<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


小瓶の中のアリス


■#0 プロローグ

 黒山羊亭で出会ったその初老の男は、ルドヴィスと名乗った。
 ほっそりとしたその体躯を紫のローブに包み、やや皺の目立つ表情を豊かな灰色の髭が彩っている。少し窪んだ眼窩の奥の瞳には、深い苦悩の色があった。
「わしは聖都の南にある森で魔道の研究をしておってな」
 ルドヴィスは果実酒をわずかずつ口に含みながら、語った。
「もう二十年以上も、生命についての研究を行ってきた。人の手による生命――そう、ホムンクルスという奴じゃよ」

 ルドヴィスには、一人の娘がいた。
 娘の名はアリスといった。
 ルドヴィスの妻は彼女を産むことと引き替えにこの世を去り、それ以来ルドヴィスは、たった一人の肉親である娘を誰よりも愛した。
 そしてそのアリスもまた、病でこの世を去った。二十年前のことだ。

「そう、わしは、妻が死ぬ時も、娘が死ぬ時も、何もしてやれなかった。いかにエルザード屈指の魔導師と称えられようとも、愛する肉親の死を前に、何ひとつしてやれなんだ」
 それが彼に、二十年の歳月をかけて、生命の秘密に挑ませたのだった。
「……そしてわしはとうとう、ホムンクルスを完成させた。小さな瓶におさまるくらいの、小さな小さなものではあるが、娘の面影をそのまま生きうつした一人の少女をな。わしはその子に、『アリス』と名づけた。だが……」
 不意に、男の瞳に、激しい怒りの炎が燃え上がったかのように見えた。
「わしが使い魔として使役していた小鬼(ゴブリン)めが、わしの部屋から、『アリス』を持ち出し、逃げ去りおったのだ。まさか、我が魔道による呪縛が解けておったとは――おそらく彼奴め、仲間たちの住むゴブリン谷の巣へと逃げ込みおったに違いあるまい。
 ……わしには金はないが、貴重な古代の魔道書ならいくつかある。売れば少しは金になろう。
 どうか、我が娘を――『アリス』を、取り戻してはもらえまいか」


■#1 谷へ

 ステンドグラス越しに差しこむ朝の光は、七色の輝きで聖堂を満たしていた。
 聖都エルザードの街外れにある、小さな教会。
 朝早い、まだ無人のその聖堂で、一人の少女が祈りを捧げていた。
 白いリボンで纏められた、腰までの長さの青銀色の髪。
 小柄で細身の身体を包むのは、純白の衣と四肢を覆う軽装の部分鎧。
 雪のように白い肌を持った愛らしい少女だった。年の頃は十二、三くらいだろうか。
 あどけなさと純真さを色濃く感じさせる美貌に夢見るような表情を浮かべて、神への祈りに没頭している。
(――父なる神よ)
 音を生じぬ祈りの声は、聖堂の中の空間を震わせ、光を伝って天へと還るかのようだ。
(慈愛に満ちたるその御手により、地に溢れし全ての子らに、あまねく幸福の光を)
 ばさり、という乾いた音がして、少女の小さな背中に、やはり小さな、一対の純白の翼が翻った。
 全てが白と銀とでできたようなこの少女は、人に知られぬ天界に座する、人に知られぬ“神”により、このソーンの大地へと遣わされたしもべの一人なのであった。
「――天使殿」
 少女の背後で、重々しい音とともに扉が開いて、その向こうから低い声が響いた。
 振り向くと、そこには紫のローブに身を包んだ魔導師が立っていた。
「……メイ、とお呼び下さい。ルドヴィス様」
 白銀色の天使はそう言って微笑んだ。

