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都市マルクト【ジャンクケーブ】ホワイト・ノート
It is an ill bird that fouls its own nest.
ライター:斎藤晃
―――その日、噂は真実になった。
ブラジル北部アマゾン川上流域に聳え立つ高層立体都市イエツィラー。審判の日以後ロスト・テクノロジーを抱いて眠る過去の遺物は、もしかしたらその目覚めを静かに待っているのかもしれない。忘れられ続けた軌道エレベーター「セフィロト」に集う訪問者たちの手により、ゆっくりと。
そしてこれは、決して安全とは無縁のその場所で繰り広げられる訪問者たちの日常と非日常である。
◆
高層立体都市イエツィラーの入口に作られた訪問者の町――都市マルクトは、ガラクタの山に家が立ち並び、ともすれば怪しげな看板が掲げていたりいなかったりの、一種異様な活気さえ漂わせる掃き溜めの町ジャンクケーブも含め、その日は少しだけいつもと様相を異にしていた。別段静かとか賑やか過ぎるというわけではない。ただ、どこか浮き足立った、から元気を振りまいているように見えるのだ。
どこもかしこも、ある噂で持ちきりだったから、だろう。
出所不明のその噂を、ある者は信じて準備を始め、ある者は半信半疑で成り行きを見守り、ある者は馬鹿にして笑った。
一方、噂に踊る街並みを抜けジャンクケーブの奥へと足を進めていた白神空はといえば、腰まである銀髪を背中で揺らして小さく肩を竦めただけである。噂に踊らされるのは好むところではないし。本当ならそれはそれ。虚偽なら第三階層への突破口を模索するだけの事だ。
何も変わらない。
ジャンクケーブの最奥。『ルアト研究所』と達筆で書かれた看板を掲げ、ポツンと佇む建物の前で足を止める。マッドサイエンティストが1人、それから彼の護衛兼助手が1人いるだけの鄙びた研究所。
「やっほー! リマ!!」
呼び鈴も何もないその扉を押し開けて空は、その奥へ明るい声をかけた。
オフィスのロビーというよりはクリニックの待合室のような空間を横切ると、天井からドタバタと乱暴な足音が響いてくる。
無意識に頬が緩んだ。
奥の階段から、リマことマリアート・サカが飛び降りてくる。それは駆け下りる、ではなく正に飛び降りて。
「空! いらっしゃい!」
と、そのまま勢いで抱き付いてくればいいのに。なんて内心で拗ねてみせながら、笑顔で出迎えてくれたリマにお礼のキスを返す。
鳶が鷹を生むように、『あの』が付くマッドサイエンティストから生まれた奇跡。いつもと同じ黒のレザージャケットに同じく黒のパンツは、短い黒髪によく似合っていた。ただし黒のブラウスの中で窮屈そうにしている彼女の胸が、ちょっぴり空のコンプレックスを刺激しないでもない。
「はい、お土産」
空は手にしていたケーキの箱を差し出した。中にはピュイダムール。シュー皮の中にクレームブリュレの入った絶品スイーツだ。
「ありがとう」
リマはケーキの箱を受け取ると、中を開けるでもなくそれをテーブルの上に置いて「ジーン」と奥へ声をかけた。興味のない顔でもなく、どちらかといえば嬉しそうにも見えたが、続いた言葉は「食べよう」でもなければ「後でね」でもなく、ケーキに背を向けて「行こう」だった。
「え?」
呆気に取られる空の腕を掴んでリマが回れ右させる。研究所の外へ。
空は訝しげにリマを見やった。今日はこれからフォートトータス攻略のための作戦会議をする予定だったはずなのだ。
フォートトータス。第3階層へ通じるメインエレベータを守るガーディアン。全長35m、幅14m、高さ11mの巨大なワニガメ。背中には105mm砲が3門付いた砲塔を4つ四方に向けて積みこんだ生体多砲塔戦車。その上、全周囲に22mm機関砲を武装。挙句にどうやらメスらしく子ガメまでわんさか産みだす始末。生体であるが故に自己修復機能―――治癒力を持っている。ダメージを負わせたところでゲートキーパーの時のように、上から修理が来るとも思えない。
自らの火力不足を差し引いても、とても空一人では太刀打ち出来ない相手だ。勿論、リマとコンビを組んだところでほとんど不可能だろう。だが倒さなければ第三階層へは進めない。ならば敵の戦力を分析し、最低限の必要戦力を算出して戦力を集めるまでだ。群れるのは嫌いだが、こればかりは仕方がない。
そのための打ち合わせを予定していた筈なのに。
「リマ?」
「デートしよ」
そう言ってリマが歩き出した。腕を組んだまま。
「あ……うん……」
首を傾げつつ、かと言って、リマからの誘いと打ち合わせを天秤にかけたら、断る理由が見つからず、空は首を傾げながらも、ラッキーかも思いなおして、歩き出すリマの隣に並んだのだった。
相変わらずのジャンクケーブを抜けて繁華街へ出る。酒場や怪しげな店が並び売人や客引きが屯している場所だが、時間帯のせいか噂のせいか、人はまばらだった。
