<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>
永久なる花言葉
□オープニング□
ジェンカの村は一年で一番豊かで、華やかな時期を迎えていた。
大人の背丈ほどの木々が至るところにあるこの村は、爽やかな口あたりと甘酸っぱい味が、多数の女性支持を得ているフォズ酒の醸造で有名な場所であった。
晴れやかに澄んだ青空の下で、多くの来客と祭りの準備に忙しい村人達が行き交っている。
「お招きありがとうございます。村長さん」
「いえいえ、あの時ロウ先生が来て下さらなかったら、この美味い酒には出会えなかったんですから」
フェンリーは混み合う人の多さに、時折身の置き所を失いながら、すでに赤ら顔の村長の顔を見つめた。屈託のない笑顔の向こうに、まだ記憶に新しい仕事のことを思い出した。
フォズの実がそろそろ収穫という頃、一本の古株が「レン」を発病したのだ。「レン」とは古い樹木の掛かる呪いのようなもので、それは周囲にいるものすべてに悪影響を及ぼす。「レン」を治すリレン師であるフェンリー・ロウは、この村長に頼まれて治療したのだった。
「そんな……。あ、そう言えばあれから何か影響が残りましたか?」
「女たちが実踏みを嫌がったくらいですかな……ま、それも初めだけでしたよ」
「まぁ、それはよかったですわ!」
まとめ上げた黒髪に挿してある花が風に揺れる。新緑色の長いローブも足元の草に当って音を立てた。
「そろそろ祭りが始まりますぞ。今年は特別ですからなぁ〜」
フェンリーは促されるままに、村中央に設置された長いテーブルについた。白いクロスが眩しい。見上げれば、ドライフラワーで作られたブーケがロープで支柱に固定され、シャンデリアのように空を飾っている。
大きな歓声が上がった。
穣酒祭の中心であるはずの酒――それを上回る主役たちが現われたのだ。フェンリーの横をゆっくりと通り過ぎていくのは、3組の新郎新婦だった。一様に白い衣装が輝いている。
花嫁の胸には、それぞれ趣向を凝らしたブーケが抱かれていた。
□蹄を鳴らして エーアハルト・ヴェルフェン+アンセルム・ハルワタート
光に透けて輝く金色。青い瞳を伏せて、孤高なる公子は暇を持て余していた。
この別荘地に来てからすでに1ヶ月。周辺の森や湖も歩き尽くし、エーアハルトは変化を求める心を抑えられなくなっていた。元々気持ちや行動を抑制する性質ではないが、同行している騎士の穏やかな顔を見ていると、この状況も悪くないのかとも思っていた。
だが、それももう限界に達している。
「ウッソス!」
呼び鈴と共に、別荘の管理人が呼ばれた。白髪ですこし剥げた男が、部屋の前で一礼した。美しいシャンデリアと広く森を展望できる窓。光の溢れる長椅子で主が手招きをしている。
「何かご用でございますか? エーアハルト様」
ウッソスが近づいたことを確認して、エーアハルトはけだるそうにグラスを置き振りかえった。
「アンセルムはどこに行った?」
「ハルワタート様は、私用で馬を用意されておりますが……」
「馬? 遠乗りでもする気か?」
訝しむ青年をウッソスは心の中で苦笑した。相変わらずひとりではお寂しいらしい……。
「いえ、ジェンカに美酒を買い付けに行かれるのだそうですよ」
アンセルム・ハルワタート――ヴェルフェン家に仕える騎士。エーアハルトにとっては、幼い頃より常に行動を共にしている幼馴染でもある。
その彼は今、別荘の裏にある馬舎にいた。4頭いる選りすぐりの名馬を1頭1頭撫でて、一番気性の大人しい栗毛を選んだ。馬具を用意し、遠乗りになるので、水を与えているところだった。
ジェンカはここから馬でもかなり掛かる。時間に制限がなければゆっくりと歩いて行ってもいいのだが、できれば昼食までには戻りたかった。
祭りの真っ最中である美酒の里。今なら、滅多にお目にかかれない貴重な品を手に入れられるかもしれないのだ。そして、それを敬愛する主――エーアハルトに楽しんでもらいたかった。
「近頃、物憂げにされていらっしゃるからな……」
誰に言うでもなく呟くと、
「フッ、お前にそんな心配をされるとは思わなかったな」
聴き間違えるはずのない声がして、アンセルムは驚いて振り向いた。腰まで伸びた黒檀の髪が反動で円を描いて翻る。
「エーアハルト様! ……どう、し」
「どうしてここに、と言うのか? 無論、同行するために決まっている」
「しかし――」
「面白いことをひとりでするなと言ったはずだぞ」
困惑する部下を笑いながら、公子は白馬に馬具を用意し始めた。アンセルムは彼の言葉にも動揺したが、それよりも慌てて主の手から馬具を奪った。
