<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


今宵、危険なラブソングv

●序曲〜神父哀歌は高らかに〜

「リナフィールさんは聖堂の方をお願いします。僕は門の前を掃除しますから」
「え……でも門のほうは範囲が広いですよ、ヨハネさん」
 リナフィールと呼ばれたシスターは上目遣いで云った。
「大丈夫です。慣れないうちは聖堂のほうが、かえって掃除しやすいし」
「いいんですかぁ?」
「勿論だよ」
 にっこり笑うヨハネ神父の顔をリナフィールは見つめた。実際、この教会に来て数ヶ月では、何をどうしていいのか分からないことが多かった。ここは好意に甘えて、聖堂の掃除をしたほうが良いだろう。リナフィールは「はい」と返事をすると聖堂へ向かった。
「今日もいい天気♪」
 リナフィールは息を吸い込む。
 夏色に染まってゆく街並みは何処か故郷に似ていた。
 知らぬ間に『門』(ゲート)を辿って、ここに来たリナフィールにとって、「ソーン」は謎だらけの場所だ。リナフィールが今まで生きてきたシエナの街には、王様も騎士もグリフォンも居ない。しかし、ここには全てがあった。
 魔法使いも居れば、朝市も立つし、お城には王様が住んでいる。
 昔、憧れたお伽話が幻ではなく生き生きと息衝いている世界!
 リナフィールの大好きな神様を信じる神父様だってこの街に居た。本当に何もかもがある世界。それがソーンだった。

 ご機嫌な足取りで聖堂に向かうそんな彼女を見届け、ヨハネは掃除に取りかかった。
 普通の民家の4、5倍はあるだろう門の一辺を掃除するのも大変だ。当然、掃き掃除だけではなく、植え込みの手入れもしなければならない。順序立ててやらなければ、思った以上に時間がかかってしまう作業だ。
「さて……始めるか……」
 ヨハネは腕まくりをすると、まず植え込みの草木の手入れから始めた。腐ったり、茶色くなった葉を取ってゆく。ここで、ある程度のごみを出しておけば、捨てるときの二度手間は省ける。ただ、難点があるとすれば、足腰が痛くなることだろう。
 一枚一枚痛んだ葉を千切る。そして木製のごみ箱の中に捨てていった。
 段々、作業が続くにつれて、足は痺れてくるし、今日の陽気の良さに汗をかきはじめてしまう。
 夏が近い日の作業は辛い。
 別に教会の管理作業に文句を云った事は無いが、さすがにこう熱いと眩暈がしてくる。なかなか終わらないのも、ヨハネを疲れさせる原因の一つだった。
 一旦、休憩を取ろうと思った瞬間……事件はやって来た。

 この辺では珍しく四頭立ての馬車だ。どこぞの屋敷の奥方でも乗っているのだろう。瀟洒な造りの馬車だった。
 うちには関係ないなぁ〜☆と思い、ヨハネが作業にもう一度取り掛かろうとした矢先。馬車は速度を落とし、停車した。
「ん?」
 蹄の音がしなくなったことをいぶかしんだヨハネは顔を上げる。馬車はヨハネの横で止まっている。
「おい」
「え?」
「おい、そこの若いの」
 ぞんざいな態度で御者はヨハネに云った。
「はい、なんでしょう?」
 少々、ムッとしながらもヨハネは応える。

――主よ、憐れみたまえ。キリストよ憐れみたまえ。エィメン……
   Kirie,eleison.Christe,eleison.Amen……

 こんな事で腹を立てては、師匠の居ない教会を守ることなど出来ない。ヨハネはぐっと堪えた。
「セント・カタリナ教会というのは、ここか?」
「はい、そうですが……何か御用ですか?」
「ヨハネ神父という人物を探してるんだが……」
 狐目の御者は一瞥して云う。
「……僕……ですけど……」
 自分を探しているといわれ、ヨハネは驚きを隠せない。馬車の豪華さに似合わない相手の人相をヨハネはいぶかしむ。
「ほほぅ……それはそれは……」
 何処かスケベったらしい笑いを頬に張り付かせ、御者は云った。
「へぇ……まあ、上玉だぁーな……」
「お頭も好きだねえ……これで二度目だぜぇ?」
「馬鹿、お頭じゃねえつーの、御館様だ」
「へーへー、そうでした」
 これはしたりと、御者の一人は禿頭をぺしっと叩く。
「御館様はあんたが欲しいんだそうだ……そんで、迎えに来たってワケだ」

―― はぁ?? 二度目ぇ?

