<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


邂逅
●ナパタ−水の恵みに潤う山上都市−
 夜の帷が降りて、蜃気楼が日々浮かぶ高温と乾いた風の吹くカード大陸フレイアースにも静寂の夜が訪れる。
 家屋の隅から隅まで、奇麗に片付けられたナパタ王の部屋。
 元々、王族とは言ってもナパタの国王と王妃は市井の出であり、自ら望むだけの富が与えられるような立場にいるのだが、立場上の見栄えを整えるだけで調度という物は少なく押さえられている。
「‥‥物騒だな‥‥また、鍵を閉め忘れ‥‥」
 半身を起こしかけて、齋木亮は馬鹿なと頭を振った。
 彼が生まれ育った世界――地球――とは違うのだ。
 確かに砂賊やアサシン、異世界の魔物等も存在しているが、そのあらかたを仲間達と共に打ち倒してきたのは亮自身だった。
 例え、温厚と言うには過ぎる妻が部屋の鍵を閉め忘れていても、いっこうに困ることは‥‥。
「いや、奴が来た時だけは用心しないとな‥‥」
 例え人妻だろうと、気に入った女性には声をかけずに終わらないスカルホースナイトを思い出して、亮はテラスへ続く扉の留め金をかけに寝所を滑り出た。
 寝返りを打ったのか、小さな手が彼の手を取って、まるで消えないで欲しいと言っているように亮には思えた。
「直ぐ戻る‥‥」
 自分でも驚く程に、素直に妻の手を取って話しかけてやる。オアシスのある都市と言っても、ここは砂漠の中心地。手に取った妻の手もほんの少し夜風に当たりすぎたのだろう、滑らかで張りのある肌が冷えているように思え、身体から外れていた毛布をそっとかけ直してやる。
「‥‥月が奇麗だな‥‥」
 見上げた夜空に目映く輝く白い月。
 後ろ手で扉を閉めて、月光を浴びながら伸びをすると、夜気に全身が洗われるような感覚が亮の5感を呼び覚ましてくれる。
「こんな夜にも、不埒な奴をよく知らせてくれるからな‥‥」
 視線を走らせた中庭に、明らかな存在感を持っている誰かを亮は認めた。
「‥‥何時、湧いた‥‥」

 ゴスッ―――――――――――――――――

 鈍い音と、その刹那の前には風を切る音。
 それが亮の耳にした音の順番。
 黒い影が、風より速く蹴り上げた脚が、亮の頭を削り落とす勢いで振り抜かれたのを、かろうじて亮が腕で止めたのだ。
「2年ぶりの弟に向けて、挨拶がこれか‥‥佳澄」
 呆れたと、続けたりはしない。
 こちらの世界に来てから、自分という規格外と何遍も向き直って来た結果、突き抜けてみれば同じ血と、そして生まれついてからの行動を合わせて考えれば、自分が居てこの姉が居ると納得のいくものだった。
 全体重を載せた蹴りを腕一本で止められても、齋木佳澄の表情には素人目に判るだけの変化は見あたらなかった。
「2年ぶりの姉に『湧いた』という挨拶をするよりマシよ」
 靴を履いていても判る、脚の指先、隅々まで張り巡らされた清廉な気を、久々に感じて苦笑するしかない。試した訳でも、遊んだ訳でもなく、ただ彼女にとっては弟への挨拶に相応しい一撃を放っただけなのだろう。
 姉だからと言うべきなのか、矢張り姉だと言うべきなのか、それは亮の心の中で置いておくことにした。
「そこ、いらぬ思考を回す暇があったら、久しぶりの姉の来訪を労おうという‥‥」
「‥‥はいはい」
 肩をすくめて、厨房に向かおうとした亮の背中にすかさず一撃。
「『はい』は一回で充分」
「‥‥」
 それを言う為だけに、弟を吹き飛ばすのか貴女はと、口には出さずとも片方の眉が跳ね上がるのを押さえることが出来ない亮だった。

