<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>
ヌイグルミ湯けむり紀行
●旅行のお誘い
「温泉に行きませんか?」
昼下がりの白山羊亭に入ってくるなり、白いクマのヌイグルミは言った。
「温泉って」
白いクマのヌイグルミ、チャーリーは手のひらにのる程度の紙を一枚、前に出した。招待券、と書いてあるのが見て取れる。それは温泉旅行の招待券らしい。
まあ、この地で温泉旅行が珍しいか、というと、そう珍しい話でもない。そういう習慣のない世界から来ている者もいるが、入浴に馴染み深い世界から来ている者もいるからだ。
「そこで福引きをして、こんな物を貰ったんです」
なので、福引きの景品に温泉旅行があっても不思議では……多分、ない。
だが、看板娘のルディアは首を傾げた。
「そこでって……福引きなんかやってたかしら?」
チャーリーにはルディアの呟きは聞こえていないようだったが。
「まだ背中の傷も完治していませんし、湯治って怪我に効くらしいじゃないですか」
ヌイグルミの繕い跡に温泉が効くのかどうかは激しく謎だが。
「ええと……サビレーター温泉ってとこですね」
「……なんか、寂れてそうな名前ねえ」
「福引きの人が言うには、秘湯っていうとこらしいですよ。皆さんも一緒に行きませんか」
「秘湯……山奥とか……ジャングルの中とか……?」
招待券は一名様分しかないが、他の者の分はチャーリーが持つと言う。ちなみにチャーリーは何故かそれなりに金持ちらしい。
「ええと、ちょっとモンスターが出るらしいですけど……それにさえ気をつければ大丈夫だそうです」
「モンスターって……」
「ちょっとおっきい鹿とか狼くらいじゃないですかねえ」
「…………」
「温泉だから、水棲のモンスターかもしれないのかな?」
「…………」
とりあえず、日頃のご恩返しだと言っているが、ついていく者はいるだろうか?
「あら?」
チャーリーが店の常連たちを誘っている、そんな時にルディアは入口を覗く黒い影を見つけた。だが、その影は気が付かれたかと悟ると、ささっと消えてしまった。
「今の、チャーリーみたいだったけど……チャーリーはここにいるし……」
●旅立つ前に〜男たちの場合〜
白山羊亭には様々な者が訪れる。
それは、チャーリーが白山羊亭の戸をくぐるよりも少し前……
本男は白山羊亭のテーブルで本を読んでいた。そろそろ昼時もピークである。白山羊亭は喧噪に包まれていたが、本男の読書に対する集中を邪魔する程のものではなかった。
だが、意識のわずかはいつも、白山羊亭の入り口に向けられていた。
人を待ち合わせをしているのだ。
その待ち人がいつ来るかいつ来るかと……
「少しだけな、少しだけ。今日は人と話もあるから、飲み過ぎやしねーって」
そして、開いた戸から二人連れの男が入ってきた。
二人連れの人影だったので、初めは本男の待ち人とは違うかと見過ごしそうになったが……声は、待ち人スイ・マーナオの物に思える。
「誰かと待ち合わせなのか? 良いのか、俺が同席して」
「だいじょーぶだいじょーぶ、ちょっとした商談だからよ」
やはりそうだ、と入り口の近くでキョロキョロしているスイを本男は見つめた。
「……っと、いたいた」
スイも本男を見つけたらしく、連れの男……翠藍雪の肩を抱いたまま、こちらのテーブルに近づいてきた。
丁寧に本を綴じ、鞄にしまってから。
「スイさん!」
がたりと椅子を鳴らして、本男は立ち上がった。
「よー、待たせたかー?」
そこ座れ、とスイは藍雪の席を指定すると、自分も手近な椅子を引く。
「ええもう、お待ちしておりましたとも」
まさに揉み手をしながら、本男はスイを迎える。連れがいたところで問題はなかったので、藍雪を問うこともしなかった。
「ルディアー、杯三つ。あと、適当に美味い酒と肴を持ってきてくれ」