 一体、こいつらは何を云っているのか。

 狐目の御者がきひひっと気味の悪い笑い声を上げる。
「じゃ……来てもらうぜ」
「え、何処に?」
 云われたことの意味が分からず、ヨハネは聞き返した。
「娼館だ……男のな……」
 男たちは俊敏だった。
 車上に居たはずの男たちは飛び降り、気が付いたときには、しゃがんでいたヨハネを地面に押さえつけている。
「はッ……離せぇ!!」
 叫んでも痺れきった足に力は入らない。長い間、炎天さらされた頭はまだぼーっとしている。禿頭の男は逃げないように僧衣の端を足で踏むと、ヨハネの頭と首根っこを押さえつけた。狐目の男はヨハネの肩を押さえ、腕を後ろ手に縛り上げた。
「い……いやだ!嫌だぁあああ!!」
「そう云うなって、御館様がた〜っぷり可愛がってくれるさ」
「じょ……冗談じゃないッ!……師匠〜〜〜〜っ!!」
「うるせぇな、この神父さんは……おい、気絶させろ」
「えっ!手荒なことしたら……」
「大丈夫だって……んじゃぁ、我慢してくれよな……」
 云うやいなや、狐目の男は容赦なくヨハネの鳩尾に拳を入れた。
「う……ぁ……」
 腹部の痛みに喘ぐ。吐き切った息は、中々、ヨハネの肺に戻らない。肺の中の残り少ない息をハッハッと吐きながら、それでも懸命に息をしようともがいた。
「…………ぐ……」
「馬鹿っ!やり過ぎだ!」
「こんなことじゃ死なねえって」
 力無く倒れ付すヨハネを抱え上げると、狐目の男は馬車に運び込む。無造作に放り込み、馬車のドアを閉めた。
 狐目の男の鞭を振るう掛け声だけ残し、馬車は去っていった。


●男の園へ 馬車に乗って

「なんですって?」
「だから、ヨハネさんが……」
 それだけ云うと、新米シスターはその場に泣き崩れる。
「神父さんが誘拐されたですってぇ?……」
 エスメラルダはあんぐりと口を開けた。
「ヨ〜〜〜ハ〜〜〜ネ〜〜〜さぁああああああん!」
「ちょ……ちょっと、リナフィールさん! 泣くのは後にしなさいよ。何処に連れて行かれたのか分からないの?」
「分かりません〜(泣)」
 必死で泣くのを堪えながら、話しつづける彼女……リナフィール・レアトをエスメラルダはじっと見つめた。
 彼女が云うには、朝、先輩のヨハネ神父と供に掃除をしていたときのことだったという。彼女は聖堂を、ヨハネ神父は門のあたりを掃除していた。
 しばらくすると、何やら話し声が聞こえ、終いにそれは口論のように聞こえてきた。様子がおかしいと思った彼女が門の所へ行った時には、彼が馬車に連れ込まれたところだった云う。
 最悪なことに、彼女の上司は諸用で一ヶ月ほど帰ってこない。どうしたらいいか分からず、こんな歓楽街まで彼女は出てきたのだった。
「わあああああん! 猊下ぁああああああああ!! あたし、どうしたらいいんですかぁあああ!」
「リ……リナフィールさん? その馬車に何か特徴は無かった?」
 云われてリナフィールは顔を上げた。
「確かぁ……お花の紋章が描いてありました……すっごくすっごく豪華な馬車だったんですぅ……四頭立てだったし……」
「は?豪華な馬車……」