「わ、分かりました。これからジェンカまで参りますが、よろしいですか?」
金髪をかき上げ、エーアハルトは口の端を上げる。馬具を手渡し、白馬の額をひと撫でした。
「僕は門の前で待っておこう。仕度は早めに頼む」
+
蹄の音が朝の森に響く。すでに日は高く上がり、今日も良い天気であることを知らしめていた。
鳥のさえずり。肺いっぱい入り込んでくる、まだ冷たい空気。そのどれもが馬の躍動と同じリズムで体に刻まれていく。
「こうして共に遠乗りするのは久しぶりだな」
前を行くエーアハルトが僅かに視線だけ、褐色の青年に向けて言った。「そうですね」と答え、アンセルムは胸が温かくなった。長年仕えているが、時折向けられる言葉や表情がひどく嬉しい時がある。今もそうだった。
優雅な隠居生活など、していられる人ではないのだ。常に変化を求め、思考し続けていく人なのだから――。
行くと言い出した主の言葉に苦笑しつつも、アンセルムはエーアハルトとの外出に心が踊るのを感じていた。
「あれがジェンカか?」
「そうです。フォズ酒の醸造が名産となっています。今は、穣酒祭の最中なのですよ」
「なるほど、音楽が聞こえてくるな」
白石をいくつも積み上げた外壁を持ち、村とはいえかなり大きな建物も見える。小城と言っても良い造りに、エーアハルトは満足そうな笑みを浮かべた。
彼らを出迎えたのは、近隣の街からやってきている護衛兵だった。名と家、目的を告げるとすんなりと通してくれた。その上、村の中でも美味い酒を扱っている店を教えてくれた。
早速、そこへと足を運ぶ。ジェンカへ赴いた一番の理由は美酒の買い入れだったのだから、これを遂行せねば来た意味を成さない。
「主。この村で…いや、ユニコーン地方で最も良いフォズ酒を出してくれ」
少し頑固そうな親父を前に、公子が口火を切った。先を越されたアンセルムは思わず閉口した。家臣である自分が、もちろん先に交渉しなければならないところなのだ。
「あんた、新酒がいいのか? それとも年代物か?」
貴族を目前にしても、店の親父は頭を下げない。余程この仕事に自信とプライドを持っている職人なのだろう。エーアハルトは親父の態度が気に入ったらしく、滅多に見せない美しい笑顔でアンセルムを呼んだ。
「お前はどちらがいいと思う?」
「……そうですね。フォズ酒はその爽やかさが味の醍醐味と聞きます。しかし、新酒は若過ぎますし――」
親父が腕組みをして、成り行きを見守っている。酒の本当の価値が分かるかどうか試しているかのようだ。
「ならば主。1年物の宝珠を得たいが、どうかな?」
挑戦されていることに気づいているのか、エーアハルトがカウンターにしなやかな指で金貨の袋を置いた。
重みのある絹の袋に、親父はニヤリと笑ったのだった。
□伸びゆく心 ―― アンセルム・ハルワタート
「なかなかの買い物だったな、アンセルム」
「……店の主には、良い商売だったのではないでしょうか」
「なんだ、怒っているのか?」
アンセルムは頭を横に振った。結局、一番の美酒を親父の言い値で購入した公子。臣下であるアンセルムとしては、自分が支払いたかったのに、エーアハルトの懐から出てしまったことがかなり残念だったのだ。
ホクホク顔の親父に連れられ、ふたりは上席へと招待された。村長が挨拶をしに廻ってきた。
「これはこれは、ジェンカの穣酒祭へようこそ! 楽しんで頂ければ光栄に存知ます」
「舞台があるようですが、何か始まるのですか?」
褐色の青年が、薦められたグラスを手にしながら訊ねた。
「3組の結婚式ですよ。いやぁ、今年は貴族様も見物され、リレン師の先生も来られているし、ありがたい限りですなぁ〜」
すでに真っ赤な顔の村長が、嬉しげに鼻を鳴らした。それに素早く反応して、アンセルムが身を乗り出した。
「リレン師! あのレンを癒すと言う樹医が、ここに来ているのですか?」
「おお、ご存知ですかな。それはぜひ、ご紹介致しましょう」
珍しく主であるエーアハルトよりも先に発言しているアンセルム。以前より、植物好きな彼はリレン師という職業に強い興味を持っていたのだ。
放置されている当の金髪の青年と言えば、挨拶もそこそこに周囲を立ち歩いている。
「レンとは如何なる病なのでしょうか?」
「フフ…初めまして、ハルワタートさん」
アンセルムは思わず赤面した。知りたいことばかりで、つい質問を急いてしまったことに気づいた。
「い、いえ。こちらこそ初めまして、アンセルムとお呼び下さい」
クスクスと笑っているリレン師――フェンリーの緑の瞳を見つめた。丁寧に会釈され、彼女は小さく咳払いをする。
