<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>
食べても大丈夫?
*オープニング*
それはいつもの昼下がりだった。
白山羊亭の繁忙期はやはり夜半過ぎからなのだが、昼の休憩時もそれなりに忙しい。が、それさえ過ぎてしまえば後は夜の営業に向けての仕込みがあるだけなので暇な筈だった。
いつもなら、だが。
その日は何故か、いつもなら静かな筈の店の前にちょっとばかし人集りが出来ている。その中央にはルディアが、そしてその膝元には…。
「耳が長いじゃない。ウサギに決まってるわ」
「でも顔は猫にそっくりよ。この髭なんかそのものじゃない!」
「いやいや、この蹄を見てご覧。これは鹿の仲間だよ、きっと」
「何を言ってるんだ。この蹄は牛の仲間に決まってる」
鹿も牛も偶蹄目だから基本的には蹄の形状は一緒だ…と何処からか誰かの静かなツッコミが入る。
「いや違うだろう。蹄で判断するなら、猪なんじゃないのか?」
だから猪も偶蹄目なので(以下省略)
等と論争が繰り広げられているその原因は、そこに居る一匹の動物だったのだ。大きさは子犬ぐらいだろうか。白い、綺麗な毛並みの動物なのだが、皆が口々にその特徴を挙げているように、今までこんな動物は見た事が誰も無かったのだ。冒険者達が集まるこの店でなら、誰か知っている奴も居るだろうと言う事で連れてこられたのだが。
皆が口々に自分の意見を主張している真ん中で、ルディアがぽつりと呟いた。
「…何だっていいけど、問題は……美味しいかどうかよね」
*通りすがりの偶然*
ちょいとした野暮用を済ませた後で、俺は遅い昼飯を取ろうと、その店に寄ったのだった。エルザードのアルマ通りにある、白山羊亭と呼ばれるその酒屋では旨いものをなかなか手頃な値段で食わせると言う話を聞いていたので、試しに立ち寄ってみたのだが、店の前で人集りが出来ている事に俺は不審を覚えて、そっとその人の輪に近寄ってみた。
「ルディア、旨い旨くない以前の問題として、そいつが食肉に適しているかどうか、それを考えないといけねーんじゃねーか?」
ん?旨い旨くない?なんかの料理の話だろうか。俺は周りの人間の話に耳を傾けつつ、皆の視線が集まっている方を見る。幸い俺は長身で前方に居たのは小柄な奴が多かったから輪の中央を眺めるのは簡単だった。そこには一人の少女と、動物が一匹居た。少女は全く普通だったが、生き物の方は白い毛並みが美しい、子犬程の大きさの生き物だ。だが俺はふと眉を顰める。その長い耳、猫のような髭と鼻先、そして小さな二つに割れた蹄。こんな動物は今まで見たことがない。今まで、グリフォンナイトとしてあらゆる場所を訪れ、あらゆる物を見てあらゆる話を耳にしてきたが、噂にすら聞いた事のないような容姿の生き物だったのだ。
どうやらこの生き物を、食うか食わないかで論争をしているらしい。内臓に猛毒を持った魚や、死ぬとその肉が毒素に侵される食肉獣の話を引き合いに出して、無謀な事は避けた方がいい、と主張する者達がいる。賢明な判断だと俺は思う。第一、ここでこの生き物を食ってしまったとしてだ、凄い美味だったとする。しかし、食ってしまったらもうそれでお終いなのだ。同じ種族を見つける事ができなければ、その旨さはただの伝説と化してしまう。それよりは、この一匹を手がかりにして同じ種族を捜すとか、或いは他の動物とかけ合わせて繁殖させるとか、いろいろあるだろう。珍しい、見た事のない動物なら、見世物にしてもいいかもしれない。いずれにせよ、食べてしまうのは安易な考えだ。俺はそう思うが、当事者でないので何も言わずに、ただ顛末を見守っていた。
