<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


夕月夜入る恐怖談話

「は? 怪談話?」
 きょとん、としてエスメラルダが振り返る。その先には、白衣姿に消毒液の香りが独特の、腐れ縁の友人でもあるとある医者の姿があった。
 医者は満足気に微笑むと、
「そう、怪談話。もう夏だからね〜」
 いつに無くにこやかに微笑んで見せた。
「いやまぁ、夏だけども、」
 だから余計に気味が悪いわ。
 この医者の微笑みなど、正直、彼を知る人からしてみれば、見ていてあまり気持ちの良いものではない。
 大概そういう時は、この男は企んでいるのだ――そう、何かを。
 エスメラルダが、カウンター越しに医者の瞳を覗きこんだ。
「で、何考えてるの?」
 問わずには、いられない。
 眼鏡越しに、悪戯に微笑む瞳。けれどそこには、やはり、明らかに、
「何って、イロイロ?」
 何かの企みの色が。
 適当な答えを返され、エスメラルダはそのまますっと身を引いた。
 この医者にこれ以上何を聞いた所で、人が驚くのを見て楽しんでいるこの医者のこと、何も教えてはくれないであろう。頬に手を当て、この医者の考えをあててやろうと、しばし、考えをめぐらせる。
 ――って、あ、
「あの駄目神父?」
 何ですぐに思い当たらなかったのかしら。
 この、男の事だ。
 きっと親友の事虐めて、まぁた遊ぼうと思っているのね……。
 この男の親友は、当人とは似ても似つかないような根性無しの体力無しであった。ちなみに、怖い話にも弱いのは、無論の事で。
 エスメラルダの1言に、お洒落な事にカクテルを手にしていた医者が、顔を上げた。
 小さなグラスの青い色。夏色の手元のカクテルを見つめながら、テーブルに頬杖を付く。
 そう、
 季節は、夏なのだ。
 夏といえばやはり、欠く事ができないものがある。
 日射病の患者に、清涼白衣、冷気系の魔法に、それから……怪談話だ!
 楽しい想像に、一息、置いて、
「そう、大正解――!」
 君も来るかい? と言わんばかりに、医者は得意気に指をおったてて見せた。





