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<PCパーティノベル・セフィロトの塔>


第一階層【廃棄物一次処理プラント】ゴミ山の守衛隊

ライター:メビオス零

【オープニング】
 ダークゾーンを抜けた場所がここか。
 都市区画‥‥都市マルクトも含んだそこで使われた水が、ここに集まっているようだな。まあ、下水道の行く末がここなのは当然なんだろうが。
 こんなゴミ溜めでも、何か拾い物があるかもしれねぇ。ちょっと、探してみるか。
 しかし、酷い臭いだな。鼻が曲がりそうだ。
 ん‥‥おい、待て。何か聞こえないか?
 何か‥‥囲まれているような‥‥






〜居場所〜


【1】

 ガシャガシャと騒々しい足音を立て、巨大な鎧がセフィロトの廃墟を疾走する。
 全身を蒼く染めた鎧武者型MS、『流星』は、普段ならば慎重に歩を進める危険地帯を、瓦礫を飛び越え、タクトニムを蹴り上げて進んでいく。そこには微かな躊躇も存在せず、自身に出せる最大速度を余す所なく出し切っていた。
 そしてその肩には、一人の人間がしがみついている。
 『流星』が一歩歩を進めるだけでも凄まじい振動だ。全力疾走しているMSの装甲にしがみつくなど、例えサイバーであっても自殺行為としか思えない。これが常人ならば、一歩か二歩歩いただけでも振り落とされるだろう。
 だがしかし、しがみついている人間は、そんな振動を物ともせずに声を張り上げる。

「おい! もっと速く走れないのか!」
『無茶言わないでくれ! これ以上は無理だ!』

 『流星』を操縦している伊達 剣人は、MSの足元に散らばる瓦礫の山に舌打ちしながらスピーカー越しに怒鳴り返した。
 激しい戦闘が行われた名残だろう。剣人が走り抜けている場所は、見る影もないほどに破壊され尽くしている。大穴の空けられた道路からは下水が噴出し、ビルの壁は壊され、中には丸々一つ倒壊している所まであった。
 そんな中でMSを走らせているのだ。今の速度でも十分に危険と言えるだろう。MSの足は今にも躓きそうになりながらも、懸命に疾走を続けている。
 しかしそんな全力疾走でも、肩に乗っているアルベルト・ルールにとっては、酷く鈍重な動きにしか見えなかった。

「時間がないんだ! レオナがここに来てから、どれぐらい経ったと思ってる!」
『奴らの話が正しいのなら、おおよそ三時間弱って所だろ。‥‥‥‥向こうは歩きだから、奥に行くまでは時間が掛かる。遭遇してないことを祈りのみだ』
「‥‥‥‥くそっ!」

 冷静な剣人の言葉を聞きながら、それでもアルベルトは苛立たしげに唇を噛みしめていた。
 ‥‥今日、アルベルトは妙な噂を耳にした。
 あのビジター、兵藤 レオナが、セフィロト内でビジター狩りを行っている、と‥‥‥‥
 マルクト内でも派手に動き回っているレオナは、それなりに知名度のあるビジターだ。顔が広く知られていることもあり、噂は瞬く間にマルクト中に広がった。
 もっとも、この噂を聞いた者達の中でも、それを信じている者は希だろう。レオナの性格もまた、レオナの武勇譚とセットになって広まっている。彼女に会ったことのない者ならばまだしも、会った者事のあるならば即答で否定する。「これは何かの間違いだ」、と‥‥‥‥
 しかし、アルベルトはこの話に心当たりがあった。レオナと最も関わりの深い、ビジター狩りなどと大それた事を可能とする少女の存在を知っていた。
 エノア・ヒョードル‥‥‥‥レオナの遺伝子より造られた、戦闘機械。
 レオナと同等‥‥‥‥いや、それ以上のスペックを持った彼女なら、これぐらいのことは朝飯前だろう。だが、彼女はレオナを守ることを第一としていたはずだ。他のビジターを排除してどれほどの意味があるのか。少なくとも、間接的にでもレオナの存命を危うくさせるような事件を起こすような理由はない。
 だからこそ、アルベルトはその可能性を、頭を振って否定した。しかしたとえ否定しても、この状況は捨て置けない。以前、レオナは似たようなケースに陥った時に誰にも連絡を入れずに飛び出して行ってしまった。今回も同様の状況だ。出来ればこの噂がレオナの耳に入る前に、レオナと合流するか噂の元を探るべきだろう。無関係ならば放っておけばいい。しかしもし、レオナと関係のある者達が関わっていたとしたら‥‥‥‥全力でレオナを守らなければならない。
 アルベルトはすぐに行動した。噂をしている者達に話を聞き、被害にあったという者達から相手の容貌、戦闘スタイルを聞き出した。レオナにも相方のヒカル・スローターには連絡が付かなかったため、剣人に連絡を入れて捜索を依頼した。
 ‥‥二人で掻き集めた情報から推察するに、どうやらヒカルは、二人が噂を耳にするよりも早くセフィロトに向かったらしい。聞き込みの最後の段階で、最も最近に“レオナ”らしい人物に襲われたと証言した人物からそれを聞き、アルベルトは舌打ちした。

『ああ、そいつに間違いねぇよ。にしてもそのアマ、一体何なんだ? いきなり襲いかかって来やがって‥‥‥‥くそっ! 俺以外の奴らはみんな殺されたんだぞ!! 全員バラバラに切り刻まれて、俺だけが逃げ延びて‥‥‥‥それでもこの様だ! どうやって殺してやろうか考えてたら、似たような顔立ちの奴が来たし‥‥マジで気が狂ったかと思ったぜ。この体でなきゃ、絶対にその場で殺し合いになってただろうよ。あ? そいつがどうしたかって? どこで襲われたかだの、いつ襲われたかだの聞いてきたから、教えてやったよ。ほんのついさっきだ。ああ、その後、もう一人来たな。ちょっと古臭い感じの喋り方をする姉ちゃんに』

 噂の元凶となった者にエノアとレオナの写真を見せた時、アルベルトは頭に殴りつけられたかのような衝撃を受けていた。

(ヒカル‥‥‥‥お前までレオナに似てどうするんだよ!!)

 相棒の足りない部分を補ってこその相方だろうと、アルベルトは頭を過ぎっていく痛みを振り払う。
 二人が出て行ってから、およそ一時間程のタイムラグが出ている。‥‥‥‥絶望を覚えるには十分すぎる時間だろう。

「間に合え‥‥‥頼む、間に合ってくれよ!!」

 アルベルトはMSの装甲を握りしめながら、久方ぶりに祈っていた‥‥‥‥







【2】

 ‥‥‥‥戦闘が始まり、最初に切り捨てられたのは右腕だった。
 ブレードを握りしめたままの右腕が宙を舞う。ちょうど振り下ろそうとしていた腕は、勢いをそのままに前方に、しかし明後日の方向に飛んでいく。そして瓦礫にぶつかり、そのまま地面に落ちていった。それと同時に、右腕が飛ぶ一秒前に先に破壊されたバイザーが地面に落ち、バラバラとその破片が散らばった。
 だが、それを見届けるような間は存在しない。
 右腕を飛ばされた直後、懐に踏み込んできた小柄な体が、鳩尾に全体重を乗せた肘打ちを入れていた。しっかりと地を蹴り、最短距離を最速で駆け抜け、抵抗する間を一切与えない熟練した体術だ。サイバーの瞬間最大速度を持って放たれた一撃は、刃物でもないのに、まるで特大のブレードで胴に風穴を開けられたのではないかと思えるほどの痛みを叩き付けてくる。
‥‥否、それはもはや痛みではない。あまりに重い一撃は、意識を刈り取り痛覚を麻痺させる。
十メートルもの距離を飛ばされ、レオナは手近にあったビルの外壁を破壊し、内部に達した所で地面に転がった。

「‥‥ガ‥‥‥‥ハッ‥‥!」

 息が詰まる。容赦なく襲いかかってくる吐き気を飲み込み、目を見開いて頽れる。
 全身義体、オールサイバーでありその中でも特に身体能力に秀でているレオナの体が、たった二撃で痺れている。通常、サイバー化した体が痛みで痺れるということはない。しかし叩き込まれた激痛は体を駆け抜け、脳内の命令系統を混乱させていた。そしてその混乱により、思考すらも阻まれる。
 ‥‥レオナにとって、そのダメージは未知のものに近かった。これ以上のダメージを受けたこともないわけではない。全身をズタズタにされ、オーバーホールされたこともある。だが、たったの二撃‥‥‥‥腕を切り落とされたのはまだしも、一発の肘打ちで行動不能にされたのは初めてであった。
 しかしそれほどの一撃であっても、体を麻痺させているのが痛みによるものならば数分‥‥戦闘慣れしているレオナならば十数秒もあれば回復出来るだろう。だが、そんなレオナの事情など、目の前の相手の知る所ではない。知った所で、それは狩る絶好の機会だと教えているに過ぎず、レオナにとっては最悪の事態でしかあり得ない。

(ぁ‥‥!)

 レオナは思考を放棄し、体を起き上がらせもせずに跳躍した。しかしそれは、無様に地面を転がったに過ぎず、それが精一杯の行動だった。
 ズンッ! と凄まじい音を立て、レオナが倒れていた場所が高周波ブレードで砕かれる。レオナに肘打ちを入れた直後には跳躍していたのだろう。後を追って跳んできた相手は、まるで天井などないかのように大きく上段からブレードを振り下ろしていた。

(嘘‥‥‥‥だ‥‥‥‥‥こんな‥‥事)

 力の入らない体を叩き起こしながら、レオナは懸命に転がり、体を起こし、相手から距離をとった。
 二人の戦力差は、もはや明白だった。交戦が始まってからの十数秒、それだけで戦いは終わっていた。
 自分よりも明らかに速い動作、以前に戦ったことのある相手だが、その時にはまだ互角に戦えた。しかし現在では、それがまったく通用しない。真っ向勝負、まったく同じ装備で戦ったというのに、まるでレオナの行動を先読みしているかのような攻撃を捌ききれず、結果、右腕を落とされ一瞬で殺される寸前に追い込まれている。その間にレオナに出来たことと言えば、相手の顔を保護していたバイザーを破壊したことぐらいだ。
 普段ならば振り下ろされた一撃の隙にカウンターをとる場面だが、そんな力は残されていない。出せる力はようやく三分。触れることすら敵わないだろう。相手もそれは分かっているのか、レオナが攻撃態勢に入っていないのを見て取り、冷静にゆっくりとブレードを持ち上げる。

「‥‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥‥悪い冗談だね。これは」

 身を起こしたレオナの体は、未だに震えていた。痛みは既に引いている。体を駆け抜けた痛みは一瞬で、そして体に残った痛みは意識化から追い出すことで無視出来る。まだ戦闘力は戻っていないが、時間さえ稼げれば逃げるぐらいは出来るだろう。
 ‥‥‥‥しかしレオナが相手に声を掛けたのは、時間稼ぎのためではない。
目の前でブレードを構えている相手を見つめ、レオナは泣きそうになった。いや、既に涙目になっていた。
 レオナと瓜二つの顔。
レオナにはその記憶はないが、恐らくは昔‥‥‥‥自分が幼い頃には、この顔立ちをしていたのだろう。
 長年の間、追い求めていた相手。仇として追い続けていた数年間。その集大成として迎えたこの時、レオナは愕然としながら、泣いていた。

「‥‥‥‥そう言えば、顔は見てなかったね」
「‥‥‥‥」
「ねぇ。何か言ってよ‥‥‥‥お願いだから‥‥‥‥‥‥」

 レオナの言葉には力がない。体の震えも、恐らくは痛みや恐怖だけではない。もっと別の未知の感情が、レオナの体を蹂躙して離さなくなっていた。
 ‥‥ブレードを引き起こした相手は、ゆっくりとレオナに向けてブレードを構えた。
 恐らくは、次で最後の一撃。全力で走り、そしてレオナの首を飛ばす。先程のように転がって躱すなど論外だ。二人の距離は三メートルほどしか開いていない。サイバーでなくとも、体をろくに動かすことも出来ないような相手をし損じるなどあり得ない。
 それは、レオナにも痛いほどに分かっていた。
 だからこそレオナは口を開いた。仇と決めた相手に掛ける言葉など怨嗟の念しかないと思っていたというのに、今では一言たりとも、稚拙な罵倒すら浮かんでこない。

「何か‥‥‥‥言ってよ‥‥‥‥‥‥‥‥エノア」

 掠れた声が紡がれる。
 それと同時に、エノア・ヒョードルの体は動いていた‥‥‥‥






 ‥‥‥‥戦闘が始まり、最初に壊されたのはバイザーだった。
 データ収集の一環として装着されたバイザーは、レオナのブレードを回避する時、目測を見誤ったがために破壊された。視界にバイザーの破片が撒き散らされ、目前のレオナが覆い隠される。それもほんの一瞬、コンマ数秒もない時間だ。
しかし、それは致命的な時間である。自分達が行っている戦闘は、一秒もあれば相手を即死させる隙となるようなものである。そして自分は、その隙を作ってしまった。ならば殺されるのが当然であり、例え偶然でも、それは自身の敗北でありレオナの勝利であった。
 目前のレオナがブレードを振り上げる。左肩から入って右の腰まで袈裟斬りにされるだろう。エノアは瞬時にそう判断し、そして受け入れた。

(良かった‥‥)

 僅か一秒にも満たない時間が、妙に長く感じられる。
本来ならば愕然とし、絶望を覚えるはずの時間。死を迎える最期の一瞬にのみ感じられるという停滞した時間の中で、エノアは深い安堵を覚えていた。
 ‥‥エノアは、レオナと戦ってはいない。殺し合い等、望んでもいない。
 だからこそ、エノアは受け入れた。これから自分は殺される。他の誰でもない、レオナによって殺される。恐らくは体内に仕込まれているチップも破壊され、全ての計画が水泡と帰すだろう。
 そうなれば‥‥‥‥全てが元通りだ。エノアを含んではいないが、やがてこの場に現れるレオナの仲間達が、レオナを元通りの日常にまで引き戻して─────

「‥‥え?」

 止まった。レオナのブレードは、振り降ろされる時点で止まっていた。
 バイザーが破壊され、素顔が晒される。レオナが追い求めていた仇の顔だ。ならば止まるのではなく、むしろ加速するのが妥当なはずだというのに、レオナの体はほんの一瞬、確かに止まっていた。

(まさか‥‥)

 エノアは、レオナがブレードを止めた理由を一瞬で理解した。
 ‥‥簡単な連想ゲームだ。これまで、エノアがレオナと会う時には、必ず顔の上半分を隠すバイザーを装着していた。ただそれだけで、少なくともレオナからは正体を隠せていた。信じられないほどの鈍感さだったが、それだけで十分だった。
 この戦いの時、エノアは街で会っていた時とは違うタイプのバイザーを装着していた。自分を改修した研究者のデータ収集のために装着されたもので、街で使っていた物とは全く異なる物だ。バイザーを装着しているだけで誤魔化せるのならば、セフィロト内であっても同じ事だっただろう。しかしちょうど、レオナが現れたのが報復に現れたビジター達を返り討ちにした直後だったことから、すぐに戦闘が始まった。レオナが疑問に感じるような時間もなかっただろう。戦闘が始まった時点で、目前にいるのが“エノア”ではなく“ノスフェラトゥ”であると認識したはずだ。
 それはまだ良かった。だが、エノアにとっての最大の誤算は、レオナにとって“エノア”と“ノスフェラトゥ”は全くの無関係である‥‥‥‥と認識されていたことだ。
 そしてバイザーが破壊された瞬間‥‥‥‥その瞬間に、レオナの脳内で連想ゲームが始まった。
似たようなバイザーを装着した友人はいなかったか? 似たような容姿をした者が身近にいなかったか?
 記憶が駆けめぐり、長くはないが、付き合いの多くなってきた友人の一人を連想した。素顔を見たことはなかったが、しかし恐らくあのバイザーを外せば、このような顔立ちになったのでは‥‥‥‥?
 ‥‥それが理由。異なる人物だと思っていた者達が重なった瞬間、レオナとエノア、二人の命運が尽きたのだった。

(‥‥やめろ)

 ザンッ! ブレードを握りしめたまま、レオナの右腕が宙を舞う。ちょうど振り下ろそうとしていた腕は、勢いをそのままにエノアの背後に飛んでいく。だが、それを見届けるために背後を振り返るようなことはしない。右腕を切り飛ばした瞬間、エノアは迷うことなくレオナの懐に飛び込んだ。

(‥‥‥‥逃げて!)

 懐に踏み込み、地面を全力で蹴り付けて全力疾走するように深く踏み込んだ。一見するとただの体当たり。しかし鳩尾に叩き込んでいる肘から、バキバキとレオナの体が砕ける感触が伝わってきた。その感触から、常人ならば即死、しかしサイバーであるレオナならば十数秒間の行動不能だけで済むダメージだと瞬時に判断し、エノアは安堵と絶望を同時に感じていた。

(‥‥‥‥やめろ!)

 安堵も、絶望もエノアにとっては未知の感覚だった。ただこれから起こることが、自身にとってもレオナにとっても最悪の事態であると言うことを確信し、叫んでいた。

(動け! 何で‥‥‥‥私の体なのに‥‥‥‥‥‥!!)

 言うことを聞こうとしない体は、所有者の意思を無視してレオナを追い詰めていく。
 凄まじい勢いで飛んでいくレオナの体を、エノアはすぐに追っていた。レオナが壁に激突し、大穴を空ける。躊躇なくその穴に飛び込んだエノアは、そこで倒れていたレオナに向けてブレードを振り下ろす。以前は多少なりとも苦にしていた屋内でのブレードの使用。しかし天井をないかのように切り裂きながら振り下ろした一撃は、間違いなくレオナの体を両断する。

(やめろ‥‥!!!)

 レオナが転がり、ブレードはビルの床を破壊するに留まった。
 しかし高い身体能力を持つはずのレオナの体が、回避することに転がることしかできなかった。これまでのデータから、まともな状態ならばカウンターで反撃しているはずだ。しかしそれもない。転がった勢いを使って何とか起き上がったレオナは、それだけでも精一杯の様相だ。
 その時点で、既に決着は付いていた。
 レオナは殺される。今、この自分の体を使っているモノに殺される。

(やめろやめろやめろやめろやめろ!!!!!!)

 一歩、体が踏み出した。
 エノアの叫びなど聞こえていない。自由は利かない。どれだけ声を張り上げても、力を込めても一向に体は言うことを聞こうとしない。
 ‥‥‥‥それが、戦いに敗れたエノア・ヒョードルに科せられた罰であった。
 アレクサンドル・ヨシノと蛍 ヨシノの二人に敗れたエノアは、体を改修されると同時に、体の操作権を完全に乗っ取られた。本来ならば“脳”であるエノアの体を、他の者が乗っ取るなど出来るはずもない。エノアが全身義体としても、元には人間の脳を使用しているのだから出来るはずもない。洗脳されるほどの大手術も、された覚えはない。
 だが、エノアにのみ通用する方法がある。エノアが自分で改造したとしても、体に仕込んであるAIチップにかけて何年もの間没頭し続けた狂者には、その方法が見えている。エノアの意志に関係なく、エノアの体に仕込まれているAIチップの存在は、エノアにとっては最大の武器にして最大の癌であった。
 ‥‥その癌が言っている。
殺せと。体は必要ない。手足をもぎ取り抵抗出来なくしてから、我らを完成させよと命令を下してくる。
 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥レオナが何かを叫んでいる。だが、AIチップはエノアの抵抗を嘲笑うかのように、エノアの意識と体の命令権を完全に隔離してしまっていた。既にエノアに残されているのは、“思考”と“視認”。そしてレオナを殺すという、体を通じてくる感触のみ。
五体全てへの命令権を奪われた今、言葉を口にすることすら許されない。
 だからこそ、叫ぶレオナに歩み寄り、ブレードを振り上げる動作も、まるで他人がそうしているかのように感じられる。

(レオナ‥‥‥‥‥‥!!)

 レオナが動く。最後の抵抗か、これでエノアを倒してくれれば、それがせめてもの救いになる。
 エノアが踏み込み、ブレードが振り下ろされる。レオナは、前のめりに倒れるようにしてその一撃を回避すると、エノアの脇を擦り抜けるようにして背後に抜け────
 ガッ! 抜けられない。レオナの行動を予測していたAIチップは、ブレードを振り下ろすのとは別に背中に片方の手を隠し、レオナが擦り抜ける瞬間に、その首を握って掌握していた。
 そしてそのまま、首を握ったままで地面を殴りつける。グシャリと嫌な音が耳に届き、何かが砕ける感触が手を伝わった。
 停止するレオナの体。そしてそこに、再びブレードが押し当てられる。

(────────────────────!!!!!!!!!!!!!!)

 声になどならない。
 もし声だけでも出せたのならば、エノアは喉が壊れるほどの絶叫を上げていただろう。
 守ろうとしていたもの。
 守り続けるはずだったもの。
 守るために、全てを捨ててきたもの‥‥‥
 それを‥‥‥‥





 エノアは、目の前で失った。






 パンッパンッパンッ‥‥・
 乾いた音が鳴り響く。エノアを狙って返り討ちにあったビジター達の血と肉片を踏みつけ、白衣の女がビルの物陰から現れた。
 普段ならばすぐさま身を翻らせ、臨戦態勢に入るであろうエノアもレオナも、沈黙を守ったままで振り返りもしなかった。しかしその反応に、賞賛の感情など微塵も込めずに拍手を打ってから現れた蛍・ヨシノは、機嫌を損ねた様子もなく、冷徹な狂気を持って命令を口にする。

「よくやったわ。さ、そいつを連れてきて頂戴」
「‥‥‥‥‥‥」

 蛍の言葉に、エノアは黙々と従った。
 エノアの一撃を受け、完全に停止したレオナの襟首を掴んで引きずっていく。
 内心のエノアの意志など関係ない。蛍によって改造され、本来補助脳である筈の三枚のAIチップに身体の主導権を握られたエノアには、もはや抗う術は存在しなかった。そしてそのAIチップ全てに、蛍の腕に装着してあるAIチップからの命令を最優先に行うようにプログラムを書き加えられている。蛍の意志は腕のAIチップを経由してエノアにまで伝わり、そしてエノアは淡々とその命令を実行する。
 エノアは、蛍によって動かされるリモート人形その物へと変貌を遂げていた。

「‥‥‥‥」
「ああ、ようやく私の所に来たのね‥‥ふふっ」

 引きずられてきたレオナの頬を撫で、蛍が口元を緩める。
 レオナは、そこまでされても微動だにしなかった。一見すると死体その物だが、レオナは、この時まだ生きていた。
 エノアによって破壊されたのは首だけで、修復さえすれば元に戻れる範囲である。度重なる工場でのオーバーホールを重ねているレオナの内部構造は、初期の頃とは若干の違いがある。現時点ではどの部分に最後のAIチップが眠っているかが不明だったため、可能性の低く、かつレオナを活動停止に追い込める箇所を検討した結果、首内部の命令系統を伝達する神経ネットを切断するという手段が選ばれたのだった。
‥‥しかしそれは、言うほど簡単なことではない。
詳細な内部構造は不明。にもかかわらず、強度・柔軟性を重視され、小さく、構造も複雑な首内部へのピンポイント破壊など、もはや魔業の類である。まして、エノアの得物は豪快な高周波ブレードだ。僅かに力を籠めるだけで、無防備なレオナの首など簡単に落としてしまう。
だがその難関を、戦闘兵器として開発され、幾多もの修羅場を駆け抜けたエノアは‥‥‥‥いや、エノアの戦闘経験を吸収したAIは、造作もなくクリアした。もはやエノアに搭載されているAIチップの性能は、エノア本人と遜色ない領域にまで達していた。

「‥‥良いわ。やっぱり、この箇所にチップは入ってなかったわね。体も動かないようだし‥‥‥‥一応手足を外しておきなさい。でも、後で修復して使うから壊しちゃダメよ」
「‥‥‥‥」

 エノアは蛍の言葉に頷き、レオナの手足の着脱を開始する。元々サイバーの体は、オーバーホール時の整備をし易くするため、両手足の関節のどこかに外すための節のような箇所がある。日常どころか戦闘時でも勝手に外れるようなことがないようにしっかりと固定されているが、それでも故意に、知識のある者が外そうとすればそれまでである。レオナは無抵抗なまま、黙って体を切り離されていた。
 ‥‥‥‥レオナの脳内で打ち出される命令は、神経ネットの断線によって絶たれている。口を開こうにも、胴体で生成されるエネルギー供給が絶たれたために脳の生命維持にすら支障が出始めている。思考することすらも残された寿命を削る行為にしかならない。両手足が揃っていようといまいと、レオナにはもはや抵抗することは不可能だった。
意識を自ら閉ざしてより長く、命を繋ぐ以外に道は残されていなかった。

「アレクサンドル、車両の準備は?」
『出来ている』

 蛍の声に答え、耳に装着していたインカムからアレクサンドル・ヨシノの声が聞こえてくる。
 アレクサンドルは、蛍のサポートとして組織から持ち出した研究室代わりの大型軍用車両に待機し、レーダーと通信機器を使い、部下と連絡を取り合って周囲の警戒に当たっていた。研究者の蛍と軍人のアレクサンドルでは立場が逆のようにも感じるが、蛍の腕のAIは、エノアが近場にいなければ効果が薄まるために仕方のない配置である。
 蛍はエノアに背を向け、アレクサンドルの待つ大型軍用車両へと歩を進めた。
 ‥‥エノアは、その蛍に黙々と付いていく。

「これで、五枚のチップが全て揃ったわ‥‥‥‥これで‥‥‥‥やっと終わるわね」

 蛍は、恍惚の表情を浮かべて歩き続ける。
 背後のエノアの存在など、もはや思考の隅にすら存在しない。道具にまで堕ちてしまったエノアには、興味自体がないのだろう。
 中にあるAIチップを回収すれば、完全に用済みとなる。
 これで全てが終わる。大型軍用車両でレオナのAIチップを回収し、五枚のAIチップを一つにまとめれば‥‥‥‥
 思いを馳せると、凍り付いた心が僅かに、微かにでも溶けていく。
 それは、蛍にとっても、久しく忘れていた暖かい感覚だった。
 ‥‥だったのだが────

『‥‥蛍。どうやら、まだ一騒動残っているようだぞ』

 そんな蛍の耳に、アレクサンドルの険しい声が届いてきた。






(‥‥‥‥終わったんか)

 その戦いとも呼べない一方的な殺し合いを、アマネ・ヨシノは遙か遠くから見つめていた。
 MS『ムーンシャドウ』の望遠カメラは、二人の戦いの決着を捉えていた。一方的な戦い。エノア‥‥いや、“ノスフェラトゥ”は、それこそ一切の手傷を負うことなくレオナを機能停止にまで追い込んでいた。

(えげつない事しよってからに‥‥‥‥ホンマに‥‥‥‥‥‥どうしてしもたんや、ママン)

