<東京怪談ノベル(シングル)>


『昼下がりの魔法』

「ごちそさまっ」
 両手を合わせて、礼っ。
 鈴々桃花(りんりん・たおほわ)は中華な礼で、お昼の食事をしめくくった。
 この宿屋兼食事処の主のおっちゃんは食事が終わったことを確認するようにちらっと見、それから片づけのために近づいてきた。
「嬢ちゃんは、どこから来たんだい?」
 店の主人は盆に食べ終わった皿を乗せていく手を休めることなく、そう聞いた。こんな田舎ではちょっと変わった礼儀作法だったからか、夢の郷ソーンで宿屋を営む者の社交辞令か。 
 ここ聖獣の世界、ソーン。ここに住まう者もいるが、ここを行き交う者の多くは重なり合う異世界からの旅人だ。自分の世界と行ったり来たりを繰り返す者も、こちらの世界に宿り続ける者もいる。そして、桃花もその一人である。
 店の主人も、そう興味津々という風情ではなかった。このソーンで店を構えるほどであれば、それなりに珍しい風習にも慣れがあるのかもしれない。
「中国」
 桃花は簡潔に答えた。このソーンに来る者の故郷の中にも何やら色々な中国があるらしいが、桃花の故郷は普通の中国だ……多分。店の主人も『どこのどういう中国か』までは追求しなかったので、そこで桃花は立ち上がった。
「おいしかったー」
 ぽむぽむとお腹を叩きつつ、桃花は二階の自分の部屋に戻るために階段に向かう。すると桃花の足元で皿を舐めていた黒猫、梅花も顔を上げた。そして桃花が階段を上り始めた頃には、やっぱり足元には梅花がいた。
 主人に似ず、よく出来た猫である。
「ああ、夕飯は何がいいか決まったら、言いにおいで」
 階段を半ばまで上がったところで、後ろから店の主人の声が追いかけてきた。階段の下を覗くように屈んで、桃花はやっぱり短く答える。
 お昼のメニューは、木の子のシチューのパイ包み焼きだった。じゃあ夕飯は何にしようかと考えながら、桃花は残りの階段を上がっていった。