 彼女――メイと、魔導師ルドヴィスは、ベルファ通りにある酒場・黒山羊亭で出会った。
 このところ評判の芳しくない『天使』の汚名をそそぐために、可能な限り、苦境に喘ぐソーンの人々を救済せよとの“神”の命を受けているメイは、自分の力を必要としている人を探して聖都じゅうを歩くのが日々の日課となっている。
 そして聖都の中で最も、悩みを抱えている人間が見つかりやすいのが、二軒の酒場――アルマ通りにある白山羊亭と、ベルファ通りにある黒山羊亭である。これらの酒場は、そこにたむろする冒険者たちを頼って、様々な悩みを抱えた人々が訪れる場所であり、同時に彼らが酒で自らを癒す憩いの場所でもある。
 しかし、聖都の中でも特ににぎやかで活気に溢れているアルマ通りに面しているせいか、いつも陽気で気安く、楽しげな雰囲気に包まれている白山羊亭に比べて、どことなく危険な匂いの漂うベルファ通りの黒山羊亭は(それでも、ベルファ通りに面した店の中では比較的安全な場所ではあるのだが)もともと世慣れておらず、人見知りなところもあるメイには近寄りがたい場所であった。
『――少し怖いけれど、どんな場所にも助けを求める方はきっといらっしゃるはず。勇気を出して行ってみなくては!』
 そう自分を鼓舞して、ベルファ通りへ――黒山羊亭へと足を踏み入れたメイ。
 そこで『アリス』奪回のために冒険者を募っていたのがルドヴィスであった。
 メイはルドヴィスから事情を聞き、協力を申し出た。そして翌朝にゴブリン谷への出発を約束し、この教会で落ち合うことにしていたのだった。

         ※         ※         ※

 谷へと向かう一台の古ぼけた馬車。
 その御者台で手綱を握るルドヴィスは、その傍らに座ったメイに、ゴブリン族のこと、そして彼らが棲まう谷について、自らが知る限りのことを語った。
「ゴブリン族は人間の子供程度の身の丈に、緑の肌と醜い容貌を有した小鬼どもでな。彼らはこのソーンの大地の至るところに生息し、氏族ごとに群れをなして生活しておる。知能はさほど高くはないが、その性格は残忍にして狡猾、他の種族に害を為し脅かすことを至上の喜びとする憎むべき者どもじゃ」
 そう語りながら、ルドヴィスの灰色の瞳の奥で、憤怒の炎が燃えあがっているように見えた。最愛の『アリス』を奪われた憎しみが、ルドヴィスの言葉に荒々しい刺をまとわせていることが、メイにも伝わってきた。
「どの程度の戦闘能力を持っているのでしょうか?」
「腕力から言えば、人間の子供と大して変らぬ。すばしこく、ずる賢いのが厄介ではあるが、一匹一匹は恐れるほどのものではない。ただ、きやつらは群れで行動し、数を頼みに一斉に襲いかかってくる。いかに凶暴な獅子とて無数の蟻の群れには為す術もないという。用心せねばなるまい」
 ルドヴィスの言葉に、こくりと頷くメイ。
「わしの『アリス』を盗んで逃げたゴブリン――クレドが逃げた谷は、この街道を西に行った丘陵の先にある。険しい山岳地帯を引き裂いたような大きな谷間の岩壁に、無数の洞穴があいておる。その中にクレドの属する氏族のゴブリンどもが無数に住みついておるのというわけじゃ。過去、王命によって何度か騎士団がこの地のゴブリンどもの討伐を行ったが、倒しても倒しても沸いてくるゴブリンどもの前に、流石の騎士団も引き上げざるを得なかった」
 討伐に失敗し、王都へと帰還してきた騎士団が捕虜として連れかえってきた、緑の肌の小さなゴブリンのことを、ルドヴィスは思い返していた。
 錆の浮いた鉄籠に入れられたその姿を見たとき、当時宮廷に仕える魔導師の一人であったルドヴィスは、不思議な感情に捕らわれた。
 醜く残虐な種族として人々から忌み嫌われるゴブリン族は、聖都エルザードでも例外ではなく、迫害と駆逐の対象でしかなかった。
 しかし、囚われて棲みなれた地より引き離され、この狭い鉄籠の中でやがては見せしめのために殺される運命を待つばかりのこの小鬼に、ルドヴィスはあろうことか、憐れみを抱いたのであった。
 そして、魔術の実験に用いるとの名目の元、王に願い出て、そのゴブリンの身柄を預かったのであった。
「……そしてわしは、そのゴブリンにクレドという名を与え、その身に呪縛の魔法をかけた。生涯このわしに忠誠を尽くし、使い魔として仕えるようにとな。逆らえばきやつめの身体は想像を絶する苦痛に蝕まれ、やがては息絶える。……そのはずであった」
 だが現実に、クレドは主の意思に背いて『アリス』を奪い、逃亡した。
「我が呪縛の魔法の効力が薄れていたのか……それともまさか、きやつめが自力で解いたというのか……どちらも、考え難いことだが……」
 男は街道の彼方を見つめながら、ぽつりとそう呟いた。