 どうして自分が呼ばれたのか、最初は疑問で疑問で仕方がなかった。
 しかし、
 考えてみれば、簡単なことじゃないか。
 胸の内で呟いて、つややかな茶(ブラウン)の髪に、同じ色の純粋な瞳の光が似つかわしい少女は――オンサ・パンテールは、周囲をぐるりと一望していた。
 褐色の肌に、良く映える美しい入墨。生まれたままの姿に、腰に布を纏っただけのその少女の横では、これからの展開に脅えきった神父が頭を抱えていた。
「……どうしてこんなことに――」
 医者の友人でもある神父の教会の聖堂を借り切り、皆で集まり怪談話。勿論、医者のこの企画に、神父が、そうしてオンサが誘われないはずもない。
 ――医者の目的は、神父と、そうして、オンサとを怖がらせる事にあるのだから。
「私は嫌だって言ったんです! なのに! なのにこんな……怖い話だなんて、あああああ……」
「ウルサイわねぇ、サルバーレ。あんたも男なんでしょ? しゃきっと根性見せたらどうなの。ねぇ、マリィちゃん? マリィちゃんもさ、この神父って本当にヘタレだって、そう思わない?」
「別に、ヘタレだとまでは思わないけど……」
 ふと神父に話しかけた屋敷の令嬢、テーアの横で小首を傾げたのは、マリアローダ・メルストリープであった。自慢の長く綺麗な金髪(ブロンド)に、青い瞳の透き通る小柄な少女も、どちらかというと浮かない顔をしているようだった。
 が、テーアはそんな事もお構い無しに、隣に立っていた執事と他愛の無い話を始める。
 いつもなれば、恋人同士が語らうその光景を羨ましく見詰めているはずなのだが、正直今のマリィにはそんな余裕もない。
「……ど〜したの? 浮かない顔、してるみたいだね?」
 憂鬱そうなマリィに話しかけてきたのは、年の頃ならマリィと同じ程、紅茶色のふわふわの巻き毛に琥珀色の瞳の少女、アデーラ・ローゼンクロイツであった。
 マリィとはかつては一人の少年を巡り、ライバルの関係にあったアデルであったが、
「憂鬱だなんて、そんな事ないけど……お久しぶりね、アデルさん」
「んー、お久しぶり! 覚えててくれたんだね、マリィ」
 アデルの想い人が変わってしまい、事は無事に終結していたりする。
 薔薇の花のネックレスをちょこん、と揺らしながら、
「もしかしてマリィ、怖い話は嫌いなの?」
「嫌い、って言うか……あんまりこういう経験なくて、」
「まぁ、あの頃はお互い、大変だったもんね」
 同じ人を追いかけていた頃を思い出し、二人は顔を見合わせて自嘲気味に微笑んだ。あの頃は、子どもながらに大変だったと思う。毎日のように人が死に逝く、そのような場所に身を置いていたのだから。
 と。
「準備ができましたわよ。さぁ、皆さん、その辺に腰掛けて下さいな」
 久々の会話を遮ったのは、牧師の声音であった。蝋燭を配りながら、皆に座るように促してゆく。
 そうして、暫く。
 ようやく皆が座った頃を見計らい、今回の事の主催者でもある医者が蝋燭に火を配って歩く。波のような沈黙に聖堂の光がふつり、と消され、広い聖堂の中に立つのは、わずかな光源が九つのみとなる。
 揺れる影の中、不意に一人の男が立ち上がった。
「折角なんだし、BGM付けてあげましょうね。それっぽいの」
 ――デュナン・グラーシーザ
 見た目だけなれば二十代。長い銀髪のみつあみに、緑の瞳のチェロリストでもある青年は、怪談話に、というよりも、むしろそちらに興味があるらしい。
 愛用のチェロで、皆の恐怖をかきたてる。
 こっちの方が、ずっと楽しいし。
 それに何より、少しばかり神父と遊んであげた方が良いのかなぁ、などという邪な考えもあったのだから。
「……良いですよ、そんな事していただかなくても!」
「良いから、良いから。俺の事は気にしないで下さい、神父さん?」
 予想通りに止めに入った神父に微笑みかけると、デュナンは予め設置しておいたチェロの方へと歩み寄っていた。
 そうして、デュナンがチェロ弓を握った頃合を見計らい、
「それじゃあ、はじめようか。怪談話――皆、とっておきの話を用意してきてくれただろうね?」
 白衣の医者が、手を打って開会を宣言した。



