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ブラジル【密林地帯】インディオ村
ライター:メビオス零
【オープニング】
アマゾン流域の密林地帯には、昔ながらの暮らしを続けているインディオの村が幾つもある。
インディオは凄いぞ。あの審判の日と、それ以降の暗黒時代、高度なテクノロジーを持ってた奴らがバタバタ死んでいった中、インディオ達は何一つ変わらない生活を送っていたというんだから。
本当に学ばなければならないものは、インディオの元にあるのかも知れないな。
〜流れる森〜
‥‥最近になって、空は“よくもまぁ、今まで気付かなかったものだ”‥‥と思うことが多くなっていた。
アマゾン川河口付近で起こる海嘯(ポロロッカ)の存在を、空は聞いてはいたが、ついこの間まで実際に見たことはなかった。
最初は河口付近から始まり、川を遡って密林の広範囲に渡って水害を及ぼす災害。観光の目玉にもなっているのである意味災害でもないような災害は、アマゾンに住む者ならば誰もが知っている事である。それどころか、サーフィンを嗜む者ならば、一度は波に乗ってみたいと思わせる程の有名どころである。
にも関わらず、空はそれを見たことがなかった。アマゾン奥地にあるセフィロトに籠もっていた時期が長かったせいか、外に出ている時でも、そんな水害に遭遇することがなかったのだ。
それにもし、そんな水害に遭遇したとしても、普段の密林を知らない者では水害時と平常時の違いを正確に感じることは出来ないだろう。どれだけ劇的に違っていたとしても、だ。
「すごい‥‥この辺りが水に浸かるって、ホントだったのね。村長から聞いてはいたけど」
「ええ。ここは、大昔は川だったみたいなんですけど、もう何百年も前に干上がってしまった場所なんです。でも、海嘯の時だけは最近になって‥‥“審判の日”からなんですけど、川に戻るようになったそうなんです」
船を漕ぎ、目の前に広がる光景を感嘆の声を上げて見つめる白神 空に、隣に座り込んでいる祈祷師の少女(姉)が解説を加えた。
二人の目の前には、辺り一面の密林が水没しているという、実に信じがたい光景が広がっていた。
今居る付近には、海嘯によって密林にまで遡った水が集まってきて川を作っているらしい。根本を完全に水没させている木々は、苦しそうに悲鳴を上げ、時折細くて若い木や枯れた老木が倒れ、川を流れていく。動物たちは何処かへ避難したのか、見渡す限りには存在せず、たまにワニやピラニアがチラホラと見えるぐらいである(水かさがそれほどあるわけではないので、透けて見えたのだ。)。
空は木々にぶつからないように竿で船をコントロールしながら、祈祷師の少女に問いかけた。
「へぇ‥‥そんな場所で、わざわざ儀式をするの?」
「はい。海嘯の水害を収めるための儀式なのですけど‥‥‥‥最近は水かさが増して危ないので、空さんに頼むことになりました」
「あら、そうだったの? 村長からは、“あなたが責任を取りなされ!!”とか言ってたけど‥‥」
「それ、あってますよ。ほら、この前海嘯観光に連れて行った時、船を一隻ダメにしたでしょ? 儀式の準備もしなくちゃいけないから、毎年何人かを連れて行っているんですけど、こんな小さな船しか残ってなかったんですよ。空さんの所為で」
「‥‥‥‥ごめんなさい」
「良いんですよ。村の人達も、本気で怒っていませんから」
力無く項垂れる(うなだれる)空に、祈祷師の少女は笑いながらそう言った。空も本気で落ち込んだわけでもなく、顔を上げて舌をチロリと出して笑いあう。
‥‥今日、空は、いつもの通りにインディオ村に赴いて、一つの仕事を任された。
それは、お正月の時とはまた別の場所で儀式を行うので、その護衛をして欲しいというものである。何でも、海嘯によって得られる恩恵に感謝し、その厄災を払うための恒例儀式なのだという。
