<東京怪談ノベル(シングル)>
霧の中の始末人
宵闇に包まれた街が、霧の中に沈んでいた。
時間は、まだ夜明けまでには程遠い。
普段ならば、仕事を終えた者達が屋台や酒場に集い、その明るい声が通路を行き交う者にも届いて、さらに寄り道の客を呼び、喧噪を増やしていく所なのだが……
このところ、この街ではそんな光景がまったく見られなくなっていた。
毎夜、道行くものに対して、どこからともなく銃弾が浴びせられるという事件が起こっていたのだ。
発生してから、かれこれ1ヶ月が過ぎようとしている現在、既に犠牲者は20名に上ろうとしている。生存者は1人もなく、そのことごとくが死亡していた。
無論、官憲も黙ってはおらず、連日連夜必死の捜査をしていたが、それをあざ笑うかのように、犯人の手がかりは杳として掴めず、今に至っている。
あるものは近距離から拳銃で撃たれ、あるものは遠距離からライフルで狙撃された。
突撃銃とおぼしきもので、全身を蜂の巣にされたものもいる。
共通しているのは、いずれも銃による殺傷ということ。そして銃弾と薬莢以外の証拠を一切残していないことだ。
ただ、その証拠も、あまり役に立つものとは言えず、現場に残された銃弾は全て手作りのオリジナルらしく、販売ルートなどから辿る事は不可能だった。
おそらくは使用している銃も全て犯人の手作りと思われる事から、いつしか銃マニアによる連続犯行──辻撃ち事件として、人々を恐怖に叩き込み、住人の夜の外出がほとんど行われなくなっている……というのが現状だ。
そして……今日も血に飢えた犯人は、夜の街に獲物を求め、さまよっている……
石畳の上に、硬い音が響いていた。
霧の中に、細く、長身の黒い影が揺れている。
漆黒のロングコートの上に流れる、銀色の美しい髪……どうやら女性らしい。
そしてその後姿を物陰から見つめる、2つの赤い光。
目に嵌められた暗視ゴーグルが輝き、夜の闇と霧に隠された人影を、はっきりと見通している。
「ククク……」
と、低い笑いが響き、黄色い歯が覗いた。
身長が低く、背筋も曲がった……せむしの子男だ。
その身体よりも長い銃を構え、道行く女性の左胸をポイントする。
「……死ね」
つぶやきと共に、男は迷いなく引き金を引いた。
──ドン!!
夜気に銃声が響き渡り、銃身が跳ね上がる。
霧を切り裂いた一発の銃弾は、狙い通りの場所に吸い込まれた。
「クク……ん?」
銃を下ろした顔が、すぐに訝しげな表情を浮かべる。
確かに命中した。それはいい。
しかし、パサリと軽い音を立てて地面に落ちたのはコートだけで……一瞬前までそこにいたはずの女の姿がないのだ。
……なんだ? どこに消えた……?
そう思った、まさにその時、
「貴様が犯人だな」
静かな声が、いきなり背後でした。
その台詞に、新たな銃声が重なる。
聞こえた瞬間に、男が振り向きもせずに懐に手を入れ、脇のホルスターに吊っていた拳銃を撃ったのだ。
声のした地点に、間違いなく撃ち込んだ自信はあった。
しかし……
「無駄だ」
今度は、右手で声がする。同じように見もしないで撃った。
「わからん奴だな」
今度は左。やはり撃った。
「……」
最後に、正面に誰かが立つ。
男の目の前に、忽然と出現した長い足……
上へと辿ると、やはり女だった。
黒い、いかにも動きやすそうな皮の上下を身につけている。
その間から覗く肌は対照的に白く、髪は銀色に輝く長髪だ。
瞬きもしない金色の瞳がじっと向けられ、男はそれに捕えられたかのように動けなくなる。
静かな、そして美しい顔だった。
しかし、何故か温かみを感じない。そんな顔……
──ケイ・アークレッツ。
それが、この麗人の名だ。
「お前が、連続射殺犯だな」
問う声からも、ほとんど感情が感じられない。
「だったら……どうした!!」
言いざまに、撃った。
相手は目の前、外すはずがない。
「……馬鹿な……」
銃を構えたままの男の瞳が見開かれる。
美しい顔が、すぐ隣で自分を見下ろしていた。
「無駄だと言った」
無感動な台詞が、男にじわりとした恐怖を与える。
どうやって移動したのか、まるでわからなかった。
そんな男に、ケイが解説する。
「人間が脳で次の行動を考え、実際に身体にその命令を伝えるのには、数マイクロ秒の時間を必要とする。しかし、私はそれよりも速く動ける。簡単な事だ」
淡々とした言葉に、自慢や誇らしげな響きはまったくない。単に事実を告げている。それだけだった。
「ああ……そうかよ。クク、クククク」
男が、笑う。
暗視ゴーグルの中で、ケイを見つめる目が血走っていた。