I 第一話

「……ねぇ、やっぱりやめません? こーいう事……神様に怒られちゃいますよ……」
 隣に腰掛けた医者に、神父が極力平静を保ちつつ呟いた。本当なれば蝋燭の光だけが揺らめくこの闇の中、思わず叫び出してしまいたいところなのだが、
「あぁ、嫌なら逃げても良いんだぞ? ただし――ついこの前そーいえば、俺の診療所の近くで首吊り自殺が――」
「……すみませんごめんなさいなんでもありません」
 素直に謝った。
 と、
「それじゃあ、まずはあたしだね!」
 静寂の闇に似つかわしくない明るい声音で、アデルがすっくと手を上げた。
 ――そう、折角の怪談話だもの。
 やっぱりここは、楽しくしなくっちゃ!
「……お、お手柔らかにお願いしますよ、アデーラさん」
「んもう、神父さん、さっきから言ってるでしょ? あたしのことは、アデルで良いって」
「はぁ……」
 こくり、と頷いた神父は、しかし次の瞬間、びくり、と肩を震わせてしまう。
 低い音色が。
 すっと空間に糸を引いたからだ。
「……あー、デュナンさん」
「何ですか?」
 慌てて背後を振り返り、神父はチェロ弓を引いているであろうデュナンの方へと、
「やめていただけるとありがたいかなぁ、なんて思ったりとか」
「遠慮することありませんよ。俺はこっちの方が楽しいですから」
「あー、いや、そういう事言ってる訳じゃあ……」
「どうぞ、怪談話を楽しんでくださいね?」
「……うぅ」
 微笑むも、あっさりと流されてしまう。
 しかもデュナンの選曲は、どうにも暗めなものばかりであった。
「あぁ、」
「神父さんって怖がりなの?」
「そりゃあもう。さぁ、アデルちゃん、遠慮なくお話をドウゾ? 折角なんだ――楽しまなくちゃ≠セよなぁ?」
 身を乗り出したアデルに満面の笑みで返すと、医者はアデルへと話を促した。
 そうして。
 アデルの話が、はじまった。
「そう、あれは――死者の町(ネクロポリス)を観光した時のお話」
 声を低くして、アデルがぽつり、と言葉を紡ぐ。
「ミイラになった死者にね、生きていた時と同じ服を着せてあるの――それが、まるで生きているかのように、地下の通路に並ばせてあった」
「死者の町、ね。あたしも聞いた事あるかな」
「しっ、お嬢様。人の話の邪魔をしてはなりませんよ」
 エドに諭され、テーアがぷくり、と頬を膨らませる。一方でアデルは、元々の愛らしい声音を極力ひっそりとひそめながら、
「……たくさんの人が並んでいるのに、命の気配が全く無い虚ろな場所。ひたり、ひたりとどこからともなく水の滴る音がした――息をすることすら、どことなく苦しい。だって、ねぇ。その空気は随分とひんやりしていて、無数の目があたしの事をみているんだもの。じっと、こっちを……そう、まるで、羨んでいるかのように」
 ぴくり、と、マリィの肩が震えた事には誰も気がつかなかった。神父が失神寸前なのは、闇夜の中でも暗黙の事実でしかなかったが。
「物悲しさと不気味さが漂う中――ね。あたしはふとした気配に、気がつかないうちに振り返っていたの。そうしたら、ね。そこには、何がいたと思う?」
「……もうやめましょうよ、アデルさん」
「あ、やっとアデルって覚えてくれたんだね! ねぇ、ついでにさ、それじゃあ、神父さんはどう思う?」
「どう、って」
「あたしの後ろにいたものは……何だったと思う?」
 悪戯な笑顔でアデルに無邪気に問われ、神父は素直に返答に戸惑ってしまう。
 何、って。
 正直、考えたくもない。
「あー……」
「そういえば、マリィはどう思うの? あたしの後ろにいたモノ」
 悩みこんだ神父の反応に、アデルはそういえば、と、話題をマリィへと振った。
 ……無意識のうちに。
 何もない床を、じっと、熱心に見つめてしまっていたマリィが、
「え! あ……うん、と……」
 現実に立ち返り、上の空で返事を返す。
 怖い話を語り合うなどと、こういう経験は、初めてであった。
「……何だろう」
 戦争により、両親を含め多くの人が亡くなって逝った――そういう場所に、住んでいた。
 皆が皆、生きるのに必死で、
 怪談話だなんて、こんな事、不謹慎だって絶対できはしなかったから……。
「思いつかない? それじゃあ、続きだね!――女の子だった」
「へ?」
「可愛らしいネグリジェ姿で片手にぬいぐるみを抱えてね、もう片方の手で来た人を手招きする、あたしと同い年くらいの女の子だったの」
 ともすれば気の沈みこみそうなマリィとは対照的に、アデルが淡々と話を付け足してゆく。
 蝋燭の光の世界をぐるりと一望すると、
「虚ろな目だった……光のない瞳でね、話しかける事すら許してはくれなさそうな……そんな感じだった」