―― 煌びやかな馬車に神父? それって以前にもあったような……

 ここにいれば誰でも事件に出くわす。ここはそんな事件の解決を生業とする冒険者が数多く集まる場所だ。エスメラルダは過去の事件を思い返してみる。
「ねえ……もしかして、それって花びらが5枚の花紋章?」
「はい。ピンク色で、葉っぱが小豆色のです」
 エスメラルダは頭を抱えた。
 それはどう考えても、隣街の有名な男娼館の紋章だった。

 ―― あンのエロ館主(おやじ)、まぁ〜た、お気に入り君を攫いに来たのね……

「それって……ヤバイわ」
「やばい?」
「別な意味でよ……」
 さすがにこの街に転属させられたばかりでは、事の重大さが分からないらしい。修道院暮らしの早乙女には、それがどういう所か云っても分からないだろう。
「と……とにかくその神父さんを奪還しなくっちゃ……そうだわ、貴方たち行ってくれない?」
 そう云うとエスメラルダは店の客……冒険者たちに声をかけた。


●虎穴入らんずば ヨハネを得ず

「あ〜、俺が行きますよ」
 デュナン・ウィレムソンは挙手して云う。
 舞台の近くに座っていた彼は先程まで演奏をしていた。
 聖獣界ソーンでは異界人が良く現れる。この街はそんな果てしない旅人たちの憩う街だった。よく現れる存在の中に地球人と云う人々がいる。彼はその一人だ。
 腰より長い銀髪と優しげな容貌でよく女性に間違われている。エスメラルダが始めて会った時には実際年齢より最低10歳年が下だろうと思っていた。
「ヴィジョンを呼べば良いだけだし……」
「そうねぇ……他にいない?」
 エスメラルダは辺りを見回す。ふと、手を上げるものがあった。カウンターの端で強い蒸留酒を飲んでいた女だ。見れば、三本ほど瓶があるが、一向に酔った気配は無さそうだ。
「ようは、その神父様を助ければ良いんだろ?」
 女は云った。
 彼女は常連客の一人だ。
「そうよ、ロミナさん」
「ふ〜ん」
 ロミナと呼ばれた女は意味ありげにクッと喉の奥で笑った。
 鍛え上げられた肉体に揺れる豊満な胸が眩しい。
「お願いします! ヨハネさんを助けてください」
 頭上の角は魔族の証だ。リナフィールは彼女の野牛の角に目を留め、少し慄いたが、きっぱりと云った。彼女の獣のような肉体に威圧感を感じたが、今はそんなことを気にはしていられない。このままヨハネに何かあったら、猊下になんと言えばいいのだろう。それだけが頭にあった。
「お金は?」
「え?」
「お・か・ね。無いのかい?」
「あ……り……ます、ちょっとなら」
 俯きながらリナフィールは云った。教会を出てきたときに幾ばくかは持って出てきたが、取りに戻ったとて、自由になるお金なんか無い。
「本当にこれだけなんです……」
 目頭が熱くなって、鼻が詰まる。清貧を美徳とせよと云われても、今のリナフィールには納得できなかった。今は清貧と言う言葉が恨めしい。リナフィールはロミナを睨んだ。お金が足りないと云われたら、ヨハネさんの安全は諦めなければならないのだろうか? そう思った瞬間、ロミナは云った。
「じゃあ、神父様に払ってもらうとするか」
 と不敵な笑みをロミナは浮かべる。
「え?」
「助けてやるって云ってんのさ」
「あ……ありがとう!……ご、ざいます……」
 睨んだことが恥ずかしくなってリナフィールは俯く。
「素直な子は大好きさ」
 ロミナは笑った。
 何にも知らないネンネちゃんには大人の女の考えは分かるまい。
「よかったぁ〜vv これで安心です♪」
 そう云うと気が緩んだのか、リナフィールのおなかが鳴り始める。恥ずかしそうにリナフィールは先程出されたサンドイッチを頬張りはじめた。

