<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


魔女の条件


いつも賑やかな白山羊亭。そこにバン!と喧しいほどの音を立てて入り口のドアが開いた。丁度昼飯時、集まっていた客達は何事かと静まり、ドアのほうに振り向いた。だがそれも一瞬のことで、すぐにまた各々の雑談へと戻った。看板娘のルディアは無視するわけにもいかず、ドアのほうへ駆け寄った。
「いらっしゃいませ〜。お一人様ですか?」
 ものすごい音を立てて登場したのは、まだ16,7歳ほどの少女だった。ハァハァと肩で息をして、仁王立ちでドアのところに踏ん張っている。
ルディアは少し首をかしげ、「お客様…?」と、オズオズ声をかけた。少女はルディアの声にピクン、と反応し、彼女のほうにバッと顔を向けた。どうでもいいが、いちいちリアクションが激しい少女だ。
「あの」
 ルディアの言葉を遮るように、少女はガバッ、とルディアの両手を自分の両手で握り締めた。そして息を思いっきり吸い込んで、叫んだ。
「お願い私を助けてお礼ならいくらでもしますあのあのあの私とにかく困ってるんですとりあえず助けてッ!」
 


 何とか少女を椅子に座らせ、暖かい飲み物を差し出すと、少女は胸のところに手をやってハァと一言漏らした。
「御免なさい…お食事の邪魔をしたみたいで」
 邪魔も何も。そろって好奇心が旺盛な白山羊亭の客たちは、それぞれ首を伸ばして少女の座っているカウンタを眺めていた。それにしても奇妙な格好をした少女だ。
頭には薄い桃色をしたとんがり帽子を被り、同色で合わせたのだろう、桃色の肩がふんわり膨らんだ形の、体のラインがくっきり出るタイプの上着。そして薄い紫色のふんわりした長いスカートと、足元には高いヒールがついた革のブーツ。帽子からはみ出て、腰まで届く長い髪は金色に輝き、伏せ目がちの瞳は濃い紫。それなりに着飾れば、通り過ぎる男達も振り向くだろうと思われる風貌だ。事実客の男達の大半は、ホゥと惜しそうな、悔しそうなため息を漏らした。
ルディアが聞き出したところによると、彼女の名前はルーリィ。ここエルザード城下町から少し離れた森の中に住んでいるらしい。ルーリィは先ほどの勢いとは全く逆に、オドオドしながら話し出した。
「私、こう見えても魔女なんです」
 その言葉を聞いて、客の大半がウンウン、と頷いた。ルーリィのとんがり帽子に視線が集中していることを、彼女は全く気付いていないようだ。
「でもまだ半人前で。今度、一人前の魔法使いになる試験があるんです。それにはリック…あ、私の飼ってるコーモリなんですけど。彼が必要で。でも逃げちゃったんですリっくん。何で逃げちゃったんだろう。ねえ、何でだと思います?私がよく魔法薬の実験にリッくん使ったのが悪かったんでしょうか。それとも遊び半分悪戯半分で、尻尾の毛焦がしちゃったこと?」
 どうやら彼女、魔女の試験で必要な黒コウモリを探しにはるばるやってきたようだ。彼女に言わせると、その試験は今回を逃すと3年後まで待たなければいけないらしい。しかし彼女の台詞を聞いていると、黒コウモリのリックとやらは、彼女の自分への扱いに嫌気がさして家出してしまったように思える。彼女、腕利きの冒険者が多いと噂の白山羊亭で、コウモリ探しに同行してくれる冒険者を探しに来たのだと云うが…。
「お願いします、私これを逃すともう後が無いんです!というか私既にもう落ちこぼれで!ああ、リッくん何処に行っちゃたのよう!お願い戻ってきて今度はコウモリスープなんか作らないからッ!!!」