 デュナンのチェロの音色が、音を潜める。
 胸に響くような低音で、チェロ弓が引かれていた。
 アデルが、怪しく微笑む。
 まるでそのタイミングを、待ってましたと言わんばかりに――。
「じっと、ね。女の子は、クマのぬいぐるみをぎゅっ、と抱きしめて。ボロボロのネグリジェ姿で、ひたり、とあたしに歩み寄った。それから覗き込むように――呆然とするあたしを見て――ねぇ、」
 すぅ、と間を置いて。
「まるで『一緒においで』って言ってるみたいだった……!」
「っきゃああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
 ふ、と。
 アデルの姿が、闇に沈み込んだ。
 何の前触れも無く、煙を上げた蝋燭の灯火。
 それよりも先に響き渡ったのは、思わず飛び上がったマリィのかん高い悲鳴であった。
「シンっ、シンくんっ!! いやぁ、助けてぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
 記憶の中の想い人の名前を呼びながら、マリィはとにかく叫びに叫んでいた。普段の理性もどこかに吹っ飛んでしまったのか、
「怖いっ! こぉわぁぁぁいぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」
「ち、ちょっと! マリィさんっ?!」
 何の前触れもなく、その胸に飛び込んだ。
 ――テーアの恋人の腕の中へと。
 テーアの笑顔が、一瞬にしてひくりと引きつった。
「シンくんっ! シンくぅぅぅんっ!」
「え、あ、ち、ちょっと、マリィさん……?」
 一瞬にして、その場が混乱の中へと陥って行く。
 無論、テーアとエドの関係はマリィも良く知っていた。自覚があるのかないのかはともあれ、マリィの居る場所は色々な意味でも非常にまずい。
「……シンくんっ……!」
 そのまま小さくなって泣き出してしまうマリィを、エドは甲斐性なのか宥めずにはいられなかったらしい。そっと抱きとめて、金髪を優しく撫でてやる。
 ようやく訪れた沈黙に、鳴り渡る旋律。共鳴するかのように、落ち着いた声音で、
「大丈夫ですから、何も出ませんって。ね、お嬢様、僕、じゃない、私達もここにいることですし――」
「何よぅ」
「へ?」
 小柄な少女を優しく落ち着かせるエドに、けれどもテーアは、
「エドの馬鹿っ! この浮気者っ! お父様に言いつけてやるっ!!」
「え! ちょっと、お嬢様っ?!」
 本気なのか冗談なのかもわからぬ怒りを露にしていた。
 何よ、エドったら!
「あたしの事なんてなかなかそーやって抱きしめてくれないじゃない!」
「そ、それはっ……!」
「マリィちゃんなら良いわけねっ?! マリィちゃんはそりゃあもう可愛いものねっ! エドの馬鹿っ! このケチ執事っ! もう知らないんだからっ!!」
 つん、とそっぽを向く。
 半分ほどは冗談なのだが、勿論エドにはそんな事がわかるはずもない。
「お嬢様……」
「口利いてあげない!」
「そんな……」
「……いやああああああああああああああああああああっ!!」
 不意に。
 テーアとエドとの微笑ましい会話を、再びマリィの悲鳴が切り裂いた。そのままマリィはエドの腕を無理やり引き離すと、アデルと医者と神父の目の前を脱兎の如く駆け抜け、氷のように固まった神父を心配そうに見つめるオンサの胸の中へと飛び込んだ。
 ――どこからともなく取り出した蝋燭に火をつけ。
 上手に顔を闇夜に浮かび上がらせたアデルの姿は。
「マリィちゃん、大丈夫かい?」
「……シンくん……っ……」
 実は余裕を見せるオンサにさえも、十分な恐怖を与えるものだったのだから。
 無論、皆は知らない。
 なぜアデルの蝋燭が、これほどまでにタイミング良く光を闇へと手放したのか。
「マリィちゃん……」
 予め、切っておいたのだ。切って、蝋燭の芯を元通りにくっつけておく。ただそれだけの、小細工であった。
 だってこうすれば、
 普通のロウソク☆ に見えるじゃないっ?
「――きゃああああああああああああっ!」
 ひっそりと近寄ってきていたアデルの亡霊のようなその姿に、マリィはもう一度叫ぶと、ついにオンサの腕の中で意識を失ってしまった。
 そんな事はお構いなしに、アデルはひそめていた声と、虚ろ気にしていた表情を元へと戻すと、
「……びっくりした?」
 うってかわって、愛らしい微笑み。
「上出来、アデルちゃん。ほーら、サルバーレのヤツも、こんなに怖がっちゃって……いやぁ、本当に上出来だよ」
 アデルは医者の言葉に、凍りついた神父をつんつんと突付きながら、笑顔で話を終わらせた。

