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ブラジル【都市マナウス】はじまりのマナウス
セフィロトの塔の閉鎖が決まり、行き場を求めるような人の群れの大半がアマゾン川を下った。長い船旅の行き着く先は、その昔ブラジルのアマゾナス州の州都だったマナウス。
審判の日の後の一時はかなり荒れたが、セフィロトから運び出される部品類の交易によって、かつて魔都と呼ばれた時代の様に賑わっていた。
ここの支配者のマフィア達は金を持ち、金のある場所には、あらゆるものが勝手に集まってくる。
ここで手に入らない物はない。欲望の赴くまま、何だって手に入る。
―――きっと、探し物も見つかるはず。
【Side A】
『好きだよ』
『そんなの信じない』
『愛してる』
『もっと、信用出来ない』
『なら、なんて言えばいいんだよ』
『もしボクが先に死んだら、また新しい恋をしてね』
この死に易い世界で。
この生き難い世界で。
この曖昧な世界で。
このあやふやな世界で。
確かなものなんてあるんだろうか。
忙しいのはいい。何も考えなくてすむから。体を動かして、クタクタになるまで走り回って、そのままバタンキュー。夢を見ない深い眠り。忙しくて凹む暇もないくらい動き回って、昨日を今日で上書きして、色褪せていく過去を鮮やかな末来で彩って、カラ元気でも元気で。
だけど。ただ1つ。自分の中に色褪せない過去がある。
逃げて、向き合わないようにして、後回しにし続けた過去。だけどこのまま目をそむけ続けるわけにもいかなくて。
レオナは一つ深呼吸して前を向いた。
セフィロトの塔の突然の閉鎖。それに伴う大騒動。外へ続く一つしかない門へ殺到する人の群れ。会いたい人。会えなかった人。失くしたもの。見つからないもの。
鏡の中で不安そうにしている自分の頬を撫でた。
感傷的になってる自分に苦笑い。
それから鏡の中の自分自身を睨みつける。足の先から頭のてっぺんまで。
纏っているのは白いワンピース。思い出のワンピース。だけど。
「ねぇ、知ってる? 昔々、喪服は純白だったんだよ」
誰にともなく、或いは鏡の中の自分にそう呟いて、レオナはその場を離れた。
部屋を出る。マルクトとは違う近代的なマナウスの街並みを歩き出す。
無意識に辿ってしまうのは彼との思い出。
セフィロトの閉鎖間際、ピンチのSOS。だけど彼はその呼びかけに応えなかった。その時は、何故なんて考えなかった。考えてる余裕もなかった。必死だったし。彼にも手が離せない用があるのだろう、ぐらいで。だけど。まさかそれっきり連絡が取れなくなってしまうなんて、考えてもみなかった。会えなくなるなんて考えてもみなかった。いつも集っていたヘブンズドアもなくなって。気付けば連絡手段も失って。手掛かりといえば―――。
「なんだよ。好きって言ったくせに」
憮然と呟いた。ムカつくくらいの青空に。
会えない事が自分を疑心暗鬼に駆り立てる。
「なんだよ。愛してるって言ったじゃん」
無意識に足が速まる。人混みの目抜き通り。
会えない不安が最悪の答えを突きつけた。
「まさかボクより先に逝ったなんて言うなよ」
言葉にしたらそれはまるでリアルになって。
この死に易い世界で。
この生き難い世界で。
この曖昧な世界で。
このあやふやな世界で。
立ち止まってしまう。足が竦む。動けなくなる。
「こんなのは嫌だ。こんな終わりは嫌だ」
スカートをぎゅっと握り締めた。拒絶の意志。全力の抵抗。
そうだ。確かなものなんて。自分の手で掴めばいい。自分で掴み取ればいい。
「家族になるって言ったじゃん。ボクを一人にするな」
―――また、一人にするな!
