<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


根性無き遁走曲(フーガ)

 カラン、コロンっ――
「えっと……あ、」
 聞きなれた、ベルの音。
 ルディアはいつものようにトレーを抱え、微笑みと共に振り返――ったのだが、そこに立つ女性の姿に、一瞬沈黙してしまった。
 だが、慌ててすぐに気を取り直すと、
「いらっしゃいませこんにちはっ!お席は開いておりますから――」
「……暇な人は居ませんか?」
「……はぁ?」
「注文。暇な人は、いらっしゃらないんですか?」
 突然、ルディアに向かってぴしゃりと言い放った女性にとって、この店への来店は、はじめてであった。いや、そもそも彼女には、当初ここへ来る気など、さらさら無かったらしい。全く持って場にそぐわしくない服装が、いつも駆け込んで来る神父の姿を髣髴とさせる。
 勿論先ほど、ドアベルの音にルディアが驚いたのには、きちんとした、理由(わけ)があった。
 ――その女性の、服装。
「し――司教閣下――?!」
 一見すれば、女性が身に纏っているのはただの僧衣(カソック)でしかなかった。が、しかし、その腰に締められている帯は、赤紫色の帯――その地位を指す、明確な証拠であった。
 誰かが思わず呟いた言葉に、女性は小さく、そちらに向かって微笑んで見せる。
 黙りこんだルディアを後ろに、そのままぐるりと店内を一望し――そうして彼女はついに、凛とした態度で言い放った。
「私、もう今回は痺れを切らしましたの――あの根性無し神父を、今回こそどうにかしなくちゃあならないのよっ!」
 ……店内に一瞬、なぜか強い同意の雰囲気が、流れては、消えていったような気がした。



† プレリュード †

 あーあ、そんな怖いんじゃあ誰も依頼なんて受けてくれませんよ、司教様……。
 トレーを抱えるルディアは、思わず引きつり笑いで周囲を見回し、事態を心配してしまう。
 だが、彼女の心配に反して。
 ――司教の声言葉に反応した人物は、2人。
 ふ、と。
 司教の無言の威圧感も気にしないかのように、カウンターでジュースを飲んでいた女の子が、彼女に後ろから声をかけていた。
「……それって、あそこの教会の銀髪の神父さんの事ですよね?」
 自慢の長い金髪(ブロンド)を宙(そら)に靡かせ、たんっ、とリズム良く椅子から地に降り立ったのは、愛らしい少女であった。
 年の頃なら10代前半。金糸のような金髪の髪に、青い瞳の良く映えた、どこか雪の精を思わせる、そんな彼女に見上げられ、
「えぇ、まぁ……そうですけれど」
 司教はこくりと1つ、頷いて見せた。
 途端、やっぱり、という言葉と共に、少女はさらに笑みを深め、
「私、マリアローダと申します。是非お手伝いさせて下さい!前に神父様には、お世話になった事もありますし」
「――面白そうだし、俺も混ぜてもらおうかな」
 と、少女の言葉と殆ど同時に、今度は逆の方向から、もう1つ、声があがっていた。
 ふと見れば、立ち上がった青年が、司教達の方へと向かって、ゆっくりと、歩み寄ってくるのが見て取れた。
 見た目から推測するに、年齢は20代中半、といった所だろうか。長い銀髪のみつあみに、緑色の瞳が良く似合う、かなり整った容姿の青年。
 彼は、礼儀正しく司教と、マリィにも挨拶をすると、
「俺は、デュナンって言います。今回は――ご一緒させていただいて、宜しかったですか?」
 にっこりと微笑み、そう告げていた――。



