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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


July,21. ── A.M.L.

 中空に視線を彷徨わせた後、急に朱鷺乃がポンッと手を打った。
「わかった」
「何が」
「21日、私の誕生日だ」


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 ────改めて確認するのもアレだが、ここはひとつ。

 真砂朱鷺乃は、過去に遭遇した事故のため、正しい姓名を始めとした記憶を失っている。身体をハーフサイバーとしなければならなかったほどの事故だから、その凄惨さは推して知るべし。普段の彼女のあっけらかんとした態度からはなかなか想像し難いが、傷は、目に見えない欠損として彼女の身にも精神にも残されている。
 それについて陳腐な同情をするほど自分は愚鈍な優男ではないが、彼女の傷を無視するほどの冷血漢でいるつもりもない。瑕疵の一つや二つ、誰しも(無論自分も)来し方に刻んでいるものだ。
 なので、彼女がとある朝。デジタル時計に表示された日付が妙に気になって、彼女の自宅から自分の住処に至る道中うんうん唸りながらやって来て、そしていきなり自分の目の前で自身の生誕日を思い出したのだとしても。
 それは責めるべきことではない、ああ全くさっぱり全然無い、皆無、ナッシング。彼女は当然悪くない。

「……ってことくらい、解ってるんだ」
 そこまで考えて、ふう、と。
 倉梯葵は天井に向かって嘆息を吹き出した。まるで、煙草の紫煙でも立ち昇らせるかの様に。
 葵は自室の真中に腰を下ろし、機械整備の工作具を片手に先ほどから一人押し問答を繰り返していた。喩えるならば暖簾に腕押し、つまり何度試みようと意味が無い。
「だから、それも、解ってる」
 半ば苛立たしげに、そして大半は諦観を滲ませて、葵は悶々とした思考を振り払うかのごとく首をうち横に振った。それから手元に視線を戻し、作業が案外進んでいたことを今更ながら悟る。
 ────これ、完成するな。
 ────いや、完成させるために作ってる。当たり前だ。
 ────……だから、そういうことじゃない。
 自分VS自分の一人脳内サミットが再開してしまったことにはたと気付き、それから少し脱力。そして、いい加減納得することに決めた。こんな百面相は甚だ自分らしくない、と漸く腹を括る決意をした、とも言う。
「……まあ好いか悪いかで言ったら、“好いこと”、だし」
 手の中のモノを戯れに転がす。放たれる鈍い光を黒曜石の瞳で受け、葵は、自身でも判らぬほど淡く口許を綻ばせた。


++++++++ ++++++++


 おめでとう、私。
 その一言を呟こうとして、しかし朱鷺乃は躊躇した。そして、呑み込んだ。
 起き抜けの呆けた頭で、枕元の液晶画面に表示された時刻と日付を暫し眺める。July,21──色付いた文字が視界の中で浮かび上がり、朱鷺乃はやはりと確信する。
 やっぱり見覚えがある、気がする。
 これは、今日は、私の日だ。
 過去を身体の一部と共に失ってしまった朱鷺乃にとって、確かめられる“自分”は、この瞬間の思考と肉体にしか存在しない。それは、命有るものとして至極不安定なアイデンティティ……なのかもしれないが、正直なところ不自由を感じたことは余り無い。
 今、自分には着替えたり顔を洗ったりする腕がある。今、自分には鏡を覗き込む紅玉のような瞳がある。そして今、自分には彼の家に向かう足と、それを高揚として感じる心がある。
 全体として見れば足らないところがある自分だけれど、生きることに不自由は無い。生きていられるというその事実、そっちのほうが重要だ。
 ────それより何より、今日葵が「遊びに来い」って言ったほうが、私には大事なことなんだ。
 自分で自分に頷く、そして唇の端をふふぅと上げた。

 葵からの誘いを受けたのはほんの2日前のことだ。
 いつものようにヘブンズドアで逢い、共通の友人も交えて談笑し、飲んで食べて。その帰り際に、彼が思い出したように言った。
『明後日、暇だったら遊びに来るか』
 遊びに、来るか。朱鷺乃は瞬時に反芻した。
 これって、これってさ、すごい言葉だよね。
 だって遊びに行くんだよ、特別な用事とか必要に迫られてとかじゃなくて、私が葵の家に行くってことだけを目的にしてる。
 葵が、そうすることを望んで、それを私に告げたんだ。これって、何て、すごいこと!
 彼に対してイルミネーションのような好意を持っている朱鷺乃である。無論、間髪入れずに叫んだ。──行く!
 運良くその日には何の予定も無かったし、もし仮に何かがあったとしてもそちらをキックアウトしていた自信がある。彼に逢うことは造作も無い日常だが、こうして招かれるのはなかなか無い機会だ。イッツ、レア。

