<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


プライベートビーチ警備

『エルファリア別荘内プライベートビーチ(以下「当施設」と表記)における、臨時警備員を募集いたします。
現在、当施設に対して差出人不明の脅迫状が定期的に届いております。
当施設はこれを営業の妨害と認知、排除するための行動を起こしておりますが、
この件が解決するまでに、当に対して何らかの加害行動が執られる可能性もございます。
よって期間限定にて、当施設及びお客様を守れる、力のある方を募集いたします。
課外授業で当施設が使われている関係上、学園生徒様による警備も考慮致します。
なお施設の都合上、水着を含んだ軽装にての警備となることを明記しておきます』

「……楽しいのか怖いのか、一体どっちなのかな」
 掲示したばかりの依頼書を見上げながら、ルディアは首を傾げてみせた。
「水着で戦うこととかも、あるのかしら……?」
 ……彼女の予感は、正しかった。
 何か起これば、海岸線から海中にかけてちょっとした死闘が演じられることはほぼ間違いない。
 ついでのバカンスムードには、装甲薄き苛烈な戦闘の気配。
 きらびやかなリゾートに舞うは血風、それとも誰かの着衣か。
 あえて火中の栗を拾いに行くか?

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 ねえ……

 ん? なんだ?

 もし、次に、わたしに逢うことがあったなら……

 あったなら?

 あなたに、わたしを、殺して欲しいの。

 フレイ……いきなり、どうしたんだ?

 お願い……分かった、って言って。

 そんな……

 お願い。

 ……分かった。

 ありがとう……本当に、嬉しい……

 …………。



 夏なのである。
 カンカン太陽照りつける、モコモコ入道雲たなびく海岸なのである。
 たわわな果実と、それを見んと群れる獣たちの季節なのである……が。
「何だかな――」
 目の前の光景に、青年は何度目かのため息をついた。
 裸に黒いシャツを羽織り、下は水着を穿いている。
 そんなに長くはない黒髪を、弾きの締まった腕の先、指で軽くなぞりながら、無人の海岸を眺め続ける。
 彼の座る、そびえ立つ――と称するほどの高さがあるわけでもないが――鉄杖で作られた見張り台の上から見える景色は、ある種壮観のそれであった。
 透き通るような緑青色のさざなみが、クリームに光をまぶしたような海岸に打ち上げられる様は、ここが一級のプライベート・ビーチ足り得る情景を見事に演出している。
 だが……そこに遊ぶ人の影が全く見えないのであった。
「聞きたいことがあるのですが」
 ふと、足元あたりからした声に、青年は脇の下を見下ろした。
 まだ、成人の体格にも満たない少年の姿がそこにあった。
「どうして……この海岸には人がいないのでしょうか」
 その身なりから一目で、どこかの貴族の出であろうことは容易に想像出来たが、別に思うところがあるわけでもなく、青年はそっけなく言葉を返した。
「こっちが聞きたいくらいだ……少年」
 青年のぼやきにも似た返事に、しかし少年は頬を膨らませ、
「少年などという呼び方は止めて頂きたいですね」
「じゃあ、何て呼べばいい」
「ラエル。ラエル・シュトラウス。この世界では、あまり僕の身分は関係無いですから、ラエルと呼んで下さっても結構ですよ」
 ……随分と舌っ足らずな声で、一人前のような口を聞くんだな。
 そう、青年は思った――が、思うだけに留め、少年……ラエルに返事を返した。
「……クレイ=ワン=ジョーカー」
「ジョーカー……良い響きですね」
「男に言われても嬉しくないがな」
 ジョーカーの揶揄に、しかしラエルは微笑を向けた。
 実った稲穂の黄金を思わせる金髪といい、こうした社交的な表情といい……いささか年が若過ぎるとは言え、いっぱしの貴族が持つ存在感を、ジョーカーはラエルに感じた。
「ところで、本題なのですが」
「なんだ」
「この海岸にはなぜ人がいないのか……二度も言わせないで下さい」
「そう、むくれるな……しかし、知らないのか?」
「何をですか?」
 即答とも取れるような勢いで、ラエルはジョーカーに訊ねた。
 素直だな、と思いつつ、ジョーカーは話を続ける。
「このビーチに、脅迫状が届いたのさ。それで、皆、びびって遊びに来ないわけだ」
「そんな……」
 首をかしげ、指を顎にやりながら、ラエルは視線だけジョーカーの方へ上ずらせると、
「仮にそんなのが届いても、普通は隠し通すものでしょう」
「ほう」
「実際、僕は別荘ではそのような話、一言も聞かされていませんよ」
「そりゃあ、御坊ちゃまに話したところで、害が無くとも里も無いからな」
 ジョーカーの言葉に、心中ではむっとしたラエルではあったが、しかし表情は変えずに、
「しかし、別荘の外の人間は知っている……」
「そういうことだ。壁に耳あり、メイドに目あり。物事ってのは隠そうとも、そうそう隠し切れるものじゃない。あの別荘のように、普段は何も無くて退屈を持て余している場所であれば、尚のことだ」
「そうですか……だから、人がいないのですか……」
 ここに来て、ラエルは初めて、落胆を思わせる面持ちを見せた。
「どうした」
「いえ……ただ、女性と触れあうために、僕はここに来たようなものですから」
「ほぉ。その年で女遊びか?」
「そこまで露骨でもありませんが、ちょっと、女性との付き合い方や、彼女らが好む様々なモノについて知っておきたいことがあって……」
「ふぅん。ま、残念だったな」
 まあ、俺も、見事に的を外してしまったわけだがな。
 そう心の内で付け足し、ジョーカーは、相変わらず波のせせらぐ海岸に視線を戻した。
 男二人を嘲笑うかのように、真夏のステージはギラギラとしていた。
「その……脅迫状、ってのは、どんな内容だったんです?」
「興味、あるのか」
「そりゃあ……こんな状況になるくらいのモノですから」
 ラエルの表情は、平坦そのものだ。
 だが、ジョーカーには、その一見温和なその風貌に、狡猾めいた何かを認めることが出来ていた。
 案外、ただのボンボンでも無いのかも知れないな。
「他の誰かには喋るなよ」
「僕以外、みんな知っているんじゃないんですか」
「一応だ、一応」