† 第1楽章 †

 教会に付いた途端、同行していたマリィは、神父の元へと、駆け出してしまったようだったが。
 デュナンはその後、司教と色々と適当に打ち合わせをし、そうして結果、まずは神父の私生活拝見から始めることにしたようだった。
 今、神父は、マリィとのお話を終え、聖堂内で色々と仕事をしている。
 デュナンはのんびりと聖堂の椅子に腰掛け、そんな彼の事を、じっと見守っていた。
 ――そうしてそれから、幾ばかりかの時間が過ぎ去り。
 その間ずっと、何から始めれば良いものか、と、神父の生活をじっくりと観察しては来たものの――
 無論、この短い時間で、何かわかるはずもなく……。
 と、思いきや、の話であった。
「問題点その1、食生活が乱れ気味である。聖職者としてあるまじき――ピーマンを残すだなんてもっての他である。その2、本当に体力がなさ過ぎである。譜面台くらい息を切らさず運べるようにはなりたいものである。その3、体があまりにも硬すぎる。もうすこし柔軟にならないと、そのうちぽきっと折れてしまうのではないか――と――」
 神父の生活の特徴を書きとめようとすれば、いくらでも問題点を書きとめることができた。
 ――そう、問題点ばかりではあったが。
 聖堂の椅子に腰掛け、デュナンはメモ帳とペンを手に、神父の様子を目線だけで追う。
 あちこちを行き来しては、その度に何やらトラブルを引き起こしている彼を、注意深く見つめながら、
「ああああああああああああああああああああっ!!!!!!!!!ごごごごごごごごごごごごっ!!ごきぃぶぅりぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」
「その4、ゴキブリで一々大騒ぎする。聖堂で聖職者がやる行為にあらず――」
「こここここっ!!こっちには蜘蛛がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「――訂正、虫そのものに弱いらしい。どんな生き物でも命は大切に――っと」
 ごくごく冷静にメモを走らせるデュナンの前に、ついに神父が駆け込んできた。
 冗談抜きに青い顔で、先ほどいた辺りを震える指で指指しながら、
「あああああっ!!あ、あれっ!!どぉにかしてくださいっ!!私っ!私虫駄目なんですよぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
「――その5、他人よがりで本当に根性が無さそうである。どうやら司教様の言っている事は、まんざら間違えでもないらしい」
 ――と。
 こうして、デュナンの神父観察は続き。
 その結果。
「まずは、体力測定からやらなきゃ駄目かな――」
 いつの間にか、周囲をぐるりと、聖歌隊の子ども達に囲まれながら、デュナンは背もたれに体重を預け、溜息と共に、組んでいた腕を組み変えていた。
 彼は、知らぬ間に打ち解けてしまっていた子ども達と談笑しながらも、それでも、神父のドジを監視するのを忘れない。
 そうして、それからもしばらくの時間が過ぎ去り。
 今度はどったぁぁぁぁぁぁぁんっ!と、抱えた聖書を、盛大に落とした彼の姿に。
「体力測定に決定だな」
 1人こくこくと、縦に首を振るのであった。
 
 その後、早速体力測定を開始すべく、神父を呼び出したデュナンが、まず初めに彼に渡したのは、長い、長いロープであった。
「それじゃあ、まずは体力テストから始めようと思います」
「……で、もしかして縄跳びをやれって、そう仰るんですか?」
「よーい」
「ああああああああっ!!ちょっと!人の話聞いてるんですかっ!」
「どん」
「…………っ」
 ごく事務的な様子で床に屈みこんだデュナンによって開始の合図をおくられ、神父はやむを得ず縄を振っていた。
 戸惑いながらも、そうしてたんっ、と。
「いーち……」
 ぼっとし、適当に数を数えるデュナンの前で、彼はひょい、と、縄を、華麗に跳んで――
 ……跳んで、
 跳んで、
「あああっ!」
 ――見せるはずもなく。
 どたんっ!と、
 代わりに勢い良く、モザイク画の美しい床に向かってダイブしてみせた。
 ……どうやら、僧衣の裾に見事につんのめってしまったらしい。
「――縄跳び――」
 それでも冷静なまま、デュナンはどこからともなくメモ帳を取り出すと、さらりさらりと何かを書き綴る。
 目の前で鼻を潰し、ひたすら痛がっている神父もお構い無しに、
「0回っと」
「ひ、ひどいですよっ……!!」
「事実ですし」
「……嗚呼、主よっ……!!」
 縄を手に持ったままで、神父はひたすら神様に祈っていた。
 第一!
 第一私が、縄跳び、なんて器用な事ができるはずもないじゃないですか――!
「はい、それじゃあ次は、反復横とび30秒ですね」
「……まだやるんですか」
「体力測定ですから」
「もう疲れたんですけど、私……」
「聖歌隊の子が準備してくれてるんで、向こうの廊下でお願いします」
「いえあの、デュナンさん」
 すっくと立ち上がるなり、自分の手を引き立ち上がらせてくれたデュナンを見つめながら、思わず神父は問うてしまう。
 あの、
「あなた、私の話聞いてます――?」
「聞いてます。それじゃあ、向こうへ」
「……もぅ良いですよ……」
 あまりにもマイペースなデュナンの様子に、その場にのの字を書きたくなる衝動をこらえながら、神父はしゅん、として、俯いてしまうのであった。