 というわけで、その当日である今日。
 葵宅に向かう朱鷺乃の足取りは、羽根でも生えているかのように軽かった。水に浸かったら沈んでしまうハーフサイバーの身ながら、まるで風船のようにふわふわだった。

 ────何たって、“今日”なのだしっ。


「来たか」
「お邪魔します」
 玄関で迎えてくれた葵に、朱鷺乃はそう言ったきり足を踏み出そうとしなかった。
 道を開けようと壁際に身を引いていた葵はやや面食らったらしく、ほら、と顎で促してきた。が、朱鷺乃は仁王立ちで粘った。
 眉間に微かな皺を刻む彼と、不敵に笑んだままの自分と。数秒、奇妙な沈黙が流れたのに、彼は居心地悪くなったのだろう。
「……何なんだ」
「うん、もうひと声」
「は?」
「だから、私に言うことがあるよね?」
 彼の皺が数ミリほど深まり、視線が、僅かだが自分から外れた。
「……あー、今日はおまえの誕生日、だったな」
「そう。今日は私の日だよ。だから、」
 ちら、と彼が自分を見る。自分は、上目遣いで彼を見上げる。
「だから、私にとっては特別な日だと思うんだけど……葵にとっては?」
 暫し、またしてもの沈黙。
 やがて彼はふいと背を向けると、
「おめでとう、だな」
 先を行きざま、自分の肩をぽんと軽く叩いていった。
 口許で、笑みがクラッカーのように砕けた。

 部屋は思いのほか片付いていて、その中央、テーブルの上に並べられた料理の数々に、朱鷺乃は足を踏み入れた途端目を奪われた。
 数々と言っても、(知識としてしか知らないが)フルコースなんて豪勢なシロモノではない。スライスされたフランスパンにシーザーサラダ、それからフライドチキンが幾つかに、あとはワイン、という至ってシンプルなラインナップだ。
 だが、朱鷺乃はこれだけでも十二分に感動した。目を白黒させるくらいに感激した。
「わ、私のため?」
 らしくなく上擦ってしまった声、斜め前に立つ彼に訊く。
「大したものじゃない」
「ううん! そんなことない、私のためにってことなんだから……嬉しい! ありがとう、葵!」
 興奮そのまま、両手を握り拳にして謝意を表せば、彼は吹き出すようにして口許を緩ませた。
 じゃあまあ座れよ、と促されて床に腰を下ろす。いつも来ている部屋なのに、何だか今日はむず痒い感じ。落ち着かず、何度も座り直していると、隣りのキッチンに引っ込んでいた彼がもう一皿、追加を持って来た。白い皿に鎮座していたそれを見て、本日2度目、目を瞠る。
 テーブルに、コトリ、と置かれたそれは、香ばしい茶色に焼きあがったパウンドケーキ。表面に見える黒と褐色の粒粒は、多分レーズンやクルミだろう。
「中に、フルーツも入ってるから……って、ケーキ屋の店員が言ってた」
 まじまじとケーキを検分していた自分に彼が補足し、そしてケーキの表面に──さくり。赤と白のストライプ、蝋燭を1本突き立てた。
「先に言っておくが、誕生日の祝い方なんて俺はよく知らない。だから、少しくらい間違ってても文句は言うなよ」
 蝋燭の先端に、カチリ、彼がライターで火を灯す。小さな炎がちろちろと揺れて、自分は、その明かりから目を離せなくなった。彼が不審そうに眉を寄せるくらいに長い間、ずっとずうっと凝視めていたら────胸がぎゅっと、音を立てた。
「……どうすればいい?」
「え? あぁ、この火、吹き消せばいいんだ」
 自分は思わず俯いた。そして気付かれないほどささやかに、首を横に振る。