「レンについてお知りになりたいのですね。いいですわ、私でよければお教えしますわ」
古木がかかる病、レン。発病を知るのは、かなり周囲に影響が出てからの場合が多い。影響――それは呪い。レンを発病してる樹木に近づいた者は、人格が変化してしまうのだ。
人が本来持っている悪意や妬み、根底に潜む黒く澱んだ意識を表面に押し出してくる力を、レンは持っている。あくまでも病であるため、原木を治療しない限り広がり続ける。治す方法はひとつだけ、それがリレン師と呼ばれる樹医である。
黒髪のリレン師の言葉を聞き、アンセルムはまた質問した。
「だいたいのどんな治療法を持ちいているのですか?」
「治療と言うよりも、植物の持つ治癒力を呼び覚まし、支えてあげているだけですわ」
アンセルムの深緑の瞳が輝いた。植物は確かに強い力を持っている。何を壊すのではなく、作り出す力。そして、人を心をすべての世界を癒す力――。
自分の心の中にあったひとつの考え。それが、リレン師のそれと共通するものと知って、青年はますます樹医の仕事に興味が湧いた。
「信じているのですね……」
「もちろんですわ。自然は人の一部。強引に変化を求めても、得られるものはありません。調和し共存し、そして何より彼らを信じて行くことがこの仕事には必要なのです」
伸びやかに緑の若芽が天を目指す。植物を見ていると、心を深くえぐる過去に犯した過ちをも、すべても包み込んで和みの色に染めてしまう。騎士でありながら、庭仕事が好きな自分。よく主人には笑われたものだ。
毎日手入れをし、太陽の光を浴びて育っていく小さな芽。懸命に育んでいる姿に、自分もまたあの青い空に向かって伸びてゆけるのだと信じることができた。
フェンリーの言葉で、アンセルムは霧の掛かっていた道の先が見えた気がした。
まっすぐにどこまでも続く道。進んで行こう、他人がどう思おうとも。
それは自分自身の選んだ道なのだから。
□宴と神話的私見 ―― エーアハルト・ヴェルフェン
「なかなかの買い物だったな、アンセルム」
「……店の主には、良い商売だったのではないでしょうか」
「なんだ、怒っているのか?」
アンセルムは頭を横に振った。結局、一番の美酒を親父の言い値で購入した公子。臣下であるアンセルムとしては、自分が支払いたかったのに、エーアハルトの懐から出てしまったことがかなり残念だったのだ。
ホクホク顔の親父に連れられ、ふたりは上席へと招待された。村長が挨拶をしに廻ってきた。
「これはこれは、ジェンカの穣酒祭へようこそ! 楽しんで頂ければ光栄に存知ます」
「舞台があるようですが、何か始まるのですか?」
褐色の青年が、薦められたグラスを手にしながら訊ねた。
「3組の結婚式ですよ。いやぁ、今年は貴族様も見物され、リレン師の先生も来られているし、ありがたい限りですなぁ〜」
すでに真っ赤な顔の村長が、嬉しげに鼻を鳴らした。それに素早く反応して、アンセルムが身を乗り出した。
「リレン師! あのレンを癒すと言う樹医が、ここに来ているのですか?」
あまり興味のない話に転じているので、エーアハルトは後方で演奏している楽団へと足を向けた。連続的に奏でられている音楽に耳を傾け、シンバルへと近づいた。
「キミはこの場にいる必要があるのか?」
「……は? 必要だからいるに決まってますけど」
シンバルは演奏の中で何度かしか、その銀板を打つことはない。しかし、演奏を締めくくったり、切り替えしのポイントを作ったりと必要な楽器には違いなかった。しかし、エーアハルトには持論がある。
「ふむ。音は統一されるのがよい。一際大きく響き渡り、それでなくとも金属質の音は耳に痛い」
「あんたねぇ……」
シンバル奏者は困惑した。エーアハルトの言い分に一理ないわけではないが、責任を持って演奏する者にとってそれを認めるわけにはいかなかった。風になびく金髪を恨めしそうに見上げる男を尻目に、エーアハルトは話し終わったらしい村長の元へと歩いて行った。
そして、いきなり話しかけた。
「キミはどう思いますか?」
「え……は、はい。何のことでしょうか、公子様」
「この宴のことだよ。僕はパンドラの神話に似ていると思うのだけれどね」
ようやく話の合点がいったので、村長は口を開いた。
「わたしは楽しくて良い祭りだと思いますが、パンドラの神話とは如何な話なのでしょう?」
「なんだ知らないのか。パンドラは開けてはならない箱を開けてしまった神話を」
肩でため息をつく。村長なのだから、これくらいの知識は持っていてもらいたいものだ。
