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【Hide and Seek】月下の黒猫
「……この、……バカ猫ーッ!」
静かな廃ビルに青年の声が響き渡る。
もう何度目になるだろうか。闇に溶けるような毛並み、金色の眼をした猫との死闘。猫にしてみれば退屈凌ぎの逃走遊戯、しかしながらゼルアにしてみれば金が絡んだ立派な「依頼」だ。逃すまいと真剣になるのは致し方ないことだろう。
するりするりと逃げてはゼルアを待つように立ち止まる。一方が近付くと、もう一方が走り去る。その繰り返し、少しも距離は縮まらない。
冷たい床に足を投げ出し、夜の空気を胸いっぱいに吸い込む。少しの休憩。決して疲れたわけではないと口元を微かに引き攣らせ、どうやって捕まえてやろうかと思考を巡らせる。
「……ん?」
ふとゼルアが後ろを振り返ると、そこには月を背にした貴方の姿。
「最高のタイミングじゃん。何処の誰か知らねぇけど、ちょいと手伝ってくれねぇ?」
にやりと唇の端を上げ、ゼルアは見知らぬ貴方に声をかけた。
■
「何? どうしたのお兄さん」
月を遮った人影にゼルアは目を細めるが、俗に言うナイスアングルに慌てた様子で勢い良く起き上がる。スカートから覗く肢体が月明かりに照らされて妙に白く見えた。
「あれ、もしかして看護士サン? うわー、白衣の天使ってやつだ。キレーなお姉さんに治療してもらったら、怪我も早く治っちまいそうだな」
「うん、正解。あたし、近くの病院で働いてるんだ。今はその帰り」
仕事柄怪我をすることも少なくない。ゼルアは消毒液の匂いを敏感に嗅ぎ取り、軽口に乗せてそう言った。ついでに猫捕獲の依頼が来ていることを零し、深く溜息をついた。
何度となく繰り返される猫との追いかけっこに、体力よりはも気力が尽きてしまいそうだった。所詮猫、されど猫。遊ばれているような気がしてならない。
「あらら、じゃああたしも手伝おうか?」
「マジで? そうしてくれるとすげー助かる。俺はゼルア。スラムで便利屋をやってる」
「名前? あたしはマリンチェ。マリンチェ・ピアソラ。よろしく、ゼルア」
マリンチェは手を差し出し、意外と強い力でゼルアを起こした。
フロアの一角で、さっそくゼルアとマリンチェは作戦会議を始めた。
どこからか見つけてきたチョークの欠片で、ゼルアが床にフロアの見取り図を書いていく。猫は三階のフロアがお気に入りのようで、そこから動く気がないようだ。逃げるといっても、フロア内だけ走り回るので、作戦も立てやすい。
「今俺たちがいるのが、窓側。バカ猫がいるのは西側のガラクタ置き場だ」
現在位置の説明をしながら、ゼルアはトン、と地図を指し示す。
この建物自体がオフィスビルだったようで、フロアには埃の被ったデスクやコンピュータ、宿無し人が持ち込んだ毛布やかばんなど、あらゆるものが放置されている。管理する者がいなくなれば、建物など荒れる一方。いつの頃から放置されていたのが分からないが、今ではスラムの住人が一夜の宿を求めてやって来る以外、訪問者はほとんどいない。
「ふむふむ。それじゃ、挟み打ち作戦ってのはどう?」
マリンチェが細い棒で猫の顔を描き、両端にバツ印を書く。
「OK! ちょうど俺もそれ考えてた。一人じゃできねぇんだよな、その作戦。んじゃ、いきますか。宜しく頼むぜ、相棒!」
に、と互いに笑い、軽く上げた片手を打ち合わせる。
作戦、開始だ。
■
マリンチェが猫を追いかけ、捕獲役であるゼルアのいる場所まで追い込む。追い詰められた猫を上手く網で捕まえられれば、作戦成功というわけだ。内容は単純だが、それだけにそれぞれの失敗は大きく響く。
ゼルアは資材の陰に隠れ、猫用に改造した虫取り網を片手にぎゅっと掴んだ。ビルの窓は無残に割られていて、そこから夜気が流れ込んでくる。白い雲が時折掠めるだけで、満月でもないのに今夜はとても明るく感じられた。
