<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


小瓶の中のアリス


■#0 プロローグ

 黒山羊亭で出会ったその初老の男は、ルドヴィスと名乗った。
 ほっそりとしたその体躯を紫のローブに包み、やや皺の目立つ表情を豊かな灰色の髭が彩っている。少し窪んだ眼窩の奥の瞳には、深い苦悩の色があった。
「わしは聖都の南にある森で魔道の研究をしておってな」
 ルドヴィスは果実酒をわずかずつ口に含みながら、語った。
「もう二十年以上も、生命についての研究を行ってきた。人の手による生命――そう、ホムンクルスという奴じゃよ」

 ルドヴィスには、一人の娘がいた。
 娘の名はアリスといった。
 ルドヴィスの妻は彼女を産むことと引き替えにこの世を去り、それ以来ルドヴィスは、たった一人の肉親である娘を誰よりも愛した。
 そしてそのアリスもまた、病でこの世を去った。二十年前のことだ。

「そう、わしは、妻が死ぬ時も、娘が死ぬ時も、何もしてやれなかった。いかにエルザード屈指の魔導師と称えられようとも、愛する肉親の死を前に、何ひとつしてやれなんだ」
 それが彼に、二十年の歳月をかけて、生命の秘密に挑ませたのだった。
「……そしてわしはとうとう、ホムンクルスを完成させた。小さな瓶におさまるくらいの、小さな小さなものではあるが、娘の面影をそのまま生きうつした一人の少女をな。わしはその子に、『アリス』と名づけた。だが……」
 不意に、男の瞳に、激しい怒りの炎が燃え上がったかのように見えた。
「わしが使い魔として使役していた小鬼(ゴブリン)めが、わしの部屋から、『アリス』を持ち出し、逃げ去りおったのだ。まさか、我が魔道による呪縛が解けておったとは――おそらく彼奴め、仲間たちの住むゴブリン谷の巣へと逃げ込みおったに違いあるまい。
 ……わしには金はないが、貴重な古代の魔道書ならいくつかある。売れば少しは金になろう。
 どうか、我が娘を――『アリス』を、取り戻してはもらえまいか」


■#1 撹乱

「あれがゴブリン谷か」
 地平線に沈もうとしている夕陽に照らされて、赤茶色に染まった岩山の頂きで、四本の腕を持つ多腕族の戦士・シグルマは眼下を見下ろしながら、傍らの老魔導師に問うた。
 同行者であり、シグルマにとっては依頼主でもある老魔導師、ルドヴィスは、老いた眼を細めるようにその風景を注視して、頷く。
 ごつごつとした岩肌が剥き出しになった山岳地帯を巨大な悪魔の爪が縦に引き裂いたように、深く険しい谷が口を開けていた。その谷底を、いくつもの小さな影が群れをなして蠢いているのが見える。この谷を棲処としている、ゴブリンの群れらしい。
「大した数だな……本当にこの中に、お前の大切なものを奪った奴がいるのか?」
「……間違いない。我が使い魔であったクレド――きやつが盗んでいきおった『アリス』を封じた小瓶には、不用意に蓋を開けぬよう、封印の呪文が施してある。その封印の放つ微弱な魔力が、わしにその位置を教えてくれる」
「なるほど、お前には目的のものがどこにあるか、だいたいわかるというわけだ」
「だが、これだけの数のゴブリンが蠢くこの谷に、きやつらに気取られず潜入することは不可能じゃ」
 シグルマはしばらくの沈黙の後、ふとルドヴィスに尋ねた。
「ルドヴィス、お前の使い魔だったそのクレドが、何故その『アリス』を奪ったのか、心当たりはないのか?」
「……わからぬ。だが、下等な知恵しか持たぬ卑しきコブリンの考えることなど、ろくなことではあるまいよ」
「もしお前への恨みが原因だったら、こいつは罠かもしれん。そのクレドとやらが同族と結託して、お前を誘き出すための準備をしているかもな」
「奴らにそれだけの知恵があればな。それ故に、お前さんを雇ったのじゃ」
 その言葉に、シグルマはふん、と鼻を鳴らすと、
「大船に乗ったつもりで任せておけ。ゴブリンごとき何匹いようと俺の敵ではない」
 そう言って、両腰にそれぞれ一振りずつ、そして背中に二振り背負っている剣の鞘に収めた四つの剣の感触を、それぞれの腕で確かめる。
「俺が正面から切り込んで、ゴブリンどもの注意を引きつける。その隙を突いてうまく『アリス』を助け出すんだな。……武運を祈るぜ」

