<東京怪談ノベル(シングル)>


迷走西風
 □■1

 空が藍色の薄闇に覆われていた。朝焼けまであともうちょっとであろう。レイフォード・ラッセンは空を見上げ今日も天候は晴れそうだという参謀からの報告を受け、ああそのとうりになりそうだとのん気に思った。さて、今日で私の運命が変わるか、それともこの国の行く末が大きく変わるか、大きく分かつ日だというのに天帝はいつも通り私達を照らすのだろうかと思うとなんだか自分のこれから行おうとしていることがとてつもなく小さなことに思えてきた。
 従者がレイの側へ歩み寄ってきて閣下お時間です、と耳元で告げる。レイは首を縦に振り兵たちの待機する所へと歩みだした。そして、太陽が地平のかなたに顔をのぞかせ始めた。
 ざわついていた兵達はレイの姿を見とめると姿勢を正し静まり返った。そしてレイの声を待ち望んだ。兵達の耳にはすでに昨夜の御前会議の結果は噂として広まっていた。我が部隊は後方支援となり物資輸送の援護を行うと、セインロードの疾風と恐れられている我が部隊が後方支援とは、いや確かにここまで伸びた補給路の確保は重要な任務だ、などと兵たちは噂しあって朝を迎えたのだ。不満や不安が兵達に伝染し職業軍人だけで編成されたレイの部隊は普段の高い士気を維持するのが困難な状況におちいりそうな状態だった。さて、将軍閣下はなんと言って我々を納得させてくださるのやら、と兵達はレイの言葉を心待ちにしていた。
 レイは普段は低く抑制された声を、今日はいつも兵達に向かう時よりも大きく自信に満ちた声で叫んだ。
「我が軍は光の矢となり敵の先鋒部隊を上空より急襲。敵の出鼻を挫いてくれようぞ!」
 兵達は歓喜の声でレイの号令に応えた。兵達のやる気は一気に上昇し、レイはそれをみて兵達に告げる。
「これは国王陛下と我が国を守る一大決戦になる。諸君らは思う存分戦場で腕を振るうがよい!」
 レイは喜びと期待でどよめく兵達を見下ろしながら自分に語りかけた。自分の行く道を信じよう、と。