  時を越え
  人を越え
  神を越え
  我は
  我を封じたこの世界に
  海の岸辺より来たりて
  破滅の引導を渡さん



 内容を聞き終えたラエルは、首をかしげながら顎に指をやり、
「確かに脅迫めいていますが……そんなに、皆が驚くほどのものなのでしょうか?」
「その通りだ。こんな文面よりも、もっと気の利いた台詞なんてのは吐いて捨てるほどあるだろうよ……だが」
「だが?」
「この脅迫状が、この世界……ソーンにおいて、千年以上も前に失われた古代文明の文字で書かれていたとなれば、話は別だ」
 ラエルの眉が、ぴくり、と動いた。
 驚きを隠すのが精一杯であった。
「しかも、その解読に相当の時間も要した。ガルガンドの館にある、古代文明に関する資料や研究書を総動員して、三日かかったそうだ……そんなわけだ」
「確かに、危険なものを感じざるを得ないですね……愉快犯にしては、あまりにも愉快過ぎる」
「だろう……ま、そういうことだ。俺は、その脅迫状に対して、別荘側が頼んだ警備員の一人だ」
「なるほど……一人、ということは、他にもいるんですか――あっ」
 ラエルの小さなうめきに、彼が見ている方向に、ジョーカーは目をやった。
 小さな砂煙を巻き散らしながら、海岸を突っ切り、海へと走っていく人影があった。
「……なんでしょう? ここからだとちょっと遠くて、見えないですね」
 ラエルはそう言ったが、ジョーカーには、しっかりと見えていた。
 彼をして、こうした荒事の専門者として足り得らせる力……普通の人間が持たぬ魔人の異能が、遠く距離の離れたところで動くオブジェクトを捕捉したのは、むしろ当然のことと言えた。
 だが、そんな彼の視覚が捉えたのは……!
 ジョーカーの顔が青ざめているのに気付き、ラエルは問うた。
「そこからだと、何か見えますか?」
「……貴族の少年よ」
「何でしょうか」
「水着を着た女の腰のあたりから、黒くて長いものが伸びているんだが……一体なんなんだろうな」
「……じょ、女性、ですよね……?」
 数拍の後、遅れて、ラエルも疑惑の相……歪みを顔全体に浮かべる。
「み、見なかったことに出来ませんか?」
「……そうしよう」
 そうは言ったものの、ジョーカーの懸念が拭い去られるものでもない。
 しかも、その女が自分と同じ、警備のために雇われた人間であり――そのため、誰なのかも分かっているのだから尚更のことで。
 ……ざっぱぁん。
 目の前の海岸に、ひときわ大きい波が打ち寄せた。
 それを見て、なぜか切なくなった男二人であった。



