<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>
義賊
0 オープニング
ゴクリ──
と、黒山羊亭のエスメラルダは、咽を鳴らした。
突きつけられた剣が、鈍い光を放っている。ギラリと太い切っ先は、エスメラルダの白い肌に食い込んでいた。
あと少し。ほんの数ミリ刃を傾ければ、そこに赤い糸が流れるだろう。
いくら場慣れしているとは言え、この状況には口を噤むしかない。エスメラルダはカウンターにへばりついたまま、じっと青年を見つめていた。
周囲の者達は、エスメラルダが傷つけられる事を恐れて、手を出す事が出来ない。
エスメラルダは小さく息をついた。
「どうしたの? 貴方はこんな事をする『ヒト』じゃなかったはず」
気怠い、だが鋭い眼光がエスメラルダを射抜く。青年は鼻で笑った。
「だから、さっきも言っただろう? 食い物を出せ。この店にあるだけ、ここへ持って来させろ。そうしたらアンタを助けてやる」
青年の黒い鼻は濡れていた。服に覆われていない肌を、白いフサフサとした毛が覆っている。鼻先は長く前につきだし、耳は三角に尖っていた。大きな体には、威圧感がある。
ヒトではない。彼は『イヌ族』だ。名をバクスターと言う。エスメラルダの言う通り、始めての顔ではなかった。普段、温厚とは言えないまでも、こんな野蛮な事をする者ではない。何か理由がありそうだ。
「バク、貴方──確か、依頼を受けたわね? 病気の子供の薬を探す……。それに関係があるのかしら」
「関係ない。良いからアンタの首がつながってる間に、食い物を出せ。俺は気が短いんだ」
「その子は、とても貧乏で生活に困っていて……。流行病に倒れて薬を探していたのよね? それで貴方は──」
「良いから、早く出せ!」
バクスターの赤い口が牙を剥いた。目に険が浮かんでいる。エスメラルダの首に、一筋の赤い川が流れた。
バクスターが受けた依頼の内容は、そこに居る誰もがみな知っていた。
子供の為に薬を探す。ただ、それだけだ。
だが、その薬を作る為に必要な材料を探すには日数がかかる上、必ずしも手に入るとは限らない物も含まれていた。報酬も見合っているとは、言い難いほど安かった。さらに悪い事には、子供が発病してから日が経ちすぎていた。その時、すでに五日が経過していたのだが、七日を過ぎれば手遅れとなる。二日と言う時間で、こなせる依頼ではなかったのだ。
悪条件が揃いすぎ、誰も手を出さなかった依頼をバクは引き受けた。
そして今日が、八日目となっていた。
「十秒数える。誰でも良い。この店にある全ての食い物を持って来い」
何があったのか。バクスターの目は血走っている。
とにかく本気のようだ。
エスメラルダはチラリと周囲を見渡し、助けを求めるように目配せをした。
1 焦り
「十! 九……!」
バクスターのカウントダウンに、黒山羊亭は騒然となった。エスメラルダの目は、救いを求めて彷徨っている。突きつけられた剣先が、ほんの僅かだが咽に沈んだ。
「バク、止めて」
掠れたエスメラルダの声。
「八!」
だが、バクスターはそれを無視した。
皆、面倒事に関わり合うのが嫌なのだろう。互いの顔色を窺うばかりで、動こうとしない。
「どうした! このままだと死人が出るぞ!」
バクスターの苛つきは、今や頂点に達していた。柄を握る手に、力が入っている。小刻みに震えているのが、傍目にもわかった。
怒りのせいか。緊張のせいか。
どちらにしても、バクスターは本気だった。
赤く充血した目で店内を見回し、そして顔をしかめた。
「何だ?」
皆が、上を見ている。
バクスターが倣うより早く、その声は落ちた。
「随分と、物騒だね」
「!」
エスメラルダとバクスターは、揃って頭上を振り仰いだ。
そこに青年が浮かんでいた。飛翔術だ。
月色の髪と、蒼い瞳。完美な白い顔は、どこか憂いを秘めている。
名はエーアハルト・ヴェルヘンと言った。
今は旅の身だが、出は公子だ。それが立ち居振る舞いに現れていた。
エーアハルトは、音もなく二人の間に舞い降り、静かに微笑した。
「君は面白い瞳をしているね。暴力という崇高な美を映している」
「何だと!?」
