<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>
盗まれた心を探して
◇オープニング
「いらっしゃいませ〜」
白山羊亭の看板娘・ルディアは元気いっぱいの笑顔で、訪れた客を迎えた。
「お席はまだ空いていますよ! こちらへどうぞ」
「いえ……私は……」
たった今やってきたこの女性は、口ごもって顔を伏せた。
流れるようなみごとな銀髪をくるぶしまで垂らし、湖底のように静かで深い青の瞳をしている。白に近い淡い水色のワンピースをまとった、齢20になるかならないかの美女である。その場にいた者すべてが彼女の美しさに息を呑み、また、感嘆のため息を漏らした。
「私は……」
やがて、意を決したように女性が顔を上げた。白くかたちのよい指を組み、すうと息を吸い込む。
「私は、森の湖底に住まう人魚です。この白山羊亭には多くの方々が集うと聞き、今日はお願いがあって参りました」
そして彼女は語った。
先日、彼女の末妹が水面で水鳥たちと戯れていた際に、その場でひとりの人間に出会った。夕方になって妹は湖の底の城に帰ってきたのだが、めっきり元気を無くしてしまってため息をつくばかり。かわいい妹を心配した姉たちは、物知りの魔女のところへ相談に訪
れた。そして魔女は言った。「妹君は、人間に心を盗まれてしまった。そのために元気がなく、ため息をついてばかりなのだ」、と。
「私は、妹の心を取り戻したいのです。皆様のなかで、協力してくださる方はいらっしゃらないでしょうか。お礼は、城の宝の一品をささやかではありますがさしあげます。妹の心を取り戻すのを……どうか手伝ってください。お願いいたします」
◇申し出た者
「どうか……お願いいたします」
もう一度言って、女性は客の方を向き深々と頭を下げた。絹糸のようにつややかな銀の髪が流れて、さらさらと肩からこぼれおちる。
白山羊亭のカウンターでジュースを飲んでいた地狼族の少年レキヤ・トトは、半ばうっとりとして女性の言葉を聞いていた。しかし、やがて女性の願いを理解するにつれて、様々に思いが胸をよぎる。彼は少しだけジュースが残っているコップを見つめ、ぴくぴくと獣の耳を震わせた。
――お姉さんの妹さん……心が盗まれちゃっただなんて、とっても可哀想……。何とかしてあげたいな――
何とかしてあげたい。助けてあげたい。けれども、深く頭を下げた女性を困惑する目で見つめる者は多くいても、助力を申し出る者はまだ現れていなかった。いつもならばにぎやかなはずの白山羊亭に横たわる、戸惑いと沈黙。その空気を破る勇気が出なくて、レキヤは胸元で手を握り締めた。美しい女性は、まだこうべを垂れた姿勢のままだ。祈るような彼女の気持ちが、痛いほどに伝わってくる。そんなとき、レキヤの心にふと父の言葉が思い浮かんだ。
「おまえはしょうもなく意気地なしだが、困っている人を見かけたとき、その人を助けたいと思う気持ちだけはあるだろう? だがな、思っているだけではダメだ。そういう気持ちがあるならば、勇気を持って全力で立ち向かえ。思ってはいても行動で示さなければ、何の意味もないのだからな」
思っているだけでは、行動で示さなければ、意味がない。コップに映った自分の赤い瞳に言い聞かせ、レキヤはカウンター席から立って女性の元へと歩き出した。店中の客の視線が自分に集中しているのが分かる。女性は気配に気づき、顔を上げると、その穏やかな青い眼差しでレキヤを見た。
「あ、ああ、あの……」
瞳は穏やかで、優しい。しかしなんと切り出せばよいのか、言葉が思いつかない。顔が赤くなっていくのが自分でもわかった。けれども、思っているだけではいけない。行動で示さなければ!
