<東京怪談ノベル(シングル)>
暑い日差しの中で
鬱々とした雨の多い季節が過ぎ去り、初夏の眩しい光がソーンを照らす。
道往く人は誰もが、うっすらと汗を流していた。彼らは陰のある涼しい室内に逃げ込む事ができる。だが、屋外で働く者にとっては、厳しい季節。
虎王丸は汗で粘ついた衣服に不快感を示しながらも、懸命に仕事をしていた。
コロシアムの周辺にある焼き腸詰の屋台。
今日はコロシアムで有名な剣士同士の試合が行われるらしく、その試合が始まる数時間前だというのにコロシアムは大勢の人で賑わっていた。
屋台で焼き腸詰を買っていく人々が多く、せわしなく若い男が働いていた。いつもの着物の上に、薄汚れた前掛けをした、虎王丸。
異界の日本というところから、このソーンを訪れた霊獣人種族の16歳の少年である。
いや、もう青年というべきか。その瞳に宿る光は純粋な輝きを持つが、その逞しい身体つき、立ち振る舞いは一人前の成人だ。
霊獣人とは、獣人の力と霊獣の能力を使うことができる種族で、虎王丸はその中でも燃え盛る炎の白虎の力を宿した霊獣人である。
普段は通常の人間と変わらぬ姿をしており、その身に宿った霊獣の力を解放した時のみ、半獣人の形態を取る。
出身の日本では「朝廷」から蛮族として支配されていたが、ここではそんなものは無縁だ。冒険へと向かう、滾る感情をここでは抑える必要はない。
だが、やはり先立つものが必要だ。金がないので、仕方なくこの屋台で店番のアルバイトをしている。
「早く帰ってきてくれねーかな」
今、この屋台のオヤジはコロシアムで行われる試合の席取りに出かけてしまってるので、その間の店番を虎王丸は頼まれたのだ。
忙しさと暑さに辟易し、虎王丸は呟いたが、試合が始まるまでまだ時間はある。その試合が終わらないと、この屋台のオヤジは帰って来ない。
幸いにも、滝のように汗が流れるほど暑くはない。もっと暑くなれば、耐え切れず着物の上をはだけるぐらいはしただろう。
「まいどーっ!」
少しだけ、客の波が引き、一息つく。
着物の前を大きく開き、手で扇いで少しでも涼を取ろうとする。
屋台は小さく屋根が一応あるが、人一人を覆えるような影はない。
燦々と輝く太陽の光が、虎王丸の健康的な小麦色の肌を照らした。そして、その肌に流れる粒のような汗を光らせる。
そうして休憩していると、コロシアムの方から若い剣士数人が外に出てきた。年の頃は虎王丸と然程変わらぬだろう。
試合が終わったのか、それとも、先輩の試合の応援でもしてきたのか。
適当に近くの他の屋台を冷やかしながら、次第にこちらへと向かってくる。
「おぃ、あれ見てみろよ」
剣士の一人が、虎王丸を指しながら仲間に言った。
着物という衣服はこのソーンでは珍しいのか。その姿を剣士達は揶揄する。
虎王丸は無視するが、それをいい気になったか、剣士達の言葉は次第に下品となる。
「あの変てこな服の上に前掛けだなんて、変な格好だぜ」
「いっその事、素っ裸の上に前掛けしろよ」
「そうだそうだ。そんなに暑いんだったら脱いじまえよ!」
「胸をそんなに晒してんだからよ。それとも、見せるのが趣味なのか? だったらいいじゃんか」
下品さも極まる冗談だ。
流石に温厚な人間でも怒るだろう。しかも、感情的になりやすい虎王丸である。
無言で剣士達に詰め寄ると、腰に差した刀を一瞬で抜き放つ。
居合い。
持ち前の瞬発力で一瞬にして、剣士の一人の衣服のみを斬り刻む。当の剣士は暫くの間は呆然として、自分の身に何が起きたか把握していなかったが、下帯一つとなった己を見て、顔を青ざめる。
「てめぇら、いい加減にしろよっ!」
唸るように吠える、虎王丸。
「おまえ! 何て事をするんだ!」
仲間がやられ、頭に血が昇った剣士が、剣を抜き放ち、虎王丸に襲いかかる。
その剣先を難なくかわし、虎王丸は反撃に剣士の腹へと刃を閃かせた。
「遅ぇんだよ」
「がっ‥‥げほげほっ」
峰打ちなので、全く大した傷ではない。それでも尚、強く打たれ、その剣士は地に跪いて苦しそうに咳き込む。
「おっ。にーちゃん、やるじゃねぇか! 頑張れよっ」
「もっと、やっちまぇ!」
何事かと集まった野次馬から、声援が虎王丸に向けて飛んだ。
どうやら、この剣士達は日頃の行いが悪く、近くの屋台の人達から良く思われていないらしい。
「任せとけ!」
得意げに腕を上げ、声援に応える虎王丸。
「にーちゃん、危ねぇぞ!!」
その虎王丸の背後から、残った剣士達が一気に襲いかかった。
野次馬の警告よりも早く、虎王丸は気づいていた。後ろを振り向かず、背後から襲う刃を紙一重でさらり、と、避ける。そのまま、右腕を振り上げ、刀の峰でその剣士の顎を打った。
仰け反りながら吹き飛ぶ、剣士。
他方向からも剣が迫るが、軽やかに剣戟の音を響かせて受け流す。
そして、返す刀で剣士達の胸を、腹を力強く打ち込み、派手に吹き飛ばした。弾き飛んだ剣士の身体が屋台に投げ込まれ、商品の腸詰を地面に撒き散らすが、キレた虎王丸は気づかない。
最後に残った、下帯一つの剣士が剣を虎王丸に閃かせるが、これも容易く刀で弾け返す。そして、同じように吹き飛ばして腸詰の山に埋もれさせた。
その勢いでほどけてしまったのか、白い下帯がひらひらと宙に舞った。
「ふんっ。この程度かよ」
シャキンッ、と、涼やかな音を立て、刀を鞘に戻す。
「お、おぼえてろよ!」
まだ立ち上がれる剣士が、惨めにも情けない姿を晒しながら倒れた仲間の身体を引き摺って、逃げ出していった。
野次馬から口笛が吹かれ、虎王丸が得意げな表情を皆に見せた。
しかし、その笑顔が途中で凍りつく。
「虎王丸〜〜っ!」
「おっ、オヤジぃっ」
正面の野次馬の中によく知った顔があった。留守を任された屋台の持ち主であるオヤジ。騒ぎに気づいて胸騒ぎがしたので戻ってみれば、このような事になっていた。
その顔には怒りに満ちていた。
それも当然の事。視線の先には地面に撒き散らされた商品の腸詰があったのだから。
耳をオヤジに引っ張られ、虎王丸は「いててっ、いてぇよ!」と、悲鳴を上げる。
「どうしてくれるんだ!」
いつしか野次馬達は去っており、残ったのはオヤジと虎王丸の二人のみ。
散乱した腸詰をオヤジに怒鳴られながら、虎王丸は集める。
「これは不可抗力だったんだぜ‥‥」
「やかましいわぃ! さっさと集めんか!」
自分のせいで商品を駄目にしたのじゃないのに、と、ぼやきながら虎王丸は集めるが、オヤジは聞く耳持たない。
それどころか、駄目にした商品分、ただ働きをさせられる事になってしまった。
「その分を働いて返すまで、こき使ってやるからな!」
「じょっ、冗談だろぉっ!」
夕暮れの深い紅の光が闇に閉ざされようとするまで、懸命に働かされる虎王丸であった。そして、明日からも労働の日々は続く。
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