<PCクエストノベル(1人)>


記憶の断片で笑いかける者 〜ダルダロスの黒夜塔〜

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【1244 /ユイス・クリューゲル/古代魔道士】

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【序章】

 ただ茫洋と、そこにある『真理』と言う――実態の無い化け物の様なモノに。
 誰もが手を伸ばし、その欠片を己の集中に留めようと願う。
 ある者は祈り、ある者は自ら『神』と名乗り―――
 ある者は、その摂理すらを違えて仕舞おうと、足掻く。

ユイス・クリューゲル:「万物の理りを成したのが神か?――じゃあ、神を作ったのは誰だ」

 ユイス・クリューゲルは――森羅の起源を知り、その掌に真理を掴む者――、ただそこに在った。
 彼の通り過ぎた、又は留まる場所にはテラもナノも無い。ただ『生まれる者』が在り、そして『失われる者』が在る。
 彼だけが、そこに、変わらぬ姿で『在り』続けた。

 辛気臭い分厚さで空を包む湿った雲を突き抜ける程の勢いで、その塔は高く高く、真上へと伸びていた。
 不自然な程に真っすぐで細いそれの頂上――最も、その頂上とやらに辿着いた者がかつてどれほど存在したのだろうか――には、今度はこの地表を突き破り、黄泉にまで届くのでは無いかと思われる程の黒く陰気な深い穴が開いているのだと言う。
 クリューゲルは物憂げに細めた紺碧の双眸で、空に溶けてしまいそうな塔の尖端を仰いだ。

 この塔の入り口にして、二度と這い上がる事の出来ぬ死への片道切符。

 もっとも――その底なしの闇を、己の在り所にする『何か』が、居ない訳では無い事をクリューゲルは知っていた。
 ダルダロス。
 塔の底に住まい、濃密な闇を喰らい――
 時空を引き曲げる事を趣とした漆黒の魔物。

ユイス・クリューゲル:「・‥…折角成したこの世界だ。――むざと崩壊させたくは無いな」

 ともすれば軋みを帯びるかもしれない絶妙なバランスの中で、この世界は均衡を保ち、動かされている。
『彼ら』は、全知では有ったかもしれないが、全能では無かった――おそらくはそういう事なのだろう。時空に歪みが生じれば、この世界は末端から崩れ始めてしまう。
 それを防ぐのが、己の役目の一端であるとクリューゲルは思う。

 流れる雲が、地表に大きな影を落とす。
 それはそびえ立つ山脈を薄黒く染め、黒夜塔を飲み込み、そしてクリューゲルの立つ森の裾へと伸び――
 紅い前髪にその陰りが落とされた、その刹那。
 クリューゲルの輪郭が虚ろになり…やがてその姿が。
 掻き消えた。

【本章:1】

ニーナ:「――お話出来る事はありません」

 銀髪の華奢な後ろ姿がクリューゲルに告げた。
 少女は――黒夜塔の麓に住まい、ただ1人で生活を送っているその少女は、近隣の人々にはニーナ、と呼ばれていた。正しい名は誰も知らない――、いつからかそこに佇み自らの為事を見つめていたクリューゲルの眼差しから逃れ、思うままに木の実の選別を再開する。
 黒夜塔を背負うかの様に少女を見つめていたクリューゲルは大仰に肩を竦め、その背中を見つめて溜息を吐いた。

ニーナ:「あなたも、おせっかいを焼きにいらしたのですか?ここは危ない、ここは危険だ、今すぐからでも街で暮らした方が私の身の為だ――と」
ユイス・クリューゲル:「とんでも無い。どこに住むも個人の自由だし?ここが好きだって言うなら、俺にはあなたを攫う事は出来ないから・‥…ね」

 その時。
 クリューゲルとニーナの周囲の空気が音も無しに震えた。

 次いで訪れたのは、地の底から沸き上がって来る様な、低く唸る轟音。
 それがせり上がりの様に地表から滲み出し、質量を持った地響きとなって辺りの木々を大きく揺らがせた。

