<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


肩並べへの間奏物語

「べっつにぃ〜。そりゃあさー、わかってるけど。昔っからそーやって過ごしてきたわけでしょ? ある日突然そーやって言われても、戸惑うのはわかるわよ?」
 カウンターにだらりと伏せったまま、エスメラルダを見上げたのは、亜麻色の髪の少女――テオドーラであった。
 近所の屋敷の令嬢にして、本来なれば、このような場所に一人でいるべき人物ではないような少女。
 その上今日は、いつものお付の執事も居なかった。
 テーアは、エスメラルダに注文したリンデン・ティーのグラスを片手に握りながら、
「だけどやっぱり、あたしとしては嫌なわけよ。なぁんでそんな、」
 敬語なんて。
 繰り返しになる言葉を飲み込んで、更に深く、カウンターに沈み込む。
 まぁまぁ、と先ほどから諭してくれるエスメラルダに、
「エスメラルダはどう思う?」
「……一度言ってみたら? 敬語はやめて、とでも」
「言っても直らないから困ってるのよ。エドのヤツ、そういう話をすると笑って誤魔化しちゃうのよね。あたしは本気で言ってるのに」
 そりゃあ、お父様との体裁もあるだろうけど、実際お父様はそんなの気にしてないわけだし?
 ――良いじゃない。
 もうそろそろ、敬語なんてやめてくれちゃっても。
 小さい頃からずっと一緒にいた執事と恋人同士の関係になってから、数ヶ月。
 不意に感じた小さな壁≠ノ、テーアはもう一度溜息を付くと、外へ通じる扉へと視線を巡らせるのだった。


I

 静けさの賑わいに、ほっと心を落ち着かされる、森の中で。
「もう夕食の時間ですか……早いですね」
 暗くなり始めた空を見上げながら、一人の男がふ、と呟いた。
 ライオネル・ヴィーラー。
 齢十八歳にしてのグリフォンナイトであり、今回のテーアの悩み事に、ひょんな切欠から首を突っ込んでしまった、金髪碧眼のいかにも育ちの良さそうな青年であった。
「そうね……そろそろお腹もすいてきたし」
 ライの言葉に最初に頷いたのは、上っていた木から必死に降りて来る愛らしい少女、マリアローダ・メルストリープであった。いつものワンピース姿よりも動きやすそうな服装が、それでも小柄な体に良く似合っている。
 やわらかな風にあわせ、マリィの自慢の長い金髪が、さらりさらり揺れる。しかしライと同じ色の瞳は、慣れない木登りに、もうすぐつくであろう地面に釘付けとなっていた。
「それじゃあ、そろそろ夕食の準備に取り掛かるとするか」
 その上からもう一つ声が降り注いだ途端、すらりとした影が地面にすとん、と着地した。さすが、と感嘆するライの前に立ち上がったのは、今回のキャンプの企画者でもある、オンサ・パンテールであった。
 褐色の肌に、美しく白い入墨。全身を惜しげもなく曝し出したその姿に、まだ新しい前垂れが、けれども健康的に美しかった。
 木の幹と同じ色をした瞳と髪が、この森の光景に良く溶け込んでいる。
「マリィちゃん、大丈夫かい?」
「ええ、多分大丈夫だと……」
 ようやく地面に近づいたマリィを、優しく抱き上げ、地面に下ろす。ありがとうございます、とぺこり、とお辞儀したマリィに、オンサはやわらかく微笑みかけると、
「木登りはどうだった?」
「ちょっと怖かったですけれど、楽しかったです。普段はあまり、こういう事もやりませんから……」
 テーアとエドは勿論、今回、エスメラルダとテーアからの相談に応じる事となった、マリィ、オンサ、ライ、そうして、オンサによって無理やり連れてこられた神父の一行は、キャンプの為に森へと来ていた。
 ――屋敷を離れれば、お互い少しは素直な気持ちになるさ。
 そんなオンサの提案によるキャンプは、どうやらエドはテーアにも大好評だったらしい。笑い声の木霊するうちに午前が終わり、そうして午後となり、どうやら二人も大分自然と打ち解けていたようなのだから。
「夕食の準備? それじゃあ、分担しなきゃいけないわね」
 普段からじゃじゃ馬の異名を取るだけあってか、テーアが木の枝の上から全員を見下ろして言った。いつの間にか地面についていたエドが、早く降りてくるようにと促してはいたが、どうやらテーアには、その忠告に従う気は今のところないらしい。
「お嬢様……」
 苦笑するエドに、だって、とテーアが無邪気に笑いかける。風が気持ち良いらしく、そう簡単に離れる気にはなれないのだ。
「あたいはそれじゃあ、狩りにでも出かけてくるとするよ。神父を連れてね」
「それじゃあ、私は薪を拾ってくる事にします。――あ、エドさんも、ご一緒に」
 先手を切ったオンサに、ライがふんわりと付け加える。
「それじゃあ私、お料理の準備しますね」
 その後に、マリィが小さく手を上げて続けた。
 ――と、
「あれ、そういえば神父さんは……?」
 ふ、と見回す。そういえば気がつけば、先ほどから神父の姿がこの場所に無いような気がしてならなかった。
 マリィの言葉に、思わずオンサは肩を竦めてしまう。そのまま適当な場所を指で指し、
「マリィちゃん、あそこ」
 オンサの言葉に従って、全員がその指先の方へと視線を向ける。
 ……そこには、
「降りられなくなってるみたいだね」
 さながらコアラのように、必死になって木の幹にしがみ付く、神父の情けない姿があった。


