<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


気狂いの果実
◇オープニング
 聖都エルザードのほど近く。青緑色に繁る小さな森には不思議な言い伝えがあった。
 その森のところどころで見かけられる、すらりとした美しい立ち木。この枝になる紅く熟した果実を誤って食べてしまうと、狂気にかられ、しまいには人に害をなすという。それは、その果実が、心無い冒険者や利益ばかりを求めるような狩人に殺され、打ち捨てられた獣の亡骸から生えて根をはり、梢を伸ばし実を結んだものであるため。人間を恨みながら死んだ獣たちの瘴気が生んだものであるためである。
 人々はこの木の実をおそれ、いつしか「気狂いの果実」と呼ぶようになった。しかし気狂いの果実を食べて人を傷つけてしまうという事件は近年起こらなかったので、青緑の森にまつわる言い伝えも、人々の記憶から少しずつ薄れはじめていた。
 ――そんなある日。
 アルマ通りの白山羊亭に一人の少女が血相を変えて駆け込んできた。
「いらっしゃいま――」
「助けてください!!!」
 笑顔で迎えようとした白山羊亭の看板娘・ルディアの声を途中でさえぎり、少女は切羽詰った表情で叫んだ。
「たいへんなんです。私の妹を助けてください!」
「ど、どうしたんですか?」
 ルディアが落ち着かせようとしてコップ一杯の水をすすめながらたずねると、その少女は大きな双眸から涙をあふれさせた。
「妹が……妹が、間違って『気狂いの果実』を食べてしまったんです! 妹は私の薬草採取を手伝ってくれていたのですが、そのときにおいしそうな実があると言って、私が止めるのも聞かず食べてしまって……。瘴気に毒されて、暴れまわっているんです。今は何とか結界を張って閉じ込めたのですけれど、私の力での結界などたかが知れています。そのうちに解けて誰かを傷つけてしまうかもしれない」
 ちょうどお昼時だった白山羊亭には多くの者たちが食事を楽しみ談笑していたが、誰もが彼女の話には手を止め口をつぐみ、息を呑んだ。少女はルディアに支えられるようにして立ちながらぽろぽろと涙をこぼし、客たちに向かって訴えた。
「私はカドリールといいます。たいしたお礼などできませんが、どうか妹を助けてあげてください。私の力だけでは駄目なんです。お願いします!」

◇少女の思い
「私の力だけでは駄目なんです。お願いします!」
 新鮮な生野菜のサラダとレモンのジュース。茹でた旬菜の冷スープ。白山羊亭の食事は素材の味が生きていて、いつ食べてもおいしい。お気に入りのメニューを注文し店内の一角で冒険者の一行に歌を聞かせていたレェレエン・スンは、一曲歌い終えるとカウンターの方を見やった。取り乱した少女を目の前にして、とても穏やかに歌い続けることはできない。レェレエンは聴衆に頭を下げると席から立ち上がった。背中に黒髪がさらりと流れ、明るい黄色のワンピースに美しく映える。小麦色の肌も緑の瞳も大地にはぐくまれた若木の枝と葉のように鮮やかだ。テーブルのあいだを縫ってレェレエンはルディアの傍らで涙ながらに訴える少女の傍らまで歩み寄ると、静かに彼女に語りかけた。
「泣いていても物事は解決しないわ。ほら、涙を拭いて」
 頬にこぼれた涙をぬぐってやっている最中、レェレエンの感知魔導能力を通して少女の意思がレェレエンのなかへと流れ込んできた。胸がしめつけられそうなほどに動転した少女の思い、妹を気遣う心、未知の事態に対する恐怖。そして美しく繁る森の中、結界に囚われてもがく人物の影――そのそばにたたずむ、紅い実をつけた一本の立ち木。
――あれが……『気狂いの果実』?――
 感じ取った状況にレェレエンは思わず目を見張った。少女が客の前で話した内容は偽りでも誇張でもない、本当のさしせまった事態である。これはとても放ってはおけない。
「今、妹さんを一人で結界のなかに残してきているのね?」
「……はい」
 ルディアが手にしたコップを受け取って水を数口飲み下し、ようやく落ち着いた様子で少女は顔を上げた。
「私はカドリール、妹の名はモテットといいます。私たちは双子で、小さい頃から何をするのもどこへ行くのも一緒だったんです。でも、モテットは私よりも元気がいい分、ちょっと後先考えないところがあって。だから、私が森まで連れて行かなければこんなことにならなかったかもしれないのに、『気狂いの果実』を……」
「あなたの自分を責めたくなる気持ちは痛いくらいによくわかるわ。だけどね、済んでしまったことを悔いるだけではどうにもならないの。とにかく妹さんを助けるために、以前にこれと同じようなことがあった際の記録を見つけて、解毒の方法を調べましょう」
 レェレエンがにっこりと微笑むと彼女はうなずき、深々と頭を下げた。
「あ、ありがとうございます! 私、妹を助けてあげたいのに、どうしていいのかわからなくて混乱するばかりで……。すみません、お名前をうかがってもいいですか?」
「私はレェレエン・スンよ」
「レェレエンさん。どうぞ、どうぞよろしくお願いします!」