「しかし、彼女を手にかける事は、自殺行為だよ。そんな終幕は下らないとは思わないかい? 君にはまだ、成す事があるのだろう?」
エーアハルトは、そう言って目を細めた。口調は穏やかだが、これは脅しだ。バクスターは唸りながら、エーアハルトを睨んだ。
「それに、君は取引が苦手と見えるね。見てみると良い。誰も君の言う事に従おうとする人間はいないだろう? 彼女を解放するのが、君の為だ」
バクスターは目を剥いた。
同時に、エスメラルダの咽から離れた剣が、エーアハルトの鼻先で止まる。
「俺の為、だと?」
バクスターは吠えた。
エスメラルダに避けていろと合図して、エーアハルトは肩をすくめる。
一触即発の空気だ。
ビリビリとした緊張がみなぎった。
だが、それは長くは続かなかった。
また一人、加わる者があったのだ。
「待って下さい」
褐色の少年である。手に果物入りの鉢を抱えている。
束ねた黒髪は腰に届くまでに長く、目は澄んだ翠色をしていた。
少年は、穏やかだが凛とした面持ちで、エーアハルトを庇い立った。名はアンセルム・ハルワタート。エーアハルトの長年の従者である。
エーアハルトは無言で、アンセルムに手を差し出した。アンセルムはそこに鉢を渡す。
次の瞬間──。
ッゴ!
バクスターの頭部に、銀製の鉢がヒットした。
「!」
バクスターは蹌踉めいて、頭を抱える。すかさずアンセルムが、エスメラルダを安全な所まで避難させた。
「っく。こっ、この〜」
歯を剥き、呻くバクスターに、アンセルムが言った。
「剣を収めて下さい、バクさん。そうでなければ、落ち着いて話を聞く事もできません」
「落ち着け!? こんな事をされて、落ち着けだと!?」
うおお!
すっかり頭に血が上ったバクスターは、高々と剣を掲げてエーアハルトに突っ込んだ。エーアハルトは避ける素振りも見せず、微笑を浮かべている。バクスターの顔に焦りが浮かんだ。
「! エーアハルト様!」
アンセルムは目を見張った。ギャラリーが息を飲む。
バクスターの剣が、エーアハルトの体を真っ二つに叩き割った。
店のあちこちから悲鳴があがり、エスメラルダが目を伏せた。
ところが、転がるはずのエーアハルトの体は、二分された途端に、消え失せたのだ。
「っな、なっ?!」
呆然とするバクスターの背に、女の声が飛ぶ。
「幻影よ」
瞳はサファイア、髪はエメラルド。水や風を思わせるような、美しい女だ。細いが、女らしいボリュームもある。名をみずねと言った。
振り返ったバクスターを見つめ、みずねは嘆息した。
「こんな事をしている時間は無いでしょうに。人の命がかかっているのですから、直ぐにでも動かないと」
表情こそ穏やかだが、みずねの口調は呆れている。
別の青年がそれに頷いた。眼差しには、静かな説得力があった。
「バクさん。これ以上騒いでも、自分の首を絞めるだけだ。エスメラルダさんに手を出せば、本当に同じ道を辿ることになる」
と、青年は訥々と言った。
蒼髪とは対照的な赤い目をしており、真摯で心安い雰囲気がある。口下手らしく、それ以上の言葉は発しなかったが、圧すると言うより宥めているようだ。この青年は、カザネと言った。
四人はバクスターが静まるのを待った。
やがて観念したのか、バクスターは傷心した顔で剣を収めた。
「詳しい事を話して頂けませんか?」
みずねは語気を和らげ、諭すように微笑を浮かべる。
「確かに……。こんな事をしている場合じゃない。だが、今更何ができるんだ? あの子供はもう死を待つだけだ。なら、せめて最後の願いを叶えてやったって良いじゃないか」
散らばった果物と器を目に、バクスターは頭をさすった。
2 死に取り憑かれた子供
四人はバクスターに案内され、依頼人の家へとやってきた。街外れにある、飾り気の無い質素な家だ。庭には痩せた鶏が二羽。報酬が安かったのも無理はない。出てきた依頼人は、病に倒れた子供の兄だった。親は無く祖母が一人いたが、野菜を売りに出ていて留守だと言う。祖母の稼ぎだけで、三人は暮らしていた。
「ラーは、もう死ぬんでしょう?」
年の頃は十二、三だろうか。少年──ハルの目には諦めが漂っている。
ラーはベッドの上で、熱に浮かれた赤い顔をしていた。
「……可哀相に」
みずねは真っ先にラーに近寄り、幼い手を取った。それは燃えるように熱く、軽かった。
