<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


最後の秘宝
■オープニング
 留めてなど、おけない、もの。

 エスメラルダは眉を顰めた。その友好的ではない視線を受けた相手は、しかしまるで動じる事無く、カウンターの席へと腰掛ける。こざっぱりとした身なりの初老の男だった。
「人手を借りたい」
 男はまだ十分に張りの感じられる声でズバリとそう切り出した。
「何度も貸したと思うわよ?」
「目的が達せられるまで、何度でも借りたい」
「なら具体的な説明くらいしたらどうなの?」
 じろりと睨まれても、男は静かにエスメラルダを見つめるばかりだった。
 男――オイン・オーグは、これまでに数度この店を訪れ、その都度全く同じ依頼をしていた。
 曰く、最後の秘宝を見つけて欲しい。
「一体なんなの? 何度も皆出かけていったわ。何度もあなたの手元に色んな物が届けられたはずよ? だけどあなたはいつも言うのね」
「金は払おう。――本物が見つかるまで、幾度でも」
 そう、オインは様々なものを成功報酬で買い取る。――二束三文で叩き売っても買い手のつかないような愚にもつかないものまでも。そして必ず言うのだ。
『金は払おう。――私の求めているものはこれではないが』
 その言葉は冒険者達の矜持を傷つけ、そして不心得者達を煽る。
「兎に角そろそろお断りよ。――ただ最後の秘宝だなんていうつもりなら」
 エスメラルダの言葉に暫し沈黙したオインは、では、と切り出した。
「これで最後、とは行かないかもしれんが。今回は私も同行する」
「ふぅん?」
 成る程、とエスメラルダは頷いた。
 依頼主がその場所へ同行するのなら、その辺りで買ってきた玩具の指輪などをオインに売りつけようとするような不心得者の出る幕は無い。
 エスメラルダが了解すると、オインは深く頭を下げ、きた時と同様迷いのない足取りで去って行く。エスメラルダはその後姿を見送りながら息を吐き出した。
 ここからさほど離れていない村。村の直ぐ側には美しい湖があり、美しい魔物の伝承がある。オインはその湖を指定し、『最後の秘宝』を見つけてくれと何時も依頼してくる。
「さて、聞いての通りよ、誰か行ってくれない? ――『マカイア』の湖へ」

 ――それでも、留めて、おきたかった。

■本編
 例え時満ちたといえども。



「――人魚?」
 愛らしく小首を傾げてみせる子供に、男は大きく頷いた。
 野良仕事の途中で声をかけられたにも関わらず男がいたって機嫌がいいのは声をかけてきた対象の愛らしさ故だろう。
 艶やかな長い髪を揺らす異国風の服装の子供と、黄金色の髪のエルフの美少女――最も美『少女』とは言え年齢はこの事件の依頼者を軽く凌いではいるのだが。鬼灯(ほおずき)とセリア・パーシスである。
『最後の秘宝を探して欲しい』
 その依頼を受け、依頼者である所のオイン・オーグを連れて件の村を訪れた二人は、『最後の秘宝』についての聞き込みを行っていた。
 当たり前だがそのものの名前は出さない。恐らくそれはオインの主観的なものでしかないからだ。
 だから彼女等はこんな風に聞いて歩いた。
『マカイアの湖について、何か知りませんか?』
 と。
 この野良仕事の途中の男で三人目、皆が皆判でおしたように同じ答えを返す。
「人魚の伝説があるんだよ。セイレーンに近いのかもしれないが……歌声が聞こえたらあの湖からは逃げろって言うな」
 その声と美しい容姿で人魚は人を惑わし、その生気を奪い取るという。
 鬼灯とセリアは顔を見合わせた。
「あの、それもう少し詳しく聞かせていただけませんか?」
 セリアの頼みに、男は小首をかしげながらも快く了承してくれた。



 満ちた時の果てに別れがあるのだとしても。



 若者が夜更けに湖で水浴びをしていた。そのとき突如美しい声が聞こえてきた。何事かと思った彼はその歌声を辿る。辿り着いた先には美しい人魚がいた。妙なる歌声を響かせながら。その歌声と姿に惹かれ、若者は幾度となく湖に通いつめた。若者の思いを何時しか受け止めた人魚はしかし哀しげに目を伏せて『だからこそもうここへ来てはいけない』と若者を諭し、そして二度とその岩場には現れなかった。
 ――何故なら、

「そのとき彼の姿は老人と成り果てていた、ですか」
 宿の酒場に腰を落ち着けたセリアは飲み物を口に運びながら嘆息した。鬼灯は付き合いでカップを手に持っているだけである。
「人魚が人の生気を吸うというのはありそうなお話ですが……」
 同じく嘆息した鬼灯は二階へと繋がる階段をちろりと見やった。
 こうした宿の常として、一階は酒場兼食堂、二回が泊り客の為の部屋となっている。その一室に篭っているオインは黙したまま何も語りはしない。
「……行くしかないんですね。危険な場所においては同行は困るのですが、ついてくるのでしょうね」
「オイン様の『本物が見つかるまで』との言葉が気になります……多少の足手纏いは否めませんけど、ついてきていただかないことには」
「そうですね」
 二人は揃って息を落とした。
 総ての謎は明日、『マカイアの湖』でオインが語ってくれる。
 そう信じるしかない。
 ふと気付いたようにセリアは顔を上げた。
「だけど……伝説と関係がないとは到底思えませんけどでも。『秘宝』って形があるものなんでしょうか?」
 オインは見つかるまで探せと依頼した。
 しかしこの地の伝承は少なくとも『物品』が絡んだものではありえない。
 ――そこに一体何が。
 鬼灯もまたその言葉に頷いた。
「本物が見つかるまで幾度でも、ですか」
 執念のようなものを感じながらも、しかしそこに本物の情熱を感じない。
 部屋に篭ったオインが一体何を隠しているのか。
 それが酷く気にかかった。