ちょうど雨期と重なることで最大級にまでなった海嘯が来た時、水に埋まらない岩場の頂上でこの儀式は行われる。
“審判の日”以前は陸路で儀式の場所まで向かっていたらしいのだが、“審判の日”以降、海嘯によって密林に到達する水量が増し、儀式の場まで移動するのに船を使う必要となった。が‥‥先程祈祷師の少女が言った通り、空は海嘯見学のために村から数少ない船を持ち出し、それを壊してしまった。
その責任があるため、この仕事を断ることなど出来なかった。と言っても、元より断るつもりなど微塵もない。今回の仕事を聞いた時、空は思わず心の底から笑みを浮かべていた。
村に残っていたのは極小さな船だけで、儀式のための道具を乗せることを考えると、二人で乗るのが精一杯である。
ここ最近“二人っきり”、“目撃者一切なし”と言う言葉からはめっきり離れてしまっていたため、こんな頼み事は願ってもないことだ。これだとまるで殺害タイミングを計っていたかのようにも聞こえるが、別にそう言うわけでもない。
二人っきりになれずに色々と溜め込んでいたのは、祈祷師の少女も一緒だったのだろう。祈祷師の少女は空一人で儀式に同伴することを拒まないどころか、微かに嬉しそうに笑みを浮かべていた。
‥‥だがその笑みも、村の中で一瞬だけ盗み見ただけだ。いくら村人達に黙認されている身(最近はあからさまになってきたが)だからといって、あまり堂々としていると本当に追い出されかねない。特に今回は、毎年恒例の神聖な儀式に向かうのだ。それがどれほど重要なことなのかは、祈祷師の少女が一番よく分かっていた。
だからこそ、村では出来るだけ空からは距離を置いて、内心を村人達に悟られないように努めるようにしている。
空も最近は少々ハメを外しすぎたと自覚しているので、しばらくの間は自重していかなければならないだろう。
‥‥そう、本当に人目がないと確認出来るまで、は。
「ああ、そこの洞窟に入って下さい」
「え? ここ?」
二人でわいわいと話し合いながら船を漕いでいた空は、祈祷師の少女が指差す方向に目を向け、呆けたように口を開けていた。
‥‥祈祷師の少女が指差したのは、小さなビル程の大きさの岩だった。まるで空から降ってきたかのように密林に深く突き刺さったそれは、異様な違和感を感じさせた。
「そうか。なるほど。そう言うことなのね」
「どうかしましたか?」
「ううん。この岩‥‥‥‥何だか変な感じがしたけど、分かった。ここだけ周りが岩だらけだから変に思えるのね」
空はその岩を中心にした一帯にだけ、草木が極端に少ないことに気付き、竿を地面に突き刺して船を固定した。
祈祷師の少女が指差した岩場の一帯には、密林の高い木々がほとんど無い。岩に蔓が巻きついてはいるものの、それも地面から伸びているのではなく、岩場から直接生えていて水面には触れていない。
上空から見れば、まるで密林の中に小さな穴が空いているように見えるだろう。
「海嘯って、要するに海水ですからね。この岩場は密林の中でも特に低い場所にあるので、海水が集まって蒸発して、地面に塩が染みこんでしまって植物が上手く育たないんですよ」
「なるほど。海嘯による地味な被害‥‥‥‥厄災の象徴という所かしら」
「まぁ、そんな感じです。でも地味な被害とは言わないで下さいよ。塩害って、ホントに酷いんですから」
服利と頬を膨らませる祈祷師の少女。確かに現地に住んでいる者からしてみれば、それは死活問題である。
海嘯の主な被害では水が密林を遡って人里を襲ったり土地を削ったりと言うことが上げられる。川を遡る‥‥‥‥それぐらいで何を大げさな、と思う人もいるだろうが、その水の勢いは相当に強く、木々を薙ぎ倒すこともしばしばある。しかも特に大きい今回の海嘯では、内陸の600qを超える範囲にまで海水が遡ってくるのだ。サーファーや観光人にとっては見物なのだろうが、地元にするインディオ達にとっては大洪水以外の何物でもない。