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「…色々と大変のようですね」
 涙目のルーリィと、少し困った表情のルディアの前に、一人の女性が現れた。
年の頃は24,5歳ほどだろうか、憂いに満ちた緑色の瞳と波打つ艶やかな黒髪を持つ、中々の美人だ。
東洋風の、体のラインがはっきり出るタイプの服を着ている。ルーリィはその見事なスタイルに、少々見とれてしまっていた。
 呆然としている風のルーリィに訝しげな表情を向け、女性は言った。
「…わたくしが何か力になれることがあれば、そのコーモリ探し…手伝いますよ」
「ホントっ!!!?」
 女性の言葉に、パァッと顔の色を変えるルーリィ。
「ええ。だって貴方…何だか放っておけなくて」
 そして女性は胸のところに手をやり、
「わたくしはクナン・ランゲレ。ルーリィさん、と仰ったわね」
「はい!!どうぞ宜しくお願いします!!」
 ルーリィはとんがり帽子が落ちんばかりの勢いで、頭を下げた。
帽子は落ちなかったが、その代わり勢いに押され、彼女自身が椅子から落ちてしまった。
前のめりになり、かろうじて床に足から着地する。
その彼女のブーツに、なにやら柔らかいものが当たった。
「?」
 何これ、と思わずしゃがみ込んだ彼女の表情が一瞬で変わった。
ひょい、と床にあったモノ…否、居たモノを指でつまみ、手のひらに乗せてみる。
「えへへ…サクランボ拾ってたら、いきなり足が降って来たからビックリしちゃった」
 目を丸くしているルーリィにつられ、クナンも思わず彼女の手の中を覗き込んだ。
そこに居たのは、体長わずか45センチほどの、背中に半透明のアゲハ蝶のような羽を持った少女だった。
ピーコックのポニーティルを揺らし、ルーリィの手のひらの上で立ち上がった。
その足元には、彼女の体長とあまり変わらない大きさのサクランボが転がっている。
自分のスカートを小さな手ではたき、顔を上げて覗き込んでいる二人にニッコリ微笑んだ。
「こんにちはっ。お話は聞かせてもらったよ!かくれんぼだよね?ディアも手伝ってあげる!」
「ディア?」
「うん、ディアナ・ケヒト。ディアって呼んでくれると嬉しいな!そんで、こっちはミリティア」
 ディアナが片手を上げると、柔らかな風が吹き、背中に白い羽を持ち、優しげな表情を浮かべた女性が現れた。
「ヴィジョン…エンジェルね?」
 ルーリィの微かな呟きに、ディアは嬉しそうに笑った。
「そうだよ!ディアのお友達〜♪」
 そうディアナが言ったかと思うと、ミリティアの姿は空気のように掻き消えた。
「ちょっとしか一緒にいられないんだけどね」
 そしてディアはアゲハ蝶の羽根をはためかせ、ルーリィたちの上空へと浮かんだ。
腕に抱えたサクランボを、側で眺めていたリディアに手渡した。
「ディア、ちょっと出かけてくるから、これヨロシクね!」
「はいはい、頑張ってきてね」
 




















「かっくれんぼ〜かっくれんぼ〜楽しいな〜♪」
 節をつけて妙な鼻歌を歌いながら、楽しそうに飛び回るディアナ。
その彼女を不思議そうな目で眺めているのはクナンだ。
「…この世界には、色々な生き物がいるのですね…」
 クナンの呟きを聞いたルーリィは微笑んで云った。
「そうね。ディアはシフールだわ。ファンシィウッズに住んでいる、妖精のようなものよ」
 彼女達は今、街へと出て大通りをブラブラと歩いていた。
手伝ってくれそうな人を見つけたからか、ルーリィの表情は明るい。
「私ね、今までずっと森の中にいてて、街に出たことあんまり無かったの。
いいなあ、街って。人は多いし、明るいし、賑やかだし」
「モリ?ルゥ、どこに住んでるの?」
 早速ルーリィに愛称をつけたディアナが、興味深そうに尋ねる。
ルーリィは丁度東のほうを指差し、
「向こうのほうにある森の中。普通の人間が入ってこないように結界を張ってね、魔女たちの村があるのよ」
「へぇ〜ディアも行ってみたいなあ」
 楽しそうに答えるディアナとは裏腹に、クナンはルーリィの言葉を聞いた瞬間、沈んだ表情を見せた。
「…どうしたの?」
 驚いて尋ねるルーリィに、クナンは静かに首を横に振った。
「…何でもないの。気にしないで下さい。それより、早く探しましょう。リックさん…だったかしら」
 ルーリィはクナンの言葉に飛び上がった。…どうやらすっかり忘れていたらしい。
慌てた様子で、「そうだそうだ、早く探さなきゃ!婆様に怒られちゃう」
「ババサマ?」
「魔女の村の長老サマよ。すっごく厳しいの!気に入らない人は大鍋で煮るっていうし、シワシワのよぼよぼのくせにこっちを追いかけるときだけはすっごく早いし!」
 ルーリィはその婆様とやらを思い浮かべて震え上がった。
そんなルーリィをなだめるように、クナンが云う。
「じゃあ、早く見つけなくては。その、リックの特徴は?」
「うん…黒くてね、羽根があって、小さくて…」
「ってそれ、普通のコーモリだよー!」
 あっはっは、と笑うディア。
「ねぇ、他には?なんかこう、パッと見て分かる感じの特徴とか」
「特徴…特徴かあ」
 うーん、と考え込むルーリィ。やがて、ひらめいたというように手をポンと打った。
「リッくん、人間の姿にもなれるわ。魔女の使い魔はね、人間の姿も取れるように、初めに魔法をかけるの」
「では、人間のまま、街にいる可能性が高いというわけね」
「よぅし!頑張って探そ〜!」