II

 二人、薪を集めながら、ゆるりとまだ明るい星空の下を歩いていた。他の四人が夕食を準備する間の、束の間の、時間。
 境遇に似たものがあったのか、ライとエドとの話には、幾つのも共通点があった。仕えるべき相手を、愛してしまったというその事実。お互いの想い人の惚気話も、その内の一つでしかなかった。
 そうして。
 ようやく二人が、抱えるほどの薪を拾い集めた頃。
「書物にも良くある話ではありませんか。たとえ周囲がどれほどその関係を認めていようとも、権力の下には、叶わない事だってある」
 話の途中、不意に少しだけ遠い視線を空に向け、ライはぽつりと息をついた。
 いつの間にか、話題は笑い話から、深刻さを要するものへと移っていた。
 今回のテーアの悩みは、ある意味尤もといえば、尤もといえるものでもあるのだ。同時にライは、その問題に、数々の他の問題が付随してくるであろう事も、良くわかっている。
 自分は結果としてこう落ち着いてはいるものの、あのような世界に、カイエの傍に――つまりは常に、権力というものを近くから見ることのできる位置に居たからこそ、わかる事があるのだ。
「ねぇ、エドさん――私ね、心配なんですよ。実際、見てきているものですから」
 叶わなかった、幾つもの想いを。結び付く事のなかった、薔薇の糸を。
 屋敷の為に――あるいは、他人の為に、己の幸せを捧げていった、数々の子息や令嬢。事あるごとに、カイエもその内の一人になるのではないかと、不安で不安で仕方のなかった日々もあった。
 愛していると。
 しかし、それだけでは、望む形に縫い合わされない運命も、数多いのだ。
「想いだけ空回りするのは、辛い事です――けれどエドさん、このままでは、あなたも、」
 もしかすると。
 言葉の続きは視線だけで語り、ライは軽く首を振った。
 大げさな話などではなかった。心の底から、そう思う。深い、深い想いの果てに、進めば進むほど、いつの間にか分かれていた道が益々遠くなってゆく事がある。
 あれは、友人の話だっただろうか。騎士である友人と、どこぞの令嬢であるその恋人。しかし、お互いを想いあうが故に別れの道を選び、
 けれどあの人は――今でも彼女の事を、
 愛していると。
 酒の席でぽろりと聞いた本音ほど切なかったものは、あの時、カイエへ対する自分の想いを痛感した瞬間くらいだっただろうか。
「後悔だけは、してほしくないんです。将来あなた達がどのような道を選ぼうとも、それも一つの愛の形ではあると思いますよ――でも」
 深紅の糸は、一度でも絡まってしまえば解くのは至難の業だと言うほどに、脆く、そうして、だからこそ美しい。しかしつまりは、どこかに残したわだかまりを上手く直す事など、そう簡単にできはしない。
 小さな絡みが、今後の全てを変えてしまう要因にもなり得るほどに、ひどく繊細な繋がり。それは最も強く、そうして、最も弱いもの。
「将来、今の自分を振り返った時に、決して後悔のない道を選んで欲しいと――そう、私は思います」
 自分がその幸せを掴み取ったからこそ、そう願っている。
 私は今、こんなにも幸せなのに――、
 周囲に涙を見るのが、とてつもなく辛いのだ。
「エドさんの気持ちもわかります。折角の関係を崩すのが怖いのは良くわかります。けれど、テーアさんの事を考えれば……」
 続けざまに言われ、エドは思わず黙り込んでいた。あまりにも切々と語るライの表情に、軽口を挟めなくなってしまう。
「ライさん……」
「とは言え、いきなり全てを変えろ、と言われても無理なのは、わかっていますよ」
 エドの声音から何を悟ったのか、ライはエドの瞳をじっと覗きこんだ。
 ゆっくりと、微笑んで、
「まずは『お嬢様』ではなく『テーア』と呼ぶ所から始めてみてはいかがでしょう?」
「テーア……?」
 口にしてみて違和感があったのか、エドが小首を傾げる。
 しかし、それが一時的なものにしか過ぎない事も、ライには良くわかっていた。実際ライの方も、『カイエ様』の事を『カイエ』と自然に呼べるようになるまで、しばしの時間を要したのだから。
 それでも、覚えている事がある。
 あの時の彼女の、嬉しそうな表情。
「名前の呼び方一つにしても、やっぱり印象は大きく変わってしまいますから」