それ自体半径250mしかないセフィロトの塔の更に4分の1程度しかない都市マルクトの繁華街は、普通に歩けば1時間で回れる距離。それを店々を巡りながら時間をかける。
都市マナウスとは品揃えの種類も質も異なるが、ウィンドウショッピングには花が咲いた。元来女性とはこういうものが好きな生き物なのだ。
「ねぇ、空。パスカードって何だと思う?」
露天で買ったマンゴークレープを頬張りながら、ふと、リマが尋ねた。
尋ねた方はずっと考えていたののかもしれないが、尋ねられた方は唐突な話題に面食らう。
ブルーベリーチーズのクレープを齧って、空はふむと視線を泳がせた。
パスカードとは。上位階層を行き来する為の通行許可証。だが、彼女が言いたいのは、たぶんそういう事ではない。
「イェソドのガーディアン―――ゲートキーパーはパスカードの提示を求めたし、パスカードがあれば攻撃もしてこなかった」
彼女が考えるみたいに指で顎をなぞる。
どうやらリマはそのゲートキーパーと、あの第三階層のガーディアン―――フォートトータスを比較しているようだ。
そこで空もハッとしたように首を傾げた。
「あのフォートトータス、カードの提示を求めてない。……って、でもパスカードは存在するのよね? イェソドのプローカーの話しが本当なら」
イェソドのブローカーは確かに言ったのだ。『第三階層より上へは、パスカードが必要です』。専用のパスカードが。
「うん」
だが、フォートトータスはカードの提示を求めるどころか、自分たちがテリトリーに入った瞬間、問答無用で攻撃してきたのだ。
「あたしたちがカードを持っていないと気付いて……」
呟かれた自らの独白に息を呑む。
「!? まさか―――!?」
イェソドでの認証は、生身であれば網膜パターンや静脈パターン、オールサイバーなら脳容器のシリアルによって個体を特定し、カードと個体との照合はゲートキーパーの前で行われた。
だが、いや、つまり。
フォートトータスが通行許可の判別に使用する認証形態は、対象がテリトリーに入った瞬間それを認識出来る“何か”でなければならない、という事になるのか。そしてもしその推測が当たっているなら、パスカードは何も『カード』の形をしているとは限らない。
オフラインなら一番高確率で考えられるのは一定の周波数を持った電波。
「もしかして、それってフォートトータスと戦闘しなくても通れるんじゃ……」
たとえばフォートトータスのテリトリーギリギリのところから地道に周波数の違う電波を送っていく。電波がダメなら何かの振動、例えば音波でも―――。
「そこなのよ」
リマは食べ終わったクレープの包みを手の中でぐしゃりと握りつぶして視線を天井へと馳せた。陽の射す事のないセフィロトの天井から注ぐのは、簡易的に昼と夜を演出する照明の灯り。しかし彼女が見ているのはそんなものではないだろう。この天井の向こう側に、奴がいる。
「イェソドのパスカードを持っている者は誰でもあそこに近づけるのよ」
「ええ」
「何の警告もなく攻勢に出るようなガーディアンがいるんだもの。普通は簡単に近づけないようにしておくものじゃない?」
「うーん……」
近づかせない為にガーディアンがいる。しかし、何にも知らない者がうっかり近づく可能性だってある。『今』ならともかく開発当時なら。技術者、研究者、軍人、そしてその家族と、彼らの生活を支える者達がここには集っていたのだ。家族がいたという事は、子どもたちもいたはずである。
「自分がセフィロトの管理者なら、まず部屋を分けて入口に『入るな危険』って貼り紙するわね」
リマが半分真顔で言って、それから笑みを零した。言っててそれを想像したのが可笑しかったらしい。
タクトニムによる増改築の成れの果てという可能性もある。ここに出入していた者達には周知徹底されていただろうとも推測できる。或いは、それこそ全員がパスカード―――という名の何らかの発信機―――を体内に埋め込んでいた可能性もある。
では区画毎に置かれたガーディアンとは何であったのか。
「まるで城郭都市よね」
その最上階には何があるのだろう。宇宙ステーション『アッシャー』は今はもうない。政府や軍が関わっていたというだけで、その機密性は想像に難くないが。
空は天井を見上げながら小さく肩を竦めてみせた。
この時はまだ、まさかこの5分後に、その答えも、そしてフォートトータス攻略の道も断たれるとは思っていなかった。
いつの間にか気付けば自分達はヘルズゲートの前に来ていた。いつも閑散としているヘルズゲートだったが、今日はいつにも増して人気がない。ヘルズゲートの入出を管理している門番すらいなかった。
あの噂のせいだろうか。
セフィロト探索事業を独占しているギルドに、その問い合わせが殺到したとしてもおかしくない。その対応にでも追われているのだろうか。だが、ゲートの前に置かれた本部にも人の出入は見られなかった。
この調子だと、しばらく中へは入れないのかもしれない。なんて思っていると、ふと、リマがそちらを指差した。
その指の先を追いかける。
―――!?