 歳は14,5歳ほど。短い黒髪、黒目で目つきが悪い。褐色の肌を持ち、背中には小さなコウモリの羽。
それがルーリィの上げたリックの特徴だ。
「コーモリの羽かぁ〜珍しいから、すぐ分かるね!」
「ええ。それはいつも付いているの?」
「うん…尻尾は隠せるようになったんだけどね、まだ羽は無理なの…」
 それ即ち、未だルーリィの腕が未熟だということだろう。
「ねぇ、まずどうする?誰かに聞いたほうがいいのかな〜」
「う〜ん…」
 考え込んでしまった二人を尻目に、クナンは少し待ってて、と言い残しその場を離れた。
「あれ?クーちゃんどうしたんだろう?」
 やはりクナンにも愛称をつけていたらしい。
「ん〜?」
 ハテナマークを浮かべる二人の視線の先では、クナンが通りかかった男を呼び止めてるところだった。
身振りから、なにやら友好的に話を進めていることが見て取れた。
そして話が終わったのか、手を振って男を見送る。
また一人、二人と声をかけ、側で露店を開いていた老人にも話し掛けた。
 やがてクナンは二人のところに戻ってくると、残念そうな顔で首を横に傾けた。
「駄目ね。この辺りでは、リックを見ている人は居ないみたいだわ。
露店のおじいさんにも話を聞いてみたけど、ここニ、三日この通りでそういう男の子を見たことはなかったみたい」
 そう言うと、クナンは呆気にとられている二人を不思議そうに見た。
「…どうかした?」
「すっ…」
「す?」
「すっごいね〜!!」
 ディアは満面の笑みでクナンの腕にとびついた。
「ディア、ビックリしちゃった!クーちゃんカッコイイ〜!」
「く、クーちゃん?」
 いきなり飛び出た自分の愛称に、右の口の端をピクリと上げて苦笑する。
「ディアがつけたのよ。でも、ホント驚いた!何でこう手早く聞けたの?」
 クナンはルーリィの問いかけに、静かな笑みで返した。
「…昔、商人の妻だったことがあったの。それのお陰もあるかもしれないわ」
 ルーリィはクナンの表情と言葉に一瞬躊躇したが、すぐに何でもなかったように明るく笑った。
「…でも、クナンのお陰で早く見つかりそう!ここら辺には来てなかったってことは、他の大通りには見た人がいるかも。
リッくん、何でか知らないけど賑やかな場所が好きなんだよね!」
「あ、ディアも好きだよ!賑やかなほうが楽しいよね〜」
「…うん…だから、逃げ出しちゃったのかな…。人間の姿に変える魔法をかけるときでもいろいろ失敗しちゃって、猿とか鼠とか犬とかにしちゃったこともあったけど、きっと街に憧れてたんだろうな…」
 やはり自分のせいだという自覚は皆無のようだ。

 クナンはそんな二人を見つめながら、ルーリィに心の中で小さく礼を言った。
心に傷を負った人間は、その傷を何でもなかったように振舞ってくれるのが、一番有り難いのだ。



 







