<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


街案内嬉遊物語

「――そういうわけでして、今後ともお世話になりますわ。宜しくお願い致しますわね」
「はぁ……」
 突如として、やわらかく賑わう夜の酒場に入ってきたのは、エスメラルダの見たことの無い顔だった。
 どこか、近くの教会に住む神父を思わせる服装をした女性が、ふんわりと暖かく、眼鏡越しにエスメラルダに向かって微笑を浮かべてい る。
 ……彼女はどう見ても、冒険者という風には見えず、しかも――
「この街は良い所なんですのね。えぇと、確か、腕の立つ冒険者さん達も沢山来るそうで」
 あいまいなエスメラルダの返事を、大して気に留めることも無く、黒髪をかき上げげる女性の姿に。
 彼女から受け取ったばかりの紙と、その服装とを交互に見比べながら、エスメラルダは、ふとある事を思わざるを得なかった。
 ――最近、聖職者絡みの事が増えたような気がする……。
 全く一体、最近宗教って流行なのかしらね。
「それで早速、今回はご挨拶と、依頼を受けて下さる方を探しに来たんでしてよ。何がって、まだこの街に慣れてませんから……ちょっと 、案内をしていただきたいんですの」
 エスメラルダの手元にある紙には、新しい教会≠ノついてと、そこに赴任することになった新しい牧師≠ノついて、丁寧な文体で書 かれていた。
 ――無論新しい牧師とは、目の前にいる、彼女自身の事。
 知的な雰囲気と共に、
「面白い所も、さぞ沢山あることなんでしょう。ここは広すぎて、1人じゃあ上手く見て回れませんしね」
 軽く眼鏡を直しながら言う彼女の事を見つめながら。
 しかし。
 ――あぁ、でもなぁ……。
 また1癖、2癖ありそうな人がやって来たもんだと、エスメラルダは内心、そっと溜息をついていた――。



† 序章 †

 ……何たって道案内よ、道案内。こんなマヌケな依頼、そーとー暇な人じゃないと受けてくれないわよねぇ……。
 エスメラルダは、仕方ない、と内心呟きながら、ゆっくりと立ち上がる。
「――で、聞いてたんでしょ?特に3番テーブルの辺りの人達とか」
「や、やだなぁ、エスメラルダちゃん、何のことかなぁ〜♪」
 あからさまに聞いていました、と力説するかのような様子の3番テーブルの馴染みの客にちゃちゃを入れ、エスメラルダは周囲をぐるりと一望する。
 やっぱりいないって。観光案内だなんて――。
 この牧師の声量から考えるにして、この店に事の成り行きを見ていなかった人は、いなかったはずだ。
 それでも誰も、名乗りをあげない、ということは――……
「あの、牧師様」
「はい、なんですの?誰かいらっしゃりました?私にお付き合いしてくれる方」
 いや、それがいなかったんですけど……。
 だが、エスメラルダがそう続けようとした、その瞬間であった。
「――あの、」
 店の角から、凛とした声が響き渡る。
 2人が慌てて視線を送ったその先には――1人の女性が立っていた。
 年の頃なら20代前半ほどだろうか。夜の灯りの中でも良くわかるほどに白い肌を、けれどもどこか、民族的な衣装で包みこませたその女性が、ゆっくりと、2人の方へと歩み寄って来るのが見て取れた。
 緑の瞳が、ひどく印象的な、そんな女性。
 彼女は思わず、黙り込んでしまった2人に小さく微笑みかけると、
「わたくし、クナン・ランゲレと申す者でございます。もし良かったら、ご一緒に――」
 うしろに大きく編まれた黒いみつあみが、ゆらりゆらりと振れていた。



