<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>
死者を呼ぶ儀式
◇オープニング
日が暮れてからかなりの時間が経ち、夜の帳が色濃くなってきた頃。ひとりの少年が黒山羊亭を訪れた。見たところ十二、三歳といったところだろうか。茶色の髪が好き勝手に伸び、旅疲れた衣服をまとっているが、いくつもの宝石で飾られている革製のチョーカーだけが不似合いに首元で輝いている。
その姿を見留めたエスメラルダが、出入り口の前で戸惑っていた彼に声をかけた。
「どうしたの? この店は比較的安全だけれど、ベルファ通りは暗くなってから子どもが来るところじゃないわ」
少年はおずおずと顔を上げたものの、エスメラルダと視線が合うとあわてて目を伏せて、ものいいたげに唇を噛んだ。
「黙っていたのではわからないわよ」
彼女は言い、少年の肩に優しく手を置いた。
「何か言いたいことがあるんじゃないのかしら?」
少年はしばらく黙ったままであったが、やがてこくりとうなずき、小さな声で告げた。
「……お願いがあって来たんです」
「依頼ね。どんな依頼?」
「僕の大切な人を呼び出すのを……手伝ってほしいんです」
実は、彼の言う「大切な人」は何年も前に亡くなっており、この世にはいない。しかしどうしてももう一度だけ会いたくて、彼は死者に会える方法を探し求めて旅をしていたのだとか。ようやく数日前になって旅の魔術師から死者に会うすべを教えてもらえたのだが、そのすべというのは「死者を呼ぶ儀式」を行うということであった。
「どうしても会いたいんです。でもそのためには、儀式を行わなくちゃいけません」
彼は言った。
「儀式少し大掛かりなので、僕ひとりだけでは無理なんです。誰かに手伝ってもらわなくてはいけません。だから今夜――お時間がある方に、是非手伝ってほしいんです」
少年は潤んだ瞳でエスメラルダを見、店内を見回す。そして首にしているチョーカーを指差して、
「お礼に、ここについている宝石をさしあげます。だから、お願いです。僕がもう一度あの人に会えるように、呼び出すのを……手伝ってください……」
◇願い
黒山羊亭の片隅にて。この店にはどうも不似合いな客人がひとり、読書にふけっていた。頭上にはほんのりと輝く円環、背には翼。そして、テーブルには良い香りの湯気が立つティーカップ。澄んだルビーを思わせる紅茶の表面にはランプの灯りが映っている。
黙々と読書を続けていた彼であったが、ふと感じた気配にページから顔を上げ、ドアの方を見遣った。ドアの前にはたった今訪れたらしい旅疲れた衣装の少年が立っている。店の踊り子であるエスメラルダが、その少年から話を聞いているところであった。
「手伝ってください……」
やがて。話し終えた少年の潤んだ瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。しかし……と少年の事情が聞こえていた彼は思った。死者を呼び出したいという少年の願いは、いくら対象がとても大切な人であるとはいえ、タブーであることには違いない。神に仕える者として、また、職業上見過ごすこともできず、彼――主天使・リトは小さく嘆息すると手にしていた本を閉じてゆっくりと席を立った。
リトが近づいていくと、彼よりも先に少年に歩み寄り、手伝うと申し出たエルフの美しい女性が少年に何やら言い聞かせていた。
「これだけは約束してください。成功しようと失敗しようと、死者を呼び出すのは、今回一度限りだということを。すでにこの世にない者を呼ぶということは、決して望ましい行いではないはずですから」
「その通りです」
女性の言葉にうなずき、ほとんど間髪いれずにリトはあとを続けた。彼が突然に加わったことに驚いたらしく、少年もエルフの女性も同時に目をしばたいていた。