「うわぁ、楽しそう〜!」
 この街で一番大きな通りに差し掛かったとき、ディアが歓声を上げた。
それもそのはず、通りの入り口である、彼女らが立っている場所にまで、賑やかな音楽が聞こえ人々の笑い声が伝わってきたのだ。
通りを進むに連れ、紙ふぶきが舞い、笑顔が溢れる。
通りのあちらこちらには、色鮮やかな衣装を纏い、様々な芸を見せ人々の足を止めている芸人達の姿があった。
 その光景に、目を丸くしているルーリィ。
「何どうしたのこれ?今日はお祭りなの?」
 ディアは嬉しそうにルーリィの頭上を飛び回りながら、
「違うよ、ここの通りはね、休日になると大道芸人たちが集まるとこなの〜。だから、いつも賑やかだけど休日は特に!」
「そういえば、今日は休日でしたわね」
 クナンも、納得したように頷く。
「へぇ…」
 滅多に見る光景ではないのだろう。ルーリィは不思議そうに目の前の光景を見つめていた。
そしてふと、頭上で飛び回っているディアの表情に気がついた。
「あ、行きたかったらいいよ!大丈夫、まだ余裕はあるからね」
 笑って云うと、ディアは目を輝かせた。
「ほんとっ!いいの!?」
「うん。さっきからウズウズしてたでしょ?」
「えへへ、そうなんだよね、実は。ありがとう!」
 そう云い残して、ディアは笑い声の中に飛び込んで行った。
さて、自分も覗いて見ようかと足を踏み出そうとしたが、隣に立っているクナンの寂しそうな顔に足を止めた。
「…どうしたの?」
「……いいえ。貴方も行っていいのよ」
「クナンも行こうよ。きっと楽しいよ?」
 ルーリィの誘いに、クナンは何も云わず首を横に振った。
「…そっか」
 そう云って、ルーリィもクナンの横に立ったままだ。
訝しげにクナンが口を開こうとするが、それを遮るように、すぐ横にあるベンチを指差して、
「ちょっと休まない?」
 といった。
クナンはルーリィの心中が読めず、微かに頷きベンチに腰掛けたが、その表情はいまだ不審そうに眉を潜めている。
 ルーリィは賑やかなほうを眺めながら、静かに言った。
「もし、何か思い出したくないことがあるんなら、ゴメンナサイ。こんなところまで引きずりまわして。
でもね、言いたくなったら云ってね。私は聞くぐらいしか出来ないと思うけど、ちゃんと聞くから」
 クナンは一瞬目を見開いたが、またすぐに寂しげな表情に戻った。
「…ありがとう」
 そうして暫く無言の時が流れる。
二人は何も発せず、ただ黙って通りを眺めていた。
 やがて、クナンが静かな声で話し出した。
「…わたくしは、魔女なの」
「…え?魔女、って…」
 驚愕に目を見開き、ルーリィは問い掛けた。
「でも、クナンは普通の人でしょう?」
「…やはり、分かる人には分かるようね。そうね、正確には魔女を名乗ってるってことよ。
でも貴方の云う魔女と、私の云うそれは全く違っているけれど…」
 クナンはそう言うと、おもむろに腕のあたりをめくった。そこには、痛々しく腫れた鞭の痕がくっきりと残っている。
それに絶句しているルーリィを、哀しそうな笑みで見つめ、
「…昔のことよ。魔女と疑われ、異端審問にかけられたわ。これはそのとき受けた拷問の痕。
そのときに家族も失った…永遠にね」
「そんな…!!!」
「でも、気にしないで。これは貴方とは全然関係の無いことだから。それよりも、貴方は良い魔女になるよう…」
「そんなの間違ってるわ!」
 クナンの台詞を遮って、ルーリィは思わず叫んだ。
無論、通りを行き交う人々は何事かと振り返る。クナンは慌ててルーリィをなだめた。だが彼女はそんなことお構いなしで続けて叫ぶ。
「魔女は、そんな悪いものじゃない!魔女の本質は自然との同調よ、異端審問にかけられること自体間違ってるわ!
悪魔を崇めたりなんかしないし、黒ミサだって立派な儀式よ!…なんで、皆わかってくれないんだろう…」
「…貴方は、良い魔女になると思うわ。そういうことを、分かってくれてるなら。でも、だから、貴方達は森の中に住んでいるんでしょう」
 ルーリィはクナンのことばに、ハッと目を開く。
「そっか…そうだよね…」
 思うところがあるのか、シュン、とうなだれるルーリィ。
そんな彼女に何と声をかけてやっていいのか思う悩んでいたとき、大道芸人たちのほうを見に行っていたディアナが舞い戻ってきた。
「たっ、大変大変ー!リっくんが売られちゃってるよう!!」