「あ、あ、あのっ、ボク、役に立てないかもしれませんけど……妹さんの心を取り戻すお手伝い、させてください!」
レキヤはほとんど叫ぶようにして言った。たちまち、周囲の客から拍手が湧き起こった。胸がどくんどくんと波打っているが、後悔などしていない。拍手を浴びながら、自分が少しだけ、大きくなれたような気がした。
そこへ、ひとつ舞い降りる影があった。黒い髪、褐色の肌をしたシフールである。
「わしにもひとつ、手伝わせていただけないだろうかの。どうも、ひとごとだとも思えんのじゃ」
女性は、安堵と感謝の入り混じった笑顔でレキヤとシフールに礼を述べた。
◇湖へ
「私はセレナータと申します。セレナと呼んでください」
ルディアに見送られて白山羊亭を出ると、銀髪の女性はそう名乗った。
「ぼ、ボクは、レキヤ・トトっていいます」
「フィフニア・ヴィンスじゃ。以後お見知りおきを」
それぞれ自己紹介をし、互いを見遣る。セレナは空を見上げて太陽の位置を確認すると、この分ならば明るいうちに湖まで充分にたどりつけると言って歩き出した。
「まずは、妹御のご様子をもう少々詳しく教えていただきたいのじゃが」
道中、フィフニアはセレナにたずねた。セレナはうなずいて、
「……はい。私たち湖の人魚は6人姉妹で、私が長女にあたります。末の妹の名はカノンと申しまして、私たちは皆カノンのことを目に入れても痛くないほどにかわいがっておりました。けれども、その人間に出会って心を盗まれてしまってからというもの、いつも明るくよく笑う子だったはずのカノンから笑顔が消えてしまって……。窓辺に座って、ぼうっと外を眺めていることが多くなりました。何度となくため息をつき、魚たちのちょっかいにもまったく気づかないようなのです。まさに、心が盗まれてしまったために、心ここにあらずという感じで……」
「心が盗まれると、やっぱり苦しいんでしょうか」
レキヤが心配そうにつぶやくとセレナは、
「ええ……あの子は、苦しんでいるみたいです。姉として、一日もはやくカノンの心を取り戻してあげたいと思うばかりですわ」
聞きながら、フィフニアはあごに手をあてて、なにやら考えていた。セレナの話を聞く限りでは、その心を盗まれた妹の症状は、片思いの恋わずらいに違いない。窓辺に座ってぼうっと外を眺め、何度となくため息をつき、心ここにあらず……恋愛物語の序盤に頻出の表現ばかりである。
「ところで、おぬしの妹御にはお会いできないかのぅ」
フィフニアの問いにセレナはしばし視線をめぐらせて、
「私の声を聞き入れてくれるかどうか……。けれど、カノン本人からどんな人間に盗まれてしまったのか、手がかりをきいたほうが見つけやすいですものね。説得して、連れ出してみます」
「ボクたちが妹さんのいるお城まで行くっていうのは、やっぱり、迷惑ですか?」
「いえ、まったく迷惑などではないのですが……」
セレナはレキヤの素直で暖かい申し出に苦笑した。
「なにせ、湖の底で水の中ですから。エラがなく水中で呼吸のできない方には、やはりおつらいかと思いますよ」
エラ? レキヤは魚の横顔を思い浮かべた。いったい、この美しい人のどこに、皿を伏せたような魚と同じ器官があるのだろう?
しばらく歩きつづけ、とうとう森の開けた場所に出た。目の前には澄んだ藍色の湖が広がり、湖面のさざなみが宝石のように輝いている。
「それでは、しばしお待ちください」
セレナは言い残し、なんのためらいもなくざぶざぶと湖のなかに分け入っていった。彼女のワンピースの裾が、水中で白く閃いているのが見えた。なんだか、どこか入水自殺を見守っているような、奇妙な気持ちであった。
◇盗んだ人間を探して
セレナに連れられて、ひとりの少女が湖畔に上がった。例えるなら、セレナが水晶であれば少女――カノンは真珠であろうか。姉と同様に人形のように整った顔立ちをしているが、まだどこかあどけなく、美しいというよりも愛らしい。
カノンはとぼとぼと歩みを進め、レキヤとフィフニアの前に立……とうとしたところで石につまずき、もののみごとに地に突っ伏した。セレナに助け起こされて立ち上がったかと思えば、今度は傍らの木に激突する。そのすさまじい振動で、梢で歌っていた小鳥が驚いて飛び立っていった。
危なっかしい、というよりも危険だ……。心どころか魂ごとなくなってしまったようなカノンを眼前にして、彼らは思った。これでは実の姉でなくとも、充分心配になる。
「あ、あの……カノンさん。カノンさんの心を盗んでいった人間って、どんな人ですか?」
レキヤが切り出すと、カノンは泥で鼻の頭を汚したまま顔を上げた。そのうしろで、セレナがスカートについた土を払っている。それを横目に見遣り、フィフニアも言った。
「お嬢ちゃん、もしかするとお嬢ちゃんは、その人間にもう一度会いたいのではないかのぅ? そうであるなら、人相なんぞを教えてもらえれ……」
「あの方にもう一度お会いできますの!?」
突然、今まで虚ろだったカノンの目の色が変わった。セレナをも含め、その変わりように驚き、一同はたじろぐ。たじろいてあとずさっただけ、カノンは詰め寄った。
「あのお方を探してくださいませ! あの方にもうひとたびまみえることかないましたら、カノンは死んでも後悔しませんわ!!」
(……いつも、こんなふうなんですか?)
