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君がくれた一杯の水
《 贖 罪 》
灰色の雨が降っていた。
灰色に沈む色褪せた世界の中に。―――どうしてここは真っ暗じゃないんだろう。
ゴミ山の瓦礫の上に。―――だけど自分はゴミにもなれない。
何故だと問われたら、今でも自分にはわからないが。その場所が自分の行き着く場所には相応しい気がした。
雨は、自分の掌を赤く染めるものを洗い流そうとでもいう風に降り注いだけれど、どんなに流れてもそれは消せない染みだった。それを握り締めて、姫抗はその場に倒れこんだ。
その日、という言い方はもしかしたら微妙に違うのかもしれないが、その日、自分は、兄弟とも呼べた親友を自らの手で殺してしまった。
事故だといえば事故だったのかしれない。
だけどそこに、どんな理由があろうと、一人の人間の未来を奪ってしまった事に変わりはない。いや、そんな言い方はおかしいだろう。何人もの命を奪っておきながら、今更何を甘い事を言っているのか。戦乱の世だったのだ。一生にどれほどの数の死と向き合うことになるのかわからない。その覚悟をもって戦に臨んでいたはずだ。
けれど、たった一人の人間の死に自分は付いていけず、それを受け入れる事も出来ないなんて。きっと、ただ狡いだけだ。
罪を償わなくてはいけない。
なのに、結局自分がした事は、そこから逃げる事だった。その現実から逃げる事だった。
ここがどこかなんてわからない。
逃げて辿りついた場所だ。
だけど現実から一度逃げてきてしまった自分に、最早新天地などありえない。
自分は親友を殺したのだ。
そんな自分に自分の過去を知らない者達に囲まれてやり直せる未来などない。
わかっている。
わかっているはずだ。
この手の中に残る血は、一生消えることのない染みだ。この断罪は永遠に続く。生きる価値もない。ならいっそう、このままこのゴミ山の中で朽ち果てるか。ゆるゆると死んでいくのか。それもいい。それこそ自分に相応しい。
目を閉じた。
閉じた瞼に強い閃光が走る。
雷が鳴った。
雨の音に混じって瓦礫を踏む人の足音が近づいてくる。
「……ノイテルキアカ」
傍で人が何か呟いていた。言葉がわからない。
ただ、痛んだ胸に暖かいものを感じてハッとした。
飛び起きる。
体の傷が治っている。
「何をするんだ!?」
気付いたら怒鳴っていた。自分はこのままゆるゆると死んでいくのだと思っていた。それが一番相応しい。
「ナハオドシイテタヤノッソタダノンニナ!」
よくわからない言葉で男が怒鳴った。
怒鳴られて、男を見て、絶句する。
青い髪。空みたいな青い髪。灰色の雨空にそれは何とも色鮮やかで、こんな青い髪をした人間を自分は見た事がない。
ここは天国か、なんてぼんやり考えた。
いや、親友を殺した自分が天国なんて場所に行けるわけがない。なら、ここは地獄なのか。
「シダッノテイイカルチカリカナミカナラリタハッヒナカガッヨテオカニラデミマッルツエカゾ」
男は顔を近づけると、やっぱり不可解な言葉で今度は諭すように言った。
「イゾ……チル……ニエイカソデイ」
男は自分の前に山のようにゴミを積み上げて、自分は少ないゴミを手に顎をしゃくった。
言葉はわからなかったが、どうやらそのゴミ――ではないのか――を持って、付いて来いと言っているらしい。
困惑げに荷物を持ち上げる。
男がすたすたと歩き出すのに、抗は一つ息を吐き出して後に従った。
◇
連れてこられたのは、変わった様式の建物だった。壁には蔦が這い、廃墟のようにも見える。ドアからではなく、窓から出入しているところを見ると、やっぱり廃墟なのだろう。
男はここに、一人で住んでいるのか。
男が指差す場所へ荷物を置いた。
暖炉に男が木の枝を入れて火を点けようとしているらしい。自分は無言で手を伸ばした。
手の平に火花が散る。
すぐに火は木に移った。
男が驚いたように自分を見返し、何か話した。相変わらず、彼の言葉はさっぱりわからない。
自分はぼんやり火を見つめていた。
男が背後で何かを始めたが気にも止めなかった。濡れた服が火の熱でゆっくりと乾いていく。冷えた体がぬくもりを取り戻した。
だけど世界は相変わらず、色褪せたままだった。
手の平の赤が消えない。
消せるわけもない。
どれだけそうしていたのだろう。やがて男が肩を叩いた。
鼻腔をくすぐる食べ物の臭い。それは空腹を刺激した。この期に及んで腹は減るのか、と思うと嫌気がさした。
あいつはもう、腹を減らす事もない。美味しいと感じる事も味わう事も食べる事も出来ない。
「もう、構わないでくれ!」
そう言って男の腕を払った。
だけど言葉が通じないのか怒鳴り返される。何を言っているのかわからなくて、イライラと立ち上がると、自分は自分自身の感情を持て余すように、テーブルの上にのる料理を皿ごと払い落としていた。