◆
そして噂は真実に変わった。
ビジターズギルドが正式にセフィロトの塔の閉鎖を発表したからだ。
セフィロトの塔の耐久性とか、政府や軍の介入など、あまた憶測の飛び交う中、しかし最後までギルドがその理由を公表する事はなかった。
今思えば、あの日リマが自分をデートに誘ったのは、予感めいたものがあったからなのかもしれない。
セフィロトの塔の閉鎖が発表され間もなく、都市マルクトでは、ビジターやそれに付随する様々な思惑を持って集っていた人々が一斉に外へと移動を開始した。都市マルクトにある二つの門の内、ヘルズゲートは閉鎖発表と同時に封鎖されたため、今は1つしか機能していない。
これほどの人間が集っていたのかと感嘆させられるほどの人々が、1つしかない門へと殺到する。
自分もつい先刻、その門をくぐってきたばかりだ。
別段逃げ惑っているわけでもないが、まるで蜘蛛の子を散らすようなその光景を何とも言い難い感慨をこめてしばらく眺めやっていた空は、ふと足下に置いていた背負い袋を肩に背負った。
「さて、と。行きますか」
そうして歩き出す。
さして宛てがあるわけでもない。
風来坊が、ほんの少し居座って、また風来坊に戻る。それだけの事だった。
◇
―――一度別れちゃえば、偶然の再会なんてもうないよね。
「そういえば、初めて会った日の事を覚えてる?」
リマがベッドの中でうつ伏せに枕に頬杖をつきながらポツンと言った。
「え? 勿論。覚えてるに決まってるじゃない」
傍らで仰向けに空はリマの顔を覗き込む。
忘れもしない。初めてくぐったヘルズゲートの先で受けた、人型タクトニムによる初めての洗礼。リマそっくりのタクトニムとの遭遇。そして戦闘。その直後、彼女に出会い、人かタクトニムかの逡巡に窮地に陥ったところを身を挺して庇われたのだ。
リマが人懐っこい笑みをこちらに向ける。
「助けてもらったんだよね」
「いやいや、助けられたのはあたしでしょう」
そうだ、彼女に助けられたんだ。
「そうそう。そういう言い合いもしたっけ」
頬杖を解いて枕に突っ伏すリマの髪に手を伸ばす。
「で、チャラ、にされたの」
少しだけ頬を脹らませて空が言うと、リマは可笑しそうに肩を震わせた。
「ふふ。まるで、ついこないだの事みたい」
「こないだの事でしょ」
「そうだね」
何とはなく沈黙が横たわる。
それが何だか妙に耐えられなくて、空は言葉を継いだ。
「……セフィロトが閉鎖されたら、リマはどうするの?」
「うん………」
ごろんと転がってリマが仰向く。
「リマ?」
「東洋の島国に渡る予定」
「東洋の島国? って、審判の日の後の地殻変動と異常気象で、今は存在しないんじゃ……」
「うん。昔のそれとはもうまったく別ものらしいけど」
「存在してるの?」
「エドが言うには、ね」
「もしかして、前から決まってた?」
「どうしてそう思う?」
「何となく……」
「そうね。エドは最初から決めてたのかもね」
「…………」
ルアト研究所がここに存在していた理由をぼんやり考えた。リマの兄が眠っていた場所。過去にけりを付けたその時から、彼は次に自ら赴く場所を、もう決めてしまっていたのかもしれない。少なくとも、ここに留まる理由は、あの日からなくなっていた。
あの日から?
なら、どうして研究所もリマも、今までここに留まっていた?
「リマ?」
「ここは、ぬるま湯みたいだった。居心地が良くて、適度な刺激が毎日を飽きさせなくて」
「……うん」
わかるような気がした。風来坊の自分が、存外長く居座ってしまった場所だ。
「楽しかったよ」
「うん」
目を閉じると、ここでの思い出たちが走馬灯のようになって蘇る。
リマが寝入るのを待って空はそっとベッドを抜け出した。
書き置きなんてのもらしくない。
ただ。
夢を見ていたみたいに消えればいい。
楽しい夢を見ていたと―――。
◇
―――だけどもし、運命という絆が2人を結んでいるなら、いつかどこかで再会する日があるのかもしれない。
セフィロトの塔の外。
どこへ行こうか。
足の向くまま歩き出したのは、丁度昇り始めた太陽の方だった。
【end】
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┃登┃場┃人┃物┃紹┃介┃
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【0233】白神・空
【NPC0124】マリアート・サカ
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┃ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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ありがとうございました、斎藤晃です。
楽しんでいただけていれば幸いです。
ご意見、ご感想などあればお聞かせ下さい。
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