 ディアナに半ば引きずれるようにして行ったところには、こういった場所ではよく見かける見世物小屋が並んでいた。
その一つに、ピュウと文字通り飛んでいくディアナ。
ルーリィは彼女のあとを、真っ青になりながら付いていく。
「ここ、ここだよっ!」
 ディアナが指差すものは、小屋というよりも小さなテントのようなものだった。
「ミリティアがね〜見つけてくれたんだよ」
 少し得意げに、小さな胸を張る。
「ルゥの言ったとおり、黒くて、羽根があって、小さいのが一杯檻の中に入ってた!
それがこのテントの中に入っていったの」
 その入り口代わりのカーテンをめくり、中に踏み込む。
中の様子を目にして、ルーリィは思わず足をとめた。
 さほど広くないテントの中では、まばらに見物人たちが集まり、前方のほうをじっと眺めている。
時折、やる気のない拍手とわずかばかりのおひねりが前方に向かって投げられる。
 クナンは、すぐ隣に立っていた40すぎ程の男に話し掛けた。
「ここは、どういたことをしている場所なんですか?」
 男は、突然話し掛けてきた美女に内心かなり驚きながら、
「ああ…動物を使って芸をさせてるところさ。今は丁度、黒コウモリの…」
「黒コウモリッ!!?」
 ルーリィは男の言葉に、バッと振り返った。聞き流せない言葉だ。
「ホントっ!?コーモリなのっ!?」
 思わず男の胸倉に掴みかかる。
クナンとディアナは、慌ててルーリィをなだめにかかった。
「な、何なんだあんたは!そんなに気になるんなら前のほうに行って見てきたら良い。確かに今はコーモリの芸だが、
どうにもこうにもノッてなくて客もあくびのし通しだ。まともな芸が見たいんなら、他の小屋に行ったほうが…っておい、あんた聞いてんのか!?」
 既にルーリィは見物人を押しのけて、前方の舞台に突進していた。
ディアナもルーリィとともに舞台のほうへ、仕方なくクナンは男に頭を下げた。
「どうも、ご親切に有り難う御座いました」
 おざなりに礼をすると、彼女もまた二人のあとを追った。
 かなり前のほうで、ルーリィのとんがり帽子が揺れている。
実際、彼女のあの帽子はとんでもなく目立つのだ。彼女自身にその自覚は無いだろうが。
 ディアナはというと、彼女のその帽子の広いツバのところに乗りながら、前方を指していた。
舞台はもう目の前だ。
「ほら、ほらっ!ねえ、あれだよね?」
 ディアナの指差す先には、飾りっ気のない机の上に乗せられている、大き目の鳥篭。
その机の横には丸々と太った中年の男が、派手な衣装を着て、彼に向かって突き進んで来る妙な格好をした少女と、その帽子に乗ったシフールを呆気に取られた様子で眺めていた。
まだ芸の途中だったようだが、無論ルーリィたちにそんなことは関係ない。
ルーリィは半ば机にダイブするようにして、鳥篭を奪い取った。
その中を覗き込むと、確かに一匹の黒コウモリが怯えた様子で収まっている。
ルーリィはその黒コウモリの様子を見て憤慨し、
「酷い!こんなに怯えてるじゃない!」
 と、男に突っかかった。
 だが、コウモリが怯えているのは、男のせいだけではないだろう、とその場に居た全員が心の中で呟いた。
「ちょっ…ちょっと待って、それ、本当にリック?」
 やっと二人にたどり着いたクナンは、肩で息をしながらルーリィに問い掛けた。
クナンの言葉に、はたと思い返し、ルーリィは改めて鳥篭の中のコウモリを覗き込んだ。
 キィ、と怯えた声を出すコウモリをまじまじと見つめ、ガーンッ!とショックで固まってしまった。
「違う…リッくんじゃない!」
「えーっ!」
 思わず叫ぶディアナ。
「だって、黒くて、羽根があって、小さいよ?リッくんじゃないの?」
 だから、そういうのはコウモリ全部の特徴だって…。
クナンはそう心の中で呟いたが、気を取り直してディアナに問う。
「ディア…さっき、いっぱいって云ってなかったかしら。小さいのがいっぱい、このテントの中に入っていったって」
「うん!ミリティアがそう云ってたよ。いっぱい、檻の中に入ってたって」
「そう。じゃあ、こうも考えられないかしら。その、檻の中に入ってたっていうコウモリの中に、リックはいるかもしれない…」
 それを聞き、パァッと沈んだ顔を明るくするルーリィ。
ディアは納得したように、何度も頷き、男に向って云った。
「ねえ!あの、檻いっぱいのコウモリはどうしたの?ほらぁ、ここに入ってきたでしょ?」
 男は眉を潜め、しっしっ、と手で彼女らを追い払う仕草をした。
「知らないよ!何だか分かんないが、さっさと出て行ってくれないか。商売の邪魔なんだよな!」
「む〜!ルゥの昇格がかかってるんだよ?」
「ますます知らないよ!ルーだかペーだか知らないが、さっさと出て行きな!いい加減つまみ出すぞ!」
 男の勝手な言い草にカチンと来たディアがさらに言い返そうとしたが、クナンは右手を上げてそれを止めた。
代わりに一歩前に出て、男の前で胸を張り上から見下ろす格好になる。
「…あなたがそういう態度を取るのなら、こちらにも考えがあります。リックというのは、彼女の飼いコウモリ。もしあなたがリックを所持しているというのならば、窃盗の罪にあたります。出るところに出てもいいのですよ?」
 うっ、と後ずさりした男に追い討ちをかけるように、ディアナが叫んだ。
「そうだよっ!クーちゃんの言うとおり!リッくんはルゥの大事なコーモリなんだからね!隠してたら、ディアもミルティアも許さないんだから〜!!」
 ザァッと一陣の風が吹き、驚愕の声がテントの中の見物人から上がった。
舞台の彼らを見下ろすように天使―…ミルティアが浮かんでいた。その白い大きな翼で舞台を包んでいる。
だが男に向けるその表情は、いつもの笑みとは違い、鋭い。
見物人たちから、男を責める声がいくつもあがる。何だか知らねーが返してやれ、だの天使さまに逆らうとバチがあたるぞ、だの。
 そのとき、少女の悲痛な叫び声が、周りの騒がしい声を静めた。