 そうしてふつり、と。
 蝋燭の炎が、一つ、吹き消された。



II 第二話

「それでは次は、私(わたくし)がお話致しますわね」
 先ほどの話で叫び疲れたのか、エドとテーアとがマリィを連れて聖堂を後にしたその後。
 ゆるり、と。
 手元の蝋燭の光を覗き込んだのは、今まで黙って話を聞いていた女牧師であった。
「折角ですわ。やはり、少しくらいお話の方をさせていただきませんとなりませんわね」
「ぎ、義務なんかじゃないですって、マリーヤ先生。ですから、やめていただいても全然結構――」
 そこはかとなく不気味さを漂わせる笑みを浮かべたマリーヤに、恐る恐る神父が付け加える。
 しかし、それを黙らせたのは、瞳に無言の圧力を見せ付ける医者の雰囲気であった。
「気にせず続けて、マリーヤちゃん。サルバーレ(こいつ)の言うコト一々聞いてたら、話なんてちっとも進まないんだからね」
「あたしもそう思う。牧師さん、どんな話してくれるのかなっ?」
 付け加えたアデルの言葉に、神父の影ががっくりと項垂れる。神父を慰めるオンサ以外の視線が、そうして牧師の方へと向けられた。
「――では、遠慮せずに話させて頂きますわね」
 淡々と、チェロの音色が流れ続ける、広い大聖堂。外は夏の暑さを抱(いだ)きしめていると言うのに、なぜだか冷え切った空気が、各々それぞれに一つ一つの想いを与えていた。
 ともすれば逃げ出しそうになる足を、必死で落ち着かせる神父。その耳に届けられるのは、低い旋律であった。
 音楽は、勿論大好きだ。それも、この上なく。
 しかし、
 時と場合ってものがあるでしょうに――!
「ほら、ありますでしょう? エルザード・フィル・ハーモニー管弦楽団。ねぇ、厳しいオーディションによって選びぬかれた人材に、クレモナーラ村に発注した様々な最高級品の楽器。ヴァイオリンだって、最も歴史の古く、音色の美しいものを使っていますわ。……ヴァレンティーノ神父、あなたなら良くお分かりになるのではありませんでして?」
 話を振られて、慌てて神父は頷いた。エルザード・フィルなれば、畏れながらにも℃w導をさせて頂いた℃魔キらもあるほどなのだから。楽団としては世界でもトップクラスだと言われる、エルザードの最も誇るべき楽団の一つでもある。
 牧師は神父の気配に、満足気に一つ頷くと、
「こんな話をご存知でして? 今からもう、随分と前になりますわね――勿論、管弦楽団ですもの。エルザード・フィルには、チェロリストもいらっしゃりますことよ。今でもそれは当たり前の事ですわね……けれども本当に昔の話になりますけれども、そのチェロリストがちょっとした事件に巻き込まれてしまいましたの」
 その瞬間、ぎくり、と神父が背後を振り返った。そこに居るのは、やはり淡々とチェロ弓を引き続ける銀髪の青年――デュナンであった。
 嫌な、予感がした。
「……青年でしたの。若くして、エルザード・フィルに入団した、それはもうずば抜けた才能を持つ青年でしたわ。どんなに難しい曲でも、楽譜さえあれば完璧に、しかも、音色も美しく弾きこなせたそうですわ。……伝説のような人物ですことね」
 乱れの無い、音色。しかしだからといって機械的ではなく、むしろ人間的に乱れが無いのだ。どんな些細な感情の揺らめきも、チェロ弓一つで弾き現してしまう。その世界に、聴く者を抵抗の間すらもなく引き込んでゆく。