「……程々にするんじゃなかったのか?」
「いいっていいって、どうせここは本男の払いだしな」
さらりと言ってくれる……が、やむを得ない。今日は本男の方が立場が弱いのだ。本男がスイを呼び出したのだから。
「いや、俺の分は自分で払うぞ」
「そー堅ぇこと言うなって!」
生真面目に言った藍雪の背中を、相変わらずの適当さと豪快さでスイはバンバン叩く。
「一人分くらい増えても、いいだろ? なあ」
ニヤリと笑ったスイに、そう聞かれたのは本男だ。
指で押さえた眼鏡の奥で、きらーんと妖しく瞳が輝く。
「ええ……もちろんです。このくらいの出費は必要経費ですよ……スイさんのお持ちの本を譲っていただけるのでしたら、ね」
そう、その商談のためならば、多少のことには目を瞑ろう。
本男にとっては本が全てだ。
「……ま、その話はこれからだぜ。まずは一献」
とりあえずのお通しと、ジョッキサイズの大杯が運ばれてくる。
「夏はやっぱコレだよなー!」
と、よく冷えた麦酒を掲げると、スイはそれを一気に飲み干した。
そして。
「あー、みみっちい飲み方してんじゃねぇよ?」
スイは夏の麦酒は一気に飲んで喉越しを楽しむ物だと強く主張して……当然だが、藍雪と本男にも大杯を一気に飲み干すことを強要した。
本男は自分が酒に強くないことはわかっていたが……
これも稀覯本のためならば。
これが、その日の白山羊亭で一番酒量を消費したテーブルの最初の乾杯だった。
「温泉〜?」
そのテーブルにも、温泉への誘いは平等にやってきた。
チャーリーはこういうことにかけては反省がな……いや、平等である。
浴びるほどの酒量が、その席の三人の目を濁らせていようとも。
「いつもお世話になってますから、是非ご一緒に」
と言われた時、藍雪の頭はすっかり酒にやられていた。
「招待……? そうか……とうとう有閑云々に囲われたのか……」
羽振りの良さを勘繰るにしても、酒が入っていなかったらなかなか口にはしないことである。
「……達者でいろよ。使いすぎると早死にするそうだからな」
「……な、なななななナニをですか〜〜!?」
脈絡の(多分)ない藍雪の発言に、混乱を見せるチャーリー。
「まーそー虐めんな。金の出所なんざぁ、正直どーでもいーこった」
と、虐めっ子代表スイが間に入った。
「それはそうと、チャ〜リ〜、いー心がけだなぁ♪ 俺様が温泉に目がないってのを知ってるか!? 知ってるだろうー、ええ!?」
しかしすっかりスイも酔っ払いモードである。
「そ、そんなに喜んでもらえて、僕も嬉しいですっ」
それでこのチャーリーの返事も本気のものだから、ここら辺りは如実に二人の関係を現わしていると言えるだろう。
「おお、連れていけ。今すぐだってOKだぜっ! 本男に藍雪もついでだから一緒に来い!」
藍雪は断る理由もないと思っていたが……
はれ? と首を傾げたのは本男の方だ。
「え、私もですか〜? そこのヌイグルミとは初対面でして、こう、お世話になってもよいものなんでしょうか。それに温泉と言っても様々な薬効がありまして、傷に効くとは限らないんですよ」
「温泉、肌すべすべー♪」
突然誰の合の手だ、と思ったら、さきほどから白山羊亭の中を何だか微妙な温泉関係の単語を言って回っている鈴々桃花だ。
「そうそう美肌の湯というのはですね、強いアルカリ性を有しているなどで肌の表面を削って」
酒で口はよく回るのだが、頭は回っていない。桃花の言葉に釣られたのか、本男は藍雪よりも更に脈絡があるんだかないんだかという話を始めて……
「こう、肌の表面がどろどろと溶けて、ぬるぬると」
「うっせーな! 黙れっ!! つべこべ言わずに俺様についてくりゃあいいんだよ!」
「あ、はい」
しかしそれも束の間。スイの一喝で、ついうっかり本男も同行が決定したらしかった。
