＜聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記＞
■ 夢見の梢 ■ 聖獣界ソーン（白山羊亭冒険記より）
□ オープニング □
「あら、樹医さんいらっしゃい」
ルディアが開いた扉の向こうに笑顔を咲かせた。声を掛けられたのはフェンリー・ロウ。老齢の樹木が侵されるレンという病を専門に治しているリレン師と呼ばれる樹医だ。抱えたバスケットを落とさないように注意しながら「そんな」と手を振る。
「フェンでいいって言ってるのに」
「でもお医者さんには変わりないじゃないですか」
看板娘が向ける尊敬の眼差しに頬を赤らめて下を向いた。と、フェンリーの抱えたバスケットから小さな鳴き声が響いた。
不思議そうに首を傾げたルディアに蓋を開けてみせる。
「あ、かわいい！」
木製のバスケットの中には３羽の新緑色の雛鳥。ようやく羽が生え揃ったといった感じの小さな体が折り重なっている。
「あれ？ この雛って……あの尾羽が薬になるっていう――」
「そうなの、ヒメギリ鳥の雛よ」
クレスト森林の奥深くに棲む、翡翠色の長尾を持つ貴重種だ。木々に精通し、森と共に生きているフェンリーですらその生態を詳しくは知らない。明るくなった外界に向かってしきりに高い声で鳴いている雛たち。ルディアが指を差し出すと、３羽が競うように黄色いくちばしを開いた。
「フェン、この子たちお腹がすいてるんですね」
「うん…わたしも心配しているんだけど、何も食べてくれないの……」
通常の飼育方法はもう実行済みで、そのすべてが失敗している。おそらく親の消化したものしか受けつけないのだろう。
「巣にもどせばいいんじゃないかしら？」
「そのつもり。でもどこに巣を作るのか分からないし、範囲が広すぎてわたしだけじゃ時間がかかってしまって――」
「そうだ！ 待ってて下さい」
ルディアは昼前でまだ閑散としている店内を奥へと向かった。帰ってきた彼女の手には大きな紙と色インク。フェンリーが眺めているわずかの間に滑らかにペンが動いて、丁寧で配色の美しいチラシが出来あがった。
「もうすぐお昼ですよ。お客様の中にきっと手伝ってれる人がいるはずです」
にっこりと微笑む看板娘に、一人でいることの多い樹医は胸が熱くなる。
「ありがとう、ルディア……」
編み上げた黒髪が揺れた。緑の瞳が潤む。ここのところ、ヒメギリ鳥の密猟者と対峙することが多く、心が荒んでいたのだ。親切が乾いた心に染み込んでいく。フェンリーの胸は感謝でいっぱいになった。
こぼれ落ちた涙に気づかないフリをしてルディアが明るい声を出す。
「お昼まだですよね？」
「あ、うん」
「じゃあ、ぜひ食べて行って下さいよ。そのまま帰る――なんて言ったら怒りますからね〜」
ルディアは遠慮がちに頷いたフェンリーの背中を押して、窓際の椅子に座らせた。
開いたバスケットから飛び出さんばかりに、雛が暖かな陽射しの中で鳴いている。
柱時計がもうすぐ昼時だと、古びた音色で告げた。
＋
□本編 オンサ・パンテール編 □
混み合い始めた店内。騒がしいのを気にしながら、フェンリーは食事を取った。いかつい労働達が注文をしたり、談笑したりして先ほどとはうって変わった賑わいだ。
隣の席にひどく大きな声を張り上げる男が座った。フェンリーでさえびっくりする声。雛が驚いてしまうかもしれない。早めに店から出る方が懸命そうだ。
ルディアに礼を言ってドアを引いた。太陽が眩しい外界に出ようとした瞬間、フェンリーは柔らかな弾力で押し返された。
「きゃっ！」
思わず小さな声を上げ、視線を上げた。
そこには小麦色の肌をした美しい少女が立っていた。全身に描かれた入れ墨。肌が汗で艶やかに光り、長い茶髪が滑らかに風にそよいでいる。十分に魅力的なスタイルを隠そうともせず、腰紐ひとつでドアにもたれかかっていた。
「あたしが邪魔かい？」
「…え、いいえ！ 私が悪いの、ごめんなさい」
フェンリーは食い入るように見つめていた視線を外して横へ避けた。ぶつかったのはどうやら、ふくよかな少女の胸らしい。
「ならいいけどさ」