 様が一つ抜けただけで、距離が大きく、縮まったような気がした。ライにもカイエの笑顔が、まるで同じ位置にあるかのように感じられた、瞬間。
 同時にそれは、越えなくてはならなかった壁であるような気もする。今までの関係から一歩前へと進む為の、ある種の儀式であるかのような――
「すぐに――とはいかなくとも、できるだけ早いうちからそうして行った方が良いのではないでしょうか。いつまでも引きずるままじゃあ、テーアさんも滅入ってしまうかも知れませんよ?」
「……でも、」
「それに、このまま中途半端なままでは、本当にテーアさんは、政略結婚の対象になってしまうかも知れません」
 でも、旦那様はそんな事――と続けようとしたエドの言葉を、そっと、制して、
「確かにお父様はそうお考えかも知れませんが、政略結婚は、させません、以上、じゃあ済まないものなんです」
 どんなに拒んでも、大きな力には飲み込まれてしまう。
「それは、そうでしょうけれど……」
「でしたら、逆に先手を打ってしまえば良いんです。そうすれば、あまりにも無茶な手出しはできなくなりますからね」
「先手?」
「ええ、要するに今から正式にプロポーズをして、婚約まで持ち込んでしまうんです」
「こ、こ、婚約ぅっ?!」
 ずばり、と言いのけたライに、エドが思わず叫び声をあげた。
 こここ、婚約って、
「そんな突然ッ?! こ、婚約ってつまりは……!」
「勿論、テーアさんがあなたの婚約者になる事ですね」
「お、お嬢様が僕のっ?!」
「お嬢様、ではなくてテーア、でしょう?」
 悪戯に微笑んだライに、
「でででででもっ!」
「でももヘチマもヘッタクレもありません。聞いた話によれば告白はテーアさんからだったとか。でしたら一発、ここは男というものを見せなくてはなりませんよ、エドさん」
「どこでそんな話を聞いてきたんですかライさんっ!」
「まぁ、色々です。それよりもエドさん、要するに私が言いたいのはですね、今までの関係に安住して彼女を不安がらせるより、勇気を持って新しい関係を築いた方が良いのでは――という事なんですよ」
 目の前に落ちていた木の枝を、腰を屈めて拾い上げる。手元の枝を軽く取りまとめながら、
「彼女を他の男に渡したくないのなら、あなたももう少し、積極的にならなくては」
「渡す、って、何もお嬢様は、」
「テーアさんはモノじゃない……お話はもう、そういう次元のものじゃあないんですよ、エドさん?」
 カイエの時も、そうだった。
「カイエがまだ領主位に会った頃は――カイエの気持ちなど考えられることもなく、そういう話が進んだ事もあったようです」
 詳しくは知らないが、結婚など嫌だと、彼女に泣きつかれた事があった。
 ――どうして自分はこんなにも無力なのだろうと、深い無力感に、捕われて動けなかったあの日。
 事は、結局は何事にも至らず、そのまま消滅して行ったにしろ、
「この先、テーアさんにもそういう事がないとは、言い切れません。お父様がどう望もうとも、お父様自身がどうしようもない所に追い込まれてしまえば――誰も、テーアさんの未来を、保障する事ができなくなってしまいます」
 忘れられはしない。
 忘れようとも、思わない。
「権力というものは、そういうものなんですよ」
 あの時の、カイエの表情を、忘れられる筈がない。
 折角成就しようとしていたお互いの想いが、寸前の所で途切れそうになっていた。あの可愛い少女を、二度とこの腕にする事ができないのだと考えた時、ライも、ひたすらに後悔する事しか、できなかった。
 もう二度と、お互いにあのような想いはしたくない。それこそ、死が二人を、分かつまでだ。
 ……いや、
 たとえ死が、二人を分かとうとも、ですね――。
 あの無邪気な笑顔を、我侭で素直で、少しだけ粗雑で、でも、お人好しで。くるくると表情を変える、感受性の強いあの心優しい少女と、どうしても共に生きていきたかったから――だから、決意を決めた。
「だから私は、少し早いとわかっていても、プロポーズをしたんです。後悔をしたく、ありませんでしたからね」
 黙りこむエドの肩を、軽く叩いて微笑んだ。
「カイエは誰にも、渡しません」
 間接的な言い方で、最後に一つ、助言を添えた。
 ――そうしてあなたも、テーアさんを、誰にも渡すことのないように。