「お水……と、パンと……、干し肉が食べたい……」
ラーが、小さな掠れた声で囁いた。
例え、目の前にご馳走が並んでも、もう食べる気力はあるまい。少女の言葉はうわごとに近く、ぼそぼそとハッキリしなかった。
「そんなモンより、もっと旨いモンをたらふく喰わせてやる……」
バクスターは呟く。
こんな事情があったのだ。
カザネは目を細め、少女を見下ろした。
腰に下げた野太刀の柄を握りしめる。
言葉の少ない男の横顔で、情が揺れた。
だが、だからといって、あんな凶行が許されるわけがない。必要なのは、少女を満たす為の食べ物ではない。死の淵からすくい上げる、薬だ。
エーアハルトは、項垂れているバクスターに声をかけた。
「薬の材料を探していると言ったね? 後は何が足りないんだい?」
バクスターはノロノロと顔を上げた。先程の怒りは消え、今はただ、疲れた表情をしている。
「『紫の根』だ。人の寄りつかない場所で、時々見つかる。この辺りで思いつく場所へは行ってはみたが……」
バクスターは駄目だったと、首を降る。ハルの目から涙が零れた。
この病は発病から七日目で、命が尽きる。その間に薬を飲ませなければならないのだが、材料が揃わず、それは叶っていなかった。今日はすでに八日目。ラーが生きているのは奇跡に近い。いつ果ててもおかしくはない状態だった。
カザネは腰を屈めると、少年の肩をポンポンと叩いた。力強く頷き、手を貸す事を少年の目に誓う。
「紫の根、ですか。採りに行く時間がないなら、薬師や街の人たちにお聞きしてみましょう。もしかすると、以外に近い所で見つかるかもしれません」
みずねは少女の手を離し、立ちあがった。一刻の猶予も許されない。直ぐにでも街へとって返さねばならなかった。カザネも後に続く。少年が、二人を送り出す為についていった。
「さぁ、僕達も出かけようか。時間制限があるという事だからね。楽しくなりそうだ」
エーアハルトは飄々と掴み所のない薄い笑みを浮かべ、芝居がかった動作で、大きく手を広げた。まるでふざけているようなそれに、バクスターが気難しい顔をする。
「当てはあるのか?」
「無ければ口にしないよ。まずは闇市だ。そこで駄目なら道楽貴族をあたろう。難しい品物でも、持っている可能性が高いからね」
エーアハルトと言う男は、真面目と不真面目の境がつきにくい。
だが、決して悪い心の持ち主ではなかった。ただすこし、意地っ張りなのだ。その良さを、アンセルムだけは知っていた。
従者は頷くと、主の見慣れた背中を追いかけた。
3 紫の根
二人は、真っ直ぐに裏通りへ向かった。陽の当たる場所があれば、当たらない場所が必ずある。
例えば異世界から入った変わった物や怪しい物は、こういった場所や、収集家の間で出回る事も珍しく無かった。
二人はいくつかの店を巡り、そして軽い落胆の後、とある路地に小さな出店を見つけた。テントを張っただけの店内は、薄暗くゴミゴミとして汚い。店番をしているのは、恐ろしく皺の多い老婆だった。
エーアハルトは、この老婆に紫の根の事を訊ねた。
「紫の根、だって?」
「あれば譲ってくれないか?」
二人のやりとりを耳にしながら、アンセルムは天井を見上げた。何に使用するのか分からない、異国の匂う布が大量にぶら下がっている。
左右には、やはり謎めいた置物や装飾品、本などが大量にひしめいていた。
「ジロジロ見ないでおくれ。紫の根は高いよ。金、一袋だ。それでも良いのかい?」
老婆はアンセルムとエーアハルトを睨み付けた。完全に足下を見られている。全く強欲で愛想の無い女だ。だが、エーアハルトは気にした様子もみせずに、微笑した。
「とりあえず、それを拝見させてもらおう」
老婆は胡散臭そうな顔で、店の奥へと姿を消した。しばらくして、戻ってきたその手には、乾燥した植物の根があった。無数に枝分かれした足に、赤い葉が二枚ついている。
エーアハルトはしばらくの間、手の上でそれを弄んだ。
「これが、紫の根か……。アンセルム、よく見ておくと良いよ。滅多に無い機会だからね」
「はい、エーアハルト様」
と。
パキッ。
小さな音がした。
ギョッとするアンセルムの前で、エーアハルトは何事も無かったかのように老婆に根を返す。どうやら音には気付かなかったようだ。老婆はひったくるようにして、紫の根を手にすると悪態をついた。