 そいつが戦場において、どれほどの嵐を巻き起こしていようが。
 その命が、どれほどの屍の山の上に成り立っていようが、どれほどの血の河を拓いていようが。
 そいつが美しい部類の女であり、水着を着ているのであれば、紛うことの無き、たわわな果実なのである。
 見よ。
 彼女の際立った、たわわっぷりを。
 プラチナ・シルバーに近い白色のポニー・テイルは、艶のある褐色の肌に瞬き。
 肉体美と女性美が見事に調和した、抜群とも言える身体のラインは、見る者全ての視線を釘付けにし得る魅力を備え持っている。
 節々に、無数に付いている向こう傷も、かえってアヴァンギャルドな雰囲気を醸し出すのに一役買っていた。
 白の水着と添え付けのパレオも手伝って、完璧なまでに、バカンスの住人に相応しい姿がそこにあった――走って海に足を突っ込んだ彼女は、振り向き様に身体を、これ見よがしに反らして見せた。
「似合うだろう? 綺麗なもんだろう? 可愛いもんだろう?」
 確かに不思議なもので、右目の傷を隠す眼帯までもがチャーミングに見えてしまうのだから、本当に夏の海岸とは罪作りな空間であると言えよう。
「どうだい? どうだい!? どうだい!」
 背も高ければ胸も大きい。
 そんな彼女だから、こうして背中をそらして突き出すバストの存在感たるや、相当のものである。
 それでも……まあ、そういった種のことに対して、激しく疎い人間はいるもので――時として、こうした美的象徴に限らず、色々と"察する"ことの出来ぬ朴念仁が存在する。
 たわわな彼女……ジル・ハウの唯一にして最大の不幸は、そんな朴念仁――しかも究極を超えた――に惚れ抜いてしまったことであろう。
「たまにはこういうのもいいもんだろう? ラモン」
 呼ばれた主の、異国(とつくに)を連想させる長い銀髪が、潮風にはらとなびいた。
 身体が大きい。
 しかも、ただ大きいだけではない。
 岩のような質量と、その肉の内から染み出すように放射される、名付け難い、しかし強い何かを共に兼ね揃えている。
 岩という形容も、ただの岩がそこにある、と称するのとは訳が違う。風雨に晒された結果、決して崩れぬ芯だけが残った――そんな岩だ。
 その鈍感者――ラモン・ゲンスイは大きく一つ、ため息をついた。 
「はしゃぎ過ぎだ――我々は警備に来ているのだぞ」
 確かに自分で言った通り、警備の為にこうして来ているのだが、その警備の対象としてのビーチの客が存在しないこの現状では、彼の言葉も全く説得の意味を為さない。
「……警備に……来ているのだぞ?」
「随分と、どもるじゃないか」
「……まあな。こうも人がいないのであれば、かえって装備が貧弱すぎるような気がしてな」
 彼の不満は、このように客がいないのであれば、今のような軽装で警備に望むことは無い……という点に起因している。
 薄手の帷子に短めの袴。水中で動く分には殆ど問題は無い。
 だが、自分達以外に誰もいないのであれば、警備としては、人のいる場所に繋がる場所へと突破されなければ良い。
 つまり、水に入らずとも、この海岸線を死守すればそれで問題無いのだ。
 となれば、むやみに軽装である必要はどこにも無い。
 そんなラモンの仏長面に、ジルは鼻で笑いながら、
「なるようにしかならない……あんた、いつもそう言ってるじゃないか」
「まあ、それはそうだが」
「大丈夫だっての。あたしもあんたも、獲物はこうして持っているんだからさ」
 言って、ジルはパレオの裾を軽く持ち上げた。
 張りのある腿に、鞘を巻き付けるような形で一対のマチェット――蛮刀が見事に装填されている。
 ラモンとて、その広背に、長年連れ添ってきた大太刀を背負っている。
「それに、身軽なんだからさ。転じて最大の防御にすればいいのさ」
「ううむ……」
 確かに、軽装である現在ならば、むしろ普段以上の動きで、それを奮うことが出来るだろう。
「さ、ラモン。どうすんのさ」
「うむ……」
「泳ぐのかい?」
「ううむ……」
「一度帰るのかい?」
「うむむ……」
「泳ごうじゃないか」
「……俺がか?」
「そうしなよ」
「……そうするか」
 そういう気になった。
 最近、日常においてはなんだかんだ言いながら、この連れの気に呑まれることが多い。
 その理由を考えようとしないのが、彼のおおらかさでもあり、鈍いところでもあるのだった。
「ヒャッホィ! 湖と違って本当に塩辛いぞ!」
「ジル……海に来たのは初めてだったのか」
 彼女がこれほどにはしゃぐ理由が分からずにいたラモンは、納得するかのように大きく目を見開いた。
 その見立ては、見事に半分以上はずれなのであるが、鈍感な彼に正答を要求するのは酷であろう。