 そうして神父の体力測定は続く。
 縄跳びを初めとし、反復横とび、立位体前屈、腕立て伏せ、閉眼片足立ち、肺活量……。
 だが。
「はい、これで終わりです」
「――っはぁっ!」
 肺活量を調べるために、顔を真っ赤にして息の全てを吐き出していた神父が大きく息を吸う横で、デュナンはメモ帳を読み返していた。
 ふと、おにーちゃん、おにーちゃん、と近づいてきた子ども達も、後ろからデュナンのメモ帳を覗き込む。
 そこに、驚愕の事実が書き込まれていることも、知らぬそのままに――。
 わぁ、と、子ども達が、感嘆の声をあげている。
 一方、デュナンは。
 そのメモ帳の内容に何を思ったのか、ゆっくりと、彼らの方を振り向いていた。
 そうして、一言。
 神父には聞えぬようにと、小さな声で、
「……なぁ、お願いがあるんだが――」



† 第2楽章 †

 デュナンと、もう1人、司教の依頼を一緒に受けていたマリアローダと、神父とが合流したのは、その後、しばらくしてからの事であった。
 ほっと一息付くデュナン。
 首を傾げるマリィ。
 そうしてもはや、息を切らしかけている神父と。
 ようやく聖堂の椅子に落ち着いた3人の中で、まず一番最初に沈黙を破ったのは、手元のメモ帳を読み上げる、デュナンの声であった。
「実施した体力測定の結果ですが……縄跳び0回、反復横とび30秒3点、立位体前屈マイナス23センチ、腕立て伏せ0回、閉眼片足立ちだけはなぜか快挙ですね。90秒超えたんで数えるのやめちゃいましたけど……まぁ、そういうことです」
「……最悪ですね、それ。もぅ問題外じゃないですか?」
 普段なれば絶対に言わないであろう台詞を、ふ、と、マリィに呟かさせてしまうほど、その結果は悲惨なものであった。
 デュナンは耳に小さく聞えた言葉に、ぴっ、と人差し指を1本立てながら、
「あ、でも、肺活量もかなりありましたよ。そこら辺は流石、声が大きいだけあると言いますか」
「さ、さすが神父様……長所が何と2つもあるじゃないですか!」
「あぁっ、マリィさんひどい……!」
 マリィの優しい微笑みに、しかし、神父は思わず泣き出してしまう。
 ――いや、確かにわかってはいたような気がする。
 前回初めてであった時から、この神父がどことなく情けなく、又、同時に根性の欠片も無い事には、何となく気が付いていたはずだった。
 けど……。
 もぅここまで来ると、人として間違ってるような気がするわね……。
「……どうします?デュナンさん。これじゃあ……」
 手も足も出ないような気がします……。
 視線だけで言葉の続きを語り、マリィは軽く、溜息を付け足す。
 だが、デュナンには、何か良い考えがあるらしい。
 彼は、神父に視線をやったまま、組んでいた腕を組みかえると、
「大丈夫だ。こんな神父にも、一応、適する体力トレーニングの方法がある」
「……いや、それはそれで問題があるような気がするんですけど……」
 訝るマリィに、しかしデュナンは冷静に、椅子の背から背中を離し、
「まぁ……多分大丈夫だろう。ということで、もう準備はしておいたんだ。マリィちゃん、向こうの扉を開けてきてくれ」
 デュナンの動きにあわせて、長椅子が小さくきしみの音をあげる。
 彼はそれなりに自信に満ちた声と共に、聖堂の扉を指差していた。
「はい?」
 だが、マリィは思わず、間の抜けた声をあげてしまう。
 今まで言われた言葉が、どうも頭の中で結びつかない――
「と、扉って、そこの扉ですか?」
「そう、玄関に通じるあの扉だ」
 デュナンはもう1度だけ言いなおすと、視線と言葉で再度マリィに指示を下す。
 ……どうやら彼には、本当に何か考えがあるらしかった。
 マリィは頭の中に疑問を幾つも抱えつつも、渋々ながらに扉の方へと向かい、そうして――
 かたんっ、と。
 彼女が丁寧に扉を開けた刹那。
 場違いに元気な声が、聖堂内にこだましていた。
「おそいよぉぉぉぉぉおにーさんっ!!まちくたびれたぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「そうよ〜〜〜〜〜〜〜〜すぐにでばんがくる、っていうからまってたのに〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
「……あ、あれ?いつの間にあなた達――って、きゃっ!」
 瞬間なだれ込んできた子ども達の姿の中に、マリィの姿が飲み込まれてゆく。
 無論、その子ども達は、神父も良く知った子ども達であった。
 聖歌隊の、隊員達。
 神父が事態もわからず呆然とする一方、デュナンは突然、すっくと椅子から立ち上がっていた。
 ……どうやら、上手くいきそうだな。
 デュナンは早速、先ほど集めたばかりの子ども達の姿に、軽く手を振ってみせる。
 すると元気に手を振り返す彼らの姿に、思わず、悪戯めいた微笑みを、浮かべながら、
「さぁ、はじめようか、皆。ほら神父様、立ってください」
「え?!ち、ちょっと、何が始まるんですっ?!」
『チューリップ体操』
「「…………!!!」」
 何が何だか全くわからず、絶句するマリィと神父の前で。
 デュナンと子ども達が、見事にその声をハモらせるのであった――。
 