「一度死んだ者を呼び出す行為は神の意に反することであり、禁忌なのです。僕は中級第一位主天使・リト。神に仕える身であり、主天使という職業上、神の意に反するような儀式を行おうとするのを見逃してはおけません」
実際のところは、生と死に関する事柄はリトの管轄外である。けれどもエルフの女性が言うように、死者を呼び出すといった行いが歓迎されるべきではないのは、たとえ天使でない素人であってもよくわかる。管轄外だからということで放っておくなどできるはずがないのだ。
「いいですか? 死者の召還は望ましい行為ではないばかりか、生死の必然性と絶対性を覆すことにもなりかねないのです。生者が今は亡き親しかったものに会いたがるというのはいつの世にも見受けられる現象でしょうが、呪術や魔術の類を用いる手段で死者を呼ぶのはまぎれもなく禁忌。許されることではないのです」
リトの言葉に、少年はなすすべもなくうなだれた。小さな細い肩が小刻みに震え、かすかに嗚咽が聞こえてくる。リトは気まずさを感じつつ一つ咳払いをし、脇に分厚い本を抱えなおして言った。
「……ですが、生死に関する事柄は僕の管轄ではありません。それゆえに、僕にはその儀式をやめろという権利も権限もないのです」
幾分やわらいだ彼の口調に、少年がおずおずと視線を上げる。リトは続けた。
「そのかわり、どうしても死者を呼ぶ儀式をとりおこなうというのならば、僕は立会人として最後まで見届けさせてもらいます。禁忌の儀式なのですから、僕が見張らなければ、ややこしい事態に陥るかもしれませんからね」
「……協力する」
そこへ、巨大な大鎌を背負った長身の男が現れて突然にそう告げた。唖然とせずにはいられなかったが、その男は善意から少年に協力しようとして申し出たらしい。
こうして少年とリト、エルフの女性と長身の大鎌の男は、連れ立って黒山羊亭をあとにしたのだった。
◇迷える仔犬
少年はオーディと名乗った。エルフのレティフィーナ・メルストリープと、主天使リト、そして大鎌を背負ったデックアールヴのヒルダ・ナユタ。オーディは結局依頼を引き受けたかたちになった彼らを草原の中心へと案内した。
月明り星明りに照らし出された、夜の草原。そこには、乾燥した木の枝の小さな山が三つほどできていた。
「ここで、儀式をやることになっています」
オーディは言った。
「まず、三箇所で火を焚かなくちゃならないんです。でも僕一人では、とてもそれだけの焚き火用の枝を多くは集められませんでした。ですから、火を燃やすための枝集めから、お手伝いをお願いします」
ここは草原である。そんじょそこらに森のように木が生えているはずがない。儀式を燃料の入手しやすい森でしてはどうだと訊いてみるとオーディは、月と星の光が充分に注ぐ広い場所でなければ意味がないと首を振った。
仕方なく、三人は一旦別れてそれぞれ木の枝を集め、あとから持ち寄ることにした。
「……何故僕はこんなことをしているのだろう……?」
無論、オーディに同行してきたからである。わかってはいるのだが、集めてきた枝を一人でぱらぱらと小山に足していると、どうしても黒山羊亭の紅茶が恋しくなる。ティーカップを傍らに据えての読書ほど、素晴らしいものはない。それに加えてあの店の紅茶は物が良かった。香りが上品で渋みは少なく、色も鮮やかで澄んだルビーに似ていた。
しかし、リトは結局のところ困っている人を放ってはおけない性質だった。オーディを手伝いたかったのだが照れくさくて素直に手伝うと言うことができず、立会人として儀式を見届けるとしてついてきたのである。それゆえこうしてオーディを助力することに悪い気はしないし、後悔もしていない。
「本当に、ありがとうございます」
ふと薄闇からオーディが現れて、リトに礼を述べた。礼を言われるのは誰であっても気分がいい。オーディはリトと同じように集めた枝を置き、手のひらの塵を払っている。リトはそんな彼をまじまじと見つめ、気になっていたことを尋ねた。
「オーディが呼び出したいという死者とは、いったい何者ですか」