† 第1章 †

「ちょっと疲れましたわね。一休みしませんこと?」
 天使の広場の人ごみに、いよいよ2人の疲れが、限界に近づき始めたその頃。
 人通りの少ないベンチの前で、牧師がふぅと1つ、大きく息をついた。
 ――あれから、一夜が明けた翌日の真昼。
 2人は、あの時黒山羊亭で出会った時の約束で、一緒に街を見てまわる事となっていた。
「全く、街ってコレが嫌ですわね。人が沢山……私、田舎育ちですから、あんまり慣れていないんですのよ。歩きづらいし、煩いし……」
「まぁ、それが街っていうものですもの。わたくしもこの街に来たばかりの頃は……少し、驚いてしまいましたしね」
 エルザード城からアルマ通りへと下り、その後、天使の広場を一通り見回し。2人はこれから、ベルファ通りへと向かうつもりでいた。
 その途中の、小さな休憩所。
「に、しても、平日だっていうのに随分と活気付いてるし……あ、どうぞ」
「すみません」
 懐から引っ張り出したハンカチで軽くベンチをほろうと、マリーヤはクナンに席を勧め、その隣に自分もふぅと腰を下ろす。
 思わず観光に夢中になってしまい、そう言えば昼食を入れるのも忘れていたような気がする。
 疲れた体の体重をベンチに預けながら、マリーヤはふと、そんなことを考えていた。
「……マリーヤさんは、いつこちらにいらしたのですか?」
「つい一昨日くらいかしら。教会が出来上がったのが、つい5日ほど前でしたから……」
「本当に来て間もないんですね」
「ええ。実は今日まで、ベルファ通り以外行った事がありませんでしたの。お城の方も始めて見ましたのよ……大きくて驚いてしまいましたわ」
 春の気配の混じり始めた空を仰ぎ、マリーヤはふ、と、小さく微笑んでいた。
 そのままクナンの方を見やり、一言突然、ありがとう、という呟きを洩らす。
「午後からも宜しくお願いいたしますわね。久しぶりに、楽しくて」
 そう、ここに来るまではあまり外に出て歩かなかったから――
「まずはここで休んでから、お食事にしませんこと?黒山羊亭は……まだ閉まっているでしょうから、どこか、別の所で」
「そうですね。わたくしも良いお店を知らないけれど……探して、みましょうか」
 そういえばお腹も空いているものね、と、クナンは小さく呟きを付け足した。
 マリーヤが頷き、2人はそのまま微笑みあう。
 一方マリーヤは、もう1度懐に手を入れると、今度は何やら、そこから小さな袋を取り出していた。
「何ですか?それは」
「クッキーですのよ。昨日近くの店で買っておきましたの。食べそびれてしまって」
 紐を解きながら、マリーヤはクナンに向かって微笑んだ。
 やがてふ、と、クナンの手にも1枚のクッキーが手渡される。
 ――甘い香りに、食欲をそそられ。
 クナンは牧師に礼を言い、思わず息を細く吐いた。
 と――その、一方で。
「天にまします我らが父よ……」
 ふ、と。
 隣から、流れてくる言葉があった。
 クッキーを膝の上に、手を組み、瞳を閉ざして。
 そうして捧げ≠轤黷驕A言葉。
 ――神へと告げる、祈りの、言葉だった。
 そういえばこの人、牧師だものね……。
 随分と真面目に言葉を続ける牧師を横目で見ながら、クナンはクッキーの端を軽く噛んだ。
 口の中に広がる、香ばしい香り、甘い味。
 だが、その甘さに反して、心の中に、広がるのは。
 小さな小さな、不信感であった。
 ――訳あって、この種の祈り文句を聞くのが、苦痛でしかないクナンにとっては。
 例え隣の牧師に悪気が無くとも、どうしてもそれが、苦しく思えてしまう。
 知らず知らずのうちに曇りゆく、クナンのその表情。
 彼女はいつの間にか、ふわり、と、まるで羽が降り立つかのように、思い出されようとした過去≠、頭の中から追い出そうと、必死になっていた。
 神≠ヨ対する、祈り≠フ言葉。
 何気ない一言でしかないのだと、懸命に自分に言い聞かせながら――
 
 