 デュナンとロミナは男娼館の場所を聞き、手筈を整える。
 まず、ここに楽器……「チェロ」と」云うものだそうだが……それを置いて行き、デュナンはイーグルのヴィジョンを呼んで館に侵入。ヨハネを発見後、外に連れ出す。
 これがデュナンの行動予定だ。
 一方、ロミナは客として進入し、落ち合えたら、一緒に行動。戦闘になったら、ロミナにその場をまかす事にした。
「うまくいくといいですね〜♪」
 のほほ〜んとデュナンは云った。
 下手をすると戦闘になるのかもしれないというのに、口調は穏やかそのものだ。かたや、ロミナのほうもピクニックに行くかのように鼻歌を歌っている。
「しかし、何で神父さんを誘拐なんかしたんでしょう?」
 小首を傾げて、デュナンは云う。
 その言葉に眉をひそめたエスメラルダは、リナフィールに聞こえないように耳打ちした。
「実は……前にもあったのよ、同じ事が」
「は?」
「あの子の……上司がね、同じ館の主に誘拐された事があったのよ。例の男娼館の主って、惚れると何でも連れてっちゃうんで有名なの」
「はぁ!?……何か……そこまでいくとある意味、伝統に近いような……その上司って、そんなに美形だったんですか?」
 充分過ぎるほど美形なデュナンがいうと何か変である。こっちもキケンなんじゃないだろうかと思えた。行かせない方が良いのかも知れない。エスメラルダは思わず唸る。
「確かに美形だったわよ、その人……でもね、ヨハネ神父は凄い美形っていうワケでもないのよ」
「やっぱり伝統なんじゃないのかぁ?」
 横からロミナがからかい口調で云う。
「さあね……まぁ、ヨハネ神父は可愛いほうかしらね」
「ふぅうううう〜〜〜〜ん」
 ロミナはニヤリとした。
 その笑いにキケンなものを感じたが、エスメラルダは黙っていた。


●狂える野牛と神父の華麗なる受難

「営業前だ」
 強い口調で門番はロミナに云った。それを聞いて、怯む彼女ではない。
「あたしは戦場から帰ってきたばっかで、早く戦場の垢を落としたいんだよ!」
 ロミナは持った業物を地面に打ちつけた。
 その振動に門番はびくりと身を竦ませる。
「それに面白い新入りが来たと聞いたんだけどねぇ……」
「な……何を根拠に……」
「知ってンのさ…隠そうたって無駄だよ。神父さんを攫ったって聞いたよ?それに……」
 ロミナはそいつの手に皮袋を握らせた。
 門番はふいに手ごたえに血色ばみ、半ば震える手でずっしりと重い袋を開ける。中には金。それもかなり純度の高い、上等の砂金だった。
「あたしは魔族の出身でね……それが神父と遊べるなんて楽しいじゃないか」
 云うと、ロミナは殊のほか嬉しそうな笑みを浮かべる。地上における天の使徒が魔族と戯れるなぞ、陰徳の極みだ。
 彼女はミノタウルス族と云う半人半獣族の出身だった。ロミナの一族の者が、かつて、地球のミノアと云う地域に出没したことがある。異形の姿のせいで人々に恐れられた。それが伝承となり、今でも地球に残っているのだ。
 とはいえ、彼女が魔族であることは変わりはない。彼女の持つ魔性は幻でもなかった。
 ロミナはさっきの砂金の袋の上に更に載せてやった。
「倍以上払って貰えるなんて無いよな、普通。どうだい、あんたらにも仲介料が欲しくないかい?」
 ロミナは振り返った。
 他の門番を見やる。もの欲しそうに覗いていた男たちがピクリと反応した。
「あたしはね……楽しみたいんだよ。通してくれるなら、礼は弾むよ……」
 ロミナは微笑した。
 獲物を狙う獣の瞳に妖しい光が踊る。いらない争いは金で解決して、さっさと囚われのお姫様(神父)を取り返すに限る。
 愚かしくも欲望に正直な門番たちは、ロミナの作戦に見事に引っかかった。