 まるで、後ろでチェロを弾いている人物を指すかのような言葉に、
「いえあの、」
「けれどもね、ある日突然の話でしたわ。講演の、前日。あぁ、ここから辿っても面白くありませんわね。本筋に入る前に、お話を付け加えておきますわね――その青年には、婚約者がいましたの。栗色の髪の、年下の女の子でしたわ。少し乱暴で、けれどもそこはかとなく心優しい――オンサさんにそっくりですわね」
 牧師の話を止めようとした神父が、今度はぎょっとして隣に意識を引かれていた。
 神父の隣に腰掛けるオンサは、なにやら深呼吸をして暗い天井を仰いでいた。しかし、神父は良く知っている。
 確かに牧師の話に出てくるチェロリストの恋人は、話を聞くだけなれば、どことなくこの少女に似ていると。
 ……こういう時に、どうして又。
 怖くなるじゃないですか。
 話と現実とに、何か繋がりのようなものを感じてしまうのが、正直嫌だったのだ。とりわけて、今は。
 旋律が、緩やかに螺旋を描く。
「二人はとても仲が良かったそうですわ。それでね、その日も練習が終わった後、二人でエルザードを歩いていましたの。……そうしたら不幸な事に、目の前から激走してくるものがありましたの」
「どけどけどけどけ――! ってね、」
「激走馬車ですわね。全力で馬の蹄が地を打ち付けていましたの。砂埃に、一瞬にして、チェロリストの恋人の視界が遮られましたわ。太陽の光に、周囲がきららに輝いて――」
「月並みだけどね、気がつけば死んでたんだよ。咳き込んで涙目になった少女の視界が、ようやく戻り始めたその頃にね。彼女は見てしまったんだよ。足元が、真っ赤に染まってた」
「死んだのはチェロリストでしたわ。血溜まりの中に、見るも無残な姿で倒れていたと言いますわ……折れ曲がった足、張り裂けた服から見えるのは中の物=\―それでも、恋人は彼を抱きしめて嘆きましたわ。突然の出来事に、何が何だかわからずに――飛び散った彼の欠片≠掻き集めてね、周囲を囲み始めた人ごみも気にせずに、大きな声で、泣き続けた」
 牧師と医者とが、交互に話を続けてゆく。好奇心に瞳を輝かせるアデルが、牧師にさらにその続きを促した。
「……ところで、お葬式も終わりましてね。少女はね、エルザード・フィルに向いましたの」
「勿論、青年のチェロを取りに行ったんだね。青年は実は孤児だったからね……彼の愛用のチェロは、勿論彼女のものになるっていうのが筋だろ?」
「でも、ですわよ。エルザード・フィルの団員は、皆して青年のチェロのある場所に口を噤んだそうですわ。楽団の中でも青年は可愛がられていたそうで、勿論、楽団は悲しみにくれていましたの。しかし、少女の見たところ、楽団がチェロのある場所を隠そうとするのは、青年の死が悲しくて、ではなくて――何か、別の理由が」
 その時、神父はふと気が付いてた。デュナンの奏でるチェロの音色が描くのは――鎮魂曲(レクイエム)の世界ではないか、と。
 ゆるりとしたリズムが、細い腕(かいな)で世界を抱きしめているかのようだった。もの悲し気な瞳が、こちらを見ているかのような錯覚にさえ陥ってしまう。
