、妹は独りになる……」
 だから死ぬわけにはいかないのだと、振り絞るようにして話すヨシュアに対し、マオは何かを考えるように己の顎鬚を撫でると、一つの疑問を投げかけた。
「……お前さんはどこまで調べたのかね?」
「軍のマザーコンピュータには何重にもブロックがかけられているから、チップの詳細まではわからない。だが、軍施設の創設に携わった人間の中に、一人気になる奴がいた」
 ヨシュアはそこで一旦言葉を置くと、真っ直ぐにマオを見つめた。
「俺の居る軍施設の創始者は5人。その内の一人の名が、『リリア・カルーシエ』」
「リリア? それって電子チップと同じ名前じゃん!」
 スピラエが、ヨシュアの言葉を聞いて思わず身を乗り出した。ヨシュアはスピラエに頷くと話を続ける。
「軍が血眼になって探しているものは、過去にリリア・カルーシエが作った電子チップだと、俺は考えている」
 チップに『Lillia』という名がつけられているのは、リリア自らが作り出したからだろう。そうでなければ、たかがチップ一つに名称を付加する必要はない。
「……CPUじゃよ」
 不意に、それまで静かにヨシュアの話を聞いていたマオが口を開いた。重々しい口調に、全員が一斉にマオへと視線を向ける。
「CPU?」
 無意識に、スピラエはマオの言葉を反芻していた。
 マオは一度溜息を零し「わしも情に脆くなったものだ」と苦笑すると、スピラエに詳細を説明する。
「中央処理装置。人間に置き換えるなら頭脳の事さね」
「頭脳……」
「『Lillia』というのは、正式には旧時代に開発されたCPUの呼称じゃよ。ヨシュアの言うとおり、そのCPUを開発したのは、リリア・カルーシエだと言われとる」
 気まぐれなのか、それとも心境に変化があったのか。マオが全員の顔を見渡しながら話し始めた。
「審判の日直前に完成に至ったと話に聞いたことがある。それまで使用されていたCPUとは比較にならないレベルのものを、かつて軍が創り上げたとな」
 マオは言いながら、再び椅子に腰を降ろした。ぎしりと、椅子の軋む音が周囲に響き渡る。
「だが完成と同時に、CPUは何者かによって軍施設から盗まれたそうじゃ。誰が何故盗んだのかは解らんがの。それがいつの頃からか、セフィロト内部に隠されているという噂が流れた……お前さん方が探している『Lillia』は、それの事さね」
「……一つ聞きたい」
 話を聞いていた葵が、不意にマオへと言葉を放った。
「ここへ来る前に『Lillia』に関する噂を聞いた」
「ほう? どんな噂かね?」
「『Lillia』探索に出かけた人間が誰一人として戻ってこないって言うのは本当か? 知り合いは『Lillia』が殺人兵器まがいの代物だと言っていた」
 葵の突然の言葉に、真砂が驚いて葵を眺める。
「葵、そんな事知ってたの?」
「不確定要素が多すぎたから黙ってた。下手な情報は全員を混乱させるだろ」
「それはそうだけど……」
 情報を持っていたのなら、自分にだけでも教えてくれれば良かったのにと、真砂は微かに不満の色を浮かべる。葵は一度真砂を見つめた後で、再びマオへと話を切り出した。
「CPUはそれを繋ぐ回路と動力がなければゴミ同然の代物だろ。単体じゃ何の働きもしねぇのに、何故誰も帰ってこない?」
 マオはそれを聞くと、ふむと大きく息を吐きながらテーブルへ肘をついた。
「……お前さん、葵と言ったかの」
「ああ」
「過去に一人だけ、『Lillia』を見つけたビジターがマルクトまで戻ってきた。……尤も、内臓を引き裂かれて、絶命する寸前だったがの」
 マオは言いながら、微かに視線を落とす。五人の間に緊迫感が走った。
「……行くというなら、場所を教えてやらんこともない。おまえさん達次第じゃよ」
 知りたいのなら、己のその目で確かめてくるといい。誰が死のうが死ぬまいが、わしには関係ない――。
 どうするね? と、マオはゆっくりと面を上げ、その場にいた全員を見渡しながら冷笑を浮かべた。




To be continue.



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  ◆Ж 登場人物(この物語に登場した人物の一覧)Ж◆
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【整理番号/PC名/性別/年齢/クラス】

【0652/倉梯・葵/男性/21歳/エキスパート】
【0758/スピラエ・シャノン/男性/22歳/ハーフサイバー】
【0776/真砂・朱鷺乃/女性/18歳/エスパーハーフサイバー】
【0814/ヴェルディナ・アーゼン/女性/23歳/エスパー】
*
【NPC0321/ヨシュア・サリス/男性/19歳/エスパー】
【NPC0334/マオ老師/男性/??歳/エキスパート】
【NPC0340/ラン・フェイラン/女性/18歳/エキスパート】

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  ◆Ж◆       ライター通信       ◆Ж◆
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初めまして、綾塚と申します。
この度は「Bloody Rose(前編)」にご参加下さいまして有難うございました。
初のサイコマ作品ですので、非常に気合を入れて書かせて頂きました。極力解りやすいように書いたつもりではありますが、お読み頂くのに少々頭を使う話かもしれません。そして上から通しで読んで頂きませんと、話の筋が解らなくなるかと思います。。お茶を用意してのんびり読んで下さると嬉しいです。また、口調や性格等極力気をつけて書いたつもりですが、イメージとそぐわない点がございましたら遠慮なくお申し出下さいませ。ではでは、後編でもお会い出来ることを願っております。


真砂・朱鷺乃 様

二度目に出会った時に声をかける…というプレイングを拝見し、二度目は意外性を持たせようと考えて、喧嘩真っ最中の時に遭遇という展開にしてみました。そして勝手に行きつけの店を作ってしまって申し訳ありません(><)。口調がやや心配なのですが、愛情表現が犬っころ系という点で、真っ直ぐさを全面に出してみました。
 それではまたご縁がございましたら、どうぞよろしくお願いいたします。