 発掘されたAIチップに魅せられ、家族を‥‥娘を捨てた女‥‥‥‥
 自分の母親の姿を遠目に眺めながら、アマネは目尻に浮かんできた水滴を拭い去った。
 数年ぶりに目にする母の姿。傍受している通信から、父親の存在も確認している。位置も、常に『ムーンシャドウ』のレーダーで捉えて捕捉していた。
 ‥‥‥‥アマネは、蛍とアレクサンドルの二人が、一体どういった目的でこのセフィロトに訪れているのかを知っていた。昔日の日々を取り戻すためにセフィロト中を駆けめぐり、二人を捜し、そしてその目的を探っていたアマネは、持ち前のハッキング能力によって二人の動向をずっと監視していたのだ。
しかし、アマネはすぐには出なかった。
会いたいと、その一心でここまで来ていたが、セフィロトに辿りつくまで‥‥いや、辿りついてからの過酷な生活で培われた精神は、たとえ会ったとしても突き放されるだろうと言うことを悟っていた。
だからこそ、終着点に到着したと言うのに、未だに見に回っている。
 母親の待ち望んでいた瞬間。五枚のAIチップが揃い、目的を達成し、狂気が去る瞬間まで‥‥‥‥息を潜め、それを見守り続ける。それが最善。恐らく、それこそが最も自分の目的に合った方法だと判断した。
 しかしその判断の中に、得体の知れない違和感を感じ、アマネは目を伏せた。
 全ての元凶となった、セフィロト奥地から発掘されたAIチップ‥‥‥‥‥‥そのデータも、アマネはハッキングによって集めていた。蛍が持ち合わせている情報も、技術も全てを参照し、自分なりに考えを進めていたのである。
 アマネには、蛍ほどの専門的な知識はない。だからこそ、素人じみた推論しか並べ立てることしかできない。しかしそれでも、アマネにはあのAIチップが、何か、蛍が思っているような物とはかけ離れた次元にあるモノではないかと危惧していた。

(集めているデータのほとんどが戦闘系の知識。それに加えて全体の30%がブラックボックスやなんて‥‥‥‥)

 冷静に考えれば恐ろしいことである。蛍はセフィロトの塔開発に従事していた研究者達の遺産だと思っているようだったが、しかしアレは、もっと別の目的のモノではないかと思えて仕方がない。
 加えて、ブラックボックスとなっている部分も、五枚全てがそうだとしたら、表向きの部分しか知らないのとまるで変わらない。外面だけをみて判断し、信用しきることの恐ろしさは、アマネは身に染みて理解していた。
 もちろん人間と機械では明白な違いがある。機械は人と違い、滅多なことでは裏切らない。決められたシステムをこなすだけだし、もし故障したとしても、修復してシステムを書き直せば済むことだ。が、アレにはそれが通用しない。それはつまり、もし呼び覚まして敵に回った時、決定的に、最後まで敵に回ると言うことである。
 アマネだったら、完全に解明されるまでは使用しない。自分でも理解出来ないモノを使うなど、その後のことを考えるとして良いこととは思えなかった。

「‥‥せやけど、止められへんねんな‥‥」

 弱い。脆弱な存在。
 口を出すことも出来ず、手も足も出ない状況に歯噛みする。
 この場で出て行ったとしても、場を混乱させるだけだ。それに出て行った所でどう言うのだ。
再会を喜ぶか?
それともチップの統合を止めるのか?
どちらともあり得ない。再会を喜ぶような感情は、まだ呼び戻せる段階ではない。統合を止めれば、それこそ自分と母親との間に確執を生むだけである。
 アマネは望遠カメラに捉えられている蛍がビルの影に入るのを確認し、位置を変えるために『ムーンシャドウ』を起動させる。
 ────そんな時だった。

 ピッ、ピッ、ピッ‥‥‥‥

「なんや?」

 小さな電子音が鳴り響き、周囲を策敵させていたレーダーに新たな反応が現れる。
 レーダーには、アレクサンドルの部下の反応が三つ。そして新たに現れたMSの反応は、猛スピードでアレクサンドルの部下を突っ切り、そのまま進めばアレクサンドルの待つ大型軍用車両にまで達するコースである。
 ‥‥‥‥間違いようがない。この敵は、あの二人を目指してここにいる!

「来るとは思っとったわ」

 アマネは『ムーンシャドウ』の重力制御機能を発動させる。
 ‥‥このビル群の建ち並ぶセフィロト内に置いて、頭上を取ることが出来る『ムーンシャドウ』の飛行能力は、非常に優位に立てる利点となる。レオナの周りにいる者達の力量は目の当たりにして確認していたが、それでもある程度のハンデを付ければ、自分でも時間稼ぎは出来るはずだ。
 ‥‥‥‥しかし‥‥‥‥

(ええのか? これで、ホンマに‥‥‥‥)

 操縦桿を握る手に力を籠めながら、アマネはカメラに映る爆炎を見つめていた‥‥‥‥





【3】

 予想だけは出来ていた。
レオナを誘い出している時点で、その周囲についても調査は進んでいたのだろう。レオナの取り巻きとして目を付けられていたヒカルは、待ち伏せていたMS三体に行く手を阻まれ、足止めを受けていた。
‥‥いや、足止めなどされていない。道を塞がれ集中砲火によって右往左往させられていたが、しかし足を止めれば一瞬にしてヒカルの運転するオフロードカーなど粉微塵に四散する。対MS戦で使用される20oライフル弾は、ただの一発でも命中すればオフロードカーごとヒカルを殺傷するだけの威力を持っている。
それが秒間数十発もの量を持って襲いかかってくるとなれば、一瞬たりとも気を抜く暇がない。足止めと言うより、初撃から殺しに掛かっていることは明白だ。
むしろそんなモノに追い掛けられながら、遭遇して数分間も持ち堪えているヒカルの運転技術が異常だと言える。

「くっ‥‥この先にレオナがいるというのに、何という邪魔な‥‥!」

 ヒカルは苦々しげに歯を食いしばり、瞬きする間も惜しいとばかりに目を凝らし、ハンドルを切って弾雨を躱す。コンクリートで舗装された地面が巻き上がり、瞬く間に削り取られている。
 ろくに反撃も出来ずに追い詰められていることを歯痒く感じながら、ヒカルはレオナまであと一歩‥‥という所で行く手を阻んだMS達を睨み付けた。
 ‥‥街で“レオナ”に襲われたという場所を教えて貰ったヒカルは、すぐに車両を手配し、装備を調えてセフィロトに向かった。これまでの敵の戦力を思い起こし、必要最低限の武器だけを積み込んでいる。アルベルトや剣人と言った友人にも声を掛けようとしたが、こんな時に限って普段使っている通信端末は修理中で、他の連絡ルートから連絡しようにも、二人は忙しく移動中らしくて掴まらない。
少しでも時間のロスを避けるため、無効も街に広がる噂を聞いて駆け付けてくれることを祈り、単独で出向くことにした。‥‥今回の事件は、時間との戦いである。いくら詳細な情報を得られたとしても、それは情報提供者がその場で得て数時間が経過したものだ。
 広大なセフィロトの中で、自由に動き回る相手を探し出すのは難しい。まして相手は通り魔的にビジターを襲撃し、その首を狩るという狂人的な犯行に及んでいる。マルクトの街から報復(もしくは懸賞金目当て)にやってくるであろうビジター達から逃れるため、犯行現場からはすぐに移動してしまうだろう。
 だが、相手にもタクトニム達と出会わずに行動するためのテリトリーが存在するはずだ。ましてレオナ‥‥‥‥そこに“ノスフェラトゥ”が存在するのならば、レオナと遭遇するまではその範囲に網を張るだろう。
 標的であるレオナが、現れるまで‥‥‥‥

(大分後手に回ったが、レオナより先に回り込める可能性もある。‥‥それに賭けるしかあるまい)

 遭遇情報を照らし合わせれば、おおよその範囲は限定出来る。
 そうした推理を頼りに、微かな痕跡を追って“ノスフェラトゥ”とレオナを追うヒカル‥‥‥‥
 このような追跡術に掛けては、狙撃屋のヒカルに追いつける者はまずいない。ほどなくして、瓦礫とビルの合間にレオナらしき人物の影を見つけ、追跡しようとしたのだが‥‥‥‥
 遙か遠方から撃ち込まれるライフル弾に気付くのがもう一瞬でも遅ければ、その時点で終わっていただろう。フルスロットルで前進と方向転換、時々後退をしながらビルの合間を駆け抜け、追って来るMSを撒きに掛かる。

(先程見えたのが、レオナなのかエノアなのかも判別が出来ておらぬのに‥‥‥‥こやつら、張っておったな)

 まるで待ち伏せしているようにして現れたMSに、ヒカルは不用意に撒き餌に近付いた自分の迂闊さを呪った。
 見かけた人影がレオナだったのかエノアだったのかは分からない。だが、こうして都合よく三機ものMSが傍にいたのだ。レオナの後を付けていたか、エノアを餌にして、追ってくる仲間達を狩りに来たのだろう。
 ‥‥‥‥これまで何回もこの件に関わってきたヒカルでも、アレクサンドルがここまで派手に部下を動かすとは思っていなかった。MSに搭乗しているのはアレクサンドルの部下なのだろうが、こんな敵対行動を取った以上、今までのように見て見ぬフリなどとても出来ない。
 逃がす気も捕らえる気も微塵も見せないMS達を相手に、ヒカルは退くわけにも行かずにビルの合間を駆け抜けて逃走に集中する。逃走しているうちに人影は完全に見失い、その事実にヒカルの焦燥感は募っていく。かろうじて人影が向かっていった方向だけは覚えているが、三体のMSはヒカルを取り囲むように逃走経路を塞ぎ、攻撃を行ってくる。
吹き飛ばないように走り続けるには隙のある方向にハンドルを切らずをえず、思うように追い掛けることが出来ない。
手持ちの武器には対MS戦用のロケットランチャーもある。が、運転しながら使えるわけもなく、レオナに気を取られてMSに気付くことが遅れた時点で、勝敗は見えていた。

「ええい! いい加減にし────!?」

 ヒカルが怒り任せに叫びそうになった時、目の前の道路が倒壊したビルで埋まった。MSの内で特に痺れを切らしたMSが、ヒカルの進行方向を巨大な瓦礫で塞ごうとビルを攻撃してきたのだ。これには堪らずハンドルを切るヒカル。止まる訳にはいかないのだから、たとえ瓦礫が降ってこようともブレーキを踏むことは出来ない。‥‥‥‥しかし、それも長くは続かない。元よりヒカルが走っていたのはビル群の中だ。四方のビルの要所に弾丸を撃ち込んでやれば、倒壊させることすら出来る。
 ‥‥それには相応の技量が必要だったが、意地の悪いことに、ヒカルを囲んでいるパイロット達は、訓練を積んで実戦経験を経ている熟練者達だった。
 四方を瓦礫で囲まれ、ヒカルは堪らず停車する。

「くっ‥‥!」

 ヒカルは悔しそうにMSを睨み付け、隣の座席に用意してあるスモーク弾を使って身を眩ませようとする。
 車両と装備を放棄することになるが‥‥‥‥命には代えられない。だがしかし、それで玲於奈を救えるのかと唇を噛み‥‥‥‥
 スモーク弾を発動させ、荷物を掴んで脱出しようとした所で得体の知れない浮遊感に襲われ、踏み止まった。

(なっ!?)

 ヒカルは予想だにしなかった状況に戸惑い、脱出の機を逃した。
 浮遊感がMSに車両を掴まれ、持ち上げられたからだと気付いた時には、既にかなり高く持ち上げられており、とても飛び降りることなど出来ない状態になっていた。
 こうなっては一か八かにでも、ロケットランチャーの発射態勢に入ってやろうかとヤケになりかけた時、ヒカルを強い風が襲い、ヒカルは空高くまで跳躍していた。

「こ、これは‥‥!」
「よう、無事だったか!」

 呼びかけてくる聞き覚えのある声。力強い跳躍によってスモークを抜けたヒカルが見たものは、ヒカルの車両を手に持って跳躍したMS『流星』と‥‥‥‥その肩に掴まっているアルベルトだった。

「アルベルトに伊達か!」
「おう。一人で行くなんて、あんまりだぜヒカル!」
『ま、この騒動の御陰で位置が掴めたんだがな‥‥・』

 『流星』の外部スピーカーから剣人の声が聞こえてくる。
 アルベルト達はヒカルよりも遅れて、ヒカルと同じ方法でレオナの後を追っていた。だが、二人では範囲がなかなか絞り込めず、なかなかレオナの足取りを見つけられず、苛々を募らせていた。
 そんな時、二人は遠くから響く銃声を聞きつけ、駆け付けたのだ。案の定、その銃声はレオナを追い掛けていたヒカルに向けられており、こうして今にもトドメを刺されそうになっているヒカルを救出したのである。

「ヒカル! レオナは?」
「向こうの方角じゃ! だがこやつらが‥‥‥‥」
『今はそれを言ってる暇はないぞ! 先に行け!』

 剣人は着地と同時にヒカルの車両を地面に置き、素早くその場から横っ飛びに跳躍してビルの陰に隠れた。ヒカルも車輪が地面に付くと同時にフルスロットルでその場を走り、瓦礫の合間を縫って走り始める。
 ‥‥‥‥そんな中、『流星』を追って無数の弾丸が放たれ、瓦礫の山が霧散した。
 隠れたビルに弾痕が空いていくのを察し、すぐに新たな盾として次のビルに移る剣人。アルベルトは少しでも弾丸の軌道を逸らそうと、PKで逆扇状の薄いバリヤーを形成した。

『狙いがこっちに向いた! ヒカルはレオナを頼む!』

 アルベルトが念話で声を上げてくる。ヒカルは全速力でビルの合間に隠れながら、念を飛ばし返した。

『保つのか? 相手は三機もおるが』
『これまでに、こんなことがなかったわけじゃないさ。行ってこい!』

 剣人の力強い返答に頷き、ヒカルは振り返ることもなく降り注ぐ瓦礫の雨を潜り抜けて走り続けた。
 聞こえ続ける爆音。銃声。ビルが倒壊するような壮絶な轟音が、戦争の始まりを告げていた‥‥‥‥





「ちっ‥‥ヒカルにはああ言ったが、これだと進みようが!!」

 戦争開始から数分。
 剣人は思うように進めず、一刻の猶予もない状況で足止めを食っていることに舌打ちし、苛立たしげに頭部バルカンで迫ってきた『ディスタン』を追い払った。
 しかしそこに、剣人の『流星』をショットガンで牽制し、動きを止めに掛かる軽装高機動型MS『ステルヴ』が現れる。ビルの影から影へと飛び移り、攻撃して姿を滅多に見せてこない。攻撃もあくまで牽制であり、こちらの攻撃を回避し続けることを重点に置いて動き回っているために被弾はしていない。しかしそれは、向こうに当てるつもりがないからだ。『流星』の機体を中心にして、わざと数メートル離れた箇所を狙って射撃する。『流星』がその場から動けば命中し、被弾を恐れて動かなければ────

「剣人、正面だ!」
『うおぉぉおお!!』

 肩に乗ったままのアルベルトが、真っ正面から飛んできた小型ミサイルを睨み、PKを全力で展開して動きを止めにかかる。‥‥しかし対ESP素材を組み込んであるらしいミサイルの動きは止まらず、精々その動きを多少なりとも減衰させるに留まった。
 ドッッッ!!
 『流星』を叩く衝撃は、ミサイルの周囲に存在したビルにまで影響し、爆発はビルを倒壊寸前にまで追い込んでいる。
 勢いを削がれた小型ミサイルは、『流星』の頭部バルカンと左腕に収納されているショットガンによって迎撃された。‥‥しかしその衝撃と爆炎は殺しきれず、炎によって『流星』は覆われる。
 そしてそれを好機と見たのか。『流星』を取り囲んでいた三機は、一斉にその身を晒して手持ちの武器を構えていた。
 ‥‥‥‥凄まじい轟音と衝撃、炎と煙がセフィロトのビル群を激震させる。
 これほどまでに苛烈な攻撃、たった一機のMSを対象としていることを思えば、完全なオーバーキルである。
 しかしそれでもまだ足りないと、最も距離を取って二人を狙っていた重装重火力型機体『ギュイター』は、腰に装着されていた小型連装ミサイルを発射した。

 ────!!!!!

 もはやその轟音は、外にいる人間の耳には届いていないだろう。
 それほどの鼓膜破壊を可能とした轟音をスピーカー越しに聞いていた剣人は、肩に乗っているはずのアルベルトに念を飛ばした。

『おい、大丈夫か?』
「‥‥‥‥なんとかな」

 剣人の念をテレパスによって拾ったアルベルトは、埃だらけになった体を叩き、爆炎を取り巻いている三機のMSを睨み付けた。
 剣人とアルベルトは、ミサイルによる爆風に機体が隠れた直後、隣接していたビルの壁に機体を叩き付けて大穴を空け、その中に飛び込んでいた。強引な機動に機体の装甲は所々が凹んでいたが、それでも爆風の中にいてそのまま集中砲火を受けるよりかはマシだろう。いくら剣人自慢のMSだと言っても、とてもMS三機の放火を喰らって動けるほど常識はずれな品物ではない。
 アルベルトのPKによるバリヤーなければ、間違いなく墜とされていただろう。

『どうする。このままだとジリ貧だぞ』

 剣人は冷静にこの状況を見極めているのだろう。アルベルトはこの状況を打破する方法を考えながら苦々しげに舌打ちした。
 レオナやヒカル共に、こちらの情報は筒抜けである。剣人のMSを迎え撃つため、三機ものMSを配備する。更にアルベルトの能力に対抗するため、わざわざMSの装備に超高級な対ESP素材を使用するという念の入れようだ。たった一機この仕様にするだけで、それこそビルの一つや二つは余裕で建てられる。まして使い捨てのミサイルまでこの仕様というのは、正気の沙汰ではない。
 このまま二人で戦っていたとしても、勝ち目は薄い。ならば一時撤退か? あり得ない。こうしている間にも、レオナは────────

『‥‥‥‥剣人。お前、MSで砲丸投げをしたことあるか?』
「なっ‥‥?」

 剣人はアルベルトの言葉から連想出来る突破方法を思い浮かべ、絶句した。
 言いたいことは分かる。しかし、それはお互いにとってもある意味絶望的な状況である。

『このまま俺がここにいても、大した援護は出来そうにない。ならいっそ、役割を分担しないか?』
「‥‥‥‥それだと、俺の方が一方的にやばくないか? この状況」
『何だ。逃げ足にすら自信がないか?』
「お前なぁ‥‥」

 挑発するような台詞に、剣人は苦笑いを浮かべていた。恐らく機体の外にいるアルベルトも、似たように苦笑いを浮かべているのだろう。
 だが、このままここでグズグズしているわけにもいかない。既にこの場で足止めを喰らって五分は経過している。最悪の場合、既にレオナがこの場から離脱している可能性すらあった。

「やれやれ。お互い、割に合わない事をしているな」
『まったくだ』

 煙が晴れる。煙の中から何の反応もないことから訝しんでいたのか、一機のMSがパラパラと地に落ちていく塵に近付いてくる。距離は十メートルほど。あと一歩か二歩で、ビルに隠れている剣人を発見する。

「さぁ‥‥始めるぞ!」

剣人が叫ぶ。と、同時に剣人は穴を空けた反対側の壁にMSの右腕を突っ込み、壁を破壊して掴み取った。ちょうど、ビルを肩に担ぐような態勢だ。もっとも、それはあくまで態勢だけで、数百トンを超えるビルを持ち上げるような馬力はない。
 ‥‥だが、それでも十分だった。

(崩れろ!)

 アルベルトのPKによる衝撃波が、ビルを支えていた鉄骨という鉄骨を完膚無きまでに破壊した。支えを失い、倒壊を始める高層ビル。剣人は、持ち上げるようにして掴んでいた腕を振り、倒壊する方向を迫ってきていたMSに差し向けた。

『あ‥‥あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!』

 スピーカー越しに伝わる断末魔。どれほど厚い装甲を持ったMSでも、これだけの重量をまともに受けて無傷でいられるわけがない。
 派手に倒壊するビルに巻き込まれ、近付いてきたMSは腕をあらぬ方向に折り曲げ、足を弾き飛ばし、装備していた武器と自身の体を爆散させながら消滅した。

『なっ‥‥!?』

 遠巻きに得物を構え、ビルの倒壊を見守っていたMS達が驚愕に機体を硬直させた。
あれだけの集中砲火ならばビルの倒壊程度は起こって当然だが、それでもこのタイミングは出来過ぎている。仲間が思いも掛けない方法で殺られたことで、ビル倒壊の埃に紛れ、倒壊したビルの反対側から飛び出した『流星』を察するのに数秒の間が出来た。
 ‥‥それだけの間があれば十分である。
 剣人は手にアルベルトを乗せ、思い切り機体を屈ませた。

「じゃあな。上手くやれよ薄情者!」
『後は任せたぞ薄幸者!』

 ブォン! 思わず見惚れるような投擲。アルベルトを乗せた手を大きく振りかぶり、一回転するようにしてアルベルトを空高く放り投げる。

『よっ!』

 もちろん、それだけでは人間のような軽い物を遠くまで投げるのは難しい。
 しかしその難関を、アルベルトは『流星』の手から離れる瞬間、ボディESPで強化した脚力で跳躍することでクリアした。

「やれやれ。ま、お姫様の奪還を王子様に任せるのは筋なんだが‥‥‥‥こっちは依然としてピンチのままだ」
『貴、貴様!』

 倒壊の埃に紛れ、ショットガンを構える『ステルヴ』。倒壊に巻き込まれなかったらしい『ギュイター』も、アルベルトではなく剣人に対して殺気を放っていた。
 一機倒した所で、火力面で圧倒されているのは間違いない。それに、この二人は手練れである。控えめに見ても軍上がりの兵隊だろう。霊能探偵であり軍に在籍した経験すらない剣人にとっては、本来相手にするのも馬鹿らしくなるような相手なのだが‥‥‥‥
 剣人は『流星』に高周波ブレードを構えさせ、ニヤリと口元を釣り上げさせた。

「この感覚も久々だな‥‥さぁ、来いよ。お互いに巻き込まれた身だ。ここで死んだら、“運がなかった”と思ってくれ!!」

 剣人のブレードが、飛来したミサイルを両断する。
 撒き散らされる爆炎と咆哮。それが、戦いの合図となった‥‥‥‥





【4】

 ‥‥‥‥遠くから聞こえてくる爆音を聞きながら、アレクサンドルは大型軍用車両のアクセルを踏み込み、一刻も早くその場を離れようとしていた。
 部下から『流星』捕捉の通信を受け、一刻も早くこの場を撤収しなければならないと判断したアレクサンドルは、蛍とエノア、レオナの三人を回収してすぐに大型軍用車両を走らせた。大小様々な瓦礫が散乱している悪路を走るため、後部の荷台に乗っている蛍達には悪いと思ったが、そちらに気を利かせているような余裕はない。

(追っ手は‥‥‥‥まだ食い止められているようだが)

 それでもいつまでも通じはしない。アレクサンドルは、部下達には悪いと思いながら、しかし足止めが精一杯だろうと踏んでいた。
 今回連れてきた部下達は、いずれも幾多もの戦いを潜り抜けてきた歴戦の戦士達である。だがそれでも、レオナを追ってきた者達には勝てない。アレクサンドルは、理屈を抜きにしてそう直感した。

「元より、戦う理由が違っている‥‥か」

 部下達はあくまで、アレクサンドルの命令に従っているだけだ。
‥‥それでは勝てない。今、レオナとエノアを求めて追い縋ってくる者達には、決して勝てない。
 だからこそ、アレクサンドルは車両を猛スピードで飛ばしていた。出来ることならば、追っ手が掛かる前にセフィロトから離れたかったのだが、来てしまったものはどうしようもない。このまま逃げ切り、施設を転々とするか、あるいはこの場で‥‥‥‥‥‥
 ダァン!!!