「少女は探しましたの。楽団の止めも聞かずに、ついに彼のチェロを探し当てましたわ。ねぇ、ヴァレンティーノ神父? ところで、そうしたらどうだったと思います?」
「き、聞きたくありません!」
 牧師の妖艶すら混じった声に、神父は無意識のうちにばっと立ち上がっていた。頭を抱えて、牧師の方を見下ろす。
「お願いですから、もう――」
「血まみれの青年がね、虚ろな瞳で血塗れのチェロを奏でていたとしたら、どうします? 銀髪に緑目の青年が、あの時チェロは壊れていなかったはずなのに、壊れたチェロ弓を持って少女の方を見つめていたとしたら――」
「やああああああめぇぇぇええええてぇぇぇえええくださああああああああいっ!!」
 耐え切れない! と、そう思った時には叫び出していた。銀髪に緑目の青年。後ろでチェロを奏でる同じ容姿の青年の方を知らず振り返り、
「お願いですからやめて下さいよぉぉぉぉおおおおおおおおおっ!!」
 刹那、血塗れの<fュナンに微笑みかけられたような気がした。
 飛び上がった、鼓動。
 いきなり抱きついてきた神父に、思わずデュナンも演奏を中止せざるを得なかった。
「……神父さん、相変わらずだなぁ」
 のんびりと呟くと、俺はそういう趣味じゃありませんよ、とデュナンは神父を引き離す。しかし珍しくも、神父はそれでも食い下がりながら、
「そういう趣味とかあーいう趣味とかそういう問題じゃありません! 怖いじゃないですか! チェロなんてっ! こんな時にチェロなんて怖いですよっ!!」
「だって神父さんだって音楽が好きじゃないですか」
「それと今日とこれとは別なんですよっ! 明るくなってからチェロなら一杯聴かせてもらいますから!」
「気乗りしてる時じゃないと……やっぱり、雰囲気って大事じゃないですか」
「いやそれは確かにそうですけどっ!」
「今なんてレクイエムを奏でるには絶好の時じゃないですか。折角の怪談話ですしね」
「そういう観点でモノを見ないで下さいっ!!」
 ああああああっ! もうっ! と困り果てる神父を目の前にして、デュナンはへぇ、と、なぜか感心したかのようにチェロ弓を下ろした。神父の所為で騒がしくなった聖堂の暗闇をぐるり、と見回しながら、
「何をそんなに怖がっているんですか……先ほどのアデーラさんの話にしたって、ただ単に幽霊の女の子が出てきただけじゃないですか」
「わぁ酷いデュー君! それじゃあまるであたしの話が怖くなかったみたいじゃない!」
「いえ、そうじゃないですけど、今の話だって、よっく考えてみればただ単にチェロリストの霊が出ただけですし。……チェロが弾きたかったんじゃないですか? 俺にもその気持ちは良くわかりますよ」
「「注目すべき点はそこじゃないっ!!」」
 あくまでも冷静なデュナンの言葉に、アデルと神父との声音が見事に調和した。
 別の意味で騒ぎ始めたアデルと、恐怖のあまりに叫び続ける神父の騒がしさに、少しだけ聖堂の空気が微笑ましいものとなる。
 その、一方で。
「……デュナンとやら、なっかなか図太いんだな、アイツ」
「そうですわね。ヴァレンティーノ神父とは大違いですことよ」
 のんびりと医者と牧師が感想を洩らす。
 なぜだか黙り込んだままのオンサの隣で牧師が蝋燭の火を消したのは、もう間もなくの話であった。