白い歯を見せてニッコリと笑い、奥へと入って行った。入れ墨の形やしなやかな筋肉の動きは女豹を思わせる。当然のことながら、先ほどまで
騒がしかった店内は静まり返り、羨望のため息と囁きが支配していた。男達ばかりか女性まで少女の姿を見つめていた。
しばらく後ろ姿を追ってから、フェンリーは白山羊亭を後にした。
真昼の陽射しは穏やかな季節だとはいえ、長時間は日なたにいるのは辛そうだった。フェンリーはアルマ通りの先にある緑地公園に足を向けた。ルディアには居場所を伝えておいたから、ヒメギリ鳥の巣を探してくれる人がいたら教えてくれるはずだ。
「私より、ずっと年下……よね？」
バスケットをより涼しげな木陰に置いて、フェンリーはあの少女のことを思い出していた。
脳裏に残る美しい姿。あんなにも肌を露出しているのに、全く媚びている感じがしない。
「そう言えば、あれは入れ墨だったのかしら？」
フォーリアム周辺の森には、たくさんの少数民族が住んでいる。中のひとつに入れ墨を全身に施した民族がいたはず――。
「たしか……そう！ 獣牙族だったわ」
森や木々と暮らしているフェンリー。同じく森に住む獣牙族ではあるが会ったことはなかった。森林が大半を占める大陸なのだからそれも仕方がない。
「森を守る戦士……か」
遠くから自分を呼ぶ声がした。商店街の方を見ると、ルディアが手を振っている。
「手伝ってくれる人、見つかりましたよ！」
「本当に！ よかった」
歓喜の声を上げどんな人のか聞こうとした時、ルディア後を優雅に歩いてくる人物に目が止まった。
――それはあの美しい少女だった。
「巣を見つけたいって言うのは、アンタかい？」
腕組をして、顔を近づけてくる表情はやはりあどけない感じがする。
「ええ！ 私です。これからすぐに出発したいんですけど、大丈夫かしら？」
「もちろん、体ひとつで充分さ」
少女はまた、白い歯を見せて笑った。
＋
互いに紹介し合い、少女の名がオンサ・パンテールというのだと知った。
「ねぇ、あなたは獣牙族よね？」
「そうだ。よく知ってるな」
木漏れ日が降り注ぐ。クレストの森の木々は照りつける太陽光を適度に遮断してくれていた。フェンリーは問わずにはいられなかった。
森を同じく愛する人にフェリーは会ったことがなかった。
樹医として木々に接していて、楽しいことばかりではない。レンという病は人を狂わせ、それに関わった人の心も黒く澱ませるもの。「森などいらない焼き払ってしまえ！」そう言われたこともあった。
ここのところ出没している密猟者の存在は、森で癒されるフェンリーの心を痛いほど苛むものだった。
だから知りたかった。
同じ心を持つ人物であるのか――。
「あたしは獣牙族の戦士だ。森を守り遺跡への侵入者を防ぐのが使命だ」
凛とした背中が、意志の強さを感じさせた。フェンリーは少女を頼もしく、そして同じ道を歩く同士と思えた。
「私は森が好きなの。だから、森に住むモノすべてが静かに平和に暮らせるために樹医になった」
まっすぐにオンサを見つめる。
フェンリーの嬉々たる気持ちが通じたのか笑顔を見せると、少女はしなやかに長い腕を伸ばした。
「さぁ、巣を探そう」
「ええ！ 密猟者に追いつかれてしまうものね」
大樹が多いクレストの森。どこに巣があるのか、フェンリーは思案しながら歩いていた。貴重種だけあって、ヒメギリ鳥の目撃談は少ない。
なぜ見つからないのだろうか？
顎に手を当て唸っていると、オンサが立ち止まった。高くそびえた樹木を見上げている。大きく広がった枝葉は、青い空をわずかに覗かせているだけ。
「フェンリー、ついて来なよ」
「えっ！ あっ、待って！」
オンサは器用に足をかけ、すべるように樹を登っていく。なんて素早いんだろう…フェンリーが感動していると、上からオンサが呼んだ。
「村の伝承に気になるものがある」
ようやく追いついたフェンリーが息を整える。射し込んだ光を手の平で遮って少女は言葉を続けた。
「健康を祈る捧げ歌の一節だ。『空に高く翡翠光り、鈴鳴り響く天の恵み』 翡翠はヒメギリのことじゃないのか……？」
「そうよ！ ヒメギリは翡翠色をしているもの！」