◇資料室にて
 レェレエンとカドリールは勘定をすませて白山羊亭を出たあと、エルザード城の資料室へと直行した。この資料室には様々な武具、道具、本、記録書類などのありとあらゆる、実に様々なものが山と積まれている。これだけの資料があるのだから、棚のどこかに「気狂いの果実」の事件や解毒方法を記した報告書が見つかるかもしれない。
「私が張った結界が解けてしまうまでに、そんなに時間がありません。急がなくては」
 カドリールは言い、書架からごっそりと記録紙のつづりを取り出して机に広げた。レェレエンも事件の調書冊子を数冊選んで、「気狂いの果実」に関する記述を探し始めた。
 時間は刻々と過ぎ去っていく。時が過ぎるとともに弱まるカドリールの結界が解けてしまえば、果実の瘴気にふれたモテットは何の罪もない通りすがりの旅人を傷つけてしまうかもしれない。森から出て村や街を襲ってしまうかもしれない。そうなれば一番悲しみ苦しむのはモテット本人であり、彼女の姉のカドリールである。そんな最悪の事態は避けなくてはならない。レェレエンは果実の解毒方法を探すことにますます集中した。
――『気狂いの果実』の解毒方法は……と――
 紙がこすれ合う音だけが聞こえる時間が続いた、しばらくの後。
“気狂イノ果実。誤ッテ食シタ際ニハ狂気ニカラレ人ニ害ヲナス。昨今近隣ノ村ノ女ガ口ニシ、騒ギトナル”
 再び涙目になりかけているカドリールのとなりで冊子のページをめくっていたレェレエンはそんな古い記事に目を留め、はたと手を止めた。
 “女、暴レルコト甚ダシク、手ツケラレズ。然レドモコノ果実ハ人間ヲ恨ミナガラ死ンダ獣ノ瘴気ヲ養分トス。果実ノナル木ノ瘴気ヲ絶ッテ後、女正気ニ戻ル”
 昔、近隣の村に住む女性が「気狂いの果実」を口にしてしまった。女性はたいそう暴れたので手がつけられず騒ぎとなったが、果実を実らせた木に宿る瘴気を絶ったところ、この女性は正気に戻ったというのである。レェレエンは緑の目を輝かせ、カドリールの肩をたたいた。
「カドリールさん、見つかったわ」
「本当ですか!?」
「間違いないわ。これよ」
 カドリールはレェレエンの示すページをのぞき込み、やがて泣き笑いの表情になった。
「よかった! やっぱり、正気に戻れた人がいたんですね!」
「ええ、この記事を見つけることができてよかったわ。はやく妹さんのところへ行ってあげましょう」
「あっ、でも、どうやって『気狂いの果実』の木の瘴気を絶つんですか? この方法がわからないと、どうやってモテットを助ければいいのか手間取ってしまいますし」
 一瞬舞い戻った不安に表情をかげらせ、至極もっともなことをカドリールはたずねたが、レェレエンには心当たりがあった。
「大丈夫よ」
 にこやかに微笑むとレェレエンの額の石がきらりと光る。
「任せておいて。私に考えがあるの」
 調書冊子をぱたりと閉じ、彼女は椅子から立ち上がった。カドリールに森までの案内をうながし、ふたりは間に合うようにと願いながら結界が張られた場所へと急ぐ。