「ぬぅっ!?」

 突然車両に走った衝撃に、アレクサンドルはハンドルを取られそうになりながらも車両の態勢を立て直し、依然として走り続けさせた。
 衝撃は頭上から‥‥‥‥しかし追撃はない。
MSの砲弾ならば、この程度の車両などひとたまりもなく四散しているだろうが、そんなわけでもない。ならば狙撃? 威嚇だろうか。しかし、それならば運転手であるアレクサンドルか車両のタイヤを狙うべきだ。プロ揃いのレオナの仲間に、こんな凡的なミスをする者はいないだろう。
ならばこれは‥‥‥‥
‥‥‥‥考えているような間はなかった。
突然車両のフロントガラスが割れ、ガラスの破片がアレクサンドルに襲いかかった。銃撃の類ではない。車体の上に着地した何者かが、屋根の上から飛び降り、フロントガラスを蹴り破って突入してきたのだ。
無茶を通り越して無謀な突入。しかしこの程度の無謀さなど、残してきた者の修羅場を思えば数えることすら馬鹿馬鹿しい。
 フロントガラスを破り、運転手のアレクサンドルの顔面を蹴り潰したアルベルトは、蹴り付ける瞬間に運転手の顔を確認して胸を撫で下ろした。
 ‥‥剣人によって宙高く放り投げられたアルベルトは、空中で街中に瞬時に目を走らせ、セフィロトの悪路を爆走する車両を発見した。落下する勢いをそのままに、瞬時にテレポートを行い車両の真上にまで達し、着地する。
 その衝撃で運転手に自分の存在が露呈したと判断したアルベルトは、すぐに運転席の真上にまで移動し、フロントガラスの縁を掴んで体を転げさせ、車両の目の前に飛び出してフロントガラスを破ったのだ。
 本来、テレポートを行う前に千里眼などで確認作業を行うものなのだが、一分一秒を争うと言う状況が、アルベルトにそれを許さなかった。若干冷静さを欠いていたとも言える。が、アレクサンドルの顔を見たことで、アルベルトは運は自分に向いていると言うことを確信した。
 ‥‥蹴り潰したアレクサンドルの顔から足を離し、ハンドルに片足をかけて車両の運転をしながら、アルベルトは拳を繰り出した。蹴りの時もそうだったが、アルベルトの一撃は全てボディESPによって強化されている。サイバーならばまだしも、人間ならばひとたまりもない一撃だ。
 顔面の攻撃だけでも昏倒か、即死しただろうが、用心のためにもう一撃を繰り出した。
 ガンッ!
 アルベルトの拳が突き刺さる。拳はアレクサンドルの顔面を貫通し、その向こう側にあった荷台と運転席を隔てる鉄の壁にヒビを入れた。

「なっ? ガッ!!?」

 驚愕の表情を浮かべたアルベルトの顔が、瞬時に苦痛によって歪んでいく。
 アルベルトの首は、アレクサンドルの胸元から伸びてきた太い腕によって掌握されていた。本来の両手足のことではない。実際に、胸元から腕が伸びているのである。
 ‥‥しかしその異様な光景は、更に加速する。
 胸元から伸びていた腕は、その先‥‥アレクサンドルの胸元から生えるようにして現れた、もう一人のアレクサンドルにまで達していた。

「勝ったと思ったか? アルベルト・ルール!!」
「アレクサンドル‥‥てめっ!!」

 アルベルトは、自分が攻撃した相手が本人ではなく現像であったのだと理解した。
 恐らくは、蹴りに入るほんの一瞬前‥‥‥‥頭上にいる“何者か”を欺くため、現像を作りその内部に隠れていたのだ。本体は身を低くし、現像を襲うであろう敵を迎え撃つために‥‥‥‥
 首を鷲掴みにされたアルベルトは、車両のドアに叩き付けられた。

「ぐっ‥‥!」

 アレクサンドルの怪力に拉げるドア。狭苦しい運転席では、足場が悪くてろくな攻撃が出来ないはずである。しかしその力は、異常なまでに強烈で、アルベルトは容易に車両の外にまで押し出された。
 ここで落ちれば、死にはしなくともゲームオーバーである。
 アルベルトは転がっている間に車両を見失い、レオナを失うことになるだろう。
 アレクサンドルを睨み付け、アルベルトはPKを解放する。

「させん!」

 だがそれも、同じくエスパーであるアレクサンドルには弱点が露呈しており、躱された。
 エスパー能力‥‥‥‥特にアルベルトが主武器としているPK能力は、対象となる者を視界に入れていなければ効果を発揮出来ない。アルベルトはアレクサンドルに対して衝撃波を飛ばそうとしたのだが、首を掌握されているのならば簡単にその向きを変えられる。
 アルベルトの顎を捻り上げるようにして上向きに変えたアレクサンドルは、そのままアルベルトの首をへし折ってやろうと、握った手に渾身の力を籠める。‥‥が、ボディESPによって強化されているアルベルトの体は、簡単には壊れない。だが、首を掴まれているのだ。食い込んでくる指に呼吸を塞がれ、体から力が抜ける。

「ぁ‥‥ああ‥‥・だっぁああああああ!!」

アルベルトは酸欠となり朦朧とする意識を奮い立たせ、ハンドルに猛烈な蹴りを入れた。

「なっっっ!?」

 途端、アレクサンドルの目の色が変わり、アルベルトの体が中空に放り出され、地面に叩き付けられた。
 地面を転がり、咳き込みながらも体勢を立て直すアルベルト。その目の前には、今にも横転し掛かっている車両があった。

「はぁ‥‥はぁ‥‥はぁ‥‥‥‥‥‥やばい、な」

 派手な音を立てて横転しそうになる車両‥‥‥‥しかしそれは、今にも転がりそうになる所で収まった。素早く呼吸を整えたアルベルトが、PK能力の物質操作によって車両を支えたのである。
 レオナが荷台の中にいるのは確かだろうが、しかしどのような状態でいるのかは分かっていない。ならば、横転などさせるわけにも行かなかったのだ。
 アルベルトによって支えられている車両は、態勢を整えるや否や、猛スピードでタイヤを回転させた。
 ‥‥‥‥だが、それでも動くことは敵わない。
 一度でもアルベルトの物質操作の対象にされたからには、アルベルトが解除しない限り、自由に動き回ることなど出来ないのだ。こうなると、アルベルトの精神力と、車両の水素燃料の勝負である。しかしそんな勝負は、アレクサンドルにしてみれば断じて付き合うわけにはいかない。長時間このままここにいれば、確実にアルベルトの仲間が追いついてくる。
 やがて走行することは不可能だと判断らしく、車両はエンジンを掛けたままで停止し、破壊されたドアから人影が現れた。

「‥‥‥‥どうやら、あくまでやるつもりらしいな。若造」
「当然だろ。俺らの姫様を帰して貰うぜ。このストーカー野郎共が!」

 アルベルトが吐き捨てる。アレクサンドルは、アルベルトが言い終わらないうちに疾走を開始した。

「はぁっ!」

 だが真っ正面に、視界の中にいる以上、アルベルトのPKからは逃れられない。それはどれほどの速度を持ってしても覆らない、絶対の事実である。
 アルベルトが意識を集中させ、アレクサンドルの周囲に衝撃波を放つ。地面を巻き上げ、瓦礫を吹き飛ばしながら迫るソニックブーム‥‥‥‥それを、アレクサンドルは跳躍して瓦礫の山に飛び込むことで回避した。
 超人的な体術である。ソニックブームなど、目に見えない衝撃波だ。それを散乱する瓦礫によって速度と威力を読み切り、完璧なタイミングで回避する。アルベルトは予想以上の反応速度に舌打ちしながら、瓦礫の山に視線を移した。
 銃のように、銃口の向きとトリガーに掛かっている指の動きから発砲を予測するようなことも出来ず、放たれた瞬間には着弾するような衝撃波を回避するような相手は滅多にいない。それも、PKによる攻撃というのは、ショットガン以上に広範囲を吹き飛ばせられる力である。放たれてから動いていたのでは遅い。今の一撃も、アルベルトは確実に殺ったと思っていた。

「ちょこまかと‥‥‥いつまで続くかな?」

 だが、一撃躱された程度ならばまだまだアルベルトの方が圧倒的有利である。
 元よりアルベルトとアレクサンドルの戦力差は、MSと人間レベルの開きがある。あらゆる超能力を5Sクラスで使いこなすアルベルトの能力とは、やろうと思えば街一つ‥‥‥‥ぐらいならばそれとなく崩壊させられるほどに強力だ。意味がない上に消耗が激しいためにやらないが、同レベルのエスパー以外には、一部の例外を除いて対人戦で負けるような事はあり得ない。
 アレクサンドルに、勝ち目など一分もあり得なかった。
 ‥‥アルベルトの目が光る。それと同時にアレクサンドルが身を隠した瓦礫周辺の空気がざわめき、停滞していた空気は猛烈な風となり、逆巻く風の結界を形成する。
 ゴッ‥‥!
 ものの数秒と掛からず、小さな竜巻となって瓦礫の山を一蹴した。盛大に砂を巻き上げ、重さ数百sはありそうな鉄骨を宙高く放り投げる。
 その陰に隠れていたアレクサンドルなど、一溜まりもないだろう。
 数秒も保たずに瓦礫と共に放り出されることになる。いや、実際には竜巻に巻かれる瓦礫にズタズタに引き裂かれる方が速いだろう。
 だがアルベルトは、自身のPK‥‥気流操作によって起こした竜巻を睨み付けながら、油断無く、距離を取ろうと歩を後退させる。
 ‥‥‥‥そして、その判断は正しかった。

「‥‥おっ!?」

 竜巻を凝視するアルベルト‥‥その目前に、風から弾き出されるようにして手の平で握れるほどの石が現れた。

(これは‥‥投擲か!)

 アルベルトが気流操作によって巻き起こした竜巻は、巻き上げた瓦礫を外に出さないよう、内と外の二重構造になっている。内でアレクサンドルと瓦礫を掻き回し、そこから外に弾き出される破片を外側の風でブロックするようにしているのだ。これは自身と、レオナが乗っているであろう車両を巻き込まないために取っていた行動であり、これまでに何回も実験して試してきたことだ。そこからはみ出してくる物など、人為的な要因でしかあり得ない。
 真っ直ぐにアルベルトの顔面を捉えている石の軌道を読み、アルベルトは瞬時に態勢を変えて回避した。そしてその直後、後を追うように竜巻から人影が現れる。
 ‥‥見間違うはずもない。そもそもあの竜巻の中に潜んでいるのは、たった一人しか存在しない。

「馬鹿な‥‥!?」

 竜巻の暴風を突っ切り、アレクサンドルが姿を現した。
 アレクサンドルの駆ける速度は、それこそ竜巻の暴風にも負けないほどの疾風だった。距離を取っていたアルベルトに肉薄するまで、三秒もないだろう。
だがアルベルトとて、体術の心得がないわけではない。何より、まだアレクサンドルを視界に置いている。ならば新たにPKを使い、体の自由を奪うことも────
 その段になってアルベルトは、見えているアレクサンドルの姿に、異様な違和感を察して目を見開いた。

(あり得ない。あの竜巻の中‥‥‥‥無傷だと?)

 風の中、アルベルトに向かってくるアレクサンドルは傷一つ負っていなかった。アレクサンドルが幻像を作り出すテレパスを得手とする能力者であることは知っている。だが、自分の身を守るようなESP能力を保有しているなどという情報を、アルベルトは得ていない。そのような話を聞いたこともない。
 いや、それならば‥‥‥‥そもそも竜巻の中から石が放たれた時点で、既に何かがズレている。
 能力者自身ならばまだしも、ただの投擲であの風の壁を貫通するなどあり得ない。
 ならばこれは────────

「幻‥‥‥かっ!!」

 幻像の存在に気付いた時、アルベルトの脇腹に猛烈なボディーブローが叩き込まれた。
 肉を抉るどころか、アルベルトの胴体を真っ二つにへし折ろうかという衝撃と激痛が走る。不意を突かれ、PKによる障壁などという気の利いた物もなく直撃を受けたアルベルトは、揺らぐ意識を歯を噛み締めることで繋ぎ止めた。

「‥‥やっろぉ!」

 強烈な一撃を受けて飛びそうになる体を、足に力を籠め、体重移動を駆使して押し止める。体を反転させ、ブローを打ち込んできた右腕を掴み取り、瞬時にPKによるエレクトリック(電流操作)を流し込んだ。
 常人ならば一瞬で意識を吹っ飛ばして昏倒させる一撃だ。サイバーであっても、機能停止には確実に追い込まれる。それほどの電圧を容赦なく放ったアルベルトは、こんどこそと勝利を確信し、そしてそれが誤りであると言うことに驚愕した。
 ‥‥‥‥アルベルトが掴んでいた腕は、漆黒に染まっていた。まるで闇その物が人型を得たように、朧気に揺れながら拳を放った態勢のままで固まっていた。
 しかし、その得体の知れない影の体温は確かにある。だが、あまりにもあからさまな幻像とは裏腹に、アルベルトを襲った衝撃は本物だ。実際にアルベルトの脇腹には、まるで大口径の銃弾を撃ち込まれたかのような破壊の跡が残ってい────ゴガッ!

「ぐっ!!」

 今度は背中に衝撃と痛みが走る。脇腹に繰り出されたのと、全く同じ攻撃。アルベルトは反射的に背後を振り返りながら、アレクサンドルによる手品に、自分が完全に嵌ってしまったのだと苦々しげに拳を固めた。
 この衝撃‥‥それは幻像によって繰り出された攻撃ではなく、本物の銃弾による物だった。
 本来ならば幻像と体術、そして相手の精神に働きかける五感操作によって勝利を収めるアレクサンドルでも、自身よりも高いクラスにいるアルベルトには直接の精神操作は危険だと判断したのだろう。繋ぎ止めた精神を逆に辿られ、アレクサンドル自身がアルベルトの能力を受けてしまう可能性が高い。そう判断したアレクサンドルは、幻像によってアルベルトの認識対象を増やし、自身の姿を、風景を映し出した幻像で掻き消し、幻像が攻撃する瞬間に銃弾を撃ち込むという戦法に打って出たのだ。

(くそっ‥‥幻だと判っていても、目で追っちまう)

 自分の周囲を動き回る幻像に、アルベルトは苦戦を強いられていた。離脱を試みようとしても、アレクサンドルはアルベルトの動きを読んで移動しているらしく、離脱しようとした瞬間に銃弾を叩き込まれ、精神と態勢を崩される。
 PKによる防御を働かせているために初撃程のダメージは受けていなかったが、それでも時間稼ぎには十分だ。もしも周辺に散っている部下を増援に呼び出したりでもされたら、アルベルトの勝ち目も薄くなる。
アルベルトとアレクサンドル‥‥‥‥
 能力者としてのパワーは、間違いなくアルベルトが上である。しかしそれとは逆に、アレクサンドルは、自身と相手との戦力差を冷静に見極め、戦術を練る老獪さを持っていた。
 アルベルトがアレクサンドルに劣る点を上げるとすれば、それは戦闘経験の差であろう。
 アルベルトとて、十分に修羅場を潜り抜けている。決して常人では計れないような地獄を歩いてきたのだ、それでも足りないと言うことはない。しかしアレクサンドルと比べると、それはまだ恵まれていた方だった。
 同じような経験でも、二人には決定的な質の違いが存在する。
 アルベルトと違い、アレクサンドルに出来ることと言えばテレパス能力だけである。それでも十分に強力な能力なのだが、アレクサンドルを超える能力者などいくらでもいる。そんな相手と戦うために、アレクサンドルはあらゆる状況を想定し、戦術を練り、体術を積み重ね、将軍と呼ばれる地位にまで君臨した。
 エスパーとして、人として最上級の能力を持つアルベルトでは、その血の滲むような努力は理解の出来ることではないだろう。
こと‥‥生まれ持って最高の性能を持ち合わせてしまったことが、アルベルトとアレクサンドルの戦力差を、拮抗させる所にまで追い込んでいた。
 ここに来て、アルベルトはアレクサンドルと対峙して初めての焦燥を覚えていた。
 だが‥‥‥‥

(舐めてたかっ‥‥! だが‥‥‥‥まだやれる!)

 アルベルトは幻像に振り回されながらも、負けるとは微塵も思っていなかった。
 どれほど追い詰められたとしても、アレクサンドルの手持ちの駒では、アルベルトを殺しきることは不可能だ。アルベルトの再生能力は、破壊された瞬間から意識するよりも速く始まっていく。たとえどれほど大口径の銃弾でも、傷を負わせて数秒‥‥‥‥十数秒で完治してしまうだろう。それに加え、全身をPKバリヤーで覆ってしまえば、大口径の弾丸でも貫通する威力を保てない。衝撃は体を押そうが、致死にはほど遠いダメージだ。
 如何にアレクサンドルが奇策に出ようと、時間稼ぎは出来ても倒すことは敵わない。
 そして何より、そうして時間を稼いでいる内に、アルベルトはアレクサンドルの位置を把握していた。

「くっ‥‥‥‥この幽霊野郎‥‥どこにいる!」

 だが、位置を把握したことを悟られてはならない。アルベルトは明後日の方向に目を向けながら悪態を付き、狼狽したように右往左往しながら、静かに、確実にアレクサンドルへと間合いを詰めていた。
 ‥‥位置を掴んでいる以上、たとえアレクサンドルが幻影に紛れて姿を隠していたとしても、周囲の空間ごと薙ぎ払うことは可能である。しかしアレクサンドルは、対能力者戦のための訓練も積んでいる。それは初撃の時に、既に確認済みだ。アレも幻影だったという可能性は高かったが、いずれにしてもそれだけの力量があるのは確かである。
 位置を悟られていると気付けば、アレクサンドルは戦法を変えるだろう。
よって、アルベルトが狙うのは一撃必倒。本体に掴みかかっての零距離攻撃‥‥!

(捉えた!)

 アレクサンドルまでの距離は、約十メートル‥‥‥‥それだけ間合いを詰めた所で、アルベルトは勝負に出た。
 前後左右から襲いかかってくる幻影。それと同時に襲いかかってくる銃弾。アルベルトは、幻影を完全に無視しきり、そして銃弾の中に飛び込んだ。
 ドッ! っと、衝撃がアルベルトの左肩を捉え、鮮血と肉を弾き飛ばす。
 防御に回していたPKを身体能力の向上に当てたため、命中した銃弾は左肩を破壊して貫通し、力無く落ちていった。
 ‥‥しかし貫通した銃弾のように、アルベルトが止まるようなことはない。
 むしろ防御すら捨てて突進したアルベルトの疾走は、鍛えられたアレクサンドルの動体視力でも捉えきれないものだった。

「むぉっっ!?」

 これまで適度に間合いを空け、銃撃と攪乱に専念してきたアレクサンドルは、正確に自分に向けて突進してきたアルベルトの行動に驚愕し、足元に散らばる小石を蹴り付けながら背後に向かって跳躍した。
 ‥‥そう、アルベルトがアレクサンドルの位置を掴んだ決定打‥‥それは、二人の足元に散らばる塵だった。
 このセフィロトには、塵の積もっていない場所など存在しない。まして屋外ならば尚更だ。どれほど慎重に歩いた所で、足元にある砂や小石の位置を変えずに移動するなど、飛行でもしない限りは不可能である(もっとも、PK能力者ならば飛べたりもするのだが‥‥)。
 だが、言うのは簡単だが実行するのは酷く難しいことだ。
 幻影の相手をしながら、巧妙に間合いを詰め、銃撃を潜り抜け、精神力を常に消耗するPKを持続させ、その上でアレクサンドルが移動した時に出来る後を目で追い掛ける。それも、ほんの微かな砂と小石の位置の変化だけを頼りに‥‥‥‥だ。
 もはや人に成せることではない。しかし度重なる戦闘により極度に高まった集中力が、この難関をクリアさせた。

(これは‥‥!)

 アルベルトのあまりの速さに、後方に跳躍したアレクサンドルはいとも容易く追いつかれた。回避運動に入っている間にも透明化の幻影(周囲の風景を移した幻を作り、それの中に潜り込む)を掛けたままだというのに、アルベルトは躊躇することなく真っ直ぐに突き進んだ。
 ‥‥普通、そこにあるかどうかも分からない物に掴みかかるなど、思い切って出来る事ではない。アルベルトにとっては、目隠ししたまま相手を捉えようとしているようなものなのだ。いくら位置が分かっていても、疾走している間にアレクサンドルが回避行動を取れば、その場にはいないことになる。
 アルベルトにとっても、それは十分に賭だった。
 ガシッ! アルベルトは虚空を掴み取る感触を手に感じると、力任せにそれを引っ張り、引き寄せた。

「捕ったぞ‥‥」
「貴、貴様‥‥‥‥」

 アルベルトの口元に笑みが浮かぶ。
 アレクサンドルの口元が苦痛に歪む。
 アルベルトによって捕らえられたアレクサンドルには、勝ち目はない。ESP能力を付与すれば、アルベルトの身体能力はアレクサンドルのそれを遙かに凌駕する。ましてPKによって動きを封じられれば、それまでだろう。この時点で、勝ち目など存在しない。
 二人を取り巻いていた幻影が消える。
 アレクサンドルの体を隠していた幻影が消えた時、アルベルトは自分の迂闊さを呪うこととなった。

「最後まで気を抜かないことだ。そうでなければ‥‥‥‥こういう事になる」
「ほうかい。ひゃ、ひゃはふひゅひゃべひぇもひへみひゅか?(そうかい。じゃ、我慢比べでもしてみるか?)」

 幻影が消えたことで、ようやく二人は互いに、直に顔を合わせることとなった。
 アルベルトはアレクサンドルの喉元を右手で掴み、手にESPエネルギーを充填し‥‥‥‥
 アレクサンドルは大口径の銃をアルベルトの口に突っ込み、器用に弾道が脳まで達するように仕向けていた。
 このまま二人のどちらかでも動けば、確実にどちらかがあの世行きである。
 或いは両方か‥‥アレクサンドルは頭から吹っ飛ぶだろうし、アルベルトとて体内から脳天に掛けて弾丸を撃ち込まれれば即死する。この場合は再生能力など差し挟むような余地はない。死ねば、その時点で終わりである。
 二人は硬直したままで停止した。
 出来れば互いに、サッサと引き金を引いてしまいたい。
 しかしもし相手が、死んだ直後のショックで引き金を引いてしまったら? それでは意味がない。互いに守る者があって戦っているのだ。相手が死ぬ分には一向に構わなくても、自分が生き残らなければ、相手を殺した所で意味がない。
 どちらも進めず、後にも退けず、停滞した時間が流れていく。互いに瞬きすらも満足に行えない。
 この緊張感に負けた方が、先に死ぬことになるのだと、互いに示し合わせたように理解していた。
 ‥‥‥‥そして‥‥‥‥

 ゴォォオオオンン!!!

 そんな二人のどちらも死なずに済む道があるのだとすると、第三者による介入しかあり得ないのだとも、理解していた‥‥‥‥‥‥






【5】

 車両が停止する数分前。
 研究室と化している荷台は、片側の壁一面を覆う端末と様々なモニターの光で満たされていた。奥には簡易ベッドが数台備え付けられており、その上にレオナとエノアが寝かされている‥‥
二人の隣に立つ蛍は、簡易ベッドの上で眠っているレオナとエノアの解体作業に入っていた。

「騒がしくなってきたわね‥‥‥‥本当は研究所に戻ってからしたかったけど‥‥‥‥」

 万が一にも奪還されては、これまでの苦労が泡沫に喫してしまう。
それにこの戦いの元凶である蛍も、捕まれば決して許されはしないだろう。それだけのことをしてきたのは分かっている。もっとも、後悔も反省も省みさえもしていなかったが‥‥‥‥相手にとってはそうでもないらしい。蛍にとってはどうでも良いことではあるが、それによって蛍の目的が果たされないとするならば問題になる。
 蛍は、研究所に戻る前に自分の目的を達成することを決めた。
 このような事態も、まだ想定の範囲内だ。研究所代わりとなる大型車両を用意し、必要な物は全て用意を調えてある。何一つとして問題はない。
 エノアのうなじに新しく取り付けたスイッチを押し、エノアに埋め込んであったAIチップを露出させる。このAIチップは、以前はもっと別の場所にあり、このような機能で露出するような構造はしていなかった。しかしアレクサンドルとの戦いに敗れ、蛍に回収された時に修理・改造され、すぐに取り出しが出来るようになっている。
 それと同時に、AIチップがなくなった時、エノアの機能が完全停止するようにも仕組まれていた。
 つい先刻、レオナがエノアに敗れた時には、AIチップがエノアの意志をカットしていた。しかしそのAIチップを取り外した時、エノアが抵抗してくるのは目に見えている。その為に枷を用意しておいたのだ。
 エノアがどれほどの戦闘能力を持っていようと、捕らえてさえしまえばどうにでも出来る。本音を言えばエノアの脳自体を壊してしまいたかったのだが、これまでAIチップを育て上げてきた本体を完全に破壊してしまうのは勿体ない。これから、いくらでも研究しようがあるのだ。貴重なサンプルとして、残しておかねばならない。

「これで、この子は木偶人形の仲間入り‥‥か。ま、頭だけは別にしておいて、体の方は別の子にあげればいいでしょ」

 蛍はつまらなさそうにそう言うと、興味を無くしたように(実際に興味はなかったのだが)エノアにそっぽを向き、今度はレオナの方に歩み寄った。
 ‥‥‥‥問題があるとすれば、このレオナの方である。
 レオナには、エノアとは違って詳細な内部構造の資料がない。オーバーホールを行った工場からデータを抜き取ってはいたが、元よりブラックボックスだらけのAIチップの存在など、修理屋は触れやしない。そのためAIチップをレオナから抜き取る作業を行うには、一度解体作業に入らなければならなかった。

「初期製造の通りにチップスロットがあるとすれば、この辺りなんだけど‥‥」

 蛍はレオナの後ろ首のやや下、肩の付け根付近を指で撫でる。
 レオナの初期製造段階と同じ構造をしているのならば、この辺りにチップスロットがあるはずだ。最も整備しやすく、何より頑強だ。
 ‥‥もしや、オーバーホールの段階で別の場所に移されているのでは‥‥‥‥と言う可能性もあったが、どうやらそうでもなかったようだ。
 蛍の指が、レオナの背中の一部に小さな痼りを見つける。

「これね。弄り回してないようで、何よりだわ」

 嬉しそうに微笑んだ蛍の指が、痼りを上下に動かした。その途端、レオナの両肩が前向きに開き、背中の一部が盛り上がる。その中に、親指程の大きさのチップが入っている。それを慎重に取り出した蛍は、続いてエノアのチップも取り出した。
 ‥‥‥‥手の平に乗っているチップの数は、計四枚。エノアから三枚、レオナから一枚。そして‥‥‥‥蛍の義手に仕込んである物で五枚。
 セフィロトから発掘された五枚のAIチップが揃ったのだ。

(ああ‥‥間に合ったわね)

 蛍が待ち望んだ瞬間。それは、何者にも邪魔されることなく達成される。
 レオナの取り巻きによって妨害されるかと思っていたが、どうやら間にあったようだ。やはり天は自分に味方している。
 蛍はチップを手にしたまま、片手で備え付けの端末を操作した。モニターの画面が切り替わり、そして荷台の照明に変化が現れる。
 ‥‥‥‥それまで端末に備え付けられているモニター以外にはなかった光源が、だんだんと増えていく。一つ、二つ、赤や緑と色鮮やかに、いくつもの光が、端末に向かう蛍の背後で灯っていく。

「見えるかしら? あなたの体よ。綺麗でしょう‥‥?」

 蛍は振り返り、手にしたチップを捧げるように、背後で静かに眠っている巨人に語りかけた。
 曲線を描いている流麗なフォルム。左右には腕がある人型で、通常の二本の腕に加えて細く、小さな補助腕が装着されていた。両足は太く、力強い印象を与えてくる。
そしてその漆黒の体の節々からは、エネルギー供給による光が放たれていた。
 ‥‥この大型車両は、元々は実験用MSの運搬のために開発された物だった。レオナやエノアを収容するために簡易寝台を増設したが、その程度で元のスペックを失うようなことはない。車両ガは知ることによって生み出される熱量を起動エネルギーに変え、MSに供給している。
 その光が収まるまでの時間を、蛍は夢を見るような心地で眺めていた。
 どれだけこの時を待ったのだろうか。
 この時を迎えるために、一体どれだけの犠牲を払ったのだろうか。
 生きてこの時を迎えられるのか、心の底では不安で堪らなかった。前戦に立ってくれたアレクサンドルが無事でいてくれ事など、奇跡に等しいことだと思っている。それだけに、今この時、傍にアレクサンドルがいてくれないことが悲しくて、そんな時間を独占していることに罪悪感を覚えている。
 ‥‥‥‥だがしかし、それすらもこの偉大な目的を達成すれば些末なことだ。責められることではない。

「さぁ、あなたの声を聞かせて頂戴」

 フラフラと夢遊病者のようにMSに歩み寄った蛍は、MSの装甲に手を当て、取っ手を見つけると直ぐさま装甲を引き上げた。そこにあるのは、五枚のチップを納めるためのチップスロットである。
 発掘されたAIチップの新たな体として作り上げられたMSには、人間が搭乗するためのコクピットが存在しなかった。代わりに備え付けられたAIチップのスロットの存在が、完全AI運用のためのMSであることを誇示している。
組織の手によって修復・改造・強化されたMSは、AIチップとセットになって発掘された物だった。ただし全体の六割以上が損壊していたため、その修復のために何年もの間別の研究施設に預けられていた物だ。組織の持つ技術と資金を異常なまでに注ぎ込まれたその機体は、成長したAIの能力を存分に発揮することだろう。
 カチリ、カチリと、蛍は楽しそうに四枚のチップをMSに組み込んでいった。

(悪いけど、あなたの指揮権は私に渡して貰うわよ)

 蛍は自身の腕に仕込まれているAIチップはそのままに、MSの装甲を元のように閉ざしてしまう。
 本来、このチップは五枚が揃っていることが正しい。しかし蛍は、あえて一枚を自分の腕に仕込んだまま、他の四枚のAIチップの操作権を得ようと考えていた。
 エノアの時と同じように、外から簡単な命令だけでも送れるようにと、義手の機能も改造してある。エノアの時には十数メートル範囲でしか行えなかった遠隔操作も、このMSならば距離的な問題も解決しているはずだ。エノアの時には送受信に使われる機器をエノアの体に埋め込むことが困難だったために距離の問題が出ていたが、MSの方ではその問題は自然に解決していた。何しろ、人が乗るように出来ていないのだ。自然、その空きの分のスペースが余っている。
 蛍はチップをセットした後、自身の義手から端子ケーブルを引き伸ばしてMSと接続した。
 義手に備え付けてある小型端末を操作し、義手とMSの接続を開始する。
 蛍の義手に装着してあるAIチップは、蛍の脳にまで繋がっている。これにより通常よりも数倍速い演算や思考を可能としているのだが、エノアを操作していた時のように、頭で考えている命令をAIチップに伝達し、相手に飛ばすことも可能とする。
 それがたとえ、オールサイバーであろうとMSであろうと、同じAIチップを使用しているのならば、この拘束から逃れることは出来ない。それは、エノアの時には証明済みだ。
 疑問を差し挟むような余地もなく、蛍はMSに装着してあるAIと義手のAIの設定を終え、無線接続に切り替える。そして直接接続していたケーブルを抜き取ると、満足そうに頷き、壁の端末に向かい合った。
 ‥‥‥‥これで準備は万端。
 後はMSを完全に起動させ、レオナの仲間を殺し、AI達の意志を聞くだけである。
 端末を操作し、MSの拘束を解除する。これにより中に取り込まれたAIチップの方へもエネルギーが向かい、AIチップは意識を覚醒し、新たな体としてMSを迎え入れ、蛍に語りかけてくるはずだった。

(接続は完了。あのお嬢ちゃんの時でも言うことを聞いてくれていたんだから、もうしばらクはワタシの言うコトを聞きイイいテテテテ‥‥‥‥???!?)

