<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


奇跡

 日が落ちるまでにはその森を抜けてしまいたかった。昼間、健康的で明るい陽光が葉の隙間から射し込むどんな森でも、塗り潰したような闇夜ではその姿を変える。退廃的と言うにはまた違った意味で命の存在を考えさせられる息衝く闇。太陽の光、明るい場所には似つかわしくない生き物達が蠢き始める時刻。自分が完璧な昼間の住人だと思い込む程、思い上がってはいないが、端から見れば己はどこから見ても昼間の住人だと認識されるだろう事ぐらいは理解している。簡単に貪られたり付け込まれたりするとは思っていないが、それでも手間と面倒はなるべくなら無い方がいい。そう思ってクラインは足早に細い獣道を歩いていたが、どうやらその日の彼は森の神に愛されていなかったらしい。それとも逆に、愛された故に引き留められたか。いずれにせよ、男は複雑な獣道に迷ってしまい、願いも虚しくとうとうとっぷりと夜が更けてしまったのだ。

 溜め息混じりに深く息を吐き、紛らわせに独り言でも漏らそうと思うが、それを聞きつけて誰かが来ないとも限らないので、クラインは口を噤んでただひたすら歩き続けた。独りきりの物寂しさを感じながら、あと数十メートル進んだら休もう、どこか柔らかい苔の生えた場所か、逆に乾いた枯れ葉の場所でも見つけて朝が来るのを待とう、そう思いつつ彼はいつまででも歩き続けている。もう少し頑張れば、道が開けるのではないかと言う淡い期待からである。その期待を何度も何度も裏切られ続け、それをあざけるようにホゥホゥと頭上で鳴くフクロウを睨みつけ、男は僅かな月明かりと、手に持った鉄の小さな手灯籠の中で赤く萌えるコークスだけを頼りにして、その大きな樹をぐるりと回って前方へと踏み出した。そこで思わずクラインは立ち止まる。何故なら、彼の視界前方には、有り得ないものが存在していたからだ。
 「……こんな所に……家?」
 思わず、独り言ではない音量の声が漏れる。それにさえ気付かずに、クラインは更に足を踏み進めて前へと歩き出した。
 家だと彼は称したが、実際はそんな上等なものではなく、ただの炭焼き小屋か薪小屋程度の大きさのものだった。樵が己の職務の為に作った小屋にしては、在る場所が余りに深過ぎる。ここでは薪を切り出したとしても、人の住む村や街まで運ぶのに多大なる労力が必要だろう。だがもっと驚くべき事は、その小屋の重そうな扉の隙間から、僅かとは言え明かりが漏れている事だった。
 『人が…住んでいる?』
 或いは、自分と同じように持ち主の居ないこの小屋に一夜の宿を求めたか。…或いはもっと悪い想像としては、ここが盗賊団の隠れ家で中に居るのは希代の大盗賊の頭……とか。考え出せばきりがないのだが、そこはクラインの元よりの育ちの所為か、違うだろうと気楽に且つ勝手に決めつけると、小さな声で小屋の中へ向かって声を掛けた。
 「こんばんは。もしも人に知られたくないのであればこのまま無視をしてくれ。もしもあんたが俺と同じように道に迷った末でここに夜露を凌ぎに来ているのだったら、俺にもその恩恵を分けてくれないか?」
 そう言って暫く黙り込み、相手の反応を伺う。小屋の中で人が蠢く気配がし、それがこちらに向かって近付いて来るのを知る。やがてクラインの予想通り、ぎぃっと音を立てて扉が開かれ………そして彼は、またもそこに有らざるを得ないものを見るのだ。
 「そのどちらでもありませんが…宜しければどうぞ」
 思わず言葉を失い、杭のように立ち尽くすクラインをそう言って小屋の中へと導き入れたのは、盗賊団の頭でも樵でもない、朝の光よりも清々しくて眩い金色の長い髪を持った一人の若い男であったのだ。髪の間から覗く長い尖った耳が、彼がエルフである事を示している、だがその優しげで理知的な瞳が薄紫色に染まっている事が、彼の中に純粋な血が流れていない事をクラインに無言で伝えた。
 「……あー。……あんた、そんな無防備に扉を開けて俺を招き入れて、もしも俺が盗賊だったり殺人鬼だったりしたらどうするつもりなんだよ?」
 入れてくれと声を掛けたのは自分で、その事は棚に上げて置きながら、クラインが咎めるように顔を強張らせてそう言った。その様子に、エルフは目を丸くして暫く彼を見詰めていたが、やがて喉奥でくすくすと柔らかい笑みを零し、茶を煎れる為だろうか、竃の方へと歩いていきながら言った。
 「あなたは殺人鬼なのですか?それとも、どこかの裕福な家庭に押し入って金品を強奪して来た帰り?」
 「…この辺に裕福な家庭が在ったとするなら、俺は真っ先にそこに宿を借りに行ってたよ」
 「ご尤も」
 クラインの返答に機嫌を悪くする事も無く、エルフの彼は穏やかに笑み掛ける。細い指でティーカップを用意し、こぽこぽと立ち昇る温かそうな湯気に目を細めながら来客に椅子を勧め、琥珀色の紅茶を振る舞ってくれた。それは、こんな森の奥深くでお目に掛かるとは思っていないほど、洗練された上質の紅茶だった。普段、クラインが目覚めに飲むのと然程変わらない。その事に驚きつつも、それよりも彼は目の前で同じようにティーカップを捧げ持つ彼の事の方が気になった。そんな視線に気付いているのかいないのか、エルフの彼は穏やかな表情のままクラインの方を見詰める。
 「この森は、夜になると何故か磁場が変化するんです。それで、慣れた人でも感覚が狂って道に迷うんですよ。それもあって、昼間でも余り人は近付きませんしね。ですから、あなたが迷ってしまったのも仕方がないと言えば致し方ない事なんですよ」