† 第2章 †

「……さってと……あら、クナンさん?」
 食前の祈りを終え、満足そうに1つ頷いた牧師が、ふ、と、クナンの表情に視線を止めていた。
 突如として俯いてしまった女性の姿に、疑問はすぐに、募ってしまう。
「もしかして、美味しくありませんでした?クッキー」
「いえ、そんなことは」
「……悩み事ですの?」
「……いえ」
 食べかけのクッキーを目の前に、言葉を失いかけていたクナンが、静かに首を振る。
 ……その思いを、追い払おうと必死になっても。
 クナンはどうしても、それができずにいた。
 そう、悩み事などではないはずだ。これは。
 悩み事。
 悩み事よりも、もっと、もっと――
「相談事なら、お気軽になさって下さいね?」
 それは、ふとした切欠で、いつでも鮮明に、蘇る……
 過去の、記憶。
「私は、これでも牧師ですから」
 過去の、忌まわしい――
「聖書にも書いてありますわ。神は誰でも、救って下さります、と」
 ――神?
 牧師のふとした言葉の端々に、その瞬間、クナンの指先がぴくりと、振れた。
 心の中に。
 声≠ェ、聞こえてくる。
 ――主の、御名において――
 ……やめて。
 ふわり、ふわりと、ゆっくりと。
 クナンの中に、過去の幻影が降り積もる。
「主の愛は、」
 主の愛は、どんな汚れた魂でも救って下さる――!
 ……お願い、
「無限ですから。いつでも私達を――」
「もうやめて下さいっ!」
 ……何気なく続けられていた、牧師のその、言葉を制止して。
 気がつけば悲鳴のような声が、辺りの空気を切り裂いていた。
 やわらかな声音で主について語り始めていた牧師も、慌ててクナンの言葉に視線を移さざるを得なかった。
 あまりにも突然の事に、何が何だかわからなくなっている牧師の目の前には。
 耳を塞ぐようにして、首を横に振るクナンの姿があった。
「本当に神様を信じる事で救われるのなら、あなたはわたくしを救えるのですか?」
「……クナンさん――?」
「主の愛、神の愛!そんな奇麗事の前に、わたくしは――!」
 そう、それはただの言い訳だ。
 言い訳にしか過ぎない言葉だった。
 頭の中に、男の声が、蘇る。
 主の愛は無限だと。
 そんな事を語り、泣き叫ぶ自分に近づく、男の声が蘇る。
 ……全身の傷が、痛み始めるかのようだった。
「ち、ちょっと、何を――!」
「これを見てどう思われます?!」
 突如として服のボタンに手をかけた女性に、慌てた牧師の声が。
 だが。
 刹那、息を呑む音へと、変わる。
 ――白い、女性のその肌に。
「――?!」
 幾つも刻まれた、傷跡があった。
 それは――もしかして……!
「あなた、もしかして――?!」
「ええ、その通りよ」
 途切れる言葉を必死に紡ぎ出す牧師に向かって、きっとした視線を向ける。
 いつになく強い口調で、クナンは語る。
 まるで、頭の中に過ぎる、過去を打ち消そうとするかのように。
「わたくしは――あなた方のそんな言葉の下(もと)に――拷問に遭い、家族も殺された――!」