ユイス・クリューゲル:「・‥…来たか」
ニーナ:「…………」

 それは、音、なのかもしれなかった。
 見上げた黒夜塔は、その尖端を大きく震わせて雲を突き抜けている。
 遠くで、厳しく聳える岩山の軋む音が聞えた。

 やれやれ、とでも言いたげに、クリューゲルが指先で蟀谷を掻く。
 ニーナを振り返ると、彼女はまるで遠くの空の雨雲を仰ぐかの様な眼差しで黒夜塔を見つめており――そしてクリューゲルの視線に気がつくと、その面持ちを逸らした。
 ――やれやれ。
 今度は小さく、その口唇で呟いた。
 そして次には、轟音の中でも彼女に届く様にと声を張り上げて問う。

ユイス・クリューゲル:「肝の据わった女は嫌いじゃない。あなたは、良い女だね。――でも」

 少しばかり、強情に過ぎると。
 片眉だけが引き上げられ、戯けた様子でクリューゲルはニーナの醒めた横顔を見た。

ユイス・クリューゲル:「俺は今から、あなたの『大好き』なアレをどうにかしに行こうと思うんだけど、あなたはどう思う?」

 その肩が、僅かに震えた様だった。

【本章:2】

 クリューゲルは――魔道を操り、かつてはこの世の理りを成した古代種…ユイス・クリューゲルは、その双眸を緩く閉じ合わせていた。
 そこに有るのは、濃密な闇。
 何の境や輪郭が浮かぶでも無い、どこまでも続くかの様にすら思われる程の濃密で、湿った暗闇。
 視界を己の瞼で阻んだのみですら、これ程の闇が広がるのだ。

 それが、己を取り囲む空間に満たされた本物の無明であったなら。
 それが、己を取り巻く境遇に象徴された心の闇だったとしたなら。

ユイス・クリューゲル:「そうしておまえは、今尚ここで――人目から逃れる様に暮らし続けているのか」

 目を開けた。
 それでも尚、広がるのは暗闇――濃密。
 見上げれば、まるで煌々と光り輝く星の様に小さな光の粒が見えるが…それは彼の足下や視界をうっすらとも照らす事は無い。
 完全な闇の中に光る、一粒の光の点。

 黒夜塔の内部、その再底から見上げる空、だった。

 黒い魔物――ダルダロスは息を潜めている。
 暗闇の中で、その醜態をクリューゲルに晒す事無く…脅えた様に息を潜め、不意の来訪者を見つめていた。
 息遣いの気配と共に、湿度の高い臭気があたりに漂う。
 何かの間違いでこの塔へ落ちてきた人々の死骸が放つものなのか。腐敗しきった骸は風化を始め、そこはかとない陰湿な濃度を保っている様だった。

ユイス・クリューゲル:「語る言葉はもう忘れてしまったのか――ダルダロス。そこまで堕ちたのか。おまえは」

 真っすぐに正面を見つめるクリューゲルの眼差しは、そこに大きな身体で縮こまるダルダロスの無様な横顔が映っているかの様でもあった。低い唸り声の様な呼吸を繰り返しながら、ダルダロスはその視線に脅え、来訪者の言葉を聞いている。

 実際、クリューゲルの言う通り――ダルダロスに語る言葉は無かった。
 輪郭すら追えない、普通のヒトであったならば数刻もしないうちに発狂を始めるであろう濃密すぎる闇の中で、まるで己の姿を見て取っているかの様な眼差しを向ける来訪者が、どこからやって来たのか、何の目的でここに来たのか――ダルダロスには想像も付かない。
 自らが住まう闇、その眼差しはクリューゲルを確りと捉えている。
 変わらず脅えの色を孕んでいる、薄い白濁の双眸で――光を捉えないまま、ダルダロスの瞳は『あの日』から次第に色を失って行った――魔物は瞬きもせず、クリューゲルの端正な面立ちを見上げていた。