 そうしてふっ、と。
 又一つ、光が消えた。





 空を見上げる、緑目の青年。怪談話も無事に終わり、相棒のチェロを抱えて、教会の庭まで出てきていた。
 すっと引いた弓に、低い歌声が零れ落ちる。
 ずっと昔から愛してやまなかった、もう何年も飽きずに聞き続けている、チェロの歌声だ。
「……わかってますよ」
 誰にともなく、デュナンは呟いた。月光の降り注ぐ光の庭の中、歌を乗せるかのように、そっと、やわらかな声音で。
「けれどね、帰るべきではありませんか?」
 見上げた先に、星々を従えた皓々たる満月がある。鎮魂の為の曲を風に震わせ、優しさが染みとおった暖かな空間。
「――わかって、いらっしゃるんでしょう?」
 光の、夜。
 静けさの中、自然の全てを聴衆にする事の、何という心地良さ。
 しかしデュナンは、ふ、と弓を引くその手を止めた。
 ……言葉を、待つ為に。
 聴衆の一人≠ゥら感想≠聞かせてもらうべくして。
 静々と。
 風が、時を運ぶ。
 いつの時代でも変わらない闇に、永遠の音色が眠っている。
 それこそが、自然そのもの――永遠普遍な、美しい世界そのものなのだろう。
 その法則の中で、全ては生きている。
 生かされている。
 デュナン自身にしても。チェロの、音色一つにしても。
 そっと閉ざした瞳に、デュナンは心を落ち着かせた。チェロ弓をきゅっと握りしめ、やおら、呼吸を整えるかのように息を吐いた。
 ……ああ、そうか。
 そう、か。
「わかってくれれば、それで良いんですよ」
 微笑んだ。
 夜の世界に向かい、デュナンは一人、やわらかな微笑を浮かべる。
 声が、聞こえたのだ。
 デュナンの言葉に答える、静かな声音が。
(そうですね。弾く事だけが、愛する事ではないのですから――)
 気づいていたのは、いつからか。チェロを抱えた一人の楽士が、デュナンの傍についていた事に。
 彼がこの世にいない事など、初めからデュナンはわかっていた。しかし、それでもあえて彼に構おうとせず、誰にもその事を話さなかったのは――
「送りますよ。何が良いですか?」
(……『レクイエム』で)
「わかりました」
 寂し気な言葉に、けれどもデュナンは再びチェロ弓を弦へと当てた。
 ただの気まぐれな己の意思で。
 何となく、チェロを弾いていたい気分だったのだから。

 するり、と。
 空へと道を描く、別れの言葉
 螺旋を描き、旋律は昇る。
 天へ、天へと、
 空高く――。


Finis



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      登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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<PC>

★オンサ・パンテール
整理番号:0963 性別:女 年齢:16歳 クラス:獣牙族の女戦士

★ マリアローダ・メルストリープ
整理番号:0846 性別:女 年齢:10歳 クラス:エキスパート

★ アデーラ・ローゼンクロイツ
整理番号:0432 性別:女 年齢:10歳 クラス:エキスパート

★ デュナン・グラーシーザ
整理番号:0142  性別:男 年齢:36歳
クラス:元軍人・現在レジスタンスのメンバー

(お申し込み順にて失礼致します)


<NPC>

☆ サルバーレ・ヴァレンティーノ
ヘタレ神父

☆ リパラーレ
似非医者

☆ テオドーラ(テーア)
ご令嬢

☆ エドモンド(エド)
テーアの執事・恋人

☆ マリーヤ
牧師



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               ライター通信
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 まず初めに、お疲れ様でございました。
 今晩は、今宵はいかがお過ごしになっていますでしょうか。海月でございます。今回はお話の方にお付き合い頂きまして、本当にありがとうございました。
 今回は締め切りギリギリとなってしまいまして申し訳ございませんでした(汗)
 相変わらずマイペースなデュナン君のご参加との事で、プレイング、面白かったです。つっこみの方、もう少し上手く考える事ができれば良かったのでしょうけれども……精進したい所です、はい。
 神父とデュナン君はもしかしなくても良いコンビかも知れませんよね〜。無意識のうちにデュナン君、神父の事をちくちくといじめてくれそうです♪ いつの間にか神父は玩具にされていそうですものね(笑)一応あれでも(エルフなので)デュナン君より年上ですのに……。
 ついでになりましたが、ここで、牧師を先頭と考えた時の、全員の並びをご紹介致します。
 マリーヤ(牧師) - デュナン(円から抜けますが) - マリアローダ - エドモンド(執事) - テオドーラ(令嬢) - アデーラ - リパラーレ(医者) - サルバーレ(神父) - オンサ <敬称略>
 ――と、なっております。何と並びは円順列で8!通りもあるのですね。しかも当初はNPCがもう一人多い予定だったのですが……(汗)
 ともあれ。
 では、乱文となってしまいましたがこの辺で失礼致します。又機会がありましたら、宜しくしてやって下さいましね。

14 luglio 2003
Lina Umizuki