「……やっぱり、気になります?」
オーディは寂しげに微笑んだ。リトは少々気まずさを感じたものの、静かにうなずいた。
「いくら僕の管轄外であるとはいえ、死者を呼び出す行いが神の意に反する行為なのは否めません。ですから、そうまでして呼び出したい人間が何者であるのか知りたいのです」
緩やかな風の音。草原の匂い。夜は暗く恐ろしい面もあるが、同時に大いなる癒し手でもあり、何よりも優しい。
「……僕が呼び出したい大切な人は人間なのですが、僕は人間じゃないんです」
オーディはぽつりと言い、星空を仰いだ。
「もともとは、人間に飼われていた犬なんです。でも、かわいがってくれたご主人様が亡くなってしまって……。僕はもう一度だけでもご主人様に会いたくて、会う方法を探す旅に出たんです。そうして長い長い年月を彷徨い歩くうちに、いつの間にか魔性を帯びてこの姿を手に入れていました」
「じゃあ、呼び出したい死者は……」
「ご主人様なんです。亡くなったのは、百年以上も前のことですが」
再び微笑んで枝を集めに去っていくオーディの後ろ姿が、リトにはとても切ないものに映って見えた。
◇死者を呼ぶ儀式
月の光に照らされた草原の真中にて。三方に枝を積み上げて火を焚き、その中心にオーディが立った。東側の炎のそばにレティフィーナが立ち、南側にはリト、そして西側にはヒルダが佇んだ。
「僕が最初に合図をしたら、レティーさんは炎に香油を注いでください。そして次の合図でおわたしした粉をリトさんが撒いてください。ヒルダさんは三度目の合図で香木を火に投げ入れるよう、お願いします」
「香油はわたくしのそばの炎にだけでいいのですか?」
「はい。それで構いません」
「僕の場合、この粉は具体的にどのようにすればいいのです?」
「リトさんが立っているところを中心に、扇状に撒いてください」
「……三度目の合図で、入れる」
「ええ、お願いします」
頭上には、美しい星の瞬き。位置についた一同は、皆息を潜めた。はぜる火花の音。木の燃える匂い。温まる空気。火炎によって、空がうっすらと明らんで見える。
やがて、オーディがくるりくるりと踊り始めた。小柄な体を器用に動かし、円を描くように舞い、ときに跳ぶ。そして高々と右手が掲げられた。一番初めの合図である。レティフィーナは白銀の髪を炎の朱色に染めながら言われた通りに香油を注ぎ込み、火花で火傷を負わぬうちに後ろに退いた。途端に濃厚な香りが立ち込めて、頭がくらくらする。嫌な香りではないが、とてつもなく濃い。
またしばらく舞が続き、そして次の合図。再び右手が高く上がったのを確認して、リトは手元の粉を丁寧に撒き散らした。粉が焚き火に入ると、たちまち炎は銀色に変色した。粉に込められた何らかの魔法なのであろうが、銀の炎が燃え上がる様は壮観であった。
それから数分ののち。最後の合図が示された。ヒルダが香木を投げ入れると、炎の勢いは天を焦がさんばかりに強くなった。香油の蜂蜜に似た重苦しく甘い匂いと、香木の薬草のような澄んだ馨り。それらが混ざり合い、複雑な空気が嗅覚を刺激する。
オーディは何かを歌い上げ、虚空に腕を差し伸べた。二、三度、何かの名前を呼ぶ声がする。それがおそらく、彼のご主人様とやらの名なのだろう。
しばしの沈黙があった。数分間、誰も口を利かずに中央のオーディを見つめていた。けれども、彼が望んでいた死者が現れる様子はない。時間ばかりが過ぎてゆく。
しばらくすると魂が抜けてしまったように、オーディはその場に座り込んだ。レティフィーナが駆け寄ると、彼の頬は涙に濡れていた。唇を噛み締めて、嗚咽を必死にこらえている。彼女もオーディの隣にかがみ、優しくその背中をさすった。慰めたいが、うまく慰めの言葉が見つからない。彼の震える肩を抱えることしかできないでいた。
その際、多かれ少なかれ霊的な存在であるリトとヒルダは、今までなかったはずの気配が増えていることに気がついた。
「何か、いる……」