ユイス・クリューゲル:「――まあ良いさ。恐がって暴れない所を見ると、語る言葉は忘れてしまっても…聴く耳は捨て切れなかった様だな?ダルダロス」

 その名を反芻させるのは、意図が有っての事なのか。クリューゲルはダルダロスの名を、口を開く度に紡ぐ。
 ダルダロス――それが己の名であった言葉であると、その魔物が意識の隅に留める迄には、些か時間が掛かった様では有ったが――
 黒夜塔と言う孤独の城と引き換えに全てを失ったモノ、ダルダロスの眼差しは、少しずつその冷静さを取り戻しつつ有る様だった。
 かつて何度も、ここに辿着こうとしたヒトが、居た。
 それらは、この塔の内壁を下りる最中に落下し、哀れにもこの地に叩き付けられる事が有り、また別の者はダルダロスの姿を見るなり憔悴しきった身体で斬り付けて来る者が有った。
 全ては、土にも大気にも還る事が出来ずに、ダルダロスやクリューゲルの足下に馴染んでいる。
 全てを失った魔物――今となってはいつの事だったか思い出せはしなかったが、この塔に赴き、この塔の主となり、この塔で孤独な時間を過ごす事となったダルダロス――は、時にその腐肉を喰らい、時に苛立ちに任せて粉砕する。
 そして、思い出した様に哀しみを感じては、その想いの赴くままに――猛る。

ユイス・クリューゲル:「深すぎる業が魔道を産んだ、か――お笑い草だ。勝手な独りよがりの為に、『庭』を叩き壊すのは止めてくれダルダロス。…おまえが一番良く知っている筈だ。お前の力は、正しく無い方向へと向けられている」

 紡がれた言葉への戸惑いのそれか、漸く逸らされた視線への安堵のそれか。
 ダルダロスは詰めていた息を小さく吐きだして、握り締めた掌に爪が食い込むのを感じた。

ユイス・クリューゲル:「成り下がった自分が腹立たしいか。自分を捨てた全てが憎らしいか。――戻りたいと願うのか、ダルダロス。厳つい爪を生やした自分の手が、疎ましいか」

 クリューゲルが淡々と、しかし狭い塔壁に朗と響く声音でダルダロスに問う。
 肩を落とす様に深くうな垂れれば、視界に映るのは握り込めた掌が滲ませる白濁の体液。
 ヒト、であれば――その体液は鮮やかな深紅だったのでは無かったかと、ダルダロスは自問する。
 そして、これが、罰なのか…と。
 グルルル、と咽喉の奥で、風が鳴った。

ユイス・クリューゲル:「澱んだ気配、光の届かぬ闇の奥、この世界の成り立ちの答えが届かない…そう、こんな場所、死の縁で――全てを失ったおまえは、その問いに辿着いた時に…再び全てを失う強さを、持つべきだった」

 そしてダルダロスは。鮮明すぎる鮮やかさで過去を取り戻す。
 草の香る大地、梢の鳴る音、眩しく照り輝く太陽、紺碧の広い空――そして。

ユイス・クリューゲル:「ニーナは今でもあの場所で、おまえを待っている。轟音の様な怒声で時空を操る等と噂され、けったいな高い塔に住まい、陳腐な魔物に成り下がったおまえを…ダルダロスを」

 それは、ただの思い出に過ぎなかった。
 途方も無い程の長い時間を暗闇に過ごし、ただ真上に見える一点の光の粒しかその目に映す事の無かったダルダロスの、それでも隅に押し遣っていた記憶の断片は泣ける程に鮮やかで、眩しかった。
 遠くの森でさやさやと葉が鳴っている。
 飛び立った鳥が空に二つの点を落とし、視界の端へと消えて行く。
 銀の長い髪がふわりと大きく揺れた。豊かな太陽の光を受けて輝くそれの後で、ダルダロスを振り返って笑う、その少女の面持ちは――

ユイス・クリューゲル:「可哀想に。あの子は、自分が悔やんでいる事も、おまえを待っている事も判らないままでその一生を終える事になるだろうな。まあ、それも――彼女の選んだ道なんだろう。おまえがここに住まう事を望んだ様に」

 ニーナ。
 長い間、その記憶の底に眠っていた少女の名を心に呟く。
 ニーナと言った筈だ、あの少女――自分がかつて愛した、銀髪のあの少女は。
 ダルダロスの朧な視界が僅かに揺らぐ。