 違う、違うよ葵。そうじゃない。
 私は、どうすればいいかな。こんな風に祝ってもらって、私は、葵にどうやってお返しすればいいかな。
 正直、今日を指定された時点で色々予想はしていた。自分にとって特別な日を彼が知ることで、彼がどんなリアクションをしてくれるのか──そこに含まれる好意も含めて、期待していなかったと言えば嘘になる。
 今朝だって、どうせ「おめでとう」を言われるなら一番は自分より彼が良いと思って、わざと口に出さなかった。そのくらいには、彼の意図を感じてた。
 でも、でもね。知らなかったんだ、こんなに嬉しいなんて。
 自分の命を、生きていることをこうやって祝われること。それを葵がしてくれることが、こんなに嬉しいなんて私は知らなかった。
 だから、どうすればいいのかわからない。どうやって、伝えればいいのかわからない。
 葵に伝えたい気持ちばかりが募っていくよ。
 いつか、いつかって、先送りにしちゃうけど、その重みがどんどんね、増えていくんだ。

「ほら、消せって」
 うん、と頷き、顔を上げた。
 ありがとう葵。今はそれだけ伝えて、彼を見つめながら火に息を吹きかける。
 彼は目を細めて、それからゆっくりと口にした。
「────誕生日おめでとう、朱鷺乃」


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 用意した料理を惜しげもなく胃に収めていく朱鷺乃を見ながら、まるで餌付けしてるみたいだ、と葵は小さく苦笑した。
 見かけこそ女性のそれだが、言葉遣いや発想の仕方が、自分から見ればまだまだ子どもっぽい──むしろ、何だか犬っぽい。取り分けたケーキを満面の笑みで頬張る姿を見ていると、何だかふわふわの耳とかふさふさの尻尾とかが幻視てくるような気が……しかもそれが、ぱたぱた振られているような気が……。
「ねえねえ、葵も食べなよ」
「あ、ああ。いや、食べてる」
 ────前言撤回。さすがにそんなの見えたらまずくないか、自分。
 視力優良なはずの眼球をぐいぐいと押して気を取り直す。よし、耳も尻尾も消えた、無問題。
 気付けば、テーブルの上の料理たちはあらかた片付けられつつあった。美味しい美味しいと次々口に運ぶ彼女の感想、我知らず安堵する。これでも、自分としては奮発したほうなのだ。
「実はね、」
「ん?」
「今日、朝食抜いてきたんだ」
「……待て。当てにしてきたのか?」
「というか、早く来たかったから、とか?」
「とかって、おまえ」
 えへへぇ、と機嫌良さそうにワインを呷る彼女の悪びれなさ。毒気を抜かれて、自分のグラスを持ち上げた。彼女から端を当ててきて、チン、と涼やかな音が鳴る。
 それが妙に、耳に──心に響いた。

 一度壊れてしまったこの世界に未だ生き延び続けている人の命を、“余生”と表す諦観、正直自分の中に無い訳ではない。その考えに基づけば、誕生日を祝うことに果たしてどれほどの意味があろうかと、今こうして彼女を目の前にしてもどこか冷静な自分が耳元で囁く。
 だが。──だが、その囁きを無粋と撥ね退ける自分も、確かに存在すること否めない。だからこうして、彼女のためにささやかながら祝いの席を設けた。そうすべきだと、自分は判断した。
 矛盾、と言えるかもしれない。
 しかしその矛盾を心の片隅に転がしておくのは苦ではない、むしろ、心地良い。
 まるで、自分の輪郭が仄かな光で彩られていくような、瓦礫とツギハギの世界が鮮やかな色味に満ちていくような────錯覚? そう、錯覚なのだろう。彼女が居るからといって、世界の事実は何ひとつ変わらない。時の針が逆に回り、彼女の過去や自分の軌跡、そしてこの世の様を変えてしまった天の鉄槌が、美しく清められるわけでもない。
 しかし、それでも────と。
 矛盾や錯覚に感情を委ねたがる気持ち、そしてそこから生まれる熱に、自分はそろそろ名を付けようとしている。
 言葉にしたり彼女に伝えるには、まだ、だけれど。いつか、そのうち、“その時”は訪れるのだろうと。
 思うくらいには、自身の心は既に胎動を始めているのだろう。
 ────でなきゃ誕生日を知った途端に、祝ってやらなきゃな、なんて焦るものか。