III

 嫌がる神父を引きずりまわし、兎や魚、その他の植物を丁度必要な分だけ取ってきたオンサの帰りにあわせ、ようやく夕食が始まる事となった。
「さすがでしょ? マリィちゃんもオンサさんも、本当に料理が上手なんだからっ」
 まるで自分の事を自慢するかのように、テーアがエドとライとに微笑みかける。そのまま座るようにと促して、自分もエドの隣にすとん、と腰掛けた。
 ライが木の枝をくべる、その少し先。そこには、下準備の終えられた、沢山の野菜や肉や魚があった。
「やっぱり、豪快に焼いて食べるのが一番。折角の機会なんだ。たまにはこういう料理も良いだろ?」
 枝を利用して作った、形の悪い串に刺された野菜や肉、そうして魚を手に取りながら、枝の周囲の地面にそれらを差し込んでゆくオンサ。普段街で食べるのとは違うこの豪快さが、森の料理の醍醐味のうちの一つとも言える。
 オンサが串を並び終えるのと同時に、小さく呪文を口にしたのは神父であった。初級の魔術で、薪に小さな火をつける。
 ――周囲に赤味が、彩を与えた。
「味付けはマリィちゃんがやったんだ。間違いはないよ」
 まだ弱い火を消さないように気をつけながら、オンサが串刺しにした芋を放り込む。
「でも、材料をとってきてくれたのはオンサさんですから」
 兎にしろ、鳥にしろ魚にしろ、捕まえてきたのはボロボロの神父を引きずりまわしたオンサであった。テーアの持ってきた調味料で味を作る間、マリィは散々、遠くから神父の叫び声を聞かなくてはならなかったのだ。
 でも――、
 二人のやり取りをちらりと一瞥すると、マリィは小さく息を吐いた。
「神父、あんまり焼きすぎると、キノコ、焦げるんだからね」
「わかってますって。あー、でもオミソだなんて、テーアさんも随分と変わった調味料を持ってきたんですねぇ。これ、東の方のものでしたっけ?」
 この二人も、何だかんだ言っても仲、良いのね――本当に。
 少しだけ、寂しさを覚えてしまう。オンサには神父が、テーアにはエドが、そうして、ライにはカイエという名の婚約者が居る。大好きな人と、一緒に居られるのだ。
 皆、楽しそう――。
 ここにシンが居れば、と思うのは、いつもの事でしかない。しかし、毎回毎回、心からそう願って、止まないことにも変わりはない。
 ここに、シンくんが――、
「はい、マリィさん。焼けましたよ。この時期のキノコは、そのまま食べても美味しいですからね」
 不意に、俯くマリィに話しかけたのは、串の焼け具合に気を配るライであった。暖かい木と炎とのぬくもりを受取り、マリィがふ、と、顔を上げる。
「ライさん……」
「きちんと食べておきませんと……ね?」
 あえて、元気がないようですね、とは口にしなかった。マリィの持つ事情を深く知っているわけではないが、それとなく聞いた噂のようなものは、記憶に残っていた。
 ライでさえ、この場にカイエの姿を求めてしまう。マリィであれば、なおさらの事。
 マリィがキノコを口にしたのを見届けてから、ライは小さく微笑んだ。
「叶うのが遅い奇跡も、あるものだそうです」
 燃え始めた、炎を見つめる。
「知り合いからの受け売りなんですけどね。そういうものも、あるのだと――けれど、信じていれば」
 ほの赤い世界に、小さな音と共に、炎が爆ぜる。自分のすぐ隣には、いつものようにオンサに言い負かされる神父の姿。そうして、炎越しにあるのは、言葉を交わすエドとテーアとの姿があった。
「そういう奇跡は、いつか叶うものなんです」
 カイエとあのようになるまで、どのくらいの時を要したのか。正確な所は、覚えているはずもない。しかし、それなりの時間を要した事だけは、しっかりと覚えている。
 色々な意味で、歯がゆい時間も長かった。
「信じる事を、忘れないでいれば――つまりは、希望を捨てなければ、きっと、叶います」
 あなたに、会いたい。
 カイエ、あなたに、
「ライさん――」
 どんなに別れている時間が短くとも、会いたくて会いたくて仕方ない気持ちは良くわかる。その時間が長ければ長いほど、思いは積もりに積もり、心に、重い負担を積み上げてゆく。
 ライの話に、マリィはそっと、胸を押さえた。
 月を目指して、赤い光が炎から音をたてて、空に上行く。
「もう決めた! 今日はあんたを泳げるようにしてやるよ!」
「えええっ?! ちょっと、待ってください! 私、そういうのはちょっと――!!」
 向こうから聞えてくる、神父とオンサとの会話と、
「何、今日は添い寝でもしてくれるって言うの? それなら許してあげるけど〜」
「そんな不謹慎なっ?! 添い寝って……!」
「もしかしてアンタ、あたしに手を出す気でもあるわけ? だっからそんなに慌ててるんだ♪ へぇ〜、」
「そんなつもりじゃ、ありませんけど……!」
 隣でじゃれあう、テーアとエドとの言葉の応酬。
 聞きながら、マリィはそっと空を見上げた。
 叶うのが遅い奇跡、ね――
 このままずっと、シンを探し続けていれば、
 つまりは、
 つまりは会えるというのだろうか。追い詰められて、どこかへと消えてしまった、遠いあの人に。
 そうして又、今日もいつか≠、願ってしまう。
 遠い遠い、空の星。指先に光を落とす、届かぬ星へと。

 その後、オンサが神父を引き連れて席を外したのとほぼ時を同じくして、マリィとライとが立ち上がった。
 二人きりになる事は、大事だからと。
 暖かな炎をその場に残し、四人はそそくさと退散したのだ。
 オンサは言葉どおりに神父を近くの泉へと連れ出し、マリィとライとは共に周囲の散歩を楽しむ事にした。
 ――それからは。
 マリィはライの話に、惹き込まれるかのように聞き入る事となる。
 おとぎ話のような恋愛話を、ほんの少しだけ、自分の未来の夢へと重ねながら。