 戯れに紡がれた言葉だと知っていた。
 物心ついた時から、変わらずこの場所にそびえ立っていた暗黒の塔――黒夜塔。
 この塔の中には何があるのかが知りたいと、ニーナ――あの日の幼い幼馴染みがダルダロスに言った。
 黒夜塔の頂上を指差し、柔らかな笑みを浮かべるニーナの眼差しは純粋で、爛漫で、そして、残酷だった事をダルダロスは思い出す。

ユイス・クリューゲル:「ここの闇は深い。――深すぎる闇は時として平穏を与えるかもしれないが…そこにあるのは平穏、ただそれだけのものだ。心を震わせる喜びも、鋭い痛みを伴う傷も、狂おしい程の愛情、も。・‥…そこにはもう、存在しないだろう」

 ダルダロスは、ニーナのうつくしい横顔を、淡い笑みを、そして己が募らせていた恋心を思い出そうとした。
 遠い記憶の縁から零れ落ちずに残って居たそれらの感情の片鱗は未だそこに留まる事を知ったが、それでも上手に思い出す事が出来なかった。
 これが罰なのか。
 ダルダロスは再び思った。
 鈍い痛みが、心の奥底に宿った様な気がした。
 が、それも、明確な痛みであるとは感じ取る事が、出来なかった。

ユイス・クリューゲル:「その脅えを乗り越えて、再びその目に輝かしい太陽の光を映すことをしたいと思うなら――またあの日の様に、この壁を乗り越えるが良い。その鋭い爪は壁に食い込み、擦りきれ、やがて朽ちて行くだろう。その醜いみてくれも、日の光が禊ぐだろう。あとはダルダロス、おまえ自身の問題だ」

 魔物は泣いた。
 己の内に、またそれだけの熱と、水分が宿っていた事に彼は戦慄いた。
 黒夜塔の魔物、時空を掌握すると謳われた黒い化け物、ダルダロス。
 その名が人々の驚異とならなくなる日も、そう遠くない未来の事だろう。
 クリューゲルは魔物の涙をその視界の端に留めたまま、暫しの間佇んでいた。

【終章】

 閉じた双眸を再びゆらりと開けば、そこは草木の香る森の入り口、だった。
 んん、と気怠そうな声を漏らしながらクリューゲルは両手を伸ばし、伸びをしながら肩の骨を鳴らす。

ユイス・クリューゲル:「――結局、呪いを掛けに行っただけに終わったみたいだ」

 ぼそりと呟く言葉は風が吹き流して行く。
 そうでは無いと、それは呟く。
 自ずから呪いを望んだ者に、それと悟らせに行ったのだと。
 クリューゲルは溜息を吐いて、黒夜塔を振り返り仰ぐ。

 と。
 地底の底から響かされる様な、鈍く低い轟音が鳴り響く。
 木々を震え上がらせ、風を脅えさせ――近隣に住まう人々を戦慄かせる、それは黒夜塔の主の叫び声。
 だが、それは平素のものと比べると、些かの哀憐が篭められたものの様にクリューゲルには感じられる。

 時を同じくして塔を見上げたニーナも、おそらく同じ事を思っただろう。

 ヒト、であるから。それらは時として道を踏み間違える。
 ヒトとして、造り上げて仕舞ったものだから。それらは時として神を呪い、自ずから深淵に佇み涙を流す。
 何という愚かな存在であるか。
 そして、何と愛すべき存在であるか。

 ――ハ。
 クリューゲルは自嘲にも似た笑みの後で、宙に指先を滑らせる。
 が、ふと…その弧を止め、何かを考える風に口唇を引き曲げ――その後でゆっくりと手を降ろしてしまう。

 たまには、この足で大地を踏み締め往くのも良いのでは無いかと。
 己に似せて造ったヒトと言う存在が住まう、この大地を。

ユイス・クリューゲル:「…途中で後悔するか、遣り遂げるか。二つに一つ、さあどうするユイス?」

 ざ、と。
 草を鳴らす踵の音。
 クリューゲルは森へと爪先を向け、のんびりと―――歩みを始めた。