<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>
魔物の花嫁
●村から来た使者
「あんなぁ……」
近郊の村からやってきたという農夫が、おずおずと黒山羊亭に入ってきた。
「実ぁ、うちらの村で旅の娘っこが魔物にさらわれたんだべ」
魔物はずっと村の近くの森の奥で古い屋敷に住んでいて、今までは人を襲ったことはなかったのだそうだ。時折村まで出てきても、トラブルになったことはなかったのだが。
それが急に子供が欲しいから嫁が欲しいと言い出して、村の娘を差し出せと言ってきた。それで大変困っていたのだが、先日魔物が村にやってきた時、村に泊まっていた旅の女性が村の娘と間違えられて、さらわれてしまったのだという。
そして、そのままぷっつりと音沙汰がない。
どうも、魔物は旅の女性を花嫁に迎えて満足してしまったらしいのだ。しかしそんなことになってしまって、村人たちは困惑した。
村の娘が無事ならいいじゃないかと言う者もいるし、いや、やっぱり助けてやらなくてはいけないだろうと言う者もいる。色々村でも話し合ったのだが、旅の女性が出発したはずのこの街までは知らせにきたということだった。
「誰かさらわれた娘っこに心当たりのある奴がいたら、話をせにゃならん。それと村さ貧乏だべ、金は出せねぇが、助けに行ってくでる奴はおらんべか」
●ぬいぐるみのチャーリー
花嫁はこしこしと目を擦りながら、起き上がった。なんとなく寝過ぎの気分だった。
「……オマエ、何だ?」
そして花嫁は可愛らしく小首を傾げた。おだんご頭が、微妙に傾く。
ただ同時に口から出た微妙にカタコトな台詞が、いまいちその桃色の髪のふわふわした容姿に合っているような合っていないような。
だが、その疑問そのものは、きっと誰でもが抱くものだった。彼女、鈴々桃花でなかったとしても。
なにしろ道端の木陰でのんびりごろんと昼寝していたはずが、目を覚ましたらどこかわからないけれど室内で。そして。
「おはよう、僕の可愛い人」
と、どこからどう見ても白い熊のぬいぐるみのでっかいのが覗き込んでいて、そんなことを言ったりしたら。
しかもその白い熊のぬいぐるみは、いっちょ前に服を着ている。ちょっとこだわるなら、『白熊』ではなく『白い熊』のようだ。こだわらないなら、どうでもいいことだが。
「僕は、この屋敷の主です」
それが、桃花の質問への答らしい。白い熊のぬいぐるみと見える物は、喋る時に口を動かしている。なので、これは本当に、これで『生』なのかもしれない……と、寝起きの頭で桃花は、ぼんやり考えた。
こういう時にすることは決まっている。
「いたたたっ! 耳を引っ張らないでくださいぃー」
ぬいぐるみは泣きそうな顔をした。
やっぱりこれはこれで、『生』らしい。
「こ、これは仮の姿なのです。僕は魔族で、元の姿は醜いので」
ぬいぐるみは聞かれもしないのに、そう説明した。
「この姿は前に可愛いと言ってくださった方がいて、これなら花嫁に迎える方にも恐ろしくないのではないかと」
どうやら容姿がコンプレックスのようだ。
確かに、今の姿は恐ろしくはない。普通の感覚ならシュールには感じるだろうが、幸い桃花は変わった将来の展望を持っている娘だったので。
珍しいおもちゃを見つけたかのように、桃花はキラキラと目を輝かせた。花嫁とか怪しい単語も現れているのだが、すでに事情を追求するということは頭からすっ飛んだらしい。
「桃花」
自分を指さして、桃花は言った。お爺ちゃんに挨拶だけはキチンとしなさいと言われていたので、自己紹介は欠かさない。
「僕はチャーリーと申します」
白い熊のぬいぐるみは、丁寧に名乗った。
ぬいぐるみの表情というのはなかなか難しいものだが、にこにこしているようだ。桃花が怯えていないので、ほっとしてもいるようだった。
桃花はにこやかに自己紹介を続けた。
「桃花、悪魔」
「……」
ぬいぐるみのチャーリーは返答に困っているようだ。ちなみに魔族と悪魔は、けっこう違うモノである。
「桃花オマエ苛める♪」
楽しそうに桃花はキョロキョロする。
枕元には桃花の鞄も運んであって、ペットの黒猫がのたっとその上に寝そべっていた。
「梅花、のいてのいて」
桃花は黒猫を降ろして鞄を取って、中を探る。
黒猫・梅花はいやぁな顔をして、ベッドから飛び降りた。それから、白い熊のぬいぐるみに同情するような表情を向ける。
「あの、桃花。僕は……」
さて、このまま惚けていてはいけないとは、チャーリーも思ったようだ。何のためにここに『ご招待』したのか多分わかってもらっていないのだと、そう思いついたのか。
「あなたを花嫁に迎えるために」