IV

 木々の葉の影から、細く地面に差し込む光が幾筋も見て取れる。秋の風に、虫の鳴き声が静かに倍音を重ねているかのようだった。
 薪の炎が、熱にたまらず、空へと爆ぜる。
「……時間が過ぎるのって、やっぱり早いわね〜」
 ゆるりと腕を伸ばし、テーアがのんびりと微笑んだ。燃え続ける炎にぬくもりを求めながら、
「神父も随分と濡れちゃってるみたいだけど……。オンサさん、随分とサルバーレのコト随分といじめてきたんですね〜」
「いじめただなんてそんな――な、神父?」
 濡れた髪を乾かす、オンサの方へと視線を投げかけた。その隣には、びしょ濡れの僧衣のまま震える神父の姿があった。
「……ええ、確かに虐められてなど……」
 ずりずりと炎の方へと身を寄せながら、震える声で神父が答える。どうやら神父とオンサとは、近くの泉に泳ぎに行ってきたらしかった。
 時は、もはや就寝時間。長いようで短かった一日も終わりを告げ、既にマリィはライの隣でぐっすりと眠ってしまっていた。
 ――なぜかエドの方も、一緒になって眠ってしまっていたが。
「で、テーア、エドとは少しでも上手くいったのかい?」
 ふ、と気がついたかのように、神父の背を擦るオンサがテーアに向って問いを投げかけた。
 やわらかな虫の歌声に、きららに輝く儚い光の空の海。遠く見上げながら、果してこの二人は、何を語り合ったと言うのだろう。
「……まぁ、少しだけ、お話はしました」
 ライとマリィとも、二人に気を使い、つい先ほどまでこの場所にはいなかったのだ。
「あたしもあんましエドには無理させない、って事になったんです。ご飯前に、マリィちゃんにも、そうやって言われて……」
 あまりにも急激な変化には、無理を伴う場合も数多い。ゆっくりと、テーアもエドに少しだけ足並みをそろえる事ができるのなれば、
「エドもエドで、少しは考えておきます、って言ってくれた事だし……まぁ、この話題に反応を示してくれた事自体収穫よね、収穫。このまま一生相手にしてもらえないんじゃないかって思ってただけ、なんかそれでも、嬉しかったし」
 テーアの言葉は、限りなく素直な心情であった。
 先ほど二人きりになって、ようやくお互いに切り出した話題も多かった。こういう場所だからこそ落ち着いた心で言葉を交わし、一緒に星の空を見上げ――、
「でも、良かった。なんか当たり前すぎて、どうしてもハッキリさせる事、できなかったんだもの」
 近すぎるからこそ、わからないわだかまりもある。当たり前だからこそ、気づかないものが身の回りには数多くある。
 エドとマリィとの寝顔を見やり、テーアはそっと息をついた。赤い炎の光に、その影がゆるりと揺れる。
 ふ、と、マリィとライとの包まる毛布の位置を、そっと、直してやる。少しだけ元気のなかったマリィを慰めるかのように、優しく話しかけていたライ。散歩を終え、この場所に帰ってくるなり、疲れたマリィを寝かしつけようと毛布を被り、そのままライも一緒になって眠ってしまったらしい。
 さながらその姿は、どこか家族めいていたと、