祭りは準備をする段階から、気持ちが高揚していくものだ。そしてそれは祭り当日に最高潮を向かえる。だが、どうだろう――終了した後に残る疲労感と空虚感は。楽しめば楽しむほど、人はその落差について行けない。
パンドラが開けた希望があったからこそ、人は苦労し幸せを求め、得られないと絶望してしまう――それに似ているのではないか。
「宴は幻。すべては虚無に還るだけで価値がない――キミはそうだとは思わないか」
「は…はぁ……」
村長は困惑した。シンバル奏者どうように返す言葉がない。せっかくの祭りだというのに、虚無だとか価値がないとか言われて閉口してしまった。そんな、困り顔の村長を見つめて、哲学青年は心から可笑しそうに笑ったのだった。
愚行も酔いのうちに。
幻と思えば、何事も楽しく感じることができるのかもしれない。
□一輪の行方 ―― エーアハルト・ヴェルフェン+アンセルム・ハルワタート
フェンリーを紹介するべく、アンセルムがエーアハルトの横へ立った時、後方から歓声が上がった。
村長が助かったと言う顔をして、身を乗り出した。
「さあ、皆さん。花嫁のブーケトスが始まりますよ。男女問わず、幸せを求めて並んではどうですかな?」
未婚女性であるフェンリーは、当然ながら強い興味を示し目を輝かせた。歩きだそうとする深緑のドレスを追うように、アンセルムがエーアハルトを促した。
3組の新郎新婦が舞台の中央に立っている。石畳の上にはすでにたくさんの若者が集っていた。
「ある意味、滑稽だな」
「またそんなことを……」
「あ、始まりますわ」
紹介もそこそこに、ブーケトスは行われた。背を向けた白いドレスの向こうから、色とりどりの花束が投げられた。遠くに飛ぶモノ、人の群れに紛れてしまうモノとあったが、そのうちの一つがヒラリとエーアハルトの頭上に落ちてきた。
別段興味のない彼ではあったが、落ちてきたものを拾えないほど間抜けてもなければ、非道でもない。片手で受け取ると、壮麗な青年の手に落ちたことを祝って、盛大な拍手が起こった。
「これもまた、愚行のひとつと数えるべきか……?」
「エーアハルト様!」
臣下の叱咤に、公子は声に出して笑った。そして、
「アンセルム、この花の花言葉を知っているか?」
と訊ねた。鳴り止まない歓声と拍手を縫って、席へと戻る。アンセルムは青くささやかに咲いている花を見つめて、首を横に振った。
「いいえ、存知ませんが」
「なるほど。僕は知りたくもないから調べなくてもいい」
臣下の答えに、満足そうに頷く青年だった。
アンセルムは手渡されたブーケを、エーアハルトが席を外した時にフェンリーに渡した。
「いいんですか? 公子様から頂いたのではないですか?」
「僕に大輪の花は似合いません。ただ、一輪あればいいのですよ」
嬉しそうにブーケを抱いたフェンリーに、アンセルムは訊ねた。
「ところで、この花の花言葉をご存知ですか?」
「ええ、もちろん」
クスクスと笑いながら、フェンリーはそっと耳打ちした。
「madien blush rose 『わが心、君のみが知る』ですわ」
と。
アンセルムは金髪のちょっと皮肉屋の主を探した。視線の先で、踊るように歩いている。
胸に刺した青い花が揺れている。
日が暮れ、暖かな光に包まれたジェンカ。
アンセルムの心もまた、暖かな光に包まれていくのだった――。
□END□
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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+ 1113 / エーアハルト・ヴェルフェン / 男 / 21 / 公子(貴族) +
+ 1141 / アンセルム・ハルワタート / 男 / 18 / 騎士 +
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■ ライター通信 ■
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どうにもこうにも遅筆なライター杜野天音です。
締め切りギリギリになってしまいましたが、しっかりと書き込んだつもりでおります。気に入ってもらえたらなら、ひと安心なのですが。
アンセルムの素直さが光りました。素敵な騎士ですよね。エーアハルトと共にいることが一番彼にとっての安定の地、なのかなぁと思いました。
彼の心の方が強く出た作品となりました。如何でしたでしょうか?
こんな私ですが、またご利用下さると嬉しいですvv ありがとうございました。
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