「ちくしょう……むかつくぜ……」
 手にしたカチ割り氷をボリボリと噛み砕きながら、ジョーカーは明後日の方向の海岸を眺めていた。
 その先では、残りの警備二人が、恥ずかしいほどのアバンチュールを楽しんでいる。
 年若い学生かっての――こめかみに痛みを感じながら、ジョーカーは心中で悪態をついた。
「この僕が買って来てあげたというのに、最初の一言がそれですか」
「向こうで、男女がいちゃいちゃしてやがるのさ」
「……なるほど」
 軽く額に吹き出ていた汗を拭いながら、同じように、ラエルも氷を噛み砕いた。
「いいですね、これ」
「夏の海だからな」
「食べさせてみたいものです」
「誰に?」
「……内緒です」
「そうか」
 ……ぼりぼりぼり。
「この国は、良い所ですね」
「まあ、確かにな」
「僕の国は慌ただしいことこの上ないですから。それなのに……消し去ろうと思っている何者かがいる」
「…………」
「思ったんですが、脅迫状の内容にしては、警備が三人というのは、少々心もとないのでは?」
 ラエルの疑問に、ジョーカーはふっと笑みを浮かべ、
「お前さんも、貴族なんだったら、よく分かるだろう」
「……ええ、まあ……それはそうですが」
 本気で、そういった物事に対処していっては、とてもではないが国などやっていられない。
 まだ子供とは言え、そういう世界を目の当たりにしているラエルにしてみれば、そんな憶測は朝飯の前であった。
「でも……何て言いますか……その」
「その、なんだ?」
「直感みたいなものが、あるんですよ。今回の件は、決してそういった薄っぺらいものじゃないって」
「……へぇ。随分、大げさだな」
 素っ気無く応じながらも、ジョーカーは、ラエルの言っていることは正しいと感じていた。
 理由など無い。
 だが、こうした、何となくという言葉でしか片付けられない感覚が、幾度と無くジョーカーの身を守ったり、彼をして良い方向へと導いて来たのも事実なのであった。
 ……そして。
「……ラエル」
「何でしょう」
 ジョーカーは見張り台から飛び降り、海岸線を凝視した。
「氷買って来るのが遅かった、ってのも、直感か?」
「……ええ。何となくですけど、独自のコネを使って各所の警備兵たちに言っておきました」
「お前、可愛い顔してなかなか、良い貴族になれるぞ」
「そりゃそうでしょう」
 ラエルは、それでも背の高いジョーカーを、野心に満ちた瞳で見上げ、
「僕は、ある国の宰相になる男なんですから」
「そうか」
「じゃあ、その未来の宰相は、別荘の方に避難の旨を伝えてきます――戦えませんからね」
「助かるぜ――」
 ラエルが、別荘の方へと駆けて行くのを確認し、ジョーカーはまた、海の方に視線を戻した。
 普通に肉眼で、波の形間、わずかに胎動する何者かの存在を認めることが出来ていた。
 ……でかいな。
 一瞬、この国で使役される道具としてのゴーレムの類を連想したが、その割には、水面を通して見える表面が美しすぎる――と思い、その考えは捨てた。
 珊瑚のようなきらめきを、その大きな気配は放っていた。
 どうやって、相手になってやるか――残りの二人も、気付いたようだな。
 必要あらば……左の耳たぶに、軽く指を這わす。
 その先で、金色のカフスが、鈍く妖しい光を陽に反射させた。
 ……そして。
「ショー・タイムと洒落込むかよ」
 ジョーカーが身構えると同時に、海面が、大きく二つに裂け――
 そいつが、水しぶきを巻き散らしながら、現れた。