それによる死者も当然出るが、それは人里を離れて大陸の外側に住んでいる者の話だ。内陸の奥深くに村を作り、そこで何百年何千年と暮らしてきたインディオ達に直接の被害が出ることはあまりない。もし海嘯が届いても、人的な被害はここ数年出していなかった。
が、問題は農作物に現れた。海水に含まれる塩分が地面に染み込み、農作物が枯れてしまうのだ。
それは密林の草木も同じ事。変化はすぐに現れるわけではないが、塩分に弱い植物は調子を崩し、枯れていく。雨期により地面に染みこんだ塩を洗い流してくれる事も期待出来たが、その雨期が原因で大規模な海嘯が起こるのだ。それではイタチごっこである。
また、引き潮に塩と一緒に陸地の地面までも一緒に削り取られているのでは堪ったものではない。陸地が削られるたび、この大陸は段々と痩せていっている。
“審判の日”により海面が上昇したこともあって(南極の氷が溶けたり、大陸が削られたため)、海嘯の規模は大きくなっている。被害は広がる一方で、インディオ達は、もう何百年もすればこの大陸を追われることになるかも知れない。
そんな話を、空に聞かせた祈祷師の少女の訴えは本物だった。
「まぁ、私達が祈祷をした所で、もう変えられない運命なんですけど、ね‥‥」
「あなた‥‥‥‥」
遠い目をしながら海嘯に流されていく木を眺める祈祷師の少女は、一瞬だけ泣いているかのようにも見えて、空は直視することが出来なかった。
滅びる故郷。いずれはそうなると、彼女は知っていた。知らないがために祈り、願うことが出来る村人達と違い、外の知識を持っている彼女は、自分達の生まれ育った森がどうなるのかを、朧気には理解していた。
‥‥‥彼女に、彼らインディオに非はなにもない。
彼らはただ生きていただけだ。昔から変わらずに生活をしていただけだ。“審判の日”を起こしたのも、海嘯によって甚大な被害が出るようになったのも、インディオには何一つとして非は存在しない。全て、自分達で勝手に世界を弄くり回していた人間達の責任である。
そんな人間達に生み出された空は、何とも言えない罪悪感を覚えていた。
自分にも非はなにもない。が、生態科学の粋を凝らして作られた空の体は、たとえこの大陸が海に沈んだとしても生きながらえるだろう。それを思うと、科学に振り回された末に滅びるインディオ達と、共に居ても良いのかと疑問にすら思えてくる。
‥‥そんな空の思考を読み取ったのか、祈祷師の少女は ポンッ と、空の足を叩いていた。
「何暗い顔をしてるんですか。そんなこと、まだまだずっと先です。たぶん三百年ぐらい後ですよ」
「‥‥‥‥そうね。ごめんなさい。えっと、この岩よね? どこから登るの?」
「ああ、こっちですこっち。岩の向こう側に船を回して下さい」
祈祷師の少女が、岩の反対側を指差した。空は頷いて竿を地面に突き立て、力任せに移動する。
‥‥‥‥本当ならばオールで漕ぎたい所なのだが、海嘯の流れが思ったよりも早いためになかなか進めないため、竿を地面に突き立てて移動していた。どうやら、岩場が低い場所にあるというのは本当らしく、四方八方から海水が集まり衝突している。
さすがに河口付近のような勢いはないが、それでも周りの水が集合しているため、予想していたよりも危険な場所だった。
「よっ‥‥と!」
竿で地面を掻き、岩場に衝突しそうになるのを手で受け止めてずらし、回避する。水の流れがあっちこっちへと動いているために移動しづらい。こんな場所で転覆でもしたら、それこそ【人魚姫】にでも変身しないと岩に叩き付けられて沈んでしまうだろう。
(まさか‥‥‥‥その対策のために私が選ばれたのかしら)
そこまでバレてはいない‥‥‥‥と思うが、もしバレていた時のことを考えると笑えない。空の体質がバレれば、超能力者やサイバーで溢れかえるマルクトでも、周囲の空を見る目が変わってくるだろう。
