<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>
ぬいぐるみ殺人事件
●白昼の事件
白山羊亭には様々な者が訪れる。ソーンという世界が平行する、あるいは遠い異世界から、あらゆる旅人を受け入れる特異な世界であるからかもしれないが、本当にこの世界を歩く者の姿は様々だ。
その中には……ぬいぐるみの姿もあった。
昼下がりの白山羊亭。昼食のピークを過ぎて、客はまばらだった。その時……
「んぎゃあああああ!!」
壮絶な悲鳴が突然に店に聞こえてきた。出元は店の前であるらしい。店の中にいた者は揃って悲鳴のした方へと視線を向けたが、そこには扉があるだけだ。
店がしんと静まり返る中、ギギィ……と扉の軋む音がした。
どさり。
店の中に倒れ込んできたのは、人間大の白いクマのぬいぐるみだった。
その、倒れた背中には白刃煌めく出刃包丁が刺さっている!
「ちゃ……チャーリー!?」
……その声を境に、止まっていた時は動き出した。
●ぬいぐるみは死んでいるか
「ちゃっ、チャ、チャ、チャ」
……これは慌てているのであって、けしてチャチャチャを踊ったり歌ったりしているわけではない。浅からぬ縁のあるチャーリーが刺されて倒れている、こんな状況で歌ったり踊ったりするほど、鈴々桃花(りんりん・たおほわ)は非常識でも無神経でもない。
「チャーリー生きてるっ!? 死んでたら返事っ!」
……多分。
そんな桃花の前にすっと割り込んで、冷静に脈を取ったのはライオネル・ヴィーラーだった。チャーリー横に膝を突き、その投げ出された腕の手首を取って、脈をはかる。
そして、重々しく首を振った。
「脈がありませんね」
「チャーリー、本当死んでる!?」
両頬をてのひらで挟んで、桃花はお約束の叫びを上げる。
「……あー……?」
そこを酒瓶片手に覗き込んだのはスイ・マーナオだった。まだ昼だというのに、けっこう酒精が回っている目をしている。
この三人が、今この白山羊亭にいる中で、今回の被害者である白いクマのぬいぐるみ、チャーリーと顔見知りだった者たちのようだ。他の者は彼らよりも、もう少し遠巻きにことのなりゆきを見守っていた。
「おいおぉい、本当かぁ? だっておまえ、こいつはチャーリーだろが」
スイはライオネルの見立ては疑わしいと、びしっと人差指を突きつけた。人を指でさすのは失礼だとか、そういうことはさておくとして。
「こいつが絡んで、シリアスだった話があるか!?」
なかなか達観した意見である。
「いえ、でも本当に脈はないんですよ」
ライオネルは立ち上がった。
「もっとも‥‥ぬいぐるみなので、そもそも脈はないのかもしれませんが」
生きて(?)いる間にチャーリーの脈を取ったことがないので確かなことは言えないが、ぬいぐるみに普通脈はない。チャーリーはぬいぐるみなので、やっぱり元々脈がないのかもしれなかった。
「ほらみろ、そんなもんだ。チャーリーだからな」
ふん、と鼻を鳴らして、スイはチャーリーの横に屈み込んだ。
「この出刃包丁だって、おもちゃだろ! 刺されたと思い込んで、びびってこけて、気絶したってぐらいの話だって」
そしてスイは無造作に出刃包丁に手を伸ばす。
「あっ!! 駄目です、抜いては……! 出血が」
通常、刃物傷は、刺さっている時よりも抜いた時の方が出血が多い。
ライオネルが止めようとしたが、時既に遅し。
スイは出刃包丁の柄をぐっと掴んで、それを引き上げた。チャーリーはぬいぐるみなので軽いからか、少し一緒に持ち上がって‥‥ライオネルが手を出したところでどさりと落ちて、包丁は抜けた。
「つっ!」
きっ先がライオネルの手を引っかけた。血がにじむ。
「うお!? ……悪ぃ、本物かこりゃ」
抜いた出刃包丁を目の前に掲げ、スイは少し驚いた顔でそれをまじまじと見た。
もしかしてこいつはたま〜にあるかもしれないチャーリーのシリアス話だったか、と、スイは少し酔いが覚める。
「僕は大丈夫ですが、チャーリー君は」
と、ライオネルは包丁の抜けたチャーリーを見る。
刃を抜いたためにドクドクと出血……は、していなかった。
「えーと……ぬいぐるみだから、ですね」
元々脈がないなら、出血だってあるわけがない。
当然と言えば、当然のことだった。
その代わり。
「あー……綿は見えてんな……マジでぬいぐるみだったのか……こいつ……」
スイが出刃包丁を抜いたところから、白い綿が覗いている。