「ごちそーさまでしたっ」
 皿の上を綺麗に真っ白にした彼女が、律儀にもぺこりと頭を下げた。両手に、それぞれグラスとワインボトルを持ちながら。
「まだ飲む気か」
「だってまだ、えへへ、残ってるからねえ。葵も飲むよね?」
「ん、ああ……その前に、だな」
 そろそろ頃合かと、背にしていたチェストの引き出しを開けた。そして取り出した物を、きょとんとしている彼女の鼻先へと差し出す。
 小さな、片手に収まるほどの小箱。しかも薄紅色の包み紙とリボン付とくれば、一見して“プレゼントだ”と主張しているようなもの。彼女はそのラッピングに目をぱちくり、自分と小箱とをたっぷり3往復は見比べて、まるで予想外の場所でタクトニムとでも遭遇したかの驚き様。まあ無理はないかと思いつつ、ほら、と受け取りを促す。
「え、え、え、え?」
「とりあえず、持ってる物置け」
「え、えー……あ、はい」
 空になった両手で、彼女は漸く箱を取った。両手で包み込む様にそれをじっと凝視めて、それからおもむろに包装を解き。
「……これ、」
 箱の中に収められていた物を、彼女は取り出して掲げた。
 シャラ、と軽い音を立てて鎖が伸びる。僅かに黄味を孕んだ真鍮のそれ、トップに揺れているのは3連のリングだ。真中の一つが直径2センチほどで、両脇の環はもう少し大きめ。
 ペンダント? とそれを眺めたまま問う彼女に、ああと頷き付け足してみる。────まあ、デザートみたいなものだ。
 リングには総て自分が模様を彫り込んだ。一つは細かなアラベスク、もう一つは引っ掻いたような幾何学模様の切れ込み、そして中央のものには。
「あ……これ、何か、」
 摘んで翳して、一番小さなリングの内側を検分する彼女は見つけたことだろう。自分が細心の注意を払って刻み込んだ、文字の連なりに。
「“July,21. Tokino. ── A.M.L.”」
「今日はおまえの日、なんだろう?」
 彼女は首肯を返さず、そのままの形で固まる。
 暫く待っていたら、一度、二度と瞬きをして、彼女にしては珍しく消え入りそうな声でこう言った。
「……本当に、嬉しい。ありがとう、葵」

 彼女に贈り物をするのは何も今回が初めてではない。が、記念日のために特別に誂えたのは、しかも手づからそれを創ったのは、自分にとってはエポックだった。
 身につけるものを、とは最初に浮かんで、次に、いつもつけていられるものをと考えた。銀製品は手入れが少々手間だ、金は豪奢すぎて自然体の彼女には合わないような気がする。なので、輝きでは劣るものの、自身が傭兵時代常に首から提げていた合金を使うことにした。要は、ドッグタグを思い出したわけだ。
 なれば、刻むのは彼女を表すもの、彼女のためにある言葉。──誕生日と、“ときの”という名が、それに違いないと思った。

 彼女は、ペンダントを一度ぎゅっと、小鳥でも包むかの様に掌の中へ閉じ込めた。
 それから破顔一笑、手を開きながらこちらに差し出すと。
「着けて」
「は?」
「だからぁ、着けてって。葵がくれたんだ、最初に、葵に着けてほしい」
 ────押し切られた敗因。断る理由を咄嗟に思いつけなかった。

 ペンダントを受け取って、彼女の背後へと回る。長い髪が障りになると言えば、彼女は無造作にそれを掴み、たくし上げた。
 自分と同じ色で、自分よりずっと長いそのぬば玉色の髪は、しかし艶やかなる故に彼女の指の間をするすると流れて、零れ落ちる。まとまってくれない髪に彼女は慌て、ちょっと待っててと、そのサルベージに躍起になっていたが。
「無理じゃないのか」
「大丈夫、もうちょっとっ」
 とはい言うものの、主に乱雑に扱われる髪が傍目気の毒になってきたので、
「もういいから」
 留めて、鎖の金具を外す。
 幾筋もの後れ毛が、彼女の項から背へまたは肩へと流れている。────その無防備な光景に、一瞬、不思議な感覚に捕らわれる。視界が狭まって、世界が、目の前しかないような、錯覚が。

