<東京怪談ノベル(シングル)>


『花の降る日の約束』

 さらさら、さらさら。
 その日は、朝からずっと花が降っていた。
 さらさら、さらさら……

 それは厳かな葬列の花だ。空にそびえる街の、街中の無数の塔の無数の窓から、その葬いの列に降り注いでいた。
 低い雲が足元を通り抜け、葬列の花を悲しみの露に濡らす。
 それでいて空はどこまでも蒼く突き抜けて、透明な絶望に暮れている。
 喪失の淵は深かった。
 祈りの花は時折、強い風にあおられて、空高くに舞い上がる。
 そして再び降ってくるのだ。

 さらさら、さらさら。
 風さえも、死者を悼んでいるようだった。
 さらさら、さらさら……


 ライオネル・ヴィーラーがあの日のことを思い出すのは、そんな同じような風に、同じような蒼空に、同じような花が舞っている日だった。
 彼のふるさとの風の大陸ではないこの夢の里にあっても、時にはそんな日があって、いつかの記憶をゆらゆらと揺り起こされる。
 あれが、運命を変えた日であったと言えるだろう。ライオネルと、ライオネルの愛しい少女の……
 ライオネルは遠い空を見上げる。
 この夢の里は、きっと、あのふるさとに親しいのだろうと思う。
 もしもあの日がなかったなら、今の自分はいただろうか。
 そんな想いも、ふとよぎる。
 あの時の悲しみが、今を作っているのだろう。あの時から始まった試練が、今のライオネルを作っているのだろう。

「カイエ様」
 ライオネルの呼ぶ声に返事はなかった。
「カイエ様……」
 呼ぶ声の幾度目かに、姫君付きの女官が重い固樫の扉から顔を出して、ただ首を振った。
 無情にも、そのままライオネルの目前で、再度扉は閉じられる。
 少女を襲った悲しみは、儀礼の服喪よりも強い力で少女を床に縛っているようだった。しかしライオネルには、それすらも扉の向こうの未知の風景でしかない。
 扉は固く閉ざされていた。ライオネルを拒絶するかのように。
 その日、この街を行く葬列は、この風の大陸の主の息子のものだった。そしてそれは、ライオネルの大切な少女の兄のものでもある。
 今の領主夫妻の子供は……二人だけ。跡取り公子の突然の死が、今まで自由にさせられてきたライオネルの愛する姫の自由を奪うことも、想像に難くはなかった。
 それは、ライオネルのささやかな夢にも陰を射す。ライオネルの愛しい娘は、この地を統べる義務を課せられることになるのだから……今は彼女の護衛の一人に過ぎないライオネルが、仮にいつか彼女の心を掴もうとも、その先に幸福な未来が待っているとは思えなかった。
 それでも……
「カイエ様、カイエ様……聞こえますか、カイエ様」
 ライオネルは、凛と声を張り上げた。
「私は、ずっとおそばにいますから」
 やはり、返事はなかったけれど。
「私は、どこにも参りません。ずっとおそばにいますから」
 それでも、ライオネルは続けた。
 誓いの言葉を。
 この先の永遠を誓う言葉を。
 ……それが、彼女の元に届いていたかどうかはわからない。
 だが、それはライオネルにとっては聖なる誓いだった。


 そこから今に向かって、時は流れる。
 その過程で、ライオネルの願いは叶った。
 いくつものもしもの中から選ばれた、ただ一つの未来。
 愛する少女の手を取って、歩んでいける未来。
 それは、ライオネルがあの日の誓いを守れる未来だ。

 空はどこまでも蒼く、深い。
 強い風が、花びらを空高くに巻き上げる。
 そして花が降ってくる。
 さらさら、さらさら……
 こんな日には、思い出すのだ。
 愛より深い、永遠の誓いを。
 あの花降る日に誓った言葉を……