二人が何かこう、世界法則というものに一言意見したい気分になりながら見つめていたチャーリーの背中に、そこでぱさりと花が置かれた。置いた者の手から上へと視線を移すと、桃花である。花だけでなく、横に線香も立てて、黒リボンをかけた肖像画も飾り、手を合わせている。
「天国でお嫁さん見つけるね」
すっかり死んだものとして扱われているようだ。
「いえ! まだ死んでいないかもしれません。元々、脈もなければ血も流れてないんですから」
諦めるのはまだ早い! とあくまで真面目にライオネルは意見した。そして、白山羊亭の中に向かって声を張り上げる。
「お医者様はいらっしゃいませんか! あるいは、治療魔法の使える人は」
だが、返事はない。都合よくは医者も治療師も、混雑のピークを外れた白山羊亭にはいなかったようだ。
返事がないのを見て取るや、ライオネルは出入り口を塞ぐように倒れているチャーリーを乗り越えて、外に出た。扉は開けっ放しで、外は夏の昼日中だからか、喧噪に包まれていた。向かいの店でもなにやら騒ぎが起こっているらしい。
「……仕方ありません。僕がひとっぱしりお医者様のところへ行ってきます!」
そしてまだ出刃包丁を見ているスイに、ライオネルは告げる。
「あん? 待て、オイ」
まだ酒精の残る頭で色々考えていたスイは、一拍遅れてライオネルを引き留める言葉を紡いだが、もうライオネルは白山羊亭を出ていってしまった後だ。
すぐにバサバサと大きな羽ばたきが聞こえる。外に繋いであった幻獣のグリフォンが飛び立ったのだろうとスイは思うと、舌打ちした。
「人間の医者を連れてきたって、ぬいぐるみの検死なんかできるワケねーだろが」
かと言って、ぬいぐるみの医者ってなんなんだ……というところである。
それ以前に生きてるか死んでるかという問題があるわけだが。
「獣医も違うしなー」
ばりばりと髪を掻いたところで、スイはすっかり独自路線に走った桃花が供えている絵に目を留めた。
「こいつは?」
絵はチャーリーと同じぬいぐるみだが、黒い。
「これ、シャルル」
さめざめと涙しつつ、桃花は言う。
「チャーリー死んだら、シャルルどうなる」
ちーん、と鐘を鳴らし。
「……天国でチャーリーシャルルと仲良く」
一緒に供えたシャルルの絵に、桃花は拝んでいる。
気のせいじゃなかったら宗教がめちゃくちゃだなと思いつつ、スイは訊いた。
「シャルルってのも死んでるのか?」
「生きてる」
「……」
生きてるのに『天国で仲良く』はなかろうとスイは思ったが、表情は力なく笑ったように見えただけだった。傍若無人が服を着て歩いているようなスイでも、やはりこういう天然はどうも扱い辛いような気がする。無論スイだけがそう思うのではなくて、一般的な感性の者ならば、近い感想を抱くであろうから、これは桃花が『一枚上手』だと言うべきだろうか。
……こういうので一枚上手でも、普通はあんまり喜ばしくないものだが。
このようにスイが大変珍しいことに敗北感を感じていると、桃花が突然あっ! と声をあげた。スイもそれに意識を引き戻される。
「どうした、こいつに金でも貸してたことを思いだしでもしたか?」
スイが見ると桃花はキョロキョロとして、それから声を潜めた。
「桃花、犯人わかった!」
「ほう」
「桃花、向かいの店のおっちゃんとさっき遊んでた」
「ふんふん」
「桃花、おっちゃんの料理に蛙入れた」
「……ほー」
「おっちゃん手当たり次第に物投げてた」
桃花は逃げてきたけど……ということらしい。
「チャーリー、当たった?」
ぽむ。
首を傾げる桃花の肩に、スイは手を置いた。
「この間抜けのこったから、それもないとは言えねぇ。言えねぇがな」
どうやらスイも、だんだん酔いが覚めてきたようだ。
「こいつのこった、もーちっと馬鹿馬鹿しいオチに違いねぇ」
真実は他にある! と、あらぬ方向に向かって目線を決め、
「犯人は……こいつだっ!!」
そして、スイは黒リボンの黒くまシャルルをびしぃっと指さした。
「えー? それフツー過ぎ」
が、桃花の鋭いツッコミが炸烈する。
「ぐ……うるせぇ! 俺がそう決めたからそうなんだよ! チャーリーと同じ手合いなら、シャルルってやつもギャグ属性なんだ! 決定! 今俺が決めた! ……いや、その前にな」
スイは結論はさておきと棚に上げ、ぼきべきばきと指を鳴らした。
「とっとと起きやがれ、チャーリー!」
どむっ!