 「そうなのか。まぁ、怪我の功名と言う所かな」
 そう答えるクラインに、その言葉の意を求めてかエルフが軽く首を傾げる。金色の絹糸が、さらりと涼やかな音を立てて肩から胸元へと落ちた。
 「君に会えた」
 「……え?」
 「こんな深い森の中で、まさか君のような人に出逢えるとは思ってもみなかった」
 真顔でそう告げるクラインを、エルフは暫しまじまじとその容貌を見詰めていたが、やがて軽く声を立てて笑い出す。
 「……っ、そ、それは…口説き文句か何かですか?」
 そう笑み混じりに肩を震わせるエルフに、クラインはきょとんとした表情を向ける。
 「え?いや、ただ単にそう思っただけなんだけど」
 その返答に、ようやく笑いの発作を収めたエルフが、目を細めて彼を見詰め返す。
 「あなたは、とてもいい環境で育てられた方なのでしょうね」
 「どうだろう。悪い環境だとは思わないけどね。そんなに恵まれているとも思わないよ。どんな境遇でも、それを望んで人は生まれて来る訳ではないから、もしかしたら俺は、今の自分の置かれた状況を望んではいないかも知れない」
 「望んでいないのですか?」
 そうストレートに聞き返され、クラインは首を傾げる。小さく口元で笑った。
 「俺の置かれた環境は、人から見ればとても羨ましく恵まれたものだと思う。それを俺が望んでいなかったのだと言えば、それは生まれ育った環境に寄る傲慢だとか世間知らずだとか、そんな風に非難されるだろうな。それを分かってて俺は、敢えて言う。不満だとは言わないが、でも何かが違う気がする」
 「それを捜して、それでこんな森の中を彷徨っていたのですか?」
 「いや、それはただ単に道に迷っただけ」
 あっさりそう答えるクラインに、またエルフの彼はおかしげに細い肩を震わせた。
 「人の環境を羨むのは簡単な事ですからね。いいな、羨ましいなと言っていれば済む話です。そこから、それじゃあ自分は何をすべきか、何を求めるべきかを考え、行動する事によって人の生きる道や価値は変わって来る…そう思うのですが」
 「人の価値なんてのは、他人が決める事さ。そして、そんな価値には余り意味がない。自分で自分を下らない奴だと思っていても、誰かがそいつを本気で愛して必要としたのなら、そいつにはそれだけの価値がある。だが、人がもし誰かを下らない奴だと評価しても、それは評価を下した奴だけが持つ価値なのだから、それだけでその本人の全てが決まる訳ではない」
 「ようは自分自身の見極めただひとつ…と言う事ですか」
 「そう言う事もある、ってだけさ。人の価値や評価が人それぞれであるように、考え方も人それぞれ。自分が信じる道だって、ひとつじゃなくっても幾つもあっても構わないと俺は思ってる。迷ったって間違ったっていいじゃないか。いつでも人はやり直せるし取り戻せるんだから」
 「……でも、…変えられない事実やどうしようも出来ない事もありますよね。それこそ、さっきあなたが仰ったように、人は望んでその環境に生まれて来る訳ではない。なのに、それをまるで私自身の罪であるかのように咎め、疎み……そうなると、人の下す価値が自分自身の価値であると錯覚を…起こしてしまいますよね」
 そう言って微笑むエルフの瞳が、僅かに曇ったように見えた。それを気付いてて、敢えてクラインは何も言わずに、気の回らない朴念仁の振りをする。
 「でも錯覚を、って言ってるって事は君はそれは違うと思っているんだろう?そして、それを何とかしたいと思っている」
 違うか?と尋ねるようなクラインの視線にエルフは小さく苦笑いをした。
 「思ってはいますが…望みも夢も希望もありますが…それでも、変えられない何かが……」
 「変えられない何かがあると思うのならあるのだろう。ないと思えばそれは最初からないのさ。どんなに不可能っぽい事でも、出来ると思って努力してみれば案外出来たりするもので、何かを君が望み、そしてそれは絶対にあるんだと思って捜せば、それは見つかるものなんだよ」
 事もなげにそう言う、それはクラインの育った環境に寄るものなのかもしれない。それでもエルフの彼には、それだけでない、彼の奥底に眠る何か違った魂の存在を感じるのだった。それは彼にとっては懐かしく優しく、そして胸の奥底が締め付けられるような甘酸っぱい思い出。
 「そう言えば、まだ名も名乗ってなかったな。俺はクライン。…君は?」
 尋ね返すクラインに、エルフの彼は目元で微笑み、改めて目の前の男と向き合った。
 「私はユリウス」
 その瞬間から、クラインにとってその音の響きは特別なものになった。最も、それに気付いたのはもっと後になってからだったが。



おわり。

☆ライターより☆
 お久し振りでございます、碧川桜です(ぺこり) こちらこそ何か仕出かしたかと不安に思っておりましたが、またご依頼を受ける事ができて光栄です。飽きてなんかいやしませんとも!(笑)
 今回は二人の出逢いを…と言う事でしたが、す、すみません(汗) 本当に出逢ってしかいません(…) おまけにユリウスなんか、最後の最後にしか名前出て来なかったし……一応、『一目逢ったその日から…』と言うのより、想いを育んでいったと言う方が私の好みからで…って、ご意向に反していたら申し訳ないです(滝汗)
 それに何かクラインが天然っぽい感じになってしまいましたが、私的に彼は王族と言う事で、いい意味でも悪い意味でも天真爛漫な所があるのではないか…と思ったからですが、如何だったでしょうか?
 少しでもお気に召して頂ければ光栄です。ではまたお会い出来る事を祈りつつ…。