レキヤがささやくと、セレナは、
(ええ。突然戻ったので、びっくりしましたけど。でも本当は、普段はこの倍くらい明るくて元気なんですよ)
(…………。)
カノンの心の盗人の捜索がはじまった。
「え、ええっと……とにかく、カノンさんの心を盗んだ人間を見つけて、ここまで連れてこればいいですよね。じゃあ、ぼ、ボク、いろんな人に聞き込みしてみますっ」
「その人間の居場所さえわかれば、わしがヴィジョンでひっ捕まえてきてもいいんじゃが……」
髪の色、瞳の色、年の頃、身長はどのくらいで、どんな服装であったか。カノンから聞いたことはすべて覚えたが、名前もどこから来た人間なのかも分からないため、聞き込みもなかなか成果があがらない。太陽は次第に西へと傾いていき、空の色に赤味が差してきた。
「どうしよう……みつからないな……」
街に近い森の入り口付近の聞き込み調査を担当していたレキヤは途方にくれて西の空を見上げた。鳥たちが次々に住処へと帰ってゆく。そんなとき、不意に彼に呼びかける声があった。
「ここの森の湖に行きたいのだが」
振り向いた瞬間、驚きのあまりにレキヤの耳も尻尾も飛びあがったかと思うほどであった。髪の色、瞳の色、年の頃、身長、服装の雰囲気。どれをとっても、カノンが言っていた特徴に当てはまっている青年が立っていたのだ。この人間から盗まれた心を返してもらえば、カノンもセレナもきっと喜んでくれるはずだ。レキヤは喜び勇んで、
「あっ、ここの道をまっすぐ行けば、湖までたどり着きます。ボクがごあんないしま……」
しかし、「ここの道をまっすぐ」との言葉をきいただけで、青年は去ってしまっていた。今となっては、レキヤの視線のはるか彼方に青年の背中が豆粒のように見えるだけ。
なんて足の速い人なんだろう。気を取り直して自分も湖のほうへと帰ろうとした折、彼は足元に小箱が落ちていることに気づいた。先ほどの青年の落し物なのだろう。レキヤは小箱を手に、湖へと急いだ。
◇お幸せに
レキヤが湖へ到着したとき、先ほどの青年は装備からポケットのなかからすべてをひっくり返して、なにやら探し物をしている最中であった。一呼吸おくとレキヤは進み出て、小箱を青年の前に差し出した。
「あの、お探しのものは、これじゃありませんか?」
青年は顔を輝かせて、何度も礼を言い受け取ると、その小箱をカノンに手渡した。
「君にこれを渡したくて、今日ここまで来たんだ。だが途中道に迷ってしまった。必ず近いうちにまた会いにくると約束したのに、遅くなってすまなかった。カノン、心配させてしまったね」
「いいえ……カノン、嬉しいです! 本当に、もう一度お会いできて……嬉しいです……」
小箱の中身は、小さな可愛らしい指輪であった。カノンは感激して、泣いていた。泣いてはいたが、喜びいっぱいの笑顔であった。
――盗まれてた心って、あの指輪のことだったのかな。無事に返してもらえたみたいでよかった――
レキヤはカノンのこの素晴らしい笑顔が、セレナからお礼にともらった宝の淡水真珠よりも、数倍価値のあるお礼だと思った。
〔Fin.〕
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 種族 / クラス】
【SN01_0588/レキヤ・トト/男/14歳/地狼族/便利屋】
【MT12_5730/フィフニア・ヴィンス/男/29歳/シフール/ヴィジョンコーラー】
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■ ライター通信 ■
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担当いたしましたライターのあかるです。
このたびの『白山羊亭冒険記』へのご参加、ありがとうございました。
私にとって、これが初仕事でした。
まだ至らない部分も多々あるかと思いますが、精一杯に頑張らせていただきました。
また、ご縁がありましたら冒険にご一緒させていただきたく存じます。
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