反射的に自分の体を抱きしめそうになって踏ん張った。
両親を目の前で殺された。家族を目の前で失った。だけど、もしかして、それは知らない間に失って、ずっと気付かないよりマシなのだろうか。
否。違う。同じだ。失ってしまったら、同じだ。
手を伸ばす。縋るように。求めるように。
―――会いたい! 会いたい!! 会いたい!!!
【Side B】
神様なんて信じない。
運命なんて、知らない。
そんなのは自分の選択の責任を取りたくない奴らの言い訳だ。
今ここに自分がいるのは、自分が生まれてから何度も繰り返してきた選択の結果だ。
だけど、世の中には絶対抗う事の出来ない選択というやつがある。それがどんなに気に入らなくても受け入れねばならないのなら、残された選択肢はただ1つ。諦めが残るだけだ。
だけど諦め切れなくて、アルベルトは傍らのピンクを抱きしめた。体温が恋しいとか、心音が心地いいとか。我ながら情緒不安定。
「アール?」
ピンクが少しだけ不安そうな顔で自分を覗き込む。アルベルトはそれに慌てて優しい笑みを作った。
「いや。買い物でも行こうか」
はぐらかすように。自分の内心を押し殺して取り繕う。
「うん」
少しくらい、気晴らしになるだろう。
ある日突然ビジターズギルドはセフィロトの塔の閉鎖を発表した。いや、突然ではなかった。少し前からそんな噂は囁かれていたからだ。程なくして噂は本当になった。
そして自分達は本国に戻る事になる。
それは養女として引き取ったピンクを軍人にしてしまうという事でもあり、自分自身を殺戮マシンにしてしまうという事でもあって。
だけど、それより口惜しいのは―――。
ホテルのロビーを抜けたところで、ふとピンクが自分の腕にべったりとしがみついてきた。アルベルトは思考を途切れさせて彼女の顔を覗き込む。
「うん?」
「あのね。ひだりてさんがね、さびしいっていうの」
舌足らずにそう言って、ピンクは両手でしっかりとアルベルトの腕に抱き付いている。
「…………」
胸をつかれそうになった。足りないものがある。
「そうだな」
ふわりとピンクの髪を撫でてやった。
そのままマナウスの街へ。雑踏を抜ける。思い出の多すぎる路地。気晴らしどころか、情緒不安が加速しそうで。
無意識にアルベルトは奥歯を噛み締めていた。
セフィロトの塔閉鎖間際の最愛の人からのSOS。応えられなかった自分の不甲斐なさ。閉鎖が決まり、本国とのやり取りでバタついて、結局彼女の救援信号を聞けたのは全てが終わった後という間抜けさ。探しても見つけられず、連絡も途絶え。
悔やんでも悔やみきれず、彼女の無事さえもわからないまま。
『もしボクが先に死んだら、また新しい恋をしてね』
脳裏を過ぎるのは彼女の言葉。
「ここでね、ソフトクリームたべたの」
ピンクの声に我に返る。彼女の指差す先にソフトクリーム屋の看板。色とりどりのソフトクリームのサンプルが並ぶ。
「ああ。そうだったな」
思い出す。
ソフトクリームが溶け出しててんてこ舞いになったっけ。ピンクは全身クリームでベタベタになるし、それを助けようとした彼女もあちこちクリームまみれになって。
頬についたクリームを舐め取って、それから唇に付いたクリームも舐め取ろうとして―――殴られた。
思い出して笑ってしまう。笑った分、寂しいと心が軋んだ。
「レオナお姉ちゃんといっしょに、おかいものしたんだよね」
「ああ」
「みんなでおそろいの、しろいワンピースかったんだよね」
「うん」
「レオナお姉ちゃん、ピンクのかぞくになってくれるって、いったのに」
「…………」
「レオナお姉ちゃんに、あいたい……」
今にも泣き出しそうな顔のピンクを抱きしめる。
「ごめん」
「なんで、アールがあやまるの?」
「うん……」
体温が恋しい。心音が心地いい。だけどぽっかり開いてしまった穴の埋め方がわからない。
悔やんでも悔やみきれない。過去を呪う。不甲斐ない自分をのろう。まじなう。いのる。
―――また、一人にするな!