貴重種ではあるが、その生息範囲は広い。目撃された場所に統一性はなく、大樹がある森とだけわかっているのだ。
「じゃあ、鈴鳴り響くっていうのは何を表しているのかしら？」
フェンリーは太い枝の上で思考を巡らせた。と、視界が翳った。
「？？ ――――きゃぁ！！」
目の前に丸い綺麗なお尻が揺れていた。
じっくり考え込んでしまった依頼主を待つために、オンサが同じ枝に降りてきたのだ。目を閉じていたフェンリーは、突然のことに驚いてバランスを崩してしまった。長時間行動を共にしてずいぶん慣れたつもりでいた。しかし、肌の露出の少ない服を好むフェンリーにはまだまだ刺激が強い。
なんとか態勢を整えようと、掴んだ枝は細かった。しまったと思ったが遅い。
バキバキッ！！
激しく枝の折れる音がして、フェンリーは地面に落下した。辛うじて激突する寸前で、オンサが足を掴んでくれた。掴んでもらえなければ、うねった根で背中をひどく痛めただろう。
そっと手の平を地面につけて、ゆっくりと足を下ろした。ようやく態勢が正常に治った頃、オンサも樹の上から飛び降りてきた。
「あ、ありがとう……オンサ」
「あんた、結構そそっかしいんだな」
「まっ！ 言ったわね！！」
振り上げた拳を避けながら、屈託なく笑うオンサの顔は純真な子供のようだった。
やっぱり年下…なんだわ。
粗野なしゃべりと身のこなしは大人の男顔負け。でも、心はまっすぐなままなのだ。フェンリーはますますオンサが好きになった。スタイルだけじゃなく人間的な部分も、充分に魅力的なのだから。
しばらく笑い合った後、巣の発見を急いだ。オンサが追跡者の存在を感じ取ったのだ。
「鈴鳴り響く――って、クイダナの実のことじゃないかと思うんだけど……」
「そう言えば、あれは風にそよいで鈴のような音がするんだったな」
「ええ、でも今は時期じゃないわ」
ちょっと思案顔をしてみる。
「見分けられるか？」
初めて見る心配そうな表情に、フェンリーは頬をゆるめた。
つい苛めたくなってしまうのはどうしてだろう？
思わず現われる様々な表情が可愛くて仕方ない。
「もちろんよ！ 私を誰だと思ってるの…フフ」
「さすがは樹医。おみそれした」
クイダナはかなり高い樹木で、密集した枝葉を大きく広げているのが特徴。丸く反り返った葉は、葉脈がはっきりと見え裏側に白い粉がたくさんついている。
オンサが先頭を歩く。生い茂った草木を手で払いながら進む。
「あった！ あれだわ！」
目の前にはまだ実のならないクイダナの樹。
おそらく密に折り込まれた枝葉の中に、ヒメギリの巣があるのではないだろうか？
「フェンリー！！！ 後ろだ！」
大樹を青い空とともに見上げた瞬間だった。
オンサのするどい声が響いた。
「え？……きゃあ！」
フェンリーの持っていたバスケットが落ちた。大人しく寝入っていた雛が激しく鳴き始める。
すると、子の求める声に答えて、どこからともなく翡翠色の羽が舞い降りた。２羽の親鳥が倒れたバスケットの上で高い声で鳴いている。
それに負けないくらい大きな勝ち誇ったダミ声がした。
「へへへ、道案内ご苦労さま。これがヒメギリの巣がある樹か……」
喉元に鈍く光るナイフ。声が出せない。
汗臭い焼けた腕が、まとわりついてフェンリーは強い吐気を覚えた。
「手を放しな！」
「はっ！ そんななりした姉ちゃんに言われても恐くないぜ」
男は値踏みするような目で、ニヤニヤと口の端を上げる。フェンリーはますます気分が悪くなった。
「放せと言っている」
「男に声をかける場所が違うんじゃないかい？ お嬢ちゃんよ」
喉元を更に強く締め付けた。強引にフェンリーの体をクイダナの樹へと移動させていく。
「先生……、あんたも懲りないねぇ。早く見つけてくれりゃこんな目に合わなかったのによ」
抵抗する体をいとも簡単に引きずっていく。どんどんと樹の下に立ったオンサの元へ近づいていった。
男は彼女になんの警戒もしていない。
フェンリーは辛うじて、強い視線を投げかけてくる少女の名前を呼んだ。
「オ…オンサ……」
瞬間！
女豹を思わせるしなやかな肢体が飛んだ。跳躍というよりも飛躍と呼ぶ方が似合うほどの距離。
