<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


アイツの背中


 その日エンテル・カンタータがカッとなった本当の理由を、素面で話すことはないだろう。
 特に、オズ・セオアド・コールには。


 ふたりはソーンの遥か南、ハルフ村へ向かうために、ここのところ鍛錬を重ねていた。かの温泉地に向かう予定のキャラバンの護衛を依頼されたのだった。騎士たる彼らは戦いに不慣れなわけでなかったが、己の力を過信はしていなかったし、ここのところハルフ村付近には観光客狙いの窃盗団が出ると聞いていた。修行しておくに越したことはない。
 窃盗団が相手になるのであれば、対人の練習が必要だった。オズとエンテルは木剣を取り、コロシアムが見える訓練場の一室を借りて摸擬戦を行っていた。

「おい、本気で来いよ! 修行にならないだろ!」
「そっちこそ! 腰が引けてるじゃない!」
「フェニックスが呆れてるんじゃないのか?!」
「オズのフェンリルだって、きっとあくびしてるよ!」
 打ち合いを始めて早半刻、しかしずっとふたりはこの調子だ。だが、喧嘩をするほど仲がいいというのは真実なのかもしれなかった。ふたりはお互いに指摘しあっている通り、本気で剣を振るえずにいた。
 オズは、木剣と言えど女の顔にぶち当ててしまったら事だと考えてしまっていた。
 エンテルは、木剣がオズの花を薙いでしまうのではないかと考えてしまっていた。
 オズの花。
 そう、エンテルはオズの目よりもその花に気を取られていた。
 オズの藍の髪には、白い花が咲いている――オズは砂漠のジュカ族だ。その花のために彼がどれほど苦労してきたか、エンテルは知らない。だが、噂やオズのすれた態度から、想像することは出来た。
 ……だから、一度も「きれいだね」と素直に誉めたことはない。
 しかし、オズには鈍感なところもあった。エンテルのその視線と真意には気がついていなかった。なぜエンテルの剣捌きがくすんでいるのか、皆目見当もつかなかった。だから、ただただ苛立ちを覚えたのだ。

「真面目に、」
 隙有り!
「やれッ!」
 一閃!
「ひゃっ!」
 エンテルは容赦ないオズの横薙ぎを、すんでの所で飛び退き、避けた。
 人の気も知らないで、という理不尽な怒りが、エンテルの中に込み上げてきた。これは彼女の性分だ。熱くなると一直線。それまでの気遣いもどこかへ吹っ飛ぶ。
「ちょっ、」
 業火!
「あっぶないじゃない!」
 一閃!
「ぅお?!」
 オズは先ほどのエンテルよろしく、すんでの所で飛び退き、炎の剣を避けた。
 エンテルの力は木剣に焔を纏わせた。しかし薙ぎ払った瞬間、木剣は燃え尽き、火の粉と燃え殻が床に落ちる。
「ばっ……!」
 バカ、という罵倒もそこそこに、オズは壁のフックにかけた自分のマントを取り、床の火の粉と燃え殻をバタバタと叩いた。幸い、火はどこにも落ち着くことはなく、オズのマントと床をわずかに焦がしただけで消え失せた。
「バカ!」
 火が消えたことを確かめてから、改めてオズはエンテルを怒鳴りつけた。エンテルはばつが悪くなり、さすがに肩をすくめた。
「何考えてんだ、木は燃えるってことぐらいわかるだろ!」
 カチン。
「真面目にやれって言ったのオズじゃない!」
 エンテルは顔を赤くして言い返した。オズの言い方に少しばかり棘があったからだ。ふわふわと揺れているオズの花も、オズのお気に入りのマントの焦げつきも、再び火がついた彼女の目には入らない。
「オズも真面目にやれって言っといて手加減してさ、すっごくイヤな感じだった! なにさ、私が信用できないんなら他の人と組めば?! もういいよ! 私はどうせオズより弱くてバカだよ!」
 凄まじい勢いで彼女はまくし立てた。オズはその勢いに圧され、エンテルがマントと手荷物を取って部屋から出ていくのを、呆気に取られて見つめていることしか出来なかった。エンテルは曲がった鉄砲玉のような勢いで訓練場を飛び出した。
「おい!」
 やっとオズが声をかけたのは、彼女の背中がだいぶ小さくなった頃だ。


 ――別に、自分は言いすぎたわけじゃない。
 オズは焦げ目がついたマントを羽織り、夕刻の街を足早に巡る。別に、自分は言いすぎたわけではないと――ずっと自分に言い聞かせながら。
 ――でも、あいつには悪いことをした。
 エンテルは外見こそ17歳の少女だが、立派な騎士だ。キャラバンから護衛の依頼が来るほどに、腕も立つ。自分はそんな彼女に手加減をしていた。あの、くるくると表情が変わる顔を傷つけまいと木剣を振るっていた。彼はもとより争いは好まず、人の顔のみならず身体や心を傷つけるのを避けていた。だがそれは結局、自分が傷つくことを避けるためのやり方でしかなかった。彼は調和と逃走で以って、自分の身を護る。
 ――でも、あいつにだけは……。
 エンテルの過去は、小耳に挟んだ程度だ。自分と同じような境遇だった。彼女は少しも過去を負い目には感じておらず、表に出すことはない。
 ――俺は、あいつを尊敬しているのか?
 オズはふとそんなことを考えて、口元を綻ばせた。
 そんなはずはない。
 ――俺は、俺の生き方に満足している。そうだろう?
 ――でも、あいつの生き方もなかなかのものだと思ってる。そうじゃないか?
 そうだ。
 ――俺はあいつが羨ましいわけじゃない。あいつを……認めてるだけだ。
 それがどれほど大切なことで、どれほど素晴らしいことなのか、オズはわかっているつもりだ。
 だから、彼は今や、走り回ってエンテルをさがしている。