 そう、確かにそれまでは、夫が居て、大好きな人達が沢山居て、そんな空間で、幸せな生活を送っていたのだ。
 しかし、あの時。
 ――お前は魔女だと。
「わたくし自身も拷問を受けて……魔女だと自白させられた!魔女裁判のとばっちり――いいえ、それを上手く利用されたのよ!あいつは……あの人の……財産が目当てだったに決まってる!」
 やり手の商人だった夫の財産に目を付けた審問官に、謂れの無い冤罪を突きつけられた、その日から。
 全ては簡単に、崩れ落ちて行ってしまった。
 はらり、はらりと。
 いとも簡単に、崩れ落ちていったのよ――!
「あなたの神様≠ェそんなに素晴らしいのなら、解決してみて下さい。……できもしない奇麗事並べて、いいえ、並べるだけじゃない。そんな奇麗事を利用して……っ!夫は死んだわ。わたくしも死にかけた!一体わたくしが、何をしたと言うのです?!」
「それ、は……」
 牧師にも、今の話だけで彼女がどのような目にあってきたか、十分にわかる事はできた。
 魔女裁判。
 確かに彼女が、牧師としての道を歩む上でも、何度と無く聞いてきた言葉だ。
 神の御名の下(もと)に、と。
 沢山の、罪の謂れの無い人々が、拷問によって殺されていった、歴史の――否、新教、旧教共の、大きな汚点の1つでもあった。
 だが、そんなものは、とっくに終わってしまっていたものだとばかり思っていた牧師にとって。
 目の前の女性の姿こそが、自分を驚かせるのには十分なものであった。
 ……マリーヤの、何とも言えない視線に何を感じたのか、クナンがふ、と、自嘲の言葉を洩らす。
「さぁ、あなたはどうするおつもりなのですか……わたくしを異端審問でもかけてみますか?」
「い、たん、審問……?」
 突如として出てきたあまり聞きなれない言葉に、牧師の戸惑いはさらなるものとなる。
 ……確かに。
 全くその言葉を、聞いた事が無いわけでは、なかった。
 だが、
「今の時代、そんなもの……!」
「それじゃあ!じゃあわたくしのこの傷はっ……あなたは、どう説明するんですかっ?!時代も場所も!そんなものは決して、言い訳には――っ!」
 ならないのよ――!
 だが、そう続けようとした、その瞬間。
 クナンはふと、言葉を止めてしまう。
 時代も、場所も。
 今確かに、自分は目の前の牧師に向けて、そう言ったはずだった。
 だが。
 なぜわたくしは今、こんな場所で、この人にこんな事を――。
 その言葉が、別の意味で、自分の心に疑問を投げかけていた。
 ……なぜ。
 なぜ今、わたくしは――こんな、場所(ところ)で……。
 黙りこんだ牧師の横で、ゆっくりと。クナンは1つ、細く、細く息を吐く。
 ゆっくりと。
 興奮していた頭が、冷え始めていた。
 なす術も無くクナンを見つめている牧師の視線に、今度は。
 今度は自分の方が――責められているような気分に、なってくる――。
 ……気がつけば。
「――ごめんなさい。こんな事を話して」
 気がつけばクナンは、慌てた様子で立ち上がっていた。
 そのまま振り返る事も無く、女性はその場所を後にする。