まぁ、「自然のままに」を謳うインディオ達ならば、それすらも気にすることもないのだろうか。
空がそんな心配をしている内に、船は岩場を回り込んでいた。
「あの穴の中です。船を着けて下さい」
「了解しましたぁ」
祈祷師の少女に指示された通り、空は一際大きな岩に空いていた穴の中に船を入れる。少女が指定した岩は、岩場の中でも最も大きい物で、穴は船が入るには十分なスペースが確保されていた。
穴の中を進み、暗い水流の中を壁に手を着け、船を動かしていく。竿を地面に突き立てようとしたのだが、地面はコケの生えた岩と水に満たされており、竿が思うように動かない。仕方なしに、壁に手を着けての移動となったのだ。
「はい。ここまでです。空さん、ここから力仕事なんですけど、まだがんばれますよね?」
「もちろん大丈夫だけど‥‥‥‥どうやって上に行くの? 階段とかは?」
「ありません。去年は、この壁に手を突いてよじ登っていましたよ」
上を見上げる。岩場の頂上には、ポッカリと円形の穴が空いており、そこから見える夕日が確かに岩の上にまで通じている事を示している。しかし壁を触ってみると分かるのだが、多湿による水滴によって左右の岩場はヌメヌメとよく滑り、とても登れるような場所には見えない。
「ここ、本当に登ったの?」
「はい。ここを登った人は、それ以来『イモリのジョー』とか呼ばれてますよ」
「どこの怪人よ‥‥‥‥どうせなら、上からロープでも垂らせばいいのに」
「村にある物だと、多湿に負けて腐っちゃうんですよ。一年に一回しか使いませんから、誰も取り替えないですし。以前金属の鎖も試したそうですけど、塩風に吹かれて錆び付いてしまって、登ろうとして大怪我をしたそうです」
「なるほど‥‥‥‥何だか試練みたいね。分かった。何とかしてみるわ」
空はそう言いながら、荷物の中から長いロープを取りだした。それを荷物に括り付け、片方を祈祷師の少女に手渡し、自分はもう片方を手に持って上を見上げる。
‥‥水ッ気の多い壁は、空では登れない。滑り気さえなければ【玉藻姫】の三角蹴りで飛び上がれるのだが、この壁でそれをすると、恐らく途中で滑って転んで落ちて着水。そして聞こえる、祈祷師の少女の笑い声‥‥‥‥
そんなコントをしたいとは思わない。そんな情けない所は何があっても見せたくない。
と言うわけで、空は仕方なく祈祷師の少女に船をこのままの位置に着けておくようにと言い残し、【天舞姫】へと変身した。
(う‥‥狭い)
ロープを鉤爪で鷲掴みにして飛行する。
祈祷師の少女とは、以前に【玉藻姫】で襲いかかり、【人魚姫】で救出するというイベントをこなしている。今更飛行形態である鳥獣型を見られた所で、どうと言うことはない。
実際、祈祷師の少女は【天舞姫】となって上空へとヨタヨタと飛んでいく空を見上げ────
(あ、今晩は焼き鳥にしよう)
等と言うことを考えていた。
(思ったよりも飛びにくいわね‥‥‥‥)
空は狭い洞窟内を、勢いも着けずに翼の力のみで飛行し、その困難さに汗を掻いていた。
飛行能力を持つ【天舞姫】だが、洞窟のような狭い場所で本来の性能を発揮することは出来ない。勢いよく飛ぶためには助走が必要だし、矢のように速く飛ぶには風に乗る必要がある。
助走も一切出来ない船の上から、ただ翼(腕)を振る力のみで垂直に上昇するのは、空でも困難な事だった。
‥‥だが、疲弊して落下する程ではない。船から岩の上までの二十数メートルの距離程度ならば、この閉鎖された空間でも大した問題ではない。
穴から抜け出た空は、突然目の前に現れた夕日に目を奪われ、危うくロープを取り落としそうになった。
「あら‥‥‥‥」
切り替わった光景に目を細める。
上空で余計なまでに熱い熱光線を発していた太陽は、いつの間にか傾き西の空に沈もうとしていた。