「ふ〜ん……上等な部屋じゃないか」
 ロミナは部屋に入ると辺りを見回した。
 広い部屋には彫刻を施した家具が置かれていた。しかし、天蓋付のベッドに質と大きさに敵う家具などこの部屋には無い。それは優に5〜6人は寝られるであろう大きさだったし、しつらえたカーテンの刺繍も見事だった。
その中に彼は居た。
ロミナは戸惑うことなくベッドに歩み寄る。
薄いカーテンを開けると青年がまどろんでいた。薬で眠らされているのであろう。規則正しい寝息がかすかに聞こえる。時折、長い睫毛を震わせるが、体の自由までもが利かないのか、その瞳が開かれることはなかった。
「おーおー、無邪気におやすみだとはいいご身分だねぇ……」
 そう云って、ロミナはクスリと笑う。
 無防備なヨハネの姿に目を留めるや、悪戯心が疼きだした。
「このまま帰るだけってのも癪だし、ちょっとつまみ食いさせて貰おうかね」
腰に下げた大剣をベルトから外し、ヨハネの横に投げる。
 ロミナは靴も脱がず、ベッドに上がりこむと、力無く横たわる青年の隣に寝転んだ。今、そこにある危機に気付かず、夢の世界を彷徨うヨハネはどんな夢を見ているだろうか。
 ほっそりとした身体つきと背の高さに比べ、眠る表情はまだ幼く、少年といっても良いほどだ。今は薄孔雀色の長衣と白いチュニックに白金布の帯を締めている。着ていた僧衣はサイドチェストの上に置かれていた。
 収まりの悪い黒髪が寝乱れて、この年にしてはやや細めのうなじが覗いていた。ロミナは、少し癖のある髪を弄ぶ。それから、つ……と、首筋の窪み、胸鎖乳突筋を指で撫でた。
「……ん……」
 鼻に抜ける声が洩れる。ヨハネは身じろいでロミナの手を避けた。
「『何が可愛い部類に入る』だ……十分、イケるじゃないか。そうさねぇ……」
 そう云うと、ロミナは口の端を歪めた。
 ヨハネの血色の良い口唇がうっすらと開かれている。
「こちらも大分費用が掛かってね、あたしと少し遊んでもらうよ……」
 口角の感触を楽しんでいた指がヨハネの顎を掴んだ。横を向いていた顔を正面に向けさせる。
 キスもまだだろう若い神父の口付けとはどんなものだろうか。ロミナはヨハネの唇を奪った。
 はじめは触れるだけ。次は濃厚に。
「……う……ん……」
 息苦しさに口を開いたところを見逃すロミナでもない。そこはしっかりと深く口付けた。
「ん……んんんんんんッ」
 空気を求めて喘ぐヨハネをしっかりと抱え込む。
 暴れれば暴れるほどに逃げられない。息が詰まりそうになったヨハネは目を見開いた。

「!」

 眼前に女。しかも、角付き(=魔族)。
 おまけに自分は唇を奪われている。夢の中を彷徨っていたヨハネの意識は完全に覚醒した。
「ううううううううう……」
 ヨハネはもがいた。
 この状況は正しくない。とてもイケナイ。聖職者として有るまじき状況だ。しかし、焦るほど、からめ取られて動けなくなる。

―― あああああ! 何だか分からないけど、僕、大変なことになってますう(泣)

 そう思えば思うほど、ヨハネは混乱した。
 ふくよかな胸の感触を感じて焦る。いや、ふくよかどころか相当にダイナマイトな爆乳バディーだ。いきなり自分の唇を塞いだ女はかなりの美人。逃げたくても、自分より力の強い彼女から逃れる術は、はっきり云って無かった。

――ああッ! 主よ。これが試練というものですかッ!

 未知の体験は背を這い上がる奇妙な感覚となってヨハネを支配しにかかる。眩暈さえ覚える口付けは、さながら悪魔のキスといえよう。
 悪態を吐きたくても、口を塞がれていれば叫ぶことも出来ない。

 師匠、師匠、師匠〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ぅッ!!! 