 後にはただ。
 呆然と人ごみの奥を見詰める、牧師の姿が取り残されるのみであった――。



† 第3章 †

 ――月が、ひどく綺麗だった。
 飾り気の無い、質素な礼拝堂。
 旧教の聖堂からは考えられないその空間で、牧師は1人、ぽつりと窓を、見上げていた。
 昼間の騒動から、数時間。
 あの後、立ち去ったクナンの事を追いかける事もできずに、牧師は、そのまま教会へと戻ってきてしまっていた。
 その後は、ただ。
 なすべき事もなく、礼拝堂の中で、ぼっと時間を潰し――
「…………」
 昼間の事が、頭から離れないと。
 牧師はさらに、頭を悩ませる。
 ……知らなかったとはいえ、まさか、まさかこんなことになるだなんて……
 あの時。
 クナンが事を、語っている時の表情は……本当に、追い詰められた人のそれであった。
 それでも私は……何も、できなかった。
 なす術が、全くと言っていいほど存在しなかった。
 どうして良いのか、全くわからなかった。
 そう、私は何も、何もできなくて……。
 だが、さらに牧師が、溜息をつこうとした――その瞬間の事だった。
 声が――聞えて、きた。
 聞きなれない、男の、声が。
「どうもっ、こんばんは。この近くの旧教教会に勤めます、サルバーレと申します。マリーヤ先生はいらっしゃりますか〜?」
 ――ぱたんっ、と、音をたて、小さな扉が開かれた。
 礼拝用の椅子に腰掛けていた牧師は、ふ、と、そちらの方を振り返る。
 そこには、1人の神父の姿があった。
「……あなたがマリーヤ先生ですか?お初にお目にかかります。今日はご挨拶に――」
「神父……あなた今、神父っておっしゃりましたわよね?」
「え、あ、はい、一応、司祭ですけれど――」
 花束を抱え、にっこりと微笑む初対面の神父に、だが牧師は、つかつかと挨拶も無しに歩み寄る。
 ……もう、他にこの感情のやり場を、見つけることが、できなかった。
 背の高い神父を、花束越しに見上げ、
「あなた、勿論ご存知ですわよね?旧教と新教、この地域ではなくとも、魔女裁判、なんてふざけた事をやっていましたの」
「ええ、まぁ……お話には、伺っておりますが」
 その、私、司祭ですから……と付け加える男の話を最後まで聞く事は無く、マリーヤは急かすかのように、言葉を続ける。
 ……彼女は言った。
 ならば解決してください、と。
 本当に神様を信じる事で救われるのなら、あなたはわたくしを救えるのですか?と。
「私は――」
 私が悪いわけじゃあないんだから、どうしろこうしろと言われたって困るのよ……!
 だが、いくらそう、自分の心に言い聞かせてみても。
 先ほどのクナンの言葉が、どうしても心に引っかかって、ならなかった。
 マリーヤは知らぬ間に、強く、強く自分の手を握ってしまう。
 ……正直、どうすれば良いのか、自分でもわからなかった。
 俯き、床をじっと見つめてみても、答えが出てくるはずなど、あるわけが無いのに――
「マリーヤ先生」
 神父は黙り込んでしまったマリーヤに、そっと、持ってきていた花束を渡した。
 彼女のその様子に、一体、何を悟ったのか、
「これは、赴任祝いです。受け取っておいて下さいね」
 暖かく、微笑みかける。
 マリーヤがそっと、顔を上げた。
「――確かに、過去に私達の宗教は、同じような罪を犯してきましたけれども……大事なのは、ただ過去を悔やむ事ではなく、それをどうしていくか、です。もう起こってしまったことは変えようがありません――これは確かに、逃げの言葉かもしれませんよ。かもしれませんけれど。……もしそれを今に役立てる事ができなければ、全く無意味になってしまうんです」
 ……その時。
 背の高い神父の後ろで、かたんっ、と、扉の開いた音がしたのを、牧師は確かに聞いていたような気がした。
 ゆっくり、ゆっくりと。
 もう1つの気配が、遠慮気に近づいてくる。
「だから、今の世代で、できる事をしましょう?私達が受け継いできたのは、教理だけでなくて……残念な事に、先代の犯してきた罪も引き継いできているんです。この世で絶対なものだなんて、地上には無いんですから。――確かに、許される事は許す事なんかよりも、ずっと、難しいですけど――ね」
 でも――と、だが神父は、物言いた気に言葉を濁すのみだった。
 ぽんっ、と軽く、マリーヤの肩に手を置き、いつの間にか、横に現れていた女性に簡単な挨拶を述べる。
 そのまま彼は踵を返し、ゆっくりと、扉の向こうへと姿を消していった。