「生身ではありませんね。何か霊魂のようなもの――」
ヒルダは周囲を見回し、背の大鎌を背負いなおした。目には映らない何者かの気配に、どうも落ち着かない。
「悪意は感じられませんね。このあたりを離れないところから察するに、何かを訴えたがっているようにも思えますが」
リトが言った。そこでヒルダははっとした。悪意のない霊魂が、何かを訴えたがっているといえば――
「リト。オーディを、ここに」
リトに呼ばれ、レティフィーナに支えられるようにして連れられたオーディはあまりにも哀れな面持ちをしていた。涙が服を濡らし、泣きはらした目は痛々しくも真っ赤になっている。
「しっかりしてください。まだ絶望するには早すぎますよ」
リトに軽く頬をたたかれてオーディは視線を上げる。視線の先にいたヒルダは、宙で手招きをするようにして目を閉じた。
『………オーディ……』
すると、ヒルダの口から聞き覚えのない女の声が滑り出た。刹那、涙でくしゃくしゃになっていたオーディの目が見開かれる。
『……オーディ、そんなに悲しまないで。私はいつもあなたのことを見ているのだから』
「ご主人様!」
思わず駆け寄ろうとする彼であったが足元がふらつき、倒れる手前でレティフィーナが支えて助けた。詰まる声を懸命に出してオーディが言った。
「ご主人様……僕も、一緒に連れて行ってください。ご主人様のところへ、連れて行ってください……」
『……いいえ。私は、あなたに悲しみに暮れて死を急いでほしいわけじゃないの。私がいなくても、強く生きて、幸せになってほしいのよ……』
女性の声は柔らかだった。言い終えるとヒルダから女性の霊魂は抜けて、オーディのまわりを巡るように飛んだ後、薄れて気配は消えてしまった。
オーディの涙は絶えなかった。しかしそれはもう、ただの哀しみだけの涙ではないに違いなかった。
オーディの飼い主であった女性は、どこかの貴族令嬢であったらしい。彼が身につけていたチョーカー(本当のところは首輪なのだとか)に豪奢な宝石の飾りがあったのはそのためなのだとか。彼は報酬にとそのチョーカーを差し出したが、リトは受けとらなかった。
「報酬のために見届けに行ったわけではありません。オーディ、大切な者の思いを胸に、これからは強く生きてください。神の意に反するようなことを求めてはいけませんよ」
今度のオーディは笑顔だった。礼を言い、二度と主人を呼び出しも方法の口外もしないと誓って、彼は白み始めた明け方の空のもと新たに旅立っていったのだった。
〔Fin.〕
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 種族 / クラス】
【MT12_6314/レティフィーナ・メルストリープ/女/19歳/
エルフ/ヴィジョンコーラー】
【SN01_0658/リト/男/14歳/天使/主天使】
【SN01_0592/ヒルダ・ナユタ/男/600歳/デックアールヴ/迷いビト】
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■ ライター通信 ■
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担当いたしましたライターのあかるです。
このたびの『黒山羊亭冒険記』へのご参加、ありがとうございました。
それぞれPCにより書き分けられている部分がありますので、
参加してくださったすべてのPCのストーリーをご覧になると、
もっと深く楽しんでいただけると思います。
今回は少し切ないお話でした。
しかし皆さんの協力によって、オーディは強く生きていくと
心に誓いました。大切な御主人との思い出を胸に、
幸せになってくれることと思います。
それでは、またご縁がありましたら、
冒険にご一緒させていただきたく存じます。
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