         ※         ※         ※

 太陽が完全に没し、谷が夜の闇と静寂に包まれたころ――。
 シグルマとルドヴィスは、行動を開始した。
「――うおおおぉぉッ!!」
 四本の腕にそれぞれ抜き身の長剣を携え、焚かれた炎のそばに集まっていたゴブリンの群れめがけて、咆哮とともに突進していくシグルマ。その姿はまるで血に飢えた鬼神のように見えた。
 四腕の戦士の姿に気づいて、慌てて槍や手斧、盾を構えるゴブリンの兵士たち。
 その数は二十を優に越えている。
 しかしひるむことなく、シグルマはその群れの中に突撃した。
 一斉に飛びかかってくるゴブリンたち。
 その刹那、シグルマの剣が、まるで幾条もの閃光のごとく閃いた。
「ぎきぃっ!!」
「ぎあぁっ!!」
「ぎいっ!!」
 緑色の鮮血をとともに、甲高い悲鳴を上げて、次々と倒れ伏すゴブリンたち。
 ――なんという凄絶な剣の冴え。
 多腕族の剣士といえど、こうまで見事に四本の腕で手にした剣を自在に操れる者が存在しようか。
 死角なく、前後左右、あらゆる方向からの攻撃を受け流し、弾き、そして斬る。
 それは、敵の攻撃を視覚のみで認識しているレベルの剣士には為し得ない、まさしく鬼神の剣技と呼ぶにふさわしいものであった。
 緑の肌の小鬼たちを、まるで薙ぎ倒すように次々と屠ってゆくシグルマに、恐れをなした歩哨役と思しきゴブリンの一匹が、首に掛けていた角笛を吹き鳴らす。
 それは、谷に響き渡り、岩壁に穿たれた無数の巣穴の中の同族に、敵の襲来を告げるものであった。
 手近な巣穴、そして谷の奥からも、わらわらとやってくる新手の足音が聞こえた。
(これで奴らを誘き出せば、巣穴の中は手薄になるはず。……できるだけ時間は稼いどいてやるから、うまくやってくれよ、ルドヴィス)


■#2 危機

 谷の入口で暴れるシグルマ目掛けて、がちゃがちゃと身につけた武具を鳴らしながら、駆け抜けてゆく新手のゴブリン兵。
 岩陰に身を潜めて彼らに見つからないように注意しながら、ルドヴィスは谷の奥から響いてくる、魔力の波動を感じ取っていた。
 紛れもない、アリスの小瓶にかけた封印が放つ魔力の波動であった。
 そしてまた、そのすぐそばに、彼がよく知っている別の波動があった。
 ――クレド。
 彼がその名を与え、呪縛の魔法をかけて使い魔として使役していた醜い一匹のゴブリン。その体にまとわりついた呪縛の魔力が、まだわずかに波動を放ち、かつての主人にその居場所を告げていた。
(おのれ、クレドめ……。死にかけておったところを救ってやったこのわしへの恩義も忘れ、我が命よりも大切な『アリス』を奪い去ろうとは!)
 老魔導師は、久しく感じることのなかった激しい怒りに身を震わせながら、魔力を帯びた愛杖を片手に、魔力の波動をたどっていった。
 やがて。
 波動の流れの示す先に、ぽっかりと大きな洞穴が暗黒の口を開けていた。
 周囲にゴブリンどもの気配はない。
 ルドヴィスは小さな声で呪文を唱え、杖の先に小さな明かりを灯すと、暗闇の世界へと足を踏み入れていく。
 洞窟の中は、獣の匂いが満ちていた。ゴブリン達の不潔な体臭と、食い荒らされた餌の腐敗した匂い、そして糞尿の匂いが入り混じったと思しき、胸の悪くなるような匂い。
 野生のゴブリンの巣穴とはこういう匂いがするものなのだろうか。
 ローブの裾で鼻と口元をおさえながら、ルドヴィスは洞穴を奥へと進んでいく――。
 そして、魔力の波動がすぐ目前に感じられるところまで近づいた、その時。
 澄んだ声が、洞穴の中に響き渡った。
 それは彼に対してかけられた言葉でも、意味を為さない咆哮でもなかった。魔導師であるルドヴィスには最も馴染み深い――それは、古代語の呪文の詠唱であった。
「――馬鹿な、この声は――!」
 老魔導師が驚きの声を上げた刹那――。
 その身体を、闇よりもなおどす黒い霧が包み込んでゆく。
 全身の力が抜け、ルドヴィスは地面へと伏した。
 手元から離れ、転がってゆく愛杖。その先端の明かりが、洞穴の先に立っていた、先ほどの声の主をほのかに照らし出していた。
 燐光を放つ小さな小瓶を手にした、小さなゴブリンの姿を。
「おのれ……。クレ……ド……!」
 意識が遠くなってゆくのを感じながら、老魔導師は怨嗟の声を上げた。
 足元に倒れ伏したかつての主の姿を見下ろしながら、クレドの瞳はどこか悲しげであった。

