<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


夜と霧
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「霧が出てきたな」
一歩先を歩くオズがそう言って足を止めたので、エンテルもようやく霧が深くなりつつある森に目を向けた。鬱蒼と茂った木々は、ミルク色につつまれている。風すらも通しにくい深い森に立ち込めた霧は、そのまま滞ってどんどん視界を悪くしていくようだった。
立ち寄った村で、人喰いの獣討伐を頼まれて、森へと足を踏み入れたのが今朝早く。はるか上のほうで生い茂る木に邪魔されて太陽を確認できないが、獣を探してずいぶん長く森の中をうろついていた。そろそろ日が傾く時間だろう。獣は、影どころか、これだけ探し回ったというのに足跡一つ見つからない。
早く仕事を済ませて帰りたいエンテルは、折り悪く出てきた霧に、舌打ちしたい気分だった。
「オズ、早く獣を倒して、村に帰ろう。……何やってるの?」
同意を求めようとして相棒を見たエンテルは、オズがその場にしゃがみこんで荷物を下ろしているのを見咎めた。霧の中から返事は返ってこず、オズはエンテルに背を向けて黙々と荷を解いていく。エンテルの声に非難が含まれていたことに、気づかなかったわけでもないだろうに、返事はない。
「……夜営の支度」
無視をしている、とエンテルが責める直前。絶妙の間で、オズは彼女を振り返った。その声は落ち着いていて、仕事が思うとおりに行かずにささくれ立っていたエンテルの神経を逆撫でする。
「まだ、夕方よ?今日中に獣が見つかったら、それを退治して村まで帰れるのに」
なんとなくオズの諦めのよさが不満で、エンテルが刺々しい言葉を投げてみても、オズは怒ったりしない。そのかわり、軽く肩を竦めただけで、エンテルの台詞を聞き流した。
「今日中にヤツが見つかるかどうかなんて、わからんだろう」
シュッと音を立てて、オズは荷物を硬く結び付けていた紐を解く。その手つきは慣れたもので、同時に男の力強さまで感じさせる。
大雑把に、しかし的確に動く男の手を見ているうちに、謂われのない憤りが湧き上がってきた。なんだか気に食わない。八つ当たりだとわかっていても、文句が口をついて出る。
「それにしたって、今から帰れば、日暮れ頃には村に帰りつけるわよ」
「霧が出てる」
もう一度、事実を確認するような口調でオズが言った。
「下手に動いて道を見失ったら厄介だ。森の天候はあなどっちゃいけないってのは、常識だろ」
オズの言うことには、一理ある。霧が出始めて高々20分くらいだというのに、益々周囲を取り巻く乳白色は濃くなってきていた。エンテルもオズも、この近辺の地理に詳しいわけでもない。こういう時は、リスクを冒さず、落ち着いて一つところに留まるのが冒険者の心得だと、知らぬエンテルでもなかった。
だが、二人は朝から一条の光も差さない獣道を、延々歩きつづけてきたのである。行けども行けども、景色は変わることのない深緑と幹の茶色ばかり。長旅の覚悟さえあれば、我慢も出来る。だが、数時間、歩けば暖かい食事とベッドにありつけるのだ。そう思うと、理屈ではわかっていても苛々する。
「オズは慎重すぎるわよ」
エンテルの言葉に、今まで黙って荷解きを進めていたオズも流石に眉を寄せて顔を上げた。何か言い返そうとして、口を閉ざす。
エンテルの言い分が思慮を欠いていることは、オズのみならずエンテル自身にだって分かっているのだ。それを察したからこそ、オズは言葉を飲み込んだのである。
「……旅をする者たちは、慎重であるに越したことはない。そんなのは、鉄則だろ」
いまさら何を言わせるんだという顔で、不器用な男はエンテルから視線を外し、それ以上にかける言葉を持たずにぎくしゃくと荷解きを再開する。
「でも、今からだったら村まで降りられるでしょ?何も野宿しなくても」
「まだ言ってんのかよ。霧が出てるから危ないって言ってるんだ。分かっていてワガママを言うな」
刷毛で色を塗ったように、厳しい言葉を掛けられてエンテルは顔色を変えた。カーッと頭に血が上る。勿論、子どもっぽい理屈を振りかざしたことへの恥じらいではない。カチンときたのだ。
「ああ。そう!!」
荷物を持ち直して、エンテルはオズに背を向けた。そのまま、来た道をずんずんと歩き出す。
「何やってんだよ」
「オズはついてこないで!」
「霧が出てるから危ないって言ってるんだろ、バカ!」
しんと静まり返った森の中に、二人の荒い口調が木霊する。十分に離れたところに荷物を放り投げて、ようやくエンテルは振り返った。霧の向こうで、オズの影がエンテルを見守っている。
「わかってるわよ、危ないんでしょ?別に今から帰ったりはし・ま・せ・ん!でもオズの顔も見たくないの。オズがいるとムカムカして寝れないから」
まあ我ながら可愛げがないと思う。見えているかも分からないが、エンテルはついでに思い切り舌を出した。
「おやすみ!オズはそっちで寝てね!!」
一方的にエンテルが言い終わると、しばらく呆然と……もしくは切り返しを考える間が空いた。そして、
「勝手にしろ!」
森の向こうから、憤ったオズの声が、霧を伝って流れてきた。
ああ、勝手にしますよと、頭に血が上ったエンテルはぷりぷり怒りながら薪を集め、火を起こして寝具を広げた。
霧は、ますます深くなっている。