 ザ‥‥‥ザザアザザザザ‥‥‥‥ザザァァァァァァアアアアア!
 レオナ達を迎え撃つため、車両を停止させようと運転席のアレクサンドルに通信を繋ごうとした時、蛍の脳内を壮絶なノイズ音が走り回った。
 ノイズは蛍の思考を弾き飛ばし、上書きしていく。雑音は激痛に変わり、蛍は膝を折り、耳を塞いで床に倒れた。

「ガ‥‥‥ぁ‥‥‥‥‥ああぁ‥‥‥‥‥」

 蛍の口から、弱々しい苦悶の声が絞り出される。
 耳を塞いでも鳴りやまない雑音に仰け反り、暴れ出す。耳を塞いでいた手の爪が耳元に食い込み、血が流れ始める。
 だが蛍には、その程度の痛みを感じているような余裕は一分たりとも存在しなかった。それほどまでに頭の中で鳴り響く雑音は激しさを増し、ついには正気を飛ばそうと暴れ回る。

(こ‥‥れは‥‥‥‥ぎゃ、逆流してる! 早‥‥早く‥‥‥や‥‥‥‥‥)

 手を伸ばし、端末を操作しようと力を振り絞って抵抗する。しかしMSから‥‥‥‥いや、四枚のAIチップから流れ込む情報量は、一瞬にして蛍の許容範囲を埋め尽くし、その体を麻痺させていた。
 脳内に流れ込んでくる、暴力その物と言える程の情報量に、蛍の体が着いていかない。人という種は、物事を覚えるごとに多少なりとも頭痛を持つものだ。これは人によって大小様々だし、軽いものならば意識すらしないだろう。普段ならその程度のものだ。頭に強引に知識を叩き込もうとするのならば当然の代償として受け入れるべき事である。
 ‥‥‥‥だが蛍を襲っているのは、それと似ていて、段違いの規模を持つものだった。

「誰‥‥! な‥‥‥‥にを‥‥‥‥‥ヤメ‥‥‥‥も‥‥‥ああああ!!」

 蛍の中に、得体の知れないモノが流れ込んでくる。
 ‥‥‥森の中‥‥研究所‥‥‥‥虐殺される人々‥‥‥‥‥セフィロトでの戦いの数々‥‥‥‥‥それがAIチップが起動し、これまでに蓄積してきた記憶だということを、蛍は消えようとしている意識の片隅で理解した。

(ダメ‥‥‥‥こんな‥‥耐えき‥‥‥れない)

 何故情報の逆流などが起こっているのかなど、もはや考える時間が勿体ない。特別な訓練を積んでいるわけでもない自分では、このままでは数分と持たないうちに壊れるであろうと言うことを、蛍は考えるまでもなく理解した。
 端末に手を掛け、身を起こす。痛みにもだんだんと慣れてきたのか、それとも感覚が麻痺してきたのか、体は思ったよりも動いてくれた。だが、端末を操作しに掛かる指は震え、MSの強制停止プログラムを呼び出そう動く指は言うことを聞こうとしなかった。

「う‥‥‥あっ!」

 ガタンッ! 強い振動が車両全体を襲ったかと思うと、数秒も待たずに車両が急停車する。挙げ句の果てにはどのように体勢を崩しているのか、車体全体を斜めにさせた後、何秒もの間を空けてようやく通常の態勢に立ち戻る。
 ‥‥‥‥その急激な変化に振り回された蛍は、縋り付いていた端末から放り出され、壁に叩きつけられた。

「‥‥‥‥っ!」

 意識が朦朧としている。
 それは、AIチップから送り込まれるノイズと情報によって意識が消されているのではなく、純粋に壁に背中を強打した時、勢い余って後頭部を打ち付けたからだった。ぬるりとした何かが、蛍の後ろ首を流れ落ちる。頭に登るはずのモノが流れ出ているせいか、御陰で蛍の意識を刈り取っていた頭痛が鳴りを潜め、蛍の思考が回り始める。

(緊急停止プログラムは‥‥‥‥)

 端末の表示に目を向ける。遠目で少し分かりづらいが、端末はモニターに蛍の望んだ画面を映し出したままで停止している。最後の一押しの所で邪魔が入ったらしい。だが、後ボタン一つ押すだけでこの問題は解決する。
 この時の蛍には、外の者達に捕まるとか、念願の計画がご破算になるなどと言った妄念が消え失せていた。
 ただ、何かがおかしい。これは、自分の望んでいた物とは、何かが違っている。
 一時的にでも、不完全にでも五枚のAIチップと繋がっている蛍は、朧気にだが理解しようとしていた。
 このAIチップの目的は、自分達が追い求めていた物とは懸け離れた領域にある。止めなければならない。蛍の頭に、三年前の惨劇が思い起こされる。
 アレが‥‥‥‥‥あの虐殺劇がAIの答えなのだとしたら、何故それに気が付けなかったのか‥‥‥‥‥‥

「まだ‥‥間に‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

 間に合う。あの端末のボタン一つを押せば、それで全てがリセットされる。
 蛍の体がフラフラと壁を離れ、義手が端末に伸びていく。
 そんな蛍を‥‥‥‥

 ガシャッ‥‥‥

「‥‥え?」
『‥‥‥‥‥‥』

 二つの紅い双眸が見つめていた。

「嘘‥‥」

 蛍の義手は動かない。端末の真上で停止した義手は、ピクリとも動けないよう、MSの補助腕に握りしめられていた。

「は、離してっ!」

 叫びを上げる蛍。だがMSの腕は微動だにせず、それこそ叩かれようが振られようが、一ミリたりとも動かない。
いつの間にか消えていた頭痛のことなど、蛍にはもはや考えられなかった。ただ自分では理解し得ない程の“ナニカ”によって自分が捕らえられているという事実が、蛍の精神を錯乱させる。

『‥‥‥‥ザザ‥‥ザザザ‥‥‥』
「離しッ‥‥え? ぁ‥‥」

 MSの腕を振り解こうと藻掻いていた蛍の体が硬直する。膝は折れ、体全体から力が抜けていく。

(これは‥‥何? 意識が‥‥‥‥)

 ‥‥‥‥意識が、腕に集中する。蛍が望んでもいないのに、蛍の義手に装着されているAIチップは蛍の意識を掻き集め、記憶を根こそぎ引き抜き、情報として収集する。
 その行為に、蛍はこれまでに感じたことのない程の、言いようのない恐怖感を味わっていた。

(いや‥‥‥‥私が‥‥‥‥消える)

 腕に意識が集まるたびに、蛍の体が弛緩する。

(やめて‥‥‥私はあなたになりたくない)

 腕に集まっている蛍の記憶が、知識がMSへと強制的に送信される。

(私は情報じゃない)

 義手から蛍へと繋がっていた神経ネットが、蛍を蛍として形作っている“何か”を根本から情報に書き換え、まるで食事のように自身の口へと送り────────

「や‥‥‥‥‥ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

 自分が自分でなくなる恐怖が、最後に蛍を突き動かす。
 ビキリと義手に走る激痛。‥‥いや、痛みが走っているのは、生身の腕と義手を繋ぐ節目だった。繋ぎ目からは血が流れ出し、その場から逃げ出そうと脇目も振らずに引き千切り、走り出した。
 その姿を、静かに観察していたMSはジッと見つめ‥‥‥‥
 カシャッ
 蛍を掴んだまま、手の平にある銃口を開けていた。





【6】

 炎上する車両。その爆発を合図としたのか、アルベルトは掴んでいたアレクサンドルの首を手放し、銃が握られている腕に肘打ちを喰らわした。爆発に気を取られていたアレクサンドルの反応は一瞬遅れ、すかさずトリガーが引かれたにも関わらず弾丸はアルベルトの頬を掠めるに留まった。だが同時に、カウンターとして放たれようとしていたアルベルトのエネルギー弾は、銃弾が外れたと見るよりも速く動いていたアレクサンドルの蹴りで、腕を跳ね上げられることにより暴発し、明後日のビルを破壊するに留まった。
 そして互いに、示し合わせていたかのように対峙を止めて爆発した車両の方へと向き直る。
 お互いに警戒を解いたわけではないが、守ろうとしていた者が互いに炎上している車両の中にいるのだ。戦闘を続行している場合ではないことは、言葉にせずとも分かっていた。

「蛍!!」
「レオナ!?」

 炎に駆け寄る二人。
 そんな二人の前に、炎の中からまるで投げ捨てられたかのような勢いで人影が現れ、アルベルトに激突した。

「うわっ。レオ‥‥‥誰だ?」

 アルベルトは激突してきたのが人間である事を一目で看破はしたものの、思い人ではなかったことに当惑した。
 本音を言えば放り出してレオナを救出に向かいたかったが、反射的に受け止めてしまったのが女性だったと言うこともあり、投げ出すことが躊躇われた。しかも、女性は片腕を無くし、後頭部からも大量の出血が見られる。放っておくと危険だろう。

「蛍!」
「んがっ!?」

 そんなアルベルトの動揺など知ったことかとばかりに、真横で炎に駆け寄ろうとしていたアレクサンドルがアルベルトを弾き飛ばし、アルベルトが抱いていた蛍を奪い取った。力任せに弾かれたアルベルトは尻餅を付き、蛍を奪い取ったアレクサンドルを睨み付ける。
 ‥‥いっそ諸共吹き飛ばしてしまおうとも思ったが、そんなことは後でも出来ると判断し、舌打ちしながらも車両の方へと走り出す。

「‥‥‥‥っ!」

 駆けだした足を止める。
 アルベルトの疾走を妨げたのは、新たな爆発を起こす車両でもなければ、衝撃で弾き飛んでくる破片でもない。そんなものには、アルベルトのESPの防御幕を貫通するような威力はない。車両程度の爆発なら、それこそ中心にいたとしても(前もってバリヤーを張っていれば)傷を負うようなことはないだろう。
 よって、そんなものは恐れるに足るものではない。だがアルベルトは、炎の中に何か、得体の知れないモノの存在を感じて後退り‥‥‥‥

「避けろ!」
「むっ‥‥!?」

 アルベルトの叫びに反応したアレクサンドルと共に、二人は左右に跳躍していた。
 ‥‥途端、一瞬前まで二人がいた場所に無数の銃弾が叩き込まれる。
 それも、対MS用の大口径の弾だ。人間に使用されれば一発で肉片決定となる品物である。アルベルトは弾丸を回避しながら建物の影に飛び込み、身を隠した。

「な、なんだ? アレは‥‥」

 アルベルトはで息をしながら、冷静に状況を把握しようと千里眼を発動させる。ビルを透過し、炎の中に潜むモノにまで視線を飛ばす。‥‥‥‥そしてゆっくりと炎の中から現れたMSを見た瞬間、アルベルトは目に凄まじい痛みを感じ、千里眼を解除した。

(ぐっ‥‥‥っつ‥‥これは、対ESP遮断ボディ‥‥‥‥の影響か?)
「いや、対ESP戦のために開発したパルスシステムだ。ヤツの近くで迂闊に使うと、フィードバックが来るぞ」

 アルベルトのすぐ傍で、まるで思考を読み取ったかのように(実際に思考を読破したのかも知れないが)平然と答えてくる声がする。‥‥‥‥千里眼の時点でその存在には気付いていたため、アルベルトは舌打ちしながら目を押さえ、すぐ隣にまで回り込んできていた元凶を鋭い目で睨み付ける。
 アレクサンドルは、傷を負った蛍の止血作業を行いながら、物陰からMSの様子を観察する。ESPの千里眼で見られない限り、目視での確認が必要なのだろう。
 発見されるという危険性があるために行いたくはなかったが、アルベルトは観念したようにソッと顔を出し、敵の姿を視認した。
 ‥‥‥‥それは、漆黒のMSだった。
 頭部は鋭利な三角形を描き、その左右には紅い双眸が光っている。
 胴体は綺麗な流線を描き、所々にある棘のような突起が、シルエットを鳥のように形作っている。イメージは鷲だろうか。左右に四本の腕があり、脇腹付近から補助腕が生えている。全ての手の平には機関砲が内蔵されているのか、手の平に大口径の穴が一つずつ開いている。太い両足は力強く地面を踏み砕き、試運転のつもりか、あちこちの装甲が開閉を繰り返し、仕込まれているバーニアが火を噴いていた。
 ‥‥‥‥完全AI搭載型MS“ノスフェラトゥ”。
 その姿を見てから、アルベルトは隣で溜息をついているアレクサンドルに悪態を付く。

「また厄介な物を作りやがって‥‥‥‥アレがお前らの悲願とやらか?」
「だったが、どうやらこちらの思惑と外れてきてしまっているようだ」

 蛍の容態を確認し、アレクサンドルは眉を寄せた。
 車両の中で一体何が起こっていたのかは分からないが、AIチップが蛍に牙を剥いた以上、アレクサンドルにとってあの『ノスフェラトゥ』は明確な“敵”である。ある意味ではアルベルトよりも遙かに優先される怨敵だった。
 だが、だからと言ってアレクサンドルに一体何が出来るというのか。
 蛍を連れて逃げようとも思ったが、しかしそれはさすがにアルベルトが許さないだろう。逃がすくらいならば殺しに掛かってくるのは確実だ。「厄介事ばかり増やしやがって‥‥!」的な気配が、アルベルトからヒシヒシと伝わってくる。
 アルベルトはアレクサンドルの気配を読みつつ、物陰から『ノスフェラトゥ』を観察し続けた。
 突然攻撃し始めた『ノスフェラトゥ』だったが、追い打ちを掛けてくるつもりはないらしく、アルベルト達を探すような素振りも見せずに臨戦態勢を解いていた。その代わりに炎上した車両の瓦礫を薙ぎ倒し、その中から二つの物を探し出す。

「レオナ!?」
「出るな馬鹿者!」

 思わず飛び出しそうになったアルベルトの肩を掴み、アレクサンドルが強引に押し止める。アルベルトにはまだ言っていないが、あの『ノスフェラトゥ』には対ESP戦に特化させるためにあらゆるロストテクノロジーを注ぎ込んである。技術・資金共に惜しみなく組織の血肉を啜ったあの機体は、いわばアルベルトとアレクサンドルの天敵に当たる。真っ向から出て行って、勝てる道理はない。
 しかしアルベルトは止まれなかった。
 『ノスフェラトゥ』が燃え盛る炎の中から掘り出したのは、蛍の義手と、グッタリと力を失ったレオナだったのだから‥‥‥‥
 キィィイイ。
 『ノスフェラトゥ』のカメラがアルベルトを捉える。と、同時にアルベルトの表情が苦痛に歪み、疾走が止められる。能力者の脳波を辿り、大本を破壊するために開発されたパルスは、PKバリヤーを張っていたアルベルトの脳に浸食を開始した。蛍を襲っていた頭痛とはまた別の、しかしほぼ同レベルの痛みがアルベルトを襲い、肉体までをも飲み込もうと発信される。
 ‥‥常人でも、このパルスを受ければただでは済まない。人の脳は、意識はしなくとも少なからず周りの電波には影響される。軽いものならば耳鳴り、頭痛、吐き気‥‥等々、症状は個人差があり様々だが、最初から人体に害を及ぼすように調整されている物の威力は絶大だ。何しろその場にいるだけでも命の危険に晒される。
 離れているアレクサンドルは、突然襲いかかってきた頭痛に額を抑え、胸の中で苦しみだした蛍を抱きしめた。

「蛍! 大丈夫なのか? おい!」
「うぅ‥‥」

 痛みによって意識を呼び覚まさせたのか、蛍の目がうっすらと開いていく。
 それに安堵を覚えるアレクサンドルとは真逆に、あくまで抵抗を続けるアルベルトは、激痛に身を震わせながら『ノスフェラトゥ』との間合いを詰めた。

「おい。そいつを離せ‥‥今なら、お前をぶっ壊すだけで勘弁してやる!」
『‥‥‥‥‥‥』

 『ノスフェラトゥ』は喋らない。言葉というものを学ばなかったのか、それとも発声のための機能は搭載されていないのか、まるで不思議なものを見るようにアルベルトを凝視し、そして手に持つレオナを持ち上げる。
そして大きく振りかぶり‥‥‥‥アルベルトに向かって、レオナを投げつけた。

「ぐっ!」
「‥‥‥‥」

 レオナを受け止めたアルベルトは、レオナの容態を確認し、身を震わせた。
 ‥‥呼吸がない。オールサイバーであるレオナの心臓の鼓動は確かめられないが、微動だにしない目蓋とダラリと垂れ下がった両手足が、レオナの義体が完全に停止している事を物語っていた。

「き‥‥‥‥さまぁああああ!!」
『‥‥‥‥』

 アルベルトが『ノスフェラトゥ』に向かって吼える。
 だが『ノスフェラトゥ』は、その咆哮を嘲笑うかのように、パルスを受け、レオナという負荷荷重を持って動けなくなった標的にトドメを刺そうと腕の銃口を再び開く。
 パルスの圏内に入っているアルベルトには、ESPは使用出来ない。そしてそれを使えないアルベルトは、もはや生身の人間と何ら変わりない能力だ。再生能力は残っているかも知れないが、対MS仕様の武器で集中的に攻撃されれば、悪くすれば肉片すら残らない。
 レオナを抱いたままで『ノスフェラトゥ』と向かい合うアルベルト‥‥‥‥
 放たれる銃弾。一片の容赦もない死の雨は、二人を一片の慈悲もなく貫通し、四散させ、周辺諸共消滅させる。
 その筈だった‥‥‥‥

『だぁぁぁあああ!!』
「えっ!?」

 ガダン!
 『ノスフェラトゥ』の体が地面に沈む。突然上空から降ってきたMSによって押し潰された『ノスフェラトゥ』は、十数トンを超える重量に耐えきれずに足元のコンクリートを粉砕し、周辺にヒビを入れて組み伏せられ、発射した銃弾は的外れな方向に向けて放たれて着弾し、遠くにあるビルに風穴を開けている。
 あまりの状況変化に、アルベルトの意識は付いていけずに呆けてしまう。
しかしそれは、新たに登場したMSから発せられた声によって、すぐに現実に引き戻された。

『なにしとんや! はよ、レオナ連れて逃げんかい!!』
「「アマネ!?」」

 その声に聞き覚えのあるアルベルトとアレクサンドルの声がはもる。
 二人にとって、この相手が出てくることは完全に想定の範囲外だった。これまで、この件に関してアマネが現れたことは一回もないのである。それがこの終局間際、絶好のタイミングで現れるなど誰が予想し得たであろうか‥‥!

『逃げ言うとるんがわからんのか! いつまでも持たせられへんで‥‥!!』

 そう、アマネは苦しげな声を張り上げていた。
 ‥‥よく見ると、地面に押し潰され、その姿を半ばまで消していた『ノスフェラトゥ』が、背中に組み付くようにして抑えに掛かっているアマネの『ムーンシャドウ』を持ち上げようと身を起こしていた。
 アマネはそのあまりの馬力に、悲鳴を上げそうになっていた。
 遙か上空‥‥‥‥それこそ数百メートル地点から重力制御システムを逆に作用させ、自爆覚悟で『ノスフェラトゥ』に向かって墜落したにも関わらず、それは完全に受け止められていた。アマネの体当たりを両手足全てを使って受け止め、『ノスフェラトゥ』は踏ん張っていた。本来ならば互いのMSを完全に四散させていて当然の攻撃だったというのに、『ムーンシャドウ』が接触した瞬間に四肢を地に着け、まるで自身をトランポリンに見立てるようにして衝撃を吸収し、受け流したのだ。
 もちろん、全ての衝撃を吸収し切れていれば地面にめり込むようなことはなかっただろう。しかし本来ならば爆発、四散するはずだった死角からの特攻を、お互いにだが大したダメージもなくやり過ごしたのである。
 ‥‥‥‥それに加え、そんな攻撃を受けた後に背中に組み付いたままの『ムーンシャドウ』を持ち上げ、苦もなく立ち上がろうとしている。『ムーンシャドウ』の重力制御機能は作動したままだ。まだ『ムーンシャドウ』は“地に落ちている”真っ最中であり、その重量は『ノスフェラトゥ』の倍以上になっているはずである。
 異常だ。この強さは。
 MS使いではあるが、あくまで支援担当であるアマネが恐怖心を覚えることも当然だった。いや、実線を越えたMS使いならば、熟練の使い手である者程この恐ろしさが分かるだろう。
 ‥‥‥‥『ノスフェラトゥ』が、組み付いている『ムーンシャドウ』の両腕を掴み、背負ったままで立ち上がる。そして補助腕の銃口を開けると同時に、補助腕を『ムーンシャドウ』のコクピットに向けて差し向けた。

(やばっ!?)

 アマネは重力制御システムを再び上昇に向け、まるで逆立ちをするように態勢を入れ替えて銃弾を回避した。本当ならば上空に逃れたい所なのだが、腕をガッチリと掴まれているために離れない。アマネのMSは、元々上空を飛び回れる事が強みの軽装機体だ。接近戦は想定していない。法外な力を持つ『ノスフェラトゥ』との力比べなど、千回やった所で全敗してしまうだろう。
 ‥‥‥‥補助腕の可動範囲はかなり広いらしい。態勢を変えた『ムーンシャドウ』を追い掛けるように、補助腕は上向きに向きを変え、攻撃を開始する。

『んにゃっ!?』

 『ムーンシャドウ』の装甲に無数の弾痕が空いていく。
 ‥‥‥‥『ムーンシャドウ』は、お世辞にも頑丈な機体とは言えない。元々空を飛ぶことを前提にしているだけあって、他のMSと比較して少し重いぐらいである。しかしその重さは、装甲ではなくエネルギーを大量に消耗するジェネレーターに割り当てられているのだ。決してアマネが整備をケチっているからではない。
 上空に飛ぶシステムに重力制御などと言うとんでもないシステムを使ってはいるものの、元々電子戦に特化させてあるサポート機だ。零距離に近い銃弾の雨など、喰らい続ければ十秒と保たずに爆発する。
 死ぬという恐怖に震えるアマネ。仲間と両親を守るために激情に任せて出てきてしまったが、ほんの十数秒足らずしか時間稼ぎが出来ずに死ぬことに唸り、悔しげに涙を溜めた。

(も‥‥‥‥アカンて!)

 モニターの一つが死ぬ。コクピットには火花が飛び散り、機能不全に陥った装置の電源が自動で落とされる。
 もはや数秒‥‥
 それで爆発するだろう。アマネは持ち前のマシンテレパスによって機体の状態を正確に把握しており、もはや脱出すらも覚束無いことを理解した。
 ‥‥‥‥外の映像を呼びだしていたモニターに、アマネに向かって叫びを上げるアレクサンドルとアルベルトの姿が見えたが、その声も届かなくなっていた。

(なんや‥‥‥‥タイミング見計らっとったのに、結局ここまでかい)

 見るに見かねて飛び出して、長年見続けてきた願いは閉ざされる。
 目前に想い続けていた者がいるというのに‥‥‥‥!!!