「もうやめてッ!!!」
 
 叫んだのは、ルーリィだった。
「もうやめてよ…昇格のためとか試験のためとか、そういうの、もうどうでも良い。
リッくんは…リックは、私の大事な友達なの。アイツが村に迷い込んできたとき保護してから、ずっと一緒だった。
そりゃ、色んな実験にも使ったりもしたけど…それでも、ずっと一緒だったの。アイツは、私の家族なの!
だから、お願い…!」
 ルーリィはとんがり帽子を取って胸に抱き、深く頭を下げた。無論、男に向かって。
「リックを、返してください…!」
 沈黙がテントの中に広がる。
それを破ったのは、ディアナの小さな声だった。
「ディアも、ルゥの気持ち…分かるよ」
「ディア…?」
 ディアナは羽根をはためかせ、ミリティアの隣に並んだ。
「ミリティアはディアのヴィジョン。だけど、ディアの友達だよ。ヴィジョンだからとか、そういうこと関係なくて、
ディアはミリティアがいなくなったら哀しい。うん、哀しいよ…」
 少し俯いたディアの頭を、ミリティアは優しく撫でた。そして、彼女の姿は掻き消える。
ディアはパタパタと羽根を動かして、男の前まで飛んでいった。そして、ルーリィと同じように頭を下げた。
「ディアからも、お願いします。リッくんを、ルゥに返してあげてください」
 そしてまた場を沈黙が支配する。
二人の少女から頭を下げられている男は、あーとかうーとか唸りながら、額に汗を浮かべた。
ルーリィはそんな男を後押しするように、
「お願いです…!もう、私リッくんを実験台にしたりしないし、パシリにもしないし、悪戯で尻尾焦がしたりもしない。ご飯もちゃんと作ります…!
隣のおばさんから貰った、試作品のいかにも不味そうなコウモリフードで済ませたりもしません。だから…!」
 おいおい、何か妙なことが混じってやしないか。
見物人たちが心でそうツッコんだそのとき、少し甲高い少年の声があたりに響いた。
「それ、ホントか?」
「うん…!ホントよ。私、真面目になるから…!」
「ちょ、ちょっとルーリィ…!」
 まだ気が付いていないルーリィの肩をクナンが揺さぶる。
え?とよく分かっていない彼女に、鳥篭の中を指差す。
 その中にいた黒コウモリは、先ほどのコウモリと同じものだ。(無論、その場にいた誰一人コウモリの個体の識別は出来なかったが。)
だが先ほどは怯えた風に鳥篭の中で縮こまっていたのだが、今は堂々と、なにやら偉そうに鳥篭の中で踏ん反り返っている。
「り、りりりりりり」
 思わずどもるルーリィ。
ヨロリとつんのめりながら、鳥篭に手を差し伸べる。
「リッくん…?」
 恐る恐る、鳥篭の戸を開ける。
中の黒コウモリは、待ってましたとばかりに即座に戸から空中に踊り出る。ポン、という軽い爆発音と煙が辺りに立ち込めた。
そして煙が晴れると、そこには一人の小柄な少年がすっくと立っていた。
歳は14歳ほど、黒目黒髪の目つきの鋭い少年だ。その肌は褐色で、背中には小さなコウモリの羽。
間違いなく、ルーリィが云っていたリックが人間になったときの姿だった。
 少年…否、先ほどまでコウモリだったリックは、つかつかとルーリィの直ぐ目の前まで行き、彼女に人差し指を突きつけた。
リックのほうが頭一つ分ほど小さいのに、彼のほうが偉そうに見えるのは何故だろうか。
 ルーリィは殆ど涙目になって、「…リッくん、だよね?」と云った。
リックは呆れた顔になって、阿呆か、と呟く。
「さっきちゃんと聞いてたぞ。もう、俺を実験台にはしないな?」
「…え?」
 ディアナが羽根を揺らし、ルーリィの頭に寄りかかる。そして不思議そうに尋ねた。
「何で?鳥篭の中にいたの、リッくんじゃなかったんでしょ?でも、リッくん、何処に居たの?」