  GIOOOOOOOOOOONNNN!

 紙飛行機を連想させる、翼のようなものをを広げた上体に、多関節から成る四本足が、海中まで伸びきっている。
 外皮――と言うよりも装甲と言った方が良いだろう――は、光沢のある金属のようなもので固められており、その表面には、虹の原色を思わせる光の粒子が乱舞していた。
 誰が見ても、この世界に相応しくない物体であった。
 先端から、相当に細長い、槍のようなものが付き出していた。
 その、張り巡らされた毛細血管を想起させる装飾面においては、本体以上に小さな光条が明滅を繰り返している。
 ジョーカーの勘は反応していた。
 それが、なんらかの砲身であり、其が指している方向は――ソーンのシンボル、城の天守閣!
 砲身の表面を行き来する粒子の動きが、前方へと集中、加速していく。
 ジョーカーの勘は警告していた。
 あれの向きを変えろ! 出来なければ、避けろ!
 ……なのに。
「そんな……何が……」
 彼は放心の真っ只中にいた。

  GYRYYYYYYYYY!

 鉄の異形が、身を軋ませるように、狂おしく吠えた。
 銃身の先、突端に、有形の波紋が収縮したその瞬間。
「勢ッ!」
 その砲身に対して、下部から突き上げる強烈な力が発生していた。
 数瞬遅れ、ぶぅん、と、異形はその身を震わせ。

 ――発生した光の柱は、城の天守を僅かに逸れながらも、夏の雲間を……晴れやかに広がっていた天の器を一瞬で穿ち、そして彼方へと消えて行った。

「間にあったか――むッ!」
 ラモンが安堵する間も無かった。
 異形の前足が、彼の身体を叩き突けようと、擦り足のように迫ってきたからである。
 ……細い。
 ラモンの行動は迅かった。
「騰ァッ!」
 下段から振り上げていた太刀を、そのまま袈裟切りに大きく返し――大きな火花が、一つ飛んだ。
 即座に間合いを取るべく、海岸の方へと飛びずさり……中段に構え直した。
 相手の足の動きはそのまま、海岸へと上がろうと思っているのか、四本足が水を掻き分けて前に進み始めていた。
「むぅっ……」
 ラモンは唸った。
 相手の装甲の硬さに、そしてそれと反比例するような柔らかさの存在に。
 打ち衝けると、硬さが反発すると同時に、弾性のような柔らかさが、切っ先を受け流していくのである。
 普通の鉄ではない――銃身を下部から斬り崩し、砲の向きを逸らした時点でそう思いはしたが、二度の交錯によって、それは確信へと即座に変わった。
「ならば!」
 そんなラモンの思惟を察したか、ムカデが這うかのように高速で海岸を旋回し、異形へと飛びかかる美影が一つ。
 両の手に逆手で握った蛮刀を携え、砲身の上に飛び乗ったかと思えば、そこから一気に本体へと間合いを詰めていく――ジル・ハウ!
 銃身と本体を繋ぐ部分。
 そこに、ジルの神経は集中していた。
 ラモンの先行と呼吸を合わせ、彼の引きを補うような形で飛び込み、あわよくば一撃入れる。
 完璧だった。
 ……彼女がもう少し、物事に対して無頓着であれば。
 遠間からでは見えなかった結合部分。
 そこは、奇妙な意匠が施されていた。
 まるで、人間の女が、胸元から突き出した銃身を抱きしめているような――その、女の上半身のような金属の表面。
 その、瞳の部分が、ギロ、と動いた。

 ……何ッ――!?