         ※         ※         ※

 一体、どれだけの敵を屠ったのだろうか。
 全身をゴブリンたちの返り血で染め、また自らもいくらかの傷を負いながら、シグルマは荒い息を吐いた。
 百と十くらいまでは数えていた。そこからはもう、覚えていない。ただひたすらに剣を振るい、飛びかかってくる敵を倒すばかりだった。
 足元に累々たる同族の屍が転がるのを目の当たりにしながら、しかしゴブリンたちは一向に怯むことなく、次々と新手を呼んで襲いかかってくる。
 いくら人間より知能が劣り、好戦的で残虐粗野な種族だと言われているゴブリンたちとはいえ、これほどまでに絶対的な力の差を見せつけられてなお、怯むことも退くこともなく襲いかかってくるとは――。
 いかに人並みはずれた剣の技と強靭さを有したシグルマといえど、これほどまでのゴブリン達の執拗さは予想外であり、脅威であった。
(なんなんだ、こいつらは。これだけ仲間が殺されても、死体の山を踏み越えて飛びかかってきやがる。……まるで誰かに、操られてるみてえだ――)
 胸の内でそう呟いたその時。
 谷じゅうに、予測すらできなかった『声』が響いた。
《勇猛なる剣士よ。その戦いぶり、とくと見せてもらった》
 それは人間の言葉であった。そして、その声は、高く透き通った、若い娘のものだった。
 そしてその声に反応して、シグルマを取り囲んでいたゴブリン達の動きも止まる。
「……何者だ!?」
 シグルマは剣を構えたまま、姿なき声の主に大声で叫んだ。
「この谷にはゴブリンしかいないはず! だが貴様は違う」
 その問いに、声の主はさも愉しげに笑い声を響かせた。
 この声もまた、人の喉から出る肉声ではありえない。この広大な谷じゅうに、まんべんなく響き渡らせることができるのは、魔術の力をもってしか不可能だ。
《わたしは、この谷の卑小な命全てを支配せし者》
 娘の声音には、傲然とした響きがあった。
《多腕族の戦士よ。わたしはお前が気に入った。この谷の下賎なものどもより、お前一人いたほうが、よほど役に立ちそうだ。……どうだ、このままここで戦いつづけて朽ち果てるより、わたしに従わぬか》
 ふん、とシグルマは鼻で笑った。
「生憎だったな。俺は誰にも従うつもりはない。それに今は、雇い主が別にいるんでな」
《――では、その雇い主の命が、わたしの手に握られていると言ったら?》
 その言葉に初めて、シグルマの表情が動いた。
(馬鹿な。――こいつは、ハッタリに違いない)
 そう胸の内で呟くシグルマの考えを読み取ったか、
《信じられぬか。……ならば、証拠を見せてやろう》
 シグルマの頭上――夜の薄闇に包まれた虚空に、仄かな光が生まれた。
 それは、先端に魔力の光を灯した、ルドヴィスの杖であった。
《あの老いぼれの命は、お前次第だ。このまま戦いつづけるというなら、死ぬまでゴブリンどもと戦いつづけるがよい。そしてお前の雇い主も助からぬ》
「――ちぃッ……!」
 シグルマは、構えていた剣を下ろした。
 どうやら、予想だにできなかった、最悪の危機が訪れたようだった。