 厨房から戻ったナパタ王は、いつになく慣れた手際で酒の肴を準備して戻ってきた。
「ふむ‥‥」
「なんだよ?」
 亮の持ってきた薫製肉とチーズを用いた料理を見て、無言で何かを納得した様子の佳澄。
「ほら‥‥」
 中庭と言っても、かなり広く取られた敷地の隅に、オアシスを望む庵がある。窓を開け放てば庵の中からはナパタが広く見渡すことが出来て、何もする事がない静かな時間を過ごしたい時に、亮がよくお世話になっている場所だった。
「それなりに、こちらに来て動けたようだけど?」
「ん‥‥」
 杯を差し出す姉に、自然に器を手にして注ぐ亮。
 彼の今の暮らしを見れば、地球から飛ばされた地球人達の中でも随分とマシな分類になるだろう事は佳澄にも判っていた。
 人は、行動無くして今の生活を持ち得ない。
 何かを成すからこそ、今を得る事が出来るのだと彼女はその身に染みて理解していたからだ。
「‥‥ん」
「?」
 器を寄越せと、無言で催促する姉にテーブルに置いた酒を満たしてある器を渡すと、軽々と持ち上げて亮の持つ杯に注いで満たす。
「そういや、佳澄と呑んだ事は無かった‥‥」
「それ以前に、家に居なかったでしょう、貴方」
 認めた、認められたという訳ではないのだが、佳澄の存在が地球にいた時以上に身近に感じられた。
「で? 積もる話がありそうなものでしょうが?」
 淡々と続ける佳澄の口調は、決して揶揄している訳でも亮を追い込もうという訳でもない。買い物に出かけた子どもに、何を買ってきたのか尋ねてみる、そんな軽くて自然な調子だった。
「話か‥‥何から話して、何を信じて貰えるのか‥‥」
 途方もなく長い話になりそうだと、溜息を一つ吐いて弟が語り出したフレイアースでの彼の生活と今までの仕事、そして果たした齋木亮という人間としての任務、そして思いがけない恋愛と婚姻‥‥。
 ティエラに召喚されてから今までの事は、亮にはそれまでの人生同様、物によってはそれ以上の輝きをもって自身の中にある事を自覚していた。
「そう。愛する妻の為に禁煙中と‥‥」
「それもある。切実なのは、こちらの物が合わないって事もあるけれどな‥‥」
 混ぜっ返してみせるのは、弟なりの照れ隠しなのだろう。
 彼から話を聞いて、こちらに来てからの友人達ともうまくやって行けているという事実、そして彼自身気が付いていないだろうが、良い意味で丸くなったと、佳澄には感じられた。
「未だに、ここを統括する筈の奴は旅の空さ。千年の時、火の世界を見守り続けてきた火の巫女様は、どの時代でも闘って、闘って、闘い続けて‥‥それでも止まることなく生きてる」
 火の巫女のお膝元、古代王朝の時代から栄えてきたナパタに残されていた記録の端々から感じた事があった。
 己が今を生きる時代にあってなお、戦巫女と言うべき存在のフレイアースの象徴が彼等武を志した事のある者にとっては目映い存在であると、凄烈な生き方を羨む自分が居る事を認めていた。
「懸想したと?」
 佳澄の唇の端が、常人には判らない程にほころんでいた。
「別の意味でなら‥‥でも、今の俺には護りたい、譲れないものがある」
 がむしゃらに前だけを見つめて闘う事も美しい。だが、それ以外に背に負うものを護る闘いもあるのだと、ティエラ世界に来た者達は知っている。
 空の端から白々と日の光が顔を覗かせる頃になって、佳澄が杯を置いた手で髪を掻き上げた。
「また来ます」
 来た時同様、前触れもなく立ち上がって亮に暇を告げると、見送りに立つ亮の横に並びながら歩み始める。
「今度は義妹にも会いに」
 そう言って、笑った笑顔が朝日の逆光の中で目映かった。
「今、会わないのか?」
 言って妻の寝起きの悪さを思いだし、後悔の念が表情を変化させる。
「楽しみは後に‥‥ね」
 勘付かれたのだろうか、それについては佳澄は何も亮にヒントを与えずに真っ直ぐに前を向いて歩いていった。
 夜を徹して話し通した気怠さよりも、2年という時の流れが二人の間を一度に流れ去り、以前以上に互いを近しく感じられる。
 と、同時に‥‥‥

「言えんか‥‥『貴方の弟である事を誇りに思う』‥‥」

 決して人には見せる事のない表情を、齋木亮は昇る朝日の中にさらしていた。
 彼の魂の盟友、シェルディスのヴィジョンカードが契約者の懐で微かに明滅するのは、不器用な男の生き様に聖獣フェンリルが微笑んだからかも知れなかった。

【おわり】