密林の中で船を漕ぎ、岩の暗闇の中にいたために気付かなかったらしい。元から密林の木々は葉が生い茂っているために陽を確認することが出来ず、雨期の今では雲が多くて(元より多いのだが)多少暗くなっても、陽が雲に隠れたと誤認してしまったのだ。
「どうかしましたかー?」
「ううん。何でもないわー!」
空は眼下‥‥‥‥穴の中から声を上げてくる祈祷師の少女に声を掛けられ、ハッと正気に戻って【天舞姫】を解除し、ロープを掴み取った。
目の前に広がる光景があまりにも美しかったために見取れてしまったが、そうしてもいられない。岩の上に登り切ったからには、すぐにでも祈祷師の少女と荷物をロープで引っ張り上げなければならない。
空は祈祷師の少女が荷物を縛り付け、荷物に腰掛けロープにしがみつくのを確認してから引っ張り上げる。
「んーーーー!! どっこい‥‥しょ!!」
空は【玉藻姫】に変身し、全身の力を使い、少しずつロープを手繰り寄せる。
祈祷師の少女はともかく荷物が重いので(そう言うことにしておこう)、【玉藻姫】に変身してもすぐに引き上げるには至らない。何しろ総重量80s近くもあるのだ。いくら獣と同等の筋力にまで力が増幅されると言っても、限度がある。
それでもまだ、空の疲労はロープの疲労よりかはマシだった。
空が引き上げるたびに、太いロープが軋んでいる。
(まずいわ‥‥)
決して口には出さずに、空は焦り始めた。
もし祈祷師の少女が頂上に到達する前にロープが切れたら、彼女は下にまで真っ逆さまである。運良く下にある船に着地したとしても、大怪我は免れない。
空は軋むロープが痛まないよう、穴の縁にロープが擦れないように身を乗り出してロープ引っ張り、少しずつ引き上げていった、
「お姉様!」
「大丈夫よ‥‥ハァハァ‥‥‥‥気にしないで‥‥‥‥」
ゴドンと、ロープの先に括り付けられていた儀式用具が引き上げられ、それに腰掛けていた祈祷師の少女も頂上に足を降ろし、汗だくになって肩で息をしている空に駆け寄った。
「本当に大丈夫ですか?」
「ええ‥‥‥‥それより見てみなさいよ。すごい景色よここ」
空が顔を上げ、祈祷師の少女を促した。祈祷師の少女は空に気を取られて気付かなかった周囲の光景に目をやり、感嘆の声を漏らす。
「すごい‥‥‥‥やっぱり、ここから見える景色はすごいです」
「そうね。私も空から森を見たことはあったけど、こんなのは見たことないわ」
空は呼吸を整えて汗を引かせながら、【玉藻姫】を解除して風に当たり、体を休ませる。
二人が眺める光景‥‥‥‥
それは、海嘯により水に浸り、少しずつ蝕まれていく密林だった。
夕日に照らされ、紅く染まりながら着々と水が流れていく。海嘯と共に川の氾濫も起こったのだろう。遙か彼方の海から溢れだした水は、時間が経つに連れて一層強く、一層速く自分の領土を広げていく。
雨期のこの時期は、海嘯として逆流してくる波だけでなく、川の水量も増加しているために目も当てられない惨状となっている。二人が登った岩の頂上からは、まるで海に食われていくように水に浸される密林を一望することが出来た。
それを眺めて、空は得体の知れない危機感に襲われた。
「ねぇ‥‥‥‥水の勢い、増してきてないかしら?」
「はい。増して来ていますよ。最近は大雨が多かったですから、仕方がないんです」
祈祷師の少女は空を見上げ、雲に紛れて上空に姿を現している丸い月を見ながらそう言った。
雲は風に流れ、密林の上空を移動していく。今こうしている間にも、またどこかで雨が降り、そして水かさが増して言っているのだろう。密林が完全に沈む‥‥‥‥と言うことはないと分かっていても、しかしそう思わせる程の勢いのある光景が、目前で展開されている。
‥‥‥‥しかもこれは、まだ序の口だ。
完全に満月が空高く登る頃、即ち夜に入ってからが本番である。
「さぁ! いつまでも見てないで、儀式の準備をしないと‥‥夜に間に合わなくなりますよ」