誰かの強い思念が流れ込んできた。
―――会いたい! 会いたい!! 会いたい!!!
誰かの思い。
揺さぶられる。
同じ思い。
俺も会いたい―――
―――会いたい人がいる。
顔をあげる。
翻る白いスカートの裾。
神様なんて信じない。
運命なんて知らない。
そんなのは自分の選択の責任を取りたくない奴らの言い訳だ。
今ここに自分がいるのは、自分が生まれてから何度も繰り返してきた選択の結果だ。
だけど。
ならば。
再び彼女と出会えたこの奇跡を、この偶然を、なんと呼べばいい?
【はじまりのマナウス】
確かなものはそこにある。
もしも再会が果たせたなら、言いたい事は山のようにあったのに、話したい事は数多あった筈なのに。何故だろう。何一つ、言葉にならない。ただ。
―――会いたかった。
「レオナ……」
呟いたアルベルトにピンクが振り返った。
刹那、弾かれたようにピンクが、自分を抱きしめていたアルベルトの胸を突き飛ばして駆け出していた。
「レオナお姉ちゃん!!」
両手を広げ、互いにまっすぐに駆けて行く。
世界がゆっくりとコマ送りみたいにして、90度傾ぐのを感じながら、アルベルトはその光景を半ば呆然と見つめていた。
「ピンクちゃん!!」
レオナとピンクがひしと抱き合う。
「…………」
それをアルベルトは地面に仰向けに転がったまま、見ている事しか出来なかった。
「会いたかったよー」
「あたしも、あいたかったのー」
偶然の再会に感激しあう2人。
「…………」
完全に取り残された感のアルベルト。
「なんでかな。うれしいのに、なみだがでちゃう」
顔をぐしゃぐしゃにしてピンクが咽ぶ。
「うん。嬉しくて出ちゃうんだよ」
レオナがピンクの涙を拭ってやりながら、優しくピンクの髪を撫でた。そのレオナも目尻に光るものを浮かべている。
「あのね。ピンクあいたいっておもったの。そしたら会えた」
「うん。ボクも。会いたいって思ってた」
「うん!」
まったくもって、2人だけの世界で。
「あのー……」
起き上がったアルベルトがおずおずと2人に声をかける。
「アール」
「あれ、いたの?」
「いたよ。ずーっといました。俺、一応、ピンクの保護者だし。っつーか、わかっててやってるだろ?」
「うん!」
レオナが笑顔で元気よく頷いた。いたずらっぽい、だけど少しだけ潤んだ瞳でそんな風に楽しそうに言われたら、それ以上何も言えなくなるなじゃないか。アルベルトは小さく息を吐く。
「ったく!!」
そうして2人を2人ごと抱きしめた。
「良かった……」
聞こえるか聞こえないかの嗚咽にも似た呟き。
「うん」
小さな小さな彼女の声が返ってきた。
キミに会いたかったよ。
たくさん話したい事があるよ。
どこから話せばいいんだろう。
あのね。このね。
白いワンピース、可笑しくない……よね。
「ねぇ、みんなでデートしよ」
提案したのはレオナ。
「ああ、そうだな」
「ピンクもおそろいのワンピースきてくればよかった」
「じゃぁ、今から着替えて、それから行こう」
「いいの?」
「もちろん」
「うん」
ピンクの右手にアルベルト。
ピンクの左手にはレオナ。
もう、彼女の左手は寂しくない。
胸の中にぽっかり開いた穴がいつの間にか埋まっている。くすぐったげにアルベルトは自分の胸を右手で押さえた。思う。もう、失いたくない。
3人で手を繋いでマナウスの街を歩く。
楽しそうに笑うレオナの横顔。
彼女のSOSに応えられなかった自分に、彼女は何も問わず、何も責めない。それがアルベルトには内心複雑で、歯がゆくもあって。本国に戻ったら、自分を待っているのは過酷な毎日だけど。
「レオナ」
「うん?」
「行きたいとこ、あるんだけど」
そう言った時、自分は一体どんな顔をしてたんだろう。
「いいよ?」
レオナが首を傾げる。
「どこ?」
ピンクがきょとんとアルベルトを見上げていた。
「着いてからのお楽しみ」