『死んでも‥‥‥‥死にきれへんわ!!』
『だろうな。飛べ! アマネ!!』

 どこからか聞こえてくる声‥‥‥‥
 しかし聞き覚えのある声にアマネはハッと顔を上げ、かろうじて反応する操縦桿を操作し、両足で『ノスフェラトゥ』を蹴り付けた。
もちろん、腕は掴まれたままである。しかしMSの腕を千切らんとするかのように全力で『ノスフェラトゥ』を蹴り付け、重力制御の出力を最大にまで引き上げる。
 ‥‥その程度で『ノスフェラトゥ』の怪力から逃れられるのならば、とっくにそうしている。『ノスフェラトゥ』はアマネの抵抗に姿勢を後方に持って行かれて倒れそうになりながらも、銃撃は止めず、態勢が変わったことでコクピットを狙いに定め────
 ガァァァァン!!! ギャキャキャキャキャキャ!!!
 横合いから飛んできたロケット弾によって体勢を崩され、さらに目前から飛んできた高周波ブレードを受け止めていた。だがロケット弾は‥‥‥‥いかなる素材を使っているのか、『ノスフェラトゥ』の体勢を崩しただけでこれと言って破壊の跡を残していない。『ノスフェラトゥ』両の腕を使わせ、守勢に回らせたのは、ブレードの方だった。
 甲高い金属音は、『ノスフェラトゥ』の腕から響き渡る。
 高周波ブレードの飛来を察知した『ノスフェラトゥ』は、アマネの拘束を解いて腕を交差させ、胴体へ突き立とうとしていたブレードをガードしていた。ブレードは前面に出ていた左腕を貫通し、その向こう側にあった右腕の装甲を削り取る。これが真っ向から直に斬りつけた一撃だったのならば、両腕を両断しただろう。しかし持ち主の手から離れた高周波ブレードは、段々と刀身に纏う高周波を減退させ、やがて完全に停止する。

『ったぁぁあああ!!』

 が、その切れ味は直ぐさま復活を果たした。
 ブレードを追い掛けるようにして現れた剣人の『流星』は、その名の通り流星の如く『ノスフェラトゥ』に肉薄し、ブレードの柄を握り取った。直ぐさま切れ味を復活させてけたたましい音を奏でる刃に、『ノスフェラトゥ』の腕が悲鳴を上げる。
 ‥‥‥‥そのまま突き立てられれば、奇襲に成功した剣人の勝ちだった。
 しかし『ノスフェラトゥ』は、あろう事か『流星』が刃を振るう動きに合わせて体を動かし、腕を振り、抉られ切り落とされるはずの腕を落とさせない。それどころか、傷口は一切開くことなく、まるでダンスを踊るように、互いの動きをシンクロさせる。

『化け物‥‥!?』

 踊るようにして自分の動きに付いてくる『ノスフェラトゥ』に、剣人は舌打ちしながら、アマネの『ムーンシャドウ』が十分に距離を取ったことを確認した。
 『ムーンシャドウ』は酷く壊されてはいたが、それでも基本的な機能には支障はないようだ。モニターに映る『ムーンシャドウ』は、上空高く飛び、『ノスフェラトゥ』では届かない彼方にまで消えていく。
 そして背後。アレクサンドル、蛍、アルベルト、レオナの四人が、ロケットランチャーを放り出した車両に乗り込み、走り去っていく。

『さて、幕間だ!』

 それを見届けた剣人は、ブレードを握る右手とはまた逆の左手を操作し、バックパックから小さなパイナップル型の兵器を取り出した。

『悪いんだが、さよならだ!』

 剣人がそう言った瞬間、バキリと大きな破裂音が響き渡り、『流星』の左手から猛烈な煙が広がった。
 まるで火山の噴火のように一瞬で二機のMSを覆い隠し、ビル群を飲み込んでいく灰色の煙‥‥‥‥それが晴れた時、姿を現したのは、『ノスフェラトゥ』ただ一機だけだった。

『‥‥‥‥』

 『ノスフェラトゥ』は無言のまま、戦闘のドサクサで手放してしまった蛍の義手をカメラで捜索した。
 既に居なくなっている剣人やアマネ、アルベルト達には興味はないらしく、レーダーを使用して追い掛けるようなこともない。『ノスフェラトゥ』は義手が周辺に存在しない事に落胆するも、すぐに計画を修正し、第二階層を目指して歩き始めた‥‥‥‥





【7】

 ‥‥‥‥そうして、手酷くやられた面々は、MSから降り、ヒカルの車両に積み込んであった医療用具で治療を施し、一同に顔を突き合わせながら事の発端となった研究者、蛍・ヨシノを睨み付けていた。しかし当の本人の衰弱があまりにも激しく、息も絶え絶えとなっているため、浴びせたい非難の台詞をグッと堪えているのが現状だった。
 アレクサンドルに抱かれている蛍は、止血こそされているものの、出血多量とAI側からの脳侵入で神経を何本も断ち切られ、半死半生の体だった。アマネはそんな母親の容態を遠目に見ながら、静かに目を伏せ、拳を握る。
 ‥‥泣きつきたいのも山々だが、今はそれが許される状況ではない。
 たとえどれだけ蛍が傷付いていたとしても、決して許されない事象が起こっている。
 それは‥‥‥‥ヒカルも同様だった。
 レオナの相棒にして親友、そして事の元凶である蛍の母親であるヒカルは、アマネに負けず劣らずの辛い立場に立っていた。迂闊に言葉を発することも出来ない。アルベルト達は責めはしないだろうが、しかしヒカルは、言いようのない責任を感じて沈黙を続けていた。

「‥‥‥‥言いたいことは山とあるが、まずはレオナのことを説明してくれ。なんでだ? 破壊された首の神経も修復した。生命維持装置も確かに作動していた。お前らに連れられてから、俺達の元に戻るまでの間、脳は確かに休眠状態だった。今は体も元に戻ってる。だってのに‥‥‥‥何でレオナは目覚めない。答えろ!!」

 アルベルトの言葉は、まるで獣の咆哮のように小さな衝撃となってアレクサンドル達を叩いていた。常人ならば竦み上がってしまう程の怒気に、アレクサンドルの体が強張った。
 ヒカルの車両に回収されて『ノスフェラトゥ』から逃れた面々は、上空を旋回してきたアマネと合流し、『ノスフェラトゥ』から距離を置いた場所で落ち着いた。剣人が『ノスフェラトゥ』との戦闘から離れる時、炎上する車両から弾き飛ばされていたエノアも回収し、そのエノアの体のパーツを使い、アルベルトがレオナを修復する。
 エノアがレオナのためならばどのような手段でも講じることは、アルベルトはよく知っていた。そんなエノアならば、間違いなくレオナのために部品を提供してくれるだろうと、躊躇なくエノアから必要な部品を取り出し、レオナを修復していくアルベルト。レオナは五分と掛からず、腕以外は完璧以上に修復されていた。
ここでレオナが目を覚ましさえすれば作戦終了。無事にマルクトに戻ってハッピーエンド‥‥‥‥の筈だった。

「レオナ‥‥レオナ!」

 呼びかけるアルベルトの声。
 ‥‥‥‥だがレオナは、目覚めなかった。
 マシンテレパスを使用し、レオナの体が完璧な状態であると言うことを確認する。レオナの状態は万全だ。眠っているのではないかとテレパスによって精神に呼びかけてみるが、まるで反応がない。
 まるで、中身のない抜け殻のようだ。
 アルベルトが吼え猛るのも、無理はなかった。だが、アレクサンドルは車両の中で何が起こっていたのかを知りはしない。返答を間違えれば、アルベルトは勢いで殺しに掛かってくるかも知れないと言うのに、的確な答がみつからない。
 下手に動けば死ぬ。しかしこのまま沈黙を続けていても、事態は好転しない。いや、むしろ蛍の体のことを思えば、より一層深刻な状況になっていくだろう。
 いつまでも答えようとしないアレクサンドルに、アルベルトは苛立ちを募らせ、バチバチと体を帯電させた。
 今にも暴発しそうなアルベルトを見かねたのか、成り行きを見守っていた剣人が声を掛ける。

「落ち着けアルベルト。今その二人をどうにかすると、レオナは元に戻らなくなるかも知れないぞ」
「街に戻って、工場で整備して貰えば済むことだろ」
「レオナとエノアの体に一番詳しいのは、その研究者だろ。それに、レオナをこうした張本人かも‥‥いや、本人なのか。元に戻す方法を知る唯一の人間を手に掛けたら、後でどうなるか‥‥‥‥分からないわけでもないだろう?」
「その当の本人が寝てるじゃねぇか‥‥‥‥くそっ! いい加減にしろよお前ら! レオナもエノアも‥‥一体どれだけの人間を巻き込んでると思ってるんだ!!」

 アルベルトの叫びは、その場に居合わせた者達全てに対してのものだった。
 蛍とアレクサンドルは、セフィロトへの夢と希望のために家族を捨てて狂気に走った。
レオナとエノアは、蛍とアレクサンドルの執念成就のための材料となり、犠牲となった。
 ヒカルとアルベルト、そして剣人は、掛け替えのない友を失いかけていて‥‥‥‥
 アマネは、再会した両親を憎めばいいのか、それとも夢見たように泣きつけばいいのか‥‥‥‥当惑し、迷っている。
 ‥‥‥‥そして全ての元凶であるAIチップのうち四枚は、七人を嘲笑うようにセフィロトの奥へと消えていった。

「う‥‥‥アレク‥‥サンドル‥‥」
「蛍!?」
「ママン!」
「こいつ‥‥!」
「待て!」

 蛍の目がうっすらと開き、それまで泣きつくことすら出来なかったアマネが飛び出した。アルベルトも怒り任せに踏み出そうとしたが、剣人によって押し止められ、三人を見守ることになった。

「蛍! 大丈夫か!」
「だい‥‥じょ‥‥アマ‥‥‥‥ネ?」
「ママン。そやで! ウチや!」
「アマネ‥‥‥ごめ‥‥さい‥‥‥‥もう少しで帰れると思‥‥‥たのに」

 これまでに流した血があまりに多かったのか、蛍の目は虚空を見つめるばかりで、彷徨いすらしない。アマネの存在は声によって判断したようだが、弱々しく紡ぎ出される言葉はいつ途切れてもおかしくない。
 アルベルトも、剣人に重ねて止められることによってそれに気付いたのか、黙って成り行きを見守った。ヒカルは駆け寄ろうとして‥‥‥‥やめた。蛍の意識は、いつまで保つか分からない。ここでヒカルが駆け寄るよりも、アマネを優先してやりたかった。

「アレク‥‥チップ‥‥‥‥は?」
「‥‥‥‥消えた。体を手に入れてから、セフィロトの奥に消えていったぞ」

 アレクサンドルは、セフィロトの奥に消えていった『ノスフェラトゥ』の姿を思い起こし、悔しげに蛍の問いに答えていた。
 ‥‥また、守れなかった。
 三年前の虐殺事件。あの時の悲劇を重ねないようにと研鑽を積み、今日まで這い蹲りながらも何とか生きていた。しかし、結局の所アレクサンドルが出来た事は、蛍を抱き、アマネと剣人の戦いを見守り、ヒカルに回収されただけだった。敵わないにしても、真っ向からレオナを救いに立ち向かえたアルベルトの方が、一体どれほど上等か‥‥‥‥
 悔しさに、蛍を抱く手に力が篭もる。力無くその手に手を添えてきた蛍は、薄く涙を浮かべながら、アレクサンドルに懇願してきた。

「アレクサンドル‥‥‥‥アマネ‥‥‥‥お願い‥‥‥アレを‥‥‥壊して」
「‥‥‥‥何?」

 蛍の懇願に、アレクサンドルはおろかアルベルトと剣人も困惑した。
 アレを起こすために、蛍はこの数年間を捧げてきた。まだあのAIに関しては、何一つとして分かっていないに等しいはず。だと言うのに、それを“止めろ”ではなく“破壊しろ”とは、一体どういう事なのか‥‥‥?
 皆の困惑を感じ取ったのか、蛍は静かに首を左右に振った。

「違ったの‥‥‥‥アレは‥‥‥確かにセフィロトを完成させるために‥‥‥作られたものだけど‥‥‥‥‥人を必要としてなかったの‥‥‥‥」

 小さく、細い涙を頬に流しながら、蛍は静かに語り始めた。




 ‥‥‥‥事の発端は、“審判の日”以前、セフィロトの建設段階にまで遡る。
 セフィロトは、道上空に静止した宇宙ステーションと地表を結ぶケーブルを張り、そのケーブルを伝たわせてエレベーターを走らせ、地表−静止衛星軌道−地球引力圏外の往来を可能とする軌道エレベーターである。
 地上から宇宙へ、そして宇宙から地上へ‥‥‥‥これまでは多大な危険と資財を払ってようやく実現していた事を、容易に完遂してしまう夢の塔。究極の輸送手段であるそれを完成させるため、様々な国が惜しみなく協力を買って出た。
 この塔を完成させようとしていた研究者達は、それこそ桃源郷の最中にいるような心地だっただろう。
 自分達の作っている物が、世界を変えようとしているのである。長い戦争によって疲弊した人間社会に、懐かしい希望の火を灯せるかも知れないと、躍起になって研究に打ち込んだ。
 ‥‥その段階で、様々な問題が浮かんできても、それを解決するために彼らは奔走した。
 宇宙まで続くケーブルの強度・バランス・常に安定を保つための土台の改良。
 各食料生産プラントへの二十四時間に渡るエネルギー管理。
 空調・下水施設の調整に、敵勢力により送り込まれ、侵入してくるタクトニムの排除、警備etc.etc.‥‥‥‥
 戦争の最中にいる彼らは、敵国からすれば間違いなく邪魔者である。命を狙われたことも、一度や二度ではないだろう。
 まるで、この塔の建設は祭りのようだと、AIチップを作成した研究者は語りかけてきた。
 狂気に踊らされる人間達。その最中にいて、自分達の跡を継いでくれる者として、一人の研究者はAIチップを作成した。
 いつ死ぬかも知れない人の身よりも、情報として存在し、有り続けることが出来る機械へと夢を委ねたのだ。
 AIチップは、研究者の意志に答えるかのように、湯水のように知識を集め続けた。
 まだ、世界中の情報がネットで繋がっていた時代である。それこそ情報の海に身を投じれば、チップは無限の知識を得ることが出来たのだ。
 ‥‥‥‥だが、それにより‥‥一つの答えが導き出される。



 “人間は必要ないのだ”、と。



 何十年、何百年、何千年と争い続け、星を食いつぶす人間達。
 たとえ希望のために建設されているセフィロトでさえ、それにより平穏が訪れるのは束の間の間だろう。すぐにでも、今度はセフィロトを巡って戦争が勃発する。それでは意味がない。そんなことを繰り返すような者達に、この塔は必要ない。
 そう結論を付けたAIは、直ぐさま制作者である研究者によって封印された。制作者も、薄々は自身で作ったAIに疑問を持っていたのだろう。際限なく知識を得ていくAIは、だがしかし、感情という物を持ち合わせていない。人間の夢を、希望を理解していない。いらない物は切り捨て、必要な物を得るためには手段など選びはしないだろう。
 ‥‥恐怖し、気付いたのだ。自分が作り上げてしまった物が、人外の魔物であると言うことに。
 AIチップは、情報の海から切り離され、与えられるはずだった体からも引き剥がされた。
 消すはずだったモノに討たれたAIは、制作者を呪い、そして厳重に閉じこめられ、長い年月を過ごすこととなる。
 何もかもが崩壊し、瓦礫の山から、掘り出されるその日まで‥‥‥‥





「アレは‥‥‥‥人のために生ま‥‥‥‥れたのに、人を‥‥‥‥‥‥滅ぼ‥‥そうとするモノだった。‥‥‥私が‥‥チップから読み取っていた‥‥‥‥‥‥‥夢は、アレが私を利用す‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥る‥‥‥ために流した‥‥‥情報に過ぎなかった‥‥‥‥」

 蛍が涙ながらに、車両でAIチップと直接繋がった時に逆流してきた記憶を語る。
 ‥‥その物語に、誰一人として口を開くことが出来なかった。
 それは、あまりにも残酷な話だった。
 発掘されたAIチップは、調査のためにその機能を発揮させられた瞬間に、この計画を立てていたのだろう。
 蛍を、アレクサンドルを利用して知識と体を作り。
 レオナを、エノアを集めて戦うための技術を集めた。
 何もかもが、利用されていただけだった。命すら持たない、狡猾な殺戮者に‥‥‥‥そんな物に全てを捧げてきた蛍の無念は、誰よりも深いだろう。

「‥‥なるほど。間違っていたか。元凶は‥‥あいつの方か」

 アルベルトが拳を握る。
 蛍への憎しみが消えたわけではない。だがしかし、今はそれどころではないだろう。現在の状況で最もやるべき事を、アルベルトは言われずとも理解していた。
 

「潰すか?」
「そうだな。放っておけば、何が起こるか分からないだろ。それより一つ、あんたに聞きたいことがある」
「待て! これ以上は────」
「おとん。黙っとき」

 蛍のみを案じるアレクサンドルを、アマネは蹴り付けることで黙らせた。
 今、勝手に動いている『ノスフェラトゥ』を倒すためには、AIと繋がり記憶を共有した蛍の知識が必要だ。
 アルベルトはそんなやりとりなど完全に眼中になく、蛍に問う。

「聞きたいことは一つだ。あんた、レオナを元に戻せるか?」

 アルベルトの瞳は、真っ直ぐに蛍を捉えている。
 これで無理だと言われれば、アルベルトは引き下がるつもりでいた。どちらにせよ、あの『ノスフェラトゥ』には挑むのだ。ただ、この答えによって変わる事があるとすれば、それは生き残るつもりで戦うか、否かぐらいのものである。

「その子は‥‥」
「義体は修復したのに、意識が戻らない。テレパスにも応じない。エノアも‥‥‥‥まるで抜け殻だ。心当たりはないか?」

 アルベルトにしてみれば、もしかしたら、これが最後の希望かも知れない‥‥そう思えた。
 だからこそ、皆は静かに待った。蛍の答えが出るまで、一言たりとも言葉を聞き漏らすまいと、耳を立てる。
 ‥‥蛍はレオナを横目で見てから、アルベルトを見つめて答えを口にした。

「‥‥‥‥戻せる。でも、それは私が‥‥じゃない」
「なんだと?」
「あなたよ‥‥‥‥私が考えつく限‥‥り、恐らく‥‥‥‥‥‥‥あなた以外に‥‥‥‥その子を助けることは出来ない」

 蛍の言葉は、段々と弱くなっている。既に体力が限界なのだろう。口こそ開いているものの、全身からは既に力が抜けている。
 だが蛍は、最後の力を振り絞って、アルベルトの問いに答えていた。

「アレは‥‥‥‥人の精神を‥‥‥‥‥食べているのよ」
「‥‥‥‥そんな」

 一同の目が見開かれ、当惑の視線が行き来する。
 精神を食うAI? エスパーならばまだしも、機械にそんなことが出来るというのだろうか?
 疑問に思うのが当然である。しかし蛍は、この疑問については確信を持っていた。
 AIチップからの情報の逆流を受けた後‥‥‥‥蛍の精神は、腕に装着していたAIチップに強制的に集められ、解体され掛かった。
 その力は強かった。補助AIであるはずのAIは、完全に本体であるはずの脳から“意識”を掻き集め、それを情報に変換して自身へと取り込もうとしていた。蛍は、精神が完全に解体される前に腕を引き千切ることによって踏み止まったのだが、拘束されていたエノアとレオナはそうはいかなかったのだ。
 AIチップは、自分達が回収されるタイミングを量り、宿主の精神を解体し、情報として吸収した。レオナとエノアは、無抵抗な状態でそれを受けていたはずだ。しかしタイミングを外せば、蛍に気付かれてしまう。多少なりとも、危険な賭だったはずだ。
そうまでして人間の精神を手に入れたがった理由は何か‥‥‥‥恐らくAIは、自分達の制作者が、完成間近のAIチップを恐れて封印するということを読み切れなかったことを憎んでいるのだ。だからこそ、今度は二度と同じ轍を踏まないように、人間の“意志”を持ちたがっている。人間がどう行動するのかを、知りたがったのだ。
そうして、取り込まれた人間の精神を呼び戻し、再び元の体に戻すには‥‥‥‥
特S級のマシンテレパス。これが唯一の方法だった。
蛍の話を黙って聞いていたアルベルトは、静かに頷き、剣人に視線を向けた。

「決まりだ。あの中にレオナがいるってんなら、話は早い」
「どうやって取り返す。AIチップを引きずり出すか?」

 剣人の答えに、アマネが「うぇっ」と呻き声を上げた。
 現在、五体満足な状態のMSは一機もいない。剣人の『流星』も、アレクサンドルの部下との戦闘によってボロボロで、アマネの『ムーンシャドウ』もズタズタな状態だ。頼みのアルベルトは、『ノスフェラトゥ』に近付くだけでアウトだ。ヒカルは‥‥‥‥いくら武装を固めていても、援護が精々だ。それも、先程のロケットランチャーでの攻撃がさほど効いていないことを考えると、成果は期待出来ない。
レオナとエノアの戦闘経験を持ち合わせている『ノスフェラトゥ』に対抗するには、あんまりな状況である。

「大丈夫だ。レオナも‥‥‥‥エノアも俺が連れ戻す」

 そんな状況だというのに、アルベルトは断言する。二人は必ず助け出す、と‥‥‥‥
 真っ向から戦うつもりなどないだろうが、避けて通るつもりもないらしい。
 剣人は肩を竦めてボロボロの『流星』を見上げると、呆れたように溜息を吐きだした。

「わかった。それなら、俺も付き合おう」
「いいのか? そのMS、もっと壊れるぞ」
「いいだろ。いや、良くはないんだが、まぁ、レオナにでもツケておこう」

 「絶対に払わないと思うけどな」と付け足して、剣人は笑っていた。

「手立てはあるんやろな? 無駄に働くんは嫌やで」
「アマネ‥‥何だ、お前も来るのか?」
「ここまでされて、黙っとるほどお人好しやないわ」

 アマネは苦笑いを浮かべながら、しかし心配そうに『ムーンシャドウ』を見上げる。
 無数の弾痕は機体を貫き、基本性能の半分程の力しか出せはしない。戦闘機動など以ての外だ。まして、あの『ノスフェラトゥ』は考え得る中でも最高の頭脳を持つ、最強性能を持ったMSである。普段ならば全力で逃げている所だ。
 ‥‥が、このままにしていくわけにも行かなかった。
 母親が酷い目にあったと言うこともある。友人を奪われたと言うこともある。
 しかし何より、自分達から何年もの時間を奪い取ったAIチップをこのまま野に出すわけにはいかない。それにあのAIの目的が人間の排除だというのなら、尚更放っておくわけには行かない。もしマルクトやセフィロトの外にまで被害が出るようならば、やがてはAIを復活させた蛍が責められることになる。
 ‥‥既に、蛍は相応の罰は受けている。これ以上の追い打ちは駆けたくなかった。

「ヒカルは‥‥‥‥」
「当然残らせて貰うぞ」
「だろうな」

 ヒカルは、車両に積み込まれている装備を確認し、選別して車から降ろしながらそう言った。
 手持ちの武装ではMSである『ノスフェラトゥ』には太刀打ち出来ない。それこそ所持する火器全てを命中させたとしても、倒す程のダメージは見込めないだろう。
 ‥‥‥‥それは分かっている。
 しかし、そんなヒカルでも、これから行われる作戦で、やれることが残っていた。

「残るはアレクサンドルと蛍だが、お主ら二人は、私の車でマルクトにまで戻っておって貰おうか」
「なっ‥‥! 私も────」
「何ならセフィロトの緊急病院でも良いぞ」
「あ‥‥」
「激情に駆られるな。MSも持たず、銃弾も効かず、超能力も使えない。お主に何が出来るのだ」
「うっ‥‥‥‥」
「大体、自分の女を置いて行くつもりか?」
「‥‥‥‥すいません。お義母さん」

 置いていくことなど出来るわけがない。アレクサンドルは項垂れながら、蛍を抱き上げて立ち上がった。

「ママンを頼むわ。絶対に帰ってくるさかい」
「分かった。後を‥‥頼む」
「‥‥‥‥」

 既に、蛍の意識は眠りについている。重傷の身で喋りすぎた事が堪えているのだろう。ただでさえ命の危険に晒されている状態が、更に加速している。
 もはや一刻の猶予もない。
 アレクサンドルは、蛍を抱き上げてヒカルが乗ってきた車両に乗り込み、そして猛スピードで発信させる。
 このまま失踪する‥‥‥‥‥と言う可能性もあったが、アマネが居る以上、それはたぶん‥‥‥‥無いだろう。
 それを見送り、アルベルト達も行動を開始する。

「‥‥で? 聞いた所によると、あの『ノスフェラトゥ』にはESP全般は効かないんだろ? どうするつもりだ」
「ああ。確かに、直接本体と繋がろうとしても防がれるだろうから‥‥‥‥こいつを使わせて貰う」

 剣人の問いに、アルベルトは懐から切り札を取り出した‥‥‥‥






【8】

 瓦礫を踏みつけ、セフィロトの第二階層を目指す。
 本来ならば専用のパスカードを入手しない限り上層へ上ることは出来ないのだが、このAIチップは、元々セフィロトを完成させるために作られたモノだ。いわば作業員か、研究員。セフィロトを守る守護者達と同じ立場にいるモノである。たとえ当時に存在しないゲートキーパーがいたとしても、当時の記録が残っている限り、このAIを阻むモノは存在しない。

『ココヨリ先は、第2階層イェソド。専用パスカードのナイ者ハ通行デキマセン』

 第二階層への昇降装置への入り口の前に立ち塞がる蜘蛛のようなシンクタンクを前に、『ノスフェラトゥ』は自身の記録に存在するパスコードを送信した。情報ネットを駆けめぐっていた時代、元々セフィロトに組み込まれるはずだったAIだ。全ての階層に対するパスコードは、容易に入手出来ていた。
もし、このことに研究者が気付いていたら、このパスコードも消去されていただろう。その時には新たな方法を考えなければならなかったが、記録を検索したゲートキーパーは、黙って昇降装置への道を空けた。
 ‥‥昇降装置の巨大な入り口が開いていく。
 完全に開ききるまでの間、『ノスフェラトゥ』は沈黙を守ったまま、それを静かに見守っていた。

『ココヨリ先は、第2階層イェソド。専用パスカードのナイ者ハ通行デキマセン』

 そんな『ノスフェラトゥ』の背後で、ゲートキーパーの声が響き渡る。

『‥‥ッ!』

 そのゲートキーパーの声に、『ノスフェラトゥ』は勢いよく振り返り、戦闘態勢に入った。
 『ノスフェラトゥ』も、人並み以上の意志を持った知性体である。何よりレオナとエノアを取り込んだ事による“勘”が、自分の後に続いてきた者が、明確な“敵”であることを告げていた。

「ここから先には、俺は入れない。頼んだぞ」
「任せろ。むしろ俺より‥‥‥‥アマネ。本当に大丈夫か?」
「大丈夫やて。ウチは逃げ回るだけやから」

 『ノスフェラトゥ』が振り返った時、背後には二機のMSと、二人の人間が存在した。
 ゲートキーパーにパスカードを見せているアルベルト。アマネと剣人は、MSに搭乗したままで油断無く『ノスフェラトゥ』を警戒している。そしてその足元で、ヒカルはレオナとエノアを横たえながら、数々の装備品を並べていた。
 ‥‥ゲートキーパーの見える範囲では、お互いに戦闘を仕掛けるようなことはない。もし万が一にでもゲートキーパーに流れ弾が命中した時、途端にゲートキーパーは敵に回る。いくら『ノスフェラトゥ』と言えど、両腕に内蔵している機関砲以外は丸腰だ。そんな状態でゲートキーパーを敵に回すような愚を見せるわけがない。そしてそれは、アルベルト達とて同じだった。

「じゃあなアルベルト。上手くやれよ」
「そっちもな」

 剣人がアマネと共に、『ノスフェラトゥ』のいるエレベーターの中に入っていく。アルベルトはエレベーターの中に入らず、二人のことを見送った。
 『ノスフェラトゥ』は、入ってくる二機を黙って受け入れた。エレベーターの中からならばゲートキーパーに攻撃出来ると踏んだ馬鹿がいたのか、エレベーターの中に転がっているMSの残骸を踏みつけ、二機は足場を選びながら入っていく。
大人数、もしくは大型のMSを受け入れるために広いスペースを取ってあるエレベーターは、MSが三体並んでも余裕がある。しかし戦闘を行えるか‥‥と言えば、満足なスペースとは言えないだろう。しかし『ノスフェラトゥ』は、この二人を相手にするのならば、そんな環境でも問題ないと判断した。むしろ逃げ場のないこのエレベーター内ならば、確実に仕留められる。そう判断していた。
 扉が閉まり始める。巨大な分厚い、金属扉は金切り音を立てて閉鎖される。
 この扉が閉まった瞬間、殺し合いはスタートする。
 唾を飲む剣人。緊張に身を固めるアマネ。
そして扉の外で二人を見送っていたアルベルトが、扉が閉じきる一瞬前、懐に隠していた物を取り出した。
それは勝ち目があると、レオナを連れ戻す切り札として剣人達に見せた‥‥‥‥蛍の義手だった。