「さっきからずっとあそこに居たぞ」
 憮然とした顔で、鳥篭を指差す。
 クナンは顔に手を当てて苦笑した。
「…つまり、見間違えた、ってことかしら…ねえ、ルーリィ?」
「えっ…」
 ルーリィは暫し目を泳がせたが、やがてだんだん赤面していく。
「だ、だって…あんな、怯えてる風なリッくん見たこと無かったし…」
「俺の演技力の賜物だな」
 ふはは、と偉そうに踏ん反り返る。
「…何故、演技なんかしていたの?」
 クナンの問いに、
「…だって、さっさと見つかっちゃつまんねーもん。それに、こいつの本音ってやつも聞けたし。いいじゃん、キレーなお姉さん、そんなに怒んなって。
こいつ、こんぐらいやんなきゃ分かんねーんだぜ、絶対。な、そうだろ?これで初めて俺の有り難味ってのが分かったろ?」
 てい、とルーリィの額をデコピンする。
「あうっ」
「おう、これに懲りたらもう俺を玩具にするなよな!そんでから、あのオバサンのコウモリフードはもう貰うなよ!すっげークソ不味いんだからな!
いっぺんお前も食べてみろってんだ」
 そして延々と己の境遇について愚痴を漏らし始める。
やがてだんだん、見物人たちの冷たい視線がルーリィに集まってくる。
今度はルーリィの額に冷や汗が浮かぶ羽目になった。
 ディアは羽根をはためかせ、クナンの肩に乗り、彼女に不思議そうに尋ねた。
「ねぇ、何でリッくんは大人しく捕まってたのかな〜?その気になれば、すぐに逃げ出せそうだよね」
 クナンは首を横に傾け、静かに微笑んだ。
「…きっと、彼女の愛情を確かめたかったんじゃないかしら。それと、彼自身も言っているように、ルーリィに分からせるためもあるかもしれないわね。
その彼の思惑は大成功といったところかしら」
 クナンは目の前の彼らを微笑ましく眺めた。
 だが目の前では、ルーリィがリックに散々非難され別の意味で涙目になっている、微笑ましいとは全く逆の光景が繰り広げられていた。
「そうなのかなあ〜」
 クナンの肩に腰かけ、ディアは「分かんないや」と肩をすくめた。
 そしてリックが、ふと思い出したようにルーリィに云った。
「それはそうと、お前」
「うっうっ。今度は何よう」
 ついにメソメソと泣き出し、床にのの字を書き出してしまったルーリィ。
そんな彼女をいつものことだ、と放って置いて、リックは構わず続ける。
「試験はどうなったわけ?なんかさあ、昇格試験とかいうやつあったんじゃん?あれ」
「あ、あったじゃんって…!そんな、軽く云わないでよっ!!」
 リックの言葉に顔を色変え、ガバッと立ち上がった。
クナンは訝しげに思い、リックに尋ねる。
「…あなたは、彼女の試験があるから、逃げ出したんじゃなかったの?だから彼女は困って、私たちに助けを求めに来たのに」
 驚いたのはリックのほうだった。
「はぁっ!なんじゃそれ!おまっ…そんぐらい自分でケリつけろよな!こんな美人のオネーサンや可愛いシフールのコ引きずりまわしてんじゃねーよっ!」
「そんなこと云わないでよう〜!私、アンタが逃げちゃったから困っちゃって困っちゃって…」
「バッカじゃねーのか、お前は!さ、もう帰るぞ!婆サマの煮付けにされたくねーだろ?」
 ルーリィの背中をぐいぐい押し、テントの出口まで誘導する。
 リックは呆気にとられているクナンとディアナに振り向いて、大きく手を振った。
「そんじゃーなっ!こんな馬鹿に付き合ってくれてサンキュー!また縁が会ったら会おうぜ!」
 そして二人は、呆然としている二人(と見物客たち)を残してその場を去っていってしまった。
ディアは力なく羽根を動かし、ガックリと肩を落とした。
「…試験…見せてもらおうと思ったのにぃ〜」
