 そう思った時には、既に刀を突き出していた。
 反発もされなければ、受け流しもされないはずの、一点に込められた必殺の突きは――しかし集中の乱れに貫通を妨げられることとなった。
 しまった、とジルが思ったその刹那。
 彼女の身体全体を、大きな衝撃が貫いていた。
 感覚はよく知っていた――雷撃をもらってしまった時の痺れ。
 だが、経験を遥かに超えるような帯電に、ジルの意識は一瞬で飛んだ。
 蛮刀をその手に握ったまま、バランスを失い、そのまま水中へと没していく。
「ジルっ!」
 目に見えてしまうほどの電撃帯に包まれた彼女に、しかしラモンはその水面まで近づけなかった。
「くっ……!」
 相手が帯電している以上、その水面に入ることも非常に危険であるためだ――しかも、その水は、電撃をよく通す塩水なのである。
 歯軋りしながらも、彼の頭が冷静に善後の行動を一瞬で練らんと顔を上げた……その時だった。

 微動だにしていなかった青年の姿が、いつの間にか、すっと彼の前に現れていた。

 その背中に、ラモンは鬼気迫るようなものを感じ、
「……奴を頼む」
 そう言い、側面から異形へとまわり込んだ。
 既に、相手の前足は、海岸へと乗り出している。
 距離感が整えば、いつでもジルを助け出す用意だった。


「なんとっ……!?」
 多くの兵を引き連れたラエルが目にしたのは、鉄の異形――そして、その前に巻き起こっていた砂嵐。
 烈風の中心に、ジョーカーがいた……だが、その姿は、先程までラエルが見ていた彼とは全く違っていた。
 砂塵の中で、左腕が大きく上げられる。
 その掌から飛び出した、小さな輝き。かざされていたラエルの手に、そのアプローチがすっと収まる。
「金の、カフス……」
 その装飾品が、ジョーカーの身に付けていたものであると理解、ラエルは顔を上げた。

 ――変容が始まっていた。

  ぎぃぃぃぃぃぃ……
  るふぅぅぅぅぅぅ……

 その、笛の音のようなおたけびを。

  SYAAAAAAAAAAAッ!

 ラモンは。
 ラエルは。
 気高く、美しいと思った。
 しなやかな四肢。漆黒の毛並み。
 鋭い鉤爪。大きく、唇からせり出した牙。
 漂う野性の本性と獣臭、そして、それらが生み出すある種の気品に、そこにいた誰もが心を奪われた。
 今のジョーカーを表す言葉は、この世に一つしかないだろう。
 ……黒豹。

  ……HYUNNNNNNNNN

 横に突き出された両腕。
 その肘部分から、鋭い擦過音がすると同時に、鋭利な曲刃が飛び出していた。
 そのまま、腕を、頭の上で交差する。
 太陽の逆光に、ブレードのシルエットが美麗に映る。
 だが、そこには、明らかな殺気も漂っている――
 異形は異形を知る。
 また、銃身の先端に、波紋が生じた――その瞬間、全ては決まった。

  AOUUUUUUUUUUU!