……最強はやはりスイなのかもしれない。戦闘力でならスイを上回る者はたくさんいるが……世の中、勝負は気合いらしい。それを地で行くスイ・マーナオ(三十路前)である。
●旅は道連れ
「結構快適だな」
目の上に手を翳し、遠い山々を見ながらスイは言った。
「そうですね、もう少し揺れるかと思っていました」
その隣で本男が本をめくっている。
「ゆっくり本が読めるのはありがたいことです」
と二人が会話を交わしている場所は、今回最大の同行者ソウセイザーの肩の上だ。手の上に乗せて運んでくれるという話だったが、女性陣だけで微妙に定員オーバーの気配だったので、彼らは自主的に肩の上へと避難した。ちなみに彼らの頭の上には、ソウセイザーに運んでもらわなくても良い者たちがゆっくりと空を飛んでいる。龍の姿の藍雪と、グリフォンに乗ったライオネル・ヴィーラーだ。時折、ソウセイザーの頭の上に降りてきて、翼を休めている。
「落ちないでくださいね」
と、ソウセイザーの声がどこからか響く。もちろんソウセイザーには頭部があるが、声は口からだけ出ているというわけではないだろうか。
「全然平気だ、俺たちのことは気にしなくていいぜ」
スイが答える。実際にどう言う理屈なのかまではさすがのスイにも本男にもわからないが、大揺れを起こすことなくソウセイザーは草原を進んでいく。
これが本にでも記されているのならば、なんとしてでも本男は手に入れようとしたかもしれなかったが……こんな大物を分解して研究しようとかいう、そういう実践的な欲求は本男には希薄だった。
さて、両手の平の女性陣の方は……といえば。
左の手の平には、高町恭華と桃花と早春の雛菊 未亜という漢字名前の三人が。右の手の平にはロイラ・レイラ・ルウとセリア・パーシスとアルディナク・アシュレイの三人に、チャーリーを加えた四人が乗っている。
セリアとアルディナクは、チャーリーの背中の傷を繕おうと奮闘している様子だった。だが、肝心のチャーリーが高さに怯えて動くので、難航しているらしい。
とうとうソウセイザーの中の一室に入って繕いものを続けることになったようで、手の平にはロイラ一人を残して、3人はソウセイザーの中に消えていった。
「なんだ、チャーリーの奴、情けねぇなあ。こりゃ、後でしごいてやんねぇとな」
チャーリーに聞こえたら震え上がるような、小さな親切大きなお世話なスイの呟きからひとしきりの流れは押さえていたが、本男自身は本から目を離すことなく……
一行は秘湯の宿に到着した。
●熱闘! 露天風呂
秘湯は、いかにも秘湯な山の中にあった。
何にも手だてをしなければ、たどり着くには結構苦労させられたかもしれない。だが、ソウセイザーに運んでもらったおかげで、ほとんど苦もなくたどり着くことができた。多少岩場がソウセイザーの重みで崩れたりはしたが、大したことはない……多分。
「お湯加減はいかがですか?」
到着すると、一行の半数は早速お風呂へと向かう。この露天風呂も、宿からいい加減離れたところにあったりして、なかなかに『秘湯』である。
ソウセイザーが体内の家庭科室でつまみを用意し、さらに秘蔵を酒を出すと、それを未亜が給仕する。そんな極楽サービスを享受しているのはスイと翠だ。
本男ももちろんここにいたのだが、あまり酒には手を出していなかった。スイに飲め飲めとは勧められるので、一口二口入ってないわけではなかったが……スイの興味は今のところ、出てくるというモンスターの方に向けられているらしく、飲まされすぎて……ということにはならなかった。
ちなみに男湯、女湯と別れているのもあるが、最も景色が良いのは混浴である。なので、彼らは迷いなく混浴を選んだ。
さすがに女性陣は、女湯の方を堪能している。未亜とソウセイザーはあれこれと世話を焼くのにあちこちを行ったりきたりしていた。
温泉に来るとあって、本男の準備は万端だった。
本には防水加工で、水に濡れても問題なし!
