<東京怪談ノベル(シングル)>


■腕の中の小さな力■
 ここ一ヶ月のうち、こうして宿に泊まったのはどれだけあっただろうか。ここ最近は、宿に空きがなかったり、仕事の関係上野宿をさせられる事が多かったから。
 久しぶりに身体の疲れと汚れを湯で洗い流し、ノージュ・ミラフィスは窓辺で心地よい風にあたり、身体の火照りをさましていた。 まだ十四才で、しかも小柄なノージュが宿を取るのは、大変だ。特に小さな少女を連れていれば、たいていの宿は渋った。どうかすれば、仕事も取れない事もあった。
 それでも、ノージュはこの少女を置いていく事は出来ない。そっと、横で眠りについている少女を見下ろす。彼女はベッドに潜り込んで、すやすやと寝息をたてていた。十二月も終わりにさしかかりクリスマスイブの夜、ノージュは少女とささやかながらパーティーを開いた。少女は今、ノージュがプレゼントした髪飾りをしっかりと握りしめている。
 ノージュにとって高価な、宝石のついたこの髪飾りを買う為、ここ最近身を削る思いをして資金を稼いだ。少女の喜ぶ顔が見たくて、彼女の笑顔が見たくて。
 それを伝えると、少女はびっくりしたように髪飾りを凝視していた。柔らかな髪にそっと手をさしのべ、撫でる。少女は今、どんな夢を見ているのだろうか。
 願わくば、幸せな夢であるように‥‥。
 母と共に過ごす、幸せな。
 そう思い、ノージュは眉をしかめた。

 ノージュが、それまでの過去が一切消え去っている事に気づき、ただっぴろい記憶の草原で呆然と立ちつくしてから一年。まだ十一才のノージュは、キャンパスと画材、そして必要最小限のサバイバル用品を持って世界に足を踏み出した。
 おっかなびっくりで歩き出したノージュだったが、大好きな絵を描き、時には絵を描かせてくれた人たちの手伝いをしたりしながら旅の資金を少しずつ手に入れていた。
 大人から見れば本当に頼りないかもしれないが、彼女には助けてくれる人たちが居て、一人で危険な野山を抜けて旅をしている。
 そんな彼女だったが、時々過去を振り返る事があった。
 消えてしまった過去。それに、人ならぬものを召還出来る事。
 この力はどうやって身につけたのか、自分は何故記憶を失ったのか。過去の記憶を取り戻した時、本当の自分に成れるのだ、とノージュは信じている。その反面で、記憶を取り戻す事に恐怖も感じていた。何故かはわからない。
 ノージュは、少女と出会った時の事を思い出しながら、じっと自分の手を見つめた。窓から差し込む月の光に照らされたノージュの手は、蒼く光っている。外はちらちらと雪が降り始めており、月の光は白い粉を反射して街を明るく輝かせている。
 窓の外、通りの影に、何かが見えた。ノージュはそっと窓を閉じると、少女のそばに寄った。このまま居なくなってくれるといいのだが‥‥。
(臭いに感づいた? それとも、たまたま出没したのかな)
 ノージュは、息を殺してじっとベッドの縁に座っていた。こんな町中に、魔物が出たというのか。いや、あり得ない。
(追っているのは‥‥誰?)
 ノージュの知らない誰か?
 この子? それとも‥‥。