「ありがとうございました、オンサさん、それから――マリィちゃんも、ライさんも」
 口には出さなかったが、率直にそう思った。
 そんな暖かい光景を思い出しながら、テーアは視線をエドへと転じた。いつもの規則正しい生活は、どうやらここでも変わらなかったらしい。マリィとライとが戻るのを確認するなり、身の回りを整理してそのままうとうとと眠ってしまったのだから。
 ……本当に、
 どうしようもないんだから、エドは。
「いや、あたいは何もしてないよ」
 恋人の寝顔に、頬をほころばすテーアに、オンサがやわらかく言葉を返した。
 そのまましばし、沈黙の時が流れすぎる。秋色の香りが、ほのかに夏を、染め替える夜。
 一夜一夜、こうして世界は冬へと近づいてゆくのだ。一面の銀世界を、まるで誘っているかのように。
 ――不意に。
 そういえば、と、テーアが視線を上に上げたのは、それから暫くしての事であった。
「そういえば、オンサさんとサルバーレ、泉の方で何をやってたんです?」
「何、って、泳ぎの練習だよな、神父?」
「え、えぇ……まぁ、そういう事になるかと」
 かくかくと震えながら、神父がオンサの言葉にこくりと頷いた。頷き返され、オンサもテーアへと一つ首を縦に振る。
 しかし、テーアの方はきょとん、と二人の方を見つめると、
「そうじゃなくて、もっとなんていうか……本当、何をやってきたんですか? 二人きりになったのよね? だったら何かあったんじゃないんですか? オンサさん?」
 少しだけ意地悪く、瞳を輝かせた。
 途端。
「……ち、ちょっと、オンサさん?」
「何も、別に何もなかったよな、神父」
 オンサの顔が、ほんのりと赤く染まったような気がした。意外といえば意外な反応に、神父の方が驚いてしまう。
「何かあったんだ」
「ち、違いますよ、ね、オンサさん?」
 更に詰め寄ってくるテーアに、神父は必死に首を振った。しかしオンサの方は、半ば上の空で膝を抱え、炎を見つめていた。
 それから暫く、ようやくテーアと神父との言葉の応酬に気のついたオンサは、
「……と、とにかく、何もなかったよ――それより星、綺麗だな」
 慌てて何かを誤魔化すかのように、夜空をすっと指差した。
 ――勿論それが言葉の真意でない事は、テーアには良くわかっていた。しかし、なおも言葉を続けようとした所で空を見上げてしまい、そのまま言葉を失ってしまう。
 強く、弱く。煌めく光の波打ち際に、月という名の女王が堂々と君臨していた。この炎意外の光源が無い場所で、闇を照らし出す、唯一の輝き。
 月並みな感想だとは思う。しかし、
「綺麗、ね」
 先ほどまで、エドと一緒に見上げていた夜空。又いつか、この人と一緒にこの夜を過ごせたら――。
 テーアがそっと、瞳を閉ざす。まるでこの先を、切々と祈るかのように。
 その姿に、神父とオンサとは顔を見合わせて微笑みあった。そのまま同じくして空を見上げ、言葉にならない感動を共有する。
 ――そうして、少しだけ縮まる、二人の距離。
 触れ合ったぬくもりは、炎の光よりも、どこか暖かいようにも思われた。