 口が利けたのなら、ヨハネは確実にそう絶叫していただろう。しかし、悲しいかな。彼の唇は依然と塞がれたままだ。
 苦しさと辛さの間に挟まれて、涙が零れた。
 不意に泣き始めたヨハネに驚いて、ロミナは唇を離した。
「……ぅ……や…だ……」
 ロミナから離れようと、ヨハネがもがくが、体は一向に動かない。体が弛緩したままなのは薬のせいだ。ヨハネは首を振った。
「……離し…て……」
 体は動かなくても、懸命に心で戦う青年の頭をロミナは優しく撫でた。
「そんな沈んだ顔をするな、何事も経験だよ」
 女はぬけぬけと云った。
「……主よ。ご…めんなさいぃ……」
 混乱状態から抜けきれていないのか、意味不明の言葉をヨハネは口走る。
「まあ惚れるより慣れろだ、なんかあったら責任は取ってやるよ」
「や……やめ……」
 再度、キスしようとしたその時、背後から破裂したような音が聞こえた。それはドアを蹴破った音だった。
「どかんか、この牛女ぁ!!」
 ロミナが振り返ると、肩を怒らせ初老の男が睨み据えていた。後ろには先程の門番が隠れている。どうやら、この男はここの館主らしい。
「わしのハニーから離れんかッ」
「……は……ハニー??」
 思わずロミナは聞き返した。
「そうぢゃ!」
 頬を赤らめながら。でも、そこは中年親父の厚かましさでキッパリ言い切る。
「愛しいユリウス君の弟子ぢゃから……可愛いんだろうと思っとったが、やはりえぇの〜う♪ ユリウス君は元気かね?」
「あんた、この子の師匠と知り合いかい?」
「いやあ……昔、ものの見事にフラレてのぅ〜……彼の蹴りは強烈だったゾ☆」
 くねくねと体を身悶えて館主は云った。
「ユリウス君の足から繰り出される蹴りが、こう……腹に食い込んでなぁ……」
 何かを思い出すようにうっとりとした表情で話す。
 ロミナは溜息を吐いた。
 こんな親父は無視に限る。
「あ……丁度良いや。あんた、この子が気に入ったからあたしが身請けしてやるよ、金は払うし誘拐の事も黙っててやるからどきな」
「わしのハニーだと云っとろうが!」
「黙れ。手前ぇらの中に、『狂える野牛』ロミナ様を止めれる奴がいるのかい?」
 親父の反応を無視して、一気に云ったロミナは館主を睨む。
「ちょ〜と待ったぁ!」
 だが、ふいに窓のほうからロミナの声を遮ったものがあった。
「身請けも何もないでしょう、ロミナさん」
「おや、デュナンじゃないか」
 ひょっこりと顔を出したのはデュナンと見知らぬ金髪碧眼の美丈夫だった。
 背にはイーグルのヴィジョンを控えている。多分、ここまでデュナンのヴィジョンが運んだのだろう。
 デュナンの隣の男に気がつくと、館主の瞳は輝いた。
「お……おぉッ! ユリウス君ぢゃないかぁ〜〜〜〜〜♪」
 ダッシュでユリウスに縋り付いた……と思った刹那、ユリウスの足がスッと上がる。目に見えぬ速さで蹴りが繰り出された。無慈悲にも蹴りは親父の腹に炸裂し、相手は部屋の端まで吹っ飛ばされる。
「ナイス蹴られっぷりです、館主」
 にこにこと笑ってユリウスは云った。
「よもや、ヨハネ君に手を出したりなんかしてませんよね? こんなところが相応しいようなイヤラシイことなんかしてませんよね?」
 穏やかそのものでユリウスは云った。
「や……やだなぁ、ユリウス君♪……そこまでしてないよ〜vv」
「ふ〜〜〜ん……じゃぁ、この状況は一体どーゆーコト?」
「えへへvv」
「……えへへ♪……じゃ、ありませんよ。貴方には、すこ〜ぅしばかりキツイ説法が必要なようですね……」
「ユリウスさん、殺さないで下さいね」
 呆れてデュナンは云った。
「私、これでも天なる父の使徒ですよ?」
 小首傾げて笑う教会の貴公子は「うふふvv」などと云って、手をヒラヒラさせる。
「じゃぁ……準備はよろしいですか?」
「痛くしないでねvv」
「さぁ、どうでしょう? 神のみぞ知る、ですね……Requiescast In Pace……御覚悟を……」
 嫣然とユリウスは微笑んだ。大天使の優雅な笑みが、親父の心を色鮮やかに彩った瞬間、地獄への門が開いたと感じたのは親父だけではなかった。
 すざまじい絶叫が館内に響き渡り……そして、消えた。
 門番頭が部屋にたどり着いたときには、悶絶する館主と門番たちのみが転がっていた。