■#2 潜入

 山々が地平線に険しい起伏を刻んでいる。その彼方へと、間もなく夕陽が沈みこもうとしている黄昏時。
 世界は茜色の輝きに包まれていた。
 ごつごつとした岩肌が剥き出しになった山岳地帯を巨大な悪魔の爪が縦に引き裂いたように、深く険しい谷が口を開けていた。その谷底を、いくつもの小さな影が群れをなして蠢いているのが見える。この谷を棲処としている、ゴブリンの群れらしい。
「本当にここに、アリス様がいらっしゃるのでしょうか……?」
 眼前の光景を注意深く見つめるメイの問いに、ルドヴィスは頷いた。
「……間違いない。我が使い魔であったクレド――きやつが盗んでいきおった『アリス』を封じた小瓶には、不用意に蓋を開けぬよう、封印の呪文が施してある。その封印の放つ微弱な魔力が、わしにその位置を教えてくれる」
「ここは、素直に近づき潜入を図ったほうがよいかもしれませんね。強襲をかけられれば手早いのですが、アリス様を人質にとられては手も足も出ませんから」
「ならば、わしの術の出番じゃな。我が『透明化』の術をもってすれば、ゴブリンどもの目を欺くことなど容易いこと」
 そして、魔導師は樫の古木で作られた愛杖を手にすると、メイを前にしてその瞳を閉じた。その唇から低く静かな、不思議な響きの音がこぼれ出す。古代語による呪文の詠唱であった。
 知るはずのないその言葉の端々になにか懐かしいものを感じ、戸惑うメイ。
 それは古代語が、遠い遠い古の時代、天より遣わされた天使たちにより歌われた、聖歌の響きを語源としているが故であったかもしれない。
 詠唱とともに、杖の先端で宙に複雑な印を描く。するとその印は眩い閃光となり、メイとルドヴィスを包んだ。
 光がおさまると――そこには、何事もなかったように、メイとルドヴィスが立っていた。
「あの……今のは?」
「何も変化がないように感じるじゃろうが、術の効果はちゃんとわしらの身に及んでおるよ。これでしばらくの間、わしらの姿はわしら同士にしか見えぬ。……月明かりを浴びると、この術の効果は解けてしまうが、な」