Finis



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            I caratteri. 〜登場人物
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<PC>

★ マリアローダ・メルストリープ
整理番号:0846 性別:女 年齢:10歳 クラス:エキスパート

★ ライオネル・ヴィーラー
整理番号:0966 性別:男 年齢:18歳 クラス:グリフォンナイト

★ オンサ・パンテール
整理番号:0963 性別:女 年齢:16歳 クラス:獣牙族の女戦士


<NPC>

☆ サルバーレ・ヴァレンティーノ
性別:男 年齢:47歳 クラス:エルフのヘタレ神父

☆ テオドーラ
性別:女 年齢:13歳 クラス:ご令嬢

☆ エドモンド
性別:男 年齢:15歳 クラス:執事



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          Dalla scrivente. 〜ライター通信
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 まず初めに、お疲れ様でございました。
 今晩は、今宵はいかがお過ごしになっていますでしょうか。海月でございます。今回はお話の方にお付き合い頂きまして、本当にありがとうございました。又、いつもの事ながらに、締め切り当日のしかも朝方納品となってしまいまして、本当に申し訳ございません。
 今回のお話の方は、実際あまり解決していないようにも思われますが、きっとこの先には大きな影響を及ぼしていくのではないかな、と思います。PCさんそれぞれの想いがあって、プレイング、とても重たく受け止めさせていただきました。上手く表現できていると良いのですけれど……。

>ライさん
 カイエさんとのお話、とっても深かったです。こう、実際引き込まれるものがありました。あたしも良い所のお嬢様と、それに仕える男の恋愛話は元々好きですので……。
 今のところまだ、エドにはプロポーズをするような勇気はないようです(笑)しかしながら、確かに政略結婚には先手を打っておく事も大切かもしれません。たとえそれが破棄されようとも、やはり元々なかった、という事よりは効力があると思うんですよね。

 では、乱文となってしまいましたがこの辺で失礼致します。
 PCさんの描写に対する相違点等ありましたら、ご遠慮なくテラコンなどからご連絡下さいまし。是非とも参考にさせていただきたく思います。
 次回も又どこかでお会いできます事を祈りつつ――。


08 septiembre 2003
Lina Umizuki