† 第3楽章 †

 チューリップ体操。
 最近、エルザードの子ども達の間で大流行中の、新・子ども向け体操であった。
 ゆったりとしたリズムに、それほど体に負担にならない体操内容。
 ちなみに、その内容が故に、最近ではお年寄りの間でも流行り始めているらしい。
 デュナンはたまたま耳で覚えていた音楽を思い返し、さぁ、と1つ、声をあげた。
「それでは、チューリップ体操を始めたいと思います」
 言うデュナンの腕の中には、いつの間にか、大きなチェロが抱え込まれていた。
 ……まさか、このような場所で趣味(チェロ)が役立つとはな。
「はい、それじゃあ、まずは首の体操から〜」
「って、そのチェロ、どっから取り出したんですかっ?!」
「それじゃあ、はい、」
 だが彼は、神父の質問をさらりと無視し、早速チェロの弓を引く。
 ――そうして響き渡るのは、Doの単音。
 子ども達が早速、流行の曲を皆で元気良く歌い始める。
『すっくりすくすくちゆーりっぷ〜♪』
「な、何、この曲は……」
「あら、マリィさん、ご存知ありませんでした?」
 とりあえず、自分を取り囲む周囲の子ども達の様子に倣って首を左右に動かしながら、マリィは聞いた事も無い曲に、引きつり笑いを浮かべてしまっていた。
 なんたって、このリズムよ、このリズム……!
 目の前の青年が奏でる音楽は、悪く言えば、殆どが間延びしているようにしか聞えてこなかった。
 これほどまでにスローテンポな音楽も、珍しいのではないだろうか――。
『くーらいつちからこんにちは〜♪』
「今流行っているそうですよ、子ども達の間で。ちなみに、知り合いの牧師と令嬢さんが作詞・作曲なさったそうなんですけれど、最近だと良く学校の方からも、この音楽が――」
「神父様、きちんと背筋を伸ばしてください」
「……もうこれ以上伸びないんですよっ!」
「頑張ってください。これも試練です」
「し、試練って……」
「でも私、何で一緒になってチューリップ体操なんか……」
 デュナンの叱咤が飛ぶ手前、あまりにも情けない曲調と体操内容に、思わず泣き出してしまいたい衝動を堪えながらも、それでもマリィはぴょんぴょんぴょんぴょん、身軽に4度、その身を跳躍させていた。
 ……確かに音楽が好きで、将来は芸を売って生計を立てていきたい、と考えているマリィではあったが、この体操を、その流行の通りに評価することは、できなかったらしい。
 イライラするほど遅いテンポに、むしろ題材はひまわりの方が良かったんじゃないの?などと余計な事を考えながらも、
『ぐんぐんぐんぐんおーきくなって♪』
「おーきくなって……」
 それでも、半ば自棄気味に、大きく両の手を空に向かってぐんと伸ばす。
 ――その動きにあわせて、長い金髪(ブロンド)がゆらりゆらりと揺れていた。
「はいじゃあ次、手足の運動〜」
 デュナンの声と共に、チェロの奏でるMiの音が低く、響き渡る。
 ……心なしか、楽しそうに見えないことも無かったが、デュナンはいたって大真面目なようだった。
 あの体力測定の結果を見た時。いや、一番最初に、彼が縄跳びの記録を0、と自分に書かせたその瞬間から。
 これだ、と、思ったものだった。
 チューリップ体操。
 今の神父には、これが一番適しているはずだ。
『「たいようさんともなかよくなるよ〜♪」』
 ついに一緒になって歌い出し、マリィが別の意味で、その世界に引き込まれていく一方、神父はもはや、その場に腰を下ろそうと、ふぅ、と1つ大きく息を吐き出していた。
 周囲の子ども達がどったんばったんと運動を繰り返すその中で1人、
「……あー……」
「神父様」
「……はい、すみません」
 しかし、チェロ弓を引くデュナンの方が1枚上手だったらしい。
 声をかけられ、デュナンの視線を受け。
 渋々ながら、神父はくるりと一周、体を回すのであった。
 あー、もうこうなれば自棄だよなぁ。
『「「おはなはにこにこーほほえんで〜♪」」』
 そうして神父は歌い出す。
 1人で全てに納得したかのように、のびのびとチェロを弾き続けるデュナンの指導の元に。
 ――だが。
『「「はっぱはきらきらーこうごー……」」』
「ちょっとぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
