<東京怪談ノベル(シングル)>
ヒューマノイドの夢
「あれ? 今日は非番じゃ無かったんですか? アークレッツ捜査官」
新米捜査官に呼び止められ、ケイ・アークレッツは足を止めた。昼過ぎの本部。人毛はまばらだ。
静かな廊下では、立てる足音が嫌と言うほど良く響く。ケイ達は地上十七階の長く無機質な通路にいた。
「非番なのだが、私には仕事以外にやる事が無い」
そう言って、ケイは金色の瞳で彼をジッと見つめた。彼は照れたように頭を掻き俯く。目を合わせていられないのだ。それもそのはず、ケイは非常に人目を惹く美しい顔立ちをしていた。細く艶やかな銀の長髪。無駄の無いしなやかな躰。ケイはひとえに『美女』だった。
そう──
ケイが人間なら間違いなくそうだ、と言える。
だが、ケイは『人間』でも『女』でも無かった。人間を忠実に模したロボット──ヒューマノイド型アンドロイドで、性別など存在しない。セクスレスなのだ。
そしてそれは傍目に人と区別の付かぬ程、精巧精密完璧だった。乳白色の人工皮膚組織の下では、無数の回路と特殊合金で出来た駆動部が音もなく動く。最先端の技術、そして開発者の腕と知識。全てが重なった時、人間を超越した生命体が生まれた。それがケイだ。
ケイは任務として、凶悪犯罪捜査官という肩書きを与えられていた。
常に忠実に。
人に抗う事は許されていない。何もかもプログラムに沿って動く。
だからこうして仕事の無い日は、過ごし方が分からずに迷いが生じてしまう。それにケイは疲れると言う事が無い。非番などケイには無用なはずなのだが、順番と称してそれは巡ってくる。
そして、仕方なくケイは本部へ足を運ぶ。ここへ来れば何らかの暇つぶしが見つかるからだ。
端末に溢れた膨大な資料の整理、緊急の応援要請、やる事はいくらでもあった。
今日もそれを目当てにやってきたのだが、今のところ、そう言った有難い指令には出逢えていない。
彼はそんなケイの事情も知らずに、鼻の下を伸ばして微笑んでいた。
「そうなんですか、もったいないな。じゃあ今度、もし僕と休みがぶつかったら、お茶でも飲みに行きませんか?」
ケイは興味も薄そうに「そうだな」と呟いた。ケイに取ってこの言葉は日常茶飯事だったのだ。
「やった! じゃあ、次の非番は僕、無理矢理合わせますから!」
彼は無邪気に笑ってガッツポーズを作った。
何故、人間はこんな風に些細な事で喜べるのだろう。たかだか『お茶を飲む』事が、そんなに嬉しいのだろうか。
愛や恋。そう言ったものは知識としてインプットされてはいるが、感情表現や理解には苦しむ。
ケイは小さく首を振った。
「あ、そうだ。アークレッツ捜査官! ホロルームへ行く予定はありますか?」
笑顔を貼り付けたまま、彼は言った。
ホロルームとは略称で、正式には『犯罪再現ホログラム室(crime reproduction hologram room)』と言う。
多種多様を極める凶悪犯罪で行われた行為、シチュエーションなど写真や数々のデータを打ち込み、それらをレーザー映像で再現させる為のシステムを完備した部屋だ。もちろん、過去のデータや起こりうる犯罪のパターンなどから予測も出来る。未然の阻止も可能となる素晴らしい装置だが、ここで起こる出来事を考えれば正直、気味の良い部屋とは言えなかった。
「いや。無い」
ケイが言うと彼は頷いた。
「そうですか。いや、どうも起動マザーにウイルスが混入したらしくて、調子が悪いようですよ。ほとんどの機能が使えなくて、唯一、スキャンニングだけが出来るそうです」
彼は困ったような笑いを浮かべて肩をすくめた。
スキャンニングは人の脳内にある記憶を読みとれる。モンタージュなどは、目撃者の脳から直接取り出せる事が出来るのだ。実に便利な機能である。それが──
「今日は読まなくて良い事を読んでしまうそうです」
ケイは初めて彼の言葉に反応した。
「読まなくて良い事?」
「ええ、つまりその……役に立たない雑念を拾うらしいですよ。心の奥に潜んでいるような……っと、お昼が終わるな。これで失礼します、アークレッツ捜査官!」
彼は敬礼一つ、「良い休日を」と言い残して去って行った。
「心の奥、か」
果たしてアンドロイドにそんな場所があるのだろうか。余計な事など考えられぬよう設計された、この思考回路に。
足音が冷たい通路に響き渡る。
ケイはどこへ行くとも無しに、通路を歩いた。
開け放されたドアの前で止まる。
ケイは内部へ視線をやった。
ホロルームだ。作動していない状態で見れば、何もないドーム型の白い空間でしかない。
入口にはロープが張ってあった。進入禁止の応急処置と言った所だろうか。ケイはふと思い立ち、それをくぐって中へ入った。
どこかでブーンとモーター音が動くような音がした。
「無駄だ。私からは何も読みとれない」
ケイは白い天井を見上げた。
マザーに対して話しかけたのだ。機械が機械の思惑を読みとるなど、ばかげている。
だが、返ってきた答えは意外なものだった。
『──データスキャンニング開始、応答数一、転送──受信完了再現開始シマス』
「!」
驚くケイの前に現れたのは──
「ま、まさか……」
ケイは驚愕の眼差しで、その映像を見つめた。手を差し伸べてそれは、優しく微笑む。
『ケイ』
語りかける声。仄かに芽生えた安堵感に、ケイは激しい戸惑いを感じた。
「私は……プログラムされた知能を持つ。それ以外の事を考えるはずは……感情を持つはずはない!」
『再スキャンイタシマスカ?』
マザーの声が響いた。
ケイは首を振り、よろよろと部屋を後にした。
ウイルスのせいだ。
それでマザーが無差別に記憶を読みとっているに違いない。
あの映像も偶然だ。
私はアンドロイドなのだ。雑思念に暮れる事は無い!
ケイは全てを否定した。だが拒絶する事はできなかった。ホロルームで見た映像に、ケイは動揺し続けた。
「何故、彼が──」
どんな意図であれ、ケイが見たものは我が創造主『レオナルド・W・レクサス』、その人だったのだ。
人間を忠実に模したアンドロイド。高度な技術を駆使して開発されたプログラムの、それは一種のバグなのだろうか。
それとも優秀な科学者の手によって、生まれるべくして生まれた奇跡なのだろうか。
見た物を偶然と片付ける事はできるだろう。しかし、ケイの中に湧き起こった、あの『安らぎ』は一体どう説明すればいいのか。
ケイには分からなかった。
それが文字と数字で組み込まれた、計算上の結果なのではなく、『ヒトノココロ』なのだと言う事を。
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