少女…ルディアと言う名前だった…の膝元でその生き物は、どうやら眠っているらしかった。白い艶やかな毛並みが昼下がりの明るい日差しを跳ね返して銀色に光っている。小さな蹄はまだ綺麗であまり擦り切れてもいない様子から、多分まだ子供の獣なのだろうと想像がつく。腹の部分が、静かな呼吸でゆっくりと上下しているのが見えた。時々、鹿に似た短いちんまりとした尻尾がひくひくと震えるのだが、何か夢でも見ているのだろうか?そんな想像をしていると、俺はついつい口元が緩む。ふと我に返り、誰にも見られやしなかったか、と自分で自分の口元を手の平で押さえた。
見た目、長身でキツそうな顔立ちの所為か、初対面の奴には怖いとか気難しいとか思われがちな俺だが、実際にはそうでもないし、現在はグリフォンの調教師をしている事もあり、相対的に言って生き物はなんでも好きだ。その毛並みや暖かい身体に触れているとほっとするし、言葉の通じない奴等と心で通じ合えた時の感動は何度体験しても身震いがする程嬉しい。今も自宅では若いグリフォンを調教中だが、なかなか気性の激しい、気難しいグリフォンだったので、こいつと最初に意思の疎通が出来た時は年甲斐も無く大喜びしたものだ。
黙って、眠るその生き物を眺めていたら、ふとこいつを自分の手で育ててみたくなった。人の話を聞いていて知ったのだが、この生き物は荒野で一匹で倒れていた所を通り掛かった冒険者に拾われたのだと言う。その冒険者は先を急ぐ身だったので、人の集まるこの店にこの生き物を託して既に旅立った後なので、ようはこの生物の明確な所有者は存在しないと言う事だ。食ってみようかなんて話になったのも恐らく、料理にして多くの者が口にする事ができれば、それだけたくさんの人と喜びを共有できるから、と言う理由に違いない。だが中にはそれを良しと思わない者もいるだろう。宗教上の理由から殺生を好まず肉を食わない、野菜しか食わないと言う主義の奴等もいるし、学者として純粋な興味から、この生き物の生態を調べてみたいと思う奴等もいるだろう。また、世の中には物好きな奴等がいて、こう言った所謂珍獣の収集家と言う奴等もいる。…まぁ俺もそれに若干近いだろうが。
気がつくと、論争は食えるか食えないか、ではなく、食うか食わないか、に変わっていた。食ってしまおう、と主張する奴等と可哀想だから食わないでおこう、と主張する奴等で意見は真っ二つに分かれているようだ。食わないでおこうと言う奴等の中には、さっき俺が考えていたような学者らしき者の姿もある。商人らしき者もいるところを見ると、引き取って幾許かの商売にしようと考えているのだろう。さて俺はどうするか、と思って話題の主に視線を戻すと、その生き物は大きな欠伸を漏らして目覚める所だった。
*可愛い事は七難隠す?*
「あ……ねぇ見て。目を覚ましたわ」
人集りの連中もそれに気付いたらしい。皆は、ゆっくりとした動作で起き上がるその動物を見詰めた。小さな蹄で土を掻き、立ち上がった後で身体をふるふると震わせて身繕いをする。瞬いたその黒く濡れたような瞳に、どこからともなくほうぅっと言う溜息にも似た声が漏れた。
「わー、このコ、すっごくかーわいい♪」
ルディアが顔を綻ばせる。確かにその生き物は、今まで見た生物の中で一番と言っても過言ではないほどに愛くるしかったのだ。猫に似た面の中でその丸い瞳はきらきらと輝き、好奇心旺盛な様子できょろきょろと辺りを見渡している。長い睫毛が瞬くのを感心して俺は眺める。これだけ長い睫毛をしているのだから、砂漠地帯に生息する種族なのかもな…と推測しながら。
「ねぇ…なんだか食べるの、可哀想になってきちゃったね」
ルディアがそう呟く。その場にいた誰もが同意を示して頷いた。チャンス。俺は、その生き物の引き取り手に名乗りを上げようと口を開き掛けたその時、
「あの、もしよろしければその動物、私に引き取らせては貰えませんか?」