 いよいよ体操も、終盤に差しかかろうとした、その刹那の事であった。
 ばたんっ!とけたたましい音と共に叫ぶ、1人の女性が聖堂内に姿を現したのは。
「――かっ……!」
 突然の事にか、どんっ、と、神父のしりもちをつく音が、響き渡った。
 一方マリィや子ども達も、その声にはっとし、歌と体操をぴたり、とやめてしまっている。
 ――デュナンの奏でるチェロだけが、それでも悲しく、聖堂に響き渡っていた。
「……あああっ!閣下ぁぁぁぁぁぁっ!」
「んっふっふっ、ヴァレンティーノ司祭、あんた随分と楽しそうねぇ……?」
「すみませんすみませんっ!だけど私だって、こんな事やりたくありませんよぉ!できれば昼間は読書をして、平和に――!」
「そー言う事を言ってるんじゃないわよこのバカ神父!!しかもデュナンさんもっ!チェロ止めてっ!」
「……けど体操、まだ終わってませんけど」
「いいのよいいのっ!その前に!なぁんで皆してチューリップ体操なんかやってんのよ!!」
 だんだんだんだんっ!と、あからさまに不機嫌な様子で床を靴で踏み鳴らし、女司教はデュナンも含め、聖堂内の人間全員に詰め寄ってゆく。
 ――と、その時だった。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!おねーちゃんっ!!あのオバサンこわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁいっ!!!!!!!」
「あっ、こら、おばさんじゃないのよ、あの人は……あの人は神父様よりえらーい人なんだから、変な事言っちゃあ駄目なのよ?」
「マリィおねぇちゃんっ、あの人、きっとしんぷさまのことをたべちゃうつもりなんだよっ……どうしよぅ……!!」
「いや、食べちゃうって……」
 子ども達の楽し気だった雰囲気が、一瞬にして、悲し気なものへとその色を変えてしまう。
 流石に泣き出す子どもの姿を見たためか、司教もその動きを、ふ、と、止めてしまっていた。
 しばし司教の怒鳴り声が、聖堂の中から完全にその姿を消してしまう。
 しん、と。
 そうして、聖堂の中を、しばしの間、沈黙が通り過ぎていった。
 ――と、
「……いや、神父の根性を叩き直すのならば、まずは体力から、と思いましてね」
 ふ、と、一番最初にその沈黙を破ったのは、デュナンであった。
 チェロをケースの中にしまいながら、言葉を続る。
「神父様、相当な体力無しですから、まずは子どもの体操から始めた方が良いのではないかと思いまして」
「そうなんですよ、司教様。急な運動は、体に悪いですし」
 慌ててデュナンの方に駆け寄ったマリィが、司教の事を、懇願するかのような瞳で見上げる。
 ――デュナンの冷静な言葉と、愛らしいマリィの視線にか。
 さすがの司教も、続きを叱ることを失念してしまう。
「……いや、でもこの場合……」
 しかし、言葉とは裏腹に、額に手を当て、司教は何やら考え始めたようだった。
 言葉を濁し、黙り込んでしまう。
 ――そうして、再び静まり返る、聖堂内。
 このまま事が、温和に終わるかと思われ始めた……だが、その時であった。
 デュナンがごそごそと、お得意のメモ帳へと手を伸ばしていたのは。
 何をやるんだ?というような皆の疑問の視線を浴びながら、デュナンはメモ帳の1ページを、はらり、と、捲り出し、
「縄跳び0回、反復横とび30秒3点、立位体前屈マイナス23センチ、腕立て伏せ0回、閉眼片足立ちだけはなぜか90秒超しの快挙――これじゃあ、普通の運動なんて無理に決まってますからね」
「――やっぱり1度とっちめなきゃあ駄目なようねぇ――?サルバーレ・ヴァレンティーノ!」
「……デュナンさぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!!」
 刹那、ぐい、と、司教によって首根っこを捕まれた神父が、涙ながらに叫び声をあげていた。
 悪気も無く読み上げられた驚愕の事実に、しかし司教の怒りは、再び頂点へと向かい始めている。
 ……そのまま何も知らぬかのように、チェロを置きに行くべく、踵を返したデュナンの背を見つめながら。
「ああ、デュナンさんったら、余計な事を――……」
 再び騒がしくなった聖堂に、マリィは小さく、小さく呟きを洩らしたのだった。