◇果実の思念
 あと少しで簡単に破られてしまいそうなほどに緩みきったカドリールの結界の前。たどり着いたレェレエンは、そのなかに囚われている人物を見つめた。青緑色に繁る草むらに両手をうずめ、肩で大きく息をしているその人物はたしかにカドリールをそっくりそのまま写し取ったような姿をした少女で、一目で双子の妹だということが納得できた。
「モテット……」
 レェレエンのすぐうしろで、カドリールまでもが苦しそうに顔を歪めている。妹のあわれな姿を見ていることが、本当につらいのだろう。
 レェレエンは軽く目を閉じ、深呼吸をした。途端に、目の前で苦しんでいるモテットという少女の意思が流れ込んでくる。叫ぶような痛みが、感じられる。苦しい、つらい、人ガ憎イ、傷ツケタイ、殺シタイ、嫌、そんなことしたくない、苦しい、助けて……。入り乱れて渦巻く複数の感情。モテット一人の意思ではない、たしかな別の意思の存在。
 しばしあたりを見まわして、レェレエンは一本の美しい若木に目を止めた。数個の紅い果実を実らせたその木の内部から、普通ならば目に見えないはずの黒く暗いみにくいものがにじみ出ているのが、感知魔導師である彼女には良くわかる。木が根の奥に抱えている恨みや憎しみといった感情が、ひしひしと伝わってくる。
「カドリールさん」
「はい」
「今から感知魔導であの果実の木の思念を受け止めるわ。うまくいけば木の思念をなだめて、瘴気を取り除くことができると思うの。でも、そのときに私の感情が何らかの形で昂ぶることになったら大変な事態になるはずだから……そのときは、お願いするわね」
 レェレエンに微笑をたたえながらそう宣言され、カドリールはぽかんとした。
「感知、魔導? 感情が昂ぶる? 大変な事態って、そんな!」
 実際、感知魔導は感情が昂ぶると制御が効かなくなり、潜在的能力である念動力が暴発してしまう危険性がある。しかしそのような「もしも」を考えている場合ではなかった。あと数分もすれば結界は消え、モテットは暴れだしてしまうだろう。術者としてはあまり優れていないカドリールは結界の補強をすることさえままならないであろうし、今は一刻を争って瘴気を除かねばならないのだ。
 レェレエンは木の方にそっと手を伸ばし、意識を集中させた。すぐさまなだれ込んでくる大量の負の意思。彼女は顔をしかめながらも、その負の意思と向き合った。どろどろの粘着質の、怨恨に満ち満ちた感情。それは心無い人間に戯れに追いまわされ、もてあそばれた獣の意思であった。どうやらこの意思の生前は腹のなかに子どもを宿した母獣であったらしく、巣を荒らし、自分を殺すだけでは飽きたらず腹の子までを引きずり出してもてあそんだことを心底恨みに恨んでいる様子だった。
 それはひどい。レェレエンも獣の思念に同情した。けれども同情するだけでは、モテットもカドリールの思いも、そして獣の思念自身も良い方向へは進まない。憎み恨むだけでは、何も良くはならないのだから。もう少しで制御が効かなくなってしまいそうな感知魔導の能力の手綱を必死で取りつつ、レェレエンは果実の木の奥から発せられる意思をなだめる。うっすらこめかみに汗がにじんだ彼女を見て、カドリールが木の根元まで歩み寄り、祈りはじめた。唱えている聖句は他者のための祈りだ。人間、何も非道な輩ばかりではない。
 レェレエンは、禍々しかった負の思念がふっと軽くなるのを感じた。と同時に結界が消え、糸が切れた操り人形のようにモテットが倒れた。妹に駆け寄るカドリールを横目に見ながら、レェレエンは手近な石で果実の木の根元に小さな墓標をつくった。墓標を完成させて顔を上げると、たちまち「気狂いの果実」は落ちて木はしおれた。
「なんとお礼を言えばいいか……。レェレエンさん、本当に、本当にありがとうございました!!!」
 目を覚まし正気に戻ったことを喜ぶ双子の姉妹に微笑みを返したレェレエンは、森からの帰り際、作ったばかりの墓標のそばに血色の実ではなく、優しい白い花が咲いているのを見て、笑みを深くしたのだった。
                    〔Fin.〕

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 種族 / クラス】
【SN01_1029/レェレエン・スン/女/25歳/人間/歌姫兼牧場主】

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■         ライター通信          ■
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担当いたしましたライターのあかるです。
このたびの『白山羊亭冒険記』へのご参加、ありがとうございました。
今回の依頼はいかがでしたでしょうか。
レェレエンさんの感知魔導が、本当に大活躍でした。
モテットも無事救出し「気狂いの果実」の負の意思をとりのぞくことも
できて、気持ちのよい幕となりました。

それでは、またご縁がありましたら、
冒険にご一緒させていただきたく存じます。