近くの村の丘から昼寝していた桃花を勝手にさらってきたのだという話までは、チャーリーは続けることはできなかった。
「えいっ」
ぺしっ。
と、まずは蜘蛛が飛んできた。
「えいえいっ♪」
それから蛇、そして毛虫。
「あ、あのー……」
次々と桃花は鞄の中からおもちゃを投げる。
おもちゃなのだが、話の邪魔をするには十分だ。なにしろ聞かせようとしている相手の桃花に、まったく話を聞く気がないのだから。
黒猫は主の娘の相手をしている哀れなぬいぐるみを見捨てて、部屋を出ていった。事態に当分進展がないことは、猫心にもわかったのかもしれなかった。
その間に、この屋敷の探検ぐらいはできるかもしれないと。
●困ったコミュニケーション
くしゅん。
小さなくしゃみが出て、桃花は鼻をすすった。風邪かなあと首を捻る。
この屋敷に来てから、食べる物は食べているし、夜もゆっくり寝ている。体調を崩すような原因には、心当たりはなかった。
使用人がいるわけではないので、桃花のところに食事を持ってくるのもチャーリーだ。多分、作っているのもそうなのだろう。数日が経過すると、この屋敷にはチャーリーが一人で暮らしていることは桃花にもわかった。
で、チャーリーはその間も桃花の悪戯の被害に遭い続けていた。いくら酷い目に遭っても性懲りもなく、チャーリーは桃花に話をしに近づくのだ。
黒猫の梅花に口がきけたなら、よくも我慢しているものだと言っただろう。他愛ない悪戯とはいえ、続けば堪忍袋の緒も切れる。
しかし、チャーリーは我慢強かった……それだけ嫁さんを手放したくなかったのか。いや、まだ嫁と呼べる段階には到底到達していないのだが。
なにしろまだ、桃花は自分がさらわれてきた理由を知らないときている。
さて、ここ数日の間に、桃花も屋敷の中の探検を概ね終えていた。梅花には遅れを取ったが、中の造りも把握できた。
一階の外への出口と窓には大体鍵がかかっていたけれど、二階から上は窓も開く。鍵をかけたのはチャーリーにすれば逃走を警戒してのことだったけれど、桃花には今のところ逃げる気はなかった。もう少ししてこの屋敷とチャーリーに飽きたら、わからないが。
さて桃花が廊下をふらふら歩いていると、ぬいぐるみは窓の外を眺めていた。人間の姿だったら、きっと憂鬱なため息の一つも吐いていたに違いない。
しかし、桃花にとっては獲物を見つけたも同然だ。たたたっと走り寄ると……
膝かっくん♪
見事に決まって、べしゃっとぬいぐるみはずっこけた。
「桃花さん……そんなに僕が嫌いですか……」
そのまま、しくしくと泣いて聞く。
もう少し早く気付け……いやそうじゃなくて。
苛めることに罪悪感はないのだが、嫌いかと言われると桃花も考えこんでしまった。
だが、桃花も根っ子が単純なので、考え事は続かなかった。
「桃花、オマエ嫌イじゃない」
単純明快かつ明朗快活に、お返事だ。
ぱっと期待に溢れた明るい表情で、ぬいぐるみは顔を上げた。
「ほんとですかっ!?」
桃花も数日のうちにぬいぐるみの表情が、なんとなく読み取れるようになってきている。
耐え難きを耐え忍び難きを忍んできた甲斐もあったのかと、チャーリーはボタンのようなつぶらな瞳をキラキラと桃花に向けていた。魔物の威厳はどこだなどと問い質してはいけない。
桃花は力強く頷いた。
「苛める、楽しい」
滂沱。
それは、涙がとめどなく流れることを言う。
「どした?」
可愛らしく首を傾げて涙の理由を問う様も、きっと更なる涙を誘ったことだろう。
わかりあえないって、悲しい。
力尽きて床に突っ伏したぬいぐるみの横にしゃがみこんで、桃花はつんつんとそれをつつく。そういえば聞きたいことがあったなあと、そのとき思い出した。
「オマエ、ココ一人?」
「……はい」
どうにか顔をあげて、チャーリーは返事をした。
「寂しい?」
続けて聞く。
花嫁をさらってくるぐらいだから、その通りだ。チャーリーにしてみれば、それは花嫁との初めての意志の疎通なような気がした。いや、かなり気のせいかもしれないが。
「桃花さん……」
その時、性懲りもなくキラキラ目を桃花に向けていたチャーリーの顔に緊張が走った。ぬいぐるみの緊張した顔は想像しにくいかもしれないが、ここはキリリとシリアスなぬいぐるみの顔を想像してほしい。
「桃花さん、ちょっと待っててくださいね」
すっくとぬいぐるみは立ち上がった。
そう言えば、外から声がするような? と桃花が思っているところで、チャーリーは行ってしまう。
「すぐ戻ってきますから」
ぬいぐるみの癖に耳が良いのか、桃花には聞こえなかったことまで、チャーリーには聞こえたようだった。
●花嫁の奪還?