 その後教会の中には、暫く司教の怒鳴り声が響いたとか響かなかったとか――。



† ポストリュード †

 ――あの後。
 結局3人は、やっぱり、もうちょっと強引にやってくれそうな人を連れてくるべきだったわね、などと愚痴りに愚痴った司教のありがたいお言葉≠ノ存分につき合わされ。
 その後、食事やらなにやらを済ませるうちに、気が付けば夜も更けてしまっていた。
 そうして、今。
 時刻は、真夜中。
「しっかし……司教様、本当にやるんですか?」
「しっ!静かに!あのバカ神父が起きてしまうわ。……ほら、マリィちゃんも。脅えてないで、ゆっくりこっちにいらっしゃい」
「お、脅えてなんかいませんっ……た、ただちょっと……足元が暗いだけですっ」
 白いシーツをずりずりと引きずるマリィが、暗闇の中で小声をあげる。
 しかし、その言葉には説得力の欠片も無かった。
 何せマリィは今、手元のシーツを破かんばかりにぎゅっと握り締め、必死に震えを堪えているのだから――。
 夜の、教会。
 光源の全く無い古い建物ほど、何か奇妙なものを連想させるものは無い。
 だが。
 闇の中、一番最後に続くマリィに、ふ、と、気が付けば、デュナンの手が、差し出されていた。
「……ほら、手を取って。転ばないように――」
「あ、ありがとうございますっ。けど、だ、大丈夫ですよ、デュナンさんっ」
「しっ、ついたわ。あれがバカ神父のお部屋よ」
 と、そうこう会話を交わし、階段を上っているうちに。
 はたと司教が立ち止まり、2人の方を振り向いた。
 ――ある1枚の、ドアを目の前にして。
「良い?ドアを開けた隙に、きちんと脅かしてくるのよ?」
「……しっかし、なんとも……こんな方法で良いんですか?」
「し、神父様のクセにオバケを怖がるだなんてっ……!そ、そこまで根性が無いんですかっ、神父様はぁっ……!」
 ……実は、こういう手はずとなっていた。
 司教が神父の部屋のドアを開けた隙に、2人が神父の部屋に入り込む。そうして、シーツを被り、おもいきり脅かすのだ、と。
 ――無論、マリィもデュナンも、最初は本当にこんな方法で良いのかと、それなりに司教に抗議した。
 しかし彼女は、もう半ば躍起になっているらしい。もう明日中にはこの街を出なくてはならないのだから、と、怒鳴りに怒鳴りつけられ、結果2人は、このような強行とも、稚拙とも取れる事をやらされる事となったのだった。
 マリィとデュナンは階段を上りきると、そこではじめて、手にしていたシーツを上からすっぽりと被る。
 ……典型的な、オバケスタイルだった。
「そんじゃあ、行ってらっしゃい♪暫くしたら、行きますので、よしなに」
「わかりました」
 シーツの下から、デュナンが返事を返す。
 そうして司教が、ドアノブを回す音が響き渡り――……

 ――静まり返った、部屋の中。
 どことなく幸せそうな神父の寝言だけが、ふわふわと宙に漂っていた。
 暗闇の中、神父を間近でじぃ、と見つめながら、
「……水色パジャマに空模様……何だか確かに雲がお似合いですよね、この神父様」
「確かに……むしろイメージカラーにイメージそのものじゃないか?」
「――……」
 デュナンの言葉に沈黙し、マリィは静かにシーツを被りなおした。
 そうして暗闇の中、背の高い相方≠フ方へと視線を送る。
 ――闇の奥に、シーツの中にいるはずの、相手の姿が見えるはずも無い。
 見えるはずも無いのだが……2人は、同時に頷(うなづ)いていた。