それでどっぷりとお湯と同時に活字の世界に浸っている。
誰が湯に出入りしてても気には留めなかったので、次に外部に気を取られたのは、スイが大波立てて湯から上がった時だった。
ざばぁっと水飛沫がかかる。
気配を振り返ると、熊である。とは言え、どう見ても普通よりははるかに大きい。
喜び勇んでスイが向かう。
「おーおー。栄養状態が良さそうな熊ちゃんじゃねーか」
しかも、なんか角みたいな物まである。
普通熊に角はないだろう、とかツッコミ様はあるところだったが……
とりあえず本男は反対端に避難しながら、どうするかを迷った。
熊とスイの大相撲は、ところかまわず相手を投げ、張り倒し、蹴り飛ばし、本男が避けても迫ってくる。
本男の目の前に熊が来れば、熊に相手を選ぶ理由はないわけで。
迷った末に、本男は召喚獣を出して、身を守ることにした。
それが、些細な失敗であるとは気づかないまま……
「んー……ちっと物足りねぇなあ」
どこかに行っていた藍雪が戻ってくる前には、ケリはついていた。
だが、スイは何か微妙なことを呟いている。
「ちぃとなー、どうすっかなー」
本男を見て。
そして「どうすっかなー」と繰り返す。
なんだか嫌な予感がして、あの、本の話は……と小声で言うと、やっぱり「どうすっかなー」と繰り返す。
「って、どういうことです、スイさんー!」
「微妙だな、とさ」
実は商談は、まだまとまっていない。
本男はここでちょっとした恐慌状態に陥った。
これが本気ではなく、いじめっこスイのちょっとした憂さ晴らしだった……とわかったのは、旅行が終わる頃だった。
もっとも旅行中、稀覯本が売ってもらえるかで何度もハラハラさせられることになったのだったが……
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【SN01_0598/ソウセイザー/女/12歳/巨大変形学園ロボットの福祉活動員】
【SN01_1194/ロイラ・レイラ・ルウ/女/15歳/歌姫】
【SN01_0966/ライオネル・ヴィーラー/男/18歳/グリフォンナイト】
【SN01_1087/セリア・パーシス/女/19歳?/精霊使い】
【SN01_0589/本男(もとお)/男/25歳/本の行商】
【SN01_0664/高町恭華(たかまち・きょうか)/女/19歳/高校生】
【SN01_1055/早春の雛菊 未亜(そうしゅんのひなぎく・みあ)/女/12歳/癒し手】
【SN01_1250/アルディナク・アシュレイ/女/20歳/ヴィジョンコーラー】
【SN01_0093/スイ・マーナオ/男/29歳/学者】
【SN01_0122/翠・藍雪(つぅい・らんしゅえ)/男/518歳/族長】
【SN01_0078/鈴々・桃華(りんりん・たおほわ)/女/17歳/悪魔見習い】
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■ ライター通信 ■
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いつもご利用ありがとうございますの方も、初めましての方も、ご参加ありがとうございました。執筆させていただきました、黒金かるかんです。遅くなって、大変申し訳ありませんでした……
上の参加者名簿がすごいことになっていますね……結局11名様のご参加で立派な団体旅行となりました〜。今回は約束の日まで受注を開けておくという方法を採ったので、OPに書いてあった定員はぶっちぎってますが、こちらもどうぞご容赦ください。
では、機会がありましたら、またよろしくお願いします。
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