         ※         ※         ※

 二人が谷の入口へとたどりついた時、すでに茜色の輝きは消えうせて、代わりに淡い宵闇の気配が空を覆いはじめていた。
 雲間からうっすらと覗く白い真円の月の輝きも、まだ目覚めたばかりで仄かなものだ。空が完全に夜の闇に覆われ、月が雲のヴェールから完全にその姿を現す前に、『アリス』の元へたどりつかなければならない。
 二人はなるべく足音を立てないように気遣いながらも、急いで谷の奥へと入りこんで行く。
 谷間の底にはかつて河が流れていたらしい。赤茶けた土の中に、かつての水の流れで運び込まれた流木や巨大な岩などが恨めしそうにのぞいている。
 そのほぼ中央で、ゴブリンの群れが巨大な炎を焚いていた。この焚火が夜の間彼らの縄張りを示すものであり、また外敵の脅威から住処を守るための彼らの知恵でもあるのだった。
「メイ殿、我らを隠すこの術は、しかし我らの影までは隠せぬ。炎のそばを不用意に歩かれるでないぞ」
 ルドヴィスの囁きに、メイがこくりと頷く。
 岩陰に沿って、歩哨と思しきゴブリン兵に見つからないように注意しつつ歩を進める二人。
 進みながら、ルドヴィスは谷の奥から響いてくる、魔力の波動を感じ取っていた。
 紛れもない、アリスの小瓶にかけた封印が放つ魔力の波動であった。
 そしてまた、そのすぐそばに、彼がよく知っている別の波動があった。
 ――クレド。
 彼がその名を与え、呪縛の魔法をかけて使い魔として使役していた醜い一匹のゴブリン。その体にまとわりついた呪縛の魔力が、まだわずかに波動を放ち、かつての主人にその居場所を告げていた。
(おのれ、クレドめ……。死にかけておったところを救ってやったこのわしへの恩義も忘れ、我が命よりも大切な『アリス』を奪い去ろうとは!)
 魔導師は、久しく感じることのなかった激しい怒りに身を震わせながら、魔力を帯びた愛杖を片手に、魔力の波動をたどっていった。
 やがて。
 波動の流れの示す先に、ぽっかりと大きな洞穴が暗黒の口を開けていた。
 周囲にゴブリンどもの気配はない。
「この奥……ですか?」
 メイの問いに、ルドヴィスが頷く。
「何事もなく奪還できれば良し。万が一気取られたならば、その時は――」
「その時は、あたしにお任せ下さい」
 メイはそう言って、右腕を頭上にかざした。
 次の瞬間、その手の中に、白銀に輝く大鎌が姿を現した。
 メイが“神”より授けられた武器、『無垢の恩寵(イノセントグレイス)』。単粒子により構成されるこの神聖武器は、邪悪なものに対して凄まじいほどの破壊力を秘めているばかりか、メイの意志に従って自在にその大きさを変えることもできるのだった。
「戦いはあまり好きではありませんが、必要であればこのあたしの全てに代えても、ルドヴィス様とアリス様はお守りします」
 それを聞いて、ルドヴィスは小さく微笑んだ。
「心強いお言葉じゃ。じゃが、あなたもあまり無理はなされるなよ、メイ殿」
 そして、ルドヴィスは小さな声で呪文を唱え、杖の先に小さな明かりを灯した。
 その明かりを頼りに、暗闇の世界へと足を踏み入れていく二人。
 洞窟の中は、獣の匂いが満ちていた。ゴブリン達の不潔な体臭と、食い荒らされた餌の腐敗した匂い、そして糞尿の匂いが入り混じったと思しき、胸の悪くなるような匂い。
 野生のゴブリンの巣穴とはこういう匂いがするものなのだろうか。
 ローブの裾で鼻と口元をおさえながら、洞穴を奥へと進んでいくルドヴィス。そしてその後を、洞窟の幅に合わせて一回り小振りな大きさにした『イノセントグレイス』を携えてついていくメイ。
 そして、魔力の波動がすぐ目前に感じられるところまで近づいた、その時。
 澄んだ声が、洞穴の中に響き渡った。
《やはり、来られたのですね》
 まだうら若い、娘の声。その声を耳にして、ルドヴィスの表情がみるみるその色を変えていった。
 驚きと喜びと――哀しみに。
《できることならば、追わずにいてほしかった。……お父様》
「――アリス!」
 身を隠していることさえも脳裏からは消えたか、魔導師は姿なき声の主に向かって、大声で叫んだ。
「それはどういう意味なのだ、アリス!? 頼む、姿を見せてくれッ!」
 その声に応えるかのように、ぼんやりと、眼前の闇の奥に、ぼんやりとした姿が浮かび上がった。人間の子供のように小柄な身体、緑色の肌、醜く歪んだ表情。
 そしていびつに歪んだその手の内に、青白い燐光を放つ小さな小瓶が握られていた。
「クレド……貴様ッ!」
 ルドヴィスが眼前の小鬼に向かって、憤怒の表情を浮かべる。
 そして、数歩先のその姿へと飛びかかろうとしたその時、クレドは無言で、手の中の小瓶をかざした。
 まるで、このまま固い床の上に叩きつけてやるぞ、と脅すかのように。
 そう、驚くべきことに――このゴブリンには、姿を消しているはずの二人の姿が、見えているのだった。
 その様子を見て、クレドを睨みつけたまま、動きをとめるルドヴィス。そんなかつての主の姿を見つめながら、クレドの瞳はどこか悲しげであった。
 大鎌を構えて、メイがクレドに語りかける。
「お願いです。その小瓶を、ルドヴィス様にお返ししてください」
 それを聞いたクレドは、その口を開き、何か言葉を発しようとして――ルドヴィスの方を見つめ、そして――悲しそうに首を振ると、洞窟の奥へと踵を返した。
「――待ってください!」
「待てッ、クレド!!」