 そうして打ち合わせどおり、神父を脅かしにかかろうとし、息を吸い込んだ――その、瞬間のことであった。
「ああああああああああっ!!閣下っ!!かぁっかぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!もう止めてくださいっ!もう食べれませんっ!ギブしますからっ!ねっ、ギブあっぷぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!」
「――っきゃぁぁぁっ!!」
 突然何かに取り付かれたかのように叫び出した神父の声に、マリィが思わず悲鳴をあげていた。
 そのままおもいきりシーツにつんのめり、薄いカーペットの上に思い切りしりもちを付いてしまう。
「……いったぁ……」
「大丈夫か?」
「ううっ、何なのよあの神父ぅっ!突然叫ぶだなんて、反則よね!」
「いや、こうして夜中に脅かしに来るのもどうかと思うが――で、神父は起きてるのか?」
 それでもいたって冷静なまま、デュナンは自分とマリィの頭上から白いシーツを取り払い、彼女の手を取り起こしながら、神父の方へと視線をやった。
 ――そこには。
「「………………」」
 眠っていた。
 一頻りに叫んだはずの神父が、深い、深い眠りの森へと足を踏み入れていたのが、見て取れた。
 それも――随分と幸せそうに、寝言なんぞをおまけに付けて。
 どうやら、あれは……
「「……………………」
 2人が益々、沈黙を深める空間の中に。
 ばたんっ!と刹那。
 ドアの開かれる音が、響き渡っていた。
「どう?!やりましたの?!あのバカ神父にこんぢょーを――!」
「「無理です」」
 せわしなく入ってきた司教の姿に向けて、どきっぱりと。
 振り向き、2人は綺麗に、その声をハモらせる。
 あまつさえ、溜息までオプションに付け加えながら、
「司教様、寝言まで根性無しですもの、この神父様」
「ここまでくるともう天性ですね。多分一生治りません」
「……それじゃあ困るんですって!」
「諦めてください。もう駄目です」
「司教様、ここは諦めていっその事、本当にチューリップ体操からはじめてみてはいかがです?根性はともあれ、少しは体力はつくと思いますし」
 マリィはふぅ……と。
 もう1度、深く、深く溜息を付いた。
 もう、駄目だわ、この神父(ヒト)――……。
 まさかあれが寝言だとは思わなかったが、もっと驚いたのは、寝言でも司教にいびられている、その情けなさだった。
 これはもぅ、
「さぁ、デュナンさん、今日はもう寝ましょう。夜更かしは美容の大敵ですし……。司教様も、神父様には構わずに、お早めに就寝なさった方が良いと思います」
「うむ、そうだな。それじゃあ俺も失礼します。司教様、お休みなさいませ」
 デュナンもデュナンでマリィの言い分に納得し、颯爽と部屋を後にしようとする。
 とりあえず、後に残された司教にもう1度だけ、諦めた方が無難です、と言い残し、
「ち、ちょっと!それじゃあ、このバカは――!」
「一生そのまま、という事で。それも悪くないんじゃないですか?あ、けれどもやっぱり、チューリップ体操はしておいた方が良いと思いますよ。健康にも良いですからね」
 それに、子ども達との交流もより深まるしな――。
 デュナンは司教の肩にぽん、と手を置き、そのままマリィの手を引いて、神父の眠る部屋を後にする。
 己の敗北に泣き崩れる彼女と、使われなかったシーツを、残したそのままで――。