■#3 『アリス』

 剣を奪われ、荒縄で自由を奪われて、シグルマは洞穴の一角に押し込められていた。
 そこはゴブリンどもが生活するための洞穴というよりも、捕らえた獲物を生かしたまま閉じ込めておくための監禁場所として作られた場所らしかった。
 ゴブリン達に連れられて押し込められたときに入ってきた入口は、今は岩で塞がれてしまっている。どうやら仕掛けがあるらしく、中からは押しても体当たりしてもびくともしない。
 満足に身体も動かせない空洞の中、むっとする悪臭と、一面の暗闇の世界で、飛んだ依頼を受けたものだと、我が身を呪うシグルマ。
 ……不意に、その入口が重い音を立てて開いた。清浄な空気、涼しげな夜風が、そこから吹き込んでくる。
 そして夜風と一緒に、一匹のゴブリンが、短剣を手に、洞穴の中に入ってきた。
 思わず身構えるシグルマ。
 次の瞬間、またも予想できなかった事が起こった。
「あなた、に、たのみ、ある」
 濁った声が、たどたどしく、しかし確かに、人語を発したのだ。
「お前……共通語(コモン)が判るのか」
「わか、る。すこし、だけ、なら」
 人語を発生するのに向かない声帯で、無理やり発しているような、聞き取りづらい言葉。だが確かに、意志の疎通はできるようだった。
「そうか。お前が、ルドヴィスの――」
 ルドヴィスに使役されていた使い魔であり、ルドヴィスから『アリス』を盗み出した張本人、クレドは、静かに頷いた。

 クレドの短剣に身体を縛る縄を切ってもらい、囚われたときに奪われた剣を、再び受け取ったシグルマは、たどたどしいクレドの言葉を注意深く聞き取り、その話に耳を傾けた。
 ――十数年前。
 故郷のこの谷を離れ、冒険者に襲われて瀕死の重傷を負っていたクレドと、ルドヴィスは偶然出会った。
 ルドヴィスがクレドを助けたのは、決して慈悲などではなかった。醜く残虐な種族として人々から忌み嫌われるゴブリン族は、聖都エルザードでも例外ではなく、迫害と駆逐の対象でしかなかった。
 ルドヴィスはクレドに、呪縛の魔法をかけ、使い魔とした。自らは生命の研究に没頭するために、それ以外の仕事をさせる使い魔が必要だったのだ。そして老魔導師は、クレドが自分の意にそわぬ行いをすれば、まるで鞭のように呪文を浴びせた。
 だが――クレドは、それを辛いと感じていなかった。
 驚くべきことに、クレドは自らの命を救ったルドヴィスに対して――人のそれとは違う形にせよ――愛情をもって仕えていたのだった。たとえ呪縛の魔法がなかったとしても。
 ……だが。
 ルドヴィスは長年の研究の成果として、かつての自分の最愛の娘――『アリス』を甦らせた。
 ――そして、『アリス』しか見なくなった。

「それで、嫉妬したお前は、『アリス』を奪って逃げたというのか。……だが、お前にはルドヴィスによる呪縛の魔法がかかっていたはず。まさか、自力で破ったのか」
 シグルマの問いに、クレドは首を左右に振った。
「こびんの、『アリス』が、いった。じぶんを……つれて、にげろ、と。そして、クレドの……まほうを、といた」
「『アリス』が……お前にかかったルドヴィスの呪縛を……?」
 クレドが頷いた。
 小瓶に収まるほどのホムンクルスに、そんな力があるというのか。
 驚きを隠せないシグルマに、クレドが言葉を続けた。
「あれは、『アリス』、じゃない。『アリス』の、すがたを、した、もっと、じゃあくな、もの……」
 それを聞いて、シグルマは確信した。
 ――全ては、『アリス』が仕組んだことだったのだ。