と、俺が言おうと思っていたのをほぼ変わらぬ台詞が別の場所から聞こえた。丸眼鏡を掛け、ひょろっとした体躯の若い男で、見るからに学者肌な感じだ。先程の論争には加わっていなかったが、俺と同じように蚊帳の外からこの生き物の行く末を案じていたようであった。
「あなたは誰? 見たところ、学者さんか学生さんのように見えるんだけど…」
ルディアがそう問うと、ずり落ちそうになっていた眼鏡を中指で押し戻して、その若者が言った。
「あ、はい、アカデミーで生物学を学んでいる学生です。修士論文を書く為に旅をしながら世界の珍しい動物の事に付いて研究を続けていたのですが、そのような生き物は私もさすがに初めて拝見しましたので、是非にと思い…」
学生か。まぁ、悪い奴じゃ無さそうだし、いいんじゃないのか?俺は少しだけ、沁みるような残念な気持ちを心の奥端に感じながらその若者を見る。が、ルディアが訝しげな目で見ながら言った。
「学生さん…このコを解剖したり檻に入れて実験したりとかしない?」
さっきまでこの生き物を食おうと主張していたのとは同じ少女とは思えないぐらい、慈悲に満ちた言葉だ。俺は思わず笑ってしまう。幸いにも、喧騒の中では俺の小さな笑みなど気付かれずに済んだが。
等と学生とルディアで遣り取りを繰り広げている間に、先程目覚めた動物が、ルディアの手元から離れてひとりでひょこひょこと歩き出す。周りの奴等は、その愛くるしさに触るのも憚れると言うかのように、さっと避けて道を開ける。白い体躯の幼い生き物は、そのまま覚束ない足取りで歩いていき、いつの間にやら俺の足元に来ていた。俺の靴の匂いを嗅ぎ、背の高い俺の顔を見上げる。そして一言、みゥー、と可愛らしい声で鳴いては、前足を俺の上着に引っかけるようにして後肢だけで立ち上がり、俺に甘えるような素振りを見せたのだ。
「あらー。随分オジサンに懐いたのねー」
おじさんは余計だが、ルディアが感心したみたいな声で言う。俺が膝を突いて身を屈めると、その生き物は首を伸ばし、小さなピンク色の舌で俺の頬を舐めた。まるで、生まれたばかりの赤ん坊が、母親に甘えるような仕種で。
「なぁ、こいつ、俺が引き取っちゃダメか?」
白い身体に手を添えて支えてやりながら俺はルディアに、そしてさっきの若者、周りの人々に言う。自分がグリフォンの調教師をしていて動物の扱い・飼育に慣れている事を説明する。他にも、グリフォンは肉食だが、自分の言うことは良く聞くから安全であると言う事、そして若干誇張したが、自分の妻も動物が大好きな、優しい女であること…。
そんな俺の説得(?)と、そして何より、何故だか俺に懐いているその生き物の様子が、人々を納得させた。元々、誰が連れてきた訳でもなく誰もの物でもないのだ、誰が連れて帰ってもいいのではないか、と。まぁ、それでは少々申し訳ないので(特に、最初に言い出した学生には)、俺はその場に居た者達が1杯づつぐらい楽しめるように、酒を振る舞ってやったが。
*ご対面*
と、言う訳でこの珍しい生き物…いつまでもそんな名前だと呼び難いので、俺は取り敢えずルー(ルディアから一文字取ったことは内緒だ)と名付けてやった…、ルーを連れて自宅へと戻った。引き取ったはいいが、よくよく考えると、妻に黙って決めてしまった事が実はまずかったんじゃないかと思い始めたのだ。実際に妻は優しく気のいい女だが、余分とか無駄と言う言葉が大嫌いな、さばさばした性格の女であるが故、こんな風に自分の仕事に関係ない生き物を連れて帰ろうモンなら、へたすると食い扶持の無駄、ぐらい言いそうな気配がするのだ。
…まぁ、引き取ってしまったものを今更言ってもしょうがない。まず俺は、ルーとグリフォンを引き合わせてみることにした。