●終〜猊下と冒険者のサドンデスワルツ〜

「猊下ぁあああああああああああああああ!!」
「おやおや……リナフィールさん、大丈夫ですか?」
 ユリウスは泣きじゃくるシスターを優しく慰めた。
「……は……はい。でも、ヨハネさんがぁ……」
 リナフィールはユリウスを見上げて云う。
 帰ってくるなりヨハネは高熱を出して倒れたのだ。今は自室で休養中である。
 ヨハネが攫われてから心配で心配でじっとしていられなかった。帰ってくるなり倒れ伏したヨハネを見て、リナフィールは半狂乱状態になったが、現在は落ち着いている。
「心配しないで平気ですよ。あれはちょっとした知恵熱ですから」
「へ?」
「とにかく大丈夫ですよ」
「しかし、出掛けてたんじゃないのかい?」
 ロミナは云う。
「一ヶ月は帰ってこないって聞いてたんだけど」
「『門』を発見したので、それ使って帰ってきたんですよ♪」
 ロミナは呆れた。あれだけ金を使ったことが馬鹿らしく思えてきた。
「大丈夫なのはよかったんだけどさぁ……」
 ロミナは肩を竦めた。
「こっちは金かかったんだけどね……代金のほうは?」
「あ……俺のほうも忘れないで下さいね」
 デュナンが口を挟む。
「そうですね……おいくらです?」
「〆て、百万ってところかな……」
「ひ……ひゃ……く……」
 ユリウスは流石に唖然とした。

――こ、これはヤバイですねぇ……

 焦ったユリウスが交渉しようと思ったのを待っていたかのように、ロミナが押し留めた、
「一分一厘ともマケないからね」
「ぐっ……」
 ロミナに云われて、ユリウスの目はヨハネの部屋のドアを見た。にんまりと笑うロミナとほやほや笑顔のデュナンの間に挟まれて、ユリウスは「え〜っと……ははは」と乾いた笑いを浮かべた。気もそぞろにヨハネの部屋ににじり寄る。

 売るのがダメなら、変態ちっく親父☆に貸すのは良いかなぁ〜……などと、ユリウスが思っていたのを、ヨハネは知るはずもない。
 さらに過酷な受難がいたいけな青年を待ち受けているのだった。

 ■END■

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / クラス】

MT12_6609 /デュナン・ウィレムソン/男/30歳/オーケストラ団員(地球人)
      (Dunand・Willemson)

SN_0781 / ロミナ  /  女  /  22際 / 傭兵戦士(魔族)
     (Romina)

(                   五十音順)
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■         ライター通信          ■
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☆この作品の味わい方

1、結城信輝・神村幸子・小林智美様 等のアニメ画面を思い出しながら読んだりいたしますと……笑えます。

2、館主が出てくるシーンからは柴田亜美テイストの絵を思い浮かべてお読みください。館主が頬を赤らめるシーンがリアルに脳内に再現されますと、何がなくとも一週間は笑えます。エンドルフィンはある種の幸せをもたらします。


 はじめましてこんにちは、朧月幻尉です。
 通常東京怪談のほうで営業しているのですが、ファンタジーのほうもと思いまして、今回こちらのほうに窓口を移転いたしました。
 勿論、怪談のほうも営業いたしております。

 初依頼であのシーンがドッキドキの朧月です。あんまり突っ込んで書くと歯止めが……じゃなかった、怒られちゃいますので、ここまででご勘弁をvv
 大変楽しく作成させていただきました。
 ご希望・ご感想・苦情等、受け付けております。よろしかったらお送りくださいませ。
 これからもよろしくお願いいたします。


                  朧月幻尉 拝