■#3 転生せしもの

 クレドの後を追い、洞窟の中を駆けるルドヴィスとメイ。
 そのまがりくねった細い道の終着点は、予想外の光景だった。
 まるで広間のように開けた広大な空洞。
 そしてその頭上、天井にあたる部分は吹きぬけのように地上と繋がっていて、星々の輝く夜の空が広がっている。
 仄かに差しこむ月光に照らされながら――メイ、そしてルドヴィスは見た。
 広間じゅうにひしめく無数のコブリンたちの姿を。
 そしてその奥に、まるで彼らの主のごとく立つ、小さなクレドの姿を。
「――くッ!」
 いかに一人一人が大した力を持たぬゴブリンとは言え、この数の差は圧倒的だった。
 ゴブリンたちはそれぞれ手に短剣や斧、槍など、思い思いの武器を手に、メイとルドヴィスを睨んで身構えている。
 その緊張の糸が弾けて、いつ襲いかかってきてもおかしくはなかった。
《――お父様》
 不意に、先ほど響いた『アリス』の声が響き渡った。
 生身から出る声ではありえない。魔法によって空間じゅうに声を響かせているのだということは、メイにもわかった。
 だが誰が? 小瓶の中のアリスに、そんな力があるというのか。
《もう私は、お父様の元へは戻れません。このまま、何も聞かず、何も見ずにお帰りください。承諾していただけるならば、この『しもべ』たちも、お父様にも、そちらの天使様にも、傷ひとつつけることはないでしょう》
 連れ去られたはずの『アリス』の言葉にしては、あまりにも不可解な言葉だった。だがその言葉は決して嘘偽りではない――そう思わせる切実な思いが、声に含まれているように思えた。
「メイ殿」
 不意に、傍らのルドヴィスが杖を構えながら、言った。
「――ここまで、同行してくださったこと、心より感謝する」
「ルドヴィス様?」
「わしはここから引き返すわけにはゆかぬ。このゴブリンどもを蹴散らしてでも――たとえそれで、この体が朽ち果てようとも、アリスは取り戻さねばならぬ」
 深い皺に刻まれたその横顔には、揺るがしようのない決意が浮かんでいた。
「メイ殿はもうここでお帰りくだされ。約束の報酬は、谷の外に残してきた馬車の中に積んでおります故――」
「そのようなことをおっしゃらないで下さい、ルドヴィス様」
 メイは悲しげな表情を浮かべて、死を覚悟しているルドヴィスに言った。
「あたしは報酬の為にルドヴィス様とここへ参ったわけではありません。ルドヴィス様とアリス様の幸福を――そのためのお力になれればと、ここへ参ったのです」
 両手に携えた『イノセントグレイス』を、振りまわすのに最も適した、大振りな形に変えて胸前に構える。
 そして、ルドヴィスの代わりに、広間じゅうに響き渡るような声で、『アリス』に問いかけた。
「アリス様! あなたはルドヴィス様をお嫌いになられてしまったのですか!?」
《…………》
「何故、あなたを助けようとはるばるやって来られたルドヴィス様を拒絶なさるのですか?」  メイの言葉に、『アリス』の声は、静かに答えた。
《天使様。神の名において誓います。……私はお父様を嫌ってなどいません。でも、愛しているからこそ――私はもうそばにはいられないのです》
 『もう』そばにはいられない。『アリス』の声はそう言った。
 その言葉に感じた疑問がはっきりとした形を結ぶより先に――『アリス』の声が叫んだ。
《お願い。ここから立ち去って。もう二度とここへは来ないで!》
 広場の奥で、二人の姿を見つめながら、小瓶を手にしているクレド――その身体を包む青白い燐光が、不意にその光を増した。
《――もうこれ以上、私を辛くさせないでッ!!》
 その声と光に打たれたように――広場じゅうにひしめいていたゴブリンたちが、ぞわり、と身じろぎした。まるで並んでいた彫像に命が吹きこまれたかのように――一斉に動き出すゴブリンたち。
(まさか、あの声は――!)
 その様子を見て、メイは何かに気付いた。
 そして背の翼を広げると、傍らのルドヴィスに叫ぶ。
「ルドヴィス様! 結界を!」
「う、うむっ!」
 凛としたその声に頷き、呪文を詠唱するルドヴィス。
 そしてその前に立ちはだかり、四方より殺到するゴブリン達めがけて、メイは手にした大鎌を振るった。
 その一振りで、まとめて三、四体のゴブリンが薙ぎ払われ、弾け飛ぶ。
 それにも怯むことなく、武器を振りかざして、次々と襲いかかってくるゴブリンの群れ。
 群れに二人の姿が飲みこまれかけたその時――ルドヴィスの呪文が完成した。
 ルドヴィスを中心とした数メートルの範囲にいたゴブリンたちが、まとめて結界に弾かれ、後方へと吹き飛んで仲間に衝突する。その衝撃でバランスを崩したゴブリン達が、さらにその背後のゴブリン達に倒れこみ、まるで将棋倒しのように次々と仲間を巻きこんでゆく。
 ばさり、とメイの背の純白の翼が広がった。そしてその小さな姿が軽々とゴブリン達の頭上へと跳躍し、飛翔した。
 ――広場の奥に立つクレドめがけて。
 ひらり、とメイはクレドの眼前に降り立った。
 そして、手にした白銀の大鎌をその小さな姿に向けて、言い放つ。
「彼らを止めてください。こんなことはあなたの望んでいることではない。
 ――そうでしょう、アリス様」
 『アリス』という名を呼ばれて――。クレドの醜い表情には驚愕と――そして、どこか諦めたような、安堵したような、不思議な色が浮かんでいた。