 十一才のノージュは、小さな町で、しばらく宿の手伝いをしていた。宿の手伝いをしながら、時折客に絵を描かせてもらったり、雑多な仕事を受けたりしていた。しかし冬に入り、厳しい山間地にあるこの街の宿にひとけは無くなった。
 降り続く雪の中、ノージュは街道を歩き出した。次の大きな街まで行けば、何か仕事があるかもしれない。冬があけるまでの間は、大きな街に腰を落ち着けた方が良さそうだ。
 いくらノージュに、“召喚したモノ”の助けがあるとはいえ、この寒さの中の行軍は厳しかった。大きな街道は避けるものが無い為、まともに雪が降り付けてくる。それを、体をかがめて避けながらノージュは歩き続けた。
(‥‥そろそろ森に入った方がいいかな‥‥このままこの道を歩くのは大変だ‥‥)
 ノージュはそう感じながら、やや東側にある森を見つめた。
 前の街で、森の中には迷わないように木に大きな傷が付けてあって、冬の間はその印を目印にして通る者が居ると聞いている。
 彼女が受けた、この街最後の仕事。それは、森の中に出る妖魔を倒す事だった。
(大丈夫です、出来ます。心配しないでください)
 小さなノージュの事を、街の人たちは心配したが、彼女が今までもその力で街の人たちを助けてきた事を分かっている。ノージュの恐るべき力を、知っている。
(森の中に出る魔物を倒せば、街の人は安心して森を通り抜ける事が出来る)
 ぎゅっと拳を握りしめ、ノージュは森に向かって歩き出した。
 街の人がいっていたように、森の中の木には印となる傷がつけられていた。魔物は街道沿いに出没しているようだから、ここを通っていれば魔物に遭遇する事が出来るだろう。
 木が茂る森の中は、街道よりも風が弱く、歩きやすかった。しっかりと印を見逃さないように、時折確認しながら歩き続ける。
 と、ノージュは足を止めた。
(‥‥居る?)
 じっと意識をこらす。どこかで、雪が木から落ちる音がする。そして、何かが動く物音。雪に足を取られながらも、ノージュは歩き出した。
 向こうも気づいただろうか。かまわずノージュは歩き続ける。
 深い雪のせいで、ノージュの歩みは遅々としていた。
 そっと、腰にさした短剣に手をやる。いつでも抜けるように手を添えたまま、ノージュは足を速めた。
 影は、ゆっくりと右方向から、ノージュの後ろに回り込んでいく。その気配を感じながら、ノージュは静かに、妖のモノを召喚。それを、影に差し向けた。
 ざわざわと、影の発する気配が増幅する。
 突然、吹雪が吹き付けた。強い風と冷気に、ノージュは足を止めて腕で顔を庇った。
(くっ‥‥)
 わずかに身をかがめる。頭のすぐ上を、何かが掠める。うっすら目を開けると、白い着物が見えた。すかさず剣を抜き、そこをめがけて突きつける。
 ふうっ、と気配は消えた。手応えが無い。
 吹雪の中、前を睨み付けると、人影が雪に包まれて立っていた。白い着物姿。‥‥女だろうか。吹雪は、彼女を中心に発生している。はやく彼女を倒さねば、ノージュが凍死してしまう。
「‥‥くっ‥‥。アイツの動きを封じてて!」
 召喚した仲間を、影の捕獲に向かわせる。影はふわりと地から浮き、後方に逃げようとする。しかし、何故だろうか。動きが鈍い。 その隙に、ノージュの影が女を捕らえた。
 吹雪が強くなる。ノージュは凍り付きそうな程足から伝わるじんじんとした痛みを堪え、ざくざくと雪中を駆けた。
 握りしめた短剣で、女を切り裂く。
 ひときわ強い吹雪ののち、さあっと雪が消えていった。白いカーテンが消えた後、そこに残されていたのは地に倒れた若い女の姿だけであった。‥‥いや、一人ではない?
 白い羽織を上から着込んだ彼女の胸元は、大きく膨らんでいる。何かを抱えているように、彼女の左腕は着物の中に差し込まれていた。彼女は何をそんなに大事そうに抱えているのだろう。
 ノージュは、彼女の着物の胸元をそっと開いた。
 かあっと火照る、頬。狼狽えるように、視線を泳がせるノージュにふわりふわり、と雪が舞い落ちる。
(子連れだったんだ‥‥)
 そこには、幼い子供がしっかりと母の体にしがみつき、眠っていたのだった。子供の頬はほのかに赤く、触れると暖かい温もりが伝わってくる。
「人‥‥? 人間なの?」
 それとも、魔物の血を引いた‥‥。
 ノージュは短剣を持つ手に、力を込める。
 しかし、その眠る少女の姿を見るうち、手の力が抜けていくのを感じた。母を殺してしまった恨みで、人を襲うかもしれない。しかし、ノージュにはこの幼い子供を殺す事は出来なかった。
(ダメだ‥‥出来ないよ‥‥)
 子供の側にかがみ込むと、ノージュは子供の体に手を伸ばした。腕の中に、少女の体温が伝わってくる。少女は、小さなノージュの体には少々余ったが、抱えられない程ではない。
 代わりに抱えようとするノージュの影に、少し悲しそうな笑みを向けた。
「‥‥いい。僕が連れて行くから」
 そう言うと、ノージュは少女を見下ろした。
 いつか、自分を仇と狙う日が来るかもしれない。
 でも、それでもいい。それまでは、この子を全身全霊をかけて守ってあげよう。精一杯、幸せをもたらしてあげよう。

 ノージュは、ベッドから立ち上がると、窓にひいたカーテンをそっと開けた。窓とカーテンの間に覗く雪の町並みに、影を感じる。
 先ほどから影は、ずっと宿の周囲をうろうろしていた。
(このままじゃ、宿にも迷惑をかけちゃうよ‥‥)
 少女を起こさないよう、テーブルに置いた短剣を持ち上げる。
 足音を忍ばせ、ノージュは部屋を後にした。

 雪の中、足音が一つ宿を出ていく。小さな人影はやがて、何かを街の中に見つけ、そこに向かって歩き出した。


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 こんにちわ、立川司郎です。
 シングルノベルの説明書きにあったと思いますが、自分以外のNPCを出す事が出来ません。自分以外はすべて名も無きNPCとなるので、この子も名前の表記がされて居ません。これはシングルノベルの商品仕様ですので、ご理解下さい。
 今回は「過去を思い返す」というシチュエーションであった為、一本目のシナリオと違ってリテイクがかかりませんでした。この子をキャラ登録していて、その二人のツインシナリオであれば堂々と出せるのですが‥‥。