 アルマ通りの白山羊亭でオズがエンテルを見つけたのは、もう日もとっぷりと暮れ、空が藍色になった頃だった。エンテルは金髪をくしゃくしゃに乱して、テーブルに突っ伏し、むにゃむにゃと深い眠りについていた。
「こんなところに居たのか……」
 ベルファ通りまで突っ込まなかったのは何よりだ。オズは肩で息をしながらエンテルのそばに立つと、はあっと大きく溜息をついた。
「おおおッ!!」
 同じテーブルの職人らしきおやじが怒鳴った。いや、彼は普通に喋ったつもりなのだろうが、オズの鼓膜がおかしくなりそうなほどの大声だった。
「こォの嬢ちゃんはァ、いィい飲みッぷりだったぞオぅ!!」
「……そうかい」
「なァんか男に文句を言ってたがァ、ぅお前さんのことなのかァ?!」
「……かもな」
「ぅお嬢ちゃアん! カレシがぁ来たぞォ!」
「ばっ……!」
 彼氏じゃない――反射的に、オズはそう切り返そうとした。
 だがおやじの大声に、エンテルの身体がぴくりと跳ね上がった。彼女はすっかり酒で赤らんだ顔を上げ、口のあたりや目のあたりをごしごしとこすって、オズを見上げてきた。
「うぅ……あれ……オズ……」
 テーブルの上には、エールの泡がこびりついた大ジョッキ2つに、ワインひと瓶。コニャックの瓶も半ばほどまで空けてある。いい歳のおやじでもここまで派手には飲まないだろう。エンテルの目はとろんとまどろみ、おまけに潤んでいた。濡れた蒼い瞳に、オズはぎくりとし――咳払いをした。
「宿は近くだ。送っていこう」
「ぶあっか! ひとるりで帰るれますぅ」
「そのろれつで歩く気か?」
「ぅオズなんかっ、ぅオズなんかっ、ぶぁあっか!」
「……」
 がちゃん、とジョッキや瓶が騒いだ。エンテルが派手にテーブルに突っ伏したからだ。彼女の意識は夢と現を行き来している様子である。酔っ払いの「ひとりで歩けます」「大丈夫です」ほど信用できないものはない。オズは無言で彼女を背負った。
 だが、その背に景気のいい一撃。
「お兄さん! お代!」
「…………」
 オズは無言で、銀貨を数枚テーブルに置いた。


 藍の空に、月が浮かんでいる。
 やれやれとオズは立ち止まり、ずり落ちるエンテルを背負い直す。装備一式をつけたままなので、女といえどもエンテルは少し重かった。だが、困るほどではない。エンテルがベルファ通りで飲んでくれたおかげで、宿屋も近くだ。
「オズ……オズ、オズなんか大っ嫌いだもんね……」
 どうやらエンテルは泣き上戸らしい。白山羊亭を出てから、ずっと彼女はオズの背中で泣いていた。この調子だと、飲んでいる間も泣いていたに違いない。
「わかったよ。気が済むまで嫌いになれ。今日は、俺が悪かった」
「そぅだよ……オズが悪いんだよぅ……」
「まったく、出発が明日じゃなくてよかったな」
「もっと飲むぅ……ぅぐ……ぇぐ……」
「もう泣くなよ。明日、目が腫れるぞ」
「ばか……オズのばぁか……バカにはもったいないよぅ……こんな……」
 ぐしゅん、
「こんな、きれいな花……」
 オズは、エンテルを落としそうになった。
 指が10本あるように、目と耳が2つあるように、彼は自分の白い花など気にも留めてはいなかった。だがやはり、人間にとっては『花』なのだ。
 夜風が冷たい夜で、助かった。頬も耳も熱くならずに済みそうだから。
「……鼻水と涎、花と髪につけるなよ」
 絞り出すようにしてオズは呟き、エンテルを背負い直すと、歩き出した。
 最早この注意がエンテルに届いていないことはわかっていた。エンテルはエールとワインとコニャックにしてやられ、すでに眠りについていた。
 これは――
 明日、改めて謝るとしよう。


 3日後、ふたりはキャラバンとともにソーンを発つ。
 エンテルの泣き腫れた目はもとの姿を取り戻し、彼女の頭を打ち砕かんとしていた二日酔いも、すっかり消えた頃だった。


(了)