「あいつ、自分がスカートはいてるの忘れてるんじゃねぇか」
陰から顔を出し、状況を見守っていたゼルアはぼそりと呟く。軽い身のこなしと巧みな攻撃で猫を追う姿は、月明かりに照らされて戦女神を思わせる。だがそれだけに風で衣服が翻り、スカートが本来の役目を果たさなくなってしまっていた。
「嫁入り前の娘が破廉恥な……って何処の親父だよ、俺は」
耐え切れず自分で突っ込みを入れながら、ゼルアは一度引き剥がした視線をマリンチェに合わせる。そうだ、これは依頼達成に必要なことなんだと強く心に言い聞かせて。
「よし、そろそろだな……」
自分の方へ真っ直ぐ入ってくる猫を肉眼で確認。ゼルアは予め用意しておいた秘密兵器を片手に持ち、歯でピンを噛んでぐいと引き抜いた。
「マリンチェ、目閉じてろ!!」
数十メートル先に向かって叫び、大きく振りかぶって缶を投げる。
一瞬後、破裂音と強い光が当たりを貫いた。一種の閃光弾だ。僅かな時間だけ、対象の視界を奪い不意打ちをかけることができる。逃走用にも使われるが、今回ゼルアは攻める側の道具として使用した。
「……っ」
眩暈を起こしつつも、猫は高い資材の上にジャンプしようとする。
今を逃したら逃亡のチャンスは無いと本能で察したのだろう。賢明な判断だ。
――が、マリンチェは更にその上をいく!
それは美しい光景だった。
屈めた体躯を伸ばし、四肢の力で重力に逆らう小さな肉食獣。
しなやかな両腕を伸ばし、獲物に掴み掛かろうとする少女。どちらかが一瞬でも遅れていたら、間違いなく勝敗は逆になっていた。
「キャッチ!」
空中の猫を、腕で抱き留めたマリンチェは輝くばかりの笑顔で親指を立てる。
始めこそもぞもぞと抵抗らしい抵抗を示していた猫だったが、疲れてしまったのか、それとも少女の胸の中が余程心地良かったのか、すやすやと眠ってしまった。
「……まったく、こっちの気も知らねぇで。大変だったんだぞ」
マリンチェから猫を受け取り、ゼルアはぼそりと愚痴を零す。動物用のケージに入れ、パタンと扉を閉めた。後は依頼人に引き渡してしまえばいい。
「手伝ってくれてサンキュ。これ、さっき使ったやつ。俺が作ったんだけど、報酬代わりに一つ持っていってくれ。痴漢撃退くらいには使えるぜ」
そう言って、ゼルアは灰色の缶をマリンチェに差し出した。手作り感のある灰色の缶で、表にはデフォルメされた猫がにやりと笑うイラストが描かれている。
「すっかり遅くなっちまったな。途中まで送るぜ。深夜に女の一人歩きは危ねぇし」
「ねぇ。さっきから思ってたんだけど……」
堪えきれないといった様子でマリンチェが吹き出して笑う。
「何だよ。そんなにおかしいこと言ったか、俺」
「いや、そうじゃなくて。年の割に年寄りくさいなって」
「……コラ」
面食らったようにゼルアはしばし言葉を失う。
まだ笑うのを止めないマリンチェの額を軽く小突き、共にビルの外へと歩き出した。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【0811/マリンチェ・ピアソラ/女/15歳/ハーフサイバー】
【NPC0341/ゼルア/男/22歳/エスパー】
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■ ライター通信 ■
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ご参加ありがとうございました。
黒猫やゼルアとのお遊び、如何でしたでしょうか。
それではまたのご縁を祈りつつ、失礼致します。
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