<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


因縁
 使い込まれ、あちこちに傷が付いた木のテーブルに、しなやかで細い指先が触れる。透き通るような白い指先は、テーブルに置かれたグラスを包み込んだ。
 壁に掛けられたランプの光が、グラスに満たされたワインに映り、ゆらゆらと揺れている。やがて液体は、女の桃色の唇に吸い込まれ、喉を潤した。
 入り組んだ路地に存在する薄汚れた酒場に不釣り合いの美貌を、酒場の奥からじっと見つめる視線が幾つもある。それを知りつつ、知らぬ顔で女は喉を満たしつづけていた。安酒なれど、不味い酒ではない。赤い液体が生み出すひとときの快楽に、女は酔いしれていた。
 セレネ・ヒュペリオンが職を失って、どれ位経つだろうか。別に、懇願して王宮魔導師になったわけではない。だからやりたいように職を務めていたら、いつしか職を失っていたのだ。
 王宮に招くなら、もっと私の事を知ってからにするんだったわねえ。セレネは、王宮を出る時そう言い残して去った。もっとも、彼女が職を追われる事となった理由は、それだけではあるまい。それを自覚して居ない程、セレネは子供ではない。
 細い肩を伝って前に滑り落ちる髪を、セレネの指が掻き上げる。蒼い服の襟元からは、服を圧迫している谷間が覗いていた。
 がた、と椅子が引かれる音が聞こえる。
 後ろから、声が掛けられた。この手の輩には、辟易している。静かに酒も飲ませてもらえないのかしら。セレネは、ちらりと視線を上げると、自分の手の中のグラスに影を落とした男を見た。剣を下げた軽装の男が一人。身なりは綺麗だが、その醸し出す気配が気にくわない。気配というのか、その物腰というのか。セレネはぷいと視線を逸らし、美酒に意識を戻す。
 すると、呼んでも居ないのに男は、セレネの横に座った。
「あんた、一人か?」
「そんな事、あんたに関係無いでしょう?」
 セレネは冷たく言葉を吐くと、椅子から立ち上がった。しかし男も立ち上がり、セレネの肩に手を置いて引いた。くるりと振り返りまぎわ、セレネは男の手を払い退けた。不快感を露わにする男を放置し、セレネは歩き出す。酔いも醒めつつあり、セレネの心地よい時間は去っていった。不快を感じているのは、セレネの方だ。
 セレネがカウンターに向かうと、男はなおも追いすがった。
「一人で飲むよか、二人の方がいいじゃねえか」
 耳元で酒臭い息を吐かれ、セレネはむっつりと表情を曇らせた。そりゃあ、私ほどの美貌の持ち主がこんな場末の酒場に出入りすりゃあ、ごろつきの一人や二人、寄って来るだろうさ。こんな場所に不釣り合いのいい服を着て、持っている指輪も荷物も、ちょいと貧乏人にゃ手に入らないものだからね。
 セレネはちらりと自分の身なりを見た。いいモノとはいっても、これも王宮に居た頃に手に入れたものなのだが。
 男がセレネの手を掴もうとするのを、ひらりと身を反転させてかわした。と、そのセレネの目の前に、カウンターが迫る。追いつめた男は、しめた、といった顔をする。カウンターには長身の若い男が一人で酒を飲んでおり、体の殆どを砂色のマントで覆っていた。脇には、巨大な蛮刀が立てかけられている。これほど巨大な刀を操るならば、巻き込んだ所で‥‥。
 セレネは男の肩を掴むと、強引に引っ張った。後ろから突然引っ張られ、男はよろめきながら立ち上がる。セレネはその長身で自分の身を隠すように、後ろに回り込んだ。
「退け、邪魔だ!」
 何がなんだか分からないまま、突然見知らぬ男に怒鳴られた長身の男は、セレネと男を交互に見る。セレネは男の体の影から顔を覗かせ、ナンパ男に怒鳴りつけた。
「しつこいんだよ、クズ!」
「なんだと?」
 かあっと顔を赤らめ、男はセレネに掴みかかった。伸ばされたその腕を、長身の男は掴んだ。