 悲哀を含んだような雄叫びが木霊した。
 光速で振り下ろされたつがいのブレードは、真空の刃を生み出し――
 不可視の波形は、原子レベルで未知の装甲を四つに断ち割っていた。
 その余波が、海岸の砂を、波打ち際の土を、そして海すらも二つに切り裂いて行く。
 数拍おいて、鉄塊と化した異形は豪音を立てて崩れ落ち……ついには、炎に包まれたのであった。



「はっ!」
 がば、と跳ね起きたジルが周囲を見渡すと、そこは見覚えのある部屋――警備の間だけ借りている別荘の一室であった。
 そして――ラモンの姿も。
 いつも見なれた彼のたたずまいに、ジルはほっとしたものを感じた。
「どうやら、大丈夫のようだな……目に見えるほどの電撃だったから、命の危険もあった」
「あんたの話し筋から思うに、あいつは何とかなったようね」
「ああ……それですぐに助けたが、たくさん水も飲んでいた……難儀したぞ」
 そう言って、ラモンは部屋のドアに手をかけた。
「どこ行くのさ」
「何か食べたいだろう? 二日間まるまる寝ていたからな」
 言われて、ジルは己の空腹感に、そして上半身、まったく何も着ていないのにも気付いた。
「お、おいラモン!」
「どうした?」
「難儀したって、誰がどうやって、あたしのこと蘇生したって――」
「俺が人工呼吸してに決まっているだろう。お前に習っていたしな」
 ……ばたん。
 閉じられたドアを凝視しながら、ジルは己の唇に指を当て――
「あんれ、まぁ!」
 人知れず、くくく、と笑った。



「あいつは、ただの、行きずりの女だったんだ……」
 ガルガンドの館。
 机の上に置かれた、異形の残骸から見つかったメッセージ・プレートを前に、ジョーカーは一人ごちた。
「あいつ……その女性と、この、鉄の化け物から出てきた古代文字と、何か関係が?」
「……そこに、訳してもらったメモがあるだろう」
 言われ、ラエルはその羊皮紙に目を通した。



  感謝しています
  太古の呪縛はあまりにも強く
  わたしはそこから逃れることは出来ません
  次の段階が目覚めれば
  わたしは未来の世に破滅を呼ぶための機械として
  その身を封じなければならなかったのです
  だからこそ
  あなたと過ごした一週間はかけがえの無いものでした
  あなたにしてみれば気まぐれだったのでしょうが
  それでも
  こうしてわたしが死んだということは
  あなたはわたしとの約束を守ってくれたのですね

  もしかしたら
  これを見ている人は
  わたしの考えているその人ではないのかもしれません
  それでも言わせて頂いてもよろしいでしょうか

  ジェイ
  あなたのこと
  大好きでした

                   フレイ


「黒山羊亭で出逢って……不思議と気があって、関係だって持った」
「その彼女が……あの、鉄の化け物に関係した何かだった、ということですか」
「何かどころか、それそのものだったんだ。もういいだろう」
 確かに、これ以上、ジョーカーにこの件に対して聞くのは野暮というものだろう。
 それでも、ラエルは、もう一言だけ聞いた。
「この彼女は、幸せだったと思いますか?」
「……そう思いたい」
 吹けば飛ぶような、かすれた声だった。


 あのインパクトの瞬間。
 俺が、真空波を放った瞬間。
 彼女は、確かに、微笑んでいたのだから――


                   Mission Completed.



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / クラス】

【0694/クレイ=ワン=ジョーカー/男/20/何でも屋】
【0848/ラエル・シュトラウス  /男/10/貴族】
【1964/ジル・ハウ       /女/32/冒険者】
【4062/ラモン・ゲンスイ    /男/34/冒険者】

(整理番号順に列記)

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■         ライター通信          ■
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どうも始めまして。
鳴らずモノ入りの新人ライター、Obabaと申します。

正直、なんだか窓口が廃れていたので(苦笑)、
誰か参加するのだろうかと忘れた頃に同時発注を授かりました。
機会を与えてくださった、各プレイヤーの皆様に感謝感激であります。

プレイングはおおむね反映できているでしょうか。
相当なアレンジを各面で施してしまいましたが、
色々と感想批評頂ければこれ幸いです。

……最後に、ぎりぎりになってすいませんでした。
ちなみに東京怪談の方でも、今回の話のような、
およそ無茶な展開でガンガン書いております。

まとめるよりも、気の効いたことを思い浮かべるのが大変ですね(汗)。

それでは、機会があれば、またお逢いしましょう。