 そして後日、白山羊亭に一通の手紙が届いた。送り名も署名もないその手紙の封筒には、表にただ『助けてくれた心優しい冒険者へ』とあった。
 以下は、その内容である。

『先日はどうも有り難う御座いました!結局試験には間に合わなかったけど、婆様の特別の恩赦で、内容を変えてもう一度私だけ再試験を受けさせてもらえることになりました。つきましては、この間のお礼も兼ねて、その試験にお二人をご招待したいと思います。もしお暇であれば是非魔女の村までいらしてください!名目は試験の見学としてですが、ささやかな歓迎会も兼ねるつもりです。何せ、この村ときたら外界の人を招いたことが全然ないっていうもんだから…。多少妙な会になるかもしれませんが、是非どうぞ!良ければお友達も誘ってお出でくださいね。では!』

『…追伸。あれから、リッくんとはなかなか上手い具合にやってます。コウモリフードが嫌だって云うので、今度はコウモリフードスペシャルに変えてみました。リッくんも喜んでくれているようです♪』







              End.





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / クラス】

【5967 / ディアナ・ケヒト / 女 / 18歳 / ヴィジョンコーラー】
【0690 / クナン・ランゲレ / 女 / 25歳 / 魔女】

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■         ライター通信          ■
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大変遅くなって申し訳ありません、新人ライターの瀬戸太一です。
ディアナさん、クナンさん、当依頼に参加して頂き誠に有り難う御座いました。
結局魔女の試験までは到達できない結果となってしまいましたが、
如何だったでしょうか。
また、魔女昇格試験については、この依頼の続編という形で依頼を出すつもりです。
若し良ければ、そちらにもまた参加していただければとても嬉しいです。

それでは、また感想・ご意見等私信で送っていただければとても助かります。

では、またお会いできることを祈って。