自らのシャツに手をかけると、荒々しく左右に押し開く。
ボタンが飛び、その下から現れたのは……
「ちょっとでも動いたら、こいつを使うぜ……へへ」
男の手は、腰に下げてある何かのコントローラーへと伸びていた。
胸と腹にびっしりと巻かれているのは……爆薬らしい。すぐに、ケイがそれを察する。
「ここいら一帯を吹き飛ばすには充分な量だぜ。何人死ぬかな。へへ、へへへへ……」
口元を歪め、嫌な笑い声を上げる男の顔は、とうてい正気とは思えない。
「なぜ、そんな事をする?」
一方、ケイの表情は、対照的にまったく動いてはいなかった。
「なぜ、だと……?」
じろりと、ケイを見上げる男。
「……気にいらねえ顔だ。そうやって人を見下す目……てめえも同じだ! 俺は……俺を馬鹿にした奴らを許さねえ!! そんな奴らは1人残らず殺してやる! 皆殺しだ!! 復讐だ!!」
ふいに、激しい口調でそう吼えた。
……過去に他者から相当ひどい仕打ちを受けたのか……あるいは単に狂っているのか……
さすがにそこまでは、ケイにも分からない。
ただ一言、彼女はこう言った。
「それがお前の犯行理由か。だが、もう終わりだ」
「なに……?」
そこで、男はようやく気付いた。
腰に伸ばした手に、何の感触もない。
目を向けると、爆弾のコントローラーが忽然と消えている。
「言ったはずだぞ。私はお前が”考えるより速く”動く事ができると」
そう告げるケイの手にしているのは……
「……」
コントローラーを奪われた事を悟り、彼の身体から力が抜けた。
死人のような顔色で、ずるずると石畳の上に崩れ去る。
それを相変わらずの静かな瞳で見下ろしつつ、
「終わったぞ」
と、どこかに声をかける。
「……はい、ずっと見ていました」
小さな声と共に、小柄な影がひとつ、霧の中に浮かび上がった。
まだ幼さの残る、少女だ。
「こいつが……犯人なんですね」
暗い声と、強い視線が男へと向けられる。
「お前が……お前が兄さんをっ!!」
駆け寄り、先程まで男が手にしていた銃を拾い上げると、まっすぐに突きつける。
「……」
ケイは、止めなかった。
彼女には、凶悪犯罪専門の捜査官という顔がある。
ただし、この街のではない。
ここで起こっている事件の被害者の家族が、凄腕の捜査官と噂のケイの元を訪れ、直接依頼をしてきたのである。
依頼人とは、もちろんこの少女の事だ。
ケイが引き受けたのは、スケジュール的にも問題がなく、断る理由がなかったから……それだけだった。
幼い頃に親に捨てられ、兄妹だけで苦労して育ってきたこと。その兄がこの犯人の手にかかって殺されたこと。どんな事をしても依頼に必要な料金は払ってみせると言われたこと……そんな話を聞かされても、ケイの顔は眉一筋動く事はなかったし、依頼料などは不要だと、簡単に言ったものだ。
「覚悟しなさい……このぉっ!!」
「ひっ、ひぃぃ……た、助けてくれ……」
激情のままに引き金を引こうとする少女と、恐怖に顔を歪ませ、ガタガタ震え始める犯人。
「……」
それでも、ケイは何の動きも見せず、その場にただ立っていた。
どのくらいの時が、そのまま流れたろう……
数分か、あるいは数秒だったかもしれない。
少女の振るえる手が、ゆっくりと下がっていった。
うつむいた顔から、光る雫が路上に落ちる。
「……ごめん……兄さん……あたし撃てない……できないよ……ごめん……ごめんね……」
消え入るような声でつぶやき、肩を振るわせ始める少女……
その小さな肩に、白い手がそっと乗せられた。
……それでいい。それが普通の人間だと思うから。
そんな声が聞こえた気がしたが……確かな事はわからなかった。
少女が振り返ったとき、銀の髪の麗人はすでにそこになく、霧に溶けてしまったかのように姿を消していたから……
代わりに、耳障りな笛の音と、複数の靴音が近づいて来るのがわかった。
数度の銃声に、ようやく厳戒警備体制の官憲が気付いたらしい。
あとは、涙を拭って、少女は待つだけだった。
この瞬間、この事件は解決したのだ。
後に、少女が犯人を捕まえたのはケイだと主張したのだが、それが表に公表される事は決してなかったという。手柄は全てこの街の官憲のものとなったわけだが……肝心のケイの方は、そんな事などまるで気にかける風もなく、今日も淡々と日々の仕事をこなしているらしい。
無表情な金色の瞳が真理を見つめ、美しい銀髪をなびかせながら──
■ END ■
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