■#4 呪縛の主

 ゴブリンの巣穴の中でも特に巨大な、まるで広大なホールのような空間。
 この谷に棲まうゴブリン達の長と思しき、大柄な体躯のゴブリンが、その奥の台座に立っていた。その手の中には燐光を放つ小瓶。
 その姿をあがめるように、無数のゴブリンたちがホールにひしめいていた。
「……ぐっ……」
 朦朧とする意識の中で、老魔導師は身を起こした。
 すぐ目の前に、ゴブリンの長の醜く獰猛そうな顔が、自分を見下ろしている。
 そしてその手の中に、捜し求めた『アリス』の小瓶を認めて、老魔導師は激しい怒りの表情を浮かべた。
 魔法の力で、『アリス』を奪い返そうとして――手の中に愛杖がないことに気づく。
「おのれ……卑しいゴブリンどもめがッ……!」
 しかし――。
 ゴブリンの長は、手にした小瓶を、ルドヴィスに差し出した。
 まるで、本来の持ち主に返す、といわんばかりに。
 唖然としながら、アリスの小瓶を受け取るルドヴィス。
 その頭の中に、声が響きわたった。
《……パパ》
 小瓶の中に、小さな少女がいた。
 一糸纏わぬ白い姿、まるで煌く黄金でできているかのような長い髪。天使のようなあどけなさと女神のような神々しさを併せ持った美貌。
《アリス、怖かった。寂しかったの。……でも、もうずっとパパと一緒よ》
「アリス……!」
《……ずっとずっと、パパのそばにいてあげる》
「わしは……ずっとお前を甦らせることだけを望んで、生きてきた……。お前にそう言ってもらえることを、どれだけ夢に見ただろう……」
《パパ、愛してる……誰よりも、愛してる》
「わしもだ……愛してる、アリス……!」
《パパ、ここから出して。瓶の封を開けて。パパを抱きしめたい。パパのそばにいたいの――》
 少女が歌うようにそう囁いた。
 ルドヴィスの手が、小瓶の蓋へとのびる――。
 その時。
「……やめろ、ルドヴィス!」
 ホールじゅうに、男の声が響き渡った。
 ホールの入口に立っていたその声の主は、クレドによって、虜囚の身から解放された、シグルマであった。
「それは、お前の娘などではない」
「何を言うか、シグルマ。これはわしの娘だ。そしてこの娘を解放することこそ、わしの望んだこと。何故わしの邪魔をする」
「お前が魔術の粋を尽くして生み出したそのホムンクルスは――お前の娘の姿をした、全く別の生き物だ。邪悪な魂と、恐るべき知性、人間をも越えた強大な魔力を兼ね備えた狡猾な魔物だ」
「何を……何を言っておる!?」
「創造主のお前すら気づかぬうちに、数多の魔法を覚え……そしてその力と巧みな言葉でクレドを操り、この谷のゴブリン達をも支配下において――。そして今度は自分自身を餌に、お前をおびき寄せたんだ。その瓶の封印を解かせるために」
 シグルマはそう語りながら台座へと近づく。そして四つの鞘から、剣を抜いた。
「その小瓶の封を開けたら――その時こそ、お前は今以上の魔力を自由に振るうことができる。そうだろう、『アリス』!?」
 剣のひとつ、その切っ先を、小瓶の中の『アリス』へと向ける。
《くっ……くくくッ……!》
 ホールじゅうに、くぐもった笑い声が響いた。
 そしてそれは、さもおかしそうな哄笑へと変わってゆく。
 澄んだ天使のような声には、まがまがしく邪悪な響きがあった。
《わたしの唯一の誤算は、お前だった、シグルマ。お前さえいなければ、全て予想通りに事が運んだはずなのに》
「ルドヴィス、そいつは危険だ。壊すんだッ!!」
 シグルマの叫びに、小瓶を手にしたまま、困惑するルドヴィス。
《パパにわたしを殺すなんて、できると思う?》
 そして、『アリス』は小瓶の中で、右腕を振り上げた。詠唱とともに、ゴブリンたちを意のままに操る、呪縛の印を切る。
《お前は利口すぎたようだ、シグルマ。生かして我が下僕としてやるつもりだったが、もうよい。その醜いゴブリンどもと一緒に、殺し合いながら果てるがよいわ》
 まるで彫像のように微動だにせずたたずんでいた無数のゴブリンたちが、一斉に武器を手にシグルマのもとへと飛びかかってくる。
「――くッ!!」
 シグルマの剣が閃いた。
 次々と倒れ伏すゴブリンたち。
 しかしそれでも、谷の入口での戦いの時以上のゴブリンの数を前に、さすがに多勢に無勢であった。
「……ルドヴィス!!」
 無数のゴブリンたちと切り結びながら、シグルマは絶叫した。