皿が床に落ちる。床はスープを吸った。
男の手があがる。頬を殴られた。殴られたという割りにはあまり痛みを感じなかった。そういった感覚が麻痺してしまっているのかもしれない。
捲くし立てられる怒声。相手が怒っているのだけはよくわかる。当たり前だ。せっかく作ってくれたものを台無しにしてしまったのだから。
だけど。
自分でも何が何だかわからなくて、この感情の吐露する方法がわからなくて、どうしていいかわからなくて。
ただ、死にたかった。
「死にたいんだ」
言葉は通じない。
だから―――。
行動で示した。
台所に置きっぱなしになっているくだものナイフを取る。死にたい一心で。
あのガラクタの山の中で、自分はガラクタに埋もれ朽ちていくはずだった。
何でこんな所にいるんだろう。
自分の首に刃をあてる。そのまま一気に切り裂こうとした。
赤い血がポタリと落ちた。
自分のではなかった。
男がナイフの刃を握っていた。
だから自分は切れない。切れているのは、彼の手の平。
床に小さな血溜まり。
まるで赤い花が咲いたように。
あの時も、親友の胸に赤い牡丹の花が咲いていた。
ナイフが手から滑り落ちる。
体が強張って、手が震えた。
それがゆっくりと全身へ広がっていく。
自分の体を自分の両手で抱きしめて、うずくまる。
―――怖い。
「ナインオダ?」
不思議そうな顔をして覗き込む。
「アラアホモラウカナタオッ」
広げられた彼の手の平に傷はない。
「モナウルダスイニジキョダウブ」
だけど。
どうしようもなく震えが止まらない。
親友を殺した。
そしてまた自分は人を傷つけた。
早く死ななきゃ。自分はまた繰り返す。だから早く。
「何で邪魔するんだ!!」
声はかすれて声にもならない。
男はそれに背を向けた。
自分は全身の力が抜けるのを感じてそのままぐったりと床に倒れこんだ。
今度こそ見捨てられた。
それでいい。
傷つけてしまう前に。
もう誰も自分に近寄らなければいい。
少し休んで、そしたら彼の迷惑にならないようにこの廃墟を出て、そこで。
ぼんやりそんな事を考えていたら、男が戻ってきた。
彼は目の前に、透明な器を置いた。
中には透明な液体が入っている。
たぶん、水。
「ミダズ」
男が言った。
飲め、と言ってるようだった。
何で―――。
声を出そうとして声が出なかった。その時初めて自分の喉が渇いている事に気が付いた。
自分は男の顔を見上げて、それから器を見た。
ただ脳裏で繰り返される言葉は「どうして」という疑問。だけどそれをいくら問うてもわかるまい。言葉は通じないのだから。
そして口ほどに語ると言われる目を見ても、無表情を湛えるだけのその男が、何を考えているのかさっぱりわからなかった。
もしかして、水じゃないのか。なんて思ってみた。水じゃなくて、例えば自分の望みを達するための毒なら、この場が血で汚れる事もない。
それを取り上げた。
喉の奥へ流し込む。
―――美味しい。
それは、ただの水だった。
水がこんなに美味しいなんて。知らなかった。
「水……」
「It's water.」
「イッツ ワター」
「water.」
「ワター……water……」
頬を何かが濡らした。
それが涙だと気付くのに、それほどの時間は必要なかった。
たぶん、親友を失くしてから、初めて泣いた。
それから必死で、この世界の言葉を覚えた。
話さなきゃいけない事があった。
彼に話さなければならない事が。
「親友を殺してしまったんだ」
「それで?」
「だから……その……俺はここにいてもいい……のかな?」
「借りを返してもらうまでならな」
「え?」
「断っておくが、あの水は貴重だからな」
「……うん」
だけどあれから、借りばかりが増えていく。
《 End 》
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┃登┃場┃人┃物┃紹┃介┃
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / クラス】
【0641/ゼクス・エーレンベルク/男性/22歳/エスパー】
【0644/姫・抗/男性/17歳/エスパー】
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┃ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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ありがとうございました、斎藤晃です。
楽しんでいただけていれば幸いです。
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