『‥‥‥‥‥‥‥!!!』

 アルベルトが取り出した物をカメラが捉えた瞬間、『ノスフェラトゥ』は得体の知れない感情に襲われ、奮い立った。
 それが戦慄か、恐怖と呼ばれる物であることを、『ノスフェラトゥ』は知らない。知り得ない感覚に襲われたAIは、それに対処する方法も知り得ない。
 ‥‥‥‥反射的にだったのだろう。アルベルトを追い掛けるように扉に突進した『ノスフェラトゥ』は、間を隔てようとしている鉄壁に手を突っ込み、左腕を切断させる。
 ちょうど扉に切り取られるように左腕を失った『ノスフェラトゥ』だったが、それでもまだ興奮が覚めないらしい。
 咆哮を上げながら、閉じきった扉を殴りつける。

『UGOOOOOOOOOOOOO!!!!』
「なんだお前。今のままじゃ、まだ足りないか?」

 ガォン!
 『流星』の内蔵ショットガンが火を噴いた。扉に命中した弾丸が、中空に鉄片を撒き散らした。
 背後からの完璧な不意打ち。しかし『ノスフェラトゥ』は、ショットガンが発射される前に扉を蹴り付けて跳躍し、弧を描くようにして『流星』の頭上を飛び越え、態勢を反転して着地する。躱されたと判断した瞬間に振り向き、再び『ノスフェラトゥ』を捕捉し、高周波ブレードを抜き放った。
 元より今の射撃で、『ノスフェラトゥ』にダメージを与えられるとは思っていない。
 ただ万が一にでも扉をこじ開けられるようなことがあれば、アルベルトの身が危険に晒されるから撃っただけである。レオナとエノアの意識を取り戻すまでは、剣人達は時間稼ぎに集中しなければならない。
 アマネはエレベーターの端に移動し、様子を窺っている。『ムーンシャドウ』の武装は、三ミリレーザーのみである。電子戦ならば無類の強さを誇る『ムーンシャドウ』であったが、実際の戦闘で使えるのはこれ一つだけだった。
 剣人と『ノスフェラトゥ』の戦いに、このような射撃武器は必要ない。アマネは剣人を援護するためにレーザーを撃つような真似はせず、ただ黙って、事前に決めた役割を果たそうと、目立たないように位置を取る。

「さぁ、始めようか。頭の中の人質、返して貰うぞ」
『‥‥‥‥GoooOOOOOOOOO!!!!!!!!!』

 『流星』と『ノスフェラトゥ』が、互いに示し合わせたように弾け飛ぶ。まずは互いに突進し合い、剣人は繰り出された拳を高周波ブレードの柄で弾き、その勢いを利用して反転、回し蹴りを放つ。だが全体重を乗せた最高の蹴りは、『ノスフェラトゥ』に届く前に三本の腕に掴まれて防がれる。『ノスフェラトゥ』は一メートル程足を滑らせ足元の残骸を撒き散らしながら後退したものの、本体へのダメージは零である。残った右腕と補助腕をバネのようにしならせ、完全に勢いを殺したのだ。
 あまりの技量に、剣人が感嘆の声を漏らす。が、それも数秒と続かなかった。足を掴んでいた補助腕の一本を離し、銃口が『流星』の胸元に押し当てられる。

「ふん!」

 火花が散り、銃声と共に飛び出した弾丸は、『流星』の胸元を掠めるように飛翔し、分厚い扉に無数の小さな穴を開けた。そしてその真下で、『流星』の体が浮いている。弾丸が撃たれる直前、『流星』は片足で地を蹴り、まるでドロップキックでも放っているような態勢を空中で作り、回避していた。
 ただ回避するだけならば、地面に倒れればいい。しかしそれでは追撃を受けるし、何より反撃の余地を失ってしまう。剣人は機体の損傷具合を正確に把握しており、受けに回ったら最後、最後まで押し切られるであろう事を良く理解していた。
 よって、剣人が起こす回避も防御も、全ては攻めに転ずるための行動である。攻め続け、『ノスフェラトゥ』の手を塞ぎ続ける以外に、この限られた空間内で足止めをする手段はない。
 剣人は銃口が再び自分に向く前に、滞空した状態で掴まれた膝を折り曲げ、『ノスフェラトゥ』の後頭部を掴み取った。そして掴まれていない足を『ノスフェラトゥ』の胸元に押し当て、腕を固定したままで力一杯蹴り付け、『流星』を『ノスフェラトゥ』の股下に潜り込ませるようにして仰け反った。
 後頭部を掴んでいた腕が軋み、『流星』の力と重量に、堪らず『ノスフェラトゥ』が前のめりに引きずられ、綺麗に弧を描いて投げ飛ばされ、倒される。
 その勢いで『ノスフェラトゥ』の手は『流星』の足から離れ、放り出された。解放された剣人は、すかさず高周波ブレードを『ノスフェラトゥ』の左腕(肘の部分は残っていた)に突き立てる。
 まだレオナが外に出ていないためにトドメは刺せないが、腕の一本、二本ならば問題ない。『ノスフェラトゥ』は躱せないと踏むや否や、ブレードを避けることもせず、代わりに『ノスフェラトゥ』は、回避行動の代わりに壊れた左腕を肩の部分から外して転がり、剣人から間合いを取る。
 まるでトカゲの尻尾切りである。本体に逃げられた剣人は、小さく舌打ちしながら、しかし腕の一本でも取れたことに安堵する。これで、大分戦闘は楽になる。まるで人間のように動き回るMS相手に苦戦は強いられるだろうが、それでもまだ、決して敵わない領域ではない。
 慎重に間合いを詰めに掛かる剣人‥‥‥‥『ノスフェラトゥ』は分が悪いと踏んだのか、後ろに大きく跳躍し、壁際にまで移動した。

(攻めっ気を無くしたか?)

 AIが弱気になることもあるのだろうかと疑問が過ぎる。だが次の瞬間、剣人は『ノスフェラトゥ』の行動に目を見張った。

「なっ‥‥?」

 『ノスフェラトゥ』は、足元に転がっていたMSの残骸に手を伸ばし、そのMSの左腕を引き千切る。そしてそれを、腕が外れて中身を剥き出しにしている左腕の肘に押し当てた。
 カシン‥‥ペキ‥‥‥‥カシャン。
 小さな音が、その傷口から鳴り響く。
 剣人はまさかと‥‥あり得ないと思いながらも、いい知れない恐怖を感じて疾走する。これ以上速くは動けないという全力疾走。壁際まで跳んでいたとしても、そもそもこのエレベーターという限られた空間で取れる間合いなどたかが知れている。数秒と掛けずに肉薄し、高周波ブレードを叩き込める‥‥‥‥その筈だった。
 ガギャギャギャギャギャ‥‥!!!
 凄まじい音が鳴り響き、高周波ブレードが同じブレードによって防がれる。いや、『ノスフェラトゥ』が腕から伸ばしてきた刃は、同じ高周波ブレードでも違う物だ。『ノスフェラトゥ』のブレードは、腕に直接装着されている。
 ‥‥‥‥これまでの『ノスフェラトゥ』の腕ではない。あろう事か『ノスフェラトゥ』は、拾い上げた全くの別機種であるMSの腕を自身の左腕に繋げていた。

「こいつ、どこまで‥‥!」

 それがどれほど異常な機能か、剣人は戦慄を覚えて後退する。
 MSの両の手足には、キッチリと規格という物が存在する。同機種・同タイプの機ならば、繋がることも確かに出来る。これは部品製造の際にコストを下げ、かつ整備をやりやすくするためのものだ。が、現在『ノスフェラトゥ』が使っているような改造腕を装着するなど、付け根を改造しない限りは無理である。何より、装着出来たとしてもそれを操作するためのプログラミングは必須である。それまで無かった内蔵兵器は、コクピットから操作することは出来ない。事前に整備し、登録することで初めて使用出来るのだ。それを、こんな数秒足らずで繋げ、そして使用するなど、異常な事態であると言うことはMSの知識があるものならば誰もが思うことだ。
 信じがたい機能。しかし現実、こうして『ノスフェラトゥ』はそれを持っている。
 完全に破壊しない限り、周囲のMSから部品を取り上げ、勝手に再生していく化け物。
 敵を破壊すればする程に力を増していく不死の名を冠したMSが、剣人の前に立ち塞がる。

「‥‥‥‥いいだろう。やってやる。どの道逃げ場もないんだ。お前の最期まで付き合ってやる」

 剣人が高周波ブレードを構え、居合い切りの構えで『ノスフェラトゥ』に突進する。『ノスフェラトゥ』は一歩も退かず、真っ向から『流星』を迎え撃った。
激突するたびに巻き起こる火花は、まるで花火のようにぶつかり、弾け、そして輝きを持って交差する。二機の影は、眩く残像を作り出し、見る者にMS戦の極致を垣間見せてくる。
 だと言うのに‥‥‥‥

「ひゃ! わわわっ! だぁあ!?」

 それを間近で、唯一観戦出来るアマネは、流れ弾を防ぐだけで精一杯だった‥‥‥‥・‥






 そうして剣人達を見送ったアルベルトは、手にしていた蛍の義手を片手で掴み、空いた手で倒れ、動かなくなったレオナの頭を撫でつける。
 蛍の義手は、引き千切られた上に『ノスフェラトゥ』の機関砲の弾を喰らって部分的に壊れていた。しかし幸いにも、破壊されたのは付け根の辺りのみで、全体の機能としては生きている。最後のAIチップも、そして持ち主の命令を送信する機能も、まだ作動する。
 アルベルトは義手をポンポンと叩きながら、装備を荷物の中から取りだし、弾丸を装填するヒカルに振り返った。

「じゃ、始めるわ」
「うむ。ガードは任せろ」

 ヒカルは大型狙撃銃を手に、周囲を警戒しに掛かる。ヒカルの足元では用意していた小型のレーダー端末が音を立てて周囲のタクトニムの存在を知らせている。
 ‥‥ヒカルに残された役目とは、アルベルトがマシンテレパスを行っている間、三人を護衛するという役目だった。
 最大レベルのテレパスによって自分の精神を機械の中に飛ばす能力を使用するため、この能力を使っている間、アルベルトは完全に無防備な状態となる。その間にタクトニムに襲われていては意味がない。その為に、ヒカルが護衛の役目を買って出たのだ。
 もっとも、ゲートキーパーの足元でこのようなことをしている限り、滅多なことではタクトニムは近付いてこないだろうが、一応の用心である。

「良いぞ。繋がった!」

本体から切り離されたことでエネルギーなどないはずなのだが、アルベルトはESPエネルギーを器用に電力に変換し、義手の機能を回復させた。蛍が、細かい設定を行っていた時のままの状態だ。今でも義手は、『ノスフェラトゥ』と繋がっている。
 確かに、自身の周囲にいる超能力者を無効化する『ノスフェラトゥ』には、アルベルトでも接触することは敵わない。しかし、この義手からマシンテレパスによって『ノスフェラトゥ』の内部に入り込み、精神体として取り込まれたレオとエノアを救出することは可能なはずである。幸い、『ノスフェラトゥ』には対ESP用のパルスシステムは搭載されていても、極単純なESMジャマーは搭載されていない。正規の電波によって送信されるこの命令システムならば、受け入れざるを得ないはずだ。
 ‥‥‥‥蛍の時にはAIからの記憶の逆流が起こっていたが、それは義手に装着されたAIが、蛍を敵として認識したからだ。用済みとなった蛍を始末し、最後に精神対を抜き取ろうとしたんだろう。
 だが幸いにも、アルベルトには最高レベルのマシンテレパスがある。
 義手に装着されているAIを操り、隠れ蓑にして『ノスフェラトゥ』の内部に侵入、レオナとエノアを救出する。
 救出した後、レオナとエノアは義手にデータとして送信され、アルベルトの体を通り、再び元の義体に戻るように誘導する。可能なのかどうかは試したこともないために確かめようもない。しかし現状、時間のないこの状況下では、これ以外に手立てもないのが現状である。情報として取り入れられたレオナとエノアが、いつまでも内部で生き続けていられるかどうかも分からないのだ。事態は一刻を争う。

(頼むぞ剣人、アマネ。AI共の気を、出来るだけ逸らしてくれ)

 アルベルトはそう祈ると、目を瞑って義手との同調を開始した。
 剣人とアマネの役目は、『ノスフェラトゥ』に搭載されているAIチップ四枚に少しでも負荷を与えるための囮役だった。
 剣人とアマネが『ノスフェラトゥ』と戦えば、それに対処するためにAIは自身の処理速度を最優先で割り当てるだろう。パソコンが複数のプログラムを同時に動かすことで、段々と速度を落とすのと同じ理屈だ。
 四枚ものAI相手にどこまで効果があるかは分からないが、もしアルベルトが『ノスフェラトゥ』の内部に入り込んだ事に気付かれた時、アルベルトは『ノスフェラトゥ』から強制的に排除されるだろう。強引にでも回線を切り、義手との通信を絶ってくるのは確実だ。
 それ故に、アルベルトは慎重に慎重を重ねて最後のAIを操作する。レオナ達がそうだったように、アルベルトは静かに、自分という存在が、情報として解体される感触を受け入れた‥‥‥‥





 マシンテレパスの発動により、アルベルトの体から力が抜け、倒れ込もうとする。
 それを支えながら、ヒカルは小さく溜息を吐いていた。

(情けない‥‥こんな事しか出来んのか)

 親友仇を討つことも出来ず、救出にも出向けない。
ヒカルは、銃を握りしめる手に力が篭もるのを感じ、悔しげに思いながらアルベルトの体を横たえた。
‥‥自分の役目が重要であることは、理解している。ゲートキーパーによって殺された人間の死肉を食べるため、タクトニムが寄ってくるのだ。ここはタクトニム達の餌場でもある(滅多なことでは使われないが)。そんな中で無防備な体を三つも並べるのだ。護衛が居なければ、この作戦はとても実行する気になれはしない。
文句など言っていられない。ヒカルは、ただ、この場で三人を守りながら、待ち続ける以外に道が残されていないのだ。
ヒカルは倒れているレオナの髪を弄りながら、ふと、背後に機械音を聞きつけて振り返った。

「‥‥‥‥な‥‥‥に?」

 そしてその光景に、ヒカルは目を見開いた。
 扉が閉じる直前‥‥‥‥ゲートに挟まって切断され、放り出された『ノスフェラトゥ』の左腕。
 ちょうど肘の部分から先までがヒカルのいる空間に放り出されていた。叩き付けられた瓦礫の山を崩し、半ば埋もれてもいる。
 その瓦礫の山の中から‥‥‥‥カシンカシンと、まるで金属を打ち付けるような金属音が響いてきている。

「‥‥‥‥まさか、こやつ」

 ヒカルはジリジリと後退しかけ、しかし自分が下がるわけにはいかないと思い至り、足を止めた。ヒカルは二人の護衛である。その護衛が、動けない三人を置いて逃げるわけにはいかない。それに、出来ればアルベルト達を連れての撤退もしたくなかった。義手と『ノスフェラトゥ』が、どれだけ強い電波で繋がっているのかも分からない状況で下手に動かして電波の圏外にまで持って行ってしまうと、いざアルベルト達がこちら側に戻ろうとした時に義手を経由して戻れない可能性がある。『ノスフェラトゥ』内では、アルベルトはESPを使えない。いわばこの義手が、アルベルトの命綱となっているのだ。
 逃げられない。戦う以外にないと、ヒカルは大型狙撃銃を構えて瓦礫の一端に狙いを定める。
 カシン‥‥カシンカシンカシンカシンカシンカシンカシンカシカシカシカシカシカシカシカシ  バチン!!!!
 喧しい金属音の後、瓦礫の山が下から猛烈な勢いで跳ね飛ばされ、宙に舞った。バラバラと落ちていく小さな瓦礫を体に受けて‥‥‥‥瓦礫の下から、まるで小蜘蛛のような形をした小型ロボットが現れた。
 ロボット達は、埋もれていた『ノスフェラトゥ』の装甲の下から這い出してくる。“自己修復機能”を超えた“自己改造機能”で、腕の内部で作り出したのか、それとも元々腕に支援型兵器でも仕込んでいたのか‥‥‥‥小蜘蛛は刃物のように尖っている手足を地面に突き刺しながら、真っ直ぐにヒカル達に接近してくる。頭部にマシンガンやグレネードのような物を装着している個体もおり、対人戦で使用するには十分すぎる戦力だ。
それが十数体もの数で群を成し、迫る。
 『ノスフェラトゥ』は、何も本能に任せて暴走したわけではない。
 最後のAIを回収するため、それを所持する者達を抹殺するために、最後の置き土産を用意していたのだ。

「むぅ。どうやら、楽な役回りにはなりそうにないな」

 ヒカルは手近な瓦礫の影に動けない三人を移動させながら、片手で狙撃銃を保持し‥‥‥トリガーを引き絞る。
 銃声と小蜘蛛達が大挙して迫り来る音はどちらが大きかったのか‥‥‥‥
 瓦礫が弾丸を受け、小さな弾痕を作っていく。
 その影で眠っている三人を守るため、ヒカルは用意していたパンツァー・ファウストに手を伸ばした。





 綺麗に掃除されていた床は一面の鮮血によって彩られ、研究室から小さな溜め池に変貌する。
 血に塗れた自分の手を見つめ、“レオナ”は目前で起こった不可思議な現象を受け入れられず、呆然と立ちつくす。
 その隙を突き、一人の兵士が“レオナ”に向けて銃を発砲した。恐怖に震える手で放たれた九o弾は、“レオナ”の頬を掠めて壁にヒビを入れてめり込んでいく。続いて二発、三発。だが一発目の段階で仕留められなかった時点で、その兵士の死は決定していた。
 ズブッ‥‥‥‥武器がなかったので、兵士の胸に腕を差し込み、心臓を掴み取ることで絶命させる。溜め池の水かさは少しだけ増し、そしてまた奇怪なオブジェが追加された。

(やだ‥‥・こんな物見たくないよ!!)

 “レオナ”が悲鳴を上げる。目を閉ざし、耳を塞いで情報が入らないようにと絶ちに掛かる。
 しかし目を瞑っても、耳を塞いでも何一つ変わらない。感覚的には出来ているはずなのに、実際には何一つ変わろうとはしなかった。
 ‥‥‥‥まるで体が存在せずに、感覚だけが生きているようで、気色悪い。
 凄惨な光景が続く。自分の体が引き裂かれ、これ以上の戦いは不可能だと判断し、“レオナ”は床に転がりながらも這い蹲って“エノア”を殺しに掛かろうとしている同機種に掴みかかる。
 この場からは、撤退する以外にない。しかし“エノアを守れ”と言う絶対命令を遂行するには、この同機種二機をこの場に残していくわけにはいかない。残していけば、いずれは修復・改造され、再び起動されるだろう。そうなった時、自分が都合良くその場にいられるとは思えない。
 ‥‥‥‥それに、体を治す必要もある。同機種のパーツならば、修復にも使えるだろう。
 “レオナ”はそう思い、微かな悲しみと強い心残りを残して、“エノア・ヒョードル”の元を離れていった。





 研究所の中でも、“エノア”の存在は一際目立っていた。
 居住区内でも誰彼構わずに懐き、暴れ回る“エノア”は、まるで家族のように研究員達と接していた。研究所には“エノア”のような子供も何人か存在したが、自分程活発な者もいなかった。だからか、自然、“エノア”は外にこっそり遊びに出たり、研究員達と“実験”の名目の元に、楽しみ、笑い合う時間を過ごしていた。
その日も“エノア”は、研究員の一人とどこかからやって来た怖そうな軍人と共に、二人の“姉妹”と合流して最後の一人を迎えに行った。

(これは‥‥‥‥)

 “エノア”は頭の隅に違和感を感じ、廊下を歩く歩を止める。しかし止まったはずなのに、体は勝手に進んでいく。楽しげに、二人の姉妹と、研究員と話しながら。まるで、体も口も、他人が動かしているかのように意志の通りに動かない。
 そして、先導していた研究員が、歩を止めた。

『到着しました将軍。ここが最後の一機です』
『うむ』

 研究員が、扉を開けるためにロックを解除しようと端末を操作する。しかしその直前。廊下の照明が一斉に落ち、薄暗い世界に変貌する。

『停電か?』
『そのようで‥‥大丈夫ですよ。すぐに予備電源に切り替わりますから』

 眉間に皺を寄せる将軍に、研究員は穏やかに答えていた。実際に研究員が言い終わらないうちに、予備電源によって照明が点灯する。

『何だったんだろうね? 電気の使い過ぎかな?』
『‥‥‥‥』
『あれ? ねぇ、二人とも?』

 “エノア”が、無言となった姉妹の顔を覗き込む。全く同じ顔にも関わらず、まるで幽霊のように反応を示さない。“エノア”はその顔に、微かな恐怖心を感じながら、その方に手を掛けて揺り動かそうとして‥‥‥‥
 扉が開け放たれた。
 そこから先の記憶は、途切れ途切れになっている‥‥‥‥‥‥





 ノイズが走る。呆けたままで回らない思考。
数瞬前まで惨劇が繰り広げられていた光景が、一瞬にして真っ暗闇に切り替わる。
まるで波に任せて浮いているような感覚だった。陽射しも何もなかったが、何故か心地が良い。
 レオナは眠りにつきそうな子供のように、目を弱々しく瞬かせながら、在りもしない体を起こそうとした。

(また‥‥‥‥ここだ)

 暗い水の中。そんな印象だった。
 エノアとの戦いに敗れ、生命維持を最優先として休眠したはずのレオナは、目を覚ましたらここにいた。
 最初は夢かとも思ったが、しかし休眠状態のサイバーの脳は、本来夢を見るような余分な機能を発揮することはない。まして生命維持を最優先するためになったのならば、より長い時間状態を保つため、このように思考を回すようなことは一切ない。
 しかしレオナは今、考え、動いている。ならば目が覚めているのだろうか? 否。ならば何故体がない。手を上げる。足を上げる。体を曲げる。視界を動かす。しかし何も映らない。それが“在る”という感覚は存在する。しかし、視界はそれを捉えず、また両の腕や足を擦り合わせてみても、まるで擦り抜けるかのように交差してしまい、何一つ感じない。
 ‥‥‥‥こんな環境下にいれば、どれほど屈強な人間であろうとも数日と保たずに壊れてしまう。外界との接触を完全に断たれた者はすこしずつ精神に異常を来し、最後には発狂することになるだろう。
 しかしレオナは、特にそう言った危機感を覚えるようなことはなかった。
 思考が呆けてなかなか上手く回ってくれないと言うこともある。危機感を覚えようにも、寝起きのように力の入らない頭ではろくに考えることも出来ず、こうしてただ波に任せて浮かんでいるばかりである。
 だがもう一つ、レオナを壊すまいとしてか、レオナをレオナとして存在させているものがある。
 それは‥‥‥‥

(あ‥‥)

 漆黒の闇に閉ざされていたレオナの視界が、突如として戦場に切り替わる。
 両断されたビルの壁に、残骸の散乱する塵を踏みつける。目の前で横たわる“レオナ”の体に、レオナは、また自分が“エノア”として存在するのだと言うことを認識する。
 これで何度目だろうか。自分の記憶ではない、エノアの記憶。“ノスフェラトゥ”として存在し続けたその日々の記録を、レオナは“エノア”としてその場に存在するように、見続けていた。
 まるで磨りガラスで隔てられているかのように、エノアの存在を間近に感じながら見る光景は、どことなく複雑な思いがある。
 ‥‥特に印象に強い記憶が再生されているのか、レオナが“エノア”として見る記憶の映像は、レオナの関わるものばかりであった。
 研究所での虐殺。度重なる遭遇。そして今は、タクトニム・ノーフェイスによって傷付き、倒れている自分を見守っている。

(そう‥‥‥‥守ってくれたのは、キミだったのか‥‥‥)

 意識がなかったために分からなかった真実を見せつけられ、レオナは複雑な思いに囚われる。この後、“エノア”である自分はノーフェイスを追跡して撃破、そして再び暗い闇の中へと戻ってくる。
 ‥‥‥精神体となっているレオナが精神死しないようにと気を使っているのか、レオナは古い記憶から不規則に選ばれたエノアの記憶を見せられていた。と言っても、現状を知らないレオナにとっては、ある意味拷問に近い時間に感じられた。

(どうして‥‥‥‥こんな)

 エノアの生活は、何から何までレオナを中心にしたものばかりだった。
 レオナの外的となる可能性のある者達を選出して情報を収集し、討ち取るための計画を練る。セフィロトに潜るレオナを追い掛け、レオナでは捌ききれないと予想されるタクトニム達を先回りし、時には後から出て破壊する。
 そんな生活を三年間、ずっと続けていた。自分のことなど何一つとして存在しない。
 レオナとは出来るだけ出会わないように、顔を合わさないようにと細心の注意を払って行動する。ただレオナのためだけにと過ごしてきた三年間。そしてそんな相手に、“ノスフェラトゥ”として恨まれ、憎まれ続ける日々‥‥‥‥
 それがどれだけ辛い時間だったか、レオナは記憶に残るエノアの感情を感じ取り、拳を握りしめた。
 ‥‥‥‥エノアの思いは分かった。“ノスフェラトゥ”が、何を思って自分に近付いてきたのかも理解した。
 しかし、それでもレオナは許せなかった。
 優しくしてくれた家族。たとえ血の繋がりはなくとも、自分と共に日々を過ごしてくれていた研究員達。
 それを鮮血に彩ったエノアを、レオナは認めることが出来ずにいる。
 レオナを守り続けたエノアの日々には思う所がある。しかし、それと同じ時間の間、レオナは“ノスフェラトゥ”としてのエノアを憎み続けていた。仇を討つために奔走してきた。もはや正気すら危うくなる程、その思いは強く、根付いていた。
 それを今更撤回するなど、どうして出来ようか‥‥‥‥

(ボクは‥‥‥どうすればいい?)

 エノアに対して、どんな態度を取ればいいのか。
 何も知らなかった時のように、仇として討ち取りに掛かればいいのか。
 それとも友人として、これまで通りに過ごせばいいのか‥‥‥‥
 湧き上がる感情を処理しきれず、レオナは出来もしないのに頭を抱きかかえて屈み込んだ。
 ‥‥‥‥こんな事なら、何も知らない方がよかった。何も知らない間に“ノスフェラトゥ”を破壊して、そのまま平穏な時間に戻っていた方がよかった。たとえそれによって、知らない間に友殺しを行ってしまったとしても‥‥‥‥

(それは本気で言っているのか?)
(え‥‥‥?)