 別に好きこのんで、この女の味方をした訳ではない。レン・ブラッドベリは、静かに酒を味わいたかっただけである。静かにして欲しかったから、騒動を起こしている元凶を片づけようとしただけだった。酒の力を借りて女を無理矢理口説こうとするこの男の事は不愉快だし、それに巻き込まれている女‥‥セレネの事は放っておけないという気持ちもある。
 しかし、セレネはどうも意図的に自分を巻き込んだように思う。騒動はレンは好まない。
「‥‥俺を巻き込むな」
 レンは低く小さな声で呟くと、男の手を振り払った。
 よろよろと後ろに後ずさりをし、男はレンを睨んだ。 どうやら、今度はレンを標的にしたようである。
(‥‥困ったもんだ)
 レンはため息をつくと、半歩前に出た。男がレンの胸ぐらを掴み、引き寄せようと力を込める。その手元にすうっと入り込むと、レンは握りしめた拳を男のみぞおちにたたき込んだ。
 酒をたらふく飲んで酔いの回った男は、もろく体を崩し、床に膝を付く。するとそれを見たセレネが、突然自分の腕をひっつかみ、ぐいと引っ張った。
「そこで床でも舐めてな!」
 セレネは男に一言吐き捨てるように叫ぶと、駆けだした。レンは刀と荷物を掴み、この強引な女にされるがまま、店を後にした。否応なしにレンは飲酒を中断させられ、騒動の中心にかり出され、そこから逃げ出す羽目になっていた。
 店が遠ざかり、細い路地に入り込んだ所でセレネはようやく足を止めた。そうっと後ろを振り返り、誰も駆けて来ない事を確認しようとするセレネ。
「‥‥離せ」
 レンは、まだ自分の手を握りしめたままのセレネの手を、引き離した。離された手とレンの顔を見る、セレネ。
「なによ、愛想のない男だね。悪いけど、この手を離してくれませんか、って丁寧な口調で頼めないもんなの?」
 セレネは腰に手をあてると、レンを視線で一舐めした。ごろつきとはいえ、あのナンパ男も少なからず腕に自信があったのだろうに。そいつを一発でしとめるとは、やはりたいした男だった。
「いいウデしてんじゃないの。‥‥私はセレネ」
 セレネは名乗ると、路地の向こうに視線を向けた。レンもそちらに目を向ける。酒場から出たあの男が、仲間を連れて自分達を探しに来たようだ。
 セレネは、すうっと笑みを浮かべ、彼等の動向を伺う。待っているのか? 奴らとやり合うのか。レンも剣を背負うと、男達が追いつくのを待った。
 剣を持ったあの男を先頭に、素手の男が三人、短刀を持った男が二人。男はレンとセレネを囲むと、唇の端を歪めて笑った。
「逃げないのか? 逃げてみろよ」
「冗談じゃない。‥‥待っててあげたのよ」
 セレネはうっすら微笑すると、男達を見据える。
「‥‥自信の程を見せてみろっ」
 男は、セレネに向けて剣を振りかざした。どうあっても、セレネを嫌がらせないと気が済まないようだ。剣をかわしたセレネは、男の背後に回る。
「ふふ、ヌルい振りねえ。そんなんじゃ、野犬一つ倒せやしないわよ」
 ちらり、とセレネが、自分の横合いから短剣を突きつける男に目を向ける。男の腕は、左脇からレンの手につかみ取られ、短剣がセレネに届く事は無かった。セレネは、ようやくこちらに振り返った男をからかうように、数歩下がる。
「もう一度かかっておいで、今度は当たるかもしれないわよ」
「巫山戯るな!」
 上段から振り込んだ男の剣を紙一重で避けると、セレネは膝を引き寄せた。体をひねりながら、細くしなやかな足が男の首筋に吸い込まれていく。
 短刀を持っていた男を、一撃のもとに叩き伏せ、素手で組み掛かってきた男の腹に蹴りを見舞ったレンは、三人目の短剣を避けながらセレネの様子を見ていた。
 その身のこなし、そして的確にたたき込まれた蹴り。男はどう、と地に倒れた。すう、と視線を戻し、レンは短剣を持つ男の手首を掴み、腕ごとひねり上げた。体をくねらせて逃げようとする男の首筋に、残った左手で手刀を浴びせる。
 その一時の間に、セレネは立て続けに回し蹴りで二人の意識を奪っていた。息一つ乱さず、セレネは地に崩れ落ちた男達を見下ろす。
「‥‥頼り無いねえ、女一人腕ずくで押し倒せ無いなんてね。もう一度腕を磨きなおしておいで。‥‥あっ、ちょっと待ちなさいよ」
 地面に置いていた荷物を持つと、さっさと歩き出したレンを追いかけるセレネ。レンは、後ろに視線を向け、何かを知らせる。セレネはその方角に視線と意識を集中させた。
 剣と鎧が擦れ合う音、そして声。どうやら騒ぎを聞きつけ、騎士や人が駆けつけて来たようだ。
「逃げた方がよさそうだな」
「そのようね」
 くす、とセレネは笑うと、足を止めた。ちらりとこちらを見るレン。
「‥‥レンだ」
「そう‥‥レンか。いい名前だね」
 まだ、名前を聞いて無かったよね。セレネはそう答えると、手をすうっと挙げで合図をした。セレネは、レンとは反対方向にゆくつもりらしい。確かに、同じ方向に逃げるよりも、別々に逃げる方が連中を捲ける。
 そうして、すっかり日の暮れた薄暗い路地に、おんなの姿は消えていった。

 数日後、ほとぼりもさめた頃だろうとレンは酒場に戻って来ていた。あの程度のいざこざは、酒場ではいつもの事だ。酒場に続く道を歩きながら、レンはふと、あの女はどうしただろうかと考えた。
 腕も立つ上、あれだけの美貌であれば、またどこかでもめ事を起こしていておかしくあるまい。
(あれは、好んでもめ事を起こしているタチだ)
 ふ、とレンはひとり笑みを浮かべた。
 そのレンの耳に、喧噪が飛び込んでくる。誰かが言い合う声、何かが崩れる音。樽か何かをひっくり返したのだろうか。路地を曲がって酒場の前にたどり着いたレンの目に飛び込んだのは、数人の男相手に立ち回りを繰り広げるセレネだった。
「もう千鳥足? ‥‥酒で勝ったらこいつはくれる、って言ったじゃないのさ」
 セレネの手には、高価そうな指輪が握られていた。
 ため息を一つつき、騒動を眺めるレン。セレネは指輪は懐に押し込むと、男達の手をひらりとかわした。
 確かに、この女はもめ事を呼ぶ女だった。間違いない。そして、それに出くわしてしまったレンもまた、そうなのかもしれない。
 レンは剣を背中に押しやると、ゆっくりとセレネの方へと歩き出した。
(担当:立川司郎)