その様子を、桃花は眺めていた。
外からやってきた美少女と青年のうち、美少女とチャーリーが遊んでいるのだ。本当は遊んでいるのではなく、闘っているのだが……桃花からは遊んでいるように見えた。多分、片方がぬいぐるみのせいだ。
実はすぐにチャーリーの後を追って桃花は外に出てきたのだが、その状態なので話しかけることもできない。
もう一人の青年ライルが同じように暇そうにしていたが、桃花にちょっと笑いかけただけだった。桃花が知り合いかと思ってここまで来たが、違っていたというのは後から聞いた話だった。
「けっこう、やるじゃねぇか」
「まだです……っ! 桃花さんは……」
やっと体力切れか二人がブレイクし、自分の名前が出たところで、桃花は二人の間に顔を出した。
「呼んだ?」
「桃花さん、出てきちゃったんですかっ」
チャーリーが慌てている。今まで桃花がいたことには気づいていなかったようだ。美少女(もどき)スイ・マーナオは、そこで目を細めた。
「てめえがさらわれた女か? 助けに来てやったぜ」
何を言われたのかわからなくて、えっと言う顔を桃花はスイに向けた。
「救出に来たって言ってるんだ」
「キューシュツ? って何?」
「さらわれたてめぇを助けに来たって言ってんだよ!」
イライラ。そんな感じを体現している声で、スイは怒鳴る。しかし。
「桃花、さらわれてた?」
そう聞き返すと、静かな空気が辺りに漂った。
「……そうだ。こいつは、てめえを嫁にするためにさらったんだが、本当に知らなかったのか?」
桃花は頷いた。
だって、本当に知らなかったのだ。
「あ、ありがとうございます。桃花さんに教えてくださって。桃花さん、どうしても話を聞いてくれなくて」
チャーリーにしてみれば、それは桃花が人の話を聞かないからなのだが。
「どいつもこいつも……!」
スイは頭を抱えている。
「ここ寂しい。だから?」
さらったのかと、聞いてみる。どうにか通じたのか、チャーリーは頷いた。
「こんな森の奥で、一人でいるのは寂しくて」
長らく屋敷に引き籠もって暮らしていたのだが、村の家族が羨ましくて、そこから嫁を貰えば家族ができて村とも繋がりができると思ったのがきっかけだったようだ。間違って桃花をさらってきてしまったけれど、村の娘でなくても家族ができることには変わりないしと……
「本当に、こんな娘でも良かったのか?」
とても当然な疑問を、スイは述べた。桃花にしてみれば失礼な話だ。
「話は聞いてくれませんでしたが、恐がらないでいてくれたので」
かなり消極的な理由が、また失礼な。だからではないだろうが。
スイは息を吸った。
「嫁さんの一人や二人、手近で調達しようとしねぇで、旅にでも出て探しやがれ!」
数日後。
街道で花嫁を探す熊のぬいぐるみの姿を見かけたという噂が、黒山羊亭にまで届いていたとかいないとか……
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【SN01_0093/スイ・マーナオ/男/29歳/学者】
【SN01_0078/鈴々桃花(りんりん・たおほわ)/女/17歳/悪魔見習い】
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■ ライター通信 ■
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お待たせしました&ご注文ありがとうございました。執筆させていただきました、黒金かるかんです。今回は『ちょっとコメディ』ぐらいのつもりだったのですが、お二人のプレイングを見ていたら大分コメディに寄ってしまいました〜。
今回のこれは白山羊亭向きの話だった気もします……ということで、次の依頼は白山羊亭で改めてチャーリーのお嫁さんを探してみようかと思います。あと今回「何をしに出てきたんだ」と言われそうな青年ライルは、後日再び黒山羊亭にてお目にかかる予定です。
それでは、また機会がありましたら、よろしくお願いいたします。
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