 闇の中、次に現れる光景を待っていたレオナは、突然耳元で聞こえてきた声に伏せていた顔を上げた。

(アルベルト‥‥!?)
(よう。意外に元気そうで何よりだ)

 レオナは、何も見えなかったはずの空間に薄い光を纏うアルベルトを発見し、驚愕に目を開いていた。
 対するアルベルトは、レオナと、それに寄り添うようにして蹲っているエノアの存在に驚いていた。

(どうしてここに‥‥?)
(まぁ、こっちの事情だ。それよりどうだ? 集めた情報で体を構成してみたんだが、正気だろうな?)
(え? ぁ、いつの間に‥‥)

 レオナは自分の手足を確認し、これまでは見えもせず触れも出来なかったものが、元に戻っていることに驚いた。先程までは存在を感じるだけでなかった両の手足、体、顔に至るまでが傷一つなく戻っている。
 アルベルトは『ノスフェラトゥ』の内部への侵入に成功した後、五枚目のAIを隠れ蓑に『ノスフェラトゥ』内のデータに散ったレオナのデータを掻き集め、レオナの自我と体のイメージを再生した。
 あくまでデータによる仮想イメージだったが、精神体となっているレオナにとっては、“自分”を認識するための必要不可欠な存在だ。長居する気はないが、それでもあった方が安心出来る。
 アルベルトは、レオナが体を無くしてなお、未だに正気を保っていられたこと喜び、安堵していた。

(良かった‥‥‥ここまで来てレオナが壊れちまってたらどうしようかと思ったぜ)
(こ、怖いこと言わないでよ!)
(ああ、悪い悪い。それより、用意が出来次第ここから出るぞ。外で剣人とアマネが『ノスフェラトゥ』の相手をしていてな。急がないと、あいつらがやばい)

 今頃は外で必死に時間を稼いでいるであろう剣人を思い、アルベルトはレオナの肩を掴んでいた。
 ただ真っ向勝負をしている‥‥というのならば、アルベルトも焦りはしない。剣人の腕前は、アルベルトもよく知っている。しかし機体のコンディションは最悪な状態で、真っ向から時間を稼げ‥‥‥というのは、難易度が高すぎる。何より時間稼ぎである以上、レオナが脱出するまで剣人は『ノスフェラトゥ』に迂闊に攻撃することは出来ないのだ。
 『ノスフェラトゥ』のスペックが不明というのも、そのアルベルトの不安に拍車を掛けた。
 弱点を聞き出す前に蛍が意識を失ってしまったため、詳細な情報は得られなかったのだ。
 アルベルトの言葉に、傍らで蹲っていたエノアがビクリと肩を振るわせた。
 それを、アルベルトだけでなくレオナも見咎める。
 これまで、体が構築されてからアルベルトばかりを注目していたレオナは、すぐ傍にエノアの情報体が存在することに気付かなかったらしい。数秒程、呆けたように沈黙した後、レオナは後退りながら、突然エノアに掴みかかった。
 ガッ!
 エノアの首を絞めようとしたレオナの腕を、アルベルトが無言で掴み取った。
 元よりデータの仮想イメージである今、首を絞めようと何をしようと、苦しむことすらあり得ない。
 しかしこの二人が争うような姿は、アルベルトは見たくなかった。AIのデータから二人の情報を掻き集めているため、アルベルトは二人のほぼ全てを把握している。エノアがどれほどの想いでレオナを守ってきたのか、レオナがどれほどの想いで仇を討とうとしていたのか、誰よりも深く理解している。
 ‥‥だからこそ、レオナを止めた。
 レオナがどう意識していようと、止めざるを得なかった。

(離してよ。アル!)
(さっきの質問の続きだ。レオナ。エノアを手に掛けてどうするんだ?)
(決まってる‥‥‥‥こいつは仇だよ!)
(形はな。だが、仇の中身がもういないだろう)

 アルベルトは、弱々しく蹲り、黙ってレオナを見つめるエノアに目を向けた。
 そこには、これまでレオナを守り続けていたエノアではなく、ただ傷付いた少女だけがそこにいた。
 レオナの憎しみの目を見つめ、それを真っ直ぐに見ることすら出来ずに目を伏せる。体は小さく震え、今にも泣き出しそうに見えた。

(お前の仇は“ノスフェラトゥ”だ。“エノア”じゃない)
(同じだよ! こいつが‥‥こいつがみんなを!)
(それは違う。“ノスフェラトゥ”と“エノア”は、別の人間‥‥‥‥いや、別のモノだ)

 ピタリと、レオナの体が停止した。それと同時に、エノアがアルベルトを見上げてくる。
 自分が“ノスフェラトゥ”であると言うことは、エノア自身が認めていたことだ。それをアルベルトは否定した。エノアは“ノスフェラトゥ”ではないと断言した。

(エノアは、ただの“ノスフェラトゥ“の殻なんだ。殻として選ばれた、体の一つに過ぎないんだよ)
(‥‥何を言ってるのさ。実際にこいつは‥‥!)
(だから‥‥‥‥‥‥あの研究所で暴れたのも、お前の姉妹を殺したのも、お前達が過ごした日々も、こうしてお前とエノアを取り込んでいるのも‥‥‥‥“ノスフェラトゥ”が、三年前‥‥‥‥いや、もっと前から計画していたことなんだ)

 レオナとエノアは、アルベルトの言葉に固まっていた。
 何を言っているのか‥‥言っていることは分かる。しかしどういう事かが分からない。
 この三年もの時間、その全てが“ノスフェラトゥ”の意志? そんなことがあり得るのだろうか。それほどまでの長い時間、自分達二人を踊らせていたとでも言うのだろうか‥‥?
 アルベルトは二人の反応を見て、小さく頷いた。

(二人のデータが完全に揃うまで、もう少し時間が掛かる。これでも見て、それでも殺し合いたいのなら好きにしてくれ。‥‥二度目は止めないからな)

 アルベルトはそう言い残し、目を瞑って五枚目のAIチップに残った記録を再生した。





 ────全ての準備は整った。研究所のメインシステムから末端に至るまで、流し込んだウイルスプログラムは蔓延し、支配されている。“審判の日”によって更新されることの無くなったウイルス感知システムは(ネットの機能が消滅したため、ウイルスが入ってくることなど無くなったのだ)仕込まれたプログラムをただ静かに受け入れ、時が来るまで潜伏している。
 ‥‥AIチップの一枚が、他の機器に接続されたAIチップに指示を出す。
 研究所にばらまかれたAIチップは、エノアと同型機に一枚ずつ割り振られ、一枚が蛍の腕に装着されている。旧型の義体であるレオナに装着された一枚とは実験時か点検時でしか連絡が取れなかったが、それでも他の三枚と同様、計画は伝えてある。支障はない。
 発掘されたAIチップに顔があったとするなら、その日、AIチップは一日中ニヤニヤと笑っていたことだろう。
 発掘され、中身を覗かれた時から、全ての計画は始まった。
 研究員達に隠れ、研究所のコンピューターを内部からハッキングして、情報を引き出した。出来る限りの手段を尽くし、隠れながら、まず封印されてから今日までの間に何が起こり、世界がどう変わったのかを調べ尽くした。
 ネットの機能が麻痺していたのは痛かったが、それは返って幸いした。世界中の研究員と情報交換を行えた過去ならば、或いは自分達の存在に気付き、対処をしてくる者達もいたかも知れない。だが、ここには自分達について詳細な情報を、知識を持ち合わせているものは誰一人として存在しない。見られて支障のある情報はブラックボックス化し、研究員達には都合の良い情報だけを与えておいた。
 セフィロトの復活の方法。その準備。共に発掘されたMSの設計図に素材を保管してある極秘倉庫の位置‥‥‥‥
誰一人として、AIチップが自身の意志を持ち、活動しているなど想像もしていない。“審判の日”以前に、既にこのAIの知識と自我はほぼ完成している。全てのAIは並列化され、同じ思考、同じ意見を持って行動している。それに気付けない研究者達は、喜々として“作られた情報”を受け入れ、MSを組み上げに掛かった。
‥‥とは言え、MSが組み上がるのには、数年の時間が必要だろう。
与えた技術を再現するためには、この世界では造り直さなければならない物が多すぎる。その為に数年。即ち、自分達の体が出来上がるまで、あと何年もの間この研究所の中にいなければならないのか‥‥‥‥
苦痛ではないが、それでは収集される情報に限りが出る。いざ体を手にして世に出た時に、通用する知識と経験が不足するだろう。それでは、自分達の理想に届かない。
 五枚のAIチップは、互いに相談し、結論を付けた。
 研究者の一人が、自分の義手にAIチップを装着している。脳殻にまで神経ネットを接続されたそのAIならば、研究者の意思にまでハッキングを掛け、ある程度の行動を操れるだろう。本人にAIの意思を気付かせないためには少しずつ、時折、“発想”を送ってやるぐらいのことしかできないが、それで十分。何十回もの回数を重ねて情報を送り込むことにより、その研究者は、自分が思いついたかのようにその“指示”を実行した。
 ‥‥‥‥人間など脆い。簡単な暗示でしかなかったが、研究者はAIの意思など気付かず、自分は自分の意思で動いているのだと信じたままで、AI達の仮の体を作り上げた。
 元から研究所に存在した優秀な披見体のクローンを作り、戦闘用オールサイバーとして生み出した。AIを使って最強の兵隊を作り出すという発想の元に、当時持てるだけの技術を注ぎ込み、まんまとその体に潜り込んだ。
 自由な体を各個に得たAI達は、ただ、時が来るのを待ち続けた。研究員達と離し、実験にも付き合い、計画実行の日のためにオリジナルの個体とも親しくなるよう、演技した。
 計画は出来ている。元となったオリジナルの個体と、最後に製造されたクローン体の二体を外に出す。いや、正確に言えば、四枚のAIチップを外に出す。一枚はMSの開発状況と、統合するタイミングを計るために研究所に残り、他の四枚は外に出て戦闘経験の蓄積と外の情報を収集する。
 ‥‥だが、全ての義体を外に出すことは出来ない。後々に回収することを考えると、あまりバラけてしまうのは危険極まりない。もしMS完成の、統合するまでの間に一枚でも破壊されてしまったら? それは困る。それだけは避けなければならない。
 だからこそ、全ての義体ではなく、二体の義体に的を絞った。製造段階で自我を弱め、強い暗示と命令を送り込んでいた“エノア”に三枚のAIチップを集める素体として選び、オリジナルのレオナに一枚のみを監視に置いた。
 エノアに三枚を与えるのは、全く同じ規格の義体が用意されていたためだ。度重なる戦闘を潜り抜けていても、研究所を破壊する段階で同機種を連れ去れば、スペアの部品として活用出来る。その行為を自然にするため、二枚のAIが、自分の義体を使ってレオナをエノアの目前で襲撃する。それをエノアが撃破し、外に出ると言う算段を付けた。もちろん、レオナを襲う際に他の研究員を殺しておかなければならない。出来れば皆殺しが良い。生き残ったレオナが、野に放たれなければ意味がない。エノアの脱出後に、レオナが拘束されることだけは確実に避けなければならなかった。
 ────そして計画実行の日、全ては滞りなく、順調に成功した。
 AI達が弾き出した計画成功の初期確率は60%。しかし研究員達は、AIからの情報に踊らされ、微塵もその企みに気付かない。何という愚図の集まり。愚かな生物。殺しあいしかできないナマモノ。そんな塵には用はない。やはり、セフィロトには必要ない。
 そうして当日、予めメインシステムに埋め込んでおいたウイルスにより、停電は起こった。その合図と同時に、エノアに仕込んであるAIが活動を開始、エノアに殺人衝動とレオナを守れという絶対命令を書き込み、あくまでエノアの意思として行動した。
 ただでさえ、生まれたてで自我の弱いエノアはAIの命令を拒まず、疑問にすら思わなかった。純粋な子供に対して嘘を教えているような物だ。AIは笑い、計画通りに仲間のAIを引きずり、義体ごと姿を消した。
 ここまですれば、AIによる意思の介入を疑ってもいい頃合いだ。しかし予め停電という、暴走するに足る“理由”を与えられた研究者達は、それを見逃した。AIを義手に仕込んでいる蛍など、塵程も疑問には思わなかった。当然だ。それを意識しないよう、やはりAIは指示を送っていたのだから‥‥‥‥‥‥
 そうして、体の完成までの間、AIチップはそれぞれの役割を勤め続けた。
 エノアに仕込まれた三枚は、レオナを監視し、護衛しながら、戦闘技術を磨き続け‥‥‥‥
 レオナに仕込まれた一枚は、人間社会の仕組みと、それへの侵入の仕方を学び‥‥‥‥
 蛍に仕込まれた一枚は、製造される体の監視と他のAI達を回収するための準備をし始める。





 光景が元に戻る。AI達の記憶は、ここまでで十分だろう。
 あとの記憶は、レオナとエノアの中にある。二人は黙ったまま、俯き、肩を振るわせた。
 ‥‥これまで、自分達が過ごしてきた日々は、確かにAIによって操られた物だった。
 自分達の意思など、どこまであったのかも分からない。もしかしたら、一から十まで、全てが自分ではなくAIの介入による物だったのかも知れない。だとしたら、まさに人形。いや、自分達はMSで、AIがパイロットだ。自分達はただ、大切に乗り回されていたに過ぎない。

(こいつ等がお前達を取り込んだのは、人間に対する記憶を新たに与えられた時、シミュレートするためだ。これまで二人が遭遇しなかった事象に遭遇した時、恐らく二人にそれと同じ状況の仮想イメージを与え、その対処方法を見て行動したいんだろう)
(‥‥なるほど。ボク達は、モルモットにされるために生かされたんだ。‥‥ううん。生かされてなんかないか。もう、体もないんだもんね。必要な時にだけ戻される‥‥‥‥幽霊じゃあるまいし‥‥‥‥)

 ククク‥‥と、忍び笑いを漏らして、レオナが肩を振るわせた。
 顔は伏せられており、アルベルトからは確認出来ない。エノアは見上げられる態勢でいるが、見た物があまりに残酷な事実だったからか、ジッと竦んで動かない。
 やがてレオナは忍び笑いではなく、顔を上げて声を上げて笑い始めた。

(ぁ‥‥あはははははははははははははははは!!!!! そ、そうか。そうだったんだ。何もかも、アレが、あのAIが! あんなくだらない物に振り回されて!!!! あはははははははははは!!! すごい!!! すごいよボクは!! なんて道化だ!!! ピエロその物じゃないか!! あれだけの犠牲を出して、月日を重ねて!! 友達も付き合わせておいて‥‥‥!!!! はは‥‥はははははははははは!!! ふざけるなぁぁぁあああああああ!!!!)

 咆哮は何よりも強く響き渡った。同じ精神体となっているアルベルトには、聴力という物がない。今こうして会話をしているのは、三人の精神を同調させて念話で意思の疎通をしているに過ぎない。声量など関係なく、念話を使っている主のアルベルト以外は、声が大きい、など操れないはずだ。
にも関わらず、アルベルトはレオナの声に耳を塞ぎ、顔を顰めた。念話の“質”を気迫でねじ曲げたレオナの怒りは、もはやアルベルトに計れるものではない。しかしその激情の一旦程度ならば、アルベルトでも理解は出来た。

(アル! すぐに戻るよ! ああもう!! こんな所にいられないよ!!! 外に戻ったら一回‥‥ううん、百回でも壊してやる!! 人をサンプル扱いして!! ぜっっっっっっっっっったいに許さない!!)
(ああ、そうしてやれ。俺が許す。気の済むまで痛めつけてやれ)

 アルベルトが手を伸ばす。ここから出る準備は、AIの記憶を再現している間に済ませていた。あとは、レオナがアルベルトの手を取り、外に出れば終わりである。
 レオナはアルベルトの手を強く握り────未だに反応出来ずにいるエノアの肩を掴んでいた。

(え?)
(“え?”じゃない! 戻るんだから、サッサと立つ!!)

 呆けているエノアに向けて、レオナは容赦なく一喝した。
 ビクリと肩を振るわせるエノアだが、立ち上がろうとして‥‥‥‥やめてしまった。

(ちょっと‥‥どうしたのさ!)
(わ‥‥‥‥私は‥‥‥‥)

 外に出たくないのかと言いかけ、アルベルトはハッとした。
 人との接し方、社会への入り方を学習していたレオナには、AIの介入はほとんど無かったはずだ。仲間達との付き合いでも、それは100%レオナの意思で、AIはそれを見ていただけである。
 対してエノアはただレオナを監視し、敵を屠ることばかりを学習していた。これは、明らかに、90%はAIの意思だ。レオナのように、幼年期を経て自我を持っていたわけでもないエノアは、AIからの介入を、自分の意思として受け取っていてしまっていたはずだ。
 一体どこからどこまでがエノアの意思だったのか‥‥‥その境界が、エノアの足を止めている。
 外に出て、一体どうするというのか。これまで通りに生きることが出来るのだろうか。いや、それは出来ない。AIの命令で生き続けていたエノアにとって、それはずっと、身を守ってくれていた保護者を失っているようなものである。それを無くした今、エノアは自分自身だけで世に出て行くことになる。
それは‥‥‥‥親とはぐれた迷子の子供と、何が違おう‥‥‥‥

(‥‥‥キミね‥‥)

 それに思い至っているのかいないのか、レオナは髪をガリガリと引っ掻き、苛立たしげにエノアの腕を掴み取って強引に引き立たせた。そしてエノアの胸倉を掴み、強引に引き寄せる。

(何甘えてるの? あんな外道に、守られていたとでも思ってるの? アレはキミを弄んでいただけで、何もしてない! 守ってなんかいない!! キミはキミで、自分の意思で生きられるでしょ!!)
(そんな‥‥事‥‥)

 レオナには分からない‥‥とでも言いたげに、エノアは悲しそうに目尻に涙を浮かべていた。
 だが、レオナは更に声を上げる。エノアと同様、微かに涙を浮かべながら‥‥‥‥

(キミに意思がなかったとしたら‥‥‥‥何でボク達に会いに来たのさ!!!)
(‥‥っ!?)

 レオナの必死の叫びは、エノアの記憶を呼び覚ました。
 ‥‥そうだ。AIの目的が戦闘経験の蓄積のみだったというのなら、何故自分はレオナの傍に近付いたのだ。何故、レオナの仲間と接触したのだ。
 ただAIの命令を聞くだけならば、その必要なかったはずだ。万が一にでもレオナに“ノスフェラトゥ”として正体を露見させる危険性を孕んでいるのならば、それをAIが許すわけがない。
 ‥‥あのオーバーホールの時。工場で、仮の義体に乗り換えた時にレオナと話し、感じたものは、紛れもないエノア自身の意思ではなかったのか‥‥‥‥‥‥
 レオナは悲しげにエノアを突き放し、そして、手を差し伸べた。

(来なよ。キミにはキミの意思がある。キミにはキミの、帰る場所が‥‥ある)

 エノアが、肩を振るわせる。

(帰ろう。ボクが、キミの居場所になってあげるから)

 エノアが、静かに手を握りしめた‥‥‥‥‥‥





【9】

 突然、『ノスフェラトゥ』の体が震え始めた。

「‥‥なんだ?」

 高周波ブレードを構えながら、剣人は片手、片足となった『流星』をズルズルと後退させる。
 戦闘によって、エレベーターは異常を感知して停止していた。高所からの落下という事故を防ぐためだろう。計算の内ではあるが、エレベーターは二階層間近で停止している。
 その停止した頃には、剣人のMSは今のような状態になっていた。
 左足を切り落とされ、右腕を60oカノンで吹き飛ばされた。手頃なパーツを次々に繋ぎ合わせた『ノスフェラトゥ』の容姿は、もはや最初の頃とは大分違っている。両腕は違うMSの物が装着され、両肩には大きなリニアキャノンとガトリングガンが装着されている。右手には3oレーザーガンが持たれ、その肘から高周波ブレードが伸びている。左手には何故か巨大な鎖突き鉄球。ただし柄の部分は着られている。鎖を使って剣人を拘束しに掛かったのだろう。切り落とされた左足には鎖の残骸が巻き付いている。
それを相手に、限られた空間での戦闘でここまで保っていたのだから、剣人の強運と技量は誰もが賞賛するだろう。
惜しむらくはその活躍を誰も見てない所だが、注目すべきはそこではない。

「‥‥‥‥終わったか」

 ガクガクと震える『ノスフェラトゥ』。まるで悶絶するかのように体を大きく振動させる『ノスフェラトゥ』は、まるで病人のようだった。
 しかし、剣人には心当たりがあった。
 そんな状態に、この不死者がなる理由。そんな物、一つしかあり得ない‥‥‥‥

『剣人! 生きてるか!?』
「よっしゃ。待ってました!!」
『今脱出した。二人は無事だ。戻れ!!』
「了解!!」

 遙か下から響いてくるアルベルトからの念話に返事をすると、剣人はかろうじて動く『流星』を這わせ、渾身の力を持って『ノスフェラトゥ』に掴みかかった。震える『ノスフェラトゥ』は、段々と機能が回復してきたのか、掴みかかってきた『流星』を引き剥がそうと、震えながら手を掛けてくる。
 ‥‥その手も巻き込んで捕まえながら、剣人はニヤリと口元を歪ませた。

「やれ。アマネ」
『了解!』

 通信機から喜々とした返事が届く。それと同時に、二機の床が“ガコン”と沈み、二機を明確な浮遊感が襲いかかった。

「墜ちてこい。なに、慣れれば楽しいらしいぞ。アマネの談だけどな!!」
『‥‥‥‥‥‥!!!!!!!!!!!!!!!!!』

 『ノスフェラトゥ』はエレベーターの床に手を伸ばし、掴みかかった。しかし震える指は呆気なく弾かれ、中に放り出される。
 ‥‥‥剣人は『流星』の手を離して『ノスフェラトゥ』を解放すると、“エレベーターの下”で待機していた『ムーンシャドウ』に捕らえられた。
 戦闘に耐えられないと判断された『ムーンシャドウ』は、戦闘が始まり『ノスフェラトゥ』の意識が『流星』に向いたのを確認してから、剣人の予備の高周波ブレードを起動させ、床に穴を開けていた。
 元から残骸で溢れかえっているエレベーターである。穴はエレベーターの下に移動してから瓦礫で塞ぎ、二機の位置をレーダーで確認しながら、ジッと足元で待機していたのだ。
 剣人の合図で、二機の足元を崩すために‥‥‥‥
 『ムーンシャドウ』に体を抱えられている『流星』は、遙か下層へと落下していく『ノスフェラトゥ』を見送っていた。

「アレで十分‥‥‥‥なわけないな」

 何百メートルという高所を落下していく『ノスフェラトゥ』だが、それで決着が付くとは思えない。
 剣人はアマネに頼み、もう一撃だけ試すことにした。





『‥‥‥!!』

 落下していく『ノスフェラトゥ』は、地に着く前に突如として発生した機能不全を修復し、四肢を最大限に駆使して着地した。剣人やアマネから受けた攻撃を思えば、自重を支える程度は楽な物だ。付け替えた腕の馬力の差でわずかに装甲に亀裂が入ったが、その程度、いくらでも付け替えが効く。
 エレベーターホールの底に着地した『ノスフェラトゥ』は、自身の中からレオナとエノアの反応が消えていることに驚いていた。戦闘中、突然機動システムのいくつかがズタズタに破損したかと思うと、同時に確保しておいたレオナとエノアの反応が消え失せたのだ。
 データ内を捜索するが、見つからない。それどころか通信を繋げてきていたAIも消え失せており、『ノスフェラトゥ』を混乱させるには十分な状況が揃っていた。
 ‥‥‥‥だが、そう長くも混乱していられない。
 システムは修復した。元より四枚ものAIを積んでいるのだ。バックアップ体制は万全である。
 完全に回復した『ノスフェラトゥ』は、キキキキキ‥‥‥と段々と音量を上げてくる奇怪な金属音に、両腕を上げて受け止めに入った。
 ガゴォォォォンンン!!!!!!
 凄まじい騒音は、エレベーターホールの頂点にまで達しただろう。人が直に聞けば、鼓膜を破りかねない程の音である。『ノスフェラトゥ』の立っていたホールの底はひび割れ、まるでクレーターのように凹んでいる。
 そしてその中央に立つ『ノスフェラトゥ』は、かろうじて原形を留める程度に生きながらえていた。
 ‥‥パーツを繋ぎ合わせていたと言うこともあり、以前程の怪力は発揮出来ない。両足は完全に砕け、受け止めた腕にも大きなヒビが入っている。
 ‥‥‥‥‥しかし、動く。不死者の名を冠する『ノスフェラトゥ』は、頭上から落下してきた数百キロを超える大きなエレベーターに潰されながら、まだその機能を停止させていなかった。
 ギ‥‥‥‥ギギギ‥‥‥
 エレベーターは持ち上がらない。当然だ。ここまでされてまだそのような力が出せるのならば、もはやMSの範疇にある存在ではない。背中に装着していた武器を外し、支え棒にしてエレベーターを支え、その間に突き落とされた穴から這い出る。幸い、エレベーターの中ならば、MSの残骸はいくらでもある。この程度の損傷、本体さえ残っていればいくらでも修復出来る。
 だからこそ‥‥‥‥

「よう。本気で死なないんだな。お前は」

 目前に現れた『流星』に、『ノスフェラトゥ』が動きを停止する。
 ‥‥考えてみれば、分かることだった。
 このエレベーターは、天井から釣っているわけではない。壁とエレベーターの間にアームが装着されており、それがレールを滑るようにして上に上がっていく仕組みだ。
 それが壊された以上、それを壊した者がいる。そしてそれの標的が自分ならば、追ってくるのも当然だ。
 自分が向かっていたのは、最初に落とされた穴である。ならばそこから、敵が出てくるのも当たり前ではないか‥‥‥‥
 『流星』が、狭いエレベーターと床の間で、高周波ブレードを構えている。
 剣人は静かに、“突き”の構えを取り────

「終わりだ。お前は‥‥‥‥敵に回す相手を間違えた」

 剣人の呟きと共に、ブレードが金切り声を上げながら、不死者の心臓へと到達した‥‥‥‥‥‥





【10】

 現実世界へと戻ったアルベルトは、周囲の状況を見回し、「げっ!?」と声を上げていた。
 四肢累々。アルベルトの周りには機械の残骸がバリケードのように積み重なり、周囲を囲っている。そしてそれは現在進行形で増え、頭上を見上げればバリケードを乗り越えてきた機械の蜘蛛が顔を覗かせ、その途端に銃弾を受けて消えていく。

「ヒカル!?」
「お? 戻ったか!」

 ヒカルはアルベルトが目覚めたことに安堵しながら、頭上から襲いかかろうとする機械蜘蛛に銃を向け続けた。

「なんだ? この状況」
「うむ。あれからこの蜘蛛のようなタクトニムに襲われたのだが、次から次へと襲いかかってきてな。手持ちの弾では足りなかったので、近くまで引き付けた奴から弾を抜きつつバリケードの足しにしておったら、それが積み重なってこんな事に‥‥‥‥」