「え? 夜に始めるの?」
「はい。海嘯の波が最高に強まる時に、それを静めるための儀式ですから」
祈祷師の少女はそう言って、荷物の封を解きに掛かった。
少女と一緒に二人きり‥‥‥
それに期待を膨らませていた空も、すぐに儀式の準備を手伝い始める。
本音を言えば押し倒してしまいたいとも思っていたが、しかし今は、祈祷師としての仕事前だ。真面目に村のためを思い、密林を心配して儀式を行おうという行為を、自分の欲望のために台無しにする程野暮でも向こう見ずでもない。仕事は仕事だ。まずはこちらを片付けてしまわなければならない。
空は荷物の中から焚き火に使う薪を取り出し、穴を中心に四方に組んでいく。吹きさらしの岩の上のため、風で飛ばされないようにと重りに括り付けてからその上に動物の皮を被せ、通り雨対策を立てておく。
「まだ、火は付けなくて良いのよね?」
「それは儀式が始まってからなので、もう少し待って下さい」
着々と準備を進める空の背後で、祈祷師の少女は儀礼用のマントを取り出し、羽織っていく。
どんな動物の毛皮なのか。真白い毛皮を羽織り、綺麗な小石で彩られたネックレスを着けている。同じ白い毛皮でも、元旦の儀式の時に着ていた物とは違い蛇のような黒い模様が入っている。
まるで祈祷師の少女が、何か得体の知れないモノに食いつかれているかのようなデザインだ。
空の視線に気付いたのか、祈祷師の少女は着ているマントを自慢げに翻らせ、一回転してからニコリと微笑みを向けてくる。
「えへへ‥‥似合ってます?」
「似合ってるけど、その模様はどうなのよ」
「これですか? これは‥‥“このドレスを着ている祈祷師を生け贄に捧げます”って言うメッセージなんだそうです」
「脱ぎなさい!」
「べ、別に本当に生け贄になんてなりませんよ? そうしていた時期もあったそうですけど、廃れてこの模様に落ち着いて────」
「むしろ私が脱がすわ!」
「‥‥聞いてませんね」
どこかでスイッチが入ったのか、突如として仕事モードから野生モードへと変貌した空が、祈祷師の少女の腕を掴み、背後に回り込むようにして抱きしめる。そして、祈祷師の少女の胸元で結びつけているマントの紐を手に掛け‥‥‥‥
‥‥空の手に自分の手を乗せて制止し、僅かに振り返るようにして空の目を見てくる祈祷師の少女と目が合い、ピタリとその動きを止めていた。
「お姉様。‥‥ここまでです」
「‥‥‥‥ごめんなさい。悪ふざけが過ぎたわ」
空はいつになく澄んだ瞳をしている祈祷師の少女に押され、大人しく手を離し、身を離した。
これまで祈祷師の少女には似たようなことを散々行っていたが、大抵は悲鳴を上げて抵抗を試みてくる。それがそういうプレイが好きだからなのか本気で嫌がっているのかは不明だったが、今回のように沈黙を守り、真剣で澄んだ瞳で見つめ返してくると言うことは一度もなかった。
祈祷師の少女と目があった瞬間、空は冷水でも掛けられたかのように身が竦み、抱きしめただけでそこから先へは進めなくなっていた。身を離したのは、そんな未知の顔を見たがための動揺を隠すためだ。
‥‥しかしそんな努力も虚しく、祈祷師の少女は、空が自分の態度に動揺していることに気付いていた。普段から空のことを目で追い、秘密を共有し、夜を共にしてきた仲だ。たとえ空が平静を装っても、人情の機微を読むことを生業の一部にしている詐欺師(忘れがちだが)を相手に、隠し通せるものではない。
祈祷師の少女は空に背を向けながら、ようやく地平線の彼方に沈もうとしている陽を見つめ、口を開いた。
「‥‥‥‥お姉様は‥‥いつまで私に会いに、あの村に来て下さるのですか?」
「え?」
突然の問いに、空が振り向いて間抜けな返答をしてしまう。
取りようによっては「もう来るな」とも取れる台詞だったが、祈祷師の少女は空が考える間もなく言葉を続ける。