アルベルトが笑みを返すと、2人は不思議そうに顔を見合わせた。
「?」
ピンクの手を引いて歩き出す。ピンクの手に引かれてレオナも付いてくる。
そうしてアルベルトが2人を連れてきたのは、町外れにある大きな教会だった。
日曜日なら礼拝に来た人々でいっぱいだったかもしれないが、平日の夕方という事もあってか、ガランとした内部。人気はない。
「わぁ……きれい」
ピンクが一面に並ぶステンドグラスに目を輝かせた。聖母マリア。大天使ミカエル。それから―――。
「へぇ〜」
普段、不信心で殆ど足を踏み入れる事のないレオナも、見慣れぬ景色にきょろきょろと視線を彷徨わせた。
両脇に長いすが並ぶ。
中央を真っ直ぐに伸びる赤い絨毯。またの名をバージンロード。まるでついさっき、誰かの結婚式が行われていたような風情。
ピンクが駆けて行く。祭壇の正面に置かれたパイプオルガンを物珍しそうに開いて、ピアノのように並ぶ鍵盤を叩いた。柔らかな吹奏楽のような音色が奏でられる。ソプラノが、ミ・ソ・レと音を紡いだ。心の赴くままに。今は嬉しい気持ち。それから暖かな気持ち。
懐かしいような初めて聴くような、音の雨が降り注ぐ中、祭壇の前で、アルベルトはレオナと向かい合うようにして立つと、彼女の肩を掴んで言った。
「レオナ」
「うん?」
「結婚してください」
「うん」
即答のレオナのそれに、アルベルトの方が面食らい思考がついていかず、固まってしまう。
「……へ?」
「いいよ」
サラリと。呆然としているアルベルトにレオナは笑みを返した。まっすぐに彼を見返したままで。
「って、そんな簡単に決めちゃっていいのかよ」
思わずアルベルトの方が焦ってしまう。
「簡単じゃないよ」
「…………」
「簡単じゃない。でも、アルだから」
「…………」
「それに、そうしたらピンクちゃんとも正真正銘、家族になれるでしょ」
「…………」
「その代わり、一つだけ約束して」
「何?」
「もう、絶対ボクを一人にしないって」
レオナの事版息を呑む。その言葉の重さを噛み締めるようにして、アルベルトはレオナを抱きしめた。
「……ああ。約束する」
パイプオルガンのファンファーレ。
たくさん家族を作ろう。
たくさんたくさん家族を作ろう。
もう1人にならないように。
もう寂しくならないように。
もう心を失わないように。
おあつらえ向きのような白のワンピース。
口付ける。誓いのキス。
約束しよう。
「ねぇ、知ってる? どうしてウェディングドレスが真っ白か」
「え?」
「昔々、喪服は純白だったんだって。ウェディングドレスは喪服なんだ」
「…………」
「一度死んでね、新しい家に生まれ変わるって意味があるんだって」
「新しく生まれ変わる?」
「そう」
――― 一度終わって、新しく始まる。
おわりはじまるここは、はじまりのマナウス。
【大団円】
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┃登┃場┃人┃物┃紹┃介┃
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【0536】兵藤・レオナ
【0552】アルベルト・ルール
【0565】ピンク・リップ
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┃ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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ありがとうございました、斎藤晃です。
楽しんでいただけていれば幸いです。
ご意見、ご感想などあればお聞かせ下さい。
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