 空は綺麗に晴れていた。わずかに流れるちぎれ雲が、その蒼を引き立たせる。開け放たれた窓の外には、秋蒔き小麦の穂のそよぐ畑が見えている。その少し先には丘があって、大きな樹が見えた。窓から見える中に樹らしい樹はそのぐらいだったが、丘の向こうには牛や羊が放牧されていて、遠くからその鳴き声が聞こえていた。
 絵に描いたような、のどかな村だ。
 いや、牛やら羊やらの鳴き声は絵には描けないが、そこはそれ。
 宿屋の南向きの大きな窓から差し込む陽射しは、すっかりベッドを暖めて、さらにそれをふかふかにしていた。
 それは極上の空間と言ってもいいほどのものだったが……しかしその上に座った桃花の回りは、おもちゃ箱をひっくり返したような散らかりっぷりだった。
 いや、ある意味おもちゃ箱をひっくり返したのだと言ってもいいか。それは、桃花のいつも持ち歩いているカバンの中身である。
 桃花は悪魔を自称して、その修業として日々悪戯を繰り返している。まあ……悪魔と言うには、かなりささやかな悪戯ばかりなのだが。その悪戯のネタが、このカバンの中身というわけだ。
 直球に虫・蛙・とかげなどの模型のおもちゃや、中には綺麗な箱もある。それらを整理したりお手入れしたりは、桃花の日課となっていた。
 梅花はご主人様のきまぐれや、整理と称してぽいぽい道具を回りに投げるのに巻き込まれるのを警戒してか、ベッドの上でも少し離れて寝そべっていた。安全人猫間距離の取り方は慣れたもので、桃花の手から何が飛んできても、鼻先以上の近くには落ちない。それでも万が一があるかもしれないと思っているのか、顔は桃花の方に向けていた。
「とかげ、しっぽ取れた」
 取れた尻尾と本体を摘んでぶら下げ、桃花は梅花に見せる。
 見せられた梅花は、興味なさげにあくびをした。そんな風に梅花の様子はずっと退屈そうだったが、桃花はそんなことは気にもしないで上を向いたり下を向いたりしながら、一方的に梅花に話しかけ続けている。
「あ!」
 それでもしばらくごそごそと散らかしたおもちゃたちを探っていた桃花は、突然に顔を窓へと向けた。
 じっと窓の外を見つめているので、何を見ているんだと梅花も黒いしなやかな首をそちらに伸ばす。
「桃花、今日晩メシ、ハンバーグ希望」
 ……ぅもぉ〜、と遠くで牛が鳴いていた。
 梅花は何も言わなかったが……いや、猫なので言わないのが当然なのだが……何かこう、なんとも言えない表情で、桃花を見つめていた……
「ほら、梅花」
 その鼻先に、不意に箱が差し出された。それだけでびっくりして梅花は目を丸くしたが、その箱から更に、
『びょんっ』
 っと、蛇のおもちゃが飛び出して来たので、梅花は文字通りその場で飛び上がった。ざざっとベッドのはじまで飛び退って、毛を逆立てている。
「これ、今度自信作!」
 新作のおもちゃを嬉しそうに自慢する桃花に、悪気はま〜〜〜〜ったくなさそうだ。
 が、梅花の方はドキドキする心臓を抱えて、まだ警戒体制である。
「驚いた?」
 梅花にしてみれば、そりゃもう、というところだが……おもちゃにというよりは、桃花の突飛な行動にだ。桃花の方が、そんじょそこらのびっくり箱より心臓に悪い。
 桃花は、そんな梅花のことはまた忘れたかのように鼻歌混じりで、おもちゃ箱に蛇を戻している。
 多分、これで誰を引っかけるかなどと考えながらだろうか……
 嵐が過ぎ去ったかと、梅花がやっと体の緊張を解いて、元の場所に寝そべろうとした時。
「あ!」
 また桃花が声を上げたので、今度は何事かと顔を顰めて梅花は桃花を見た。
「桃花、次、黒くま白くま人形作る!」
 今度は桃花はカバンを更にひっくり返し、おもちゃの材料になる布やら皮やら、細工用の小刀などをベッドの上に散らかしている。
 まだまだ警戒を怠ることなく梅花はその様子を窺っていたが、どうやら新しいことを思いついたらしい桃花はその支度に一気に夢中のようだった。
「チャーリー、シャルル、あげる。遊ぶ! 仲良し〜♪」
 チャーリーとシャルルは、桃花の知っている人間大の動いて喋ってダンスも踊れる白クマと黒クマのぬいぐるみだ。何やら複雑な事情があるようだが、とりあえず、白クマのチャーリーと黒クマのシャルルは仲がよろしくない。
 桃花がぐっどあいであ〜と浮かれているのは、この二人……とヌイグルミを呼んでいいのかどうかはわからないが、彼らにそれぞれ白クマ黒クマ人形を渡したら仲良く遊ぶだろう、と思いついたからだった。……とんがり黒クマのシャルルはともかく、天然ボケ白クマのチャーリーは桃花の期待には沿ってくれるかもしれない。
 さて……せっせと手を動かす桃花をしばらく観察し、ようやく安全かと踏んだ梅花も再びベッドに寝そべった。

 ぽかぽかと昼下がりの陽射しは、ベッドいっぱいを包み込んでいた。
 お日様の匂いが、ゆらゆらと白いシーツから立ち上る。そろそろ、昼下がりの魔法の匂いが強くなってくる時間だった。
 クマの足やら手やらのパーツが散乱する中で、段々と桃花の動きは鈍くなっていく……人形造りを思い立ってから、それほど時間は経っていないのだが。
 その様子を片目を半分だけ開いて、梅花は見ていた。
 ネジの切れかけた人形のように、少しずつ桃花の動きはゆっくりとなっていって……

 ぽて。

 ついには、ころんとふかふかベッドの上に沈んだ。
 回りには、最初に散らかしたおもちゃから、作りかけの人形の部品から、散らかりっぱなしだ。
 梅花はおっくうそうに両目を開けると、のそりと起き上がって桃花の顔のところまで歩いていく。
 その顔の、その口元のあたりに顔を近づけて、ご主人様がただ寝ているだけなことを確認すると……梅花は何かあきれたような顔でその顔の前に座って、桃花の顔を見下ろした。
 しょうのないご主人様だが、梅花がこんなご主人様を大好きなのも事実だった。心配で見捨てられない、というのも事実かもしれないが……
 まあ、ともあれ寝ている桃花は無害である。
 その無邪気な寝顔の横に寄り添って、梅花もくるんと丸くなった。
 今なら、こんなに近くで寝てても大丈夫だ……昼下がりの眠りの魔法がかかっている間なら。