 その後、2人が教会を後にした後の、風の噂によると。
 サルバーレの教会では、老若男女信者内外を問わず、朝のチューリップ運動が日課となってしまったらしい。
 そうして今日も。
 教会からは、あの歌声が、響き渡っていた。
『ああーチューリップ〜チューリップ♪
 おはなのーせかぁいのー♪むてきのじょうおう〜♪』

 ……どうやら世界は。
 今日もおおむね、平和なようであった――


Fine



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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<マリアローダ・メルストリープ>
 整理番号:0846
 性別:女
 年齢:10歳
 クラス:エキスパート

<デュナン・グラーシーザ>
 整理番号:0142
 性別:男
 年齢:36歳
 クラス:元軍人・現在レジスタンスのメンバー

※お申し込み順にて失礼致します。



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■         ライター通信          ■
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 まず初めに、お疲れ様でございました。
 今晩は、今宵はいかがお過ごしになっていますでしょうか。この度お話の方を書かせていただきました、里奈と申す者でございます。
 この度はお話に参加いただき、本当にありがとうございました。まずはこの場を借りまして、深くお礼を申し上げます。
 デュナンさんとは、初の邂逅となりました。銀髪にしかも元少佐、現在レジスタンスのメンバー(さらに趣味がチェロ)だなんて、本当にドキドキものでございました。しかもマイペース人間……ああ、ほんっとうに素敵ですv(コラ)
 神父と見た目がどこか似ているデュナンさん、けれどもやっぱり、中身は色々な意味で全然違いますよね。むしろ神父より大人ですし……一応神父はエルフですので、単純計算しても50年ほどは生きている事になります。それなのに……それなのにアレでは……。
 お話は変わってしまいますが、幾点かプレイングにありました部分を書きそびれてしまいまして、申し訳ございませんでした。又、字数が大幅にオーバーしてしまいましたことも、この場を借りてお詫び申し上げます。
 また何かのご縁がありましたら、その時も、よろしくお願い致します。
 では、乱文にて失礼致します。

12 marzo 2003
Lina Umizuki