「なんだい! 冷やかしかい?! 買わないのなら、帰っておくれ!」
「そうしよう。勉強をさせてもらったよ。行こうか、アンセルム」
一度だけ、アンセルムは後ろを振り返った。
老婆は店の奥に消えている。恐らく根をしまいに行ったのだろう。
「どうせどこかで盗まれた品だ。人助けになるなら、本望だとは思わないか?」
テントを出た、エーアハルトの手には、紫色をした根の一端が、しっかりと握られていた。
4 光
「さぁ、がんばって飲め」
二手に分かれた一行は、それぞれに紫の根を持ち帰った。バクスターはすでに用意してあった材料に混ぜ、直ぐに薬を調合した。
皆が見守る中、少女の咽が小さく上下する。みずねはホッと息を漏らした。
「良かった。後は熱がひくだけですね」
「あぁ。あるところには、やはりあるものだね。君が一体、どこを探したのか知りたいよ」
と、エーアハルトは、冗談を飛ばした。バクスターは、照れくさそうに頭を掻く。
「同じ場所は探したさ」
「もしかして、バクさん。あの剣幕で回ったんじゃないですか?」
苦笑するアンセルムに、バクスターは肩をすくめた。それが、肯定だった。
「とにかく、礼を言おう。皆、すまない。助かった」
少女の呼吸は、いくらか落ち着いたようだ。苦悶の表情が和らいでいる。山は越えたらしい。もう大丈夫だった。
少年は、ペコリと頭を下げると、棚からコップを取り出した。
中には小さな砂金が五粒。あまりにも小さすぎて、吐息で飛んでしまいそうだった。
それを一つずつ皆の手の平に移した。
「報酬、これで良い?」
と、少年は一同の顔を見上げる。
「俺は、バクさんを手伝っただけだ」
カザネは微笑すると、砂金を少年の手に返した。
「そうなると、僕も受け取れないな」
「僕もお返しします」
エーアハルトに続き、アンセルムも皿に戻す。
「皆、人が良すぎます。でも、もともと、暴れていた貴方を落ち着かせようとしただけですものね」
最後に、みずねがバクスターに笑いかけながら、少年の手に小さな粒を転がした。バクスターは慌てて、一同の顔を見渡す。
「……だ、だが、俺は報酬なんて払えないぜ? 夕飯ぐらいなら、何とかなるが……」
「それは良い。食事を中断してここへ来たのでね」
エーアハルトは、そう言って微笑した。
「エスメラルダさん。果物を一鉢、頂けませんか?」
黒山羊亭には、いつもの喧噪が戻っていた。アンセルムの注文にバクスターは焦り、そしてエスメラルダを含む四人は声を立てて笑った。
もちろん。
今度は床に転がる事無く、夕食と共に一行の腹に消えたそうだ。
おしまい
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【ID / PC名 (年齢) / 性別 / 種族 / 守護聖獣 / クラス】
【1113 / エーアハルト・ヴェルフェン (21)】
男 / エーデルルード / デーモン / 公子(貴族)
【0925 / みずね (24)】
女 / 人魚族 / 地球・南太平洋域 / 風来の巫女
【1016 / カザネ(19)】
男 / フェザーフォルクス / フェンリル / 傭兵? ウェイター見習い?
【1141 / アンセルム・ハルワタート (18)】
男 / 人の子 / エンジェル / 騎士
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■ あとがき ■
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皆様、初めまして紺野です。
ソーンでは初めてのお話となりましたが、いかがでしたでしょうか。
この度は、当依頼を解決して下さり、本当にありがとうございました。
苦情や、もうちょっとこうして欲しいなどのご意見は、
喜んで次回の参考にさせて頂きますので、
どんな細かい事でもお寄せ頂ければと思います。
今後の皆様のご活躍を心からお祈りしつつ、
またお逢いできますよう……
紺野ふずき 拝
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