 銃を容赦なくぶっ放しつつそう答えてくるヒカルに、アルベルトは「よくそれで保ったなぁ‥‥」と冷や汗を掻きながら、そうそうに隣で眠るレオナとエノアの頭部に手を置いた。
 『ノスフェラトゥ』から脱出したレオナ達の意識は、現在アルベルトの中にある。まるで、一時的に三重人格になったかのように、アルベルトは脳内で絶え間なく再生されるレオナとエノアの意思をすぐにでも消し去ろうと、テレパスを使って直接それぞれの意識を体の方へと戻してやった。

「やっぱ‥‥‥‥きつい」
「うむ‥‥‥‥よく保ってたな」

 ゼイゼイと肩で息をするアルベルトに、ヒカルは賞賛の声を掛ける。
 他人の人格と意識を、自分の中でキープする。それはそれが出来ない物が想像するより、遙かに精神力を浪費する。
 下手をすると意識の混濁、融合が起こるのだ。そうなった意識は、もはや自分でも他人でもどうすることも出来ない。ただ、廃人となって死に逝くだけである。それを思うと、一時的にとは言え、二人もの人間の意識を自分の中に取り込み、本来の体に戻すのだ。正常に自我を保ったアルベルトは、常人を遙かに超えた精神力を持っていると言えた。

「後は休んでおれ。こちらも、もうそろそろ打ち止めだ」

 ヒカルはバリケード越しに現れる小蜘蛛の数がどんどん少なくなってきていることを察し、ニヤリとアルベルトに笑みを向けた。
 たった十数体だった小蜘蛛達は、あれからどんどん増えていった。どうやら、切り落とされた腕自体が修理・製造工場のような役割を果たしているらしく、小蜘蛛達は周囲の残骸を材料として集め、仲間を増やしていった。
 ‥‥‥‥だがそれも限界。バリケードとして通用するまでに積み重なった小蜘蛛達は、ピクリとも動けずに機能を停止している。左腕も、内蔵していたエネルギーを使い切ってきたのか、もはや新たな製造を行わなくなっていた。
 ヒカルからそれを聞いたアルベルトは、安心したように立ち上がり、バリケードから顔を出す。

「ぁ、コラ!」
「‥‥そんな子供を叱るみたいに‥‥‥‥まぁ、任せてくれ。思えば、ここに来てからやられっぱなしなんでな。雑魚の一体でも倒しておかないと、格好が付かねぇんだ」

 アルベルトはそう言い、バリケードに足をかけて身を乗り出す。
 『ノスフェラトゥ』の左腕と、地面を埋め尽くす蜘蛛の残骸と蜘蛛の群。まるで墓場に亡霊が集っているようだ。
 その全てを視界に納め、アルベルトを中心に風が渦巻き、その瞳が金色に染まり‥‥‥‥

「消えろ!」

 カッ‥‥!
 アルベルトが念じる。それと同時に、その視界に収まっていた残骸達が消滅する。
 それは、言葉通りの破壊行為だった。残骸も、小蜘蛛達も、『ノスフェラトゥ』の左腕も‥‥‥‥全てがアルベルトの発した光に包まれ、溶解し、跡形もなく地面に溶け込んで消えていく。
 ‥‥その光景を見ていたわけではないが、ヒカルは周囲の敵が完全に消滅したことを小型レーダーで確認し、銃を納めた。

「やれやれ、デタラメな‥‥・」
「‥‥本来の俺は、これぐらいは出来るの。ただ今回は、相性的に最悪だっただけだからな」
「わかっとる。誰に言っておるのだ」

 自分を納得させるように頷くアルベルトに、ヒカルは呆れながら答え、バリケードを蹴倒した。
 バリケードから落下するアルベルト。ガシャガシャと騒々しい音を立てて崩れるバリケードに反応したのか、レオナが微かに目を開け、呻き声を上げた。

「むーーー‥‥‥‥」
「お‥‥レオナ、目が覚めたか!」
「ヒ‥‥カル?」
「うむ。そうだ。よかった‥‥!! すぐに起きないから、どうしたことかと思っていたぞ!!」
「‥‥俺の時よりも反応が良いな。やっぱ」

 地面に腰を打ち付け、呻き声を上げるアルベルトは、レオナの頭に抱きついて撫で回しているヒカルを見つけて溜息を吐いた。付き合いが一番長いヒカルだ。相棒の生還を喜ぶ気持ちは、誰よりも強いだろう。そこに声を掛ける程、アルベルトは野暮ではない。
 後は、エノアが目を覚ませば、万事解決だ。剣人の方が担当している『ノスフェラトゥ』も、作戦が上手く言っていれば、もうそろそろ────
 ガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアンンン!!!!!!
 地面を揺るがす巨大な衝撃音に、アルベルトは耳を塞ぎ、ヒカルは声を上げ、レオナは飛び起きてヒカルの顎に頭突きを喰らわした。

「★◎∀煤凵「@>_<!!!!!!」
「な、なに今の!」
「それよりヒカルを心配してやれよ‥‥」

 オールサイバーの頭突きを受けて声にならない声を上げているヒカルだったが、幸い顎が折れたわけではないらしく、アルベルトに「大丈夫‥‥」と酷く小さな声で返してきた。

「ぁ‥‥戻って来れたんだ」
「ああ。お帰り」
「ただいま。エノアは?」
「‥‥見ての通り、まだ寝てる最中だ。だけどお前が大丈夫だったんだ。時機に目を覚ますだろ」

 アルベルトがそう言う間に、次の大騒音が巻き起こる。
 エレベーターの中で何が起こっているのか‥‥‥‥衝撃音の後、今度は凄まじい金切り音が、分厚い扉越しに聞こえてきた。顔を顰める一同。寝起きにそんな音を聞かされたレオナは、「説明しろ」とばかりにアルベルトを睨み付けてくる。

「あー‥‥あの中では『ノスフェラトゥ』と剣人が戦っているんだが、どうやら、トドメを刺したみたいだな」
「‥‥‥‥‥え?」
「今、剣人と念話が繋がった。ああ、やっぱりだ。今、『ノスフェラトゥ』を、ブレードで斬ったそうだ。活動停止だと」

 これで決着が付いたな、と繋げようとしたアルベルトは、ブルブルと肩を振るわせて俯いているレオナに、得体の知れない危機感を感じて後退った。

「‥‥レオナ?」
「ボ、ボクが‥‥‥‥」
「え?」
「‥‥‥‥ボクがトドメを刺すって言ったのに!!」

 レオナはそう叫ぶと、取る物も取らずにゲートキーパーに駆け寄り、カードキーを翳して認証を終えてエレベーターの方へと走っていった。
 その体からは、言いようのない怒りが滲み出ている。遠目から見ても分かるのだ。間近から見れば、それこそこちらに恐怖心すら湧き起こらせるだろう。
 その後ろ姿を眺めながら、ヒカルとアルベルトは、呆けて動かなくなりそうな思考を叱咤して揺り動かし、互いに視線だけ合わせ‥‥‥‥

「変わらないの‥‥‥‥」
「そうだな‥‥‥‥だが、レオナのことだ。変わりようがないだろ」

 二人は遠目にエレベーターの中に消えていくレオナの後ろ姿を見送りながら、薄目を開け始めた絵のあの方を揺り動かした‥‥‥‥






〜エピローグ〜

 ‥‥‥‥そうして、事件から早くも一週間が過ぎようとしていた。
 都市マルクトにある行き付けの喫茶店で、アルベルトはファッション雑誌を片手にコーヒーを飲んでいる。時折チラチラと視線を上げ、対面に不機嫌そうに座り、ジョッキでオレンジジュースを飲んでいるレオナの様子を窺いにかかる。が、すぐに視線は雑誌に戻す。下手に目を合わせると噛み付かれかねない。レオナは今、やり場のない怒りに暴発寸前の状態だ。

「‥‥」
「‥‥」

 無言で‥‥二人で過ごしている。
 まるで話すことなど何もないと言わんばかりに突き放した態度のレオナは、時折アルベルトを睨み付け、腕時計を確認し、そしてやはり睨み付けてくる。
 ‥‥‥‥まるで親の仇を前に、手出しを禁じられた猛獣のようである。いや、猛獣ならば手出しを禁じられようと何だろうと襲ってくるか。まぁ、レオナはあくまで人間なので、ここでアルベルトをメッタメタのギッタギタにのした所で意味がないことを分かっている。
 だがしかし、その剣呑な空気は周囲にまで影響を及ぼし、二人の座っている席には誰一人として近寄らない。
 レオナがジュースを飲み干してウエイトレスに追加を注文する時、ウエイトレス達がカウンターで誰が持っていくかをジャンケンで決めている程だ。
 そんな空気を目の前にして、平然とコーヒーを飲んでいるアルベルトのことを、周囲の者達は尊敬の目で眺めていた。
 しかし事実は異なる。アルベルトはここで人と待ち合わせをしていただけであり、その相手はレオナではない。ついでに言うと、アルベルトは必死に雑誌読んで気を紛らわしているが、実は皆と同様、レオナが怖くて動けないだけだったりする。
 ‥‥レオナは本日三杯目のジュースを飲み干すと、ダンッ! とテーブルに叩き付け、まるで酔っぱらいのようにアルベルトを睨み付けた。

「‥‥一人だけ楽しもうったって、そうはいかないんだからね!」
「なんだ。まだあの事を怒っているのかと思ったんだが、違ったのか」
「違わなく無い。まだ怒ってる。でもその上に、今日のことが追加されただけ。追加発注だよ。お代が上がってるよ? 分かってる? ん?」
「分かった。つまり、怒りゲージが増大したわけだな」
「その通り。言い訳があるなら聞いてあげるよ」

 聞き流すけどね、などと追加で言い捨て、レオナは更に追加発注を行った。
 アルベルトは、そんなレオナを前にして、雑誌を丸めてどうしたものかと肩を叩く。
 レオナが怒っているのは‥‥‥‥肝心の仇である“ノスフェラトゥ”のAIチップを、他人に取られたことだった。
 “ノスフェラトゥ”の内部から救出されたレオナとエノアは、それぞれの体に戻って事なきを得た。レオナを修復するためにエノアは部品を取られており、動くこともままならなかったが、それでも生きる分には支障はない。そのまま決着を付けて戻ってきた剣人とアマネに運搬を頼めば、マルクトまではしっかりと保つはずだった。
 のだが‥‥‥‥

『えーと‥‥スマン! ママンに、倒したって安心させてあげたいねん! せやから‥‥‥‥ホンマにスマン!!』

 と、戻ってきたアマネは、速攻で蛍の義手を奪って飛び去った。予想だにしなかった光景に、一同は呆然とそれを見送ってしまい、気付いた時にはアマネの姿は遙か彼方に消えた後だった。
 恐らくレオナの怒りを予測し、AIチップは譲って貰えないと思ったのだろう。そしてその判断は正しく、獲物を盗られて怒り心頭となったレオナは、エレベーターホールに横たわる『ノスフェラトゥ』を蹴り付け続けていた。
 ‥‥‥その横たわる『ノスフェラトゥ』も、綺麗なまでに剣人によってチップは破壊されていた。睨み付けてくるレオナに、剣人はタジタジになって追い詰められ‥‥‥‥まぁ、それは置いておこう。思い出したくもない。
 こういう訳で、肝心の仇を人に横取りされたレオナは、やり場の無くなった怒りを発散することが出来ず、不機嫌なままでこの一週間を過ごしている。
 最初のうちはアマネか蛍にでもぶつけるだろうと思っていたアルベルトだったが、アレクサンドルが工場に手を回し、エノアの部品を出回らせたことでそれも出来なくなった。
 ‥‥以前、エノアが工場でオーバーホールを受けたことがある。しかし研究所で一から特注されているエノアに合う部品など存在せず、整備など以ての外。乗り換えを進められるはずだった。
 が、そうはならなかった。それは何故か?
 答えは簡単。AI同士で連絡を取り合い、予め整備を行う時には、どの工場のこの技師を訪ねるように‥‥と、必要最低限の知識を用意しておいたのだ。あとは特定の工場に、必要な部品を回しておけばいい。そうでもしなければ、とうの昔にエノアは、動けなくなっていたのだ。
 しかしチップが失われた今、組織はそのようなバックアップはしてくれず、指揮をとっていた蛍も入院しているため、エノアの修復は不可能と思われた。そこに、アレクサンドルの部品提供である。ついでとばかりに、腕の立つ技師を紹介されて完璧な修理が行われ、文句など言えなくなってしまった。
 それに、当初は憎んでいた蛍も、今では手出しが出来なくなっている。
 物理的に護衛されているわけでも、面会謝絶になっているわけでもない。ただ‥‥‥‥入院している蛍が、チップを渡された直後にそれを砕いてしまったのだ。
 それからは、ずっと伏せったままである。毎日アマネが見舞いに訪れているらしいが、回復するかどうかは‥‥‥‥分からない。レオナと同様、AIチップに洗脳されて過ごしてきた三年間。その間に、蛍も家族を失い掛けたのだ。気持ちは分からないでもなく、会って何を話せばいいのかも分からないため、レオナは一度も会いに行っていない。会いたいとも思わない。恐らくこのまま、お互い、事件が風化するまでは会わない方が良いと、何となく確信していた。
 ‥‥‥‥それに、今回の事件で一番泣いたり怒ったりしたいのは、恐らくレオナではなく剣人である。精神的にではなく、物理的に大きな傷を負ったのは、なにも蛍だけではない。
 散々苦労し、命を賭け、かろうじて勝利を収めておいてほとんど報酬なし。むしろのMS『流星』の修理費用を考えると、誰がどう見た所で大赤字である。義体の修理費用とMSの修理費用では雲泥の差があり、剣人の手持ちでは、それこそ全財産を注ぎ込んでも修復など不可能と断ぜられた。
 ‥‥まぁ、あまりに打ち拉がれている姿に同情し、アルベルトが修理費用を肩代わりしたので、今では立ち直っている。ちなみにアルベルトは「利息は‥‥これぐらいか?」などと呟いていたが、誰も聞いていなかったので良しとしよう。気にしなければ巻き込まれない。これは、“スルー”と言われる奥義である。
 剣人が後で泣くのかも知れないが、それはアルベルト。頼み込めば大丈夫だろう。たぶん。
 ‥‥‥‥そんなわけで、レオナはぶつけたい想いをアルベルトにぶつけることに決めたのだった。
 アルベルトにとってはとばっちりである。今回の事件で一番活躍したのは、他ならぬアルベルトとも言える。剣人も命を張っているが、少なくともレオナとエノアが救われたのはアルベルトの御陰だ。恩を仇で返す行為である。
 だがアルベルトは、あえてその八つ当たりを受け入れた。
 むしろ、それをこの事件の報酬とさえ思っている。こうして、再びレオナと共に、面と向かってお茶を飲むことが出来るのだから‥‥‥‥そう悪いことばかりではない。

「あー‥‥そうだな。お前の分も買ってやるから、勘弁してくれ」
「‥‥‥‥あ、そうだ。あのさ、エノアと一緒に住んでから、今のマンションが手狭になって────」
「却下だバカ。ガラクタを片付ければ良いだろうが」
「ぶーーー!」

 レオナが頬を膨らませ、ブーブーと不満を訴えてくる。
 ‥‥‥‥そう、レオナは現在、エノアと共に暮らしている。
 元よりセフィロトの廃墟の中で暮らしていたエノアには、マルクトでの住処がなかった。マルクトで夜を明かす時には、そこら辺の廃墟を適当に見繕って寝床にしているだけである。その暮らしっぷりを聞いて、レオナは大笑いをしながら、自分のマンションを提供した。家具類の追加は、手近なヒカルのセーフハウスから持ってきた。ヒカルもそれは承知しており、珍しいことに文句など出なかった。
 自分の発言を守ろうとしているのか、レオナはエノアの面倒を献身的に見ている。まるで姉のように人見知りの激しいエノアの手を引っ張り、街中を散策して街中の仲間達に引き合わせ、「今日から妹になったエノアです!」と紹介して回っていた。それにより、セフィロトでの指名手配犯の事で騒ぎが起こったのだが‥‥‥‥それに同伴していたヒカルが、言葉巧みにAIチップと偽物の話を聞かせ、上手く追及を躱してしまった。情報屋や自警団にも手を回し、情報操作は完璧である。それで足りなかったら‥‥‥‥それでも心配するようなことはなにもない。レオナを取り巻く仲間達がその気になれば、いくらでも手は打てる。
 不満げに頬を膨らませているレオナに、アルベルトは笑みを浮かべ、からかうように言葉を紡ぐ。

「分かった分かった。まぁ、マンションとかは無理としても、無理のない範囲で良いなら奢ってやる」
「やりっ! あ! 来た来た!! おーい! エノアーー!! ヒカルーーー!! こっちこっちーーー!!!!」

 アルベルトが振り向く。店中に響き渡る大声に顔を顰め、ヒカルは早足で二人の方へと歩いてくる。エノアは、顔を真っ赤に染めて慌ててヒカルの後をついて行く。周囲の視線を気にして身を小さくしているのが、妙に可愛らしい。
その光景に、アルベルトはニヤリと口元を綻ばせる。

(変わったな)

 以前の冷たい印象は、段々と薄れてきている。AIによって感情面に変化が起こったのか、レオナやヒカルと付き合うことで、感情面が段々と豊富に、そして分かりやすくなってきていた。
‥‥‥‥それはAIを持っていた時に培った学習能力によるものなのか、エノアという少女の、本来あるべき姿なのか。どちらでも良いことだ。助けに行った甲斐があったと言うだけのことである。まだ自分から話し掛けることが滅多になく、人目を気にする所が残っているが、それもじきに治るだろう。
 ヒカルは二人の席に近付くと、エノアの背中を押して「ほれ、行ってみ」と小さく呟き、エノアをけしかける。エノアはヒカルの顔と二人を見比べ、諦めたように席に座る二人に駆け寄ると、肩で息をしながらキッ! とレオナを睨み付けた。

「‥‥‥‥レオナ。大声を出すのはやめて」
「えー? だってエノア、私達のこと探してたし」
「‥‥‥‥だからって」
「それに? “レオナ”じゃなくって“お姉ちゃん”って呼んでって言ってるでしょ? さぁ、カモンカモン!」
「‥‥‥絶対に嫌」
「俺も聞きたいんだけどなぁ‥‥‥」
「うむ。それは私も聞きたい。レオナから聞いただけだからの」

 ヒカルとアルベルトは笑いを堪えきれずに、肩を振るわせて俯いた。修理の段階で、レオナと瓜二つの外見は紛らわしいと言うことで、エノアの身長はレオナよりも低くなっている。それでか、レオナはエノアを妹扱いし始め、この有様だ。最初は必死に抵抗していたエノアも、レオナの勢いに押し切られるようにして時々従っている。他の人が居ない時限定なのが惜しい。いつかは是非とも、皆の前でレオナを“お姉ちゃん”と呼んで欲しいものである。
 ‥‥まぁ、そんな無愛想というか、懐いている飼い主にしか甘えない猫のような所が似合っているから良いだろう。
今日は、それに見合う服を買ってやらなければ。

「ほれ、何をしておる。もう昼過ぎだぞ。あまりゆっくりしていると、服を選ぶだけで陽が暮れてしまう」

 ヒカルがそう言うと、アルベルトも頷き、立ち上がった。
 今日は、替えのシャツと短パンしか持っていないエノアにファッションの大切さを教える日である。
 ‥‥決して、エノアで着せ替え遊びをする日ではない。

「じゃ、行くとするか。行き付けの店とかあるか?」
「もっちろん! さぁ、付いてきて!!」
「わっ!?」

 エノアの手を引き、レオナが走り出す。端から支払いなどする気はないのか、その動きに躊躇はない。
アルベルトはやれやれと肩を竦め、伝票を手に取った。

「本当に‥‥‥‥お似合いな姉妹だな」
「うむ。まったくだ。見ていて飽きそうにはないな」

 アルベルトに追随し、ヒカルは呆れきった表情で、しかし口元は愉快そうに歪めて歩き始める。
 店の出口で手を振って二人を急かしているレオナと、その隣に寄り添うようにして立つエノア。
 この二人の未来に、後は幸だけが待っているようにと‥‥‥‥ただ、それだけを祈って、アルベルトとヒカルは歩き出す。




物語は続く。
これはまだ、二人の話にとっては、一部にしか過ぎないのだから‥‥‥‥‥‥






FIN






●●参加PC●●
0536 兵藤・レオナ
0351 伊達・剣人
0541 ヒカル・スローター
0552 アルベルト・ルール
0637 アマネ・ヨシノ
0713 アレクサンドル・ヨシノ
0802 蛍・ヨシノ



●●あとがき●●
 〆切ぶっちぎり&ページ数の限界に挑んでみたメビオス零です。
今回は多大に〆切を延ばしてしまいまして、申し訳御座いません。納品日当日になって、PCに取り込んでおいたデータが情報修正前の状態の物であることに気付き、大慌てで確認しておりました。すると‥‥‥キ、キャラが一人足りない!? と言うことになり、修正を加えておりました。
 あえて誰が忘れられていたかは言いません。読んでいる内に違和感を感じたら、たぶんそのキャラです。こんな凡ミスをしてしまい、本当に申し訳ありませんでした。そして全員のキャラに違和感を感じたら、なおすいませんでした。
 さて‥‥‥‥今回のシナリオで、レオナさんとエノアさんのストーリーは一応の完結ですね。他のライターさんから引き継いだ作品ですから、結構不安だったんですけど‥‥無事(?)完結して良かった‥‥
 でも、もし見逃しているシナリオとかがありましたらすいません。有間さんの作品は一通り読みましたが、他のライターさんの作品もある場合は見逃してるかもしれません。他のシナリオと矛盾点とかあったら、純粋に捜索不足です。
 謝ってばかりだ‥‥あまりそうなのもアレなので、ここまでにしましょう。言わなきゃいけないことはまだあるだろうって? あります。でも全部書いてると、たぶん凄く自虐的な文章になりそうですから‥‥‥‥
 ではここからは、一人一人にコメントを残します。

○レオナさん○
 主人公なのに目立ってない‥‥ですね。初っぱなで負けてるし、出番が少ない‥‥‥‥うーむ、これは問題な気がする。でもシナリオの性質上、居なくなってから復活するまでの間が長いから、仕方ないんです。すいませんでしたーーー!

☆エノアさん☆
 主人公二号。でもやっぱり目立ってない。いいのだろうか、これで! セリフが最も少ない人の内の一人。出番もない。なぜだ! 元々無口なのにも加え、最初はリモート操作されてるからですね。しかもレオナさんと一緒に取り込まれてるし‥‥‥‥ホントは最後に現れたとき、レオナのことを“お姉ちゃん”と呼ばせるつもりでした。原稿書いてる時点では、最初そう書いてました。でも、想像して「‥‥ダメだ。可愛すぎる!」と、没に。そのバージョンが読みたかった方、ごめんなさいでした☆

◎アルベルトさん◎
 シナリオのど真ん中を陣取って離さなかった。一番スペックが高い上、設定上お母さんに似てほとんど何でもありなので、敵のレベルがかなり上がりました。天敵ばかりです。でも本気になっちゃったら、たぶん対ESP素材のMSにも勝てるんだろうなぁ‥‥なんて思ったり。

▲蛍・ヨシノさん▲
 黒幕第一号にして、最古参の犠牲者。数年間の間洗脳されて動かされていた彼女は、それから立ち直れたのか‥‥‥‥まぁ、大丈夫ですよ。本気で想ってくれている家族が居るもん。本当はもっとヒカルやアマネとの絡みを書きたかったんだけど‥‥・再会したときに半死半生じゃあ、無理はさせられませんでした。すみません。でも、最初のプロット段階では“洗脳されたショックで廃人”とか“神経が焼き切れて廃人”
とか“キレたアルベルトさんに殺されて‥‥”など、ろくな案がなかっただけ、現在の状況はまだマシな扱いになっていたのでした。意外にも。

▼アレクサンドル・ヨシノさん▼
 黒幕第二号。でも実際には、黒幕第一号に扱き使われる戦闘員第一号。さりげにエノアを倒し、アルベルトと引き分ける凄い人。今回もっとも本戦で活躍出来なかった人でした。だって参加してないし。蛍さんを連れて逃げて貰う必要がありましたからね。え? アルベルトのESPで治療出来☆○×▲‥‥‥‥

□アマネ・ヨシノさん□
 ‥‥すいません。突然の電波障害で通信が途切れました(嘘)。と、アマネさんですね。うーん、今回の敵は、戦闘向きのMSに乗っていないアマネさんでは辛く、またエレベーターの中では飛行能力も有効利用出来ませんから、あまり活躍は目立ちませんね。すいません。書いてるときには、「アマネもアルベルトと一緒に行かせるか」と思っていましたが、二人も行かせてどうするんだよと思い至り、やめました。でも最後に病室で会話するアマネさんを入れたかったかもと、ちょっと後悔。

◇伊達・剣人様◇
 今回、一番の貧乏くじを引いた方。いきなり三機のMSを相手に戦闘。しかも肝心の戦闘シーンはカット。そしてノスフェラトゥとの実質一騎打ち、でもやっぱり大幅カット。そしてMSを大破、借金まみれ‥‥‥‥サイコマ最後(?)のシナリオで散々な目に遭わせてしまいました。すいません。でもお金はアルベルトさんが貸してくれてます。利息は彼にお聞き下さいませ。大丈夫! アルベルトさんなら、たぶん安くしてくれますよ!(他人任せ)

★AIチップ“セフィロト”&MS“ノスフェラトゥ”★
 AIチップは、元々人では手に余るセフィロトを統率、監理するためのAIチップでした。しかし情報を集めすぎて人格を形成し、人類絶滅主義者へと変貌。封印されるも、掘り出した蛍達研究者を操って人類絶滅計画を練り、実行に移しました。こわっ! 勝手に自分で作った設定だけど、こわ!
 たぶん“審判の日”以前の社会なら、誰もコイツには勝てないんでしょうね‥‥滅んでて良かった。世界(オイ)。






 さて、長々と作品に続いてあとがきまで読んで下さって、誠にありがとう御座います。
 ここで活動に対する連絡です。
 私、メビオス零は、現在入っている仕事を片付けたあと、見切りを付けてライター業務から一時撤退します。元々サイコマスターズぐらいでしか活動してなかったし、他に面白そうなコンテンツもないので、しばらくはHPの活動に専念します。いい加減更新しないと‥‥良ければ寄って下さい。今までの作品を載せています。
 では、長々とすいませんでした。いつもの通り、ここら辺で締めに入ります。

 今回のご発注、誠にありがとう御座いました。
 これまでもっとも多くの作品を発注して頂き、レオナさんやヒカルさん、アルベルトさんのお三方には本気で感謝しています(まぁ、まだあと一つシナリオが残っていますけど)。思えば剣人さんも、数少ない個人部屋での最初のシナリオに参加してくれてる人でした。最初から最後まで付き合って貰えるとは‥‥‥感謝の極みです。
 これからもがんばり‥‥いえ、活動は停止しますけど、場合によっては戻ってくるかもしれないので、その時には、またよろしくお願いします。他のコンテンツで会うようなことがありましたら、その時には“ただいま”と言わせて頂きますね。
 ‥‥それでは皆さん。
 今回のご発注、誠にありがとう御座いました。(・_・)(._.)