         ※         ※         ※

 聖都へと帰る馬車の中。
 ルドヴィスは、メイと、そして『アリス』から、真実を聞かされて愕然となった。
 二十年前に病でこの世を去った、ルドヴィスの娘、アリス……
 彼女が再びこの世に生まれ変わった姿が、クレドなのだということを。
 そして運命の巡り合わせか、アリスは再び実の父と再会し、使い魔としてその傍らに仕えてきた。
《使い魔としてお父様と過ごしたこの十年――。私は幸せでした。でも、私がこんな醜い姿に生まれ変わったなどと、お父様に知られたくはなかった》
 まるで鞭のように、ルドヴィスから呪縛の呪文を浴びせられても。それでも彼女は幸福だった。もとより呪縛の呪文など、ルドヴィスの娘としての記憶を保っている彼女には、いつでも解くことのできるものだった。
「アリス……」
 ルドヴィスは信じられない、といった表情で、使い魔を――いや、変わり果てた娘の姿を見つめた。
《そして何も言えぬまま時は過ぎ――私を甦らせるために生命の研究に没頭していたお父様は、私の名を与えたこの子を、何よりも可愛がった》
 彼女は、ずっと見ていた。かつての自分の姿を模した、心のないホムンクルス――自分の模造品(レプリカ)を幸福そうに愛でるその背中を、ずっと。
《そして私は耐えられなくなった。そして私はこの身にかけられた呪縛を解き、この子を連れて、お父様の元を飛び出したのです》
 そう言って彼女は手にした小瓶を見つめた。羨望と嫉妬の入り混じった目で。
 小さなもう一人の『アリス』は、小瓶の中で静かな寝息を立てていた。
《本当は、粉々に砕いてやるつもりだった。――だけど、できなかった……》
 そう言って顔を伏せる彼女を、ルドヴィスは見つめていた。
 どう接してやればいいのか、わからない様子で。

「ルドヴィス様」
 メイの静かな声に、ルドヴィスの灰色の瞳が救いを求めるように揺れた。
「メイ殿、わしは……」
 どうしたらいい?
 その問いが唇からこぼれるより先に、メイが優しく微笑んで、言った。
「――ルドヴィス様が二十年間かけて求めてきたものが、何なのか――それは、ルドヴィス様の心の中にあるのではありませんか」
 その言葉の意味を噛み締めて――男は、こくりと頷いた。そして、手にした手綱をメイに預けると、荷台で眠ってしまった小さな姿に、そっと自分のマントをかけた。
(人を幸福にするために、あたしはこの地へと遣わされた)
 手綱を握りつつ、背後の荷台を振り返る。娘に寄りそうルドヴィスの姿を見ながら、メイは心の中で呟いた。
(でも父なる神よ。人にとっての幸福とは、何なのでしょうか? 幸福はすぐそばにあるのに、それに気付かない人もいる。愛しているのに、愛されているのに、それに気付かないなんて。気付けないなんて)
 そして頭上を見上げた。
 透き通るような夜空に、幾筋かの流星が彼方へと流れて消えていった。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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整理番号/ PC名  / 性別 / 年齢 / クラス
 1063 / メイ   / 女性 / 13 / 戦天使見習い

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■         ライター通信          ■
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 どうも、たおでございます(≧∇≦)/
 この度は、この冒険へのご参加、真にありがとうございました!
 ご発注を頂いてから、凄まじくお待たせしてしまって真に申し訳ありませんでした><
 お待たせしてしまった分、精魂込めて書かせていただいたつもりなので、楽しんで頂けたら嬉しいです。

 この前にこの冒険に参加されたシグルマさんの時とは、登場人物等はそのまま、今回は物語の真相などをガラっと変えてみました。というか最初のこの物語の構想の時に、複数考えていたエンディングの一つだったんですけどね。
 純粋なハッピーエンドとも言えない、ちょっと『アリス』にとっては可哀想な、苦い結末ではあるんですが、個人的にはこういうのもいいかな、と(笑)。

 今後も、より一層頑張りますので、どうかよろしくお願いします(≧∇≦)/
 ご意見、ご要望、ご不満などありましたら、是非聞かせてやってくださいね。
 次はもっと早く、お手元にお届けできると思いますので、どうぞまた機会がありましたら是非、たおの冒険依頼へのご参加をお待ち申し上げております!ヾ(≧∀≦)〃

たお