 □■2

 太陽はその姿を完全に地上に現した。レイは自分の愛竜、漆黒の竜王「ライローク」に跨り、従者からの全軍騎乗の報を受け全軍に指令を出した、全軍前進と。
 レイの部隊、西方飛竜軍団は軍の主力が飛竜に跨り、敵を上空から急襲する機動力を生かした戦法を主にした軍団である。上空から弓や槍、火矢や魔術の道具である炎の剣などを駆使し敵の殲滅をはかる。ただし下方からの飛び道具による攻撃に弱いのが難点であるが、飛竜の軍団のみで戦闘をする事は稀であり他の軍団との組み合わせで戦術が練られるので、さほどの大敗を喫することもなく運用されている。軍団の編成は竜将レイを筆頭に、千騎長六人の飛竜六千騎、地上の補給とその護衛の百騎長が二人の二百名の騎兵からなる。今回の出兵の総兵数がおよそ六万の軍勢となるので、攻撃主体の部隊が六千騎からなるレイの軍勢は全兵数の一割を占めることになる。二十二歳で西方将軍に封ぜられ六千の兵を任されるレイの王国からのそして国王からの信任がいかに大きいかの現れである。
 レイの跨った飛竜ライロークが天空へと羽ばたくと次から次へと各兵士の跨った飛竜達が上昇を開始した。六千もの飛竜が一糸乱れず羽ばたくその様子を端から見ると圧巻であり、その姿だけで縮み上がる敵兵もいるほどである。
 レイは下方を見やり、昨晩の御前会議で決定したとおりの布陣で陛下の主力部隊が先鋒となり前進する様を見て、我が任の重さを改めて認識した。
 セインロード王国全軍が緩やかに前進を開始したころには、太陽が地上を照り上げ発生した上昇気流が元となりいつも通りの砂嵐が発生し始め、全軍の姿を砂塵の中へと吸い込み始めた。
 レイの眼下に敵王国軍の軍勢が写った。先鋒に突破力にすぐれる騎兵を置いているのが見て取れる。敵先鋒の軍勢が抜刀をしその鋼に太陽が照り返されるのをレイの目は見逃さなかった。敵の騎兵はその速度を増しセインロード王国軍の先鋒、王のいる部隊へと吸い込まれていくようにレイには見えた。
 レイは右手を挙げ全軍に命じた。抜刀。そしてその手を力強く前へと振り下ろす。突撃!
 レイの飛竜軍団は下方の敵騎兵軍団へと急降下し突進していく。敵兵がレイの軍勢に気づき慌てて弓を番うのが見えたが、飛竜の急襲の方が早く敵に一撃を与えた。敵の騎兵は今までの秩序が乱れ崩れだした。そこへセインロード王国軍の主力部隊が欠かさずに投擲し、矢を放つ。今までの速度を維持する事が困難になったベリル王国の騎兵達は体勢を立て直そうと仕官達が慌てふためいて伝令を飛ばしている。その間に飛竜軍団は一度上昇し、次の突撃に備える。レイには見えた。自分の軍勢の各々の輝く瞳と力に満ち溢れた飛竜の姿を。敵に一撃を加えたことで自信に満ち溢れ、その士気は最高潮に達していた。天空高く舞い、その上昇速度を徐々に落としながらレイは飛竜部隊の隊列が乱れていない様を眺めやり、日ごろの訓練の賜物の一糸乱れぬ竜達のシルエットをレイは至福の物とし次の攻撃に備える。
 再び、突撃の合図をレイが送ると飛竜軍団は先頭に立つレイの愛竜ライロークが急降下する後に続き次々と敵の騎兵部隊へとその牙をむいた。飛竜達の一群は急降下から一変、地上との水平飛行移る。そのまま一群はレイを、勇猛果敢な蒼黒の死神を先頭に敵の軍団の脇に衝きかかる。敵兵の蒼黒の死神だ、死神が空から降ってくる、という声を尻目にレイ達一群は敵騎兵に切りかかる。手元に高々と掲げられたレイの大鎖鎌が敵王国の兵士の首をはねる。次々にその刃は敵兵の喉下を的確に捉え、敵兵士の首を空高く舞い上げた。竜達の軍勢は降下した速度を維持したまま敵の部隊を横殴りにした。そして竜の一群が飛び去った後には敵王国の兵士達の無惨な骸が散らばっていた。
 飛竜軍団は再び上昇し、レイは下方の戦場を眺め見る。レイ達が上空から急襲した事で敵の軍勢の先鋒の隊形は乱れそこへセインロード王国の軍勢が襲い掛かり、ベリル王国軍勢の先陣は無惨な様を見せていた。
 レイは次の攻撃に備える為にその高度を落としていたので、敵味方の全容が手に取るように見て取れるわけではなかった。だが、ベリル王国の後方には未だ健在な軍勢がひかえているのは見るまでもなかった。
 そのときである。
 レイのライロークの側を長く不気味な影が下方より上空へと飛び去るのを、レイはその黄金の瞳で捕らえた。ほんの一瞬の出来事であったが、レイは即座に右手を真上へと高々と伸ばした。急上昇せよ、と。
 ライロークはレイの手綱さばきによって瞬時に急上昇へと体勢を立て直し、上空を目指しその翼を力強くはためかせた。その様をみて次々とレイの後ろの飛竜部隊は上昇を開始した。だが、下方、敵の軍勢の投槍器より放たれた飛竜を狙った大型の槍によって、その飛ぶ為に生まれてきた竜の体に翼に大きな穴を開けられ、永遠にふさがらぬような深手を負わされ敵の頭上に落ちていく竜の姿をレイは見逃さなかった。味方が、自分の部下が傷つき倒れ、そしてなにより愛する飛竜達が敵の手にかかる姿にレイは怒りがこみ上げてくる。だが、敵は投槍器の部隊を展開し始めたのだ。向かうところ敵なしと思われる飛竜隊でも、敵の投槍にはかなわない。ここは一時上空で待機だ、とレイは冷静になりながら高く敵の槍の届かない遥か上空を目指し飛んだ。
 レイとライロークは高く飛んだ。いったんレイは自分の軍団を千騎長に任せ、敵の槍の届かない場所での上空待機を言い渡し、レイは一騎戦場を見渡せる上空へと羽ばたいていった。戦場の様子は舞い上がる砂塵や砂嵐によって所々不鮮明で全てを見渡せるというわけではなかったが、大まかには把握できた。レイの軍勢の急襲によってほころびた敵の戦端に我が軍の主力部隊、王のおわす軍勢が敵王国軍の先鋒を切り崩している様が見て取れる。まずはレイの作戦通りといったところである。だが、まだ戦はこれからである。敵は後方に我が軍より多数の重装歩兵部隊を有している。敵王国の重装歩兵は近隣三国では有名な強兵で、その分厚い装甲に守られた屈強な兵士の通る後には屍の山が築かれる、と兵達の不安を増大させている。敵が重装歩兵を出す前にこの戦の行く末を決定づけ、敵王国軍に撤退を余儀なくさせなくてはならない。そのためにも北方将軍の指揮する重騎士団による突撃、そして我が飛竜部隊による上空からの二段攻撃を可能にせねばならない。
 レイの思惑だけでは重騎士団を動かすことはもちろん不可能である。国王の勅命が下らねば動かす事などできない。レイが御前会議での決定である後方守備の命令を無視し前線にてこれだけ派手な突撃を敢行しているのだから、王の目にもレイの命令違反は明らかであろう。もちろんレイは処罰は覚悟の上である。そしておのれの信念に基づいての行動になんら疑問は持たなかった。
 その時レイの眼下で、情勢が大きく変わりつつあるのが目に入った。砂塵の狭間から王の部隊が味方の部隊から孤立しているのがはっきりと見て取れる。王の御旗を見間違うはずがない。やはり案の定、だがこれが敵の思惑なのだ。敵のほくそえむ顔が目蓋の裏にちらつき、腹立たしく苛立たしい気持ちでいっぱいになる。
 陛下を自らの手でお守りせねば、レイは自分の部隊に戻りながらその黄金の両眼をひときわ輝かせた。