こっそり自宅に戻ると、人の気配はなく静かな様子で、どうやら妻は買い物にでも出掛けているらしい。今の内、と思って俺は裏にあるグリフォン達の厩舎に赴く。そこにはまだ若いグリフォンが、今は三頭いる。どいつも頭が良く、俺に懐いてはいるが、何分若く、食欲も好奇心も旺盛と来ている。へたをすると、こんな小さな生き物、ほんの一口で食われてしまうかもしれないが。
「ほれ。ゴアイサツに行って来な」
腕に抱いたルーを地面に降ろし、手で押し出してやる。とことこと恐れる様子もなくグリフォン達に近寄っていき、さっきと同じような可愛い声でミーぅ、と鳴いた。グリフォン達がこぞって顔をルーに近づける。鋭い嘴がルーの身体を、検分するかのように突いたと思ったら。
ぱく。
一頭のグリフォンが、その大きく丈夫そうな嘴でルーの身体を上から銜えたのだ。が、俺は動かなかった。何故なら、グリフォン共の様子に、殺気も何も感じられなかったからだ。
思った通り、ルーの身体を銜えたグリフォンはゆっくりと優しく銜え上げ、そのまま隣に居た仲間の背中にそっと降ろす。そして代わる代わる、嘴で毛繕いでもしてやるように小さな生き物の背中を撫でているのだ。俺はほっとすると共に、ああ、と納得して頷く。
グリフォンは、光り輝くものが好きだ。ルーは白い体毛を持っているが、その毛並みは美しく、光を浴びると白銀に輝く。きっとそれが、グリフォン達の心を掴んだのだろう。
「…ま、一安心って所か。あとは……」
「後は、ナニ?」
俺の背後から涼やかな声が響く。慌てて振り向くと、そこには俺の妻が、にこにこと微笑みながら俺の肩越しに、グリフォン達と戯れる、今まで見た事のない生物に視線を向けていた。
「…た、ただいま……」
「おかえりなさい、あなた」
そう言って、にーっこりと微笑む。ヤバい。この満面の笑顔は、なにか企んでいる時の妻の表情だ。
「あー、いや、あれは、その……実はだなぁ……」
俺が、半ばしどろもどろになって下手な言い訳でもしようとしている様子を、妻は暫く黙って見詰めていたが、やがて破顔して、しょうがないわね、と言った。
「いいのよ、今更。あんな小さなコが一匹増えたって、どうってことないじゃない」
しかも可愛いし。そう付け加えて妻は、いつの間にやらグリフォンの背中から降りて自分の足元に寄って来ていたルーを抱き上げる。こいつ、結構世渡り上手だな…。
「…すまんな、勝手に連れて帰って来たりして」
一応、謝っておく。ルーを腕に抱いたままで、妻がくすっと笑った。
「いいのよ。私、この子やグリフォンよりも、ずっと手の掛かる人のお世話をしてるんですもの」
おわり。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【 0205 / セルジュ・ゼニフィール / 男 / 30歳 / グリフォンの調教師 】
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■ ライター通信 ■
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ども、はじめまして、ライターの碧川桜です。この度はご依頼、誠にありがとうございました。
ノベルゲームでの一人称ってどうなの!?と自分で不安と疑問にびくびくしつつ、敢えてこのような形式を取らさせて頂きました。途中までは傍観者、と言うのを強調したかったのです。もしも思ってらっしゃるセルジュさんのイメージとは違った風に書いてしまったらごめんなさいね。こう、私のイメージではカッコイイが気さくでイイおじさん(三十歳をおじさんと呼んじゃマズイだろう…)ってイメージがあったんですが(笑)
よろしかったら感想などお聞かせくださいね。
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