「この土地は、いずれ死に絶えるでしょう。海嘯の被害は、毎年毎年広がるばかり。“審判の日”の前までは、たとえ大海嘯の時でもここまでの被害は出なかったんです。それなのに、ここ数年はこんな規模の大海嘯が毎年起こるんです。雨期でもない時の海嘯でも、十分すぎる程の被害が出て‥‥‥」
それにより消えた村もある‥‥‥‥と、祈祷師の少女は言葉を切った。
空は黙るしかない。
気休めにしかならないような台詞ならば、この少女に言うべきではない。
いずれは自分の村も飲み込まれると、あの閉鎖された世界で唯一理解している少女は、泣きもせず諦めも見せず、ただ淡々と言葉を続ける。
「私の村は少し高い所にありますか、すぐにどうこうなることはありません。ですが、今のままでも海嘯が起こるたびに村は閉鎖され、村を訪れることが出来るのは人魚にまで変身出来るお姉様ぐらいです。そんな場所に、いつまでも村を置いてはいられません。いずれは別の場所に移るでしょう」
「‥‥他の場所に移動したって、私は会いに行くわよ」
「‥‥そうですね。それは分かってます。でも、移動していくのは、私の村だけではないんですよ」
祈祷師の少女が言っていることは、切実で、現実的で、そして遠い先の話だった。
いずれ‥‥勢いを増していく海嘯から逃れるために、多くの村が沿岸付近の土地を放棄してより内陸部へと移っていくだろう。そうなると、土地の奪い合いや食料の争奪戦が始まる。ただでさえ野良のタクトニムやビジターもどきの野盗を相手に厳しい生活を強いられているインディオ達の数は激減するだろう。
「‥‥‥‥もちろん、すぐにそうなるわけではありません。そうなるのは、私の子か、その次か、また次の世代か‥‥‥‥すぐかも知れませんし、ずっと先のことかも知れません。でも‥‥‥‥今はそうなって欲しくないから、私はこの儀式も行いたいんです。祈祷師としてではなく、私として」
祈祷師の少女はそう言い、やがて追われる大地に目を落とした。
いずれは滅ぶ。形のある物がいつかは壊れるのと同じように、インディオ達もいつまでも存在するわけではない。これまでに何百という部族が滅んできているのだ。自分達はたまたまその中に入らなかっただけで、これから先は分からない。
祈祷師として、外の世界に触れることによって知った現実。それを覆すことなど誰にも出来ない。
それでも‥‥‥‥
一緒にいられるのかと、祈祷師の少女は訊いていた。
変身能力の副作用により、不老長寿となった白神 空という存在に‥‥‥‥‥‥
(そうか‥‥ずっと付きまとっていると、いつかは別れちゃうのよね)
祈祷師の少女が、空よりも長生きすると言うことは恐らくないだろう。その妹さんも、空より長く生きることは叶わない。
空とて生涯を終えたことがあるわけではないため、いつまで自分が生きられるは分からない。しかし誰かに殺されでもしない限り、空の体は死ぬことはない。空の変身能力は、“組み込まれた型”を元に細胞が変質し、変身する。どの形態に変身しても、常に一定の体・能力を引き出している。
そしてその元となっている空の体も、“常人形態”として、変身の一つとなっている。
いわば、“変身していない時でも変身している状態”なのだ。つまりは常に同じ体、同じ能力のままで生き続けるだろう。空の体は老いることもなく、近しい人達が老いて生涯を閉じていくのを見ながら、生き続ける。
うっかり睦言で言ってしまったなと、空は気付いて小さく笑みを浮かべた。
その笑みに気付き、振り返った祈祷師の少女が意外そうに目を瞬かせた。
「どうして、笑っていられるんですか?」
「あら。私、笑っちゃってる?」
「はい。もうバッチリと。私、笑える話なんてしてるつもりはないんですけど‥‥」
祈祷師の少女は不満そうに目を細めると、目の端に止まった夕日に視線を向けた。
空に問いかけている間に、既に半ばまで埋まっている。