 □■3

 レイがおのれの部隊に合流し、王の部隊に襲い掛かる敵部隊を上空から急襲しようと構えた所へ、後方からレイを呼ぶ声に一瞬躊躇した。従者が飛竜に跨りレイのところへと天を駆け上ってくる様子が振り返ったレイの眼に映った。間に合ったか、レイの瞳に安堵の色が宿った。これで陛下を無事お守りすることができる、と確信した。
 レイの手元に従者より一枚の羊皮紙が手渡される。
 レイは六人の千騎長を呼び予てから立案していた作戦を指示し、自らは一騎王のいる部隊を目指し飛竜を駆った。
 地上へと降り立ちライロークから下馬したレイは、いつも顔を覆っている黒光りする皮のマスクをはずし力の限り叫んだ。
「陛下!お話が!」
 ただならぬ様子のレイの姿を見て取り、騎乗の王は答えた。
「西方将軍、何事か。卿がここにいるのはおかしいではないか。先にも飛竜の部隊が天より来襲したとの報告をうけているが」
 王の側近たちはレイが現れたことと同時に見たことのないマスクをはずしたレイの姿に驚きを隠せないでいた。そんな様子をレイは尻目に、その黄金の眼には王ともう一人の手綱を握った男の姿をしかと捕らえていた。
「陛下の御命令を無視しこうしてここにいる御無礼をお許しください。陛下には国難をお伝えに参りました」
「国難? 何事か。ここは戦場ぞ。国の一大事はすでに起きておる」
 陛下にはきちんと話をしなくてはならない。だが、一刻を争うと、レイは巨大な大鎖鎌に手を掛け大きく振りかぶる。王の御前でそのようなことが起ころうとは思いもしなかった王の側近たちは何がおきているのか把握できずにおろおろと騎乗で右往左往している。
 陛下、御前での御無礼ご免! とレイは叫ぶと大鎖鎌を王の側で下馬し控えていた、レイの目には立ち尽くしているように写った、男に向かって走りこむ。
 男はひぃぃと声にならない声を上げ、そして断末魔の声を上げ、その場で両断された。 王の眼前に倒れこんだ貴族院議員の上半身を見て、陛下にこのような無粋なものを見せる自分は臣下として恥ずべき存在だ、と哀しい気分になった。
 その様子をみていた騎乗の国王は眉一つ動かさずにレイに尋ねた。
「何事があったのだ。申してみよ」
「陛下、お話があります」
「ラッセン卿よ。卿は後方にて補給路の援護のはずだが。そちがこの戦場へと現れるとは何事か」
「詳しくはこちらをご覧いただければすべてご賢察いただけるものと」
 というとレイは王の側近へと歩みより、一枚の羊皮紙を側近が手に取りそれを王へと渡した。王はそれを手に取り目を通す。レイは王の眉根が一瞬歪んだのを見逃さなかった。これで姦計は打ち砕かれた、とレイは安堵した。
「これは貴族院議員及びその他の者と敵王国との内通密書ではないか。これは真か」
「はっ。血判に間違いなき事確認済みでございます」
 レイは刻一刻と変わり行く戦場の様子が気になりだした。時間がない。貴族院議員の悪巧みが公になろうとも、敵王国の企みがすべて終わったわけではない。
「陛下!お時間がありませぬ。その密書の企みを私は挫かなくてはなりませぬ。なにとぞお時間がありませぬ。どうかお察しくださいませ」
「何事か西方将軍。申してみよ」
「はっ。ありがたきお言葉。右翼後方にて待機中の北方将軍の騎兵を戦場の正面へ。そして陛下にはこの場はお下がりくださいますよう」
「それがこの密書と関係があるのだな。貴族院議員の上申した策では我が軍は負けるのだな?」
「ご賢察の通りでございます」
 レイは力強く返答する。王はレイに向かい、
「そちの今までの忠誠に免ずる。そちはこの戦場の天駆ける覇者となれ。行け、西方将軍」
「御意!」
 答えるが早いかレイはライロークへと走りよりそのまま飛び乗る。そして空の人となった。


 □■4

 その後、戦場は一変する。レイの上申した策により敵王国軍は勢いを失った。重騎兵団と飛竜団の波状攻撃で前線の敵兵は散り散りとなりお互いの連絡が取れない状況となった。そして敵王国の兵達は撤退を開始した。
 セインロード王国軍は勝どきの声を上げた。
 レイは勝利に酔いしれる自分の配下の兵達をみて、労いの眼差しで見やる。このひと時が永遠なればよいのだが、と思った。勝つも負けるも兵家の常である。次の戦でもこのように勝利を手に入れることができるだろうか、そして何よりも大切な部下たちが生き残ることができるであろうか、とその無表情な顔とは裏腹に心の奥で心配した。だが、私がそうはさせない。誰も欠けることなく皆を家に愛する家族の下へと帰らせる、と決意を新たにした。
(了)