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森というのは、静かなようでいて、色々な音がする。たとえば、枯れ草の上を小動物が駆け抜ける音。風に吹かれて鳴る木々の梢。突然騒ぎ出す鳥の怪声。
明るいうちは気にならない音ですら、夜の闇はそれをいくらにも倍増して旅人に伝える。
土を踏みしめる獣の足音で、エンテルは浅い眠りから起こされた。周囲は暗いだけでなく、霧が立ち込めているせいで数歩先の視界すら怪しい。獣の気配は、焚き火の明かりが届かないところにあった。
エンテルの意識が浮上するのと比例するように、足音は遠くなっていく。それが夢か、現実か、確かめるためにエンテルはしばらく、暗闇の中で耳を澄ませた。ただの夜行性の小動物だろうか、それとも村で人を襲ったという、あの獣だろうか。
目を開く。一度根付いた恐怖心は、なかなか心から立ち去ってくれない。
音を立てないように身体を起こし、エンテルは鞘に納まった剣を引き寄せた。
あたりは、焚き火を取り囲んで、のしかかってくるような木々の群れだ。無意識にオズを焚き火の側に探して、エンテルは昨晩の出来事を思い出した。
(喧嘩……したんだっけ)
いや、エンテルが一方的に怒っていただけかもしれない。きっかけは、ひどく些細なことだった気がする。
膝を抱えて周囲に気を配ると、オズが焚いたと思われる焚き火が、かなり離れたところで赤く霧の中に浮かび上がっていた。
(来るなって言ったからって、本当に別の場所で寝ることないのに)
人寂しくて、思わず責めるような思考が浮かぶ。
(顔もみたくないなんて……言わなければよかったな)
目が覚めてみれば森の静寂は耳に痛いほどだ。どこかで突然エンテルを驚かせる物音だけが、やけに大きく聞こえる。落ち着いて考えれば、よくわかることなのだ。
オズが慎重なのは、臆病だからではない。身の安全を考えているからだ。ひいては、エンテルに危険が及ばないようにしてくれているということである。
ふと顔を上げて、エンテルは霧の中に人影を見た。
(オズ?)
……だ、と思う。見慣れた相棒の影である。エンテルが見間違うはずもない。が……
焚き火を振り返る。では、あそこには誰もいないのだろうか。
霧の中をそっと進んで、エンテルは人影に近寄った。木に凭れたまま剣を抱いて眠っているのは、やはりオズだ。夜空を写し取ったような藍色の髪に、点々と白い花が散っている。僅かに爽やかな花の香りが漂った。
オズは、寝心地が悪いだろう木の根元で腕を組んで眠っていた。エンテルに何かあったらすぐに駆けつけられる場所である。エンテルが眠ってしまった隙を見て、わざわざ彼女の身を守れる位置に移動したのだろう。
勝手にしろ、なんて言ったくせに。
オズは不器用にエンテルを守ってくれている。
伏せた睫毛を見つめていると、不意に涙が滲んできたので、エンテルは慌てて寝床に戻った。
森の中にいても、怖いことなんてない。一人の時はあれほど過敏になっていた獣の気配も、物音も、必要以上にエンテルを脅かすことがなくなった。
すぐそばに、オズがいる。それだけで、こんなに安心できるのだ。

人の気配に目を覚ますと、オズはもう起きて寝具を荷物に押し込んでいるところだった。
「ようやく起きたか」
エンテルに投げられる声は、平素と変わりない。それだけでは、元々誤解されやすい性格のオズの機嫌を測るのは難しかった。オズの気持ちをはかりかねてエンテルが彼を凝視していると、その視線を気にしたのか、オズはふいと視線を逸らす。
「向こうの方で、獣の足跡を見つけた。村人が言ってた人食いかも知れない」
言っているうちにも手際よく荷物をまとめていくので、エンテルは慌てて飛び起きて、自分の荷物を片付けた。
「うまくすれば、今日中に村に帰れるだろ」と、オズはちらりとエンテルを振り返ってから、歩き出している。
「オズ……」
その後姿に、声をかけた。オズは歩みを緩める。
「昨日は、ごめんね。そして、ありがと」
何かを言おうとして口を開き、結局唇を結んで、オズはさっさと歩き出した。
少しだけ早まった足運びの理由を、エンテルは長い付き合いでよく知っている。
「オーズ。照れてる?」
「るさい!」
声をかけると、やっぱり予想したとおりの返事が返ってきた。