「あ……あああ……」
 その様子を蒼白になって見つめる老魔導師。
《さあ、パパ》
 『アリス』が優しい声音に戻って、再び囁いた。
《もうわたしたちを邪魔する者はいないわ。わたしは、ずっとパパのそばにいる》
「アリス……お前は……」
《お願い。わたしを解放して。この瓶の封印を解いて、わたしを外に出して》
「アリス、わしを愛していると言ったな。ならば、こんなことはやめるんじゃ! 今すぐゴブリンどもを止めて、彼を――シグルマを助けてくれッ!」
 ルドヴィスの言葉は、まるで哀願のようであった。
 それを聞いて――『アリス』の声音が変わった。冷たく、邪悪な色に。
《……わからぬ老いぼれめ。もうよい、貴様が封を解かぬならば……封そのものの力を失わせるまでのこと》
 少女は笑っていた。悪鬼の笑みだった。
 ルドヴィスの背後で、大きな影がもぞりと動いた。
《術者のお前が死ねば、この封の効力も失せる》
 ルドヴィスが振り向くと、そこには『アリス』に操られた、ゴブリンの長が、今まさに大刀を振り下ろさんとしているところだった。
《お前も長く生き過ぎた。……死ぬがいい!!》
 老人が死を覚悟した、その刹那――。
 ルドヴィスの身体は後方へと突き飛ばされ、そして緑の鮮血が飛んだ。
 台座の上に仰向けに倒れたルドヴィスは、そこで見た。
 彼とゴブリンの長との間に割って入り、その身をもって、長の大刀の一撃からルドヴィスを守った、小さな使い魔の姿を。
「クレド……!」
「ご、しゅじん、さま……」
 腹部を巨大な刃に貫かれて、びくびくと震えながら、クレドは片言の共通語(コモン)で、苦しげな息とともに、言葉を吐いた。
「さい、ごに、ごおん、かえせ、た……」
 力尽きたクレドを目の当たりにして――。
 身を起こしたルドヴィスは、手にした小瓶を頭上高く振り上げた。
 その意図を察して、『アリス』が悲鳴にも似た声を上げる。
《やめろッ! ルドヴィス、やめろ――ッ!!》
 渾身の力を込めて台座に叩きつけた小瓶。
 砕け散ったその中から白い光が弾けて、全てのものを白い世界の中に飲みこんでいった――。

         ※         ※         ※

 数日後。
 聖都エルザードへと戻ったシグルマは、ルドヴィスから報酬の魔道書を受け取り、また黒山羊亭で飲んでいた。
「いてて、傷に染みやがる」
 すっかり満身創痍のシグルマを、踊り子のエスメラルダがからかうように笑う。
「ずいぶんと大変な冒険行だったみたいね。あの偏屈爺さんのお守り、そんなに命がけだったの?」
「ああ、でもなかなか楽しかったぜ。報酬も悪くないしな」
 ルドヴィスが渡してくれた魔道書は、彼がそれまで誰にも手渡すつもりのなかった、『生命の秘密』に関する資料だった。彼同様、人造生命の研究をする魔導師に売れば、莫大な値がつくだろう。
 ……もっとも、それを金に替える気は、今のところシグルマにはなかったが。

 エルザードの街外れの墓地に、ルドヴィスの妻、そして娘アリスの墓碑銘の傍らに、クレドという名の使い魔の新たな墓碑銘が刻まれるのは、それからもうしばらく後のことであった。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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整理番号/ PC名  / 性別 / 年齢 / クラス
 0812 / シグルマ / 男性 / 35 / 戦士

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■         ライター通信          ■
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 どうも、たおでございます(≧∇≦)/
 この度は、この冒険へのご参加、真にありがとうございました!
 ご発注を頂いてから、かなりお待たせしてしまって真に申し訳ありませんでした。
 お待たせしてしまった分、精魂込めて書かせていただいたつもりなので、楽しんで頂けたら嬉しいです。

 聖獣界ソーンの冒険を書くお仕事は、実はこれがはじめてで、かなり試行錯誤しながらだったのですが、もともとファンタジー世界での冒険というのは僕自身もすごく大好きなので、楽しんで書かさせていただきました。
 今後も、より一層頑張りますので、どうかよろしくお願いします(≧∇≦)/
 ご意見、ご要望、ご不満などありましたら、是非聞かせてやってくださいね。
 次はもっと早く、お手元にお届けできると思いますので、どうぞまた機会がありましたら是非、たおの冒険依頼へのご参加をお待ち申し上げております!ヾ(≧∀≦)〃

たお