それはほんの一瞬の出来事だった。
オンサは音も無く男の鼻先に降りる。驚愕の目を見開いた男。
「忠告は２回までだ」
引き締まった筋肉から繰り出される拳の強さ。空気を裂く音。
男は腹を押さえ、その場に倒れ込んだ。
「大丈夫か！？」
「もちろんよ。ありがとう…オンサ」
心配そうな声色。眉根を寄せた少女にフェンリーは笑顔を見せた。
「こいつはあたしが街まで連れていくよ」
「ええ……、でも密猟者はこの男ひとりだけじゃない。巣が見つかってしまったわ……」
フェンリーは密猟者に対抗するすべを考え出すことができなかった。このままでは、いずれ発見されて私利私欲のためだけにヒメギリが売買されてしまうだろう。
「これを使うといい」
うつ伏せに気を失っている男を一瞥して、オンサが腰につけていた細い筒を差し出した。
フェンリーが開けようとすると、
「待て、まだ開けない方がいい」
オンサが止めた。
「何が入っているの？」
「まだ巣を持たない女王蜂だ。これをこの樹に住まわせる。この種は大人しいけど巣を攻撃するものには容赦ないから良い番人になるよ」
ヒメギリ鳥と蜂。同じ森に生きる生物。この両者が共存していくのは、自然の摂理から言っても太鼓判が押せる。
「そうなのね。よかったわ……でも、私も様子を見に来れないわね」
密猟者から守られることは素直に嬉しかった。しかし、折角出会えた鳥達にもう会えないのかと胸に風が吹く思いもしていた。
と、オンサがまた何か差し出した。
「虫笛だ。蜂の羽音と同じ音を出すから、仲間と思って襲ってこない――これをあげる」
「あ……ありがとう！ でも、これがなかったらオンサが困るんじゃない？」
「困らないさ。村の秘蔵品だが、ただあるだけなら意味がない。必要な人にこそふさわしいものだ」
しっかりと見つめてくる少女の茶色く大きな瞳。
フェンリーは本当に頼もしく思った。
軽々と、板に乗せた気絶男を引っ張るオンサと肩を並べて歩く。
「白山羊亭で何か奢るわ」
「ご相伴に預かるよ。美味い肉があれば幸せだけど」
「うふふふ、もちろん。たくさん注文して頂戴ね」
ヒメギリの雛を無事巣に戻すことが出来て、フェンリーはホッと胸を撫で下ろす。
今日、魅力的な新しい友人ができた。
それが一番嬉しい出来事だった。
また、こうして一緒にオンサと行動する機会があればいい。
フェンリーは美しく光る小麦色の肌を見つめながら、心の底から思った。
日はまだ充分に高い。
宴が始まる予感に、心躍らせるふたりだった。
□ END □
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■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
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＋ 整理番号0963 / オンサ・パンテール / 女性 / 16 / 獣牙族の女戦士 ＋
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■ ライター通信 ■
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初めましてvv 初仕事をさせて頂いた杜野天音です。
〆切ギリギリになってしまってすみません。
いかがだったでしょうか？
オンサの魅力が伝わるように、もう一つの話「ルエル編」と違ってフェンリー視点で書いています。
またの機会があれば、オンサの心情なんかも書いてみたいなぁと思いました。
本当に魅力的なキャラですね！
今回２名の方に「夢見の梢」に参加して頂きましたが、作成上の都合から共有部分を作りませんでした。
次回からは、どうするかまだ思案中です。
ＰＣ同士の交流のためにも、できれば一緒に冒険させたいなぁとは思っています。
楽しんで頂けたなら幸せですvv
ありがとうございました。
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