という響く音が、床を伝わる。スイの正拳が床を震わせたのである。
「寝たふりしてるだけだろ! ……おう、俺が言うんだから正解だな? 違ってても俺が正しい!」
かなりむちゃくちゃ言っているが……
「そーか、ぬいぐるみ死ねない」
ここで、桃花もそのことにはたと気付いたらしい(遅い)。
「チャーリー、起きろ!」
桃花はチャーリーをべしべしと叩いてみる。動く気配はない。
「起きないと、ヌイグルミクマ鍋にする」
だが桃花がそう言った時……ピクリとその背中が震えたのを、スイは見逃さなかった。
さて、ここまではかなり迫力のある音声で周囲にお届けされていたスイの声だったが、ここでふっと張りつめた雰囲気が和らいだ。
「そうか……自分で起きられねぇってぇんなら」
言葉づかいはともかく、声も優しく囁くように。
「……俺が蹴り起こしてやろうか?」
その瞬間。
「はいっ!」
白いクマのヌイグルミはその動きの鈍そうな体つきからは想像もできないくらい機敏に、その場に跳ね起きた。
それから……
ゆっくり100程数えるくらいの間、周囲はシーンと静まり返っていた。
「……おはようございます」
最初に気まずい沈黙に耐えかねたチャーリーが、そうにへらっと挨拶するまで。
「なんであんなもんが刺さった?」
にっこり笑って、スイが訊ねる。
「この前のお店で喧嘩をしていて……なんでもお客さんが注文の料理に蛙を入れられたとかなんとかで怒ってて」
それで仲裁に入ったら、逆にさっくり刺されたらしい。
「桃花、半分正解!」
桃花がガッツポーズを作って見せる。
「心が狭ぇよ、その客」
外れたスイは、ちょっと不満そうに鼻を鳴らした。だが、いやここからが本番だと、微笑みを浮かべる。
「いつから気がついてた?」
「えーと……包丁が抜かれたらしい時かと……」
「なんで寝たふりしてやがった?」
「そ……それは……ただ起きるタイミングが……」
ばきべきぼき、とスイは指を鳴らした。
準備は万端だった。
「えーと……」
ライオネルが戻ってくると、白山羊亭は戦場だった。
が、他の客は既に避難を終了しているようだ。そこでは、ヌイグルミと美少女風唯我独尊青年の果てしなき戦いが繰り広げられている。
「必要がなくなったみたいです。…いや、終わったら必要になるかもしれませんが……」
しかしそれが終わった後もヌイグルミの治療は結局、医者の領分ではなかったようだ。
正解は……『お針子に縫ってもらう』だったらしい。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【SN01_0078/鈴々桃花(りんりん・たおほわ)/女の子/17歳/天然ボケな悪魔見習い】
【SN01_0966/ライオネル・ヴィーラー/真面目な青年/18歳/グリフォンナイト】
【SN01_0093/スイ・マーナオ/美少女風青年/29歳/傍若無人唯我独尊な多分学者】
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■ ライター通信 ■
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白山羊・黒山羊亭では長の御無沙汰をしておりました黒金です。そしてお届けがぎりぎりまで遅くなってしまいまして、申し訳ありませんでした。今回ご参加の皆様には、ひとまず忘れないでいていただけたようでチャーリーも草葉の陰から喜んで……あ、いや、死んでないですね(笑)。
気が付けばソーンの世界も色々様変わりしているようですね……当面、可能であれば、秋〜冬までは白山羊・黒山羊亭で書いて行きたいと思ってますので、見かけましたらよろしくお願いします〜。
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