儀式の時間まで、あと数分もないだろう。
‥‥こんな大事な時に、意地の悪い質問をしちゃったなと、祈祷師の少女は反省した。
そしてその反省は、他の誰でもない、空によって掻き消される。
「私‥‥そんなに長生きしてないからかな。そんな先のことは想像も出来ないわ。私ね、そんな悪い方向には頭が動かないのよ。その時その時で楽しそうな物を探して、それを誰かと一緒に楽しめたら、それで良いの。だから‥‥‥‥」
空は言いながら、持ってきていた松明に火を付けた。それを手近な薪に近付けて火を灯し、四隅にある薪を順々に灯していく。ゆっくりとした空の動作をジッと見つめながら、祈祷師の少女は黙って空の言葉を聞いていた。
‥‥最後の火が灯った時、既に空は夜の帳に満ちていた。
そして、荷物から祈祷師の杖を取り出し、静かに目の前に歩み寄った。
「あなたも、変えられないと分かってることを難しく考えるぐらいなら、今やりたいことを探しなさいな。私もいつまででも付き合ってあげるから、ね?」
空は杖を押しつけるようにして祈祷師の少女に手渡すと、儀式の邪魔にならないよう、焚き火の隣に腰を下ろした。
それを見送っていた祈祷師の少女は、呆れたように肩を竦め、それから杖を一回転させる。
「いつまでも‥‥‥‥ですか」
「いつまでも、よ」
空と祈祷師の少女はしばしの間見つめ合い、互いに示し合わせたかのように笑い合った。
「さぁ、もう時間でしょう? すっかり暗くなったし、準備は万端よ」
促されるまでもない。
密林を見下ろし杖を掲げ、先代の祈祷師から伝えられた口伝の言葉を口にし始める。
‥‥そんな光景を眺めながら、空は、静かに密林を覆っていく波の音に耳を傾けた。
(いつまでも‥‥か)
空は自分が言った言葉に、胸を締め付けるような重みを感じていた。
‥‥空は、これからなにもかもを見届けることになるだろう。
いつかは来る別れを、少しでも先に、少しでも後に引き伸ばすために、一人の少女は祈っている。
ならば、自分にも何か、出来ることはないのだろうか‥‥‥‥
(一緒に居るぐらいしか、出来ないんでしょうね)
せめて、別れのその日が来ないことを祈りながら‥‥‥‥
波の音が広がっていく。
滅びを告げる音は、月の光に照らされ、確かにその声を張り上げていた‥‥‥‥
★★参加PC★★
0233 白神 空
★★後書き★★
暗い。今回は暗い話の、メビオス零です。
そろそろサイコマスターズも最後ですね。その為か、ちょっと暗めのシリアスシナリオ。前回の花嫁フラグは開花するのか? それともこのまま滅びの運命を辿るのか!?
なんて壮大なストーリーを作る時間はありませんね。もう、受注停止までのカウントダウンは始まっててそれほど時間もありません。
もうそろそろ二人の絡みのリミッターを外しても大丈夫かな? こう、最初の頃のように百合ん百合んと‥‥‥‥うう、あの頃は良かったなぁ。こう、これぐらいなら‥‥‥‥でもまだ‥‥・とギリギリの範囲を探る作業も楽しかったし(あまり反省してない)。
‥‥話は変わって‥‥
私、実はアクスディアとサイコマスターズ以外では活動らしい活動はしていないので、もうそろそろ身を隠します。でも空さんと祈祷師の少女との物語の締めがまだ終わってませんから‥‥‥‥うーん、どうしましょう。下手に窓口開けると、他の人が入って来ちゃうからなぁ。
まぁ、なんにせよ‥‥・ちょっと検討中。このまま活動休止にはいるかもしれません。ので、そこんとこよろしくです。
今回のご発注、誠にありがとう御座いました。
毎回似たようなことを書いてますが、よろしければまた、ご指摘などを送って頂けたら幸いです。落ち着いたらHPの方で活動を再開しようと思います。
では、この度は、誠にありがとう御座いました(・_・)(._.)
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