 愛故に望まれた別離であったとしても。



「まあ……!」
 セリアは思わず声を上げた。
 朝、日の出と同時に宿を出た三人は早速件の湖へと向かった。
 程なく辿り着いたその湖は、セリアが思わず声を上げるほどには美しかった。
 澄んだ湖面は空の色を映して青く澄み渡り、風によって立つせせらぎに陽光が煌く。緑の茂る景観の中にくっきりと際立つその湖面の青い煌きは、確かに人魚の伝承の一つもつけたくなるほどには美しい。
 鬼灯もまた目を見張ったが、しかしそれ以上に恍惚とした様子を隠すこともできなかったのはオインであった。その様子に気付いた鬼灯はそっとセリアの袖を引いた。
「……オイン様」
 震えながら立っているオインに向直り、セリアは改まった声で呼びかけた。
「これまでのように闇雲に探しても、ご希望のものを見つけられるとは限りませんから……もちろん、誰にも言いません!」
「ここに、この湖に何があるんです?」
 オインはゆっくりと二人を交互に眺めた。その顔になんともはかない笑みが浮かんでいる。
「――ないのだよ、何も」



 留めてなど、おけない、もの。



 鬼灯とセリアは合わない目線を無理やりあわせて顔を見合わせた。どちらの顔にも驚きと、そして納得が浮かんでいる。
 鬼灯は小さな手で、そっとオインの手を握った。大きな黒い瞳で下からひたと見つめると、オインは握られていないほうの手でやさしく鬼灯の頭を撫でてくる。
「伝承は聞いたのだろう?」
 こくりと鬼灯は頷く。
「私はね、この湖で人魚にあった……伝承の通りに」
 はっとセリアは息を飲んだ。
 初老の男。
 鬼灯が足手纏いになるとまで言い切った、初老の男。こくりとセリアの喉が上下する。
「――オイン様……まさか……」
 その意味するところがわかったのだろう、オインは儚く笑む。
「今年で28になる」
 ――そのとき彼の姿は老人と成り果てていた。
「伝承の、通りに、なのですか?」
 オインの手を握る鬼灯の指に思わず力が込められる。
「彼女は私にもう二度と来てくれるなといった。その気持ちがわかるからこそ私はここへと足を向けることが出来なかった。だが……」
 それでもその無為に耐え切れず、この湖へと人を送った。
 少しでもいい、彼女の情報を得る事が出来ればと。
 そして人を向かわせる事によって少しでも彼女と繋がっていられればと。
「オイン様……」
 吐息のようにセリアが呟いた、その時だった。



 耳朶を打つ、妙なる歌声。

「……おお……」
 歓喜に、オインの皺の増えた顔が輝く。
 思わず駆け出そうとするオインに、鬼灯はその手に縋りついて叫んだ。
「ダメです!」
 セリアもまたオインの前に立ちふさがる。
「彼女は……姿を現していないじゃありませんか!」
 オインに来るなといった。その思いの証明のように。
「だが私は……!」
 なおも歌声を追おうとするオインに、鬼灯は泣き出しそうな目を向けた。
 来るなと言った。悲しみに耐えてもう来てくれるなと宣言した人魚。それでも来ずにはいられなかったオイン。
 どちらの思いも切ない。
 だが、ここでオインを行かせるわけには行かなかった。
「……来て欲しいけど、来て欲しくないんです彼女は」
 それがオインの命を縮める結果になると分かっているから。
 セリアもまた、そっとオインの身体を押し戻した。
「戻り、ましょうオイン様。――彼女の気持ちを踏み躙っては、いけないと思うんです」
 オインはその場にがっくりと膝をついた。
 堪えきれない嗚咽が、手に覆われた顔から洩れ聞こえた。



 それでも……



 オインを連れて戻った二人は、オインから受け取った報酬で黒山羊亭にきていた。
 固辞してもオインは無理やり二人に報酬を受け取らせた。
『あの歌を聴くことができたから』
 と。
 それでもその報酬を長く懐に入れて置く気にはなれず、二人は散財するつもりで黒山羊亭に顔を出したのだ。
「最後の秘宝……」
 オインにとっての最後の秘宝。
 湖に連なる思い、彼女への朽ちぬ気持ち、そして――
「……多分、時間のことだったんですね」
 鬼灯の呟きに、セリアは小さく頷いた。



 ――それでも、留めて、おきたかった。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / クラス】
【1087 / セリア・パーシス / 女 / 117 / 精霊使い】
【1091 / 鬼灯 / 女 / 6 / 自動人形】

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■         ライター通信          ■
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 始めまして、里子です。今回は参加ありがとうございました。

 今回は少々切ないお話になっております。これまでソーンでは馬鹿ばっかやって来てたのですけども。<苦笑
 因みにオイン・オーグはアイルランド民話の人魚の伝承に登場する男の名前、マカイアは実際に人魚の伝承の残る地名です。
 作中に出ている伝説は創作のもので、その二つとはまた違っているのですが。

 今回はありがとうございました。機会がありましたら、また宜しくお願いいたします。