 ――そうして。
 2人の間には、妙な沈黙が、取り残されるのみであった。



† 終章 †

「「――あの、」」
 向かい合っていた2人は、ほぼ同時に声をあげた。
 気まずそうに俯くクナンと、何と言葉をかければ良いのか、言葉を失うマリーヤ。
 だが、
「あの、昼間はその……ごめんなさい……」
 小さな声で話を始めたのは、クナンの方であった。
 俯き、どこか気恥ずかし気に、自分の三つあみの髪を弄る彼女のその姿に、
「い、え……私の方こそ、何も知らずに――」
 気丈な牧師としては珍しく、素直に1つ、謝罪する。
 ――彼女はあれから、少しだけ、考えていた。
 確かに、そういう過去も、あったかも知れない。神様、という存在は完全なるものであれども、信仰するのは人間だ。信仰には確かに、間違えがあったかもしれない。
 かといって、私が何かをできる、そういうわけじゃあ、ないけれど――
「……まずはその、」
 ――牧師とは、人の生きるべき道の、手本となる生き方を人に示そうとしなくてはならない。
 それは、自分の先生に、良く言い聞かされてきた言葉だった。
 そう、それは、宗教的な意味だけではなく――その、外の世界でも。
 そういう意味を、孕んだ言葉でもあった。
 だから、私は――。
 マリーヤは1つ、大きく息を吸い込んだ。
 ゆっくり、ゆっくりと。
 心を、落ち着けて。
「お、お友達じゃあ駄目ですの?その、私には何もできませんけれど、いつまでもぎすぎすした人間関係って、あまり楽しいものではありませんでしてよ。ですから、その……ね、」
 一気にまくし立てる彼女に、思わずクナンは、ぽかんとした表情を浮かべてしまっていた。
 だが、
 ――何を言い出すかと思ったら、突然……。
「……あなたって……」
 でも、
「面白い人なのね」
「――はい?」
 悪くは……無いかも知れないわね。
 くすくすと、思わずこらえきれずにクナンは笑い出してしまう。
 零れ落ちる微笑を、抑える事も、できぬままに、
「あなたってやっぱり変な人だわ。だってわたくし、今まであなたみたいな聖職者に会った事ありませんもの」
「良く言われる……」
 だが、ぽつり、と、小さく呟かれた牧師の言葉は、クナンには全く聞えてはいなかった。
 彼女は突然、するりするりと、自分の着ていた服を何枚か解き始める。
 ……はさり、と1枚。
 音をたてて、上着が脱げ落ちた。
 その下から、姿を現したのは――
「それ、は……、舞の、衣装?」
 真っ白な、布に包まれた、女性。
 しかし、所々に覗くその美しい肌には、彼女の過去の――忌まわしい傷跡が、今でもしっかりと刻み込まれていた。
 さながらそれは、魔女≠フ烙印の如くに。
「つまらないものだけど……」
 けれども純白のその布が、そうではないと、それを否定するかのように。
 唯一事実を、述べているかのようだった。
 マリーヤは思わず、息を呑む。
 これが、クナンさんの――……。
 消えてしまった傷跡も含めれば、いいや、その心の傷も含めれば。
 数えるのも馬鹿らしくなるほど、紅く刻まれた印。
 思わずその身体に見入るマリーヤに、クナンは小さく、微笑んで見せた。
「昼間の、お詫びです」
 たんっ、と彼女が、床を踏む。
 ひらり、ひらりとリボンのように、白い布を舞わせながら。
 彼女は踊る。ゆっくりと。
 時に静かに、時に機敏に。
 まるで今、この場所に。
 踊りを指揮する、音楽が流れているかのように――。
 マリーヤはいつしか、その舞に意識の全てを奪われてゆく。
 幾つも幾つも重ねられた、その傷跡が。
 ――けれどもどこか、怪し気な艶かしさを漂わせ。
 マリーヤの心を、酷く魅了していった。

 どこか寂しげな微笑を浮かべるクナンの表情が、妙に、印象的だった。
 光の届かぬ月の下(もと)、夜の宴は、密やかに続く。
 今だけは、神の宿りし教会を。
 魔女≠フ踊る、ダンスフロアとさせながら――


Finis



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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クナン・ランゲレ
(整理番号:0690、性別:女、年齢:25歳、クラス:魔女)



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■         ライター通信          ■
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 ※このお話に出てくる旧教、新教は、現代のキリスト教とは異なるものであり、宗教的見解も海月個人のものでありますことをご了承下さいませ。

 まず初めに、お疲れ様でございました。
 今晩は、今宵はいかがお過ごしになっていますでしょうか。この度お話の方を書かせていただきました、里奈と申す者でございます。
 この度は初のご参加、本当にありがとうございました。まずはこの場を借りまして、深くお礼を申し上げます。又、同時に、今回は字数が規定よりも、かなりオーバーしてしまいましたことを、この場を借りて、お詫び申し上げたいと思います。
 突然ですが、当初この依頼文書を出した時は、9割方ギャグになるだろうな、と推測しておりましたので、意外なプレイングにとても吃驚してしまいました。多分ソーンでこんなにも真面目なお話を書かせて頂きましたのは、今回が初めてだと思います。
 実は、個人的にも魔女裁判ですとか魔女ですとか、それに対する宗教のあり方などに非常に興味がありまして、クナンさんの設定、見ていてとても、色々と考えさせていただきました。魔女という言葉には、2つの音≠ェあると思うんです。1つは、某作品にも出てくるような、良い意味での魔女という音。もう1つは、魔女狩りに代表される、汚名としての魔女という音。クナンさんは自虐的に魔女、と名乗っているそうですが、いつの日か、そうしなくとも生きていける日が来てほしいなと、そう思っています。ウチの気丈な牧師をあそこまで追い詰めるほど、思い悩んでいらっしゃるようですので……。
 では、短いですが、乱文にて失礼致します。今回は本当に、ありがとうございました。
 またいつか、どこかでお会いできます事を願いつつ――。

7 marzo 2003
Lina Umizuki