 と き の 。

「……葵?」
 呼びかけられ、はたと我に返った。いや、“返る”というほど意識を手放していたつもりはないが、それでも、ほんの刹那────。
「……何でもない」
 努めて抑揚の無い声で、自分は答えた。
 そのまま彼女の首に鎖を回し、3つのリングが鎖骨の間で揺れたのを確認すると、首の付け根でカチリ、金具を留めた。
「あ、ねえ葵」
「何だ」
「あの、さっきの、これ、真ん中のに書かれてたヤツ」
 髪を押さえる手を1本に減らし、彼女は一番小さな環を先刻と同じ様に取り上げた。後ろへと首を捻ってきたのも相俟って、留め具を持ったままの自分の手の甲へと彼女の髪がさらりとかかる。
「“A.M.L.”って、何?」
「ああ、それは……」
 実ははぐらかすための答を用意していたのだけれど、それを口に出す瞬間、何故だか“魔”が差しそうになった。
 本当のことを言ってしまえば。その誘惑に一瞬くらりときて、口を開きそうになって────だから自分は。
「あたっ」
 彼女の顔を前へと戻し、視線が逸れた隙に素早く、留め具へ唇を落とした。────そしてぱっと、離した。
「それは、意味なんて無い」
 予定通りにそう告げる。
「えー、なにそれ?」
 上半身ごとこちらを向いた彼女の髪が、ふわり、と扇のように広がっる。
 見上げてくる赤い瞳、近くで覗き込むには未だ至らぬその紅玉。

 ────だから、まだ。

「……答えないつもり?」
「解ってるじゃないか」


 ────まだ、“それ”に、意味は持たせない。


 ま だ 。


++++++++ ++++++++


 食器を片付けるためキッチンへ立った葵の背を見送り、ほろ酔い気分の朱鷺乃はソファにだらりと、仰向けで身を投げた。
 先ほど彼に着けてもらったペンダントを人差し指で掬い上げ、双眸の上にまで持ってくる。鈍く、少しくすんだ光。しかし確実に光を弾く、3つの環。
 両の口角がくいぃと吊り上がって、ああ自分喜んでる、そりゃあね、なんて胸の内の甘さを反芻する。
 そういえば、いつだったかも、こうして彼の家で酔い潰れ一泊宿を借りた気がする。まあその前例もあることだし、こうして寛いでいても怒られはしないだろう。
 ────と、思う自分を、諌める自分もまた、いるわけで。

 彼が自分に許している領域は、多分、少しずつ広がっている……気がする。
 自分は、どれくらいまで彼に立ち入っているのだろう。
 彼は、どれくらいまで自分に立ち入らせてくれるのだろう。
 優しいとは決して形容できない彼の、それでも徐々に見せてくれる内側の、未知。彼の中での自分の、位置。
 彼への想いを自覚しながら、必ずいつかは告げようと決意しながら、しかしそれを未だ言葉として明確に伝えられないこの臆病は、恐らく、自分の座標が判らないせいなのだと思う。
 今のこの距離を、関係を、温みを、“否”の一言で失ってしまうのはとても、悲しい。切なくて、きっと、痛い。
 言いたい、言ってみたい、でもまだ、言えない。────でもいつか、言いたい。

 アルコールのせいか蕩けながら巡る思考。指先で弄ぶリングが、カチカチと音を立てる。
「“しちがつ、にじゅういちにち”……」
 一つだけ大きさの違う、そして唯一文字の刻んであるリング。寝転んだまま、眺めて。
「“ときの”……“エイ、エム、エル”」
 戯れに、その環の中へ薬指を通した──ら、第1関節で引っかかった。鎖の分内側が狭くなっているせいだろう、押し込もうと思えば出来ないことはない大きさ。多分残り二つは嵌めようとしてもぶかぶかで、だからこのくらいが指輪にするにはちょうどいい……。
「……あれ?」
 ぱちぱち、とリングを薬指に通したまま、瞬く。
 今、何か重要なことに思い至ったような気がする、けれど、何だろう、何だっけ。んん? んんんん?
「どうかしたか」
 戸口のほうで声がした。彼が立っていて、自分はその顔と、指輪の形をしたペンダントトップとを見比べた。
 そして、「あ」と呟いた。


++++++++ ++++++++


「葵、あのね、」

 ──── いつか、伝えるから 。

「だから、何だって」

 ──── まだ、見ているだけ 。

「……お祝いしてくれて、ありがとう」
「……どういたしまして」


 “July,21. Tokino. ── All My Love.”


 了